第46話 ココロ

文字数 3,217文字

 響先生はコンクリ土台に戻ると、間取りの中でも比較的広めのブロックに入ってそこに積もった枯れ葉をどけ始めた。
「ここはもとはココロんちのキッチンだったんだよ」
 冬凪とあたしも響先生に倣って足を使いながら湿った枯れ葉を脇に寄せていった。するとちょうどブロックの中央辺りに座布団くらいの四角い枠が現れた。枠はさびて赤く埋め込み式の取っ手が二か所付いていた。
「地下室の入り口。これ持ってて」
 響先生は懐中電灯をあたしに手渡すと、枠を跨いで腰を落とし取っ手を掴んで、
「うおりゃーー!」
 力いっぱい引きあげた。枠は少しだけ上がったけれども、すぐに重たい音を立てて塞がってしまった。
「やっぱ、だめか。あたしの力じゃ簡単に上がらなくてね。夏波、そこにほうきが落ちてるから取って来て」
 響先生が指さしたのはブロックの隅で、そこに庭掃き帚が落ちていた。
「どうするんですか?」
「少し上がったところに柄を差し込んでこじ開ける」
 あたしが庭掃き帚を取ってくると冬凪が、
「あたしが持ち上げるのやります。先生どいててください」
 響先生と同じように枠を跨いで両手で取っ手をつかんだ。そして気合を入れて、
「それ!」
 一気に引っ張ると冬凪の手元で破断音がした。
 枠があったところに穴が開き、そこを跨いで立ち上がった冬凪は、両手を上に差し上げた格好になっていた。
「とれちゃった」
 と言ったあとすぐ、すり鉢のどこかで重いものが落ちる音がした。冬凪はコンクリの入り口をもぎ取って放り捨ててしまったのだった
「冬凪、お前、何してくれてんだよ」
「すみません。力入れ過ぎました。あとで取って来ます」
「力入れ過ぎたってレベルじゃないだろ」
 響先生は呆れたように言うと冬凪の明けた穴に頭を入れて中を覗いた。その時小声で、
「すごいな。鬼子の力は」
 つぶやくのが聞こえた。そういえば響先生って、あたしが十六夜の部屋で寝てた時、前園日香里と鬼子のエニシのことを話していた。やっぱり用心したほうがいい人なんだ。
「中に入るけど一つ約束してほしいのは、子ネコの名前は絶対に言わないこと。いい?」
「「子ネコ?」」
 響先生は穴の中の暗闇を差しながら、声を出さずに「ココロ」と言った。どういうこと? と冬凪に説明を求めると耳もとで、
「下にいるのは屍人。名前を言うと襲って来る」(小声)
「でも、あたしたちが会いに行くのはココ……あ、察し」
 急いで言葉を飲み込んだ。ココロさんはヴァンパイアに襲われたのだろう。そしてこの家に「戻って」来た。屍人となって。悲しすぎる。
 響先生が先に立って、コンクリの階段を降りてゆく。懐中電灯を点けようとしたら明かりが点いたのでやめにした。地下室の中は湿気た匂いがしていたけれどいやな匂いは感じなかった。階段の途中から下を見ると、一般家庭のリビング&ダイニングほどの広さがあった。そこで目を引くのは何と言っても、部屋の三分の一を占める、真っ黒くてぶっとい柵で囲われたライオンを閉じ込めておくような檻。ぱっと見、何もいなさそうでいて奥の暗がりが気になったので目を凝らしたけれど、やっぱり檻の中は空だった。コンクリ製の階段を降り打ちっぱなしの床に立つと、下からひんやりとした感覚が足に伝わって来た。檻の他には丸椅子が一つ、それから隅のほうに古ぼけたロッカータンスが一つ。
 響先生は檻の鉄柵に手を添えて、
「これは子ネコのパパとママが最愛の娘を閉じ込めておくために作った檻」
「ぶっとい柵ですね」
 とあたしが見たままのことを言うと、
「かわいい一人娘でも、屍人になればやっぱり怖かったんだよ」
 変わり果てた娘と対面したお母さんの気持ちを考えると胸が痛くなった。
「どの子ネコも食欲旺盛なのは知られてると思うけど、ここの子ネコもママにミルクをおねだりしてた。ママは玉の緒を絞ってミルクを与えてた」
 冬凪がこそっと
「ミルクは血のこと。屍人は血を求めてさ迷ってる」
 と教えてくれた。響先生は続けて、
