(二)

文字数 1,578文字

 シメンは祭りの雰囲気に、自分の心が少しずつ晴れやかになってくるのを感じた。思えば甘州から北に向かってきたこの道は、かつて暮らした突厥(とっくつ)の集落から連れてこられた道を、そのまま戻っているのだった。子供の頃に過ごした集落での、あの祭りの楽しさがシメンによみがえってきた。
「さあ、みんな、祭りの準備をしよう」
 シメンは、自分よりも若い胡女(こじょ)胡児(こじ)たちを祭りの衣装に着替えさせ、準備運動をさせた。胡騰舞(ことうぶ)を踊る男児たちは音楽も分担するので、木琴や笛、太鼓の準備もさせた。
 広場では、芸自慢の村人が歌を披露し、子供たちは楽器に合わせて輪になって踊っていた。小さな竪琴(たてごと)を馬の尻尾の弦で器用に奏でる男がいて感心したが、練習途上の胡児たちよりうまいかもしれないと心配になった。それでも、赤や青の布地に金糸銀糸の飾りを付けた舞服の胡女たちが、華やかな音楽とともに舞台に登場すると、会場は一気に盛り上がり、そんな心配はまったく無用だった。
 胡児たちが胡騰舞(ことうぶ)を激しく踊り、胡女たちが優雅な胡旋舞(こせんぶ)を披露したのを見届けてから、座長格のバリスとシメンが舞台に上がった。シメンには、イルダからもらった青い舞服で胡旋舞(こせんぶ)を踊る勇気はまだなかった。明るい黄色の長袖と細身の(しょう)(ズボン)という、いつもの剣舞用の胡服姿で、少し伸び始めた髪を後ろで結わえていた。バリスは、対照的に黒に近い濃紺の胡服を着て、三角の蕃帽(ばんぼう)(ソグド人の帽子)をかぶった。
 すべての音楽と声が消え、静寂の中で、二人はゆっくりと舞い始めた。舞台の対角線上から互いに近づき、剣を静かに打ち交わして離れる、横からシメンがゆっくり払った剣をバリスが飛び越える、ゆっくり振り下ろしたバリスの剣をシメンが跳ね返し、その剣を胸元に突き出す。剣を打ち合う音だけが響く中での、よどみない儀式のような動きは、観客に向けた序章に過ぎなかった。やがて胡児たちが叩き始めた太鼓の音とともに、動きは徐々に早くなり、笛や木琴の音が大きくなる中、目にもとまらぬ早業で飛び跳ねながら剣を打ち合う二人に、観客は手を打ち鳴らして熱狂した。バリスとシメンが剣を交わしながら激しく交錯すると、それは稲妻を思わせた。最後に、二人同時にトンボ返りしながら舞台から降り立って“決め”の姿勢をとると、大歓声が沸き起こった。
 その夜、シメンは、誰もいない荷車の上でバリスと抱き合って寝た。求めるバリスを柔らかく制し、ただ髪をなでて静かに抱き合うだけの二人だった。
 翌朝、隊商が村を離れるとき、二人の少女が加わり、馬車の窮屈な空間はますます狭くなった。新たに買われた奴隷だった。村の出口で見送る人々に、涙をためて手を振っている二人の姿に、シメンは自分が(あん)椎雀(ついじゃく)に買われて村を出た日のことを思い出した。彼女たちの視線の先に、あの時のリョウの、そしてアユンの顔が重なって、シメンの視界もゆがんだ。
 芸能奴隷を乗せた隊商(キャラバン)は、その後も、村々に寄りながら、西の砂漠を避け、東北に進んだ。進むにつれ、何やら様子が変わってきたのがシメンにも分かった。緩やかな起伏を見せる沙漠と草地の先に、低い山が見える風景は懐かしいものだったが、東南に向かって着の身着のままで歩いていく集団と、何回も遭遇したのだ。突厥(とっくつ)の難民なのだろう。不思議なことに、突厥の軍装なのに唐軍旗を掲げた部隊が巡回している。隊商の隊長と副隊長が馬上で言葉を交わしていた。
「唐軍の支配が及ぶのはこの辺りまでだ。唐軍と言っても、このあたりにいるのは突厥(とっくつ)から唐に降った阿布思(アフシ)の軍だ。突厥難民を黄河の渡し場から朔方(さくほう)に入れて、自分の支配下に置くのだろう」
「この先は、もとは突厥(とっくつ)の支配地だったが、今はウイグル軍が大手を振っている。のんびり夏祭りを楽しめるような集落はもう無いだろう。俺たちも、奴隷をさっさと売り飛ばして甘州に戻るのが賢いのではないか」
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