シスターウルフの恋人 12/17

文字数 2,893文字




 返り血を大量に浴び、血まみれの姿で厨房から長い廊下へと出たエリス。最大目標のザルガスはまだ屋敷内に居るはずだ。だが、どの部屋に潜伏しているのかは分からない。意外な場所に隠れているかも知れない。
 蜘蛛型獣人化兵の小型監視グモならば、ザルガスの居場所をすでに把握済みのはずだが、エリスにはその情報が提供されていない。自分自身で探し出せという事なのだろう。それも実戦テストの一環なのだ。
 ザルガスの屋敷は広く、大小幾つもの部屋がある。エリスは手あたり次第に各部屋を捜索したが、屋敷の住人は誰一人発見できない。使用人は先程の厨房に立て籠もっていたのが全てだったのかもしれない。


 探索を続けた結果、人を見つけた。エリスが今出て来た部屋は監視カメラのモニタールームだった。室内には二人の男がいた。しかし、エリスの鉄球によって機械装置ごと一瞬で貫かれて倒された。一人はこの屋敷の通常の警備員のようだったが、もう一人は戦闘服に身を包んだ傭兵だった。だがこの傭兵はサイボーグではなく普通の生身の人間であった。戦闘ではなく監視や通信などの雑務をこなす、民間軍事会社の人間だったのかも知れない。

 幾つめかの部屋のドアを押し開け、エリスが室内に一歩踏み込んだ。その瞬間、エリスの頭上から高速で振り下ろされた大型ナイフの一閃が襲った。


 ―*―*―*―*―


 アレンは小銃を構えながら、エリスが破壊した裏口の扉から屋敷内へと侵入していた。足を一歩踏み入れた途端に、空気に漂う濃密な血臭を嗅いだ。頭部に密着する薄型ヘルメットのシールドは、少し上方にスライドさせて口の部分は露出している。
 血臭を辿り、厨房の入り口へと歩を進める。入り口には、厨房内から出て廊下の奥へと続く、人のものとは明らかに違う異形の赤黒いシミが残されている。エリスの足跡だ。その足跡には、まとわり付くようにして赤黒いシミが点々と付き従う。返り血を全身に浴び、血の広がる床を踏みしめたエリスの軌跡だ。真っ赤な鮮血が時間経過と共に限りなく黒に近い赤色へと変色している。

 厨房内に足を踏み入れたアレンは口元を手で塞いだ。余りにもむごたらしい凄惨な室内の様子に思わず吐き気を(もよお)したからだ。
 室内は廊下よりも更に濃密な血臭が充満している。アレンはシールドを下ろし、フィルターを通した呼吸に切り替えた。
「これをエリスがやったのか……まだ若い娘さん達まで……」
 アレンは自分と同じくらいの年頃のメイド達の亡骸(なきがら)を見て心を痛める。
 厨房内の天井や壁には大量に飛び散った血の痕と共に、数本の鋭い包丁が突き刺さり、固まりかけて粘つく黒血が広がる床にも包丁が落ちている。血だまりの中に顔を沈めた執事の手には、小型拳銃が握られたままだ。
「エリスに攻撃してしまったんだな。何もしなければ生き残れたものを」
 アレンは両手を合わせ指を組む。
「皆さんすまない。普段のエリスはこんな事のできる子じゃないんだ。謝って済む事じゃないが、僕が代わりにお詫びします。できるなら皆さんの魂が天国で心安らかにすごせますように」
 祈りの言葉や作法など知らないアレンだったが、彼なりの祈りを捧げて黙祷(もくとう)する。
 花でもあれば手向(たむ)けたいと思い周囲を見回すアレン。生憎(あいにく)ここには食料品以外の物は無さそうだ。
 そして彼はやるせない気持ちのまま、エリスを追うべく厨房を後にした。


