帰還と再会

文字数 8,473文字

 ─── 特別室
 ラインアーサはこの部屋に結界を張り、更に護衛を二人付けそれでも安心し切れず部屋の〝主〟自身にも(まも)りの術をかけている。
 そこまでしてもラインアーサが守りたい人物……。
 特別室は一般個室と比べ物にならないほどゆったりとした空間に大きく窓が取ってある。しかし景色を楽しむための窓には垂れ絹が掛けられており、室内は薄暗い。部屋の主は垂れ絹をそっと開き、外の景色を眺めていたが不意に振り返るとラインアーサに気付いた。
「アーサ!」
 父と同じくラインアーサを愛称で呼び、その顔立ちも父と良く似ている。長い間顔を見ることも叶わなかったが、唯の一度も忘れたことは無い。
 この十一年でとても美しく、大人の女性へと成長していた────。
「気分はどう? 姉上」
 姉、イリアーナは不安と喜びが入り混じった眼差しでラインアーサを見つめた。緑玉(ベリル)のように澄んだ瞳は母の瞳と同じ色。ラインアーサと同じく、焦がし砂糖を垂らしたような色合いの髪は肩のあたりでふわりと癖が付いている。 
「……なんだかまだ信じられないわ。貴方があの小さかったアーサだなんて」
 幼い頃は自分が見上げなければ目線が合わなかったが、今はイリアーナが見上げる側だ。
「十一年も経てば背くらい伸びるよ。姉上こそ最初は分からなかった、こんな素敵な女性に成長しているんだもの」
 イリアーナの両手を取りラインアーサはにっこりと笑った。
 この旅で各地を回り、その土地の女性たちと甘い夜を過ごす事も少なく無かったラインアーサ。特に年上女性の扱いが達者だ。ハリ(いわ)く、女性の敵。
「そ、そんなお世辞、何処で覚えたの? アーサ」
 少し頬を赤らめたイリアーナは、ラインアーサから戸惑いがちに瞳を逸らした。
「姉上…? 何か心配事?」
「え、ええ…少し」
 イリアーナは自分が(さら)われてしまった事により母の死を招いた事、そして何よりこの十一年。自国との連絡を一切取らず隠れていた事を気に病んでいるのだろう。だが、攫われた事はイリアーナの所為ではない上に実際、連絡を取る手段が無かったのだから気に病むことは無いのだ。しかし再会してからと言うもののイリアーナは自分に負い目を感じ続けている。
「母様の事を気にしてるのなら、俺にだって非があるんだ。あの時……俺は何も出来なかった。……それに! 姉上は被害者だ、連絡を取らなかったのだって他に理由があるじゃあないか!」
「違うのよアーサ、ちゃんと……ちゃんと話すわ。でも、お父様はこんなわたしの事を親不孝な娘だと思ってないかしら?」
 イリアーナの声が震える。
「そんな事、あの父上が考えると思う? それにこうして俺が迎えに来たのは姉上にとって迷惑だった?」
 イリアーナは全力で首を振りそれを否定した。同時に瞳から涙が零れる。
「だったら、姉上は何も心配しなくていいよ。帰ったらまず父上が離してくれないだろうし、しばらくはお祭り騒ぎになりそうだから覚悟しといて」
 そう言いながらラインアーサは優しくイリアーナの肩を抱き寄せた。
「ありがとう……アーサ」
「たった二人の姉弟なんだから当たり前だよ。それに、早く泣き止んで……俺、女性の涙には弱いんだ」
「まあ、アーサったら……ふふ」
 そんな言葉を微笑みながらさらりと口に出す弟を見て、イリアーナの心配事が一つ増えた。 
「ん? どうかしたの?」
「ちがうの。だってやけに口がうまいんだもの。お父様に似てきたんじゃないかしら、姉としては心配よ」
「大丈夫、父上は母様一筋だったから心配ないよ」
「うふふ、そうね」