「けれど、ついに耐えられなくなってこの屋敷の子ネコの部屋で首を吊って亡くなった。その後、それまでこの地下室に近寄ろうとしなかったパパが授乳を継いだ。でも数週間もたたないうちにミルクを調達に行ったまま二度と帰らなかった。逃げたんだ」
 響先生は檻を離れ丸椅子の所まで歩いて座った。
「子ネコさんは今はどうしているんでしょう?」
 冬凪が地下室を見渡しながら聞いた。よくあるホラー映画だとコンクリ壁に埋められていたりするけれども響先生がそんなことはするとは思えないし。響先生は冬凪とあたしの顔を見比べて丸椅子から立ち上がると正面の古ぼけたロッカータンスに近づいて行って、
「ここにいるよ」
 と扉を開いたのだった。冬凪とあたしはそこに近づいて中を覗いた。ロッカーダンスの中には辻女の制服を着た少女がまるで本当の子ネコのようにバスケのユニフォームの上に丸まって目を閉じていた。最初変な匂いがしたら嫌だなと思って息を止めていたけれど、子ネコの平和そうな寝姿を見てつい息をしてしまった。死臭が鼻を突くと思ったけれど、そうではなかった。いつか嗅いだことのある匂い。その匂いを嗅ぐとほっこりするあれ。
「なんの匂いだっけ? いい匂い」
 と言うと冬凪が、
「うん。これ日向の匂いだ。お洗濯ものを取り込んだときの」
 そう、それ。たしかにそう。
「きっと子ネコが飼ってたネコたちが日向ぼっこしてた時の匂いだろうね。この子もそうだけど子ネコってそれぞれに匂いがあって、亡くなる前に愛着があったものの匂いを発するようになるみたい。因みにシオネは体育館の匂いがするよ。あ!」
「シオネってもう一人の失踪者のシオネさんのことですか? もしかして?」
 冬凪が指摘すると、
「セイラが面倒見てるけど、知らなかった?」
「遊佐先生とシオネさんが親しかったことは知ってましたけども」
 冬凪がすこし呆れた風に言うと、
「またやっちゃったか。てへぺろ」(死語構文) 
 と響先生は自分で頭をコツンと叩いたのだった。
「やっぱりセイラさんも」
「そう。屍人になって戻って来た。でもセイラは活発でね。ここの子ネコのようにひと所に留まってない。今でも辻女のユニフォーム着てあちこちうろつきまわってるよ。見たことないかい? コンビニでエアバスケしてる子。あれシオネ」
 それを聞いて、なんだかどっかでそんな人を見たことあるような気がして来た。どこのコンビニだったか? あー!
「それって昔からずっとですか?」
「うん。戻って来たっても失踪直後からそれやってるから」
「冬凪ほら、町役場の前の、ギャラクシー方言のコンビニ!」
「あ、いたいた。辻女のユニフォーム着てエアバスケしてた子」
 それを聞いて響先生が思い出す様子で、
「そうね。役場前のコンビニと青墓近くのコンビニはシオネのお気に入りの場所だね。駐車場広いから」
 響先生と遊佐先生とがどうやってココロさんとシオネさんのお母さん代わりとしてお世話をしているか教えてもらった。食事は月一で血を与える。それをお二人は授乳と言っている。最初のころは首に噛みついてもらっていたけれど、傷が残るのと喰いつかれて離れなくなる心配がどうしても抜けない。響先生はその時ふと何かに気づいた様子で、教え諭す口調になって、
「あたしたちには信頼関係以上の絆があるから一回につきそこそこの量で済むけど、本来は致死量を吸ってくるから真似しちゃだめだよ」
「「しません」」
 それで、最近は瀉血をして与えていて、だから瀉血が流行りだした時は複雑な気持ちだったらしい。あんな苦しいことをわざわざって思ったそう。
 ロッカーダンスを閉じて電気を消し三人で地下室を出た。
「扉取って来ます」
 と冬凪が斜面へ降りて行って、コンクリの入り口を持って戻って来た。それを元の位置に戻すと響先生は、
「ココロが出てこれないように頑丈に作ってあるのに、なんて馬鹿力なんだろね」
 と言ったのだった。
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