恋心

文字数 8,211文字

    
「───スゥ!」

「おいで、俺がパパを探してあげる」

 そう、言ってくれたのは誰だったっけ。

「お利口にしてたら迎えなんてすぐだ」

 そう言って、涙の止まるおまじないをしてくれたのは誰だった?おひさまみたいなきらきらの笑顔で笑いかけてくれたのは誰?

 きっと、これは夢。
 自分が傷つかないように、自分で作り出した夢に違いない……

 だって、わたしは捨てられたのだから。


 ────

 ───────


「ライア、……ライア! いつまで寝てるんです? 早く起きて陛下の執務室へ行ってください」
 寝室の扉を何度も叩く音で目が覚めた。昨日はなかなか寝付けなかったのだから、もう少し寝かせておいて欲しいのだが。どうやらそうさせては貰えないようだ。
「……入りますよ?」
 扉が開き早足の足音と共に寝室の窓が開け放たれ、新鮮な朝の風が入ってくる。
「……んん、ハリか。お早う」
暢気(のんき)に挨拶も良いですけど、早く身支度をして陛下の執務室へ。相変わらず朝に弱いですね。それとも二日酔いで?」
 まだ頭が冴えないが、二日酔いというほどではない。
「あー、大丈夫みたいだ。支度したら直ぐに父上の執務室に向かうよ」
「では、私も執務に戻りますので何かありましたら呼んでください」
「ああ……」
 ハリはそれだけ言い終えると、素っ気なく部屋を出て行った。
 働かない思考を切り替える為、熱めの湯を全身に浴びる。動きやすい服装に着替えると食堂で軽く朝食を取り、その足でライオネルの執務室へと向かった。

「お早う! アーサ!!
 ライオネルの執務室を訪れるなり力強く抱擁され、ラインアーサはたじろいた。
「父上は朝から元気だな……」
「ん? アーサは元気じゃないのかい? 昨日は遅くまで戻らなかったそうだが何か心配事かい…?」
「いや、そういう訳じゃあ……」
 昨晩遅くまでバルに出向いていたことは既に筒抜けらしい。
「アーサは存外、他人のために無理をする所があるから父様は心配なのだよ? その性格は母様譲りだな……早く何処かの素敵なお嬢さんを連れてきて婚約発表でもしてくれると少しは安心なのだがね」
 唐突に振られた婚約の話に辟易(へきえき)したラインアーサは、少々強引に話題を変えた。
「……父上と姉上はあの後、母上の墓前に花を捧げてきたってコルトから聞いたよ」
「イリアが行きたがっていたからね。それと、例の話は真実なのだね?」
「……ああ、オゥ鉱脈都市は滅んでいない。十一年もの間、姉上を保護してくれていた。復興に向けて地下に都市が広がっているんだ。俺も地下都市を目の当たりにして驚いたよ! 内乱前から密かに計画していたらしい」
「そうか。私は本当に申し訳ない気持ちだよ……」
  オゥ鉱脈都市はひっそりと生きている。元よりシュサイラスア大国の傘下であるオゥ鉱脈都市。その領主一家のローズ家とは交流が深く親族のような間柄だ。
 内乱時、その領主一家全員の命が狙われたのだ。都市に火を放たれ、領主 アルマンディと長男のブラッドフォードは惨殺された。オゥの民は傷付き亡くなった者も多く、シュサイラスアでは沢山の避難民を受け入れた。
 領主の妻、ルチアと次男のカルセディはどうにか保護することが出来たが、都市は壊滅状態。実質的に滅んだと言われていた。長男のブラッドフォードは、ラインアーサにとって実の兄のように慕っていた存在で、イリアーナとは当時から恋仲にあったのだ。
「……父上」
「ローズ家には多大な負担をかけてしまった……」
「でも……ブラッド兄様は生きてるんだ。内乱時は瀕死状態にあったけど姉上が懸命に看病して今は後遺症も残ってないと言っていたよ」
 イリアーナは〝風の息吹(アイレ・アリェント)〟を使った癒しの術が得意だ。それを駆使しブラッドフォードの命を救ったのだろう。
「……二人は今でも愛し合っているのだね?」
 ラインアーサはライオネルと瞳を合わせ深く頷いた。
「ブラッド兄様が生きてるとわかれば、また命の危険に晒されるかもしれない」
 イリアーナはそれを恐れ、身動きが取れず都市に留まっていたのだろう。そもそも連絡手段も無ければ都市と大陸を繋ぐトランの路線は破壊されており、イリアーナ一人の力では到底帰って来れない状態だった。どんなに辛く、心細い思いをしたのか計り知れない。
「だから……父上っ」
「分かっているよアーサ。既に本日付でオゥ鉱脈都市には警備隊を派遣した。直ぐに連絡を取れるよう術に長けた者も何人か同行している。オゥは我々シュサイラスアの傘下都市なのだから一度は断念してしまったが今度こそ復興出来るよう努めよう」
「ありがとう父上! で、姉上は?」
「この後イリアと一緒にルチア婦人とセディ君の所に挨拶に向かう予定だよ。もちろん二人の婚約発表が出来るようにね」
 そう言ってライオネルは軽く片目を綴じて見せた。
「よかった!」
「しかしアーサ。今回イリアの居場所を掴む為とはいえ、また随分と無茶をした様だけど大丈夫なのかな? ちゃんと自分の事も考えているのかい? なんなら国内や他国の御令嬢から沢山来ている縁談の一つを受けてみても良いのだよ?」
 喜ばしい話題にすっかり安堵していた所、またもやその話題に戻されラインアーサはあからさまに顔を顰めた。
「父上……俺は、まだやりたい事があってすぐに縁談や婚約という気分にはなれない」
 ライオネルは腕を組み深く息を付くとラインアーサを見据えた。
「……ハリ君の事だね? だが彼はおそらくルゥアンダ帝国出身だよ。彼の家族を探すのこそそう簡単にいかない」
「だけど、ハリは時々はっとするような雰囲気の時があるんだ。俺の側近なんかやってて良いのかなって……」
「ハリ君はなんて言ってるんだい?」
「生涯この国に居ても良いみたいなこと言ってるけど、おかしいだろ? 姉上だってそうだったんだ、本当は国に帰りたいって思ってるかも…」
 ラインアーサは日頃からハリに感じている想いを打ち明けた。身内の捜索でさえ何年も費やしたのだ。人探しはそう簡単ではないのは理解している。
「しかしアーサ。現状、ルゥアンダ帝国には入国出来ない。無茶をして父様を心配させないでおくれよ?」
「わかってるよ…」

