第74話 釜場を掘る

文字数 3,099文字

 遺跡調査の現場で板床とかタイルとかじゃない土の上の雨水をスポンジで拭き取る作業を皆さんと一緒にした。最初のうちは爆心地の至る所に水溜まりがあるから永遠に続くかと思ったけれど、案外それはすぐに片づいた。あとは深か掘った遺構の中に溜まった水をポンプで抜く作業とスポンジでは無理な穴の排水が残った。ポンプはブクロ親方の指示の元、ユンボくん改め豆蔵くんと小ユンボくん改め定吉くんが担当した。豆蔵くんは泥水の中に浸かってポンプが詰らないように素手で纏わり付いた泥を拭っている。定吉くんは底に溜まったヘドロをエンピで掬い上げて遺構の外に出しているけれどそれはいくらやっても終わりそうになかった。もともと日本庭園で池水があったということは水はけが悪い場所な上、雨水だけでなくどこからともなく水が湧き出すため、なかなか減っていかないようだった。その間、冬凪とあたしは小ぶりの遺構の水を排水する作業に当たった。ひしゃくで掻き出すには水量が多すぎるけれどポンプを使うほどでも無いものだ。そこから水道(みずみち)と言って即席の側溝を作り低所に流し排水する。真夏の太陽が照りつけ流れる水がギラギラ輝いてやたら眩しい。最初のうちはうまくいっていたけれど、方々から水が低所に集まっていっぱいになり流れなくなってしまった。気温も上昇して汗が噴き出し体力が奪われていく。
 全体の水はけ状態を見ていた赤さんが江本さんに、
「ティリ姉、あそこをカマバにしようか」
 とあたしたちの遺構の、さらに下流あたりを指して言った。
「カマバ?」
 冬凪に聞くと、
「深めに掘って水を流し込む場所のこと」
「釜場」と書くのだそう。
 冬凪とあたしも一旦排水の作業を止めて江本さんのお手伝いをすることにした。 
 江本さんは水浸しになって釜場を掘りながら、
「ナギちゃんやナミちゃんはBLとかって好き?」
 江本さんいきなりなんですか? 読んだことはあるけど腐女子って言えるほどではないので、
「「よくは知らないです」」
 江本さんは冬凪とあたしの反応には関心がなさそうに「あらそうなの」と話を続けた。
「BLだとタチだネコだ、攻めだ受けだって言うらしいね。あたしらの頃はそういうの、オカマを掘るって言ってね」
 江本さんはエンピを水溜りの中に突っ込んで足で踏みつけながら、
「ウンショ! 挿すとか入れるとかなら分かるけど、お尻の穴を『掘る』って変だと思わない? ヨッコイショ!」
 掬い上げたヘドロを脇に置いた箕の中にぶちまけた。江本さん、いったい何を言い出すつもりなのか? いつものことがあるから冬凪もあたしも警戒しつつ、
「「どうなんですかね」」
 と言葉を濁した。実際、唐突過ぎてどう言えばいいか分からなかったから。すると江本さんは、
「今、あたしは何をしてる?」
 エンピを掬う仕草をして見せる。
「掘ってます」
「何を?」
「釜場を」
「ほら。釜は掘るもんなんだよ。だから挿すでも入れるでも無くって、掘る」
 江本さんは自説を得意そうに開陳した。あたしには訳がわからなかったけれど、
「「確かに」」
 と言っておいた。ついでに釜でなくて釜場なことは言わなかった。
 釜場を掘り終わり、冬凪とあたしが担当した水溜まりの水が捌けて最初の休憩になった。冬凪とハウスに戻りながら、
「なんか疲れた」
「あたしも」 
 江本さんとの作業は別の意味でエネルギーを吸い取られるので倍疲れるのだった。
 冬凪とあたしはハウスの日陰に座って排水作業があらかた終わった爆心地を眺めていた。すると赤さん初め調査員の人たちがワタワタと白い防護シートの外に出て行くのが見えた。なんだろうと見ていると、
「お客さんが来たみたいね」
 江本さんがそちらを眺めながら教えてくれた。
