核心Ⅱ
文字数 12,780文字
マルティーン帝国。
北東の海を越えた先にある大陸の果。
豊かな水源をたたえる平野に『首都 レグラン』を構築し、凍てつく山岳地帯に皇城を構え大陸全土を統治している。各国で使用している生活用水や雨水など、水源の全てにおいてを管理していると言われているとても重要な国だ。この国を敵に回せば、その土地の水源は絶たれ枯渇と共に滅びるだろうとも伝えられていた。
シュサイラスア大国との交友関係は同盟国であり、過の内乱後において両国の関係は良好な筈である。
マルティーン帝国に長く仕える近衛の家元。マデールナ家の令嬢ミリアムはメルティオールの幼馴染みにして許嫁である。以前挨拶で一度顔を合わせた事があったと記憶していた。
「メルテ…! 本当に一体どういうつもりだ! 何でこんな事を…っ」
ラインアーサは拘束されている手首を解こうと力任せに腕を捻るが縄はきつく手首に喰い込み、擦れた所から血液が滲み出す。
「どうもこうも、オマエがボクのミリアを誑カシ奪った。その事実が今ボクをコウ突き動かシテいるのだカラな!」
「誑かして奪う? 俺はミリアム嬢とは一度しか会った事がない。そんな事態にはなり得ない。大体その日はお前も一緒に居た筈だ!」
「……では、ソノ唯の一度でミリアの心を奪ったと言うのだな? 一体アレにナニをした! 二年前…。オマエに会わせたアノ日を境にミリアは急に大人び、そしてボクに冷たくなった…!」
先程よりもやや興奮気味に声を上げ、その整った顔を歪めながらメルティオールは続ける。
「何故ボクと目を合わせない? 何故アレの唇からオマエの名が紡がれる…! 何故ダっ…何故オマエの事ばかり…っ」
「…!」
ラインアーサは二年前の記憶を辿る。
当時、まだ幼さが残るミリアム。メルティオールの側を片時も離れずに寄り添う姿は健気な印象を残した。
「フン、思い当たるコトがアルのダろう?」
「いや…。メルテはミリアム嬢に自分の気持ちを伝えた事はあるのか?」
「っな!? 論点を替えるナ! ミリアは産まれた時からボクの許婚と決まっていル! アレはボクのだ!」
「じゃあ、気持ちを言葉で伝えた事は…?」
「ッ! ふざけてルのか!? そんなモノ必要ない!!」
「そうじゃあない。いくら許嫁だからと言っても気持は……ちゃんと言葉にしないと伝わらない事もある。想っているなら尚更…」
(───そうだ、俺もちゃんと言葉にしないと)
つい思い浮かべてしまう。
───気がついて欲しい。本当は気がついて欲しいと心のどこかでそう願っていた。 スズランの中の〝ライア〟と〝警備員〟が同一人物であると言う事に。そんな想いを持て余し、事実をうち明かす好機を見失ってしまった。もっと早くこの事実と気持ちを打ち明ければ嫌われずに済んだのだろうか、と後悔しても後の祭りだが……。
不謹慎にもこんな状況下でさえスズランの事を想い浮かべてしまった自分自身に苦笑する。
「何がオカシイ!!」
「……落ち着けよ、お前の思い違いだ。逆にミリアム嬢はお前の事を真剣に考えている」
「思い違いなモノか! じゃあ何故あんなニモ愛らしく何時でも……何処へだってボクに付いてキテいたミリアの態度が激変スル? そしてナニかにつけてボクとオマエを比較シテはため息まで吐く…!」
「だからそれは…」
「っ…オマエなんかに渡さない! アレは…、ミリアはボクのモノだ…っ!!」
激昂した鋭い視線。その蒼い瞳は猜疑心の炎で燃えている。力任せに投げつけられた杖はラインアーサにぶつかり派手な音を立て床に転がった。
「っ…待てよ! さっきから誤解だって言ってるだろ? 俺はほんの少し、彼女の相談に乗っただけ…っ、ぐっ!」
メルティオールに胸倉をきつく掴みあげられ僅かに呼吸が難しくなる。
「相談だと?! ではその時にミリアにナニかしたな?」
「違う! ……俺はメルテとミリアム嬢の邪魔を…っするつもりは、ない」
「ダマレ…!」
「想いは……言葉にして伝えないと、っ…きっとお前の言葉を、待ってる…っ」
「ウソだ!! デタラメなコトを言うな!」
「っ、、嘘じゃあない…! ミリアム嬢は、、お前の言葉が無いから不安だと……俺にっ…話して…」
「ナゼ……オマエなんかに!」
感情の昂るまま両腕に力を加えたメルティオールにより、頚部が圧迫され呼吸は殆ど出来なくなった。
「っあ、ぐぅ…っ、ミリアム嬢は、お前の気持ちを知りたくて…っ……色々試行しているんじゃあ、ないのか?」
「!? ……ボクの、キモチ…?」
「っ…、…幼い頃からお前と一緒いるのが、当たり前過ぎて……時々、不安にっ…なるってすごく、悩んで……くっ、ぁあ…っ」
息が限界に達して苦しさに眉を寄せる。はくはくと口を開けるがただ喉の奥が乾くばかりで気が遠くなってゆく。
「……ミリア…」
数秒の間その状態だったがメルティオールはミリアムの名を呟き静かに腕から力を抜いた。
急激に肺に酸素が送られ大きく噎せ込むラインアーサ。
「……ッゲホ! ゲホ…ッ!! …っ!」
「───ソレで、他には何と?」
憑き物でも取れたかの様に落ち着き払った声でメルティオールに問われる。
「……いつか、自分が嫌われるんじゃあないか不安だと…。国を継ぐ皇子のお前と、このまま一緒に居ても良いのか、身分差でとても悩んでいた……」
「ナゼだ!? アレはボクに懐いていたんだ! 何処にだってボクの行くトコロ全てに付いて来て、何時だって笑顔で……ソレが当たり前で…。ソレに身分なら十分に…」
メルティオールが額に手をあて困惑した様子を見せる。
「メルテはミリアム嬢の事どう思っているんだ? 許婚だから一緒に居るのか?」
「チガウ! そんなワケがナイだろ? ボクは好いてもイナイ女と一緒に居ル程気立ての良い性分ではナイからな! それに…。初めて顔を合わせたトキから決めてイル。生涯ボクの隣に立つのはミリアしか居ない…」
「……だったら。ちゃんとそう伝えればいい」
「い、今更過ぎる」
「今更だって構わない! ちゃんと伝える事がどれだけ大切か俺もやっと分かったんだ…。なあ、メルテ。頼むからそろそろこの縄の解いてくれ」
「フンッ、ヤだね。ボクはまだソノ話を信じたワケではナイ!! ソレとコレは別。……オマエは飽く迄も人質ダ!」
ラインアーサは大きく息を吐き出すとメルティオールの瞳を見据えながら口をひらく。
「こんな事、ミリアム嬢にも心配かけるだけだぞ…」
「ッ…ウルサイ……。分ったヨウなクチをキクな! そもそも今回の件にオマエは無関係だったな。アノ小娘は我々がモラウ」
結局話が振り出しに戻り気が急く。スズランに危害が降りかかるかと思うと居ても立っても居られない。
「っ…スズランに何をするつもりだ!」
「何モいたぶるワケではナイ…。アノ娘はタダの〝鍵〟……〝アノ方〟を目覚メさせるタメの至要たる道具に過ぎナイ」
「鍵? あの方…?」
「おおっと口が過ぎた」
メルティオールは仄暗い意味深な笑みを浮かべる。
「其方の事情はわからないが、俺にだって理由はある…!」
「フーン。随分とフリュイの娘に入れ込んでイルみたいだな…。捉えてオマエの目の前で攻め立てたら面白いモノが見られソウだな…? ククッ」
「駄目だっ…! そんな事させない。絶対に!」
焦りと怒りが入り混ざった感情を抑えながらメルティオールを睨みつけた。
「いつも飄々とシテるクセに。珍しく強気ダナ…。オマエの攻撃的な瞳、ハジメテ見るぞ」
「俺にも譲れない事がある…! 大切で守りたい人がいるのはお前も同じだろ…っ?」
ラインアーサは拘束されている腕を僅かにずらし、片方の指で掌へ複雑な陣を描き始める。
その動作に気付いたメルティオールが嘲笑い鼻を鳴らした。
