シスターウルフの恋人 4/17
文字数 2,040文字
― ザルガス邸上空 ―
肉眼では容易に視認できないほどの高度。晴れ渡った青い大空に数十匹の小型コウモリの群れが舞う。通常ならば漆黒の夜の闇を舞台に活動するはずの彼らが、朝の爽やかな大気の中を舞い踊る。
その群れが
― ザルガス邸付近の地中 ―
屋敷に供給される電力ケーブルと通信用の光ケーブルが地下1メートルほどに並んで埋設されている。
そのケーブルの下、地中を難無く高速で掘り進む事ができる巨大なスコップ状の両手を備える
電波遮断ドームの形成完了の報を受け、今巨大な右手がケーブルに振り下ろされようとしている。
― ザルガス邸の裏手100メートル地点 ―
密集した低木の陰に潜むエリスとアレン。風にざわめく深い森の木々の葉。清々しい森の空気の香り。どこからか聞こえて来る枯葉を踏む小動物の足音と鳥達のさえずり。
「エリス、電波遮断ドームが形成された。地中の通信と電力ケーブルもすぐに切断される。準備はいいかい?」
「ええ、準備万端よ。――あ、ひとつ準備不足」
「え?」
「ほら、あそこ」
エリスが近くの巨木の先端を指さす。
「どこ?」
アレン視線を向け顔を上げた瞬間、彼女は素早く膝を曲げ、狼に変化した顔でアレンに口づけをした。
「うっ」
「んんっ……」
通常はアレンより身長が低いエリスだが、今は獣人化により彼より頭ひとつ分背が高い。
最後にエリスは長い舌でアレンの唇を軽くぺろりと舐める。
「うん、よしっ。これで完全に準備万端」
「食べられるかと思った」
「食べないわよー」
「ははっ」
「うふふっ」
アレンが腕に巻かれた多目的時計に目をやる。あと30秒で午前九時、作戦開始時刻だ。
「電力ケーブルが切断されてもすぐに自家発電に切り替わるはずだ。塀の上に流れる高圧電流が切れる事はないかもしれない。要注意で潜入しよう」
「自家発電装置はなんで壊さないのかしら。蜘蛛さんの子グモなら簡単に破壊できるはずなのに」
「それはこの作戦がザルガスを倒すだけじゃなく、君の戦闘データの収集にもあるからじゃないか?」
「そうね。防衛装置が全部止まったら戦闘が減るかもしれないし」
「必要があればぼくらで壊してもいい」
「うん」
高さ5メートルの塀の上に等間隔で並んだ監視カメラ。エリス達が侵入予定の屋敷の裏手の範囲を監視する二つのカメラに、徐々に中型グモが群がり視界を塞ぐ。電力切断ですぐに気付かれるはずだが、
土竜型獣人化兵による電力と通信ケーブルの切断のカウントダウンが始まる。
切断と同時に侵入作戦はスタートする。エリスが低い体勢で身構える。
アレンは首の後ろにフードのように折り畳まれていた戦闘ヘルメットを展開し装着する。頭部にフィットするような軽く薄いヘルメットだが高強度を誇る。頭頂部からシールド、つま先まで全てが漆黒。そこに部分的に細い真紅のラインが走る防護スーツ。背中にはストックを折り畳んだ光学式小銃をスリングで背負っている。積極的に戦闘に参加する事を禁じられているアレンはスーツの上に隠密行動用の迷彩ポンチョを羽織ったままだ。
「5,4,3、2、1……」
カウントゼロで二人は一斉に走り出す。
獣人化により脚力を常人の数十倍に高めたエリスは、100メートルを5秒以下で駆け抜ける。大木の生い茂る森の中に立ちはだかる木々の間を俊敏にすり抜け、雑草と細い低木をなぎ倒し、鋭い足の爪を大地に食い込ませ土を激しく蹴り飛ばしながら稲妻のように疾走する。
防護スーツのアレンも筋力増幅装置の力を借りてエリスに追従する。未舗装の大地で威力を発揮する靴底のクロースパイクが土に食い込み速力を上げる。
エリスとアレンがほぼ同時にジャンプして高さ5メートルの塀を飛び越えた。高圧電流の流れる上面部分に触れる事はない。
アレンは邸内に着地した瞬間に手入れが行き届いた、綺麗な刈り込みの庭木の陰に身を潜める。そして庭木の隙間からエリスの姿を追う。ヘルメットに内蔵されたカメラで彼女の姿を研究所に送信するのが主な役目として、アレンは同行を許可されたからだ。
屋敷の広い裏庭には美しく刈り込まれた芝生の緑の絨毯が広がる。
事前に入手していた航空写真によると、正面玄関前に広がる庭園には各種の花々が植えられた、手の込んだ豪華な花壇や噴水などがあった。裏庭はそれに比べるとシンプルではあるが、シンプルさゆえの美しさを備えている。
アレンのカメラに映るエリスは右足を少し引き、軽く両手を開いて低い姿勢で戦闘態勢をとる。
彼女の前には一人の完全武装の傭兵の姿があった。