3.探偵:西行寺久叉①

文字数 4,992文字

 真っ白い廊下を歩きながら、南条が言う。
「悪性腫瘍。所謂ガンだが……現代だと完治可能で、再発の可能性も限りなくゼロにできるって、知っていたか?」
 僕は頭を振る。
「……いや知らなかった。そうなのか?」
「まぁ知らなくて当然だ。基本的に現代医療で直せない病気はない。皆無といっていい。先週、俺が参加した学会では真性粘菌フィザルムを利用して、人間の不老不死に成功したと発表していたグループがあるぐらいだ。既に現代医療で、人間は死すらも克服している。これらの医療は次世代医療と呼ばれ、世間一般には隠匿されているがね」
「どうして隠匿されているんだい? 何か理由でも?」
「おいおい神沢。お前、銀行員だろう? ここまでの話を聴いて、ピンとこないか? そうか、こないか。まぁいい。結局のところ金だよ。ガンが安価で完治できる様になると病院や製薬会社が困るし、不老不死が広まって人が死ななくなれば、この国の年金制度は完全に破綻する。今のこの社会は、適度に死んで人間が循環していくことが前提になっているからな。……まぁ現時点では次世代医療には莫大な費用が必要で、もうほとんど資産家向けの医療だな」
「なるほど。まぁ結局のところ世の中は金だから、仕方ないね」
「……それで花火ちゃんの病態の説明だが、下校中に事業用トラックに轢かれて脳挫傷、意識不明の状態だ。それと身体は損傷が激しく、こちらの治療は不可能だ。そこで花火ちゃんを救うには脳挫傷の手術と、頭部の移植手術が最善だと判断する」
「頭部の移植?」
「言葉通りだよ。他の健全な身体に、頭部を移植するってことだ。そもそも頭部の移植手術は一九七〇年頃からアメリカで研究されていた。最近のこの道の第一人者は、サージオ・カナベロ博士だな。名前ぐらいは聴いたことないか?」
「残念だけど、聴いたことないな……」
「次世代医療を取り扱う人間の間では有名人なんだがね。まぁいい。次世代医療の頭部移植手術は、日本でも毎年一、二件は施術されていて、国内でも前例がある。そこまでハードルは高くない」
「そういう技術があるというのは理解したよ。それでその、他の健全な身体というのは、どこから持ってくるんだい?」
「それは当然ドナーからだよ。今月末に都内で、次世代医療向けドナーの競りがあるんだ」
「競りって……。マグロの競りみたいな感じで、ドナーを金で競り合うのかい?」
「概ねその通りだ。ドナー提供者はできる限り高く売りたいし、購入したい人間は喉から手が出るほどそれがほしい訳だ。ドナーの競り合いというのは非常に合理的な手段だよ」
「それって法律的に大丈夫なのかい?」
「神沢は面白いことを聞くな。逆に訊くが、こんな倫理に反している話が法律的に大丈夫だと思うのか?」
 そこまで話したところで、僕と南条は救命救急センターに到着。集中治療室と書かれたプレートのついた扉をスライドさせて中に入る。そこは中央をガラスで仕切られた、小さな部屋だった。人が寝かされているにも関わらず、人間の気配のしない寂しい空間。ガラスの壁で隔たれた向こう側にはベッドがあり、そこに白い布で被われた人間が寝かされていた。
 僕は思わずガラスの壁を叩いた。そして溜息を吐くように、寝かされている人物の名を呼ぶ。
「……花火っ……!」
 白い布で被われているため、花火の顔や身体は窺えない。身体には沢山の点滴の様な管が繋がれている。ベッドの枕元には複数のモニターがついており、数字と折れ線グラフが動いていた。
 死んでいないとはいえ変わり果てた妹の姿に、僕は言葉にならない声を漏らす。自然と肩が震える。肩を抱いて止めようとするが、一向に震えは収まらない。 
 暫くして見かねたのか、南条が僕の肩を叩いてきた。
「……すまんな。本当ならこんなガラス越しではなく、直接面会させてやりたいところなんだが。花火ちゃんは非常に不安定な状態で、極力外的影響は避けたい。万全を期したいものでな。理解してほしい」
「……ああ、分かってる」
 僕は絞り出すようにそう答えた。南条が明後日の方向を向き、静かに言う。
「重ねてすまんが、話を続けても大丈夫か? 神沢」
 僕が首肯すると、南条が続ける。
「花火ちゃんを助けるのに必要な費用は残り三億だ。……残り十九日しかないが間に合うか?」
「……金があれば、花火は助かるんだろう? 何としてでも間に合わせるさ」
 気がつけば、僕の身体の震えは収まっていた。ここで震えている時間なんてない。僕は、何としてでも花火を助ける。