「フン。何か術を使うツモリだろうが無駄ダ! コノ部屋には術封じの陣が張ってアル、ザンネンだったな」
「……それでも、やってみないと分からない」
「無駄ダト言ってイルのにバカなのか? ……ん? ……な、何だ?」
突如部屋の唯一のあかりであるランプの灯が消え、再び部屋の中は闇に包まれた。
暫くすると何処からともなく床や壁の軋む音が聞こえてくる。その音は徐々に大きくなり、部屋全体が小刻みに揺れ出す。
「…っオマエ、ナニをした!?」
「…っ」
「おい…! やばくねぇかこれ?」
「あ、兄貴ぃ。一体何がどうなってるんっスか〜?!」
建屋の外からは低く底から響く様な轟音、更に揺れが増大してゆき、流石に二人組の男たちも騒ぎだす。
「ジェルマーノ!! 術封じの陣はちゃんと発動してるのか?」
「た、確かに発動はしてます…」
「じゃあ何だ! 何が起こっている?」
「……風をたくさん喚 んだ…。あまり頼りたくなかったけど、そうも言って居られないからな」
ラインアーサは肩で荒い呼吸を繰り返す。天候を操作する程の風を喚ぶ事はそう簡単では無い。それなりの知識と複雑な陣が必要な上、ある程度の気力も必要だ。よって大幅に体力を消耗する。
「バカな! スグにコノ風を止メロ…! コノままでは建屋が倒壊スルぞ!? いや、壊すツモリか?」
嵐の如く凶暴な風が壁の外を叩く、このまま壁が砕かれるのも時間の問題だ。元々朽ち果てそうな古ぼけた廃屋敷だ。倒壊も免れない。
「ひ、ひぃぃ! 何だよこれぇぇ、今度こそお終いだ〜」
「い、いや落ち着け、少しずつ嵐は弱まって来てるぞ…?」
混乱に乗じ密かに逃走の糸口はないかと探る二人組。部屋の何処かに穴でも開けばそこから脱出路を作る事が出来ると踏んだのだ。しかし───。
「…っは、ぁ…!」
長時間の拘束による体力の摩耗で集中力が途切れたせいか徐々に嵐は収束してゆく。
「……フン。バカめ! 天候の操作ナドと高等技を使うからソウなるんだ」
「…っつ…、、はあっ、はぁ…っ」
汗が一気に吹き出し髪が額に張り付く。両腕が自由であればもう少し長く術を発動し続けられた筈だ。そもそも陣自体が不完全な状態だった。
「……しかし、コノ状況下で力を使うトハね。流石に想定外ダッダよ。術封じもモノともセズに…。オマエにとってスズランという娘はよほど特別ラシイな? 俄然興味が湧いた」
「だ、駄目だ…!! スズランに手を出すな!」
「ソコまでムキになる理由は? 唯の小娘だろう?」
「メルテ…。ミリアム嬢を大切に想っているならわかる筈だ。だからお前だって今こうやって動いてるんだろ? 俺は……俺だって同じだ、大切なんだ…。スズランを守るって決めた…!」
「ボクと同じ…?」
「理由なんてない…。大事な人を守りたい、それだけなんだ! メルテは違うのか…?」
「……フン。ボクをオマエなどど一緒にスルな!! ドコまでもイラつくヤツだ!」
再びメルティオールの杖がラインアーサの喉笛を捉えた。
「っ…!」
「コノままオマエの喉を凍ラセテやろうか? 二度とムダな口を訊けナイ様に…!」
「……お前には出来ない。俺の知るメルテはもっと人情味のある奴だ…!」
「っ…ナニをバカな! ボクは本当にヤるぞ?」
「……俺はお前の事を信じる。それにまだこの部屋の術封じ…。解除した形跡はない。始めからそんな気なんて無いんだろ?」
「オマエッ……今ボクの目の前で術を使ってオキながら…!!」
メルティオールが忌々しげに杖を握り直した。
「俺自身は何と思われようと構わない。でも俺の周りの友人や、大切な人が哀しむ姿は見たく無いんだ…」
「バカめ…。世の中そんなコト言ってたらやってられないンだ。……アーサ、オマエみたいな考えの甘いヤツは尚更だ…!!」
「……メルテ。お前、何かあったのか?」
「ダマレ。今度こそオマエの喉を潰してヤル! 術ナド使わなくてモ容易い。コノママ…っ」
メルティオールは杖を力一杯握りこむと、そのままラインアーサの喉笛へと杖先を押し付けた。
「ぁぐ…っメルテ! 待て…!」
───その時。
なんの前触れもなく、突如空気が重くなった。直後、まるで硝子に罅が入って軋む様な嫌な音が部屋中に響く。
「ナ、ナンダ今度は!? マタ、オマエの仕業か?」
「……いや、俺は何もしてない…!」
しかし瞬時にラインアーサの真横の空間が割れ破れた。空気そのものがまるで砕けた黒水晶の様に音を立てて粉々と地面へ散らばる。
その場に居た誰もが息を飲んだ。
破られた隙間から生温い空気が大量に流れ込み、ラインアーサは思わず眼を細めた。
「……ナ、ンダト? 一体ナンなんだ? オマエたちには術封じが通用しナイとでも言うのか…?」
「? …お前たち?」
メルティオールが焦りを見せつつ一歩後ずさる。隙間を覗き込む様にし確かめると、そこから響く聞き覚えのある声にラインアーサも動揺した。
「……無事ですね? ライア…」
「ハ リ…!? ……お前、なんで此処に…!!」
───破れた空間の向こう側から深い榛摺色 の髪を揺らしてゆっくりと踏み出てきたのは、紛れもなくハリだ。
「チッ……側近のお出迎えか」
「ああ。これはご無沙汰しております、メルティオール殿。この度は私の主君がご迷惑をおかけした様ですね…。それで、お礼は如何程?」
「キサマ、一体…」
「……お礼は如何程、と伺っているのですが。メルティオール殿」
「…っ!」
ハリは静かな声で尋ねると共に、メルティオールの喉元に腕を伸ばし人差し指を差し向けた。
「やめろっ! ハリ!!」
「何故です? 今貴方がされている事と同じ様にして差し上げようと思ったのですが?」
「俺は何もされてない…! それよりも先にこの縄の拘束を解いてくれるか?」
急いで訴えるとハリはあからさまに溜息を吐く。
「……全く、貴方と言う人は…。ご自分の状況を理解出来てます? 貴方は人質として拘束されているんですよ?」
「分かってるよ。……でもメルテにだって何か理由がある筈なんだ。でなきゃこんな事、出来る様な奴じゃあない…!」
「そうでしょうか。今現に貴方は差し迫った状況になっていますし、この誘拐事件騒動も十中八九メルティオール殿がなさった事なのでしょう?」
「そうかもしれないけど、俺はメルテにだって嫌な思いをして欲しくない……。何か理由があるなら話して欲しいと思っている!」
「ク…ッ……ハハハッ!! 相変わらず相当オメデタイな、コノ国の王子は。全くやってられナイ…」
「っ…!?」
メルティオールが呆れ返る様に笑い出し困惑する。ハリに至っては頭痛時と同様に指で顳顬を押さえ俯いている。
「はあ…。本当に全くやっていられませんね」
「だからイヤなんだ…! ボクは昔からオマエがニガテだ。どんなに当り散らシテもオマエは大抵風の様にすり抜ける。一人で怒っていたコチラがバカらしくなってクル……」
「殿下。ではそろそろ……」
ジェルマーノがメルティオールの耳元で何かを囁いた。
「ああ、ジェルマーノ頼む。フッ…。オマエの側近に心カラ同情スル。オメデタイ主の元に付くのは容易デハない。全くもってバカバカしいカラやめてヤル」
「やめる…? 何を…」
「帰る。今回は大人しく退いてヤルと言っている…」
「っ! じゃあ…」
「スズランと言う娘のコトを諦めたワケではナイ。今回は一度退くだけだ! ……それに、コレ以上ミリアに心配かけたくナイからな…」
メルティオールの声は最後の方になるにつれ早口で聞き取りづらくなったが、確かにラインアーサの耳に届いた。
「っ…メルテ! ありがとう!!」
「フンッ……知るモノか!」
ジェルマーノが素早く床に陣を敷く。術封じが解かれたのか、おそらく空間移動の魔術であろうその複雑な陣を見入る。
「殿下、急いで皇宮へ戻りましょう…」