 極夜(きょくや)の国・ルゥアンダ帝国は先の内乱の首謀国であり、今は鎖国を貫き沈黙状態にある。
 内乱を起こしたルゥアンダ帝国が憎くない訳では無いが、家族が離れ離れなのは国も土地も関係なく気に掛かるのだ。ラインアーサ自身がそうだったのだから。

「──ライア。今日もあの酒場(バル)に出向くのですか?」
 ここ数日。日没後になると決まって王宮を抜け出すラインアーサにうんざりした様子のハリが立ちふさがった。
「……ちょっと、野暮用があってな」
「夜遊びでないだけましですけど、何故毎晩同じ酒場(バル)に通う必要が? あそこで得られる情報はもうたかが知れてる筈ですが」
 あれからラインアーサはあの忌まわしい誤解を解くため例の酒場(バル)へほぼ毎日通っていた。しかし一向に誤解が解ける兆しは見えず、というよりもますます立場が悪くなっている様に思う。
「……なあハリ、俺って変態か?」
「唐突に何を言うんです? 貴方が変態かどうかなどは知りませんが、女性の敵ということは知ってますよ」
 無表情のままハリが答えた。
「なんだよハリ。冷たいなー」
「よく分かりませんが、あまり目立った事をしますと陛下の心配の種が増えるので程々にしてくださいね」
「ああ……分かってるつもりだよ」
「……そうですか」
 小さくため息を吐きながら忠告するハリを横目に、ラインアーサは今晩も例の酒場(バル)へと足を運ぶ。


