9.休日②

文字数 6,460文字

 本館三階の医務局。扉を開けると、そこには変わらぬ雑多な風景が広がっていた。ソファに身を沈め、本に視線を落としている南条が手を上げてくる。
「すまんな神沢。ちょっと用事が出来て外に出ていた。今戻ったんだ」
 僕は嘆息する。
「構わないよ。ところで南条、突然だけど一つ訊いてもいいかい?」
「改まってどうした? なにかあったか?」
「どこでとは言わないが。君に関する、あまり良くない噂を聞いたんだ」
「噂? 要するに俺の悪い噂ってことか?」
「そうだよ。君が酒癖女癖が悪くて、かつ浪費癖もあるから金に困っているという噂だ」
 南条が自虐的に笑う。
「ああ、それなら聞いたことがある。俺を気に入らないやつが流しているんだろう。自分で言うのもなんだが、これでも俺は若い看護師に人気があるからな。周りから顰蹙を買っているんだ」
「それは意外だね。南条は若い女の子にモテるのか?」
「お陰様でな。俺達ぐらいの年齢になると、別に顔が悪くとも収入と肩書だけでモテるだろう。つまりは、そういうことだ。個人的には、そんなもので寄ってくる女には、あまり興味はないが」
「贅沢な話だね。それなら南条は、どういう子が好みなんだ?」
「そうだな。俺としては、割と花火ちゃんとか好きだぞ。元々俺は、本の虫と呼ばれるぐらい読書が好きな人種だからな。読書家からすれば、作家は神に等しい存在だ。花火ちゃんは器量も良いしな。出来ることなら、お付き合いをお願いしたところだよ。何にしてもだ。同じ趣味の異性と一緒になりたいというのが個人的な見解だ」
 好きな異性の話に妹の名前を出され、僕は戸惑う。
 言葉を返せないでいると、南条が話題を変える。
「それで神沢。状況はどうだ?」
「あれから特に大きく稼げていない。あと三億円ってところかな」
「残り十七日だぞ。間に合いそうか?」
「なんとか間に合わせるよ。とりあえず貯まった分は順次、この病院にアタッシュケースごと郵便で送る。それでもいいかい?」
「……それは構わない。俺宛で送ってくれ」
「それで。今日僕に何か用があったんじゃないのかい?」
 僕はそう切り出した。そう。今日僕は、南条に呼びつけられて此処にやってきたのだ。
 暫くの間を置いて、南条が口を開く。
「……なぁ神沢。次世代医療について、どう思う?」
「と言うと?」
 忖度できず、僕は思わず聞き返した。南条は僕に目を合わせず、言葉を吐く。
「俺の持論だが。医者の使命とは人の命を救うことだと思うんだ。しかし現実問題として医療には限界がある。それは技術的な限界ではない。人的資源の問題だ。助けを求めている人間を、全員は救えない。諦めなければならない命がある」
 言わんとしている事が解らず、僕は黙る。
 南条の独白が続く。
「病院も結局は、営利を目的とした企業だ。だからどうしても、医療は金持ちが優先となってしまう。次世代医療を受ける患者の平均年齢は六十歳ほど。前にも話した通り、現状、次世代医療は金持ちの年寄り専用の技術となっている。……こんな事実が公になれば、絶対に社会から批判の声があがる。故に次世代医療は秘匿されているんだ。……ここから先は医者としてではなく、俺個人としての感情になるが。やはり俺は、年寄りではなく、若い命を、将来と可能性のある命を優先して救いたいと考えている」
 南条がソファから腰を上げた。そこで僕は、南条が手にしている本に気づいた。それは見覚えのある文庫本。大手出版社レーベルより発刊された、神沢花火という作家のデビュー作であった。ここでようやく、南条が僕に視線を合わせる。
「……俺はこれでも、花火ちゃんの本の読者でね。だから、ここで花火ちゃんに死なれちゃ困る。将来のある花火ちゃんを、何とかして救いたいと考えているのは俺も一緒だ。だからこそ俺は、この話に関しては出来る限りの便宜を図ってやるつもりだ。……俺も貧乏な医者なものでね。はした金かもしれんが、一千万円ぐらいなら、俺が立て替えてやる用意がある。今日は、それが言いたくて呼び出した」