「ワカっている、そう急かすなジェルマーノ。ああ、ソコの小物二人組の処分は任せる。コチラは唯のコマを利用シタに過ぎナイ…」
「…っオイ、ふざけるな!! 俺たちの事馬鹿にするなよ!!」
話題に出され我に返ったのか、例の二人組が暴れ出した。
「……待ってくれ! 動かしたのは本当にこの二人だけか? それに人質にされたこの者たちの意識はちゃんと元に戻るのか?」
「ウルサイなぁ。……利用シタのはソコの小物二人組のみだ! 更にソノ配下マデは知ラナイがな。抜け殻になったモノドモも十分に休養スレば直に戻るダロ…」
「そうか、分かった! ありがとう」
騒ぐ二人組を尻目に、呆れ返った様な仕草をするとメルティオールはジェルマーノの敷いた陣の中に足を運んだ。
「……いいんですか? メルティオール殿を帰してしまっても」
「ああ。メルテだって分かってる筈だ」
「ですが…」
「これ以上事を大きくすれば両国の関係性が危うくなる」
「確かにそう、ですね…」
ハリが隣で小さな溜息を吐いた。同時に空間移動の陣が発動し、部屋中仄暗い光に包まれたかと思うと瞬時にしてメルティオールとジェルマーノの体が薄い水の膜に覆われた。
ふとラインアーサの脳裏に疑問が浮かぶ。
「っ…!? ……メルテ! 待っ…」
「悪かったな、アーサ…」
───そう聞こえるか聞こえないかの声でメルティオールが呟いたのを最後に二人の姿は光と共に消えた。
「……」
「……どうかしましたか? ライア」
「……違ったんだ」
「違うとは、何がです?」
決定的な違和感があった。ラインアーサの中で疑問符がどんどん大きくなる。
「っ…嫌な予感がする……」
ラインアーサがそう漏らした直後、またもや部屋中の空間がねじ曲がる嫌な感覚に襲われた。この感覚は二度目だった。〝あの時〟の物と同じだ。ラインアーサが空間移動の際に感じた嫌悪感。思い出したかの様にちくりと二の腕が痛み出す。案の定、目の前の空間がじりじりと裂けてゆく。その隙間からぞくりとする程冷たい声が響いた。
「やれやれ…。やはり駄目でしたねぇ。まあ予想通り、と言った所でしょうか」
「誰だ…!? 姿を見せろ!!」
「おや、シュサイラスアのアーサ王子はとんだ礼儀知らずな方ですね。人に名を訊ねる時は先ず自らの名を名乗る、とママから教わりませんでしたかねぇ?」
「…っ! 何故俺の名を知っている?」
声の主は一向に空間の裂け目から姿を現さない。
「……ふう。其処の二人組…。私が手を貸してやったのにも関わらず失敗するとは屑にも程がありますよ?」
「……手を、貸す…?」
「まあ良いでしょう。どうやら私の見込み違い、完全に私の〝失態 〟と言う事にしておきましょうか」
ラインアーサが二人組を見やると先ほどとは打って変わりすっかりと大人しくなっていた。それどころか畏怖して萎縮している。
「……で す が。このままでは私の気の収まる所が有りませんねぇ」
声の調子が途端に下がり危機感を察知したラインアーサは咄嗟に叫んだ。
「ハリ!! その二人を連れてここから逃げろ!」
「何故です!?」
「いいから早く!」
「……おや? 其処にいらっしゃるのは……ま、まさかっ…!!」
何やら声の主のが狼狽えている様に感じた。
「なんだ?」
「……そんな、まさか。いや、然しながら今私の耳にはしっかり〝玻璃 〟と聴こえたのですが…」
「ハリの事を知ってるのか? ……お前一体何者だ…?」
「アーサ王子は少し黙ってて貰えます? 私、今とても大切な事を考えているのですから」
「っ…?」
少しの沈黙の後、声の主が裂け目から突如姿を現した。しかし、メルティオール同様黒いフードを目深に被り全く顔が確認出来ない状態だ。出てくるなりラインアーサと二人組を無視し、ハリの目の前で足を止めるなり跪いた。
「……玻璃 様! お久しゅうございます!!」
「いえ。……どなたか存じません。おそらく人違いでは?」
「はぇ…?」
「私は此方に居られるアーサ王子の側近です。確かに名はハリと申しますが」
そう答えたハリに対し男は立ち上がり講義し始める。
「……いや、どう見てもそのお姿! 貴方様は間違いなく玻璃 様!! お忘れですか? 私です…」
「一体何を言って…? ……痛っ!」
何かを感じたのかハリが辛そうに顳顬 を押さえ目を閉じる。
「待ってくれ! ハリには昔の記憶が無いんだ! あまり刺激しないでくれ」
「なんと!? ……待ってください。玻璃 様に記憶が無い? あああ、混乱して来ました。もうずっと行方知れずで捜していた玻璃 様をこんな辺鄙な場所で見つけたと思いきや、記憶喪失でこの十一年の間アーサ王子の側近をさせられていたと…!? な、何て事だ……」
男は項垂れながら何かを小さく呟き続けている。
「なあハリ。この人、お前の事……ずっと捜してたって…」
「ですが今は貴方の側近です。それは変わりませんし、突如現れた見知らぬ人物を信用など出来ません。怪しすぎます」
「でも。何か訳を知ってるなら話位」
「ライア。……貴方はどうしてそう…」
「アーサ王子! 私は貴方を許しませんよ!!」
項垂れていた男が突然大声を出した。
「な、何だいきなり!」
男はフードの下から鋭く射抜く様にラインアーサを睨みつける。
「ああっ!玻璃 様が覚えていないのならば仕方がない…。ここは私も一旦退くとしましょう。しかしアーサ王子! よくも、よくも玻璃 様を側近などに…っ!! いえ、しかしこれは大収穫です。玻璃 様は無事にご健在! あとはあの小娘を手にさえ入れれば万事解決ではないですか…! こうなれば一度戻ってまた新たに手を打つとしましょう…」
うろうろと歩き回りながら早口で一気に捲し立てると男は再び裂け目に身を投じた。
「あ…、おい! ハリの事を知ってるならもう少し詳しく教えてくれないか? それに何故スズランを狙うんだ!?」
「……誰が教えるものですか! 平和呆けな田舎の国の間抜け王子! 私はお前の元から必ずや玻璃 様を取り戻します。其れまで首を洗って待っていなさい!!」
戦線布告の様に吐き捨て、男は裂け目と共に消えてしまった。
「……結局何だったんだ、あいつ」
「さあ。私にも分かりかねますね」
「いいのか? お前の事〝ハリ様〟って呼んで慕ってるみたいだったぞ? ハリも何か思い出せれば良いんだけど…。それと、あいつが使った空間移動の魔術…」
「……」
「あの感じ、恐らく俺がここに飛ばされて来たのはあいつのだ…。ハリ、お前がここに来た時のも同様の……魔術、なのか…?」
「……分かりません」
「分からないって、お前。俺は凄い驚いたんだぞ?」
唐突に空間を破り出てきたハリの事を思い出しながらラインアーサは声を上げた。
「……ですがこの辺りの空間が乱れてるのは分かります」
「空間の乱れ?」
「ええ。私を含め、メルティオール殿や先ほどの男が何かしら移動の術を使った為でしょう。とても歪んでいます。危険なので早く此処から離れましょう」
ハリは薄暗い部屋を見渡すと人質の民の数を確認し始める。
「あの、さ。ハリ…。ここから離れるのは良いんだけどひとつ頼みが…。俺の腕の拘束外して貰えないか?」
「はあ。それ本気で言ってるんです? 冗談ではなく…?」
ばつが悪いが正直に頷くと、ハリは溜息を吐きつつも漸く拘束の縄を切り落とし腕から外してくれた。
「ああ、やっっと自由が利く! ありがとなハリ」
「いざという時の為にも縄抜け位は覚えて置いてくださいよ、全く…」
「いや、縄抜けは得意なはずなんだけど…。どうにも外せなかったんだよこの縄!」
「なるほど?」
言い訳するも疑わしげな視線を寄越すハリ。
「本当だって! 動けば動くほど食い込んできて…」