 そうやって久方ぶりに姉と弟らしい会話を続けている間、列車(トラン)は着々と都に近づいてゆく。
 ラインアーサは懐かしい風景を眺めながらイリアーナと昔話に花を咲かせた。

 ────

 ────────

 列車(トラン)が滑り込むように王都の停車場へ入ってゆく。別れの場所であり、出発の場所でもあるこの場所は、シュサイラスア大国の中でも大きな賑わいを見せている。
 ラインアーサは停車場の(ホーム)を踏みしめると、自国の空気を肌で感じて一息付きながら背伸びをした。
「んー! いつも思うけど、自分の国が一番落ち着くな」
 同時に心地の良い風に包まれ、ラインアーサは(たの)しげに呟いた。やわらかい風が頬を、髪を優しく撫ぜてゆく。
 シュサイラスア大国の治安はとても良く、他国からの移民も多い。ラインアーサの父である国王のライオネルは他種族や難民を常時受け入れながらも、治安を保ち国を統制している。その為、停車場は何時でも様々な人種や種族でごった返しているのだ。
 以前は列車(トラン)を繋ぐ停車場が各国の首都へと繋がっていたのだが、内乱により現在はそのほとんどが破壊され不通状態のまま放置されている。八本あった路線の中、稼働しているのは三本のみである。
「今日は一際混み合ってますね」
「まずいかもな…」
「ライア、このままでは流石に目立ち過ぎますよ」
 人混みの中を掻き分けて停車場を出ようとしているラインアーサたちの一行だが、どうにも目立つらしく周囲の人々の視線に晒されていた。一見、旅人らしい装いでマント姿のラインアーサと黒いフード姿のハリは特別目立たないが、イリアーナは質素ながらも身成りの良い衣服を身に付け、顔を隠すように目深に帽子を被っている。その上、その傍らには護衛も二人付いていて如何にもといった雰囲気だ。
 通り過ぎる人々はイリアーナにもしや〝有名人のお忍び〟又は〝他国からの重要人物〟なのでは? と言った物珍しい好奇の目を向けていた。基本的に明るく、賑やか事を好む国民性のため好奇心旺盛な民衆が多い。
 イリアーナが堪らずラインアーサに着想を口にした。
「ア、アーサ! その……護衛はもう大丈夫じゃあないかしら?」
「あー・・・。……姉上、今その名で呼ばれると少しまずい」
「えっ!?
 民衆の間でアーサと言えば〝他国へ留学中のアーサ王子〟しかいない。ラインアーサは姉を探す旅へ出る名目上、国政を学ぶ為に隣大陸にある煌都(こうと)パルフェへ

