ふたりの想い
文字数 12,092文字
「……なあ、もう少しそっちにいけよ」
「そ、そんなこと言ったって…!」
結局ラインアーサはスズランと一緒にベッドで眠る事になった。大きな広いベッドとは言え、すぐ隣で手を伸ばせば簡単に触れられる所にスズランが居るので酷く落ち着かない。ここ最近は長雨続きの所為か夜はやけに冷え込む。
「……ちゃんと毛布かかってるか?」
「うん。でも少し寒い、かも」
「寒い? もう湯冷めしたのかよ」
思わずスズランの手を探り掴むとその指先は思いの外ひやりとした。
「ひゃぁ! きゅ、急に触らないで!」
「わ、悪い…っ俺、やっぱり隣の部屋行くから、お前一人でベッド使えよ」
「だ、だめ! ライアが風邪ひいちゃうもの…! だったらわたしが長椅子 で眠るからライアがベッド使って!」
またこのやり取りだ。
先程からずっとそれで揉めているのだ。
「何言ってるんだ。めちゃくちゃ冷えてるくせに!」
「だって…」
「ああ、もう。これじゃあいつまでたっても眠れやしない」
そう言いラインアーサはスズランを背中から抱き寄せて毛布を被り直した。
「っきゃ!?」
「これしか方法ないだろ? 嫌でも我慢してくれ」
「…っ」
身体が密着し、これ以上ない程に鼓動が早まる。照明を落とし静まり返った広い部屋では、心臓の音がやけに大きく聞こえる気がする。この音がスズランにまで聞こえやしないかと心配になった。
ラインアーサの身体にすっぽりと収まってしまう華奢な身体。だが柔らかく女性特有の丸みを帯びた曲線を素肌で感じ、鼓動はますます激しくなってゆく。
気がつくとスズランは何とも居心地の悪そうに身じろぎをしている。寒いのか、それとも……。
「嫌だったらすぐに言えよ。俺は…」
「……ライアが、嫌じゃなければわたしは平気」
「なんだよそれ…」
───つまり。嫌では無いと言う事だろうか?
それともただ単に異性として見られていないだけなのか。ラインアーサの理性は既に限界を迎えそうだ。それを誤魔化す為、無理矢理スズランに話題を振る。
「スズランは男とこうして眠るの、嫌じゃあないのか?」
「え? ……うん。懐かしい、かな」
「なっ、懐かしい!?」
その返答に酷く衝撃を受けた。まさか男とこうして一つのベッドに入るのは初めてでは無いと言う事なのか?
「……昔よく、セィシェルにこうしてもらってたの」
「あ、あの野郎…っ」
「 ? でもそれは十歳までで、その後はいくらお願いしても一緒に眠ってくれなくなっちゃったの…。今はもう平気だけど、当時はすごく悲しかったんだから!」
十歳まで……。それを聞いてひとまずは安心する。だが、それでも胸の中の靄は晴れない。心に小さな嫉妬の火が灯る。次の瞬間、自分でも驚くほど情けない言葉を口にしていた。
「ふぅん……じゃあ今、俺とこうしててもスズランは全然平気って訳か…」
嫉妬心丸出しだった。
「……へ、平気じゃないよ…っ、だって今すごいドキドキしてるもん。ライアも、、そうなの?」
「俺は! っ…俺だって、すごくドキドキしてるよ」
「……うん、ライアの心臓の音、すごくおっきい…」
「なんだ、バレバレ……かっこ悪」
この心臓の音が聞こえていたのかと顔から火が出そうだ。顔が見えない体勢で助かった。せめてそんな情けない顔は見られずに済む。
「そんな事ないよ……わたしだって、心臓が破裂しそう…」
「そうなのか…?」
ラインアーサはそっと片手をスズランの心臓の上へと添えた。ガウン越しに心臓の鼓動が伝わる。
「ひゃ……なにするの!?」
「ん…、本当だ。鼓動が早い……」
同時に暖かく柔らかな感触が、ラインアーサの最後の理性を簡単に吹き飛ばす。堪らずもう片方の手も添え両手でそれを確かめると、スズランが小さく声をあげた。
「ぁ…っ」
「……スズランが、悪い…っ…。俺は、これでも我慢してたのに…」
「ライア…っ!?」
後ろから抱きしめる様に胸の膨らみを確かめ、ゆっくりと堪能し両手で優しく包み込む。
「…嫌?」
「やっ…! やだ……っ、…」
互いの体温が上昇し、次第に浅くなる呼吸。スズランの甘い香りが強くなる。脳が心地良く痺れ、恍惚のままに首筋や耳たぶに唇を落とした。
「〜っ!」
「スズラン…」
耳元で名前を囁くと腕の中でびくりと身体を捩り、弱々しく抵抗する。
「ん…っらい、あ……っだめ…!」
「…っはぁ…」
(分かっている、これ以上は駄目だ……)
この辺りで抑えておかないと本当に歯止めが効かなくなってしまう。しかし当然ながら身体が反応を示す。
だがその拍子、スズランが声をあげた。
「ぅひゃあぁ! 何っ!?」
「……どうした?」
「な、なんか急に背中に何かが! ライア何か持ってるの? くすぐったい」
「へ? 何かって……その、俺の…」
───いや。前々から純真だとは思っていたがまさか……。
「ライアの……?」
「…!?」
その回答に驚愕しつつも確信した。スズランはまだ何も知らないのだ。これ程迄無垢な相手に、無理矢理自分の欲望を押し付けるなんて事は出来ない。そんな事をしたら本当に嫌われてしまう。
「なんでもない…っ」
ラインアーサはスズランからそっと身体を離し、寝返りを打って背を向けた。
「どうして、離れちゃうの? わたし何かいけないこと言った?」
「言ってない…。俺の方こそ変な事して悪かった。朝早いんだったな、もう眠ろう」
