8.休日①
文字数 4,551文字
土曜日の休日のためか、病院のエントランスホールには人が多かった。平日とは違い若い人間の姿が目立つ。
そろそろ僕も、東銀北総病院にも通い慣れてきた。曜日によって変わる総合受付の職員。何人かいる職員達の顔を、そろそろ僕も覚えてきている。逆に僕の顔も覚えられているだろう。そして何かしらの渾名を付けられているに違いない。
珍しく今日は南条からメールで呼ばれ、僕は病院を訪れていた。
何時も通り、僕は総合受付で南条を訪ねる。すると南条は、外出しているとのことだった。仕方なく、僕は南条が戻るのを待つことにする。
「あの。いつも背広で、南条先生を訪ねていらっしゃっている方ですよね……?」
すると、今日は珍しく総合受付の職員が話し掛けてきた。今日の職員は中年の女性である。近くに客の姿もなく暇なのだろう。いつも僕は背広でこの病院に来ているが、今日は休日のため私服だ。黒いチノパンに白いシャツ。そしてピーコートと言った服装である。
特に否定する理由もなく、僕は首を縦に振る。
すると職員が、矢継ぎ早に言う。
「失礼ですが、製薬会社の方ですかね……?」
僕は掌を、ひらひらと振る。
「いえ。違います」
「それではマスコミ関係の方ですか?」
「違います」
「……それじゃあ、南条先生に個人的に恨みを持つ方だったりするんですかね……?」
話が変な方向へと逸れはじめ、僕は慌てて言う。
「いやいやいや。ちょっと待って下さい。僕はただの銀行員です。南条先生に恨みはありません。僕は南条先生と友人で、単に私事で来ているだけです」
「……銀行? もしかして、南条先生に借金の督促とかでいらっしゃってるんですか?」
「だから違いますって! 僕が個人的な用事で来ているだけです!」
そう強く断言し、ようやく職員は言葉を止めた。
職員が嘆息する。
「……あぁ、そうなんですか。南条先生はああ見えても結構、悪い噂があるから。私はてっきり貴方はそっち関係の人なのかと……」
「悪い噂ですか? あの南条に?」
意外な話が飛び出し、僕は思わず南条の敬称も忘れて疑問符を上げた。
職員が半眼になり、小声で言う。
「そうなのよ。南条先生ってテレビとかでも凄い有名な医者なんだけど。酒癖も女癖が悪い上に浪費癖もあって、お金で苦労してるって職員の間ではもっぱらの噂なの。そういえば貴方、南条先生の友人って話だったわよね? 南条先生って、学生時代はどうだったんですか?」
「……いや、僕が知っている南条はそんな人間ではありません。とても信じられないのですが……」
僕と南条は大学時代の友人だ。僕は法学部で南条は医学部であったが、同じ山岳部に所属していて、それを通じて親しくなった。
南条はとにかく寡黙で、勉強熱心な学生だった。読書家で、常に何かの本を読んでいた印象だ。酒癖や女癖が悪かった、浪費癖があったなどの記憶はない。
僕が完全に否定すると、職員が腕を組んで唸る。
「うーん。……どういうことなのかしら。南条先生に嫉妬してる他の先生が、根も葉もない噂を流している噂も聞いたことあるし。何が本当なのかしら……」
そうぶつぶつと独り言を呟き始めた職員。
名物医師として南条は高名だ。そうなれば当然、周囲からは嫉妬も出てくるだろう。銀行でもそうだが、病院も人間関係が大変そうである。これ以上、噂話に巻きこまれても敵わない。職員に礼を言い、僕は急いで総合窓口を離れた。
そこでふと僕は視界の違和感に気づき、エントランスホールの中央で足を止めた。
正面入口の自動ドアの付近に、ダンボール箱を小脇に抱えた人影がいる。
背広姿の若い女性だ。顔色を伺う限り病人ではない様で、どこか仕事で来院している雰囲気がある。明らかに周囲から浮いていた。
製薬会社の営業だろうか? ……と思わず考えて、僕は苦笑する。
発想がさっきの職員と同じだ。
暫く眺めていると、その女性が僕の方に歩いてくる。距離が近づき、僕はようやく彼女が知っている人間であることに気づいた。
僕に直接関係していた人間ではないため、一瞬、声を掛けようか迷う。しかし何故ここに彼女がいるのか? という疑問が強く、僕の声が口を経て出る。
「小久保さん」
名前を呼ぶと背広姿の彼女、小久保美佳が僕に振り向いた。反応するという事は、人違いではない様だ。小久保美佳。彼女は大手出版社、編集部の編集者である。そして花火の担当編集者であった。