という事になっている。
 イリアーナも行方不明ではなく、郊外の別宅で病気の療養中の為に不在と国民には伝えてあった。国の王子や王女が不在とあれば国民の不安や混乱を煽りかねない為、差し当たっての措置である。
「アーサ? もしやアーサ王子が国に戻られたのですか!?
 案の定、人混みの中から声が挙がった。その一声で益々停車場の通路(コンコース)が騒然となる。民衆の視線が一斉にラインアーサの一行に集まり、全く身動きが取れなくなってしまった。ラインアーサは押し黙り、イリアーナは更に深く俯いた。
「あの……違っていたら申し訳ない。あなた方いや、貴方様はもしやアーサ様では? その、後ろにいらっしゃる方は、まさかとは思いますが……イリア様ではありませんか?」
 期待を込めた眼差しで、紳士風の初老男性がおずおずと声を掛けてきた。しかし、これ以上騒ぎを広めると収集が付かないと判断したハリがやんわりとそれを否定する。
「申し訳ないですが、人違いですよ。アーサ王子はまだ留学中と聞きましたし」
「そ、そうでしたな! ……こちらこそ本当に申し訳ない。そちらのマントの方が、以前収穫祭の時にお見かけしたアーサ様と雰囲気が良く似ておって……」
「そんな……アーサ王子に間違われるなど畏れ多いですよ。では連れの具合が悪いので先を急ぎます、失礼」
「とんでもない! 足を止めさせて悪かったね」
「いいえ……」
 男性に一礼をするとまだ騒ぎの収まらない人集りから漸く抜け出して、停車場の建物の外へと急ぎ足で向かった。
「ハリ、助かった! ありがとう」
「気を付けてくださいね、ライア。貴方は見る人が見ればすぐにアーサ王子だと分りますから……イリアーナ様も、人混みの中ではご注意を」
「は、はい!」
 小声かつ早口で喋るハリ。その的確な意見にイリアーナも圧倒され気味だ。ラインアーサの軽い変装はあくまでもその場しのぎであり、一度会った事のある人物に対しての効果は薄い。その分色々と気をつけなければならない。
 建物の階段を一気に駆け降りると、目の前に広がる交差点広場の角に一台の大きな馬車が停まっているのが見えた。馬車の傍にはラインアーサの見知った人物の姿もある。ラインアーサはその人物に思い切り手を振りながら駆け寄った。
「コルト! 久しぶりだな、来てくれたのか」
 ライオネルの側近であるコルト。幼い頃からライオネルの片腕として大いにその手腕を発揮してきたコルトは、ラインアーサにとっても歳の離れた兄のような存在だ。
「もちろんですよ。このコルト、連絡を受けて飛んで参りました!! 両殿下、ハリ殿、ご無沙汰しておりました。陛下が王宮でそれはもう、首を長くしてお待ちです。急ぎで参りましょう」

 ────石畳みを進む馬車の車内はラインアーサの明るい声で溢れていた。

「アーサ殿下、専用通路の存在はご存知ですか? こちらを使えば安全に外に出ることが出来た筈なんですが…」
コルトが苦笑しながら先程の話題を振ってくる。
「私も列車(トラン)の下車前に通用口を勧めましたよ…」
「だってさ、別に悪い事したわけでもないんだし堂々としてれば大丈夫かと思ったんだよ。いや、少し浮かれてたかな。でも久しぶりに活気のある民たちを観れて安心した」
 普段から国の土地や民と触れ合うのが好きなラインアーサは嬉しそうだ。
「何暢気(のんき)なことを言ってるんですか。あの場で身元が割れれば揉みくちゃにされますよ? この国の民の元気の良さは陛下のお人柄と比例してますから、何かと騒ぎ立てるのが好きなんですよ」
 そのきっぱりとした言い草に、ハリを除く三人が吹き出した。先程迄緊張した面持ちだったイリアーナまでもが、口元を抑え肩を揺らしている。
 今日のハリは何かと饒舌で驚いてしまう。普段はもう少し口数が少ないのだが……。久々の帰国にハリも安堵しているのだろうか。ラインアーサは嬉しくなりハリに言葉を返した。
「おいハリ、お前父上の事どれだけお調子者だと思ってるんだよ! 確かに父上はかなり気易い面があるけどな」
 そこまで言うとラインアーサも父の性格を思い出し、また笑い出した。
「アーサ殿下、そんなに笑われては陛下がお気の毒ですよ」
 そう言いながらコルトは苦笑する。次いで、落ち着いた表情で一息付くと馬車の外へ視線を向けた。
 馬車は石畳みに揺られながら楓樹(ふうじゅ)の都を横断する。緩い傾斜のある通り路は、王宮の門へ続く。
「すみません、コルトさん。陛下を悪く言うつもりでは…」
「ふふ。わかってますよ、ハリ殿。さあ、もう間も無く着く様ですね」
 ハリは、長年ライオネルの側近を務めるコルトを身近な師表として慕っている。その為か、ハリの冷静な判断力と落ち着いた雰囲気はコルトとよく似ている。
 しかし───。ラインアーサはこの後、先程のハリの主張が正しかった事を身を持って体感することになるのだった。

