19.銀行強盗

文字数 3,446文字

 僕はタクシーに乗り込み、運転手に目的地を告げた。
 ふと何気なく、スマホでSNSを開く。このSNSは佐々木と連絡を取るために使っていたもので、その必要がなくなってからは、開いていなかった。
 新着メッセージ一件。差出人は佐々木である。今まで気づかなかったが、日時を見るに、僕が殺す前に送信されたメッセージだった。

 ――――すげー今更だけどよ。結局さ。お前はどうして、そこまで妹を助けたいんだ? お前は俺と違って、人生順風満帆じゃねーか。あとは結婚して子どもができりゃ、人生役満だろうがよ。まー妹が大事で助けたい、というのは理解できる。でもそれってよ、お前が自分の人生を捨ててまでやることなのか?

 本当に今更な話で、僕は思わず忍び笑いを漏らす。佐々木は何を考えて、こんな質問を飛ばしてきたのだろうか。本人が死んだ今となっては、その真意は分からないが、佐々木のこの疑問は尤もかもしれない。
 僕は何故、自分を捨ててまで花火を助けたいのか。確かに花火は僕の妹で、作家でもあり将来が待望できる人間だが、客観的に考えると、それだけでは僕の動機は薄いかもしれない。
 改めて自問自答する。
 結局のところ……妹を助けたいと言いつつ、これは自分のためなのだ。金融機関に勤務して順調に昇格している僕は、端から見れば順風満帆な人生かもしれない。このままひたすら馬鹿真面目に生きて、帝陽銀行の頭取を目指すのも良いだろう。少なくともそれが、普通の人生だ。
 しかし僕は思う。順風満帆だから何なのか? 頭取になったところで何なのか?
 社会的地位と名誉。以前、佐々木も似たような話をしていたが、そんなものは定年までの泡沫の夢だ。肩書なんてものは、一定の歳をとれば自動的に泡となって消え、何の価値も無くなる。数十年経てば何も残らない。果たして、そんなものに人生を賭ける価値はあるのかだろうか。
 少なくとも僕には、そんなものに価値は見いだせない。そして今の自分の、サラリーマンという立場にも何の感慨もない。
 どれだけ理不尽でも無意味でも、仕事だから、金をもらっているからと言われた仕事を、ただ行い。何の創作工夫もなく生産性もなく、毎日ただ同じ仕事を繰り返す。壊れたマリオネットの様に、ただただ顧客や上司に頭を下げつづける毎日に何の意味があるのか。たぶん何の意味もない。恐らく十年、二十年すれば機械にとって代わられる仕事だろう。
 こんな仕事に、人生に何の意味がある?
 意味のない人生など無価値と同義で、つまるところ僕の人生に価値などない。それなら僕は花火のために捨てたいと思う。むしろ価値のある人間のために擲つことで――――僕の人生に価値と意味が生まれるのだ。
 つまるところ僕は……自分の人生に価値と意味がほしいのだろう。
 だから僕は、花火のために人生を捨てようとしている。
 