新人賞で花火を拾い上げたのは他ならぬ彼女であり、花火の恩人だ。
本を出版する際、作者と出版社は出版契約を書面にて結ぶ。花火が未成年という事もあり、契約の場には僕も立ち会った。その時に話した事もあって、僕は彼女と面識がある。
暫くして、小久保も僕が誰かを認識したらしい。営業全開の笑顔で駆け寄ってくる。
「あぁ、花火さんのお兄さんですか。こんにちは。また随分と奇遇なところでお会いしますね」
「その節はありがとうございました。小久保さんこそ、どうしたこんなところに?」
そう訊くと、臆面もない様子で小久保が言う。
「花火さんに会いに来たんですよ。少し前から花火さんと連絡が取れなくて。こちらにいるという話を聞いたもので……」
「……それ、どこからの情報ですか?」
花火の話を、僕は誰にもしていない。学校は家庭の都合で通し、長期欠席届を出していた。
小久保が悪戯っ子っぽく微笑む。
「情報の出所はお教えできないんですけども。まぁほら、ご存知の通り、私は出版社の人間ですから。色々な情報網があるんですよ」
そう言って、胸を張って見せる小久保。
どこから花火の話が漏れたのかは解らないが……これは余り良くない。花火が事故に遭い、多額の金が必要となっている。これは僕の犯行動機だ。それが明るみに出てしまうのは不都合である。
多少強引な手を使っても情報の出所について、口を割らせるべきかもしれない。
僕が思案していると、小久保が笑い声をあげる。
「冗談ですよ! そんな恐い顔しないで下さい。実はですね。編集部に、東銀北総病院に花火先生が入院しているという噂は本当なのか? みたいな問い合わせがありまして。それで私が担当している医師の作家さん経由で東銀北総病院に確認してみたら、どうやら本当みたいじゃないですか。それで今日は、私が確認の意味もあって来てみたんですが……まぁ花火さんのお兄さんが此処に居るという事は、どうやら間違いない様子ですね。花火さん、どうしたんです? 大丈夫なんですか?」
もし小久保の話が本当なら、医師経由とは言え病院の個人情報の管理が甘すぎる。もう少し個人情報を厳守してもらいたい。
無理に隠しても、逆に怪しまれるかもしれない。
僕は溜息を吐きつつ、肯定する。
「……花火は大丈夫です。少し入院しているだけです。元々、ちょっと弱いところがありましたから。プライベートな話なので詳細は伏せさせて下さい。申し訳ないんですが、面談も遠慮して下さい。要件がありましたら僕が承ります」
そう、僕はあえて匂わせる言い方をした。僕としては、花火の事情については話したくはない。東銀北総病院は総合病院で、勿論精神科も入っている。小久保がどこまで知っているかは不明だが。もしも知らない場合は、これである程度、精神的なもので入院しているのだと勘違いしてくれるだろう。
僕の目論見が上手くいったかは解らないが、小久保はそれ以上、追求してはこなかった。
今度は逆に僕が問う。
「……しかし情報源は編集部への問い合わせですか。どうして話が漏れたんですかね……」
小久保が首を傾げる。
「良く解りませんが。花火さんはファンが多いですし。この病院にも、ファンがいるのかもしれませんね」
「……花火って、そんなファンが多いんですか?」
「そりゃ有名人気作家と比べると、当然少ないですが。駆け出しの作家としてはかなり多いと思いますよ。最近は作品にファンがついても、作家にファンはつかないですからね。ライトノベルなんかは特に顕著です。花火さんには信奉者か? って言いたくなるぐらい熱心なファンが多いんですよ。例えば今日お持ちしたこれなんですが……」
そう言いながら、小久保は脇に抱えていたダンボール箱を開いた。
僕は箱の中を覗き込む。中には手紙の様なものが詰め込まれていた。
「なんですか? これ?」
「編集部に届いた花火さんへのファンレターですよ。最近はSNSやメールもあって紙のファンレターを編集部に出すなんて読者は激減しています。それでも本当にファンのついている作家には紙のファンレターが来るんですが……。花火さんはその内の一人ですね。中には何回もファンレターを送ってくる読者もいます。花火さんが人気作家な証拠ですね。そもそも最近は紙のファンレターが来る作家自体が少ない感じで非常に貴重です。弊社としては引き続き、花火さんとその作品を推していきたいです」