「あ、こっちよ! ライア!! うふふ今日も来たわね。もう何日目かしら? よく続くわねぇ」
 誤解が解けない理由の一つ、エリィだ。彼女はラインアーサがカウンターに席を取るとすぐ様隣に座った。
 あの日出会ったエリィは服装、化粧共にとても華やかで派手な見た目の女性だ。出会って以来エリィはバルでラインアーサを見かけると何かと纏わり付き離れないのだ。流れる濃紺(のうこん)の髪に星の様な色の瞳が印象深く、誰が見ても認める程の美女だ。その上、服装は目のやり場に困る程に露出が高い。
 そこへ理由の二つ目、セィシェルがやってくるともう最悪だ。
「また来たのかよ変態男! 何度来たってスズには絶対会わせないぜ!!
 そう悪態をつきながら渋々注文を取るセィシェルに、毎度の事苛立つ。エリィのおかげなのかは怪しいが、どうやら〝ロリコン〟疑惑は晴れた様だ。だがまだ〝変態〟という呼称が残っている。
「ここまであの番犬(ナイト)君から嫌われてる人初めて見たわよ……なにも酒場(バル)はここだけじゃあないんだし店を変えたら? あたしお勧めの酒場(バル)知ってるから一緒にどお?」
「俺はスズランに話があって来てるんだが……」
  不名誉な誤解を解く為に。 
「ふふふ、ライアって意外と一途なのねぇ。スズランちゃんが羨ましいわ」
「別に。俺は誤解を解きたいだけで特にそういう感情は無い」
「あら、そぉ? ならあたしの誘いに乗ってくれても良いじゃあないの。ね、マスター」
「………」
 この酒場(バル)のマスターはどんな話題を振っても無言で(うなず)くのみだ。実際ラインアーサはエリィの様な歳上の女性の方が相手しやすく、好みである。
 今まで交流してきた女性も殆どが歳上だ。だがこの酒場(バル)にはそういった目的で来ている訳では無い。
 極め付けに三つ目の理由。エリィはやたらと女性の知り合いが多く、時折その女性たちに囲まれてしまうと傍から見ればまるでハーレム状態となる。そんな時に限って、その様子をスズランに目撃されてしまうのだ。
 スズランは決まって不快げな視線をこちらへと投げつけてくる。もうそろそろ心が折れそうだ。
 唯一の救いはこの酒場(バル)のマスターであるユージーンには何故か気に入られてる事。息子のセィシェルと良く似た顔立ちだが、性格は真逆でとても落ち着いた雰囲気の渋い男性だ。
「ふぅん。そんなにあの子とお話しがしたいの? なら待ち伏せでもすれば?」
 待ち伏せなど、ますます嫌われそうな気がするが。何故誤解を解きたいのか、何故スズランに嫌われたくないのか、自分でもよく分からない。強いて言えば女性に嫌われるのはこれが初めてなのだ。それで躍起(やっき)になっているのだろうと思い当たる。ラインアーサは短く息を吐いた。
「今日はもう帰るよ」
「あら、今来たばっかりなのに? じゃあその手付かずのオリーブとチーズのお料理、あたしが頂いちゃおうかしら?」
「……どうぞ。て言うかエリィは人の料理を取るのが趣味なのか?」
 初めて会った時もラインアーサの料理を勝手に食べていたのを思い出し、つい笑みがこぼれた。
「だって勿体無いじゃないの! それはそうとライア。貴方って笑顔がとっても素敵なのね。ねぇ、もう一度笑って見せて?」
「いや……またな」
 うっとりとエリィの頬がほんのり赤く染まった。そういえば笑うの自体久々だと思いつつ席を立つ。
 笑顔といえば、スズランの笑顔がもう一度見たいのだ。花が綻ぶ様な……あの愛らしい笑顔。
 セィシェルと話す時や客の対応時、スズランはよくその笑顔を見せる。煌めく虹色の瞳を細めては可愛らしく笑うのだ……。しかしラインアーサを見る瞳だけはとても冷たい。嫌われているのだから当たり前だ。
 もう酒場(バル)に通うのは今日で終わりにしよう。かなり敗北感は残るものの、これ以上ライオネルやハリの心労を増やすよりは良いだろう。
「未成年の子供相手に大人げないか……」

