6.助手:八雲園子②  

文字数 2,227文字

 僕達は食事を終えて、帝陽銀行千葉支店に戻る。そして八雲を応接室の一室へ案内した。
 一階の応接室には短く『利用中』と書かれた紙が扉に貼り付けられている。文字通り、この応接室は昨日から西行寺の根城となっていた。
 八雲と別れ、僕が二階の法人営業部に帰ろうとした時だ。預金係の支店長代理、佐藤に手招きされた。そして佐藤の隣に積まれたダンボール箱を見て、僕は顔を顰める。八雲に言われた書類を用意したので、応接室へ持って行けという事らしい。
 何故、僕が持っていかなくてはならないのか。
 ……それぐらい預金係の若手でもっていってもらえないかな?
 一瞬、そう言いかける僕。
 しかし思いの外、佐藤が苛立った様子であり僕は言葉を呑み込んだ。恐らく、八雲に無駄な仕事を増やされたためだろう。
 佐藤が吐き捨てる様に言う。
「西行寺だか何だか知りませんが、はた迷惑な。大体、あんな小娘が伝票を見て、何の意味があるのよ……」
 その佐藤の発言は、尤もだった。西行寺の助手とは言え、八雲は女子高生である。
 そんな子どもが銀行の書類を見て、何が解るというのか? 
 それは僕も同感だ。
 しかし僕や佐藤はサラリーマン、ましてや金融機関の人間である。あの烏は白いと上司が言えば、それに賛同しなければならない。仕事に疑問があろうがなかろうが、支店長に言われたことは絶対だ。そして支店長も僕達と同じように、役員から言われたことは絶対だろう。
 憤怒の表情をしている佐藤をこれ以上刺激できず、僕は何も言わず一人でダンボール箱を応接室へ運び込む。
 部屋の隅にダンボール箱を積んでいた時だ。ふとダンボール箱が開き、中身が蛍光灯の光に晒される。すると中に、見覚えのある稟議書があった。僕の作成中の稟議書である。
 不味い。
 これを八雲に押収されてしまうと、僕の仕事がまた滞ってしまう。
僕は乾いた声を、八雲に投げる。
「……なぁ八雲ちゃん」
「はい。なんでしょう?」
「このダンボールに入っている一番上の書類なんだけど。これ、今僕が急いでる仕事のやつなんだ。これがないと仕事が進まないから、持って行ってもいいかな?」
「あー、では先に見ますので、ちょっと待ってもらってもいいですか」
 そう応じた八雲に、僕は失笑を漏らす。
「これは融資の稟議書だよ。女子高生の八雲ちゃんがこれを見ても、たぶん何も解らないと思うけど……」
 結果として僕の口から、八雲を少し煽る様な言葉が出た。すると八雲は咳払いをしながら、件の稟議書を取りだす。
そして一分ほど眺めた後、口を開く。
「三千万円の保証協会付の事業性融資ですか。土地の根抵当権で保全もありますし。別に協会付でなくとも、プロパーで良いと思いますけどね。最近は金融庁も、協会に依存しない融資を金融機関に求めていますし。これは支店の方針か何かですか?」
 僕は呆気にとられる。誰がどう聞いても、今のは普通の女子高生の言葉ではなかった。間違いなく、金融という分野を囓ったことのある人間の言葉だ。
 おずおずと僕は言う。
「……八雲ちゃん、結構詳しいんだね」
「以前、別の銀行に調査に入った事がありまして。その時に、少し勉強しました! 銀行法とかも全部覚えてます! なんだったら今ここで全部暗唱して見せましょうか?」
「……いや別にいいよ。八雲ちゃんは、凄いんだね」
 銀行は銀行法という法律に基づいて成り立っている。僕も検定試験などで要点だけは記憶しているが、暗記などしていない。もし銀行法を完全に暗記している人間がいるとすれば、それは頭の良し悪しは別として、間違いなく変人だ。
 僕が遠慮したにも関わらず、得意気な顔で銀行法を暗唱し始める八雲。
 やめてくれ。頼む。
 さすがは怪人シャーロック・ホームズ、西行寺探偵の助手。今更だが、普通の女子高生ではない。 
 僕は八雲を煽ったことに、少し後悔していた。と、その時だ。
 応接室の扉が開き背広姿の初老の男、西行寺が姿を見せた。西行寺は僕と八雲を交互に一瞥した。そして険しい顔つきになる。
そんな西行寺に、八雲が百合のような笑顔を向けた。
「あっ西行寺さん。警視庁の捜査情報どうでしたか? 何か進展はありましたか?」
 西行寺が鼻を鳴らす。
「……いや進展はなかったさ。先日の強盗事件は人が死んでいないからな。警視庁もあまり人数は動員していない様子だ」
 八雲が顎に手を当て、上を向く。
「うーん、そうですか。念のため、千葉県警の方にも、最近何か大きな金額の強盗事件がなかったか確認してきてもらっても良いですか?」
「それは既に県警に依頼してあって、最近の強盗事件の捜査資料をもらえる話となっている。これから行って、それを受け取ってくるさ」
「そうですか! ではそちらはお願いしますね!」
 そして西行寺が応接室を出て行く。再び僕と八雲の二人きりとなった。
 今の探偵と助手の会話に、僕は違和感を覚える。探偵とその助手。立場的には前者に主導権があるはずだ。しかしながら今の会話を聞く限りだと、どこかそれが逆に聞こえた。
 僕は沈黙して八雲を凝視する。すると僕の視線に気づいた八雲が、頬を紅潮させて首を左右に振る。
「神沢さん、そんなガン見しないで下さいよー。何です? 私ってそんなに可愛いですか?」
 ……ああ。
 なんかこの子、予想以上に面倒くさいな。
 僕は思わず、深い溜息を吐いた。
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