(八)

文字数 1,943文字

 夏祭りの季節が来たが、前の可汗が殺され、新しい可汗の本拠地も東北の隅に追いやられている状況で、今年は中止となった。それでも、夏過ぎには、アユンの母とタクバンの結婚の儀式があり、その後、姉のソニバの結婚の儀式が執り行われることになった。本来なら婚約から結婚まで数か月を置くのが普通だが、戦時ということもあり、時間を置かずに進めることとなったのだ。

 タクバンは、妹の嫁ぎ先も決めたいようだったが、それは妹のためというよりは、自分のためだろうとアユンは思った。身分も高くなく、財産もさしてないタクバンの武器は、人の心を読むのに()け、口が上手いことだ。美人で知られるアユンの姉妹を使って、ビュクダグの、ひいてはそこにつながる貴族たちの歓心(かんしん)を買いたいのだろう。それだけではない、貴族との結婚ともなれば、結婚準備の資金として、婿(むこ)側から馬2頭,牛2頭,羊20頭のほか、金銀と絹布が花嫁側に贈られる。花嫁側も衣裳と家具、それに持参金を用意する必要があるが、貴族相手ではもらう方が多いのは明らかだった。 
 相手側としても、烏蘇米施可汗(オズミシュ・カガン)の周囲から潮が引くように前の可汗の取り巻きたちが消えていく中、積極的に近づいてくるタクバンは是が非でも仲間に引き入れたい存在なのだろう、とアユンは考えた。

 再婚する母の結婚の儀は、親族が集まって呪術師の祈りを受け、食事をするだけの簡素なものだった。父の死後まもないのに、タクバンの妻となることを受け入れた母にアユンは抵抗感があったが、それは部族の慣習でもあり、やむを得ないと割り切ることにした。それでも、タクバンと話す母の表情に、何やら(なま)めかしいものを感じたアユンは、タクバンのゲルにはできるだけ近づかないようにしていた。

 貴族の家に嫁ぐことになったソニバの結婚の儀式は、戦時下にもかかわらず盛大に行われるようだ。
「アユン、聞いたぞ。ソニバの嫁ぐ先は、処羅(しょら)氏の次男で許琉玖(キョルク)という男らしいな」
 どこで聞きつけたか、テペがその男の名前を口にした。
「そうだ、処羅氏と言えば、遠くは可汗につながる血筋で、代々葉護(ヤブグ)(大臣)を務めている家柄だと、タクバンが言っていた」
「ところがな、アユン、そのキョルクという男は、もう四十に近い歳らしいぞ。今まで、結婚していないのは、本拠地に落ち着かずに、唐やら、奚やら、契丹やら、あちこちフラフラしていたからのようだ。しかも、全盲だと。こっちでは有名な話だって、みんなが噂している」
「本当か、そんなことは全く聞いてないぞ」
「全くお前は、タクバンに完全に虚仮(こけ)にされているな。そんな男だから、美人のソニバが嫁に来てくれるなら、たとえ身分違いでもと、処羅の一族が喜んで迎えるわけだよ」
 テペは、ネケルとして長年アユンと一緒に暮らし、ソニバに朝夕の食事の世話をしてもらっていた。母が居ないテペは、ソニバを母とも姉とも思っているのだろう。真剣に心配していることが、アユンには良く分かった。
 アユンは、しばらく遠ざかっていたタクバンのゲルに母を訪ねた。
「ソニバの相手は、全盲の(じじい)だって、テペが言ってた。本当か」
「何を馬鹿なこと言ってるんだい。確かに目は弱いらしいが、(じじい)なんかじゃない。がっしりした身体つきの美男子だって聞いたし、何ていっても名門の貴族だよ」
「タクバンがそう言ったのか?」
「そうだよ、あの人の選ぶ人に間違いはないよ」
 アユンは母の言い様に、不快を覚えた。(きびす)を返そうとしたところに、タクバンが現れた。
「キョルクが全盲だって知っていたのか?」
「ああ、キョルクは、小さい頃には目が見えたのだが、その後ほとんど見えなくなったらしい。だからどうしたというのだ。立派な貴族だ。もっとも、あちこち放浪して歩くような変わり者だから、処羅の一族では、嫁探しに苦労していたようだ。俺の娘だと言ってソニバを勧めたら、若くて美人のソニバを見て向こうは大喜びさ」
「結婚前の贈答品も、たっぷりもらったんだろうな」
「ああ、さすがに名門貴族は違うな。ソニバも俺には感謝してるだろう」
 アユンは、思いっきり皮肉を言ったつもりだったが、タクバンには全く響いてないようだった。
「貴族の生活を知らないソニバに、キョルクの世話は大変かもしれないな」
「なに、働き者のソニバなら、何ていうことはない。貴族の奥方になれるんだから、ソニバには望んでも得られない、良い話じゃないか」
「ソニバにはキョルクの目のことを言ってるのか?」
「そんなことは言う必要がないだろう。親が決めたとおりに結婚するのが子の務めだ」
 新郎新婦は、結婚式で初めて相手と対面することになる。ソニバはどんな思いでキョルクを見るのだろうか、キョルクが優しい男なら良いのだが、とアユンは思った。
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