7.残り3億円と18日

文字数 4,444文字

 空を仰ぎ見ると、そこには大きな月が浮かんでいた。
 閑静な住宅街だ。耳を澄ましていると、付近で猫の鳴き声が聞こえた。どこか遠くの方で、救急車のサイレン音が響いている。
 僕は目的の住所地に辿り着き、その住居の前に立つ。そこは佐々木に渡していた、リストの内の一件だ。
 周辺に人の影がないことを確認しながら、僕は手袋を嵌める。そして玄関扉を押す。鍵は既に破壊されており、何の抵抗もなく扉は静かに開いた。
電気はついておらず、中には闇が犇めいている。そんな闇を踏み抜きながら、僕は手探りで進む。やがて、どこか生臭い匂いが僕の鼻腔を抜けた。それが血の匂いであると、僕は本能的に悟る。
 血生臭いリビングへ入る。玄関と同様、闇が蔓延る室内。カーテンの隙間から差し込む月光が、一条の槍となってリビングの闇の一部を切り裂いている。
 そんな月光の槍に貫かれ、リビングで影を落としている佐々木に僕は声を掛けた。
「調子はどうだい?」
 佐々木が僕の方を向く。
「あ? まぁまぁだな。神沢さん。今日は随分と来るの早いじゃねーか」
「仕事が早く終わったんだよ。君こそ、こんなところで突っ立って、何をしているんだい?」
「いやな。死体の処理をどーしようかなと思って。素人みたいで間抜けな話だが、殺した後のことを考えてなかったぜ」
 リビングに死体はないが、その血の臭いは酷く強烈だった。本能的に無視できない匂いだ。時間が経過していくにつれ、死体は腐乱し臭いはさらに酷くなるだろう。佐々木の言うとおり、何か手を打たなければならない。近隣住民に気づかれれば終わりだ。
 この僕も死体の処理までは考えていなかった。爪の甘さを感じ、自分自身に僕は苛立つ。
 佐々木が軽く鼻で笑う。
「ま、でかい袋を持ってきてるからよ。それに入れて、後で東京湾にでも沈めてくるさ」
 そう軽い口調で言い、佐々木はキッチンにある冷蔵庫をあける。そして中にあった缶ビールをとりだした。
 当然、この冷蔵庫は住民の所有物である。まぁ今更、冷蔵庫からビールを盗んだところで何も咎められはしないだろう。あの世でビールは飲めないのだから。
 僕はどうでもいい質問を、佐々木に振る。
「しかしあれだね。君は良く、人を殺した直後にビールなんて飲めるね」
 佐々木がニヒルに笑う。
「神沢さんもマジで不思議なこと聞いてくるよな。よく中世の貴族が趣味で狩猟をやるだろ? そんであいつらは獲物を撃ち殺した後に、ブランデーで仲間と乾杯する訳だ。要するにそれと一緒だよ。不思議なことなんて、何もねーよ」
「なるほど。つまり君にとって殺人とは、貴族が趣味でやる狩りと一緒であると? そういうことかい?」
「大体そうだな。まぁ趣味の狩猟とは少し違うかもしれないが。どちらかというと、俺にとって殺人とは、正義のヒーローが悪党を倒すようなもんだぜ」
 思わず僕は吹き出す。何の罪も関係もない住民を殺して金を奪う。これのどこが正義のヒーローなのか。強盗殺人が正義なはずがない。
「……よく意味が分からないんだけど」
 佐々木は頭を掻きむしる。
「説明が難しいんだけどよ。俺はさ。金持ちは、金持ちというだけで罪だと思うんだよな。神沢さんも銀行に勤めているなら解るだろ? この社会は金持ちはとにかく金を持っているし、貧乏人はとにかく金がないんだ。ひでーぐらい貧富に差がある訳だ。金に困って死を選ぶ貧乏人が、毎年何人もいる。例えば、今日俺が殺した金持ちのババア。こいつが銀行で塩漬けにしてる金があれば、一体、何人が救えたと思う? 金持ちが金を抱えたままでいるから、貧乏人にまで金が回らないんだ。そう考えると極端な話だけどよ、金持ちが貧乏人を殺しているとも言えねーか? これを咎人と言わずなんと呼ぶんだ? 金持ちは咎人なんだよ。だから殺されたって、しかたねーんだ」