 ―*―*―*―*―


 エリスは振り下ろされたナイフを寸前で(かわ)し、そのまま室内に転がり込んだ。
 かわいらしい白とピンクの壁紙が貼られた広い室内には、多くのぬいぐるみと玩具(おもちゃ)が並べられ、本棚には絵本、部屋の隅にはカラフルな滑り台が置かれている。ザルガスのまだ幼い一人娘の子供部屋のようだ。

 両手に一本づつの大型ナイフを握って構えるのは黒ずくめの長身の女だ。
 顔には目の位置に二つの細いスリットが空いた鋼鉄の面を付けている。その面は顔の前面だけを覆い、頭頂部と側面に取り付けられた太い革ベルトで固定されている。
 グラマラスで妖艶な姿態(したい)には、身体のラインがくっきりと浮かび上がるしなやかな黒革のつなぎを(まと)い、長く艶やかな黒髪をなびかせている。
 女の全身からは、静かなる闘気と殺気が立ち昇る。
 傭兵達とは服装が違うが、同じ民間軍事会社の仲間なのかは不明だ。

 女が素早く動く。両手のナイフが空気を切り裂き、唸りを上げてエリスの顔面を襲う。
 身を反らせてかわすエリス。だが、かわしたはずのエリスの頬がぱっくりと割れる。噴き出す鮮血。
 なおも女のナイフの猛攻がエリスを襲う。空中に描かれる無数の斬撃の銀光の軌跡。その無数の斬撃を辛くもかわし後退するエリス。反撃の隙を与えない、それほどの女の凄まじい猛攻だ。

 唐突に女の攻撃が停止した。両手のナイフをだらりと垂らす。まるで自分に攻撃を仕掛けてみろと誘っているように見える。
 それに答えるかのように鋭い連続した突きを放ったエリス。だが、その突きはナイフのグリップを握った女の(こぶし)でことごとく叩き落とされた。

 やはりそうだ。エリスの目の前に立つこの女は、強化装甲のパイロットのゲイルなどよりも遥かに戦闘力が高い。パワーもスピードも桁違いだ。かなり高度なレベルでの強化改造を施されているに違いない。エリスと互角か、ひょっとするとエリスを上回る性能なのか。


 女がエリスの実力はもう理解したと言わんばかりに肉迫し、両手のナイフで連続して切り付ける。ナイフを振るうその速度は、常人では視認できないほどの速さだ。ただ幾筋もの無数の閃光が宙に踊っているとしか目には映らないだろう。
 エリスは超高周波振動する爪を最大限まで伸長させて防ごうとするが、その爪の何本かが切り飛ばされ、さらに腕や胸、腹にも複数の裂傷を負わされた。
 たまらずエリスは後方に飛び退く。切られた数か所のえぐられた肉は垂れ下がり、傷口からはおびただしい鮮血が(ほとばし)る。

 腰のケースに手を伸ばし、手に取った数個の鉄球を連続で撃ち出すエリス。
 しかし、超高速で飛来する鉄球の全てを、女は握ったナイフで後方に弾き飛ばした。壁と天井に轟音を放って幾つもの巨大な着弾痕が形成される。
 高速で飛来する鉄球にナイフを当てるだけでも極めて至難な技だ。しかも大型ナイフのブレードは肉厚のフルタング構造ではあるが、エリスの鉄球がまともに当たれば一撃で粉砕されるはずだ。だがこの女はブレードに負荷がかからないように、ナイフの側面を絶妙な角度に瞬時に調整し、当たった鉄球の軌道だけを少し変化させ後方に弾き飛ばしているのだ。恐るべき技量の持ち主であると言えるだろう。
 それを可能とさせる高感度動体センサー、超高速の情報処理能力、反応速度。その全てが桁違いの技術レベルの元で創造されている。いったい、何処の何者が何の目的でこの女を造り上げたのであろうか。研究所ではこのような高性能なサイボーグの存在を、はたして知りえていたのかどうか――。


 女は腰の裏に床と平行に装着している(シース)に、右手に持っていたナイフを収めた。そして、ナイフと同様腰の後ろに束ねて取り付けていた長い(むち)をその手に掴み取る。



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