シスターウルフの恋人 10/17
文字数 2,913文字
すれ違いざまに両者が放った、重い打撃音が響き渡る。
ゲイルのアッパーぎみの右フックがエリスのみぞおちに強烈に食い込み、エリスの
切り裂かれた戦闘服から覗く彼の胸は、身体の表面を覆う人造筋肉が弾け、内部の複雑に絡み合った金属パーツが顔を出している。
「へっ、一撃でこれかよ。まあ、表面の筋肉なんざただの飾りだがな」
連続して重く強烈な左右のパンチを繰り出すゲイル。そのパンチをしなやかな
攻撃に転じたエリスがゲイルの身体の複数個所に連続した突きを放つ。鋭く放たれる突きを寸前でかわすゲイル。かすめた拳で彼のヘルメットが砕け散り、露出した金色の髪が陽光を反射して
ゲイルの左フックがエリスの脇腹を狙う。弾かれる。右ストレートが顔面を襲う。またも弾かれた。その瞬間に左手が彼女の喉に喰い込む。もつれるようにして股間に彼の膝の強打が打ち込まれた。男性相手ならこの一撃で相手は失神するか悶絶するが、女性相手でも神経の集中した股間への攻撃は有効だ。
ゲイルは素早くエリスの背後に回り込み、右手で彼女の喉を強く締め上げ、左手の指先を眼球にねじ込ませようとする。
人体の急所ばかりを狙い続ける。これは軍隊で叩き込まれた近接格闘術の殺人技の数々だ。戦場にはスポーツのようなルールなどない。反則技は存在しない。いかにしたら素早く効率的に相手の身体を破壊し、命を奪えるかが重要なのだ。
ゲイルは右手に渾身の力を込めてエリスの首を絞め続ける。そして眼球に喰い込ませていた左手を腰へと伸ばし、素早く大型銃剣を抜き取った。素手でのタイマン勝負宣言など殺し合いになれば無視するのは当然だ。戦場では反則技などないのだから。
銃剣から灼熱の閃光が
振り下ろされた銃剣が頭頂に達する寸前、彼女の左手がゲイルの手首を素早く受け止めた。切っ先の熱でエリスの頭髪から焦げ臭い臭いと煙が立ち昇る。
ミシミシと異音を放つゲイルの手首。腕の内部配線がショートして飛び散る火花。苦悶に歪む男の顔。たまらず手放した銃剣が地面に突き刺さり、芝生を一瞬で発火させ土を融解させる。
エリスは首に深く喰い込むゲイルの右腕の下に、爪を立てた自分の右手を無理やり突っ込んだ。鮮血が噴き出すのにもかまわず、自分の喉をえぐりながら血まみれの右手で彼の腕を掴むと、強引に首から引き剥がした。
そのまま左手で掴んでいた彼の左手をねじり上げ、足の爪を彼の太ももに喰い込ませると一気に肩に飛び乗る。そして掴んだ腕を恐るべき怪力で自分の身体ごと上方に引っ張り上げた。
肩関節が砕け散る金属音。強化骨格と内部機構がねじ曲げられ歪み、異様な怪音を発する。表面を覆う人造筋肉が限界を超えて弾け飛ぶ。動力パイプと配線が引き千切られ、千切れた複数のチューブからどす黒いオイルが噴き出した。
素早くゲイルから飛び降りたエリスはすかさず廻し蹴りを放つ。その速度は音速を超え、凄まじい衝撃波が発生する。腰に蹴りをまともに受けた彼の下半身は瞬間的に爆散した。
彼の腹部と下半身を構成していた部品はバラバラになり細かく砕け、四方の広範囲に飛び散った。一瞬遅れて胸から上の上半身が地響きを立てて地上に落下する。
戦闘後の静寂が訪れる。
エリスは仰向けに横たわるゲイルの顔を覗き込んだ。彼女の両目の下には赤い血の涙が流れた
ゲイルの身体をつま先で蹴り、生命反応が完全に停止しているのを確認する。そしてまだ手にしていた彼の左手を地面に投げ捨て、エリスは静かにその場から歩み去った。
庭木の陰から数匹の虫の
「あー、やっぱ勝てなかったかー」
エリスが去ってしばらくしてからその声は聞こえた。
声が発せられたのは死んだはずのゲイルの上半身からだ。
「必殺死んだふり! 俺の得意技さ」
彼は一時的に身体の全機能を停止させ、自分を死体であると
ゲイルは残った右手で左胸のポケットから煙草の箱を引っ張り出す。ソフトパッケージの煙草はぐしゃぐしゃに潰れているが、そこから一本を歯で
「ああうめえー。生きてるって幸せだなー」
彼は全身が機械化されていても煙草の味が分かる高性能なサイボーグであるらしい。
口に咥えた煙草から右手を放し、その手を胸に沿って下に伸ばす。
「あ、そうか。下半身は吹っ飛んじまったんだ。ズボンのポケットに入ってたスキットルもかぁ~」
スキットルとは、ウイスキーなどを入れる金属製の小型で薄型の携帯容器の事だ。側面は緩い曲面状で身体にフィットするようにできている。
「あーーっ酒が飲みてーなー。飲みてえよぉ~~っっ」
高性能である。
ザルガス邸内の庭木の茂みに潜むアレン。エリスの戦いを望遠カメラを使い記録していたが、その余りにも凄まじい戦いの数々を見せつけられ、彼は言葉もなくただ見つめている事しかできなかった。
エリスはすぐにでも屋敷内へ侵入するだろう。アレンは茂みを抜け出し彼女を追う。
緑の芝生を疾走するアレン。激しい戦いが終わった後の芝生の上には、無数の変形した部品が散乱し、大小の深い穴が点在する。
無残に破壊された一人の傭兵の横を通り抜けようとした時、彼の足はそこで止まった。
横たわるのは首から下が胸部と右腕だけとなった傭兵。強化装甲のパイロットだ。
「えっ」
「あ」
アレンの濃い黒のシールド越しにゲイルの青い瞳と目が合った。ゲイルの口には紫煙が立ち昇る煙草に、右手が添えられ咥えられている。
アレンが高出力の光学式小銃をゲイルの頭部にポイントする。
「し……死ぬ前の最後の一服、う、美味かったぜ……」
右手をがくがくと震わせ、そう言い終わる前にゲイルの身体の数か所から火花が飛び散り、連続した爆発が起こる。
右腕が力なく地に落ちた。薄く開かれた唇から火がついたままの煙草が離れ転がり落ちる。うなだれた頭の両目は静かに閉じられている。
「…………」
アレンは構えていた銃を降ろし、エリスが侵入したであろう裏口に向かって走り出す。
「死んだふりパート2。あーくそっ侵入者はもう一人いやがったか」
ゲイルは目を開き、異音を放ち震える右手で地に落ちた煙草を拾い上げ咥え直す。
「ちっ、今の負荷でかなり身体にガタが来た」
彼は身体の各部に無理やり高負荷をかけ、幾つかのパーツを爆発させたのだろう。
「早く回収してくんねーかなー。こりゃキツイぜ」