 それからすぐ、赤さんに誘導されてマットブラックのゲレンデが爆心地に浸入してきた。ゲレンデがハウスの前まで来ると停車して、中から黒い日傘を差した黒服サングラスの一団が出てきた。その中に守られている赤い服の女性は、「帰ってきた」辻川町長だ。黒服サングラスのSPたちは辻女の時より人数が二人多かった。この真夏の太陽の下、日光を避けるのは相当大変だろうと思われた。
「辻川町長が何の用かな」
「ここの元請けは辻沢町だから町長が来てもおかしくはないけれど、今までこんなことはなかった」
 辻川町長を中心に置いた黒い亀甲陣形は、赤さんと少しやりとりすると一緒ににユンボが置いてある土山(どやま)の所へ向った。そして何か指示を出しているらしく赤さんはしきりに頭を下げていた。亀甲陣形は再びゲレンデに戻ってくると、そのまま中に収まって爆心地を出て行ったのだった。
 赤さんが不機嫌そうな顔をしてハウスの所に戻ってくると、
「皆さん。午後まで待機してください。土山をどかして地面を晒すことになりましたので」
 赤さんは調査員の佐々木さんと曽根さんに土山をどかす先を指示してハウスの中に閉じこもってしまったのだった。
「辻川町長は人柱をブッコ抜くつもりだ」
 冬凪に言うと、
「きっとそうだね」
 あたしは辻川町長が突然やってきたことと千福ミワさんのことには関わりがあると思った。なぜなら辻川町長が土山をどかせと指示した場所は爆心地の中心地、冬凪とあたしが18年前の辻沢でミワさんと約束を交わした、ちょうどその場所だったからだった。そして同時にこの遺跡調査自体、「帰ってきた」辻川町長が姉妹であるミワさんの人柱を「ブッコ抜く」ために計画したプロジェクトだったんじゃないかとさえ思えてきたのだった。でも辻川町長は、いや辻川ひまわりは次元の異なるミワさんをどうやって「ブッコ抜く」つもりなんだろうか。
 冬凪とあたしは待機時間を使ってまゆまゆさんに会いに行くことにした。辻川ひまわりの行動についてまゆまゆさんたちが何か知っているかもと思ったからだった。呼ばれもしないのに行っていいのかと冬凪に聞くと、
「別にいいんだよ。あたしもフィールドワークのためだけに何度かジャンプをお願いしたことあるし」
 爆心地を出て竹林の小道を歩いていると後ろから誰かが付いてくる足音がした。振り返ると豆蔵くんと定吉くんだった。冬凪が、
「どうしたの?」
 と聞くと、
「ううう」
 と豆蔵くんは唸って手にしたカバンの中から真っ赤な入れ物を取りだして見せた。それに会わせて定吉くんも袈裟懸けバッグから同じものを出した。血液袋のようだった。
「そうなんだ。ありがとう」
 冬凪の通訳によると、前回一回の浄血で貧血になってしまい惑星スイングバイについて行かれなかったから事前にこうして用意してきてくれたのだそう。鬼子である冬凪もあたしも浄血に耐性があったけれど、生身の人間? である豆蔵くんと定吉くんには連続ジャンプは無理だったのだ。
「でも、これから飛ぶわけじゃないから付いてこなくていいよ」
 と言っても豆蔵くんも定吉くんも聞かなかった。その先に何が待ち構えているか分からないのに、向こう見ずというか従順というか。夕霧物語でアラビア人の3人と別れ話をした時の伊左衛門もこんな気持ちだったのかもしれないと思った。
 白漆喰の土蔵の扉の前に立ったらすでに少し開いていた。中に入ると異常が起きたことがすぐに分かった。いつも正面奥に鎮座している白市松人形の姿が無かったから。豆蔵くんと定吉くんがシャムシールの鞘を払って冬凪とあたしの前に出る。豆蔵くんの背中に力が入りビシッと音をたてた。さらに奥に進むと白市松人形はあったにはあったけれど上半身が破壊されて、中の空間がむき出しになっていたのだった。
「「まゆまゆさん」」
 冬凪とあたしは大声で二人を呼んだ。でも返事はなかった。
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