 それは本当に身勝手で、陳腐な理屈だった。しかしながら、生粋の犯罪者である佐々木らしい意見だと僕は思う。
 佐々木は続ける。
「お前ら堅気の人間はみんなさ、なんつーか殺人は絶対悪みたいに言うんだけどよ。殺人なんて別に珍しいことでも、特別なことでもないんだよ。人間にはそれぞれ個性があるから、集団でいれば必ずコミュニケーションに軋轢が生まれる。その軋轢が致命的であった場合、それを解消するために殺人という現象が発生するんだ。確かに方法は最悪だが、殺人も人間同士のコミュニケーションの内の一つなんだよ。クラウゼビッツの戦争論でもあんだろ。戦争とは外交行為の一つ。それと一緒だよ」
「君の言いたい事は解るけど……。でも僕は、どちらかと言えば殺人には否定的だな。やむ終えない場合は仕方ないとしても、やはり極力は避けるべきだと思うんだ」
 佐々木は僕を小馬鹿にする様に、顔を歪める。
「極力避けるべきねぇ。お前ら堅気のサラリーマンだって、日常的に人殺しをしてる癖に、よくそんな事が言えるな? 正直言うと、俺は自分みたいな犯罪者なんかより、お前ら堅気の奴らのほうがよっぽど邪悪だと思うね」
「どういうことだい? 流石にサラリーマンの間では、殺人は中々ないと思うけど……」
「連日、株やFXで負けて沢山の人間が死んでるだろ? 毎朝毎晩よく人が飛び込んで電車が止まんだろ? あれはお前等サラリーマンの経済活動による殺人じゃねーのかよ? よく若い奴が、上司からのパワハラや過剰労働を強いられて自殺とかしてるだろ? あれは殺人行為ではないのか? 俺みたいな犯罪者がやっている殺人と何が違うんだ? ナイフで人を刺し殺す方が、よほど健全だと思わねーか? お前らサラリーマンの方が、よほど遠回しで、陰湿で、邪悪な方法で殺人を犯していると俺は思うね」
 ここでようやく、僕は佐々木との見解の相違となっている根本に気づいた。
 僕は言う。
「その質問については、恐らく視点によって解答が変わると思うな。ナイフで人を刺し殺す行為は犯罪だ。でも経済的に死へ追い込む行為は、その大体が犯罪として立証されないんだよ。経済的破綻及び困窮は自己責任だ。だからその結果として自殺するのも自己責任なんだよ」
 佐々木が鼻を鳴らす。
「はっ、んなことは俺にも解ってるよ。しかし心底、くだらねー話だな」
「そうだね。ゴミみたいな話だね」
 そして佐々木が吐き捨てる。
「自由と平和の実現なんてもんは所詮は幻想。人類には早すぎるって話じゃねーよ。人類には不可能だ。永遠にな」
 それについて、僕も特に異議はなかった。
 自由と平和の実現なんて、人類には不可能である。恐らく人類は、このたどり着けない幻想を目指して、永遠に走っていくのだろう。まぁそんな綺麗事、僕達には関係がない。
 僕は本題に入る。
「それで首尾はどうだい?」
 僕が訊ねると、佐々木が空となったビールの缶を投げ捨てた。
「とりあえず、もらったリスト先は全部回ったぜ。十件中、上手く行ったのは三件か。現在は家族と暮らしていやがって諦めた先が四件、警備会社と契約していたから諦めた先が二件、家に押し入って住人を殺したはいいものの、キャッシュカードが見つからず諦めた先が一件ってとこだな……」
 そう言って、佐々木は手の中にあるカードを掲げ、広げて見せる。それは三枚のキャッシュカードだ。