「……ライア…。何か怒ってる?」
「怒ってないよ」
「……じゃあ、こっち向いて…っ」
今にも泣き出しそうな声に慌てて振り向くとスズランもこちら側に身体を向けていた。向かい合う形になってしまい焦る。
「わ、スズラン!!」
「ごめんなさいライア…っ」
「お、お前が謝るのはおかしい! 俺が悪いんだ、ごめん! ああ、だからもう!!」
「ライア、怒ってないの?」
「ん、怒ってない」
「よかった……ライアに嫌われたら、わたし…」
「あのさ…。さっきからそれ、どういう意味?」
ラインアーサの葛藤を他所に、スズランが唐突に手を握ってきた。まさか、本当に互いが同じ想いなのだろうか。
「……ライアの手、とってもあったかくて……なんだか、、ほっと、する…の……」
「っ…スズラン…?」
名を呼んだ時には、既にスズランは静かに寝息を立てていた。
「なんだよ、この状況で寝たのか? まあ、よっぽど疲れてたんだな…」
ラインアーサは安堵したが、少々複雑な気持ちだ。まだ身体の芯が熱い。
「……嫌うわけがない…。俺の方が嫌われやしないかって尻込みしてるってのに」
僅かに幼さが残る頬の曲線。透き通る程白い肌に紅い花びらの様な唇。聞こえてくる規則正しい寝息。伏せられた長い睫毛の淵に薄っすらと滲む涙にどきりとした。
そしてその瞼に優しく口づける。
「…ぅ、ん……」
「涙が止まるおまじない、か」
ラインアーサはそのままスズランのあどけない寝顔を眺めながら、一睡もできずに朝を迎えた。
早朝。まだスズランが起き出す前にベッドを抜け出すと、ラインアーサはもう一度湯を浴び思考を切り替えた。朝の冷たい空気がラインアーサの寝不足気味の脳を刺激する。
「眠気覚ましに何か飲もう…」
お茶の用意をしていると、ベッドの上のスズランがおもむろに身を起こした。
「起きたのか、スズラン……よく眠れた?」
「…、…んん、、あ さ? …!? ひゃぁああ! ラ、ライア、っなんで上、脱いでるの?」
「ああ、悪い。今湯を浴びたから……お前も浴びてくる?」
「い、いい。昨日お風呂入ったし」
慌ただしく毛布を被り隙間から顔を覗かせるスズラン。
「何、照れてんだよ」
「だって…っ」
顔を真っ赤にして俯くスズランにつられ、こちらまで赤面してしまう。
「これ。眠気覚ましに飲んで」
濃いめに淹れたお茶をカップへ注ぎ、スズランに差し出す。するとスズランは少し戸惑いつつも素直にカップを受け取った。
「あ、ありがとう……ライア、おはよ……」
「ん? お、おはよう」
ぎこちない朝の挨拶を交わすと、ラインアーサはスズランの居るベッドへと腰を下ろした。
熱いお茶に息を吹きかけ冷ますスズランを眺めていると、不意にこちらを見上げた目と目が合う。慌てて顔を逸らしたがどうにも間が持たない。
「お前って……猫舌なの?」
「少し……」
「ふーん…。あー、今日いい天気だな…!!」
「え! う、うん…?」
そろりと窓の外に目を向けるも、その景色は深い霧に包まれていて何も見えなかった。誰がどう見ても天気は明らかに良くない。
「…!」
(うわぁ…もう、何言ってんだ? 俺は…!)
「……あのっ、お茶ご馳走さまでした。甘くて美味しかった」
「あ、ああ」
スズランから空のカップを受け取ろうとした瞬間、互いの指先同士がほんの少し触れ合う。
「ぁっ…!」
その触れた指先から全身が痺れる様な感覚を覚え、カップが指から滑り落ちた。受け取り損ねたカップがベッドの上に転がる。
気がつくとラインアーサは、スズランをベッドの上で押し倒していた。
「きゃ…っ!?」
「なあ、スズラン…」
「なに…?」
押し倒されたというのに、スズランはラインアーサの瞳を真っ直ぐに見つめ返して不思議そうな表情をしていた。
「スズランは俺の事……嫌いじゃあ、ないのか?」
ラインアーサは気が高揚して口走った先から後悔した。口の中が乾き切って、喉が張り付く。それでも答えが知りたい。スズランが一瞬困った顔をしたので心臓がぎゅっと痛くなる。
「ライアこそ。わたしのこと、嫌いじゃないの?」
今にも泣きそうな表情で同じ質問を返された。ラインアーサはどうしてもスズランの泣き顔に弱い。その顔を見ると胸が苦しくなる。
悲しませたくないし、嫌われたくない。
けれどもまた身体が勝手に動いていた。
「嫌い、だったら…っ」
「んっ…!」
「こんな事、、しない」
「…っむぅ、、っン…っっ!」
抑えきれず幾度もスズランの唇に吸い付くと、先程飲んでいたお茶の甘い味が口内に広がった。今度は角度を変えて強く吸い、舌で唇を何度も丁寧になぞる。
以前は必ず抵抗してきたスズランだが、今回は違った。応える様にぎこちなく舌を絡めてきたのだ。
「…っ!?」
(嫌じゃあ無いのか? 抵抗してくれないと、俺は……)
拒まれていないと思うと、もう止まれなかった。
「……らい あ、、っ」
「は、、スズラ…ン…っ」
互いの名を呼び合いながら一心に唇を貪り合った。手のひらをすり合わせて握り、身体をぴったりと寄せ合う。ラインアーサは二人の想いが通じ合う感覚に酔いしれ、更に口づけを深くしていった。しかしふと踏み留まり、スズランから一度身を離す。
「…ふ、、ぁ…っ?」
スズランの誘う様な切ない目付きをラインアーサは息を飲んで見つめ返した。
