第96話 母宮木野の墓所

文字数 3,305文字

 「無人」自転車は冬凪、鈴風、あたしをリアカーに乗せたまま吹き溜まりの枯れ葉の中に突っ込んだ。衝突に備えたけれど枯れ葉が顔に張り付いたくらいで抵抗はなかった。枯れ葉の中に埋もれてからも運転のヘルメット男はスピードを緩めず進み続ける。その体に弾かれた枯れ葉が頭上の燐光に触れて燃焼し光のトンネルとなる。
 そのままずっと「無人」自転車の勢いは衰えず枯れ葉のトンネルから抜け出すことはなかった。それどころかどんどん深みに降りて行く。最初のうちは枯れ葉に覆われた沼にハマったかと思ったけれどそうではなかった。息ができたしそもそも水がなかったから。周りを埋め尽くす枯れ葉をよく見るとそれらは堆積しているのではなかった。それぞれに隙間を作り浮遊していた。その中をヘルメット男は立ち漕ぎをやめずに突き進んで行く。乱気流の中の旅客機のように激しく揺れるので、あたしたちはリアカーの手すりにしっかり掴まって振り落とされないようにするのに必死だった。
「これ、大きな木の中なんじゃ?」
 冬凪が何かに気が付いたらしかった。得意げなその顔からすると、手すりを掴まないでよければきっと指をL字にして顎に当てるポーズになっていたにちがいない。
「枯れ葉の間に枝が見えてる」
「わたしも見ました」
 鈴風が合わせる。あたしも何度も横枝が伸びているのをみていた。でもそれは葉をつけてはいなかったし浮遊している枯れ枝だと思っていた。
「あの枝。あの太い枝をずっと辿るとさらに太い幹になってる」
 冬凪がひときわ白く見える枯れ枝を指して言う。
「それにこの自転車、あの幹の周りを螺旋状に降下してない?」
 「無人」自転車は前方に傾きつつ冬凪が指した太い幹を右手にして進んでいた。たしかに幹の周りを回りながら降りて行っているようだった。さらに降りて行くにつれてその白い幹はどんどん太くなっていった。
 やがてそれまで暗かった下方から光が指して来た。枯れ葉がまばらになって隙間から下の様子が見えるようになったのだった。それでも視界はせまく全体は見えなかったけれど真下の地面からこちらに向かって真っ白い幹が立ち上がっているのは分かった。どうやら「無人」自転車はその根元へむかって降りて行っているようだった。
 突然、枯れ葉がなくなり視界が開けた。見上げると枯れ葉の雲を抜けたのが分かった。その雲は空全体を覆って下界を圧していた。下方には見渡す限り青灰色の地平が広がっていて、その境界を見ることは出来なかった。「無人」自転車はさらに前輪を下げてすぐ横に迫る太い幹に沿って急降下を始めた。ヘルメット男の肩越しに巨木の根元が見えていて、根と根の間に一箇所だけ緑の場所があった。きっと特別な領域なんだろう。ヘルメット男が振り向いて下方を指さした。どうやらそこがあたしたちの目的地のようだった。
 地面に近づいてようやくヘルメット男はスピードを落とした。自転車とリアカーを水平に保ちながら着地すると立ち漕ぎのまま自転車を降りた。その時になってようやくあたしの目に男の下半身が見えた。血だらけの半ズボンはズタズタでチャックがお尻の方についていた。背中を向けているのに膝とつま先がこちらにあった。どうやらヘルメット男は腰から下が反対についているらしかった。だからずっと立ち漕ぎだったのか。知らんけど。(死語構文)
 リアカーの下は青灰色の砂地だった。一歩踏み出すとサクッと音がして足が少しだけ沈んだ。まるで雪の上のように清浄な感じがした。ヘルメット男は荷台の黄色い箱を持って上から見た緑地へと向かう。緑地に近づくとそこは苔だらけの墓石が幾つも積まれてできた塚だった。その塚を守るように巨樹が根を張り、枯れ葉の天頂に向かって太い幹を伸ばしていた。
「お前たちはここでエニシの切り替えをしなければならない」
 ヘルメット男が言った。冬凪が、
「どうやって?」
「まずこの中に入る」
 塚を示した。
「どこから?」
 塚に入り口があるようには見えなかった。
「その墓石を押してみろ」
