(十三)

文字数 1,992文字

 胸壁(きょうへき)を乗り越えたところには、滅多切りにされた味方の死体が数体あった。最初に胸壁を乗り越えた兵士らが、大網(おおあみ)(つな)を切り落とされないよう、ここで死守したのだろう。
 砦の内部に詳しい(ばん)長林(ちょうりん)は、向かってくる敵兵を弾き飛ばしながら、部下を引き連れて前進していく。普段の、けだるそうな歩き方や、眠そうな眼からは想像できない強さと敏捷さだった。なぜ潘長林が、石堡城(せきほじょう)の数少ない生き残りなのかを、リョウは()の当たりにした。
 潘に続く兵士らも、()りすぐりの精鋭なのだろう。十人で五十人を相手に、前進を続ける。雨風が強くなっり雷も鳴ってきた。顔に打ち付ける大粒の雨で、前も良く見えない。この状況が、味方に有利なのか、不利なのか、リョウには分からなかった。一人、二人と味方の兵も倒れていき、最後尾のリョウに斬りかかる敵兵も出てきて、リョウは短い剣で必死に応戦した。

 胸壁を乗り越えた場所は砦の前方なので、目指す門はすぐ近くにあった。門の内側には、門が押し開けられないよう、巨石が置かれていた。高さはリョウの胸まである。潘長林が、敵を倒しながらリョウを呼んだ。
「ここからがリョウの出番だ、何とかなるか?」
「やってみる」
 リョウは素早く石の周辺を調べ、続いて石に取りつき上に乗った。
「こんな石は、俺がいた時にはなかった。いったいどうやって運んだんだ」
 寄せる敵を退けながら、潘長林がぼやいていた。丸太を敷いて馬で引かせたのだろう、とリョウは思ったが、答えている余裕はなかった。城壁の上には、唐軍が侵入したことを知った吐蕃(とばん)の兵らが戻って来て、上から矢を射かけて来る。石の上に乗ったリョウの兜に矢が跳ねた。振り向きざまに石鑿を投げつけて一人倒したが、とても石を割れる状況ではなかった。
 そのとき、味方の兵士が二人、敵の盾を奪って石に上り、リョウを間に挟んで矢を防いだ。
―― こいつらは、本当に精鋭だ、突厥(とっくつ)で、こんな奴らと戦わなくて良かった
 リョウがそう思った時、吹き付ける強風の音に混じって、門の外から兵士の喚声も聞こえてきた。城壁の敵兵は、そちらへの対応に追われ始めている。夜陰に紛れて門に近づいていた褚誗(ちょてん)の部隊が、門に続く坂道を突進してきたのだ。もう、とっくに夜は明けただろう。それなのに、辺りは嵐のせいで、まるで未だ夜明け前のようだった。
「よし、ここだ」
 薄明かりの中で、大石の(へそ)の検討をつけたリョウは、破岩剣を取り出すと、巨石の一点を金槌で叩き始めた。最初は、小さく叩き、岩が欠けるとそこをさらに強く叩き、最後は全力で叩き続けた。カーン、カーン、カーンという音が、戦場に響き続ける。頭上に高く掲げた金槌を、高速で正確に石鑿(いしのみ)の柄の頭部に打ち付ける技は、リョウならではのものだった。リョウは強い風雨に(さら)されながらも、全身から汗が噴き出るのを感じた。時間にすれば、ほんのわずかの時間だったろうが、飛んで来る矢も忘れ、敵味方の喚声も聞こえず、リョウは石鑿を打ち付けることに没頭した。
 普通の石鑿より長い破岩剣が、巨石の上に突き刺さっていた。
大槌(おおづち)をくれ」
 大槌を持っていた身体の大きな兵は、自分が大槌を振るものと思って巨石に上ろうとした。しかし、リョウはそれを制して自分で大槌を受け取ると、両手でそれを持ち、巨石の上で構えた。大きく振りかぶったリョウの背後で稲妻が光り、雷鳴と共に振り下ろされた大槌は、正確に破岩剣の頭を捕らえ、巨石は真っ二つに割れた。
 
「よし、門を開けろ!」
 割れてごろりと転がった石を(てこ)で動かし、内側から門をわずかに開けると、褚誗(ちょてん)が飛び込んできた。
「よし、代われ、ここからは俺たちがやる。お前たちは、戻れ!」
 褚誗(ちょてん)の兵士たちと入れ替わりに、リョウは門の外に転がり出た。もう戦う力は残っていなかった。城壁を一緒によじ登った潘長林の兵士たちは、数名しか残っていないようだった。その兵士たちと一緒に、胸壁の間から放たれる敵の矢を避けながら、足を引きずって坂を駆け下りた。
―― これで石堡城は落とせたのだろうか
 そう思ったリョウだったが、達成感のようなものは何も無かった。行きがかり上、砦の攻撃に参加することを志願した。自分には戦の大義などありはしなかったが、自分をかわいがってくれた褚誗(ちょてん)を助けたいと思った。皇甫(こうほ)惟明(いめい)の話を聞き、助けなければと思った。そして自分には石を割るという能力があった。そんなものが一緒くたになって、いつの間にかまた、戦場の最前線に出てしまった。ただ、それが嫌だったわけではない。タンのように、兵士として戦えなくなったわけでもない。何だか分からないが、誰かの役に立っているという高揚した気持ちがあったことも事実だ。しかし、終わってしまえば、また誰かを殺したかもしれないという悔恨だけが残る。殺し合いに達成感が湧くはずがないな、リョウは、そんな冷めた気分で、兵が出払った軍営に戻った。



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