「……スズラン、いいのか? 俺、これ以上は止まれない。嫌なら今のうちに…」
スズランが目線を合わせたまま頬を染め、恥ずかしそうに頷いた。瞳は潤み、口づけした唇は赤く染まり今すぐにでも全てを奪いたくなる。
「ライア……わたし、あなたに伝えたい事が…」
スズランが何かを言い出そうとした瞬間、部屋の扉を叩く音が鳴り響き邪魔が入ってしまった。
「……」
ラインアーサはベッドから身を起こし外衣 を羽織ると扉を細く開く。
「お早う御座います、ライア様。お着物の洗い濯ぎが完了しましたのでお渡しに参りました」
「ああ。ジルか、お早う。助かったよ。服はそこに掛けて置いてくれ」
「畏まりました。それと新しいお召し物も注文通りのものをご用意致しました。それでは」
昨晩頼んでおいたスズランの服の洗濯が済んだのと、ラインアーサが新たに頼んでおいた服が届いたのだ。流石に露出の高い酒場 の給仕服のまま街中を歩かせる訳にはいかない。
「スズラン、服が乾いた。でももしよかったらこっちの服を着てくれないか?」
「……え、どうして?」
新しい衣服の入った袋をスズランに手渡すと、少し戸惑いながらラインアーサを見返してきた。
「あー、……えっと。朝から酒場 の給仕服だと少し目のやり場に困るから」
「そ、そうなの?」
「俺、そっちの続き間に行ってるから着替えたら声かけてくれよ」
「うん……」
ラインアーサはベッドの上のカップを拾いあげ、奥の部屋へと一旦移動した。
「ああ、くそっ何してんだ俺は…。もしジルが来なかったら俺はあのままスズランを……いや、これでよかったんだ」
昂ぶる気持ちを落ち着かせようと自身に言い聞かせる。
「もう一度お茶を淹れよう」
───暫くするとスズランが遠慮がちに声を掛けてきた。
「ねえライア……これ、変じゃないかな?」
「みせて?」
続き間の入口から恥じらう様にして姿を見せるスズラン。以前街で助けた時も、森にマントを返しに来たときも、街娘たちが好んで着る流行りの服ではなく動き易さを重視した服装だった。
ラインアーサの選んだあっさりとした白いローブは華奢なスズランの印象を美しく見せた。さり気なく裾や胸元にあしらってあるレースが更に可憐な姿を演出している。スズランのその姿にすっかり見惚れてたしまったラインアーサは、思わず飲んでいたお茶のカップを落としそうになった。
「や、やっぱりおかしい…、かな? 大きさはぴったりだけど、なんかひらひらして動き辛くて」
「おかしくない。すごく……似合ってる」
「こんなに高価な服、貸してくれてありがとう」
スズランが恥ずかしそうにはにかんだ。
「ん? 貸りたんじゃあない、買った。だから返さなくていい」
「ええっ!? だめだよ、ちゃんとお洗濯して…」
「返されても困るんだけど……受け取って、くれないのか?」
「そんなんじゃ……あ、ありがとう。でもっ…」
「さあ、そろそろ出よう。スズランも店に戻らないと家族が心配してるだろ?」
「……うん」
思い出したかの様に元気がなくなるスズラン。
「元気だせよ。俺も一緒に行って説明するから」
「うん……ありがとう。ライア」
「別にいいよ」
そしていざ部屋を出ようと扉に向かおうとした拍子に服が何かに引っ張られた。
「わ…っ!?」
スズランが服の端をつかんでいた。
「あの…っライアはどうしてわたしの事、こんなに助けてくれるの? それと、その……なんでいつも…。キ、キスするの?」
頬を赤く染めながら上目遣いで直球な質問を投げかけられてしまい、ラインアーサも顔面に熱が集中する。
「っ!! そんなの、っ自分で考えろよ」
「そんな、自分でって…!」
「……なんでか解らない? さっきもあんなキスしたのに解らないのか…ってか前に教えなかったか?」
「教えてもらってなんかないもん! ちゃんと言葉で教えて欲しいよ。でないとわからないよ」
「……じゃあ、言葉よりも分かりやすくて手っ取り早い方法、知ってる?」
「し、知らない…」
「今、ここで教えてやろうか?」
スズランに熱い視線をおくる。
今さっき自身に言い聞かせたばかりなのに、またも気持ちが昂ぶってしまう。先ほどの口づけで、想いが通じ合った様に思えたのはラインアーサの勘違いだったのだろうか?
───素直に。素直に口に出せば良いのは解っている。それなのにうまく言葉が出てこない。それに、怖かった。初めての知らない自分の感情に思いのまま流されてしまいそうで怖かったのだ。
「ま、まって! ライアの言う通り、自分で考えるからいい…っ」
スズランの怯えた態度で我に返る。
「……ごめん。悪かったよ、だからそんなに怯えないでくれ」
スズランがふるふると首を横に振る。そして今度は真っ直ぐ見つめられた。
「ちがうの…、ライア! あのね、わたし本当はあなたに伝えたい事があって来たの! わたし、わたしっ! ……あなたの事が、す…っんッ!」
思わずその言葉を唇で塞いだ。
「っ…ふぅ! ……んっ!!」
流石にスズランが何を伝えたいのかが解ってしまった。しかし、いざ。それにどう応えていいかが解らなかった。今までずっと身を偽り、スズランを騙してきた。ここで突然身分を明かしたらスズランはどう思うだろうか。
───きっと幻滅するだろう。警備員に成りすましていた事も伝える勇気がなかった。
そっと唇を離す。
「…っスズラン……」