「アーサ!! それに、イリア!!!! 逢いたかったよ!」
 勢い良く扉が開き、息を付く間も無く飛び込んで来た人物にラインアーサとイリアーナは揉みくちゃにされた。
「へ、陛下!? 只今こちらから謁見の間へ足を運ぶ所でしたのに…」
「待ちきれずに来てしまったが、いけなかったかい? 暫く振りの再会なのだから許してくれるだろう、コルト?」
「ええ、まあ……」
 コルトは目の前の光景に、苦笑いを浮かべながらも頷く。仮にその行為を咎められたとしても、ライオネルは両腕に愛する子どもたちをしっかりと抱きしめて離しそうにない。
「……父上、そろそろ離してくれって。姉上もまだ戸惑ってるし」
「お、お父様……少し、苦しい、ですわ」
 十一年ぶりに聞いたイリアーナの声にライオネルははっとなった。
「ああ、時の流れはなんて残酷なのだ! 暫く見ないうちに息子はすっかり大きくなっているし、娘はとんでもなく別嬪になっているじゃあないか! 子どもたちの成長を見守れなかった自分を責めたいよ」
 ライオネルは表情をくしゃりとさせ(なげ)いた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。二人は散々頭を撫で回され、頬擦りされ、ライオネルが満足する頃にはすっかり揉みくちゃになっていた。
「ったく! 何言ってるんだ、俺は成人する十八迄はちゃんと父上の側にいただろ!」
 漸くライオネルから解放され、自由の身となったラインアーサは乱れた身なりを整えながら呆れた口調で抗議する。
「そうだが。ならば、何故以前のように〝父様(とうさま)〟と呼んでくれないんだい? 昔は父様、父様と後をついてきて、それはそれは愛らしかったのに……」
ライオネルの美しい青玉(サファイア)の瞳がさも寂しげな表情を浮かべる。
「なっ! もうそういう歳じゃあないだろ…」
「さあ、イリア! もっと良く顔を見せておくれ? 本当に無事で……無事で良かった。長い間迎えに行けなくてすまない。こんな不甲斐ない父を許してくれるかい?」
 ライオネルはラインアーサとの会話の流れを軽く流しながらイリアーナの両肩にそっと手を乗せ顔を覗き込む。
「お父様…っ! わたしはっ…わたしの方こそこの十一年の間、何の連絡すらも出来なかったのにっ…どうか、……この親不孝な娘を許してください……」
 イリアーナの瞳から次々と涙がこぼれ落ちてゆく。
「そんな顔をしないでおくれ? イリア。父様はイリアが無事で居てくれた事が本当に嬉しいんだよ。それに、こうして戻って来てくれてこれ以上に嬉しい事はないよ。アーサも本当に頑張ってくれた、私はなんて幸せ者なんだ」
 ライオネルは再びイリアーナを抱きしめて喜びを露わにした。
「……お父様、わたしも嬉しい。本当に帰ってこれるなんて、まだ夢みたい…」
「ふふ、夢はこれから叶うのだよ! さあ、イリアもアーサも疲れているだろう? 今日はもう休むといい」
 親子の再会をコルトとハリはただ優しく見守っていた。だが、その直後のライオネルの発言に耳を疑った。
「よし、その代わり明日からは忙しくなるぞ! まず、朝一番で祝砲(しゅくほう)を打ち上げなくては。国民たちにイリアとアーサの帰国を知らせ、国を挙げて盛大に祝おう! コルト、今すぐ国に触れを出して早速祝祭(フェスト)の準備に取り掛かってくれ」
「へ、陛下?!
「うん? 何か問題でもあるかな?」
 垂れた目元を更に下げ、にっこりと微笑むライオネル。俄然水を得た魚のように張り切り出す。対するラインアーサは思わず眉根を寄せた。
「父上……それ、本気?」
「そうですよ陛下! お言葉ですが収穫祭(リコルト・フェスト)迄、一年の半分を切ります。急な祝祭(フェスト)は難しいかと……」
 コルトが最もらしい理由を付けて祝祭の提案を振り切ろうとするが、ライオネルはそれを遮る。
「なんだいアーサ、私は何時だって本気だよ? それに、収穫祭(リコルト・フェスト)程大きくなくて良い。私と子供たち二人を乗せた馬車で都の中心街を行進、なんてどうかな?」
 その場にいる者全員の表情が一斉にに引きつった。ライオネルを除いて。