担当編集者がそう言うのだから、間違いなく花火は人気の作家なのだろう。
正直言うと、僕には花火の小説の良さが解らなかった。というより、僕には小説の良さが解らなかった。花火の作品が、他のものと比べて何が優れているのかが解らない。
昔は電車の待ち時間に小説を読んだりもしたが、最近は専らスマートフォンで時間を潰している。どちらかと言えば僕はそういう人間だ。読書家ではない。
僕は不思議に思って訊く。
「花火の小説って、何がそんなに凄いんですか?」
小久保が呻くように答える。
「んー、そうですねぇ。キャラクターとかストーリーを作るのが上手いだとか、色々あるんですが。明らかに他の作家と違う点を、一言で言っちゃうとですね……」
「一言で言うと?」
「花火さんの作品は、闇が深いんですよ。そして暖かくて温いんです。それはもう酷いほど」
真顔で、そんな事を言う小久保。しかし平凡な僕には、それがどういう意味なのか理解できない。想像すらできなかった。
本日、小久保は花火にファンレターを届けにきたらしく、僕はダンボール箱ごと預かる。
「ああ、そうそう。花火さんから企画を一つ頂いているのですが、方向性はあれでいいので、もっと細かいプロットを詰めて送って下さい、あと落ち着いたらでいいので、私に連絡下さいって、花火さんに伝えてもらってもいいですか?」
「わかりました。ご迷惑をおかけしてすいません。妹にそう伝えておきますので、引き続きよろしくお願いします」
僕が快諾すると、小久保は回れ右をして、病院を去っていった。本当に用事はそれだけだったらしい。
とりあえず僕は南条が戻ってくるまで、待たなければならない。椅子で待とうと考え、僕はエントランスホールの脇にある待合室へと歩を進める。
総合受付の脇を通りかかった時だ。さきほど会話を交した職員が僕に声を掛けてくる。
「南条先生がお戻りになられましたよ。いつもの医局にいます」
どうやら小久保の登場は、丁度良い時間潰しになった様だ。僕は歩の向かう先を変え、そのまま南条が根城にしている医局へ向かう。
そろそろ僕も、東銀北総病院にも通い慣れてきた。曜日によって変わる総合受付の職員。何人かいる職員達の顔を、そろそろ僕も覚えてきている。逆に僕の顔も覚えられているだろう。そして何かしらの渾名を付けられているに違いない。
珍しく今日は南条からメールで呼ばれ、僕は病院を訪れていた。
何時も通り、僕は総合受付で南条を訪ねる。すると南条は、外出しているとのことだった。仕方なく、僕は南条が戻るのを待つことにする。
「あの。いつも背広で、南条先生を訪ねていらっしゃっている方ですよね……?」
すると、今日は珍しく総合受付の職員が話し掛けてきた。今日の職員は中年の女性である。近くに客の姿もなく暇なのだろう。いつも僕は背広でこの病院に来ているが、今日は休日のため私服だ。黒いチノパンに白いシャツ。そしてピーコートと言った服装である。
特に否定する理由もなく、僕は首を縦に振る。
すると職員が、矢継ぎ早に言う。
「失礼ですが、製薬会社の方ですかね……?」
僕は掌を、ひらひらと振る。
「いえ。違います」
「それではマスコミ関係の方ですか?」
「違います」
「……それじゃあ、南条先生に個人的に恨みを持つ方だったりするんですかね……?」
話が変な方向へと逸れはじめ、僕は慌てて言う。
「いやいやいや。ちょっと待って下さい。僕はただの銀行員です。南条先生に恨みはありません。僕は南条先生と友人で、単に私事で来ているだけです」
「……銀行? もしかして、南条先生に借金の督促とかでいらっしゃってるんですか?」
「だから違いますって! 僕が個人的な用事で来ているだけです!」
そう強く断言し、ようやく職員は言葉を止めた。
職員が嘆息する。
「……あぁ、そうなんですか。南条先生はああ見えても結構、悪い噂があるから。私はてっきり貴方はそっち関係の人なのかと……」
「悪い噂ですか? あの南条に?」
意外な話が飛び出し、僕は思わず南条の敬称も忘れて疑問符を上げた。
職員が半眼になり、小声で言う。