「ライアっ…わたし…っむぅ!」
だがもう一度言葉を遮る。
互いの指を絡めて手を握り、持てる全ての想いを口づけに込めて……。
スズラン。
愛しいスズラン。
君が愛しい。
「っん…、、…っ…ふぁ……」
最後に優しく触れるだけの口づけをし、静かに唇を離した。
「っ…スズラン……」
「…っ…ふえぇ、、なんで? ずるいよ。言っちゃ…っ…ダメなの? わたし……気持ち、伝えちゃダメなの? っライアのばかぁ…!」
今度はラインアーサが首を横に振った。
掠れて震えそうになる声をなんとか絞り出す。
「悪い……少し。もう少しだけ待って……それは俺から、言わせてほしい…。俺の事、信じて欲しいから」
「…っ!! ……うん…!」
零れる涙をそっと拭い、スズランの華奢な身体をきつく抱きしめた。それに応える様にスズランの細い腕がラインアーサの背中にまわされる。
隠しきれない二人の想いは互いに伝わったのだろうか。二人はほんの少しの間、そうして抱き合っていた。
───宿の外は白藤色の朝もやで視界が悪く、まだ空気もひんやりと冷たい。ラインアーサはしっかりとスズランの手を握った。
「スズラン……絶対に俺の手を離すなよ。旧市街を抜けても、酒場 に着くまでは絶対にだ……何があっても俺が必ずスズランを守るから…!」
「っ…うん。離さない」
頬を赤く染めながらも向けられる凜とした眼差しに強い意思が感じ取れる。美しく淡い虹色の瞳に自身が映し出されると途端に気恥ずかしくなった。
「ん、いい子だ」
誤魔化す様に頭を軽く撫でると子供扱いされたと思ったのか、少し頬を膨らまるスズラン。それがどうにも愛らしく口元が緩みそうになる。
「むぅう…!」
「膨れるなよ。未成年者の誘拐事件はまだ解決してないんだ。スズランはその未成年者に該当するんだから危ないだろ?」
「そう、だけど!」
「本来なら外出自体禁止なんだからな?酒場 に着くまでは大人しく目立たないようにしててくれ」
「っ…はい…」
するとしょんぼりとしょげてしまった。その顔に耐えきれず小さく笑みを零すと更に頬を染めながら睨みつけてくる。
「どうして笑うの? 失礼だわ!」
「くくっ! だってお前見てるところころ顔変わっておもしろいから」
「もうー! ライアの馬鹿ぁ!!」
地団駄を踏みそうな勢いのスズランに笑を堪えながらも謝る。
「悪かったよ、でも可愛いなって」
「っ…! ラ、ライアの馬鹿…」
「なんだよ。 二回も馬鹿って言ったな? いやこれで三回目だ」
「だって…!」
そんな他愛無い会話をしながら歩いていると、突如後ろから声をかけられた。
「───早朝から痴話喧嘩かしら? ずいぶんと仲が宜しいことね?」
振り向くとすぐ後ろにヴァレンシアが立って居た。
「ヴァレンシア!? いつから居たんだ?」
「ん、いい子だ……の辺りからよ?」
「っ…居たならもっと早く声をかけてくれよ!」
「だって貴方見てるとおもしろいんですもの」
鼻で笑われすっかりとヴァレンシアの調子に乗せられてしまう。
「まったく、ヴァレンシアには敵わないって」
そんな会話をしているとスズランが不安そうな視線をよこす。
「あら! ……貴女。そんなに不安そうな顔しなくていいのよ? ライアはね、貴女の事で頭がいっぱいなんですから! ね? ライア」
「えっ! そうなの?!」
「うっ…勘弁してくれ…」
スズランは赤い頬を隠す様に俯く。
「うふふ。可愛い! そう、はじめましてよね? 私の名前はヴァレンシアよ。ここ旧市街の寂れたバルで店主をしながら占星術をしてるの。よろしくね」
ヴァレンシアがにこりと微笑むとスズランも慌てて自己紹介をした。
「あ! わたしスズランって言います。城下の街の酒場 で働いてます! こちらこそよろしくお願いします!」
「まあまあ! なんて純粋な子! 本当ライアには勿体無いかもしれないわね…」
「ったく、何しに来たんだよ! 何かを伝える為に来たんじゃあないのか?」
するとヴァレンシアの調子が一変し真面目な顔へと変わった。
「そうなの。依頼された内容についてよ」
「もう何か解ったのか!?」
「ええ…。手短に話すわね。この事件の黒幕はとんでも無い人物かも知れないわ!」
「!? ……どう言う事だよ。とんでもない人物って」
「信じ難いし、まだ断定は出来ないけど…。それでも……マルティーン帝国が関わってる可能性が高いのよ」
「マルティーン帝国!? 何故あの国が…」
───マルティーン帝国。
豊かな水を蓄えた水と氷の都。
十一年前の内乱以降はルゥアンダ帝国を除き全ての国や都市と協定を結んだ筈だ。このシュサイラスア大国とも例外なく同盟国となっている。
「あくまでも可能性が高いってだけでまだ分からないけれども……」
「……マルティーン人が主犯の黒幕なのか?」
「ごめなさいね、そこまではわからなかったわ……でも。隠れ屋として拠点にしてるおおよその場所は掴めたの! おそらくその場所に今までに攫われた子たちも囚われてる筈よ…!」
「本当か? 何処なんだ!?」
つい気がはやってしまう。
一刻も早く囚われている民を解放したい。
「ちょっと…、まって頂戴。その前に貴方にはやる事があるでしょう? ……ほら、スズランちゃんにこんな心配そうな顔させちゃあダメじゃないのよ」
「…っ…! ……でも」
「でもじゃあないわよ! ねぇ、スズランちゃん」