 この申し出に僕は驚く。一千万円。いくら医師とは言え、それは膨大な金額だろう。南条は僕の友人だ。しかし所詮は他人で、血の繋がりなどはない。金は命よりも重い。そんなことは銀行員の僕が一番良く解っていた。 僕以外にも、命を懸けて花火を救おうと考えてくれている人間がいる。この南条の申し出は、単純に嬉しかった。
 しかし――――所詮は一千万円だ。
 僕は内心で苦笑する。南条の言う通り、目標としている金額からすれば一千万円なんて、はした金だ。焼石に水である。残り二億九千万。状況は何も変わらない。まだまだ先は長い。僕はさらに罪を重ねなくてはならないだろう。
「……ありがとう。恩にきるよ」
 そう短く言って、僕は部屋を辞去しようとする。
 医局を出て行く寸前。
「――――なぁ、神沢」
 背中にそんな言葉を投げられ、僕はドアノブを引く手を止めた。
ややあって、南条がどこか諦めた様な声色で言う。
「……いや、なんでもない。引き留めて悪かった」
「南条。また連絡するよ」
 そう告げて、僕は医局を後にした。



 東銀北総病院を出て、僕は平面駐車場へ。土曜の休日であるため、駐車場は満車の状態であった。家族の見舞いに来たと思しき子供連れも多い。
 乗ってきた車をどこに置いたか忘れてしまった。やや迷いながらも、僕は程なくして目的の乗用車、クラウンを発見する。本日、病院へは佐々木と一緒に来ていた。
 車の中を覗く。すると助手席で佐々木が爆睡していた。
 車にはロックがかかっており、ドアは開かない。
 ドアガラスを何度かノックする。しかし佐々木が目を覚ます気配は一向にない。
 面倒臭くなり、僕はクラウンのフロントドアを思い切り蹴飛ばした。
 大きな打撃音が響き、中で寝ていた佐々木が跳ね起きた。そして慌てた様子でドアを開け、佐々木が外に出てくる。
「おいおい神沢さんよぉ! 何やってんだ! 今、車を蹴飛ばしやがったな!」
「……仕方ないだろ。君が車の中で寝ていて起きなかったんだから。こっちは貴重な休みを一日消費してるんだ。あまり時間を無駄にしたくない」
「あああっ! ドア凹んでるじゃねーかよ!? 乱暴な真似しやがって! このクラウン、気に入ってたのによぉ!」
「気に入ってたも何も、どうせ盗難車だろ? そんな怒るなよ」
 僕は澄ました顔で流し、運転席に乗り込む。
 隣の佐々木が小鼻を膨らませる。
「っつーか神沢さんよぉ。扉蹴る前に俺のスマホ鳴らせばよかったんじゃねーのか? 流石に俺も、スマホが鳴れば起きたと思うんだが?」
 ……言われてみれば、その方法もあったな。
 僕はそんな事を考えながら、シリンダーにキーを挿しエンジンをかけた。
 車を走らせて暫く無言が続く。助手席の佐々木は相変わらず、眠そうだった。僕は視線を前に向けたまま言う。
「かなり眠そうだが、大丈夫かい? 君は夜、ちゃんと寝ているのか?」
 佐々木が鼻先で笑う。
「おいおい、俺は犯罪者だぜ? 夜に寝てる訳ねーだろ? お天道様の下を歩けない犯罪者なんだから、日中に活動できねーんだよ。だから俺の様な人種は、昼に寝て夜に働くんだよ。お前そんな事も知らないのか? 馬鹿なんじゃねーの」
「そんな逆ギレされても困るんだけど……」
「悪いな。眠くて気が立ってんだ。ったくホントうぜーな。で、今日はこれから、どこに行くんだよ。パチスロか?」
「……だから僕は、パチンコスロットはしないって言ったろ。強盗でめぼしいところに、これから下見に行こうと思うんだよ。やるかどうかは、君に現場を見てもらってから決めようと思ってる」