「では何か特殊な術でも掛かってたのかもしれませんね…」
あからさまに呆れ気味のハリにラインアーサも苦笑する。
「それでハリ。人質にされていた民、三名も此処に居た。後この二人組の事なんだけど…」
「その二人についてはきちんと処罰を与えなくてはいけませんね。民の保護はどうします?」
三名とは言え、この場所から抜け殻状態の者を移動させるのはそう簡単ではない。二人組は拘束されたまま悔しそうに肩を落としていた。
「……あ、兄貴ぃ…。俺らついに潮時っスかねぇ…」
「クソっ!! 俺はまだ…っ」
其処へ馴染みのある明るい声が飛び込んできた。
「アーサ発見〜!! おーい無事かー?」
「ジュリ! 良いところに来てくれたな!」
「……お疲れ様です。ジュリアン殿」
「んん? あれ? ハリ!? 何でお前ここに居るんだ? お前はあのまま酒場 に残ってた筈だろう?」
「……まあ、色々あって来ました」
「はあ? どうやったら先に出た俺より早くここに着くんだよ!?」
来て早々、ジュリアンの頭に疑問符が浮かぶ。
「悪い。その話は後だジュリ…! 早速お前に頼みがある」
「おう! 人質にされていた民の保護だろ! 任せてくれ」
「ああ…。頼むよ」
「エミリオの隊とも合流して、外で待機させてる。無事に王宮まで移動出来る様に護送の準備をしてきたからな」
「ありがとう。あと、この二人組なんだが…」
「あああーー!! こいつら俺の隙をみて突然消えたんだ! 消えたって言うか空間に吸い込まれていったって言うか! とにかく逃げられてすまないアーサ」
「いや、仕方がない。きっとあいつの仕業だろうから…」
「へ? あいつって誰?」
おそらくメルティオールとは別に、先程の男が裏でこの二人組に指示を出し糸を引いていたのは間違いないだろう。
「……それでこの二人組の事なんだけど、お前の所で鍛えてやってくれないか?」
「…っ?!」
「はあああ??」
「な、何を言ってるんです? ライア。この二人については然るべき処罰を…」
「だからそれをジュリの所でやってもらう」
「俺の所でって、それだと処罰とは言えないだろ!」
「そうですよ。ジュリアン殿の所は入隊希望者が後を絶たない人気のある役職所です。甘すぎます、それでは処罰というよりも…」
突拍子のないラインアーサの提案にジュリアンもハリも、件の二人組さえ驚きを隠せないでいる。
「この二人は元々旧市街の荒くれ者だ…。しかし、それを返せば旧市街の情勢に詳く色々熟知している。それに然るべき処罰を下してただ罰を与えてもますます反感を強くされてしまうだけだ。ならば目の届く所の真っ当な環境で働いてもらった方が良いだろう?」
「しかし…」
「だからって俺の所かよ…」
「こんな事頼めるのはジュリだけだ。お願い出来ないだろうか……」
ラインアーサは真っ直ぐとジュリアンの目を見やる。
「…ったく、仕方がないな! 俺がアーサにその目をされると断れないっての知ってる癖に質が悪いぜ!!」
「……ジュリアン殿まで、本当に良いのですか?」
「主の命令だ、引き受けて絶対守るのが俺の主義だからな!」
「ありがとう、感謝するよ! ジュリ!!」
「全く。……私は理解に苦しみますが、お二人が良いのなら徹底的にお願いします。陛下への報告もお忘れなく」
「当たり前だろ! 任せておけって!」
一部始終やり取りを見ていた二人組が呆気に取られている中、ラインアーサは改めて二人に向き直ると柱に括られていた縄を外し拘束を解いた。更に癒しの風を吹かせ、傷付いた二人の怪我を癒す。晴れて自由となった二人はゆっくりと立ち上がるも落ち着かず視線を彷徨わせた。
「お前たち、確か名は……ジェロームとエヴラールと言ったな」
「っ!! エヴラールはまだしも、何故俺の名を?」
突然名を呼ばれ驚いたジェロームはラインアーサの顔色を伺う。
「以前街でそう呼ばれていただろう? 違ったか?」
「ちっ。わざわざ覚えていやがったのかよ!」
「俺は記憶力は良い方なんだ。さて、今からお前たちに処罰を言い渡す。───本日。たった今から、ジュリアン・アダンソンの下に付き、身心ともに鍛える様命じる。異論は無いな?」
「正気か? 王子さんよぉ。俺らみたいな荒くれ者雇ってどうするつもりだ?」
「兄貴っ。雇ってくれるってなら良いじゃあないか、俺らもう何処にも行く宛が無いし…」
「お前は黙ってろ!」
ジェロームはラインアーサの瞳を捉えると強く睨みつけてくる。それに応えラインアーサも視線を外さずに見つめ返す。
「……何か不満があるなら何時でも意見を聞き入れよう。しかし、懲りず以前の様に問題事を起こしたり、この国の民を脅かすと言うのなら容赦はしない。次は無いと思ってくれ」
普段からは想像もつかない程の低い声と厳しい顔つきのラインアーサにジェロームとエヴラールは息を呑んだ。
「……わ、分かったよ! 真面目にやりゃあ良いんだろ?」
「兄貴…! じゃあ俺ら王宮で雇ってもらえるんっスね!?」
「……ああ、そう言う事だそうだ。ならけじめをつけねぇとな…」
二人は互いに顔を見合わせ頷くと、気恥ずかしそうに頭を下げた。
「よ、よろしくお願い、します…」
「っしやス!!」
「馬鹿野郎こんな時位ちゃんとやれ! エヴラール!」
「……ふっふふふ! よしっ。たった今からお前らは俺の部下だぜ!! み〜っちり鍛え抜いてやるから覚悟してろよ〜!」
ジュリアンが二人の間に割って入ると両腕で肩を組む。この底ぬけに明るい性格にラインアーサは何度救われた事か。
「はわわっ!」
「っ…! いきなりやめろっ…じゃねぇ、やめてください…」
「お? 早速部下らしくなって来たな! んー、そうだな。特に言葉遣いは気を付けろよ? それにアーサのことは殿下って呼んだ方がいいぜ! え、俺? 俺は幼馴染だからいいんだよ! な、アーサ!」
一番説得力の無いジュリアンに言葉遣いを指摘される様子が可笑しく思わず吹き出す。
「く…っはは! お前が言っても全然説得力無いなジュリ! まあ、俺の事は好きに呼べばいいよ」
ラインアーサはくだけた態度で二人に笑いかけるも、そこでくらりと眩暈の様な物に襲われふらついた。
「っ…! なん、だ?」
「大丈夫です? 色々と無理をされた筈、先に王宮に戻って休んだ方が良いのでは?」
「いや、平気だ。それよりも…、俺は…」
「……分かってます。後の事は私たちに任せて行ったらどうです?」
「? ……何処に?」
「決まってるだろアーサ! スズランちゃん、お前の事心配してずっと待ってるんだぞ? こいつらの報告は俺から陛下に報告するし、人質にされていた民たちの搬送も任せろ! だから…」
「ハリも、ジュリもありがとう! ……でも毎回お前たちに任せてばかりなのは申し訳ない。俺にも手伝わせてくれ」
一刻も早くスズランに会いたいのは山々だが、自身の我儘で二人に負担をかけたくなかった。しかし……。
「何言ってんだ! 今のお前の仕事はいち早くスズランちゃんの所に行って安心させてやる事だろ!! でないと…」
「彼女。……ひどく落ち込んだ様子でした。見ている此方が辛くなる程に」
「っ…そうなのか?」
「ああ、だから早く行けよアーサ」
二人が口を揃えそこまで言うとなると、スズランが落ち込んでいると言うのは相当なものなのだろう。
「わかった…。直ぐに向かう! 報告とその結果は改めて確認する。一先ずジュリに任せるからな!」
「了解!」
「ハリ、お前の魔術についても後から説明してもらう。ちゃんと教えてくれ」
「……分かりました」
「ジェロームにエヴラール! まだ正式ではないがお前たちはもう隊の一員だ、頼むぞ」
「は、はい…!」
「へい! 頑張りやス!!」
「皆、ありがとう」