「……あ、あの。わたしよくわからないけれど危ない事はしないで……ライア…」
スズランが繋いでいた手を強く握る。
「スズラン…!」
「場所は教えるわ、でもその前に貴方はスズランちゃんをきちんと送ってあげないとね?」
「分かってるよ……」
「そうかしらね? 場所を教えたら直ぐにでも飛んで行きそうよ」
「そんな事ないよ。スズランは俺が責任を持ってバルまで送る!」
ラインアーサもスズランと繋いでる手を強く握り返した。
「そう。……なら大丈夫ね。お願いだからくれぐれも一人でそこに乗り込まないで頂戴ね? ちゃんと事前に計画して…」
「大丈夫だって…! ヴァレンシアも本当に心配性だよな」
「だって貴方はいつでも、、っ…いいわ、もう……」
ヴァレンシアはそうため息をつきながら隠れ屋の場所を書き示した小さな用紙をくれた。ラインアーサはそれを受け取り場所を確認し、折りたたむと懐へとしまった。
「……あの今にも崩れそうな廃屋か…! ありがとう! ヴァレンシア!! 恩にきるよ」
「いいのよ。早く事件を解決させて貴方のその笑顔をまた見せに来て頂戴よ…?」
「…ああ」
「その時はスズランちゃんと二人でいらっしゃい?」
「わ、わたしもいいんですか!?」
スズランが驚いた様に声をあげた。
「もちろんよ! あなたなら特別に占いを見てあげるわ。うふふ…」
ヴァレンシアは意味ありげに微笑むと、くるりと背を見せ白藤色の霧の中へと消えていった。
「素敵な人……」
「……ヴァレンシアには昔から世話になってるんだ」
そう言いながら歩き出す。
ラインアーサはスズランの指と指の間に自身の指を通し、強く握り直した。すると先ほど想いを確かめ合った時の口づけを思い出し、つい顔に熱が集中してしまう。スズランも同じなのか恥ずかしそうに俯いていた。
「あのっ、ライア!」
「ん? ……どうした?」
「前に、街で助けてくれた時あるでしょ? あの時にライアはこの国の国王様の為にいろいろ情報を集めるのがお仕事って言ってたけど、、その。それって危険なお仕事なの…?」
「何? それって俺の事、心配してくれてるとか?」
「……心配、しちゃダメ? わたしだってライアの事心配だもん……」
「…っ…!」
「ライア? ……どうしたの?」
「っ…ありがとう……めちゃくちゃ嬉しい」
スズランが顔を覗き込んでくるが今は目を合わせる事が出来なかった。顔どころか耳や首筋までもが熱い。
「ライア?」
「そんなに危険な仕事じゃないよ。それにちゃんと仲間もいるから大丈夫だ…」
「そうなの? ……あ、仲間ってジュリアンさん?」
「そう。ってスズラン、ジュリとは随分気が合うみたいだな…!」
「そんなこと! だけど、この間うちの店に来てくれたから少しお話とかも…」
「……ふーん」
(まさかジュリの奴、頻繁にスズランの酒場 に通ってるのか…!? また色々と余計なこと吹き込んでないだろうな…)
そんな事を考えながら歩いているうちに旧市街を抜け、城下の街へと差し掛かる。霧は次第に晴れてはきたが、今にも雨粒が落ちてきそうな雲行きだ。
スズランに目を向けると息が上がり華奢な肩が上下していた。
「……は、ぁっ」
「少し疲れたか? ずっと登り坂だったもんな。それにまた雨が降ってきそうだ……」
「へい、きっ…。でもちょこっとだけ休憩してもいい?」
「そうだな。そこの大きい段差に座って少し休もう」
旧市街から城下の街へ行くには列車 を利用するか坂の街・ペンディ地区を通るしかない。列車 を利用するよりもペンディ地区を歩いて抜ける方がスズランの酒場 へは近道なのだが、急な坂や石段が多く足場が悪い。
「ありがとう、ライア。も、平気だから……急がなくちゃ…」
「そんなに急ぐなよ。ちゃんと送るから」
「でもっ…! あ、雨!」
大粒の雨が一つ、また一つと石畳に模様をつけてゆく。
「やっぱりまた降ってきたか……ほら傘に入ろう、もともとスズランのだけどな。全く…。のんびりはしていられないって事か」
「ライア……」
「よし。急ごう!」
まだ朝早く、雨が降る人気の少ない城下の街を二人を隠した赤い傘が通り抜ける。
少しでも長くスズランと二人で居たかったのだが、あっと言う間に酒場 へと到着してしまった。
「着いたな」
「うん…。もうここで大丈夫だよ。マスターとセィシェルにはちゃんと自分で謝るから…」
「いや、俺も一緒に行くよ。マスターに話があるんだ」
手をつないだまま二人は酒場 の裏手へと回り込む。
「話って…? この間も…」
「なあ、スズラン…。もし、嫌じゃあなかったらなんだけど、しばらくの間。王宮に来ないか?」
王宮でスズランを保護すれば今回の様な心配もしないで済む。それにはまず自身の本名を名乗り身を明かさなくてはいけない。
「え、王宮…?! どうして?」
「勿論無理にとは言わない…。ただ、心配なんだ。王宮で保護してもらえば安全だから」
この間そうしなかった事を既に後悔していた。
「そんな! 大袈裟だよ。わたしならだいじょうぶ…」
「駄目なんだ…! もし、スズランが…っ攫われるかと思うと俺は…っ」
スズランの瞳を覗き込むと再び自身が映し出された。
赤い傘の下、ゆっくりと二人の影が重なる。スズランが雨に濡れない様に気を使いながらその甘い唇を堪能した。スズランの甘い香りにくらくらと酔いしれる。