 銀行には集金業務というものがある。契約している個人や法人を定期的に訪問し、現金を預かって口座へ入金するサービスだ。主に現金商売をしている事業所が、売上金を口座へ入金するために利用している。これは主にパート社員や嘱託社員の仕事であるが、当行では総合職の新入行員も金の数え方を覚えるために、数ヶ月従事するのが定例だ。僕も例外ではなく新入行員の時に少しやった。後は担当者が病欠した時など、総合職の人間がその業務を代行することもある。
 もう何十年と帝陽銀行と取引があり、この集金で売上を入金している事業所は多数存在する。そんな企業の中には、担当者が入れ替わると言えど、何十年と集金に訪問している銀行員を信用し、売上金の保管場所、金庫の鍵の場所を隠そうとしないところも多い。この集金業務を通じ、僕は売上金の保管場所と鍵の場所を知っている事業先が何件かあった。
 別にこれは特別な話ではない。銀行員の外回りであれば、大口預金先の通帳と銀行印の保管場所、売上金の場所とその鍵の場所などを知っている先が、誰でも何件かあるだろう。 
 都内の大型ゲームセンターの駐車場。そこで僕は車をとめた。
 車から降りた佐々木が、僕に問い掛けてくる。
「あんだよ。神沢さんはいかねぇのか?」
「僕は仕事で、何度かこの店に来ているんだ。店員に顔を覚えられているからね。頼むよ」
「けっ、いつも面倒事は俺の仕事だな。わーったよ」
 佐々木が吐き捨てる様言って、ゲームセンターへと入っていった。僕は自動販売機で珈琲を買い、車内でひたすら待つ。一時間、二時間と経過する。しかし、いつまで待っても佐々木は戻ってこなかった。
 いくら何でも遅すぎる。
 僕が連絡を入れようとした頃、ようやく佐々木がジャージ姿の男子高校生と思しき少年達と和気あいあいと話しながら、ゲームセンターから出てきた。
 何やってんだ、あいつ。
 僕は半眼で佐々木を睨む。少しして佐々木は高校生達と別れて車に戻ってきた。無言で僕が非難の視線を送ると、佐々木が弁明した。
「いやぁ神沢さん。遅くなって悪いな。自然な客を装うために何かゲームやろうと思ったら、昔の格闘ゲームの筐体があってよ。それで少し遊んでたら、そこにいた高校生と仲良くなっちまってさー」
 その話を聞いて、僕は少しおかしく思う。
「君は割と子ども好きだったりするのかい?」
「あん? 俺が子ども好きだって? 神沢さんも面白いことを言うねぇ。俺は女好きだが、子どもなんて大嫌いだよ」
「なら、なんで男子高校生と仲良くなったんだ?」
「ゲームをやってると、それだけで友情が芽生えるもんなんだよ。後はまぁ色々あったんだけどよ。その高校生の鞄の中に、ビニール包装された漫画が沢山入ってたんだよ。そんで、てめーこれ本屋から万引きしたやつだろ? って問い詰めたら、そうだって認めたからさ。俺が少し説教してやったんだよ」
 それを聞き、僕は思わず吹き出す。
「……暴力団幹部で殺人も厭わない。犯罪の塊みたいな君が万引きした高校生を説教したのかい? それはまた随分と違和感のある話だね」
 佐々木が口を尖らせる。
「そうだよ。何笑ってんだ。てめぇ何か文句あんのか」
「いや、文句はないけど。君なら逆に、高校生に犯罪を推奨しそうなイメージだったからさ。僕的には君は、万引きは盗られる方が悪いとかって言いそうなイメージだ」
「そりゃ確かに盗まれる方が悪いって意見に俺も同意だけどよ。でもあれだ。犯罪ってのはやっぱ、しないで済むなら、しない方がいいんだよ。なんて言うんだろうな。生きていくために、どうしようもない犯罪は仕方ないと思うんだ。でも、どうしようもあるなら、犯罪なんてやるべきじゃない」
「……そう考えているなら、どうして佐々木は犯罪者になったんだい? そして犯罪者をやっているんだい?」
「俺か? 俺の場合はさ。そもそも親父が暴力団で、母親が売春婦だったからな。子どもの頃からまともじゃなかった。生きるためには犯罪者になるしかなかったんだよ」
