第11話 補陀落渡海

文字数 3,032文字

 また白馬の王子の夢を見た。それがいつもと少し違った上に妙にリアルだった。あたしが夜祭りを覗いていてクチナシの香りに誘われ志野婦神社の杜に踏み込み白馬の王子に出会うところまでは一緒だったが、その後が違った。あたしのことを突き飛ばした人はカレー★パンマンのお面を被っていて、あたしはあたしでアン★パンマンのお面を付けていた。夜祭りだから? それと今、右手の薬指の付け根がズキズキとうずいている。今までこんなことはなかったのに。枕元の手乗りカレー★パンマンのぬいぐるみを手に取って、
「あんたのせいだよ」
 胸に抱くとなんだか指のうずきが収まるような気がした。このぬいぐるみはゲーセンにあるクレーンゲームの景品のようだが、知り合いが誕生日になると必ずくれるものだ。これと同じものが壁の棚に十六個並んでいる。
 顔を洗い部屋着に着替えて階段を降りて行くとコーヒーのいい香りがしていた。朝日が差し込むキッチンテーブルでミユキ母さんが最近買ったぶっとい黒縁の眼鏡を掛け、カプチーノ片手に紙本の文庫を読んでいた。お休みの日だからのんびりしているのだ。
「冬凪は?」
 部屋にいなかった。
「出かけたよ」
「こんな早くに?」
 いつもならまだ寝ている時間だ。
「八月まで山椒摘みを手伝うんだって」
 終業式がすぐで学校に行かなくてもよいにしても十日間もか。
「四ツ辻?」
「そう。紫子さんのところに住み込みで」
 辻沢の西に位置する山並みを西山地区というが、そこに山椒農家が集まる古い集落があって、冬凪が懇意にしている紫子さんという農家さんがいる。フィールドワークをしていて知り合ったとか。
月末まで留守か。この間鞠野文庫で見付けた本のこと、特に鬼子の書き込みのことを聞きそびれた。VRチャットで話せば済むけど、なんとなく直接聞きたかった。
 それより、お腹がすいた。紙本に顔を埋めているミユキ母さんに、
「朝ご飯食べてないよね?」
 紙本から目をあげてあたしを見ると、
「まだ。何食べよっか?」
「なら、パンケーキ作るよ」
「お、いいね。当然、異端の?」
「異端の」
 材料棚から薄力粉とグラニュー糖を、冷蔵庫から卵と牛乳とバターを取り出す。ボールを二つ用意して、まず卵白とグラニュー糖でメレンゲを作る。もう一つのボールで卵黄と牛乳を溶き混ぜてから溶かしたバターとバニラエッセンスを加え、胡椒を多めにかける。ここが異端。それに出来上がったメレンゲをふんわり加えて(これやらないと甘いチヂミになる)生地のできあがり。それをフライパンで弱火で焼いて完成。あまり膨らまないけど海外ドラマのダイナーレストランで出すみたいに何枚も重ねて、スクランブルエッグとかと一緒に食べれば立派な朝食になる。今日はベーコンを軽く焼いたのを付けた。
「できました。異端パンケーキ」
ミユキ母さんは、すぐさまパンケーキを素手で掴んでベーコンを包んでかぶりついた。
「おいしい?」
「胡椒がぜっふぃん(絶品)」
冬凪とおんなじ反応だった。
異端の胡椒は、あたしがレシピを読み間違えたのが初めだ。ネットに出ていたレシピに、牛乳とか卵とか薄力粉とかと並んで、B・Pとあったからてっきりブラック・ペッパーのことかと思って胡椒をたんまり入れて焼いた。その時最初に食べた冬凪が、
「異端過ぎる。なんで胡椒?」
 って聞いたから参考にしたレシピを見せると笑い出して、
「B・Pはブラック・ペッパーでなく、ベーキング・パウダー(ふくらし粉)な」
 その後、ベーキングパウダーに変えて作ってみた。多少膨らんだのはよかったけれど、なんか後味がエグエグしてたのと、関係あるか知らないけれど食べてしばらくしたらオナラがプップカ出たので、以後、パンケーキの時はブラックペッパーということにしている。