「……ん、、ライア…っ…」
「ッ…」
吐息の合間に名前を呼ばれるとますます愛しくなり、口づけを深くする。もうこれ以上スズランに黙っている事自体が心苦しい。ラインアーサは意を決して自身の真名と身分を明かす事にした。
唇を離し身体を抱きよせたまま小さく呟く。声が擦れてうまく言葉が出てこない。
「……俺…。スズランに話さなくちゃあいけない事があるんだ」
「話さなくちゃ、いけない事…?」
「……その、何から話せば良いかな…。俺、本当は……」
「……?」
「っ……」
今まで黙っていた事の罪悪感に押し潰されそうだった。それに加え嫌われてしまいそうで迷いが出る。
「……ライア…?」
少し身体を離すとスズランが不思議そうな眼差しを向けてくる。嫌われても仕方がない。それでもこのままスズランに嘘を吐き続けるよりはずっといい筈だ。
「……スズラン。俺は…」
決心したその時、勢い良く酒場 の裏口が開き慌てた様子のセィシェルとユージーンが現れた。
「スズッ!? そこに居るのはスズか??」
「マスター! ……セィシェル…! ごめんなさい! わたし、一人で勝手に居なくなったりして…」
顔を強張らせたセィシェルが駆け寄ってくる。そして勢いよくラインアーサの胸ぐらを掴んだ。
「おいっ!! なんであんたが一緒にいる!? あんたやっぱり人攫いなんじゃないだろうな!!」
「やめなさい! セィシェル…!! そのお方は…」
「やめて! ちがうの…!! わたしが勝手にライアの所に行ったの…! ライアはわたしをここまで送ってくれただけで全然悪くないの!!」
「っ…スズ、その服はどうしたんだよ!」
「こ、これは雨で濡れたからライアに着替えを頂いて…」
スズランがそう説明すると漸く腕は引いたが物凄い形相でセィシェルに睨みつけられた。
「くそっ! スズは俺のだ…! あんたには絶っ対渡さない!! っ…戻るぞ、スズ!」
「やっ、やだ、わたしまだライアとお話し…」
「こんな奴と話なんてさせない!!」
セィシェルはラインアーサとスズランの間に割って入ると腕を掴み無理に引く。その反動で傘が吹き飛び二人は冷たい雨に晒された。
「嫌! 離してよ、セィシェル!」
「離すもんか! 俺と親父が昨日からどれだけ心配したと思ってるんだ!! 雨の中一晩中スズの事探して回ったんだぞ? 今だって朝一で警備隊に捜索の届け出をしようとして…」
「ごめんなさい…! でもわたし…」
「でもじゃあねぇだろ!! 心配で心配で、おかしくなりそうだったんだからな!」
「っ…! セィシェル。本当に、ごめんなさい」
「……ならもう行くぞ!」
「…っ」
スズランがこちらに苦しげな表情を見せながらもセィシェルに手を引かれてゆく。しかしラインアーサも今回は引かない。
「……待てよ。セィシェル、先にお前に話しがある」
「何だよ! 俺はあんたと話す事なんかねぇよ!!」
「……そうやって逃げるのならそれでもいい。でもスズランはお前のじゃあない…!」
「あっ…ライア!?」
ラインアーサもスズランの手を引き、強く胸に抱き寄せるとセィシェルに挑戦的な視線を送った。
「そ、そんなこと言ったって…!」
結局ラインアーサはスズランと一緒にベッドで眠る事になった。大きな広いベッドとは言え、すぐ隣で手を伸ばせば簡単に触れられる所にスズランが居るので酷く落ち着かない。ここ最近は長雨続きの所為か夜はやけに冷え込む。
「……ちゃんと毛布かかってるか?」
「うん。でも少し寒い、かも」
「寒い? もう湯冷めしたのかよ」
思わずスズランの手を探り掴むとその指先は思いの外ひやりとした。
「ひゃぁ! きゅ、急に触らないで!」
「わ、悪い…っ俺、やっぱり隣の部屋行くから、お前一人でベッド使えよ」
「だ、だめ! ライアが風邪ひいちゃうもの…! だったらわたしが
またこのやり取りだ。
先程からずっとそれで揉めているのだ。
「何言ってるんだ。めちゃくちゃ冷えてるくせに!」
「だって…」
「ああ、もう。これじゃあいつまでたっても眠れやしない」
そう言いラインアーサはスズランを背中から抱き寄せて毛布を被り直した。
「っきゃ!?」
「これしか方法ないだろ? 嫌でも我慢してくれ」
「…っ」
身体が密着し、これ以上ない程に鼓動が早まる。照明を落とし静まり返った広い部屋では、心臓の音がやけに大きく聞こえる気がする。この音がスズランにまで聞こえやしないかと心配になった。
ラインアーサの身体にすっぽりと収まってしまう華奢な身体。だが柔らかく女性特有の丸みを帯びた曲線を素肌で感じ、鼓動はますます激しくなってゆく。
気がつくとスズランは何とも居心地の悪そうに身じろぎをしている。寒いのか、それとも……。
「嫌だったらすぐに言えよ。俺は…」
「……ライアが、嫌じゃなければわたしは平気」
「なんだよそれ…」
───つまり。嫌では無いと言う事だろうか?
それともただ単に異性として見られていないだけなのか。ラインアーサの理性は既に限界を迎えそうだ。それを誤魔化す為、無理矢理スズランに話題を振る。
「スズランは男とこうして眠るの、嫌じゃあないのか?」
「え? ……うん。懐かしい、かな」
「なっ、懐かしい!?」
その返答に酷く衝撃を受けた。まさか男とこうして一つのベッドに入るのは初めてでは無いと言う事なのか?
