終章 銀行員のクズと怪人シャーロックホームズ

文字数 7,185文字

 犯人も探偵役も脱落するなんて。まさかこんな事になるとは……と頭を抱えながら、私、八雲園子は溜息を吐いた。面倒ではあるが、後はもう私が幕を下ろすしかない。

 ちょっとした悪戯心で、私は電話越しの相手に問う。
「ところで。貴方は今回の事件の真犯人って、誰だと思いますか?」
 電話越しの相手は帝陽銀行の頭取の菅井だ。頭取は言葉を詰まらせた後、どこか歯切れが悪そうに言う。
「――――話についていけてないのですが……今回の事件の犯人は当行の元行員、神沢だったのでは?」
 実につまらない普通の解答で、私は質問したことを後悔した。
「いえ。何でもありません。今の話は忘れて下さい! 話を戻しますけど。今回の事件は全て佐々木太郎と、反社会的組織の犯行ということで処理しました。今日の晩には全国ネットのニュースで流れますが、御行の名前は一切出ません。主要の報道機関と、それと念のため金融庁にも圧力をかけてあります。もしかすると鼻の良い記者が嗅ぎつけてくるかもしれませんが、その時はまたご連絡頂ければ、こちらで潰しますので」
 おずおずと電話越しの頭取が言う。
「――――ありがとうございます。それで支払いの方なのですが、一体どれぐらい払えば……」
「ああ、料金はですね。別の依頼主の方から十二分にもらっていますので要りませんよ! 御行からは毎年、顧問料もらってますし、それで大丈夫です! それではまた何かあれば連絡下さいね。ではでは!」
 一方的にそう告げて、私は頭取との電話を切った。私は安堵で胸を撫で下ろす。事件は全て揉み消し終え、一通りの後始末もこれで終了だ。その気になれば帝陽銀行から報酬をふんだくることも出来るが、まぁ商売は信用なので、あまり悪質なことをすべきではないだろう。
 今回の本当の依頼主は帝陽銀行ではなく、神沢花火だ。凶行に及ぶ兄、神沢武志を追い詰めながら事件を完走させ、その後は揉み消すこと。そしてその事件のレポートを作成すること。これが今回、西行寺探偵事務所が受けた仕事だった。
 ちなみにプロバイダで調べた結果、最初に帝陽銀行に入った匿名の告発メールも、神沢花火が送ったものの様だ。平たく言えば事件の切欠は全て、神沢花火の自作自演である。
 改めて考えてみても、良く解らない依頼だ。そもそも神沢花火の目的は何なのか。西行寺探偵事務所への報酬は、決して安いものでもない。神沢花火の収入は本による印税のみ。私に支払った報酬は印税から捻出したものと推測できるが……果たしてこの依頼は、神沢花火にとってどういう意味があったのだろうか。
神沢花火から既に報酬はもらっており、依頼されていたレポートも提出済みだ。怪人シャーロック・ホームズの今回の仕事は、これで終わりである。
 ここで幕を下ろしても構わない。しかし私は、神沢花火の動機がどうしても気になった。怪人シャーロック・ホームズの異名を持つこの私が、どれだけ考えても見当すらつかないのだ。これはちょっと、沽券にかかわる。事件は社会的に揉み消したが、兄の神沢武志の人生が犠牲となった事実までは消せない。そこまでした神沢花火の動機は何なのか。
 私は怪人シャーロック・ホームズだ。だから最後まで暴こうと思う。
 まぁどうせ、くだらないゴミみたいな話だとは思うけど。
 頭取との電話を終え、私はスマホをカバンの中に放り込んだ。そして目前の大きな建物、東銀北総病院を仰ぎ見る。病院の中での通話はマナー違反なので、一度外へ出たのだ。
 私は改めてその大きな玄関口を潜ると、平日だからか、エントランスホールの人気は疎らだった。軽い足取りで医者の南条がいるという医局へ向かっていると、入院患者と思しき老人とすれ違った。すると突然、その老人が目を見開き、私に声を掛けてくる。
「……お嬢ちゃん。見覚えがあるな。昔どこかで会ったことがないかな?」
 振り返ってその老人を見詰め、私は記憶の中を探る。そして数秒かけて老人の顔を思い出す。老人の記憶は正しく、昔に私と会った事があった。 私の記憶によれば、この老人は昔、千葉県議員をやっていてその時に政界のパーティで会った。