 僕が昼から出勤すると、ちょうど帝陽銀行千葉支店二階、融資窓口では罵声が飛んでいた。
 顧客と思しき初老の男性が何やら声を張り上げている。融資窓口の担当者ともめている様子だ。僕が怪訝な顔を浮かべていると、桜木が小さな声を掛けてくる。
「あ、どうも神沢調査役。今日は半休だったんですね」
「……どうしたんだ? 窓口で何かあったのか?」
 僕がそう聞くと、桜木が言う。
「住宅ローンの延滞先なんですが。なんか督促状が郵送されてきたことに腹を立てて、怒鳴り込んできたんですよ」
 それを聞いて、僕は概ね状況を把握する。返済が滞っている先、延滞先と揉めるのは融資の常だ。
 窓口では初老の男性がしきりに、お前らの態度が気に入らないから返済しない、などと意味不明な理屈を述べている。もしかするとこの初老の男性はクレーマーで、他の飲食店などのサービス業と同じで、とにかく怒鳴って苦情を入れれば融通を利かせてもらえると勘違いしているのかもしれないが……残念ながら金融機関はそうはいかない。ひたすら事務規定に沿って、機械的に手続きを行うだけである。返済が定められた日数を遅れれば淡々と督促状を送り、それでも駄目なら代位弁済し保証会社に債権を渡すだけである。債権が移れば、もう後のことはどうなろうと知った事ではない。どれだけ窓口で怒鳴ろうか、銀行員を恐喝しようが、それは曲げられない。
 僕は溜息を吐きながら、窓口から響くその罵声をBGMに仕事を始めた。

 そして。それは十五時前の出来事だった。
 突然、隣の席でノートパソコンを叩いていた桜木が、独りごちた。
「なんですかね、この通達」
 気になり、僕は桜木のノートパソコンを横からのぞき見る。ディスプレイに映し出されていたものは、当行イントラネットに掲示された行内の通達だ。

 総務部発〇一一二第五号
 営業支店長 殿

 外部調査機関による立入検査について
 以下の通り、各営業店については留意願います。

 本件について、専門的な業務以外の分野において、厳正かつ適切な対応がなされているかの検査が、当行顧問探偵より行われます。
 各営業店においては、西行寺探偵事務所より調査の要請があった場合は、業務に平行して特別な取り計らいの程、宜しくお願い致します。