 帝陽銀行千葉支店前でタクシーから降り、僕は腕時計に視線を落とす。時刻は二十時を回っており、界隈には酔っ払ったサラリーマン達が闊歩していた。
 それでは往こう。
 一般の犯罪者が夜間に銀行強盗をするには、まずセキュリティを突破して支店内に侵入しなければならないが、銀行員の僕には不要な行程だ。
 僕は警備会社のパネルにIDカードを翳し行員用出入り口の扉を開け、中に入る。廊下には電気が点いており、まだ誰かが残業している様子だった。冷たい無機質な廊下に、僕の革靴を叩く音だけが響く。一階の営業室は既に消灯していて人の姿はなく、僕はそのまま二階の法人営業部へ。本日は水曜日で帝陽銀行でもノー残業デーが推進されており、いつも通りであればこの時間まで残っているのは、法人営業部の二、三人だろう。
 二階には予想通り、法人営業部の次長と桜木が残業をしていた。運が良いことに他には誰もいない。何も言わず歩み寄っていくと、僕に気づいたらしい桜木が声をあげる。
「あれ、神沢調査役じゃないですか! ……入院されてたのでは?」
 怪訝な顔をして、僕を見詰める桜木と次長。
 何も応じず、僕は次長に歩み寄っていく。次長の机には、下に警察への通報ボタンがついているため、まだ始めることはできない。それを押されてしまうと一巻の終わりだ。
 僕は無言で次長の襟首を掴み、力尽くで床に引き倒した。通報ボタンから引き離したところで、懐からデリンジャーを取りだし、倒れている次長の右足に向けて発砲。
 次長の口から声に鳴らない悲鳴があがり、続けて僕は桜木に銃口を突きつける。
「悪いね桜木。次長を引きずって、一緒に金庫室に入ってもらえるかな?」
 何が起きているのか分からない、そんな顔をしたまま微動だにしない桜木。僕は机を蹴り飛ばし、大声で叫ぶ。
「早くしてもらえるかなッ!」
 混乱と萎縮が混ざった様子の桜木にデリンジャーを強調し、僕は言うことを聞かせる。桜木に次長を引きずらせ、二人を二階の金庫室に入れた。二人が中に入ったところで、僕は金庫室の格子戸を閉め、鍵を掛けた。これでもう、誰かに開けてもらえるまで金庫室からは出られない。
 金庫室の中には融資の債権書類が保管されている。桜木と次長には悪いが、今晩は金庫室の中で夜通し仕事をしてほしい。
 格子戸に続き僕が金庫室の重厚な外扉を閉めようとした時、中の桜木が泣きそうな声で言う。
「……神沢調査役……どうしてこんなことを?」
 僕は何も答えない。
 すると佐々木が独りごちる様に続ける。
「……私は貴方のことを尊敬していたのに……」
 それを聞いて、思わず外扉を閉める手がとまった。
 そして僕は自嘲気味に笑う。
「桜木、悪いけど僕なんかじゃなく、他の人を尊敬してほしいな。銀行にはクズみたいな上司が沢山いるけど……尊敬できる人も、そこそこいるからさ」
 重く鈍い音を立てながら、金庫室の外扉が完全に閉まった。外扉についているハンドルを回し、最後に僕は鍵を掛ける。人間の気配が消え、僕は改めて一階の営業室に戻った。日中は顧客と行員で賑わう預金窓口だが、今は誰もいない。
 問題は何もなかった。西行寺は既に脱落しており、最早、僕を邪魔する人間はいない。後は金を奪うだけである。
 銀行の強固なセキュリティも、それを解除する権限を持つ僕には何の意味も成さない。鍵管理機にパスワードを入力して鍵をとり、僕は中央にあるオープン出納システムと呼ばれている巨大な機械に近寄った。それは預金窓口での現金の出納を管理する機械で、シルエットだけで言えばミイラの眠る棺のようにも見える。
 鍵を挿して電源を入れ、上辺に設置されている液晶パネルにパスワードを入力する。オープン出納システムを起動し、操作キーを叩いて収納されている現金の金額を確認する。
 液晶パネルに表示された金額は、三億円とちょっと。想定していた通り、丁度良い金額である。僕はオープン出納システムを全て解錠し、中に収納されている現金を取り出した。棒金となっている硬貨は重すぎて持ち運べないため、狙いを帯付の紙幣だけに絞り、僕は用意していた布袋に放り込んでいく。そして何の問題も障害もなく、僕は銀行強盗を終えた。
 銀行員が自分の勤務先へ強盗に入れば、こんなものだろう。当然すぎて、何の感慨も湧かない。
 兎に角、これで花火を助けるための金は揃った。
 僕はオープン出納システムを再び施錠し、鍵を全て元通りに戻した。そして現金の入った布袋を背負い、僕は回れ右をして元来た廊下を戻り外に出る。
 最後に行員用出入り口の横に設置されている警備会社のパネルを操作し、退店処理を行う。これで事件が発覚は明日の朝、同僚達が出勤した時になる。その頃には全てが終わっているはずだ。花火を助けるための金は揃い、僕は遠い異国で罪悪感に苛まれながらビールを呷っているだろう。
 スポーツバックと布袋を片手で持ち、僕は大通りに出て再びタクシーを拾った。僕の沢山の荷物を見て、タクシー運転手が軽い調子で言う。
「凄い荷物ですね。これから旅行でも?」
 その的を射た発言に驚きつつ、僕は適当に応じる。
「はい。今日の最後の便で海外旅行へ行く予定でして」
 タクシー運転手に怪しんでいる様子はなく、僕は後部座席に乗り込んだ。そして発進する。タクシーに揺られながら、僕は瞼を閉じた。
 後はこの現金を東銀北総病院へ持って行き、僕は最終便で海外へ逃亡する。
 それで終わりだ。
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