 エリィと別れ、会計を済ましたラインアーサは、酒場(バル)の裏手に回り込みむと森の中を通り抜けようとした。丁度その瞬間、建物の裏口が開き酒瓶の入った木箱を重そうに抱えた人物と出くわした。と言うか今にも落としそうで見ていられない。
「っ! ……危ない!!
「きゃ!!
 突然の大きな声に驚いたのか限界だったのか案の定、木箱は派手な音を立て地面に落下した。
「ああっ! またセィシェルに怒られちゃう……何本か割れちゃったかなあ?」
 覚束ない手付きで瓶を確認するスズラン。そんなに安易に瓶に触れたら……
「っい た!」
 予想通りの展開にラインアーサはため息を吐きながらスズランに歩み寄る。
「……お前、何やってんだ?」
「あ、あなたは……ライア!」
(っ!!)
 唐突に名を呼ばれ、どきりとした。しかしラインアーサの姿を確認するや否や、スズランの顔が一気に引きつる。やはり実際に何かをした訳でもないのに、そんな反応をされるのは気に食わない。
「あ、あなたこそ……何故ここにいるの?」
 こちらを訝しむスズランの表情に慌てて状況を説明する。
「おい、別に待ち伏せとかじゃあないからな? 今から帰るとこだったんだ!」
 思わず森の方を指差してから、しまったと言わんばかりに口元を押さえた。まさか王宮へ戻るから森を通るのだとは言えない。
「帰るって……でも、その森は王宮の敷地でしょ?」
「ち、近道だ。俺の家はあっちなんだよ……」
 方角で誤魔化したつもりだが暫くの間、その場が重苦しい空気の沈黙に包まれる。
 ぽたりと、スズランの細い指先から鮮血が滴り落ちた。
「っ痛」
「手、見せて」
「……でも」
 ラインアーサが手を差し出すと、あからさまに怯えた表情になる。
「いいから」
 強引にスズランの手を取り指先の傷を確認した。この位の傷ならば簡単に治療出来る。イリアーナ同様、ラインアーサも風の息吹(アイレ・アリェント)を借りた癒しの術が得意だ。シュサイラスアに古くから住まう民は皆、元より風の息吹(アイレ・アリェント)を感じ取る事が出来、日々の生活を助ける程度の風の術を扱うことが出来る。
 だが王族である場合、術力、技量共に一般の民とは比べ物にならない程高く、より高度な術も使うことが可能だ。ラインアーサは(てのひら)に風を集め、その風をスズランの指先に向かってそっと吹きかけた。
 暖かくそよぐ風に、傷が癒されてゆく。瞬く間に傷が塞がり、スズランの華奢な指先は元通り綺麗になった。
「……なおった…の?」
「ん、一応治したけど……帰ったら念の為消毒した方がいい」
「……あ、の……どうして治してくれたの?」
 スズランと瞳が合う。煌めく瞳に、今は怯えも感じられない。
「お前さ……なんで俺にだけそんな冷たいの? 俺、何かした? 礼ならいらないから教えてよ」
 今なら素直に話してくれるだろうか。
「だ、だって、セィシェルが……あなたに近づいたらだめって。あぶないから……」
 危ない!?
 セィシェルはどの様にラインアーサの事を話して聞かせているのだろうか。無性に腹が立って来た。だがセィシェルに対する苛立ちよりも、スズランの無防備な表情と先程から鼻先を(くすぐ)る花の様な香りがラインアーサの判断を狂わせる。
「……危ないって、どんな風に?」
「え?」
 スズランの少し呆けた様な顔を見つめていたらどうでも良くなって、無意識にその唇に手を伸ばしていた。
「例えば、こうとか?」
 瞳をそらさずに親指で唇をなぞる。(てのひら)の中で僅かに身動ぎするスズラン。しかし、戸惑いながらもあどけない表情でこちらを見つめ返してくる。
「……? …」
 今から何をされるのか想像がつかないのだろうか。不思議そうな瞳が淡く煌めいて見えた。ラインアーサはゆっくりその表情を堪能してから、スズランの唇に自身のそれを押し付けた。薄く開いていた唇を吸い、探るように舌を入れてかき回すと今度は大きく反応を示した。はじめは抵抗するも、暫くすると次第に大人しくなりスズランは力が抜けたようにその場にへたり込んだ。
 先程までの苛立ちは不思議と消えていて、気分が良くなるとラインアーサはわざと意地悪な笑みを浮かべて囁いた。
「いい反応……誘ってんの?」
「なっ! ……なっ!?
 首筋まで真っ赤に染まったスズランが必死に抗議するような目付きで睨んでくる。その瞳には薄っすら涙が滲んでいて、ラインアーサをますます掻き立てた。
 今ならセィシェルの気持ちが多少理解できる。確かにスズランは無防備過ぎるほど純真で見ていて危なっかしいのだ。まだ大人になり切っていない、故に無防備で真っさらなのか。
 ラインアーサは知らない。色恋沙汰においては、今まで嘘や駆け引きなど多少割り切って異性と交際してきた為、自分の気持ちを素直に伝える方法を知らないのだ。仄かに湧き上がる純粋な感情に正直になれない。
「おい、スズ? まだ片付かな……なっ? 変態野郎っ!? 何であんたが此処に居るんだっ! ……まさかスズに何かしたのかよ!?
 突如裏口から現れたセィシェルは、刺すような視線でこちらを睨みつけながらスズランに駆け寄りラインアーサの前に立ち塞がる。スズランの腕を掴み無理矢理立たせると、その細い腰に手を回し強引に引き寄せた。
「セィ、シェル!? やだっ、はなして!」
 セィシェルはラインアーサを睨みつけたまま性急にスズランの頬へ唇を押し付けた。スズランはますます真っ赤になり俯いてしまった。
「っ…!!
「あんたは女なんて不自由しないし誰でも良いだろーけど、俺はずっと前から一人って決めてる! だからスズに手をだすなよ!!
 女に不自由していない、誰でも良い、だと?
 その物言いにまたもや言われのない苛立ちを感じる。だがそんなことよりもセィシェルの真っ直ぐな想いに激しく動揺した。その動揺を隠すようにラインアーサは咄嗟に、売り言葉に買い言葉の如くセィシェルを嘲笑った。
「へぇ。ガキ同士お似合いじゃあないか……安心しろよ、俺は年下は好みじゃあないんでね」
 だがすぐにこれは負け惜しみだと自分でも分かった。これは堂々と気持ちを相手に伝えたセィシェルに対する、悔し紛れの空威張りだ。しかし、やはりもうこの酒場(バル)に通うのはスズランにとっても迷惑だろう……。
「そんなこと言っても信じるもんか。あんた、何時だってスズを目で追ってる癖に……自分で気づいてないのか!? 本当にそう思ってるならもううちの店に来るなよ、迷惑だ!」
「ああ、俺はこの酒場(バル)にはもう…」
「二人とも、わけわかんないっ!!
 この酒場(バル)にはもう来るつもりはない。そう告げようとしたが突然スズランが叫ぶように声をあげた為かき消された。怒っているのか俯いたまま肩を震わせている。
「スズ!?
「なんで二人が喧嘩するの? ……わたしが迷惑かどうかなんて、わたしが自分で決めることだわ!」
 スズランの言葉にはっとする。
 全くその通りだ。周りがどう口出ししようと、決めるのはスズラン本人なのだから。
「わたし……仕事に戻るね」
 スズランはセィシェルを押し退けるとバルの中へ早足で戻って行った。
「待てよ! 俺も戻るって……スズ!! おい変態! スズはあんたなんかに絶っっ対渡さないからなっ!」
 そう振り向きざま吐き捨てながらセィシェルもバルの中へと走り去った。