「……昔よく、セィシェルにこうしてもらってたの」
「あ、あの野郎…っ」
「 ? でもそれは十歳までで、その後はいくらお願いしても一緒に眠ってくれなくなっちゃったの…。今はもう平気だけど、当時はすごく悲しかったんだから!」
十歳まで……。それを聞いてひとまずは安心する。だが、それでも胸の中の靄は晴れない。心に小さな嫉妬の火が灯る。次の瞬間、自分でも驚くほど情けない言葉を口にしていた。
「ふぅん……じゃあ今、俺とこうしててもスズランは全然平気って訳か…」
嫉妬心丸出しだった。
「……へ、平気じゃないよ…っ、だって今すごいドキドキしてるもん。ライアも、、そうなの?」
「俺は! っ…俺だって、すごくドキドキしてるよ」
「……うん、ライアの心臓の音、すごくおっきい…」
「なんだ、バレバレ……かっこ悪」
この心臓の音が聞こえていたのかと顔から火が出そうだ。顔が見えない体勢で助かった。せめてそんな情けない顔は見られずに済む。
「そんな事ないよ……わたしだって、心臓が破裂しそう…」
「そうなのか…?」
ラインアーサはそっと片手をスズランの心臓の上へと添えた。ガウン越しに心臓の鼓動が伝わる。
「ひゃ……なにするの!?」
「ん…、本当だ。鼓動が早い……」
同時に暖かく柔らかな感触が、ラインアーサの最後の理性を簡単に吹き飛ばす。堪らずもう片方の手も添え両手でそれを確かめると、スズランが小さく声をあげた。
「ぁ…っ」
「……スズランが、悪い…っ…。俺は、これでも我慢してたのに…」
「ライア…っ!?」
後ろから抱きしめる様に胸の膨らみを確かめ、ゆっくりと堪能し両手で優しく包み込む。
「…嫌?」
「やっ…! やだ……っ、…」
互いの体温が上昇し、次第に浅くなる呼吸。スズランの甘い香りが強くなる。脳が心地良く痺れ、恍惚のままに首筋や耳たぶに唇を落とした。
「〜っ!」
「スズラン…」
耳元で名前を囁くと腕の中でびくりと身体を捩り、弱々しく抵抗する。
「ん…っらい、あ……っだめ…!」
「…っはぁ…」
(分かっている、これ以上は駄目だ……)
この辺りで抑えておかないと本当に歯止めが効かなくなってしまう。しかし当然ながら身体が反応を示す。
だがその拍子、スズランが声をあげた。
「ぅひゃあぁ! 何っ!?」
「……どうした?」
「な、なんか急に背中に何かが! ライア何か持ってるの? くすぐったい」
「へ? 何かって……その、俺の…」
───いや。前々から純真だとは思っていたがまさか……。
「ライアの……?」
「…!?」
その回答に驚愕しつつも確信した。スズランはまだ何も知らないのだ。これ程迄無垢な相手に、無理矢理自分の欲望を押し付けるなんて事は出来ない。そんな事をしたら本当に嫌われてしまう。
「なんでもない…っ」
ラインアーサはスズランからそっと身体を離し、寝返りを打って背を向けた。
「どうして、離れちゃうの? わたし何かいけないこと言った?」
「言ってない…。俺の方こそ変な事して悪かった。朝早いんだったな、もう眠ろう」
「……ライア…。何か怒ってる?」
「怒ってないよ」
「……じゃあ、こっち向いて…っ」
今にも泣き出しそうな声に慌てて振り向くとスズランもこちら側に身体を向けていた。向かい合う形になってしまい焦る。
「わ、スズラン!!」
「ごめんなさいライア…っ」
「お、お前が謝るのはおかしい! 俺が悪いんだ、ごめん! ああ、だからもう!!」
「ライア、怒ってないの?」
「ん、怒ってない」
「よかった……ライアに嫌われたら、わたし…」
「あのさ…。さっきからそれ、どういう意味?」
ラインアーサの葛藤を他所に、スズランが唐突に手を握ってきた。まさか、本当に互いが同じ想いなのだろうか。
「……ライアの手、とってもあったかくて……なんだか、、ほっと、する…の……」
「っ…スズラン…?」
名を呼んだ時には、既にスズランは静かに寝息を立てていた。
「なんだよ、この状況で寝たのか? まあ、よっぽど疲れてたんだな…」
ラインアーサは安堵したが、少々複雑な気持ちだ。まだ身体の芯が熱い。
「……嫌うわけがない…。俺の方が嫌われやしないかって尻込みしてるってのに」
僅かに幼さが残る頬の曲線。透き通る程白い肌に紅い花びらの様な唇。聞こえてくる規則正しい寝息。伏せられた長い睫毛の淵に薄っすらと滲む涙にどきりとした。
そしてその瞼に優しく口づける。
「…ぅ、ん……」
「涙が止まるおまじない、か」
ラインアーサはそのままスズランのあどけない寝顔を眺めながら、一睡もできずに朝を迎えた。
早朝。まだスズランが起き出す前にベッドを抜け出すと、ラインアーサはもう一度湯を浴び思考を切り替えた。朝の冷たい空気がラインアーサの寝不足気味の脳を刺激する。
「眠気覚ましに何か飲もう…」
お茶の用意をしていると、ベッドの上のスズランがおもむろに身を起こした。
「起きたのか、スズラン……よく眠れた?」
「…、…んん、、あ さ? …!? ひゃぁああ! ラ、ライア、っなんで上、脱いでるの?」
「ああ、悪い。今湯を浴びたから……お前も浴びてくる?」
「い、いい。昨日お風呂入ったし」
慌ただしく毛布を被り隙間から顔を覗かせるスズラン。
「何、照れてんだよ」
「だって…っ」
顔を真っ赤にして俯くスズランにつられ、こちらまで赤面してしまう。
「これ。眠気覚ましに飲んで」
濃いめに淹れたお茶をカップへ注ぎ、スズランに差し出す。するとスズランは少し戸惑いつつも素直にカップを受け取った。
「あ、ありがとう……ライア、おはよ……」
「ん? お、おはよう」
ぎこちない朝の挨拶を交わすと、ラインアーサはスズランの居るベッドへと腰を下ろした。
熱いお茶に息を吹きかけ冷ますスズランを眺めていると、不意にこちらを見上げた目と目が合う。慌てて顔を逸らしたがどうにも間が持たない。
「お前って……猫舌なの?」
「少し……」
「ふーん…。あー、今日いい天気だな…!!」
「え! う、うん…?」
そろりと窓の外に目を向けるも、その景色は深い霧に包まれていて何も見えなかった。誰がどう見ても天気は明らかに良くない。
「…!」
(うわぁ…もう、何言ってんだ? 俺は…!)
