シスターウルフの恋人 8/17

文字数 2,435文字




 強化装甲(パワードアーマー)が前方に両腕を伸ばし、低い姿勢でエリスに突進して来る。後方には蹴散らされた土と芝生が渦を巻き舞い踊る。
 エリスは前後に足を開きやや前傾姿勢になった。そして突進する重量級の機体の鋼鉄の腕を、自身の二本の腕で正面からまともに受け止めた。その瞬間重々しい激突音が響き渡る。
 エリスの両足は大地に食い込み微動だにしない。強化装甲はびくとも動かず前進できない。バーニアは出力を増し、甲高い轟音を発し後方に長く伸びる青白い火炎の尾を引く。機体の無骨な軍用タイヤは虚しく空転し、土を掘り起こし芝生を撒き散らすのみだ。
「うっそだろーっ、この体格差と質量差だぜっ」
 エリスの身長は通常時160センチに満たない。獣人化時は190センチを超えるが、対する強化装甲はエリスの身長の二倍以上の四メートルだ。
 体重は本人の強い希望もあり、非公開のトップシークレットとなっている。しかし、当然ながら強化装甲の総重量10トンには遥か遠く及ばない。
 強化装甲に比して、エリスのなんと小さき事か。この光景を目撃すれば、誰もが驚愕に目を見開く事だろう。まるでか弱い小さな子供が、ごついマッチョなボディービルダーの前進を(はば)んでいるかのようにも見えるからだ。

 パイロットはこの有り得ない事態にたまらず機体を急上昇させ、数メートル後方に飛び退く。
「くそっ、これならばっ」
 強化装甲の背中のウェポンラックのロックが外れた。掴み取った幅広の実体剣を機体の右手に持ち、急加速で再突進する。
 右下に構えた大剣を振りかぶり、上段から左斜め下に風を巻いて鋭く切り込む。エリスは軽くジャンプしてかわす。切り裂かれた大地から爆発したかのように土砂が激しく吹き上がる。土砂が激しく吹き出したのは、この実体剣が高周波振動しているためだ。この高周波振動により分厚い鋼鉄板でさえ容易(たやす)く両断する事ができるのだ。
 さらに強化装甲は左上方からエリスに斬りかかる。彼女は右に飛び退いてかわした。またもや土砂が吹き上がるが、視界を遮る土砂のスクリーンの中から、突然水平に大剣の鈍く輝く切っ先が現れた。剣を振り下ろし、大量の土砂が吹き上がった瞬間に強引に剣の軌道を捻じ曲げたのだ。機体にかかる負荷はかなり大きいはずだ。

 エリスの首筋めがけて唸りを上げた大剣が迫る。
「もらったー!」
 パイロットは確信を持って叫んだが、次の瞬間機体が大きくガクンと急停止した。フルハーネスのシートベルトが無かったら、確実にパイロットは計器盤に頭を強打していた。普通人なら頭蓋骨粉砕レベルの衝撃だ。それほどの強烈な慣性力を伴った予期せぬ急制動だった。
「何だ、何が起こった?」
 機体のメインスクリーンに映し出されたのは、口で大剣を受け止めたエリスの姿だった。
「馬鹿なっ! 高周波振動剣だぞっ! 口で受け止められる生物など存在してたまるかっ!」
 エリスは赤く燃える目で機体のメインカメラを見つめ、口の端を歪めてにやりと笑う。口からは鋭い牙の歯列が覗く。彼女の牙もまた、さらに強力な高周波振動を発する牙だったのだ。
 耳をつんざく不快な高周波音の二重奏の中、エリスはその強靭な顎で一気に剣を噛み砕いた。折られて飛んだ剣先が傍らの巨木に突き刺さる。幹が揺れ、大量の青葉を散らす。

 パイロットは折られた剣を力任せにエリスに投げ付けるが、当然のように軽くかわされる。投げられた剣は数回バウンドして土を掘り起こし、深い溝を作りながらやっと停止する。
「はははっ、世の中にゃとんでもねえバケモンがいるもんだな。くっそ面白くなってきやがった」

 強化装甲の右手首上面から半回転してU字型のパーツが(こぶし)の正面で固定された。パーツには先端が鋭い四個の突起物が並んで設置されている。メリケンサックに似た構造のこのパーツは、打撃の威力を倍増させるためのものだ。対象物に当たった瞬間にこの突起物を爆発させる、衝撃破砕機(インパクトブレイカー)としても使用できる。
 機体が急加速して前進し、低い位置からえぐるようにして右腕を振り上げる。
 エリスが左に飛び退いた瞬間、左腕が横薙ぎに振られた。左手首上のポイントを中心として腕に沿って収納されていた、巨大なチェーンソーが180度回転して展開される。
 唸りを上げて高速で回転するチェーンソーの刃がエリスを捉えた。一瞬の凄まじい音。不規則な回転を伴ってエリスは空中へと弾き飛ばされる。
 足から地面に叩きつけられるエリス。右胸には弾けてズタズタになった深い傷跡。噴き出す鮮血。右腕は消失している。

 チェーンソーの高速回転する無数の刃は超硬質金属で鍛造されており、表面には細かい人造ダイヤモンドの粒子が塗り込まれている。目の粗いヤスリ状の刃は、建造物や車両などを高速で切り刻む性能を持つ。

 空を見上げるエリス。すでに出血は止まっている。空高く切り飛ばされた右腕は、未だ空中にある。その場で跳躍する。
「おいおい、わざわざ千切れた腕なんか回収しなくても、くっ付く訳じゃなし……まさか付くのか?!」
 エリスは空中で右腕をキャッチした。迫り来る巨大チェーンソーを身を捻ってかわし、高速回転するソーチェーンのガイドバーの側面を蹴って地上に降り立った。
 素早く右腕を傷口に押し当てる。傷口の筋肉がまるで別種の生き物のように(うごめ)き、のたうちながら千切れた右腕を包み込む。幾つもの大小の水疱状に膨れ上がった筋肉が収縮を繰り返し蠢き続ける。
 ゴキゴキと異音を発し骨が繋がる。血管と神経組織が接合する。筋組織が修復される。苦痛に歪むエリスの表情。
 彼女は繋がった右腕を数回開いて閉じる。胸の傷もすでに修復は完了している。
 エリスのこの驚異的な治癒能力は、人間体から獣人化兵へと変化させる特殊強化細胞の働きによるものだ。だが、これは最初から意図して付加された能力ではない。言わば副次的に偶然生まれた能力だ。現在研究中ではあるが、すべての獣人化兵が持つ能力ではない。今のところこの特殊能力を持つ者はエリスだけだ。



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