全員に頭を下げると、勢いよく踵を返し建物の外に出た。太陽がだいぶ高い位置にある。ここに飛ばされてから丸一日以上過ぎている事がわかった。
久々の外気に触れると、柔らかく肌に纏わり付く風に小さく礼の言葉を呟くラインアーサ。
「何時も風の加護、感謝するよ……」
それに応える様辺りに一陣の風が吹き抜ける。風を喚んだ事により雲が吹き飛んだのか、あのしつこいまでに降り続いていた雨はすっかり止み、どこまでも青い空が高く澄み渡っていた。
「今、俺がやるべき事…。それを果たそう」
ラインアーサは改めて強く決心し、スズランの元へと駈けた。
北東の海を越えた先にある大陸の果。
豊かな水源をたたえる平野に『首都 レグラン』を構築し、凍てつく山岳地帯に皇城を構え大陸全土を統治している。各国で使用している生活用水や雨水など、水源の全てにおいてを管理していると言われているとても重要な国だ。この国を敵に回せば、その土地の水源は絶たれ枯渇と共に滅びるだろうとも伝えられていた。
シュサイラスア大国との交友関係は同盟国であり、過の内乱後において両国の関係は良好な筈である。
マルティーン帝国に長く仕える近衛の家元。マデールナ家の令嬢ミリアムはメルティオールの幼馴染みにして許嫁である。以前挨拶で一度顔を合わせた事があったと記憶していた。
「メルテ…! 本当に一体どういうつもりだ! 何でこんな事を…っ」
ラインアーサは拘束されている手首を解こうと力任せに腕を捻るが縄はきつく手首に喰い込み、擦れた所から血液が滲み出す。
「どうもこうも、オマエがボクのミリアを誑カシ奪った。その事実が今ボクをコウ突き動かシテいるのだカラな!」
「誑かして奪う? 俺はミリアム嬢とは一度しか会った事がない。そんな事態にはなり得ない。大体その日はお前も一緒に居た筈だ!」
「……では、ソノ唯の一度でミリアの心を奪ったと言うのだな? 一体アレにナニをした! 二年前…。オマエに会わせたアノ日を境にミリアは急に大人び、そしてボクに冷たくなった…!」
先程よりもやや興奮気味に声を上げ、その整った顔を歪めながらメルティオールは続ける。
「何故ボクと目を合わせない? 何故アレの唇からオマエの名が紡がれる…! 何故ダっ…何故オマエの事ばかり…っ」
「…!」
ラインアーサは二年前の記憶を辿る。
当時、まだ幼さが残るミリアム。メルティオールの側を片時も離れずに寄り添う姿は健気な印象を残した。
「フン、思い当たるコトがアルのダろう?」
「いや…。メルテはミリアム嬢に自分の気持ちを伝えた事はあるのか?」
「っな!? 論点を替えるナ! ミリアは産まれた時からボクの許婚と決まっていル! アレはボクのだ!」
「じゃあ、気持ちを言葉で伝えた事は…?」
「ッ! ふざけてルのか!? そんなモノ必要ない!!」
「そうじゃあない。いくら許嫁だからと言っても気持は……ちゃんと言葉にしないと伝わらない事もある。想っているなら尚更…」
(───そうだ、俺もちゃんと言葉にしないと)
つい思い浮かべてしまう。
───気がついて欲しい。本当は気がついて欲しいと心のどこかでそう願っていた。 スズランの中の〝ライア〟と〝警備員〟が同一人物であると言う事に。そんな想いを持て余し、事実をうち明かす好機を見失ってしまった。もっと早くこの事実と気持ちを打ち明ければ嫌われずに済んだのだろうか、と後悔しても後の祭りだが……。
不謹慎にもこんな状況下でさえスズランの事を想い浮かべてしまった自分自身に苦笑する。
「何がオカシイ!!」
「……落ち着けよ、お前の思い違いだ。逆にミリアム嬢はお前の事を真剣に考えている」
「思い違いなモノか! じゃあ何故あんなニモ愛らしく何時でも……何処へだってボクに付いてキテいたミリアの態度が激変スル? そしてナニかにつけてボクとオマエを比較シテはため息まで吐く…!」
「だからそれは…」
「っ…オマエなんかに渡さない! アレは…、ミリアはボクのモノだ…っ!!」
激昂した鋭い視線。その蒼い瞳は猜疑心の炎で燃えている。力任せに投げつけられた杖はラインアーサにぶつかり派手な音を立て床に転がった。
「っ…待てよ! さっきから誤解だって言ってるだろ? 俺はほんの少し、彼女の相談に乗っただけ…っ、ぐっ!」
メルティオールに胸倉をきつく掴みあげられ僅かに呼吸が難しくなる。
「相談だと?! ではその時にミリアにナニかしたな?」
「違う! ……俺はメルテとミリアム嬢の邪魔を…っするつもりは、ない」
「ダマレ…!」
「想いは……言葉にして伝えないと、っ…きっとお前の言葉を、待ってる…っ」
「ウソだ!! デタラメなコトを言うな!」
「っ、、嘘じゃあない…! ミリアム嬢は、、お前の言葉が無いから不安だと……俺にっ…話して…」
「ナゼ……オマエなんかに!」
感情の昂るまま両腕に力を加えたメルティオールにより、頚部が圧迫され呼吸は殆ど出来なくなった。
「っあ、ぐぅ…っ、ミリアム嬢は、お前の気持ちを知りたくて…っ……色々試行しているんじゃあ、ないのか?」
「!? ……ボクの、キモチ…?」
「っ…、…幼い頃からお前と一緒いるのが、当たり前過ぎて……時々、不安にっ…なるってすごく、悩んで……くっ、ぁあ…っ」
息が限界に達して苦しさに眉を寄せる。はくはくと口を開けるがただ喉の奥が乾くばかりで気が遠くなってゆく。
「……ミリア…」
数秒の間その状態だったがメルティオールはミリアムの名を呟き静かに腕から力を抜いた。
急激に肺に酸素が送られ大きく噎せ込むラインアーサ。
「……ッゲホ! ゲホ…ッ!! …っ!」
「───ソレで、他には何と?」
憑き物でも取れたかの様に落ち着き払った声でメルティオールに問われる。
「……いつか、自分が嫌われるんじゃあないか不安だと…。国を継ぐ皇子のお前と、このまま一緒に居ても良いのか、身分差でとても悩んでいた……」
「ナゼだ!? アレはボクに懐いていたんだ! 何処にだってボクの行くトコロ全てに付いて来て、何時だって笑顔で……ソレが当たり前で…。ソレに身分なら十分に…」
メルティオールが額に手をあて困惑した様子を見せる。
「メルテはミリアム嬢の事どう思っているんだ? 許婚だから一緒に居るのか?」
「チガウ! そんなワケがナイだろ? ボクは好いてもイナイ女と一緒に居ル程気立ての良い性分ではナイからな! それに…。初めて顔を合わせたトキから決めてイル。生涯ボクの隣に立つのはミリアしか居ない…」
「……だったら。ちゃんとそう伝えればいい」
「い、今更過ぎる」
「今更だって構わない! ちゃんと伝える事がどれだけ大切か俺もやっと分かったんだ…。なあ、メルテ。頼むからそろそろこの縄の解いてくれ」
「フンッ、ヤだね。ボクはまだソノ話を信じたワケではナイ!! ソレとコレは別。……オマエは飽く迄も人質ダ!」
ラインアーサは大きく息を吐き出すとメルティオールの瞳を見据えながら口をひらく。
「こんな事、ミリアム嬢にも心配かけるだけだぞ…」
「ッ…ウルサイ……。分ったヨウなクチをキクな! そもそも今回の件にオマエは無関係だったな。アノ小娘は我々がモラウ」
結局話が振り出しに戻り気が急く。スズランに危害が降りかかるかと思うと居ても立っても居られない。
「っ…スズランに何をするつもりだ!」
「何モいたぶるワケではナイ…。アノ娘はタダの〝鍵〟……〝アノ方〟を目覚メさせるタメの至要たる道具に過ぎナイ」
「鍵? あの方…?」
「おおっと口が過ぎた」
メルティオールは仄暗い意味深な笑みを浮かべる。
「其方の事情はわからないが、俺にだって理由はある…!」
「フーン。随分とフリュイの娘に入れ込んでイルみたいだな…。捉えてオマエの目の前で攻め立てたら面白いモノが見られソウだな…? ククッ」
