第95話 追撃の蛭人間

文字数 3,275文字

「夏波、気分はどう?」
 冬凪が心配そうな顔で聞いてきた。満月はすでに真上にあって本当ならば潮時の今、あたしは鬼子に発現していていいはずだった。でも、全然いつもと変わりがない。
「平気だよ」
 冬凪が少し笑顔になった。それまではあたしの顔をチラ見してはため息をついていたのだった。
 牛乳配達の無人自転車がどこへ向かっているのか不安でずっと難しい顔をしていたのだった。それは鈴風も一緒で当然あたしも同じ気持ちだった。
 青墓の杜はその暗黒の懐にあたしたちを招き入れようとしていた。それはまるでクロヒョウが捕獲した子ガゼルを食わずに弄ぶような魔性の邪気を感じさせた。ブンガク的に言うとそんな感じ。
 青墓に一歩踏み込むと気温が4度下がったようでブルッとした。ここまで小走りしてきてかいた汗が急に引いて緊張が増した。無人自転車はブナやコナラの間の小道に入っていく。朽ちた枯葉が積もったままの路面は踏むと少し沈む気がした。道に踏み入れて少し行くと転びそうになった。生い茂った下草に足を取られたからだった。道脇の暗闇に目をこらすと何かがこっちを見ている気がした。無人自転車の明かりが切り取る暗闇の際まで何かが迫っている気がした。道のすぐばで何かがガサガサと蠢く音がしていたのもそうだけど、外から見えた得体の知れないものの姿が頭から離れなかったからだった。
「蛭人間って青墓にいつもいるわけじゃないよね」
 冬凪に聞いてみた。
「どうなんだろう。鈴風さんは知ってる?」
「いますよ。ヤオマンが管理しきれず野生化してるのが」
 野生化ってどういうこと?
 無人自転車は放れ犬のようにひたすらどこかを目指して走り続けていた。時折牛乳ビンがガチャガチャ鳴ると何かの警戒音のようでビクッとした。気づくと無人自転車の声がいつの間にか、
「わがちをふふめおにこらや」
 とはっきり聞こえるようになっていた。自転車の真上に燐光がかすかに灯り無人だと思っていた運転手の姿がうすぼんやり見えていた。その姿はヘルメットを被り着ているTシャツはボロボロに破れ下半分は血に染まっていた。ペダルを漕ぐ足がどうなっているのかは燐光が届かず分からなかった。
「誰?」
 冬凪に聞いたつもりだったのに、無人の運転手が振り向いてヘルメットの中から血走った目であたしを見ると、
「オレは夕霧太夫の知り合いだ。お前たちを母宮木野の墓所に連れて行くように言いつけられてる」
「墓所の場所を知ってるの?」
 無人の運転手はそれには答えずまた前を向いて、
「わがちをふふめおにこらや」
 と始めてしまった。すると鈴風が、
「青墓の最奥部にあると言われています」
「そこでエニシの切り替えをするの?」
「わかりません」
 クロエちゃんに急かされて牛乳配達屋さんを追いかけて来てしまったけれど、そもそもなんでエニシの切り替えをしなければいけないのかも分からなかった。
 タワマンに戻って来たのは、辻川町長に十六夜へ辿り着くヒントを教えてもらうためだった。そこへユウさんの指を持ってクロエちゃんが登場した。さらに十六夜から託されたあの世へ渡る石舟の出現。あの世に渡るには段取りが必要で、そのためにはエニシの切り替えが必要と言われた。
 それらを全部ひっくるめて考えると、やっぱりずっと前からあたしはホワイトラビットに引きずり回されていたらしい。みんなしらっとしてるけど何が起こっているか知っていてあたしだけが何も分からず闇雲に動き回ってる感。いつものことだけど。
 めちっちゃ見る夢。どこかの、駅が見える丘の上であたしは汽車が来るのを待ってる。丘の上は青い芝生に覆われ吹く風が爽やかに頬を撫でてゆく。これからあたしは生まれ育ったこの街を後にして旅立つのだ。周りにはミユキ母さんやクロエちゃん、冬凪、それに響先生と遊佐先生も見送りに来てくれている。でもあたしはこれから自分がどこへ行くのかを知らない。
 遠くから汽笛の音が聞こえてくる。
「夏波そろそろ」
 ミユキ母さんが笑顔で駅への斜面を歩き出す。あたしは不安になってその背中に、