 僕は感想を言う。
「やはり、思っていたほど上手くはいかないな……」
「そうか? 三枚あれば、毎日六百万手に入る計算になるぞ。俺としては十分すぎるほどの成果だと思うんだがな。個人的には、これから居酒屋で祝杯をあげたい気分だぜ。神沢さん、これから死体を処理した後に居酒屋で一杯どうだ? 二十四時間やってる、良い店を知ってるんだ。明日は土曜日だし。銀行はカレンダー通りで休みだろ?」
「……明日は南条先生の病院に顔を出す予定でね。折角の誘いを申し訳ないけど。遠慮しておくよ」
 そう固辞しながら、僕は頭で電卓を弾く。一日で六百万円なら、一週間で四千二百万。期日まで残り十八日。花火に必要な金は、残り三億円。このままでは間に合わない。他にも金策を考えなければいけないだろう。
 僕がさらなる犯行に思考を巡らせていると、佐々木が頭をかきむしりながら言う。
「そういや、例の怪人シャーロック・ホームズはどうだ? なんか動きあったか?」
「……僕達の事件の捜査をしているのに間違いはなさそうだよ。今のところは、事件現場を見に行って、店の書類を漁っているだけだ。そういえば西行寺探偵だけど、女子高生の助手みたいなのもいるのかい?」
「あ? 女子高生の助手? なんだそれ。聞いたことねーけど」
 佐々木も知らないらしい。
 僕としては、何故だかあの探偵よりも助手の方が気になった。西行寺も得体がしれないが、あの女子高生も明らかに普通ではない。胸中に違和感が鉛のように沈んでいた。
 佐々木が不思議そうな顔をする。
「確かに西行寺の助手してるぐらいだから普通ではないんだろうけどな。所詮は女子高生だろ? 俺は別にどーでもいいと思うがな。いざとなりゃ、探偵の方と一緒に殺して沈めちまえばいいじゃねーか。何の問題もねーよ」
 確かに佐々木の言う通りかもしれない。所詮は女子高生だ。そんな驚異となりうる存在とは思えない。
 何故、僕はあの少女、八雲を気にしているのか。
 ……もしかすると僕は、八雲に花火の面影を重ねているだけかもしれない。
 僕は自分の中の違和感を、そう結論づけた。
「その女子高生の助手って、可愛いのかよ? もしあれなら俺が、その子を攫って監禁してやってもいーぜ? まー勿論、別料金になるけどな」
 冗談か本気が解らない言葉を吐いて、佐々木がゲラゲラと笑う。
 僕はそれに応じず、話を変える。
「ところで佐々木。明日の午後なんだが、空いているかい?」
「あ? そりゃ予定はねーけど。なんだよ。神沢さんからお誘いがあるなんて珍しいな。どっか遊びにでも行くか? 一緒にパチスロでもどうだ?」
「……ちょっと強盗の下見に付き合ってもらいたいだけだよ。後、申し訳ないけど、僕はパチスロなんてやったことがない」
「ま、そんなことだろーと思ってたよ。アンタ本当につまんねー人間だな。酒も飲めないしパチスロもやらない。これは興味本位な質問で、特に悪意がある訳じゃねーんだが、アンタ何が生き甲斐で生きてんだ? 何が楽しくて真面目に生きてんだよ」
 問われ僕は少し考えた。
 そして言う。
「自分より駄目な人間を見下すのが楽しいから。社会のレールから外れた人間を見るのが面白いから。それを生き甲斐に、僕はただひたすら真面目に生きているんだよ」
 そして最期に、佐々木は吐き捨てる様に毒づいた。
「なんつーか、やっぱさ。神沢さん。アンタ俺みたいな犯罪者より、よほど悪性だよ。アンタみたいなのは早く死んだ方が良い。それが世界のためだぜ」
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