「駄目だっ…! そんな事させない。絶対に!」
焦りと怒りが入り混ざった感情を抑えながらメルティオールを睨みつけた。
「いつも飄々とシテるクセに。珍しく強気ダナ…。オマエの攻撃的な瞳、ハジメテ見るぞ」
「俺にも譲れない事がある…! 大切で守りたい人がいるのはお前も同じだろ…っ?」
ラインアーサは拘束されている腕を僅かにずらし、片方の指で掌へ複雑な陣を描き始める。
その動作に気付いたメルティオールが嘲笑い鼻を鳴らした。
「フン。何か術を使うツモリだろうが無駄ダ! コノ部屋には術封じの陣が張ってアル、ザンネンだったな」
「……それでも、やってみないと分からない」
「無駄ダト言ってイルのにバカなのか? ……ん? ……な、何だ?」
突如部屋の唯一のあかりであるランプの灯が消え、再び部屋の中は闇に包まれた。
暫くすると何処からともなく床や壁の軋む音が聞こえてくる。その音は徐々に大きくなり、部屋全体が小刻みに揺れ出す。
「…っオマエ、ナニをした!?」
「…っ」
「おい…! やばくねぇかこれ?」
「あ、兄貴ぃ。一体何がどうなってるんっスか〜?!」
建屋の外からは低く底から響く様な轟音、更に揺れが増大してゆき、流石に二人組の男たちも騒ぎだす。
「ジェルマーノ!! 術封じの陣はちゃんと発動してるのか?」
「た、確かに発動はしてます…」
「じゃあ何だ! 何が起こっている?」
「……風をたくさん
ラインアーサは肩で荒い呼吸を繰り返す。天候を操作する程の風を喚ぶ事はそう簡単では無い。それなりの知識と複雑な陣が必要な上、ある程度の気力も必要だ。よって大幅に体力を消耗する。
「バカな! スグにコノ風を止メロ…! コノままでは建屋が倒壊スルぞ!? いや、壊すツモリか?」
嵐の如く凶暴な風が壁の外を叩く、このまま壁が砕かれるのも時間の問題だ。元々朽ち果てそうな古ぼけた廃屋敷だ。倒壊も免れない。
「ひ、ひぃぃ! 何だよこれぇぇ、今度こそお終いだ〜」
「い、いや落ち着け、少しずつ嵐は弱まって来てるぞ…?」
混乱に乗じ密かに逃走の糸口はないかと探る二人組。部屋の何処かに穴でも開けばそこから脱出路を作る事が出来ると踏んだのだ。しかし───。
「…っは、ぁ…!」
長時間の拘束による体力の摩耗で集中力が途切れたせいか徐々に嵐は収束してゆく。
「……フン。バカめ! 天候の操作ナドと高等技を使うからソウなるんだ」
「…っつ…、、はあっ、はぁ…っ」
汗が一気に吹き出し髪が額に張り付く。両腕が自由であればもう少し長く術を発動し続けられた筈だ。そもそも陣自体が不完全な状態だった。
「……しかし、コノ状況下で力を使うトハね。流石に想定外ダッダよ。術封じもモノともセズに…。オマエにとってスズランという娘はよほど特別ラシイな? 俄然興味が湧いた」
「だ、駄目だ…!! スズランに手を出すな!」
「ソコまでムキになる理由は? 唯の小娘だろう?」
「メルテ…。ミリアム嬢を大切に想っているならわかる筈だ。だからお前だって今こうやって動いてるんだろ? 俺は……俺だって同じだ、大切なんだ…。スズランを守るって決めた…!」
「ボクと同じ…?」
「理由なんてない…。大事な人を守りたい、それだけなんだ! メルテは違うのか…?」
「……フン。ボクをオマエなどど一緒にスルな!! ドコまでもイラつくヤツだ!」
再びメルティオールの杖がラインアーサの喉笛を捉えた。
「っ…!」
「コノままオマエの喉を凍ラセテやろうか? 二度とムダな口を訊けナイ様に…!」
「……お前には出来ない。俺の知るメルテはもっと人情味のある奴だ…!」
「っ…ナニをバカな! ボクは本当にヤるぞ?」
「……俺はお前の事を信じる。それにまだこの部屋の術封じ…。解除した形跡はない。始めからそんな気なんて無いんだろ?」
「オマエッ……今ボクの目の前で術を使ってオキながら…!!」
メルティオールが忌々しげに杖を握り直した。
「俺自身は何と思われようと構わない。でも俺の周りの友人や、大切な人が哀しむ姿は見たく無いんだ…」
「バカめ…。世の中そんなコト言ってたらやってられないンだ。……アーサ、オマエみたいな考えの甘いヤツは尚更だ…!!」
「……メルテ。お前、何かあったのか?」
「ダマレ。今度こそオマエの喉を潰してヤル! 術ナド使わなくてモ容易い。コノママ…っ」
メルティオールは杖を力一杯握りこむと、そのままラインアーサの喉笛へと杖先を押し付けた。
「ぁぐ…っメルテ! 待て…!」
───その時。
なんの前触れもなく、突如空気が重くなった。直後、まるで硝子に罅が入って軋む様な嫌な音が部屋中に響く。
「ナ、ナンダ今度は!? マタ、オマエの仕業か?」
「……いや、俺は何もしてない…!」
しかし瞬時にラインアーサの真横の空間が割れ破れた。空気そのものがまるで砕けた黒水晶の様に音を立てて粉々と地面へ散らばる。
その場に居た誰もが息を飲んだ。
破られた隙間から生温い空気が大量に流れ込み、ラインアーサは思わず眼を細めた。
「……ナ、ンダト? 一体ナンなんだ? オマエたちには術封じが通用しナイとでも言うのか…?」
「? …お前たち?」
メルティオールが焦りを見せつつ一歩後ずさる。隙間を覗き込む様にし確かめると、そこから響く聞き覚えのある声にラインアーサも動揺した。
「……無事ですね? ライア…」
「ハ リ…!? ……お前、なんで此処に…!!」
───破れた空間の向こう側から深い
「チッ……側近のお出迎えか」
「ああ。これはご無沙汰しております、メルティオール殿。この度は私の主君がご迷惑をおかけした様ですね…。それで、お礼は如何程?」
「キサマ、一体…」
「……お礼は如何程、と伺っているのですが。メルティオール殿」
「…っ!」
ハリは静かな声で尋ねると共に、メルティオールの喉元に腕を伸ばし人差し指を差し向けた。
「やめろっ! ハリ!!」
「何故です? 今貴方がされている事と同じ様にして差し上げようと思ったのですが?」
「俺は何もされてない…! それよりも先にこの縄の拘束を解いてくれるか?」
急いで訴えるとハリはあからさまに溜息を吐く。
「……全く、貴方と言う人は…。ご自分の状況を理解出来てます? 貴方は人質として拘束されているんですよ?」
「分かってるよ。……でもメルテにだって何か理由がある筈なんだ。でなきゃこんな事、出来る様な奴じゃあない…!」
「そうでしょうか。今現に貴方は差し迫った状況になっていますし、この誘拐事件騒動も十中八九メルティオール殿がなさった事なのでしょう?」
「そうかもしれないけど、俺はメルテにだって嫌な思いをして欲しくない……。何か理由があるなら話して欲しいと思っている!」
「ク…ッ……ハハハッ!! 相変わらず相当オメデタイな、コノ国の王子は。全くやってられナイ…」
「っ…!?」
メルティオールが呆れ返る様に笑い出し困惑する。ハリに至っては頭痛時と同様に指で顳顬を押さえ俯いている。
「はあ…。本当に全くやっていられませんね」
「だからイヤなんだ…! ボクは昔からオマエがニガテだ。どんなに当り散らシテもオマエは大抵風の様にすり抜ける。一人で怒っていたコチラがバカらしくなってクル……」
「殿下。ではそろそろ……」
ジェルマーノがメルティオールの耳元で何かを囁いた。
「ああ、ジェルマーノ頼む。フッ…。オマエの側近に心カラ同情スル。オメデタイ主の元に付くのは容易デハない。全くもってバカバカしいカラやめてヤル」
「やめる…? 何を…」
「帰る。今回は大人しく退いてヤルと言っている…」
「っ! じゃあ…」
「スズランと言う娘のコトを諦めたワケではナイ。今回は一度退くだけだ! ……それに、コレ以上ミリアに心配かけたくナイからな…」