 「……なんだ? この通達」
 その文字列を読み終わると、僕は桜木と同じ言葉を発していた。
 こんな通達、今まで見たことがない。通達は、帝陽銀行本部より発せられたものであり、営業店は従わなければならない。国税庁など外部からの調査は頻繁にあるが、探偵事務所の調査が入るなんて話は今まで聞いたことがない。
 桜木がどこか他人事で、愉しそうに言う。
「どこかの支店が、何かやらかしましたかね? 神沢調査役は、何か知りませんか?」
 僕は何も答えない。
 桜木のその予想は尤もだった。こんな通達が出て外部調査が入るということは、どこかの支店で問題が発生した可能性が高い。
 桜木が続ける。
「しかしうちの銀行に、顧問弁護士がいるのは知ってましたけど……顧問探偵なんて初めて知りました。こういうのって、推理小説の中だけの話だと思ってましたよ。確かシャーロック・ホームズが、顧問探偵って名乗ってましたよね。違いましたっけ?」
 そんな桜木の問いかけは、僕の頭には入ってこない。僕の思考は凍りついていた。
 このタイミングで、この通達。
 ……もしや、僕の犯行に関係があるのだろうか?
 そもそも犯行は慎重と万全を期している。実行犯は全て佐々木であり、彼が捕まって自白しない限りは、僕に捜査の手が及ぶ事はないはずだ。
 そして時刻が十五時を回る。銀行の閉店の時刻だ。
 けたたましいアラームが鳴り、支店入口のシャッターが降りていく。
 と、その時だった。遠くから突如、硝子が割れる様な音が聞こえた。続けて女性行員のものと思しき悲鳴が響く。
音の発生源は預金窓口のある一階からだ。
 僕と桜木は顔を見合わせた後、裏の階段を使って一階へ降りる。
 一階の営業室は騒然としていて、全員がロビーの方を注視していた。近くにいた若手テラーの女の子に、僕は訊く。
「おい、何があったんだ?」
「それが……閉店でシャッターが降り始めた時に、突然、変な男が自動ドアを割ってロビーに滑り込んできて……」
 そう言われ、僕はロビーに視線を向ける。自動ドアが砕け、ガラス片が散乱するロビー。そこには悠然と、そしてどこか超然とした様子の背広の男が立っていた。中肉中背の男だ。年齢は四十歳ぐらいで、ブラウンのスーツを着て英国紳士の持つ様なステッキを持っている。
 どこからどう見ても金融機関の人間ではなかった。顔に見覚えもない。不審者の対応を女性行員にさせる訳にもいかず、僕は桜木と共にロビーへ出る。
「ふむ。そういえば銀行は十五時で閉まるものだったね。すっかり忘れていたよ。目の前でシャッターが閉ろうとしていたので、つい強引に入ってしまったのだが……改めて考えてみると、そんなことをする必要は全くなかったな。いや失敬」
 そう言いながら、その不審者は肩についたガラス片を払っていた。
 僕は、桜木や他の男性行員達と共に不審者に詰め寄る。するとその不審者は肩をすくめた。
「あーいやいや、すまない。勿論、後で壊したものは弁償する。私は決して怪しいものではない。だから警察への通報は待って欲しい。お互いに時間の無駄になるだけさ。私はこういう者でね」
 と言って、その不審者は、たまたま目前にいた僕に名刺を差し出してきた。そして言う。
「僕は西行寺探偵事務所の西行寺だ。支店長はいるかな? 役員からは既に連絡がいっていると聞いているが……」
 僕は桜木と顔を見合わせた。


 そして西行寺が支店長室に入り一時間程の時間が過ぎた。
 時刻は午後十六時。外回りの営業も全員が帰店し、事務処理をしていた。何の拍子もなく支店長室の扉が開き、渋い顔をした支店長、岡崎蒼太が顔を出す。その後、支店長の号令で帝陽銀行千葉支店の行員全員が一階に集められた。融資や預金、全員合わせて二十五人の行員が一同に会する。
 そして支店長が起伏のない声で述べる。
「先ほど出ていた通達の通りで、こちらが西行寺探偵事務所の西行寺探偵だ。ついさっき常務からも電話があった。多忙のところ申し訳ないが、できる限り西行寺探偵の調査に協力してほしい。以上だ」
 そして支店長の隣に立った西行寺がニヒルに笑う。
「支店長よりご紹介頂いた探偵の西行寺(さいぎょうじ)久(ひさ)叉(さ)だ。いや何、私も隠し事が嫌いでね。みんな気になっているだろうから少し話をするけども、今回は御行の役員より依頼があり、とある事件について私が調べる事になったのさ。皆様、多忙な業務の中で大変恐縮だけども一つご協力願いたい」
 ここで西行寺が隣の支店長に視線をやり、続ける。
「ところで支店長。私は探偵で、事件は聡明でも金融機関については非常に疎い。調査を円滑に進めるために誰か職員を一人貸してほしい。この中で、一番優秀な人間を貸してもらえないかい? あぁ、年寄りは要らない。若い方がいいな」
 言われて支店長は顔をしかめた。しかしすぐに諦めた顔になる。
「……神沢。お前が西行寺探偵を手伝え」
 僕は絶句する。
 やめてくれ。何の冗談だ。
 そんな僕の胸中など露知らず、西行寺が歩み寄ってくる。
「なるほど。神沢君か。まぁなんだ。短い付き合いだとは思うが、少しの間よろしく頼むよ」
 そう告げて、西行寺が笑顔で手を差し出し、握手を求めてきた。
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