「そうなのよ。南条先生ってテレビとかでも凄い有名な医者なんだけど。酒癖も女癖が悪い上に浪費癖もあって、お金で苦労してるって職員の間ではもっぱらの噂なの。そういえば貴方、南条先生の友人って話だったわよね? 南条先生って、学生時代はどうだったんですか?」
「……いや、僕が知っている南条はそんな人間ではありません。とても信じられないのですが……」
僕と南条は大学時代の友人だ。僕は法学部で南条は医学部であったが、同じ山岳部に所属していて、それを通じて親しくなった。
南条はとにかく寡黙で、勉強熱心な学生だった。読書家で、常に何かの本を読んでいた印象だ。酒癖や女癖が悪かった、浪費癖があったなどの記憶はない。
僕が完全に否定すると、職員が腕を組んで唸る。
「うーん。……どういうことなのかしら。南条先生に嫉妬してる他の先生が、根も葉もない噂を流している噂も聞いたことあるし。何が本当なのかしら……」
そうぶつぶつと独り言を呟き始めた職員。
名物医師として南条は高名だ。そうなれば当然、周囲からは嫉妬も出てくるだろう。銀行でもそうだが、病院も人間関係が大変そうである。これ以上、噂話に巻きこまれても敵わない。職員に礼を言い、僕は急いで総合窓口を離れた。
そこでふと僕は視界の違和感に気づき、エントランスホールの中央で足を止めた。
正面入口の自動ドアの付近に、ダンボール箱を小脇に抱えた人影がいる。
背広姿の若い女性だ。顔色を伺う限り病人ではない様で、どこか仕事で来院している雰囲気がある。明らかに周囲から浮いていた。
製薬会社の営業だろうか? ……と思わず考えて、僕は苦笑する。
発想がさっきの職員と同じだ。
暫く眺めていると、その女性が僕の方に歩いてくる。距離が近づき、僕はようやく彼女が知っている人間であることに気づいた。
僕に直接関係していた人間ではないため、一瞬、声を掛けようか迷う。しかし何故ここに彼女がいるのか? という疑問が強く、僕の声が口を経て出る。
「小久保さん」
名前を呼ぶと背広姿の彼女、小久保美佳が僕に振り向いた。反応するという事は、人違いではない様だ。小久保美佳。彼女は大手出版社、編集部の編集者である。そして花火の担当編集者であった。
新人賞で花火を拾い上げたのは他ならぬ彼女であり、花火の恩人だ。
本を出版する際、作者と出版社は出版契約を書面にて結ぶ。花火が未成年という事もあり、契約の場には僕も立ち会った。その時に話した事もあって、僕は彼女と面識がある。
暫くして、小久保も僕が誰かを認識したらしい。営業全開の笑顔で駆け寄ってくる。
「あぁ、花火さんのお兄さんですか。こんにちは。また随分と奇遇なところでお会いしますね」
「その節はありがとうございました。小久保さんこそ、どうしたこんなところに?」
そう訊くと、臆面もない様子で小久保が言う。
「花火さんに会いに来たんですよ。少し前から花火さんと連絡が取れなくて。こちらにいるという話を聞いたもので……」
「……それ、どこからの情報ですか?」
花火の話を、僕は誰にもしていない。学校は家庭の都合で通し、長期欠席届を出していた。
小久保が悪戯っ子っぽく微笑む。
「情報の出所はお教えできないんですけども。まぁほら、ご存知の通り、私は出版社の人間ですから。色々な情報網があるんですよ」
そう言って、胸を張って見せる小久保。
どこから花火の話が漏れたのかは解らないが……これは余り良くない。花火が事故に遭い、多額の金が必要となっている。これは僕の犯行動機だ。それが明るみに出てしまうのは不都合である。
多少強引な手を使っても情報の出所について、口を割らせるべきかもしれない。
僕が思案していると、小久保が笑い声をあげる。
「冗談ですよ! そんな恐い顔しないで下さい。実はですね。編集部に、東銀北総病院に花火先生が入院しているという噂は本当なのか? みたいな問い合わせがありまして。それで私が担当している医師の作家さん経由で東銀北総病院に確認してみたら、どうやら本当みたいじゃないですか。それで今日は、私が確認の意味もあって来てみたんですが……まぁ花火さんのお兄さんが此処に居るという事は、どうやら間違いない様子ですね。花火さん、どうしたんです? 大丈夫なんですか?」
もし小久保の話が本当なら、医師経由とは言え病院の個人情報の管理が甘すぎる。もう少し個人情報を厳守してもらいたい。