 ────結局初日だけというのを条件に、馬車での行進は決行する事になった。それでも祝祭は五日間行われる事となりその間、国民たちは王子と王女の一斉帰還を喜んだ。楓樹(ふうじゅ)の都の中心街では行進に合わせて飲食店の路上出店や屋台、楽器演奏に踊りなどで賑わいを見せた。
 シュサイラスア大国の気候は常秋。一日の気温差が激しく、日中の賑わいは気温の下がる日没後には収まり、人々は暖を求めて飲食店や酒場(バル)へと流れてゆく。

 ─────
 ───

「……なんだよハリ。わかったって、お前の言い分は正しかったよ。そんな目で見るなって」
「だいぶ疲れたみたいですね、ライア」
「当たり前だろ? 昨夜は大して眠れなかった上、朝方にはあの大きな祝砲の音で叩き起こされて……今やっっと馬車での行進が終わった所なんだ」
 ラインアーサは大きな欠伸をすると、日中ずっと馬車に座り通しで硬くなった身体を伸ばした。
「朝弱いのに、良く起きれましたね」
 朝弱い事自体は否定はしないが、果たしてあの祝砲の音で起きない者が居るだろうかとラインアーサは思った。
「うう、ずっと笑顔でいたせいで顔が痛い」
 行進の間ずっとよそ行きの笑顔を浮かべていた為、表情筋も硬直している。
「しかし、街娘たちはその笑顔にすっかり騙されてましたよ」
「騙すだなんて人聞きの悪い! なんだよさっきから。ハリも疲れてるのか?」
「……まあ、陛下の賑やか事好きに改めて驚いているだけですよ。ところで陛下とイリアーナ様はどちらに?」
「ああ。大事な話しをするって、二人で先に王宮へ戻ったよ」
 ────大事な話。恐らくイリアーナを十一年もの間匿っていてくれたオゥ鉱脈都市の今後の所在について話し合うのだろう。内乱時に消滅したと言われていた〝大地の息吹(ティエラ・アリェント)〟と宝石の都───。
 密かにだが、それでも滅ばずに生きていてくれて本当に良かった。
「……俺は後から戻るけど、ハリはどうする? 疲れてるならこれ持って先に帰っててくれないか?」
 ラインアーサは堅苦しい正装の上着と、かぶっていた羽飾りの帽子を脱ぐと一纏めにし、行進時に街娘たちから渡された大きな花束や祝いの品々と共にハリへ押し付けた。
「なんですかライア……こんな大荷物どうしろと言うんです?」
「先に戻って俺の部屋に置いといてよ。なんなら後からハリも来る?」
 ラインアーサは調子良く笑って見せた。この笑い方にハリの直感が働く。
「……駄目です。ライア、その〝癖〟そろそろ改めた方がいいですよ? そんな風でも貴方は一国の王子なのですから」
「何で? 国のことをもっと知りたいと思うのは悪いことじゃないだろ? て言うか、そんな風ってどんな風だよ!」
 ラインアーサは非公式、すなわちお忍びで街を出歩くのが趣味。という困った王子であった。王子という立場からでは普段触れることの出来ない些細な情報や、何気ない街の雰囲気を旅人に扮して触れるのが好きなのだ。
「眠いんじゃあなかったんです? それに、もうすぐ日没です。……すぐ戻りますから、その辺りで待っていてください。私は一応、貴方の側近ですからね」
「お、話がわかるじゃん! じゃあ俺は適当に時間潰してるから、城下にあるすぐそこの酒場(バル)で落ち合おう」
「はあ……分かりました」
 ハリは呆れたような溜息を溢しながら、足早に王宮へと戻っていった。ラインアーサはマントを羽織り直すと、ある場所へと足を運んだ。
 王宮を囲む城壁の横手にある小さな森。幼少の頃からの、ラインアーサのお気に入りの場所だ。
 以前と変わらぬ風景。美しい小川のせせらぎに小鳥が囀り、心地の良い風が吹き抜けラインアーサを癒す。
