18.怪人シャーロック・ホームズ

文字数 3,567文字

 僕は目を覚ます。
 まず視界に飛び込んできたものは、真っ白い天井だった。病院の病室だ。壁も、ベッドも、全てが白い空間である。
 僕が病院のベッドで意識を取り戻したのは、あの爆発から二日後だった。鎮痛剤が効いているらしく痛みはない。総回診に来た医師によると、僕はあの爆発で右腕と右肩を骨折したらしい。僕の目論見通り、そういう話になっている様だ。警察から親戚に連絡がいき、最低限の荷物も病院に運んでもらってあった。身体が動かず、僕は暫く安静にして治療に専念する。
 数日後、事情聴取に来た捜査官を病室で迎える。帝陽銀行千葉支店で起きた爆発事故の捜査だった。犯人はまだ分かっていないとのこと。どうやら夏目警部や西行寺とは全く関係がないらしく、情報漏洩などの話は出てこない。容疑が僕に掛かっている様子もなく、密かに安堵の息を吐く。最近、融資を断った法人などで、何か恨まれる心当たりはないか? などを詰問され、僕は思わず吹き出す。恨まれる心当たりなんて、ありすぎて困る。顧客から恨まれるのは、銀行員の仕事みたいなものだ。適当に応じて事情聴取を終え、捜査官が病室から去る。
 その後、予想外にも支店長が見舞いにやってきた。事件の話を聞くと、あの爆発で僕を含めて七人が負傷し、そのうち四人が現在も入院しているらしい。現在、帝陽銀行千葉支店は預金窓口のみの営業で、現場となった融資窓口は現在閉鎖中とのこと。主要の取引先については、無事だった行員が訪問にて対応しているという話だった。
 暫く有給でも消化して、治療に専念しろ。そんな優しい言葉を残して支店長が帰る。
 支店長が帰った後、一人となった僕は思考を巡らす。そして壁に掛けられたカレンダーを睨む。
 さて、いよいよ時間がなくなった。残り二億円。……否、例の爆発以降はキャッシュカードで金を下ろせていない。だから残りは、二億九千万だ。そして残りは一日。
 残念だが……もう、この身体で事業所に忍び込むのは不可能だろう。全身の至る所に火傷を負い、右腕は完全に動かない。両足が健全であるのが、せめてもの救いか。
 僕は歯軋りする。
 西行寺さえいなければ、佐々木を殺さずに済んだ。
 西行寺さえいなければ、こんな自爆紛いの隠蔽工作をする必要もなかった。 
 西行寺のせいで、当初の計画とは大分かけ離れたものとなった。どれだけ後悔しても、もう遅い。もう日数がなかった。手段を選んではいられない。
 花火を救うためには――――やるしか、なかった。