「……本当にそうなのかい? 僕は君の家庭環境も生い立ちも知らないから、何とも言えないけど。この社会には、セーフティネットというものがある。生活保護でもアルバイトでも、仕事や生き方を選ばなければ、いくら君でも犯罪に手を染めず、普通に生きられるのでは?」
 ゲラゲラと佐々木が笑う。
「生き方さえ選ばなければ、誰でも普通に生きられるはずだ……ってか? ホント他人毎で、笑える話だぜ。お前ら堅気の人間には解らねーだろうけど。俺はな、社会の奴隷じゃねーんだ。堅気の人間は、アルバイトでも何でもいいから普通に働けばいいじゃないか、なんて言うけどな。そんなの格好悪いだろ? それならいっそ、犯罪者の方が格好いい。だから俺は犯罪者をやってんだよ。……ま、自分は銀行員で妹は作家様とかいう身の上な神沢さんには、俺みたいな底辺の主張なんて、解らないだろうけどな。あーもう、なんか気分が悪くなってきたから、この話は止めにしようぜ。遅くなって悪かったよ」
「……そうだね。それでここはどうだった? 強盗、いけそうかい?」
「此処は微妙だな。ゲームセンターって立地もあって、防犯カメラも多いし、警備会社にも契約してる様だ。そして何よりも、この店の扉はどれもピッキングの難しい鍵ばかりだ。強盗をやれねーことはねーと思うが、難易度は結構高い。そこまで美味しくはないと思うぜ?」
「なるほど。警備会社と契約してなかったり、ピッキングのしやすい場所のほうが強盗先には適してるって訳か……」
「なに素人みたいなこと言ってんだ、って神沢さんは素人だったか。まー、今度ピッキングを教えてやるよ。とりあえず、次行くんだろ? さっさと行こうぜ」
「次は、近くにある教習所を君に見てもらおうと思ってるけど……」
「教習所って自動車のか?」
「そうだよ。佐々木も免許とるときに通ったろ? あれだよ」
「あー。実は俺、ずっと無免許で運転してるんだよな。だから通ったことない」
 僕は呆れる。
「今まで良く、やってこれたね。車を運転してて、警察に免許の提示を求められた事はないのかい?」
「いやそりゃあるけど。そうなったら逃げるからな。ああ、折角だから、神沢さんに良い事を教えてやるよ。警察に追い掛けられた時は、車道や歩道を逆走すんだよ。大事故に繋がると判断すれば、警察もそんな強引には追い掛けてこねーんだ」
「……良い情報をありがとう。一応、覚えておくことにするよ」
 話を流しながら、僕は車のエンジンを掛けた。そして言う。
「本当は今日、強盗の下見で五、六件回ろうと思っていたんだけども。ちょっと時間的に厳しそうだね……」
「そういや、神沢さんの金が必要な期日って、後十七日だろ? 残りは強盗で稼ぐつもりなのか? っつーかこのペースで間に合うのかよ?」
「……君の言う通り、このままだと間に合わない。だから、ちょっと強引な手を考えている」
「お、ついに銀行強盗をやる時がきたってか?」
「……銀行強盗はまだ考えていないよ。ちょっとSNSを利用して取り付け騒ぎ起こそうと思っているんだ。それで支店の現金を不足させる。そうすれば銀行は本部から現金を輸送するんだけど……」
「それを襲って現金を奪うって算段か? でも現金輸送って一人じゃやらねーだろ。何人かいる警備員はどうすんだ?」
「そうだね。そこは爆弾でも使って蹴散らせればと思ってるけど。……爆弾、どこかから手に入らないかい?」
 佐々木が車内の天井を見て、どこか上の空で言う。
「爆弾ねぇ。神沢さんは簡単に言ってくれるけど、爆弾は作るのも調達するのも、専門的な話になってくるぞ。普通の人間にゃ無理だ。まー、俺の犯罪友達に爆弾魔がいるから、何とか手に入れてやるよ」
「さすが佐々木。君は頼りになるな」
 僕は棒読みで、そう応じた。
 斜陽を浴びて伸びる信号機の影。そして対向車のフォグランプが点灯する。フロントガラス越しの空は、次第に夜の帳が下りつつあった。
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