メルティオールの声は最後の方になるにつれ早口で聞き取りづらくなったが、確かにラインアーサの耳に届いた。
「っ…メルテ! ありがとう!!」
「フンッ……知るモノか!」
ジェルマーノが素早く床に陣を敷く。術封じが解かれたのか、おそらく空間移動の魔術であろうその複雑な陣を見入る。
「殿下、急いで皇宮へ戻りましょう…」
「ワカっている、そう急かすなジェルマーノ。ああ、ソコの小物二人組の処分は任せる。コチラは唯のコマを利用シタに過ぎナイ…」
「…っオイ、ふざけるな!! 俺たちの事馬鹿にするなよ!!」
話題に出され我に返ったのか、例の二人組が暴れ出した。
「……待ってくれ! 動かしたのは本当にこの二人だけか? それに人質にされたこの者たちの意識はちゃんと元に戻るのか?」
「ウルサイなぁ。……利用シタのはソコの小物二人組のみだ! 更にソノ配下マデは知ラナイがな。抜け殻になったモノドモも十分に休養スレば直に戻るダロ…」
「そうか、分かった! ありがとう」
騒ぐ二人組を尻目に、呆れ返った様な仕草をするとメルティオールはジェルマーノの敷いた陣の中に足を運んだ。
「……いいんですか? メルティオール殿を帰してしまっても」
「ああ。メルテだって分かってる筈だ」
「ですが…」
「これ以上事を大きくすれば両国の関係性が危うくなる」
「確かにそう、ですね…」
ハリが隣で小さな溜息を吐いた。同時に空間移動の陣が発動し、部屋中仄暗い光に包まれたかと思うと瞬時にしてメルティオールとジェルマーノの体が薄い水の膜に覆われた。
ふとラインアーサの脳裏に疑問が浮かぶ。
「っ…!? ……メルテ! 待っ…」
「悪かったな、アーサ…」
───そう聞こえるか聞こえないかの声でメルティオールが呟いたのを最後に二人の姿は光と共に消えた。
「……」
「……どうかしましたか? ライア」
「……違ったんだ」
「違うとは、何がです?」
決定的な違和感があった。ラインアーサの中で疑問符がどんどん大きくなる。
「っ…嫌な予感がする……」
ラインアーサがそう漏らした直後、またもや部屋中の空間がねじ曲がる嫌な感覚に襲われた。この感覚は二度目だった。〝あの時〟の物と同じだ。ラインアーサが空間移動の際に感じた嫌悪感。思い出したかの様にちくりと二の腕が痛み出す。案の定、目の前の空間がじりじりと裂けてゆく。その隙間からぞくりとする程冷たい声が響いた。
「やれやれ…。やはり駄目でしたねぇ。まあ予想通り、と言った所でしょうか」
「誰だ…!? 姿を見せろ!!」
「おや、シュサイラスアのアーサ王子はとんだ礼儀知らずな方ですね。人に名を訊ねる時は先ず自らの名を名乗る、とママから教わりませんでしたかねぇ?」
「…っ! 何故俺の名を知っている?」
声の主は一向に空間の裂け目から姿を現さない。
「……ふう。其処の二人組…。私が手を貸してやったのにも関わらず失敗するとは屑にも程がありますよ?」
「……手を、貸す…?」
「まあ良いでしょう。どうやら私の見込み違い、完全に私の〝
ラインアーサが二人組を見やると先ほどとは打って変わりすっかりと大人しくなっていた。それどころか畏怖して萎縮している。
「……で す が。このままでは私の気の収まる所が有りませんねぇ」
声の調子が途端に下がり危機感を察知したラインアーサは咄嗟に叫んだ。
「ハリ!! その二人を連れてここから逃げろ!」
「何故です!?」
「いいから早く!」
「……おや? 其処にいらっしゃるのは……ま、まさかっ…!!」
何やら声の主のが狼狽えている様に感じた。
「なんだ?」
「……そんな、まさか。いや、然しながら今私の耳にはしっかり〝
「ハリの事を知ってるのか? ……お前一体何者だ…?」
「アーサ王子は少し黙ってて貰えます? 私、今とても大切な事を考えているのですから」
「っ…?」
少しの沈黙の後、声の主が裂け目から突如姿を現した。しかし、メルティオール同様黒いフードを目深に被り全く顔が確認出来ない状態だ。出てくるなりラインアーサと二人組を無視し、ハリの目の前で足を止めるなり跪いた。
「……
「いえ。……どなたか存じません。おそらく人違いでは?」
「はぇ…?」
「私は此方に居られるアーサ王子の側近です。確かに名はハリと申しますが」
そう答えたハリに対し男は立ち上がり講義し始める。
「……いや、どう見てもそのお姿! 貴方様は間違いなく
「一体何を言って…? ……痛っ!」
何かを感じたのかハリが辛そうに
「待ってくれ! ハリには昔の記憶が無いんだ! あまり刺激しないでくれ」
「なんと!? ……待ってください。
男は項垂れながら何かを小さく呟き続けている。
「なあハリ。この人、お前の事……ずっと捜してたって…」
「ですが今は貴方の側近です。それは変わりませんし、突如現れた見知らぬ人物を信用など出来ません。怪しすぎます」
「でも。何か訳を知ってるなら話位」
「ライア。……貴方はどうしてそう…」
「アーサ王子! 私は貴方を許しませんよ!!」
項垂れていた男が突然大声を出した。
「な、何だいきなり!」
男はフードの下から鋭く射抜く様にラインアーサを睨みつける。
「ああっ!
うろうろと歩き回りながら早口で一気に捲し立てると男は再び裂け目に身を投じた。
「あ…、おい! ハリの事を知ってるならもう少し詳しく教えてくれないか? それに何故スズランを狙うんだ!?」
「……誰が教えるものですか! 平和呆けな田舎の国の間抜け王子! 私はお前の元から必ずや
戦線布告の様に吐き捨て、男は裂け目と共に消えてしまった。
「……結局何だったんだ、あいつ」
「さあ。私にも分かりかねますね」
「いいのか? お前の事〝ハリ様〟って呼んで慕ってるみたいだったぞ? ハリも何か思い出せれば良いんだけど…。それと、あいつが使った空間移動の魔術…」
「……」
「あの感じ、恐らく俺がここに飛ばされて来たのはあいつのだ…。ハリ、お前がここに来た時のも同様の……魔術、なのか…?」
「……分かりません」
「分からないって、お前。俺は凄い驚いたんだぞ?」
唐突に空間を破り出てきたハリの事を思い出しながらラインアーサは声を上げた。
「……ですがこの辺りの空間が乱れてるのは分かります」
「空間の乱れ?」
「ええ。私を含め、メルティオール殿や先ほどの男が何かしら移動の術を使った為でしょう。とても歪んでいます。危険なので早く此処から離れましょう」
ハリは薄暗い部屋を見渡すと人質の民の数を確認し始める。
「あの、さ。ハリ…。ここから離れるのは良いんだけどひとつ頼みが…。俺の腕の拘束外して貰えないか?」
「はあ。それ本気で言ってるんです? 冗談ではなく…?」
ばつが悪いが正直に頷くと、ハリは溜息を吐きつつも漸く拘束の縄を切り落とし腕から外してくれた。
「ああ、やっっと自由が利く! ありがとなハリ」
「いざという時の為にも縄抜け位は覚えて置いてくださいよ、全く…」
「いや、縄抜けは得意なはずなんだけど…。どうにも外せなかったんだよこの縄!」
「なるほど?」
言い訳するも疑わしげな視線を寄越すハリ。
「本当だって! 動けば動くほど食い込んできて…」
「では何か特殊な術でも掛かってたのかもしれませんね…」
あからさまに呆れ気味のハリにラインアーサも苦笑する。
「それでハリ。人質にされていた民、三名も此処に居た。後この二人組の事なんだけど…」
「その二人についてはきちんと処罰を与えなくてはいけませんね。民の保護はどうします?」
三名とは言え、この場所から抜け殻状態の者を移動させるのはそう簡単ではない。二人組は拘束されたまま悔しそうに肩を落としていた。
「……あ、兄貴ぃ…。俺らついに潮時っスかねぇ…」
「クソっ!! 俺はまだ…っ」
