第2話 園芸部

文字数 2,480文字

 やっと放課後。十六夜とあたしは荷物をまとめて前園記念部活動棟の部室へ急ぐ。と、その前に入ってすぐのカフェテラスで部活で食べる餌を調達。
「おばさん、10円アイス20本」
 いつものやつを注文する。袋に「ガリガリーン!」って書いてある。
「それと、ホット・チャイ。シナモンで!」
 十六夜が廊下にまで響き渡る大声で注文する。これ言わないとデフォで山椒粉をぶっかけて来るのが辻沢流なのだった。
「山椒嫌いかい?」
 カウンターのおばさんが、手にした山椒粉の入れ物をシナモンに持ち替えながらいたずら顔で聞いて来る。
「嫌いではないけど、チャイにはやっぱシナモンでしょ」
 何にでも山椒粉をぶっかけるのは山椒が辻沢の特産物なのも理由の一つだが、冬凪が言うには「ヴァンパイア除け」なのだそうだ。辻沢のヴァンパイアは山椒が苦手らしい。
 おばさんは十六夜にチャイを出した後、いったん奥に下がってから両手に棒付きアイスの袋をぶら下げて来た。
「あ、山椒抜きですよね」
 あたしが肝心なことを言い忘れたことに気が付いて確認すると、
「分かってるよ。はい20本ね。山椒入りも舌がピリピリして美味しいんだけどね」
 袋に「ピリピリーン!」って書いてあるやつ。一度試しに食べたけどリピートする気にはならなかった。
 アイスキャンディーの袋をつまんでプラプラさせながら、十六夜とあたしは新築の匂いがする真っ白い廊下を歩く。修道院の回廊のように右側に天井近くまである連窓が、左側に黒く重厚な部室の扉が並ぶこの建物は、ヤオマンHDの寄付で今年の春出来たばかりなのだ。その長い廊下の突き当りを左に曲がった一番奥に園芸部はある。園芸部と言っても活動は外で土をいじったり植物を育てたりはしない。部活動のフィールドは仮想世界で、自分達がデザインした装飾や背景をメタバースにディストリビュート(配置)する。その中でもうちは日本庭園の生成に定評がある。
 扉の前で十六夜がリング端末を翳して鍵を開けて部室に入る。
〈♪ゴリゴリーン 前園十六夜様、お帰りなさいませ〉
 辻沢のいたるところで耳にするこの音は、スリコギ棒で山椒をする音らしいけど、正直うざい。
 部室は正面に大きな窓があって、そこから見えるのは裏山の森だ。その地味な景色に向かって個人用VRブースが二つ並んでいて、右側に黒髪ショートの子が籠っていた。一年生の佐倉鈴風(スズカゼ)。極度の冷え性で夏でも長袖の冬服を着ている。入部したてはVR素人で、
「全然わかんないですぅ」
なんて言ってたが、持ち前の真面目さと集中力で機材や環境のことを短時間で習得してしまった。今ではネットワーク周りを任せられるほどになって、次期部長候補。てか、十六夜とあたしが引退したら鈴風しか部員いないから次期部長決定。
 あたしが後で食べる分のアイスを冷凍庫に仕舞っている間に、十六夜はブースに近づいて外部端子のマイクに話しかける。
「鈴風、ゼンアミさんはなんて?」
 しばらくの沈黙があって、ブースの下部からロックアウト時の排気音がしたかと思うと、中から今目覚めたかのように頭をふりながら鈴風が顔を出した。灰色がかった大きな瞳を十六夜に向け(目の下の隈はあいかわらずだ)、
「順調だそうです。石以外は」
 残念そうに言う。
 要領を得ないというか、はぐらかされていると言うか。あたしたちが現場に行かないときのゼンアミさんの進捗報告はいつもこれなのだ。
「姫様、石が立ちませぬ。聞き飽きたつーの」
 十六夜がゼンアミさんの口調を真似しながら不満げに言ってホット・チャイを鈴風に渡した。鈴風はそれを手にすると中を覗き込んだ。山椒でないか確かめたのだ。それを見た十六夜が、
「シナモンだから」
 と強めに言うと、
「よっく聞こえてました。シナモンでー!」
 と鈴風が大声で叫ぶ真似をしたので、
「聞こえるわけねーし」
 十六夜はぶすっとなって会議机に腰かけた。
 十六夜は以前、山椒アレルギーの鈴風に間違って山椒入りチャイを飲ませてしまったことがある。それを鈴風が毎度いじるのが園芸部でのお約束になっているのだが、十六夜は十六夜で、そういうノリが嫌いではなさそう。
「また枯山水の二の舞か」
 十六夜はアイスのビニールを破ると一口でこそいで食べしまい、
「ちっさ、10円だからってちいさすぎだろ」
 と手に残った棒を部室の端のごみ箱に放り投げた。その棒は放物線を描いて飛んだ先でゴミ箱用バスケットゴールボードに当たって見事に中に納まる。
「決まった! ブザービーター」
 と十六夜が大喜びで叫ぶ。一応拍手する園芸部のその他二人。十六夜は同じようにごみクズを蹴り入れた時は、
「決まった! ハットトリック」
 と叫ぶ。ブザービーターとハットトリック。十六夜はどちらのことも特殊技名と勘違いしているようだが深くは追及しない。
「あいつは来た?」
 十六夜が鈴風に尋ねた。あいつとはプロジェクトのSIer(元請け)、ヤオマンHD社長、伊礼(かい)氏のことだ。
「いいえ。今日はゼンアミさんと配下の庭師の方たちだけでした」
 それを聞いた十六夜はブースに首を突っ込んでモニターに向かい、
「プロジェクト全体のロックイン履歴見せて」
 と言った。
「鈴風が来て急いで出てったのかも」
 真っ黒に変化したモニターにプロンプト文字が並び24時間以内にロックインした人の一覧が表示されたが、その中に伊礼社長を示すアイコンはなかった。
「なんとでも偽装できるからな」
 園芸部にとって伊礼社長は大恩人だ。部活動のメインフィールドがヤオマンHDの子会社YSS(ヤオマン・システム・ソリューションズ)が開発運用するローカル・メタバース、ゴリゴリバースであるところからして依存度が分かると言うものだ。
 しかし、ヤオマンHD創業家の御令嬢としての前園十六夜には不倶戴天の敵。
「あたしがもっと早く生まれてたら、ママは今でも社長だった」
 と言っていたことがある。十六夜のママは現在もヤオマンHDの会長なのだが、どうやら派閥争いで社長の座を追われたということらしい。とまれ、部外者で一般人のあたしにはよくわからないことなのだった。
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