「ここは昔と変わらないな。小さい頃は良く来てたけどな…」
 ラインアーサはふと、あの夢の続きを思い出していた。この場所で不思議な少女に出逢った事を。
「あの子、父親見つかったのかな……」
 泣いていたあの少女の涙を止めたいと思った事、父親を探すと約束をした事を今でも鮮明に思い出せるのは何故だろうか。
 あの日の以降。ラインアーサは来る日もこの場所で少女を待ったが、少女が再び姿を現すことは無かった。おそらく父親が迎えに来たのだろうと解釈し、次第にこの場所へ来ること自体少なくなって行ったのだ。
「……本当にあれが初恋だったのかな。じゃあ、初恋は実らないって言うのは嘘じゃあないんだな」
 口に出してみると一気に恥ずかしくなりラインアーサは空を見上げた。空はすっかり夜の色に染まりかけていた。感傷に浸っていると俄かに何時もとは違う風が吹き抜け森の樹々が騒つく。ラインアーサは直感的に警戒し声をあげた。
「誰だ!?
 振り向くと、小川にかかる小さな石橋の中央に誰かが立っている。だが辺りはもう薄暗く、はっきりと姿が見えない。警戒を解かぬまま確認する為に近づくと、その人影の輪郭から女性らしいという事に気が付き少し気が抜けた。王宮は常に警備の目が行き届いている筈だが、ごく稀に曲者が敷地内に紛れ込む事があるのだ。
「何者だ? 此処を王宮の敷地内だと分かって侵入したのか?」
 警戒を解かず低い声でその女性に詰め寄ると、少し怯えた声色で謝罪の言葉が返ってくる。
「……す、すみません! 今すぐ立ち去ります、ごめんなさいっ」
 次の瞬間。ラインアーサの目を真っ直ぐ見ながら謝罪をする女性の顔を認めて、鼓動がどきりと高鳴った。
 薄暗い視界の中、不確かではあったが───
 目の前の女性の可憐な顔立ちや、薄い千草色(ちぐさいろ)の髪や透き通るような白い肌は、ラインアーサの記憶の中の少女と良く似ていた。しかし、こう暗くては決定的な瞳の色が確認出来ない。あの少女は、美しく淡い虹色の瞳をしていたはずだ。
「……あ、の? 本当にすいませんでしたっ」
 ラインアーサは、急いで(きびす)を返そうとした女性を思わず呼び止めた。
「待て。一体此処に何をしに来た?」

 まさか……
 あの少女なのか?
 ラインアーサは速まる鼓動を抑えつけ、期待するような視線を送る。目の前の女性は、困った様な表情でラインアーサを見つめ返していた。

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登場人物紹介

ラインアーサ・S・ローゼン

(ライア)

本編物語の主人公。

シュサイラスア王国の王子。
王子と言う立場を隠し、お忍びで城下の街をぶらつくのが大好き。

スズラン

本編物語のヒロイン。

酒場の看板娘。

セィシェル

酒場のマスター、ユージーンの一人息子。スズランに寄り付く人物はゆるさない。

ハリ

ラインアーサの側近。

記憶喪失で二重人格。

ジュリアン

ラインアーサの幼馴染。

民兵警備隊の副隊長。

妹大好きなシスコン。

エリィ

謎の美女。

ラインアーサに懐いている。

イリアーナ

ラインアーサの姉。

ずっと行方不明だったがラインアーサが居場所を捜し、漸く帰国する事ができた。

リーナ

ジュリアンの妹。

ラインアーサに淡い想いを抱いている。

ユージーン

酒場のマスター。

ライオネル

シュサイラスア大国の国王。

ラインアーサの父。

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