其処へ馴染みのある明るい声が飛び込んできた。
「アーサ発見〜!! おーい無事かー?」
「ジュリ! 良いところに来てくれたな!」
「……お疲れ様です。ジュリアン殿」
「んん? あれ? ハリ!? 何でお前ここに居るんだ? お前はあのまま
「……まあ、色々あって来ました」
「はあ? どうやったら先に出た俺より早くここに着くんだよ!?」
来て早々、ジュリアンの頭に疑問符が浮かぶ。
「悪い。その話は後だジュリ…! 早速お前に頼みがある」
「おう! 人質にされていた民の保護だろ! 任せてくれ」
「ああ…。頼むよ」
「エミリオの隊とも合流して、外で待機させてる。無事に王宮まで移動出来る様に護送の準備をしてきたからな」
「ありがとう。あと、この二人組なんだが…」
「あああーー!! こいつら俺の隙をみて突然消えたんだ! 消えたって言うか空間に吸い込まれていったって言うか! とにかく逃げられてすまないアーサ」
「いや、仕方がない。きっとあいつの仕業だろうから…」
「へ? あいつって誰?」
おそらくメルティオールとは別に、先程の男が裏でこの二人組に指示を出し糸を引いていたのは間違いないだろう。
「……それでこの二人組の事なんだけど、お前の所で鍛えてやってくれないか?」
「…っ?!」
「はあああ??」
「な、何を言ってるんです? ライア。この二人については然るべき処罰を…」
「だからそれをジュリの所でやってもらう」
「俺の所でって、それだと処罰とは言えないだろ!」
「そうですよ。ジュリアン殿の所は入隊希望者が後を絶たない人気のある役職所です。甘すぎます、それでは処罰というよりも…」
突拍子のないラインアーサの提案にジュリアンもハリも、件の二人組さえ驚きを隠せないでいる。
「この二人は元々旧市街の荒くれ者だ…。しかし、それを返せば旧市街の情勢に詳く色々熟知している。それに然るべき処罰を下してただ罰を与えてもますます反感を強くされてしまうだけだ。ならば目の届く所の真っ当な環境で働いてもらった方が良いだろう?」
「しかし…」
「だからって俺の所かよ…」
「こんな事頼めるのはジュリだけだ。お願い出来ないだろうか……」
ラインアーサは真っ直ぐとジュリアンの目を見やる。
「…ったく、仕方がないな! 俺がアーサにその目をされると断れないっての知ってる癖に質が悪いぜ!!」
「……ジュリアン殿まで、本当に良いのですか?」
「主の命令だ、引き受けて絶対守るのが俺の主義だからな!」
「ありがとう、感謝するよ! ジュリ!!」
「全く。……私は理解に苦しみますが、お二人が良いのなら徹底的にお願いします。陛下への報告もお忘れなく」
「当たり前だろ! 任せておけって!」
一部始終やり取りを見ていた二人組が呆気に取られている中、ラインアーサは改めて二人に向き直ると柱に括られていた縄を外し拘束を解いた。更に癒しの風を吹かせ、傷付いた二人の怪我を癒す。晴れて自由となった二人はゆっくりと立ち上がるも落ち着かず視線を彷徨わせた。
「お前たち、確か名は……ジェロームとエヴラールと言ったな」
「っ!! エヴラールはまだしも、何故俺の名を?」
突然名を呼ばれ驚いたジェロームはラインアーサの顔色を伺う。
「以前街でそう呼ばれていただろう? 違ったか?」
「ちっ。わざわざ覚えていやがったのかよ!」
「俺は記憶力は良い方なんだ。さて、今からお前たちに処罰を言い渡す。───本日。たった今から、ジュリアン・アダンソンの下に付き、身心ともに鍛える様命じる。異論は無いな?」
「正気か? 王子さんよぉ。俺らみたいな荒くれ者雇ってどうするつもりだ?」
「兄貴っ。雇ってくれるってなら良いじゃあないか、俺らもう何処にも行く宛が無いし…」
「お前は黙ってろ!」
ジェロームはラインアーサの瞳を捉えると強く睨みつけてくる。それに応えラインアーサも視線を外さずに見つめ返す。
「……何か不満があるなら何時でも意見を聞き入れよう。しかし、懲りず以前の様に問題事を起こしたり、この国の民を脅かすと言うのなら容赦はしない。次は無いと思ってくれ」
普段からは想像もつかない程の低い声と厳しい顔つきのラインアーサにジェロームとエヴラールは息を呑んだ。
「……わ、分かったよ! 真面目にやりゃあ良いんだろ?」
「兄貴…! じゃあ俺ら王宮で雇ってもらえるんっスね!?」
「……ああ、そう言う事だそうだ。ならけじめをつけねぇとな…」
二人は互いに顔を見合わせ頷くと、気恥ずかしそうに頭を下げた。
「よ、よろしくお願い、します…」
「っしやス!!」
「馬鹿野郎こんな時位ちゃんとやれ! エヴラール!」
「……ふっふふふ! よしっ。たった今からお前らは俺の部下だぜ!! み〜っちり鍛え抜いてやるから覚悟してろよ〜!」
ジュリアンが二人の間に割って入ると両腕で肩を組む。この底ぬけに明るい性格にラインアーサは何度救われた事か。
「はわわっ!」
「っ…! いきなりやめろっ…じゃねぇ、やめてください…」
「お? 早速部下らしくなって来たな! んー、そうだな。特に言葉遣いは気を付けろよ? それにアーサのことは殿下って呼んだ方がいいぜ! え、俺? 俺は幼馴染だからいいんだよ! な、アーサ!」
一番説得力の無いジュリアンに言葉遣いを指摘される様子が可笑しく思わず吹き出す。
「く…っはは! お前が言っても全然説得力無いなジュリ! まあ、俺の事は好きに呼べばいいよ」
ラインアーサはくだけた態度で二人に笑いかけるも、そこでくらりと眩暈の様な物に襲われふらついた。
「っ…! なん、だ?」
「大丈夫です? 色々と無理をされた筈、先に王宮に戻って休んだ方が良いのでは?」
「いや、平気だ。それよりも…、俺は…」
「……分かってます。後の事は私たちに任せて行ったらどうです?」
「? ……何処に?」
「決まってるだろアーサ! スズランちゃん、お前の事心配してずっと待ってるんだぞ? こいつらの報告は俺から陛下に報告するし、人質にされていた民たちの搬送も任せろ! だから…」
「ハリも、ジュリもありがとう! ……でも毎回お前たちに任せてばかりなのは申し訳ない。俺にも手伝わせてくれ」
一刻も早くスズランに会いたいのは山々だが、自身の我儘で二人に負担をかけたくなかった。しかし……。
「何言ってんだ! 今のお前の仕事はいち早くスズランちゃんの所に行って安心させてやる事だろ!! でないと…」
「彼女。……ひどく落ち込んだ様子でした。見ている此方が辛くなる程に」
「っ…そうなのか?」
「ああ、だから早く行けよアーサ」
二人が口を揃えそこまで言うとなると、スズランが落ち込んでいると言うのは相当なものなのだろう。
「わかった…。直ぐに向かう! 報告とその結果は改めて確認する。一先ずジュリに任せるからな!」
「了解!」
「ハリ、お前の魔術についても後から説明してもらう。ちゃんと教えてくれ」
「……分かりました」
「ジェロームにエヴラール! まだ正式ではないがお前たちはもう隊の一員だ、頼むぞ」
「は、はい…!」
「へい! 頑張りやス!!」
「皆、ありがとう」
全員に頭を下げると、勢いよく踵を返し建物の外に出た。太陽がだいぶ高い位置にある。ここに飛ばされてから丸一日以上過ぎている事がわかった。
久々の外気に触れると、柔らかく肌に纏わり付く風に小さく礼の言葉を呟くラインアーサ。
「何時も風の加護、感謝するよ……」
それに応える様辺りに一陣の風が吹き抜ける。風を喚んだ事により雲が吹き飛んだのか、あのしつこいまでに降り続いていた雨はすっかり止み、どこまでも青い空が高く澄み渡っていた。
「今、俺がやるべき事…。それを果たそう」
ラインアーサは改めて強く決心し、スズランの元へと駈けた。