 ヘルメット男が指さしたのは塚と砂地の際にある、冬凪の胸の高さくらいの墓石だった。他のは全て苔に覆われているのにそれだけ綺麗なままだった。その墓碑銘を見ると「遊女 宮木野」とあった。どうやらあたしたちは母宮木野の墓所にやってきたらしかった。
「青墓にあると言われてましたが、こんなところだったとは」
 鈴風が感慨深そうに言った。
 冬凪が近づいてヘルメット男に言われたように片手で墓石を押した。けれどなにも起こらなかった。
「もうちょい強めにどうぞ」
 それで冬凪が墓石に肩を当てて全身で力を入れると塚の中へ押し込まれて行った。その後には墓石の大きさのトンネルが出来た。ヘルメット男がその入口から付いてくるよう促すので、鈴風、あたしの順で後に続いた。
 トンネルの天井は低く腰を屈めないとならなかった。壁には一面に苔が生えていてそこから液体が滴り落ちていた。水でなくて液体と言うのは、それが不透明で乳白色だったからだ。その液体は地面に集まり乳白色の小川となってトンネルの中へ向かって流れを作っていた。あたしは奥へ進みながらその流れを見下ろして、十六夜と初めて話した雨の日を思い出した。校庭に出来た沢山の小さな川。あの川たちが全てここに集まっているような気がしたからだった。あの時十六夜は、
「流れに棹ささないと生きている意味がない」
 と言ったけれど本当は、
「流れに棹ささないと何も生まれない」
 と言いたかったんじゃないか、そう思った。それは十六夜がくれた長棹が巨大な真球に突き刺さったのを見たからだった。あたしはあの真球がなんなのかは知らない。でも何かを生み出そうとしているのはわかる気がした。
 苔のトンネルを抜けて小部屋に足を踏み入れると血が逆流するような感覚に襲われゾワっとした。中はドーム状で4人で入っても余裕があるくらいの広さだった。壁には苔が生えていなくて剥き出しの墓石が積まれて出来ているのが分かった。母宮木野の棺桶が置かれているかと思ったけれど形跡さえなかった。そのかわり青砂の地面にはトンネルから流れ込んだ乳白色の液体が枝分かれしてアマゾン川のような景色を作っていた。その小さな大河は地面の砂に吸い込まれるためか水溜まりのようなものは見当たらなかった。
「夏波、これ見て」
 冬凪が小部屋の真ん中で掌を下にかざして立っていた。あたしがそばに行くと、
「ほら」
 と掌を返した。最初、冬凪が何をしたいのか分からなかった。それを察してか冬凪はもう一度、掌を下に向けてかざし直すと、
「いい? 見てて。こうして少し溜めたら、返す」
 とふたたびかざした掌を返して見せた。それでようやくあたしも冬凪が何を見せたかったのか分かった。返した冬凪の掌から乳白色の液体が天井に向かって滴り上がり水飛沫をあげたのだ。そして見上げた天井には乳白色の水溜りが出来ていた。
「どういうこと?」
「あれを見て」
 冬凪がヘルメット男を指した。ヘルメット男の周りには牛乳瓶が逆さに置かれていて、その瓶の底に乳白色の液体が溜まりつつあった。
「ここは、重力が逆さに働いているのかもしれません」
 鈴風の言うこともワンチャン合っていそうだった。さっきから身体中がゾワゾワして毛という毛が逆立っているような気がしているのは下から上に力が働いているせいと言えなくもなかったから。
「じゃあなんであたしたちは天井に落ちないの?」
 まさに、そう。それが言えるのは乳白色の液体だけだった。この液体だけが反重力の法則に従って砂地から天井に滴り上がっていた。だから天井に水溜りができているのだった。
「でもなんで?」
「分かんないよ、そんなこと」
 珍しく冬凪が半ギレで答えた。とにかくあたしたちはいつもとは違う物理法則の次元にいる。そういうことで納得することにした。まあ、自転車で飛んで来たところから変なわけだし。
「そろそろ来るぞ」
 乳白色の液体でいっぱいになった牛乳瓶を黄色い箱に仕舞いながらヘルメット男が言った。表情は見えなかったけれど、その声からかなり怯えていることがあたしにも伝わったのだった。
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