 本当はわかっていた筈だ。ただ認めるのが怖くてそれらしい理由を付けていただけで、誤解を解きたいのも、嫌われたくないのも……このバルに毎日通ったのも……。スズランが初恋の相手だからではない。
 王宮の森で再び出逢った時から何時も心がざわついていた。花が綻ぶ様に愛らしく笑うあの顔をラインアーサにも向けて欲しくて躍起になっていたのだ。見た目と中身が少し不均衡で見ていると危なっかしい。まだあどけなさが残っている癖に妙に色気のある表情をする少女。
 口付けた時、花の様に甘くて透明感のある香りがいっそう濃くなり脳が痺れた。スズランがその場にへたり込むまで離せなかった。セィシェルがスズランの頬へ唇を寄せた時、物凄く心がざわついた。自分のした行為は棚に上げ、目の前がカッと熱くなった。
「っ……何だよ、これ……」
 心の中に渦巻く感情……これは嫉妬だ。
 ラインアーサは初めて嫉妬と言う感情を知り、胸が焦げ付いてしまうかと思った。同時に、真っ直ぐスズランに気持ちを伝えたセィシェルが羨ましかった。咄嗟の強がりは何の効果もなく、唯の負け惜しみ。
 無防備で真っ白で、何色にも染まっていない。弱々しいかと思いきや、自分の意見はしっかり主張出来る不思議な少女。
 スズラン。もう一度会って、話して、自分のこの気持ちを確認したい。
「いや……もうだいぶ、重症じゃあないか」
 ラインアーサは額に手をあて、空を見上げるも瞳を閉じる。
 ひんやりとする風が吹き抜けた。燻っていたラインアーサの心の炎は消えるどころか煽られてますます強くなっていた。

 
 
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登場人物紹介

ラインアーサ・S・ローゼン

(ライア)

本編物語の主人公。

シュサイラスア王国の王子。
王子と言う立場を隠し、お忍びで城下の街をぶらつくのが大好き。

スズラン

本編物語のヒロイン。

酒場の看板娘。

セィシェル

酒場のマスター、ユージーンの一人息子。スズランに寄り付く人物はゆるさない。

ハリ

ラインアーサの側近。

記憶喪失で二重人格。

ジュリアン

ラインアーサの幼馴染。

民兵警備隊の副隊長。

妹大好きなシスコン。

エリィ

謎の美女。

ラインアーサに懐いている。

イリアーナ

ラインアーサの姉。

ずっと行方不明だったがラインアーサが居場所を捜し、漸く帰国する事ができた。

リーナ

ジュリアンの妹。

ラインアーサに淡い想いを抱いている。

ユージーン

酒場のマスター。

ライオネル

シュサイラスア大国の国王。

ラインアーサの父。

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