無理に隠しても、逆に怪しまれるかもしれない。
僕は溜息を吐きつつ、肯定する。
「……花火は大丈夫です。少し入院しているだけです。元々、ちょっと弱いところがありましたから。プライベートな話なので詳細は伏せさせて下さい。申し訳ないんですが、面談も遠慮して下さい。要件がありましたら僕が承ります」
そう、僕はあえて匂わせる言い方をした。僕としては、花火の事情については話したくはない。東銀北総病院は総合病院で、勿論精神科も入っている。小久保がどこまで知っているかは不明だが。もしも知らない場合は、これである程度、精神的なもので入院しているのだと勘違いしてくれるだろう。
僕の目論見が上手くいったかは解らないが、小久保はそれ以上、追求してはこなかった。
今度は逆に僕が問う。
「……しかし情報源は編集部への問い合わせですか。どうして話が漏れたんですかね……」
小久保が首を傾げる。
「良く解りませんが。花火さんはファンが多いですし。この病院にも、ファンがいるのかもしれませんね」
「……花火って、そんなファンが多いんですか?」
「そりゃ有名人気作家と比べると、当然少ないですが。駆け出しの作家としてはかなり多いと思いますよ。最近は作品にファンがついても、作家にファンはつかないですからね。ライトノベルなんかは特に顕著です。花火さんには信奉者か? って言いたくなるぐらい熱心なファンが多いんですよ。例えば今日お持ちしたこれなんですが……」
そう言いながら、小久保は脇に抱えていたダンボール箱を開いた。
僕は箱の中を覗き込む。中には手紙の様なものが詰め込まれていた。
「なんですか? これ?」
「編集部に届いた花火さんへのファンレターですよ。最近はSNSやメールもあって紙のファンレターを編集部に出すなんて読者は激減しています。それでも本当にファンのついている作家には紙のファンレターが来るんですが……。花火さんはその内の一人ですね。中には何回もファンレターを送ってくる読者もいます。花火さんが人気作家な証拠ですね。そもそも最近は紙のファンレターが来る作家自体が少ない感じで非常に貴重です。弊社としては引き続き、花火さんとその作品を推していきたいです」
担当編集者がそう言うのだから、間違いなく花火は人気の作家なのだろう。
正直言うと、僕には花火の小説の良さが解らなかった。というより、僕には小説の良さが解らなかった。花火の作品が、他のものと比べて何が優れているのかが解らない。
昔は電車の待ち時間に小説を読んだりもしたが、最近は専らスマートフォンで時間を潰している。どちらかと言えば僕はそういう人間だ。読書家ではない。
僕は不思議に思って訊く。
「花火の小説って、何がそんなに凄いんですか?」
小久保が呻くように答える。
「んー、そうですねぇ。キャラクターとかストーリーを作るのが上手いだとか、色々あるんですが。明らかに他の作家と違う点を、一言で言っちゃうとですね……」
「一言で言うと?」
「花火さんの作品は、闇が深いんですよ。そして暖かくて温いんです。それはもう酷いほど」
真顔で、そんな事を言う小久保。しかし平凡な僕には、それがどういう意味なのか理解できない。想像すらできなかった。
本日、小久保は花火にファンレターを届けにきたらしく、僕はダンボール箱ごと預かる。
「ああ、そうそう。花火さんから企画を一つ頂いているのですが、方向性はあれでいいので、もっと細かいプロットを詰めて送って下さい、あと落ち着いたらでいいので、私に連絡下さいって、花火さんに伝えてもらってもいいですか?」
「わかりました。ご迷惑をおかけしてすいません。妹にそう伝えておきますので、引き続きよろしくお願いします」
僕が快諾すると、小久保は回れ右をして、病院を去っていった。本当に用事はそれだけだったらしい。
とりあえず僕は南条が戻ってくるまで、待たなければならない。椅子で待とうと考え、僕はエントランスホールの脇にある待合室へと歩を進める。
総合受付の脇を通りかかった時だ。さきほど会話を交した職員が僕に声を掛けてくる。
「南条先生がお戻りになられましたよ。いつもの医局にいます」
どうやら小久保の登場は、丁度良い時間潰しになった様だ。僕は歩の向かう先を変え、そのまま南条が根城にしている医局へ向かう。