(十一)

文字数 2,080文字

 アユンは、タクバンがキョルクのことを「あちこち放浪して歩く変わり者」と言っていたことを思い出した。
「目が不自由なのに、キョルクはどうやって、いろいろなところに旅ができたの?」
「それについては、俺も親父に感謝している。目が見えないからと言って、世の中が見えないわけではない。あちこちで見聞を広めれば、目明きよりも真実が見えるようになる……、そう言って、従者を付けて諸外国を訪問する機会を作ってくれたんだ」
「へえー、この時代によくそんなことができたね、危なくないのかな」
「父は、可汗の側近だった。相手が奚にしろ、契丹にしろ、いつも戦争ばかりしているわけではない。唐との間も同じだ。互いに叩きあうのは愚かなことだ、ということはどちらも分かっている。そのときどきで、仲良くしたり戦争を仕掛けたり、要は自分たちに何が一番有利かの駆け引きをしている。それを外交という。正式な交渉に先立って、裏で根回しするのもよくあることだ。だから、使者がむやみやたらと殺されるわけではない、お互い様だからな」
「そういうものなのか。俺は、敵と見たらすぐ殺すのが、奚や契丹のやることだと思っていた」
「父はその外交のために、あちこちに行った。もちろん、唐にもな。俺はそういう時、父に同行させてもらった。その上、父が帰国してからも、政情が許せばその地に滞在して、いろいろな人の話を聞いてきた。まあ、一歩間違えば、人質として拘束され、殺されてもおかしくなかった。……もしかしたら、父はそれも承知で俺を置いてきたのかもしれないが」
 最後の言葉だけ、少し間があき、声音が暗くなったことがアユンは気になった。

「父上は、ご健在ですか?」
「いや、病気で亡くなり、族長は俺の兄が継いでいる。ただ、重要な会議には俺も出席して、兄を助けている。いろいろな言葉がわかるので、可汗が他国の使者に謁見(えっけん)するときにも、俺が立ち会っている」
「それなら、唐で何が起こっているのかも、知っているのか?」
「ああ、さまざまな情報が入ってくる。もう一年以上前になるが、昨年の正月に長安の都で一番話題になったのは、平盧(へいろ)節度使になって一年も経たない(あん)禄山(ろくざん)が、軍勢を引き連れて都に入り、皇帝(玄宗)から驃騎(ひょうき)大将軍の称号をもらったことだろう」
「平盧というのはどこら辺のことだ?」
「長安の遥か東北、奚や契丹と間近に対峙(たいじ)する辺りだ。唐の長城のすぐ南と言った方がわかりやすいかな」
「それで、その安禄山というのは、何者だ?」
「年の頃は俺と同じくらいで、安というのはソグド人が付ける名前だ。ソグド人の父と突厥(とっくつ)人の母を持つ武将だと聞いている」
「何だと、突厥人の母親だと。しかも父親も漢人ではないのか。それなら俺達の仲間ではないか」
「突厥人といっても、唐と突厥が接する国境地帯には、唐の戸籍になっている者も多い。何百年も前から勝ったり負けたりが続いていて、置き去りにされた突厥人や、自ら住み着いた漢人らが、混然と暮らしている」
「それじゃ、その安禄山という男は、どっち側の人間なのだ?」
「国という目で見ると、その(あた)りは今は唐であり、過去には突厥だったこともある。しかし、そこで暮らす人の目で見れば、どっちの国かなんていうことより、どうしたら飢えずに安全に暮らせるかということの方が大事だ。今は何十万人という突厥人がそこに住んでいるが、混血も進んでいる。安禄山もそういった一人だろう。それらの者たちを突厥人と見るのか、唐の人間と見るのか、はたまたそれ以外の何者かであると見るのか、これから唐の皇帝には、そこが大きな悩みになるだろうな」
「突厥人がそんなにも大勢、唐にいるというのは、俺には驚きだ。そう言えばキョルクと同じような立場の、阿布思(アフシ)という貴族が唐に(くだ)ったという話を聞いたな」
阿布思(アフシ)だけではない、もともと唐は鮮卑(せんぴ)族系の騎馬遊牧民が中心になって建国した国だ。建国直後に突厥から移り住んだ者も多い。阿布思(アフシ)も一族の幸せを考えて唐に行くことを選んだのだろう。本当は、唐に行ったら行ったで、苦労も多いだろうがな」
「キョルクは阿布思(アフシ)を悪く言わないんだな。可汗の側近がそんな物言いをしていいのか?誰かに聞かれたらまずいのではないか?」
「確かに、烏蘇米施可汗(オズミシュ・カガン)を(かつ)ぎ出した連中に聞かれたらひと悶着あるだろう。だが、あいつらは敗戦の責任を他人になすりつけ、この期に及んで自分の富や兵を増やそうとしている者たちだ。ほかの多くの者は、このままでは立ち行かないと思っている」
「俺の叔父、つまりソニバの義理の父親のタクバンのことだが、あいつはそんなことは何も考えずに、烏蘇米施可汗(オズミシュ・カガン)に取り入ろうと、キョルクとソニバの縁組を……」
 言い過ぎたことに気付いて、途中でアユンは慌てて口を閉ざしたが、キョルクは気にしなかった。
「それはそれで大いに結構、おかげで俺には、こんなに良い嫁ができた」
 そう言って笑うキョルクを、ソニバはうつむきながら上目で見ている。その口元が緩んでいるのを見て、アユンは、ソニバは幸せなんだろうなと、自分まで嬉しくなった。
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