「ミユキ母さん。あたしどこ行くんだっけ?」
 それを聞いたクロエちゃんが、
「ここに来て冗談かよ。ふざけてっと乗り遅れるよ」
 みんなも笑顔のままで、あたしの心配なんかかまってくれそうにない。そこで冬凪にこそっと、
「あたしってばどこ行くんだっけ」
 と聞くと、
「マジで言ってる? hogehogeじゃんよ」(死語構文)
 そこであたしはキレて叫ぶ。
「いっつもそうだよね。みんな知ってるのにあたしだけが知らない。どうしてみんなあたしに大事なこと教えてくれないの?」
 みんなのビックリした顔が恐怖に歪んでゆく。まるであたしがヒダルだと気づいたかのように。
 そこで目が覚める。大概大汗かいてる。
 青墓の杜に入ってもうずいぶん経ったような気がしていた。リング端末で時間を見ようと思ったらノイズ画面しか映し出されなかった。冬凪がそれに気づいて言った。
「なんか変」
 すると、「無人」自転車を運転するヘルメット男が振り向いて、
「少しスピードを上げる。走ってついてこい」
 と立ち漕ぎになった。やな予感がした。冬凪がらこっちを見ていた。同じ気がしていることがわかった。鈴風が道脇の暗闇を指して、
「森の中に何かいます」
 枝を低く垂れ込めた木々の向こうに小さな黄色い光が見えた。それも暗闇を塗りつぶす勢いで無数に。
「蛭人間だ。後ろ! カーミラ亜種」
 ヘルメット男が言う間もなく、三つ編みツインテにセーラー服の蛭人間がブッシュの中から飛び出して来た。ギラギラ光る鎌爪があたしの目の前をかすめる。
「次来るぞ! 改・ドラキュラ」
 冬凪の声で横を見ると坊主頭でセーラー服とプリーツかっちり入ったスカートの間からメタボ腹が突き出た蛭人間が迫っていた。振りかざした鎌爪があたしの袖を引き裂く。二の腕に痛みが走る。
「まひの制服が!」
 鈴風が悲鳴をあげる。そっち? 鬼子になってすでにウエストばっつん袖口ぼろぼろだし。
 その後も坊主頭と三つ編みツインテのセーラー服が次々に襲ってきた。蛭人間たちは下草を掻き分け暗闇から間断なく攻撃を仕掛けてくる。冬凪を先頭に鈴風が右の、あたしが左の蛭人間の攻撃を交わしつつスピード増し増しの「無人」自転車を追いかける。息が苦しくなる。足がもつれ始める。もう限界かも。左腕を見ると血に染まっていた。瀉血が頭をよぎる。鬼子に発現すればこんな連中……。
「夏波、変な気起こさないの。これくらいぶっちぎれる」
 冬凪に見透かされていた。枯れ葉が積もった道を全速力で駆け抜けるしかなさそうだった。
 追いかけてくる蛭人間ばかりに気を取られていたら、改・ドラキュラが左前方から飛び出して来た。咄嗟のことで頭上に迫る鎌爪避けられそうになかった。あたしは身を固くして斬撃を待った。けれど鎌爪が当たる直前、改・ドラキュラはメタボ腹が手すりの角に当たって弾き返され、あたしは無事だった。手すり? 何の手すり? 知らないうちにあたしたちを囲うように鉄の手すりがあった。さらに足元の枯れ葉の道がモコモコと持ち上がってきていた。
「なに?」
「なんか、土の中から出て来てる」
 出て来たのは二畳ほどの板だった。その板を囲うように鉄の柵があって、両脇にゴムタイヤの車輪が付いていた。ローマの戦車のようなそれが冬凪と鈴風とあたしを乗せて「無人」自転車に連結されていた。
「これリアカーです。昭和の牛乳配達は自転車でリアカーを引いてました」
 なぜか昭和に詳しい鈴風のことはスルー。
「しっかり掴まってろ! アイドルさんたちよ!!」
 リアカー付き「無人」自転車は急勾配の坂をうなりを上げて降り始めていた。そこはV字谷の底を流れる川が干上がったような、ごろた石ばかりの場所だった。ヘルメット男は何度も巨大な岩を自転車とリアカーを傾けてギリギリで避けながら、どんどんスピードを上げて下って行く。いつの間にか蛭人間たちをぶっちぎっていて、そのままリアカーごとあたしたちは枯れ葉の吹き溜まりに突っ込んだのだった。

 
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