ミユキ母さんが紙本に顔を埋めながら手探りで三枚目を取ろうとしていたので、ベーコンを挟んで渡してあげる。
「ありがと」
「何の本読んでるの?」
「『新しい太陽の書』っていうSFファンタジー小説」
「面白い?」
「面白いけど、セヴェリアンは中に入りすぎかな」
「セヴェリアン?」
「主人公。拷問者の」
「拷問者が中に?」
「そう、中に」
 ロックインのことかなと思ったけれど話が長くなりそうなのでそれ以上聞かなかった。その時、ふと思いついた。そうだ。あのことをミユキ母さんに聞いてみたらどうだろう。書き込みがミユキ母さんの指導教授のものだったとしたら冬凪よりいい情報が得られるかも知れない。
「ミユキ母さんに見て欲しいものがあるんだけど」
 紙本から顔を上げて質実剛健な眼鏡の縁に指を当てながら、こちらをまじまじと見た後、
「なにかな?」
 そこでリング端末で例の赤字の書き込みをホロ表示させた。ミユキ母さんは、
「この本は?」
 あたしは経緯から詳しく説明した。すると、
「そうなんだ、冬凪がねぇ」
 と意外そうに言ってから、カプチーノを持った手をホロ画面に近づけて画像をスワイプする。
「おー懐かしい、四宮浩太郎の「辻沢ノート」。これは辻沢調査の基本文献だよ。あたしも学生のころ熟読したもんだ。それじゃあ、この赤字は」
 さらに黒縁めがねを引き上げて、
「たしかに、鞠野フスキの字だよ」                                                      
「マリノフスキ?」
「文化人類学者で偉大なエスノグラファーのマB・マリノフスキーからとった鞠野先生のあだ名でね。みんな鞠野フスキって呼んでたんだよね」
 その口ぶりは先生というより同級生の男子のことを話しているようだった。鞠野教頭先生は生徒に慕われる教師だったらしい。
「じゃあ、これって何のことか分かる?」
 ミユキ母さんはホロのページを行ったり来たりしながら、
「そうだね、これなんかあのことなんじゃないかと思うよ」
 と言ったのは、
「鬼子は船であの世に渡る」
 という書き込みだった。
「あのこととは?」
「補陀落渡海のこと」
 補陀落渡海というのは中世ころの風習で、死を決した行者が少しばかりの水と食料を用意して小舟で海に乗り出し海の向こうにある浄土、補陀落に向かうことをいう。小舟は縄でつなげて沖まで曳航され、縄を切られた後は櫂も帆も付いていないため波に任せるまま漂流する。その時、行者は小舟に設えられた小館に入りその出入り口は木の板で蓋をして釘で打ち付けて出れなくなっている。命が惜しくなって泳いで戻って来れないようにだ。
「それってまるで」
「即身成仏だよね。それでも行者の多くは喜んで小舟に乗り込んだそうだよ」
 行き着くか分からない目的地に向かい、波に翻弄され幾日も幾日も空腹に耐えて、暗闇の中で行者さんはどんなことを考えていただろうか。その孤絶感を思うと胸が締め付けられる思いがした。
「ここで言ってる鬼子って行者さんのことなのかな」
 修験道姿の鬼をイメージして聞くと、
「この書き込みだけじゃ、わからないけど」
 とミユキ母さんが言い終わらないうちに邪魔が入った。
〈♪ゴリゴリーン お客様です〉
「来た来た」
 卓上ホロに映った人を見て、ミユキ母さんがうれしそうに玄関に迎えに出て行った。
その画面の人に、
「クロエちゃん、お帰り」
 と言ったが違和感があった。クロエちゃん、ずいぶん思い切った髪型にしたんだな。なんか前よりやつれてない? それで気がついた。この人はクロエちゃんじゃない。毎年あたしの誕生日に訪ねてきてカレー★パンマンを置いてゆく人。ユウさんだと。
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