 その日の夕方、僕は隠れて病院を抜け出した。タクシーを拾い、僕は自宅マンションへ戻る。久しぶりの帰宅だが、休んでいる時間はない。
 パソコンを起動し、僕はインターネットで飛行機のチケットを手配する。二十二時、成田空港発。本日の最終便だ。最終目的地はタイである。
 パソコンの電源を落とし、僕は立ち上がった。そこで本棚に置いてあった、僕と花火の映った写真が目に入る。十秒ほど見詰めた後、僕はその写真を伏せた。そして用意してあったスポーツバックを引っ掴む。もうこのマンションに、戻ることはないだろう。
 最後に僕はスマホで、南条に電話を掛けた。スマホから暫くコール音が響く。暫くして電話越しに南条が出た。
「――――神沢か! 今どうしている? 爆発事故に遭ったと聞いたが、大丈夫か?」
 南条からの問い掛けには答えず、僕は言う。
「南条。残りの金を、今夜に必ず持っていく。そのあとの事を……花火を任せてもいいかい? 申し訳ないけど、頼むよ」
「――――神沢? お前何を考えて―――」
 言葉の終わりを待たず、僕は電話を切った。すぐに南条が電話を掛け直してくるが無視する。
 そして僕は、妹の将来以外の、全てを捨てる覚悟を決めた。
 スポーツバックを持ち自宅マンションを出た。エレベーターに乗り、地上へ降りる。マンション一階、エントランス。僕が見慣れたエントランスを歩いていると、突然、知っている声に言葉を掛けられた。
「神沢くん。そんな状態で、一体どこへ行こうというのかね?」
 その声に、僕はもう溜息しか出ない。
 声のした方に視線を送る。するとそこには予想通り、怪人シャーロック・ホームズ、西行寺の姿があった。もう隠すつもりはない。観念して、僕は応じる。
「……僕は妹を救わないといけないんです」
「なるほどねぇ。それが君の犯行動機か。まぁ君の妹が事故にあったという情報を得ていたから、そんな話だとは思っていたけどね」
「……西行寺探偵、最後に一つ訊いてもいいですか?」
「ああ、なにかな。出来る限り質問には応じよう」
 そして端的に、僕は訊く。
「どの時点で、僕が犯人だと気づいていたんですか?」
 西行寺が超然と笑い、片目を瞑ってみせる。
「そうだね、本当のことを言うとだな。君が犯人であると最初から気づいていたのさ。君と会うよりも、もっと前の段階でね」
「……いやいや。なんだよ、それ」
 僕は鼻で笑い飛ばす。初めから僕が犯人であると分かっていた、なんて。随分ふざけた冗談である。まるで意味が解らない。それが何故か、考える気も起きなかった。
 もう僕は疲れた。
 怪人シャーロック・ホームズ、西行寺久叉。こんな化け物の行動を理解しようとするだけ、思考の無駄だ。
 会話を交わすのも面倒になり、僕は黙って懐から拳銃を取りだした。以前、佐々木から渡された、深淵な黒色を放つ拳銃。サイレンサー付のデリンジャーである。
 西行寺が驚いた様な顔をする。
「……これはちょっと読み間違えたな。拳銃が出てくるとは思わなかった。なんだ君は。拳銃を持っていたのなら、何故、佐々木太郎の殺害や侵入強盗の時に、それを使わなかったんだ?」
 言われて僕も気づく。確かにその通りだった。何故ここに来るまで、僕は拳銃を使わなかったのか。単純に勢いでここまできただけで、理由なんてない。強いて理由を挙げるとすれば、たまたま、だ。
 僕は銃口を西行寺に向けて煽る。
「どうしたんだい? 西行寺探偵も、何か武器を取り出しなよ。当然、拳銃とかを持っているんだろ?」
 西行寺が肩を竦める。
「残念ながら私は一般人でね。この国では、一般人は拳銃なんて持っていないんだよ。拳銃を持っている人間なんて、犯罪者だけさ。なんだ神沢くん、そんなことも知らなかったのかな?」
「いいや、知ってるよ。拳銃の所持は銃刀法違反だからね」
 そして僕は、躊躇なく撃鉄を起こし、引き金を引いた。拳銃の先端に取り付けられたサイレンサーが、ガスを噴出させる様な音を吐く。被弾した西行寺がよろめきながら胸部を抑えると、栓を取り払った湯水の様に、赤い液体が滴りはじめる。苦悶の表情を浮かべながら、西行寺が床に膝をつき、やがて床に崩れ落ちた。
 西行寺に歩み寄り、僕は訊く。
「……怪人シャーロック・ホームズの最後にしては、随分と呆気なさ過ぎるな。なんだい、西行寺探偵。これで終わりなのかい? 本当に僕が何の武器も持っていないと、考えていたのかい?」
 弾丸が胸部に命中した様だ。
 流血の止まらない胸部を押えながら、西行寺が掠れた声で呻く。
「……いや、君はC四爆薬を使っていたからね。……拳銃所持の可能性は……本当は分かっていた……」
「じゃあなんで、丸腰で僕の前に出てきたんだ? 殺されると思わなかったのか? それとも自殺志願者かい?」
 そして最後に西行寺が笑う。それはどこか自虐的で、かつ何かをやり遂げた様な、清々しい表情だった。
「……どちらかと言えば後者かな。私はこれでようやく……お役御免さ」
「だからさ。意味が分からない!」
 声の怒気を強め、僕はもう一度、銃口を西行寺に向けて引き金を引いた。無慈悲に鉛弾が額を貫き、西行寺が今度こそ動きを止める。粘度の高い赤い液体が溢れて床に滴り、小さな池を作りはじめた。
 まさか、こんな簡単に怪人を殺せるとは。
 呆気なさすぎる幕引きだ。
 微動だにしない西行寺を尻目に 、僕は片手でデリンジャーのバレルを開放して排莢、新しい弾を装填して、再び懐にしまった。ネットで使い方を調べ、何度も練習した動作だ。片手でも何の問題もなかった。
 最大の障害であった西行寺を始末したが、感傷に浸っている時間はない。
僕は急がなくてはならない。もはや西行寺の死体を隠す必要はなかった。あと五時間もあれば全てが終わるのだから。
 スポーツバックを背負い直し、僕は早足で歩き出す。そしてエントランスホールを出る寸前、僕は最後に首だけで振り返り、
「怪人シャーロック・ホームズ。……結局、君は。何だったんだい? 訳がわからないよ」
 そう西行寺に問うが、死体は何も答えなかった。
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