 記憶力の良いお爺さんだなぁ、と思いつつ私は頭を振って白を切る。
「いいえ。初対面だと思いますよ! 人違いではっ?」
 すると老人がしゃがれた声を出す。
「……まぁ、そうだよな。こんなところに総理大臣の孫がいる訳ないよな……」
 そう納得した様に、独りごちる老人。詮索されても面倒で、私は老人を無視して歩みを再開する。
 総理大臣の孫。警視庁長官と報道機関社長の親戚。電力会社と大手商社の社長の娘。
 防衛大臣政務官の妹。これまで私は色々な名で呼ばれてきたが、総理大臣の孫と呼ばれるのが一番嫌いだ。
 結局のところ、この国は一握りの資本家達が牛耳り、政治や経済を回している。小さい頃は両親に色々なパーティに引っ張り回されたため、私の顔を知っている人間は割といる。そしてタチの悪いことに、政治家という人種は権力を持つ人間の顔を覚えることが得意らしい。
 元来、私は内向的な人間で、小学校の頃からずっと引き籠りだ。勉強とスポーツの才能には恵まれていたが、人格にはあまり恵まれていない。他人とコミュニケーションを取ることが苦手なのだ。私には、自分より能力の低い人間をすぐ見下してしまう悪い癖があった。能力のある大人を相手にしている分には、あまり問題はないが……同世代の子とは絶望的だ。勿論、友達はいない。
 学校で能力の低い同世代達と集団行動をとるのも馬鹿らしく、時間の無駄だ。そんな考えもあり、私は学校へ一度も登校せず金で裏口入学して、金で卒業している。経歴を書面に書き出せば名門学校の名が連なるが、その全ては汚い現金まみれだ。
 八雲園子とは、そういう人間だった。
 だからこそ、私が趣味ではじめたこの探偵業に家族は非常に協力的だ。両親としても、娘に家で引き籠りをされるより都合が良いだろう。なので大抵のお願いは、電話一本で聞いてもらえる。 
 病院の真っ白い廊下を進んでいき、私は目的の医局に辿り着いた。中に入ると医局の主、南条が私を見て、ぎょっとした顔となる。
 私は胸中で苦笑する。医者はこれだから嫌だ。内心がすぐ顔に出る。個人的には相手にするなら、銀行員のほうがずっとマシだ。
 南条が微かに震えながら言う。
「……報酬なら既に支払ったと、聞いているが?」
 柔らかく微笑みながら、私は応じる。
「はい! 確かに報酬は既にもらってます。えっと今日はですね。神沢花火さんと話がしたくて来ました! 勿論、案内して頂けますよねっ?」
 私は可愛く凄む。 
 南条は無言だったが、ややあって諦めた様に目を瞑った。
「いいだろう。ついてこい」
 南条に先導されて移動し、私は病院内のエレベーターに乗った。そして病院の最上階に向かう。二人だけのエレベーター内だが、会話をするつもりはないらしく、南条は何も言わない。沈黙に耐えきれず、私は口を開く。
「そういえば南条先生。一つ訊きたいことがあるんですが、聞いてもいいですか?」
「……なんだ?」
「南条先生は初めから知っていたんですよね。花火さんとグルになってお兄さんに一芝居打って騙し、凶行に走らせた。そしてこれは予想なんですが、佐々木太郎を紹介したのも南条先生ですよね? 何故こんな惨いことを? 何故、花火さんに加担したんですか?」
 南条は失笑する。
「……何故こんな惨いことを、か。強いて言えばそうだな……惚れた男の弱みってやつだな」
「医者の癖に随分と馬鹿なことをしましたね! 私が揉み消してなかったら、貴方は今頃刑務所の中ですよ?」
「……男ってのは基本的に馬鹿なんだ。君もあと数年すれば分かる」
その時、間の抜けた電子音が響いてエレベーターが止まり、扉が開いた。南条が廊下に出る。
「……花火ちゃんは、真っ直ぐ行った突き当たりの個室にいる。怪人シャーロック・ホームズ、ここから先は君一人で行ってくれ」
「南条先生は来ないんですか?」
 そして最後に、南条が自嘲気味に言う。
「すまんな、オペ続きで疲れてるんだ。それに……俺は結局、平凡な人間なんだよ。君や、花火ちゃんみたいな非凡な人間には、正直ついていけない」


 東銀北総病院、本館最上階。人気は皆無で埃一つ落ちてない廊下を進んでいくと、南条の言う通り、突き当たりに個室があった。
 私は三回ノックする。すると中から「どうぞ」と鈴の音の様な声が聞こえてきた。
 個室に入ると、そこは病室だった。開け放たれた窓からは青空が覗き、爽やかな風がカーテンを揺らしている。寝台には私と同世代と思しき少女が腰掛けており、膝の上に置いたノートパソコンのキーボードを無心で叩いている。
 声を発するのも憚れる雰囲気で、私は暫く待った。やがてその少女、神沢花火がキーボードを叩く手を止めて、私の方に顔を向けて微笑む。
「待たせちゃって、ごめんなさいね。今丁度、筆が乗っていたものだから。えっと貴女は……」
「初めまして。私は西行寺探偵事務所の八雲園子です。今回は仕事を頂いて、ありがとうございました!」
 私が頭を下げると、花火が私を見定める様に半眼となった。
「こちらこそ初めまして。今回は色々お世話になったわね。しかし貴女があの有名な、怪人シャーロック・ホームズなの? これは驚いたわ。メールでやりとりしていた感じだと、普通に兄さんぐらいの大人だと思っていたけども。まさか私と同じぐらいの子だなんて。お茶を淹れるから、少し待ってもらえる?」
「お構いなく。少しお話するだけで済みますから」
「そう、つれないわね。まあ私も小説で忙しいから手短にお願いするわ。それで、今日は一体、何の用かしら。お金はもう払っているし、レポートも貰っているから、話は何もないと思うけども……」
「一つだけ解らない事があって、それを訊きたいんです。答えたくなければそれでも結構です」
「へぇ、あの怪人シャーロック・ホームズにも解らないことがあるのね。それが何なのか逆に気になるわ。いいわよ、私が知っていることなら答えてあげるわ。当然、知らないことは答えられないけどね?」
 遠回しな話が私は嫌いだった。だから直球で訊く。
「神沢花火さん、今回の事件で貴女の動機は何だったんですか? 貴女の思惑通り、神沢武志さんは凶行に及び、私に追い詰められて事件は終わりました。この一連の話は一体全体、貴女にとって何の意味があって、どういう価値があったんですか?」
 花火が世にも楽しそうに笑う。
「なるほど。つまり貴女にとってこの話の謎は、私の犯行動機。ホワイダニットという訳ね。これはまた随分と、滅茶苦茶な小説になったわねぇ。プロットの組み方を、どこかで間違えたのかしら……」
 腕を組み、一人で納得した様子の花火。するとその時だ。私の背後からノックの音が聞こえた。そして扉が乱暴に開かれる。
 現われたのは、茶封筒を持ったスーツ姿の女性だった。年齢は二十代後半ぐらいだろう。間違いなく病院の関係者ではない。その女性は先客である私を押し退けて、花火の元に駆け寄った。肩で息をするその女性に、花火が眉を顰める。
「ちょっと小久保さん。申し訳ないけど、今は取り込み中なのよ。少し外で待っていてもらえる?」
 そんな言葉を無視し、小久保と呼ばれた女性は花火の両肩を掴んで口角泡を飛ばす。
「花火さん! 先日頂いた企画なんですけども、素晴らしいプロットでした! てな訳で編集会議も一発で通りました! それでご相談なんですけど、四月末には刊行したいので、直ぐにでも原稿を書いて頂きたいのですが」
「いやいやいや……。四月って後四ヶ月しかないじゃないの。スケジュール的にちょっと無理があるでしょ」
「大丈夫です! 花火さんなら書けます! とりあえず初稿を二ヶ月ぐらいでお願いしますね! それと、もらったプロットにはタイトルがなかったですよね。とりあえず作品のタイトルも考えて頂きたいのですが……」
「ああ、タイトルはあえて考えなかったのよ。タイトルって会議で決めるものでしょう? 私の意見って、あまり通らないし」
「とりあえず仮で良いので決めて下さい。タイトル会議はやりますが、作者の花火さんの案がないなんて、有り得ません」
「うーん。そうねぇ……」
 口元に指を当て、花火が天井を睨んだ。少しして何かを思いついた様な目となり、花火が指を鳴らす。
「――――『銀行員のクズと怪人シャーロック・ホームズ』っていうのはどうかしら。タイトルはこれでお願いするわ」
 それを聞いた瞬間、私は全てを理解して総毛立つ。
 このスーツ姿の女は出版社の花火の担当編集者だろう。今の会話を聞いていれば予想がつく。
 そして神沢花火の犯行動機。それは恐らく……小説のネタ集め、だ。この作家は、小説のネタを集めるために兄を騙して煽り、凶行に走らせて凄惨な事件を起こしたのだ。
「それではまたメール入れますので、宜しくお願いしますね!」と言って、小久保と呼ばれた女性は部屋を飛び出していった。
 再びこの部屋は私と花火だけとなる。私の声が思わず沈む。
「……神沢花火さん。まさか貴女の動機って……全部、小説のためだったんですか?」
 花火が再び私の方を見て、首肯する。
「ええ、そうよ。ちょっと金融ミステリーが書きたかったのよ。普通のを書いても面白くないでしょう? だから兄さんと、貴女を利用させてもらったわ」
 私に花火を咎める権利はない。そして今更、綺麗事を言うつもりもなかった。仕事として請負い、私も初めから神沢武志が犯人だと知っていた。神沢武志を追い詰めつつも、凄惨な事件を看過したのだ。なので私も同罪である。 
 しかし思わず、私の本音が喉元を経て飛び出した。
「花火さん。貴女、頭おかしいんじゃないですか? 小説なんかのために、こんなことをしたんですか?」
 刹那、花火の表情が強張る。
「……貴女、今なんて言ったの? もしかして小説なんか、って言ったのかしら?」
「はい、そう言いました。私は貴女の著書、デビュー作も拝読しましたけど。確かに面白いし個性的ですが、所詮は最近のエンタメ小説ですよね? そんなものを書くために、お兄さんを犠牲にして、わざわざこんな壮大な事件を――――」
 私の言葉を遮り、花火が怒号を上げる。
「――――私が書いているのは文芸だ! 私の小説をッ! 売れるためだけに媚びた作品と一緒にするなッ!」
 魂から絞り出された様なその声と気迫に圧倒され、私は次の言葉を呑み込んだ。
 沈黙が病室に満ち、私と花火の視線が交差を続ける。暫くして、折れた様に花火が息を吐いた。
「私は全て懸けて、小説を書いているのよ。ちょっとでも良いものが書けるのなら、どんな犠牲も厭わないわ」
「……それは唯一の肉親であるお兄さんを、犠牲にしても、ですか?」
「ええ、そうよ。例え兄さんを殺してでも、私は小説を書くわ。私は作家だもの」
「……話はこれで終わりです。失礼な話をして、本当にごめんなさい。非礼をお詫びします」
 全て聞き終えた。価値観は人それぞれで、色々あるだろう。私は探偵だ。だから小説を書いている人間の気持ちなんて理解できない。
 これ以上話すことはなく、頭を下げて私は引上げようとする。すると花火が声をあげた。
「ねえ。貴女が今日この病院へ来たのは、他にも理由があるんでしょう? 南条先生の次世代医療の甲斐もあって、今頃は二階のロビーで日向ぼっこしていると思うわ。最近の医療って、本当に凄いわね」
 私は何も言わない。良い勘をしている。花火は意外と探偵にも向いているかも……と思いつつ、私は部屋を出て、後ろ手で扉を閉めた。
 
 
 さしあたって、私は一つの重大な問題を抱えていた。
 今回の仕事で、身代わりが死んでしまったのだ。彼は元々警視庁の刑事だったため、非常に能力が高く、優秀な身代わりだっただけに残念である。私としては、自分が矢面に立つつもりは毛頭なかった。また新たな身代わりを捜さなくてはならない。
 しかしながら、当然その身代わりは誰でも良い訳ではない。探偵として才能があり、能力がある人間でなくては駄目だ。そして個人的な趣味だが、大人な年上の男性を所望したい。 
 今回の事件を終えて、私は考える。一人いるじゃないか。次の怪人シャーロック・ホームズとして適任な男が。後の問題はどう勧誘するか。普通に言っても断られるのが目に見えていた。何か口説き文句を考えなければならない。そもそも彼は、何が楽しくて銀行員をやっていたのだろう。銀行に勤めるメリットとは、一体何だろうか。
 私が頭を捻りながら二階のロビーに行くと、花火の話通り、見知った顔が窓から差し込む日光に照らされながら、椅子に座って微睡んでいた。
 両手と両腕は包帯でぐるぐる巻きにされており、見るからに痛々しい風貌の青年である。私は近づき出来る限りの明るい声で、その男の名を呼んだ。
 青年が、鳩が豆鉄砲を食った様な顔をする。
私は上目遣いの営業スマイルで甘える様に言う。
「唐突ですが、私の身代わりを殺した責任をとって下さい! えっと要するにですね、次の怪人シャーロック・ホームズになって下さい! どうせ銀行もクビになったんだし、構わないですよね。ね?」
 そして私は、熟慮を重ねて思いついた、自分の中で今年一番の最高の出来だと思う口説き文句を口にする。

「――――勿論、銀行にいた頃以上のお給料は保証しますっ!」



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