「……あのっ、お茶ご馳走さまでした。甘くて美味しかった」
「あ、ああ」
スズランから空のカップを受け取ろうとした瞬間、互いの指先同士がほんの少し触れ合う。
「ぁっ…!」
その触れた指先から全身が痺れる様な感覚を覚え、カップが指から滑り落ちた。受け取り損ねたカップがベッドの上に転がる。
気がつくとラインアーサは、スズランをベッドの上で押し倒していた。
「きゃ…っ!?」
「なあ、スズラン…」
「なに…?」
押し倒されたというのに、スズランはラインアーサの瞳を真っ直ぐに見つめ返して不思議そうな表情をしていた。
「スズランは俺の事……嫌いじゃあ、ないのか?」
ラインアーサは気が高揚して口走った先から後悔した。口の中が乾き切って、喉が張り付く。それでも答えが知りたい。スズランが一瞬困った顔をしたので心臓がぎゅっと痛くなる。
「ライアこそ。わたしのこと、嫌いじゃないの?」
今にも泣きそうな表情で同じ質問を返された。ラインアーサはどうしてもスズランの泣き顔に弱い。その顔を見ると胸が苦しくなる。
悲しませたくないし、嫌われたくない。
けれどもまた身体が勝手に動いていた。
「嫌い、だったら…っ」
「んっ…!」
「こんな事、、しない」
「…っむぅ、、っン…っっ!」
抑えきれず幾度もスズランの唇に吸い付くと、先程飲んでいたお茶の甘い味が口内に広がった。今度は角度を変えて強く吸い、舌で唇を何度も丁寧になぞる。
以前は必ず抵抗してきたスズランだが、今回は違った。応える様にぎこちなく舌を絡めてきたのだ。
「…っ!?」
(嫌じゃあ無いのか? 抵抗してくれないと、俺は……)
拒まれていないと思うと、もう止まれなかった。
「……らい あ、、っ」
「は、、スズラ…ン…っ」
互いの名を呼び合いながら一心に唇を貪り合った。手のひらをすり合わせて握り、身体をぴったりと寄せ合う。ラインアーサは二人の想いが通じ合う感覚に酔いしれ、更に口づけを深くしていった。しかしふと踏み留まり、スズランから一度身を離す。
「…ふ、、ぁ…っ?」
スズランの誘う様な切ない目付きをラインアーサは息を飲んで見つめ返した。
「……スズラン、いいのか? 俺、これ以上は止まれない。嫌なら今のうちに…」
スズランが目線を合わせたまま頬を染め、恥ずかしそうに頷いた。瞳は潤み、口づけした唇は赤く染まり今すぐにでも全てを奪いたくなる。
「ライア……わたし、あなたに伝えたい事が…」
スズランが何かを言い出そうとした瞬間、部屋の扉を叩く音が鳴り響き邪魔が入ってしまった。
「……」
ラインアーサはベッドから身を起こし
「お早う御座います、ライア様。お着物の洗い濯ぎが完了しましたのでお渡しに参りました」
「ああ。ジルか、お早う。助かったよ。服はそこに掛けて置いてくれ」
「畏まりました。それと新しいお召し物も注文通りのものをご用意致しました。それでは」
昨晩頼んでおいたスズランの服の洗濯が済んだのと、ラインアーサが新たに頼んでおいた服が届いたのだ。流石に露出の高い
「スズラン、服が乾いた。でももしよかったらこっちの服を着てくれないか?」
「……え、どうして?」
新しい衣服の入った袋をスズランに手渡すと、少し戸惑いながらラインアーサを見返してきた。
「あー、……えっと。朝から
「そ、そうなの?」
「俺、そっちの続き間に行ってるから着替えたら声かけてくれよ」
「うん……」
ラインアーサはベッドの上のカップを拾いあげ、奥の部屋へと一旦移動した。
「ああ、くそっ何してんだ俺は…。もしジルが来なかったら俺はあのままスズランを……いや、これでよかったんだ」
昂ぶる気持ちを落ち着かせようと自身に言い聞かせる。
「もう一度お茶を淹れよう」
───暫くするとスズランが遠慮がちに声を掛けてきた。
「ねえライア……これ、変じゃないかな?」
「みせて?」
続き間の入口から恥じらう様にして姿を見せるスズラン。以前街で助けた時も、森にマントを返しに来たときも、街娘たちが好んで着る流行りの服ではなく動き易さを重視した服装だった。
ラインアーサの選んだあっさりとした白いローブは華奢なスズランの印象を美しく見せた。さり気なく裾や胸元にあしらってあるレースが更に可憐な姿を演出している。スズランのその姿にすっかり見惚れてたしまったラインアーサは、思わず飲んでいたお茶のカップを落としそうになった。
「や、やっぱりおかしい…、かな? 大きさはぴったりだけど、なんかひらひらして動き辛くて」
「おかしくない。すごく……似合ってる」
「こんなに高価な服、貸してくれてありがとう」
スズランが恥ずかしそうにはにかんだ。
「ん? 貸りたんじゃあない、買った。だから返さなくていい」
「ええっ!? だめだよ、ちゃんとお洗濯して…」
「返されても困るんだけど……受け取って、くれないのか?」
「そんなんじゃ……あ、ありがとう。でもっ…」
「さあ、そろそろ出よう。スズランも店に戻らないと家族が心配してるだろ?」
「……うん」
思い出したかの様に元気がなくなるスズラン。
「元気だせよ。俺も一緒に行って説明するから」
「うん……ありがとう。ライア」
「別にいいよ」
そしていざ部屋を出ようと扉に向かおうとした拍子に服が何かに引っ張られた。
「わ…っ!?」
スズランが服の端をつかんでいた。
「あの…っライアはどうしてわたしの事、こんなに助けてくれるの? それと、その……なんでいつも…。キ、キスするの?」
頬を赤く染めながら上目遣いで直球な質問を投げかけられてしまい、ラインアーサも顔面に熱が集中する。
「っ!! そんなの、っ自分で考えろよ」
「そんな、自分でって…!」
「……なんでか解らない? さっきもあんなキスしたのに解らないのか…ってか前に教えなかったか?」
「教えてもらってなんかないもん! ちゃんと言葉で教えて欲しいよ。でないとわからないよ」
「……じゃあ、言葉よりも分かりやすくて手っ取り早い方法、知ってる?」
「し、知らない…」
「今、ここで教えてやろうか?」
スズランに熱い視線をおくる。
今さっき自身に言い聞かせたばかりなのに、またも気持ちが昂ぶってしまう。先ほどの口づけで、想いが通じ合った様に思えたのはラインアーサの勘違いだったのだろうか?
───素直に。素直に口に出せば良いのは解っている。それなのにうまく言葉が出てこない。それに、怖かった。初めての知らない自分の感情に思いのまま流されてしまいそうで怖かったのだ。
「ま、まって! ライアの言う通り、自分で考えるからいい…っ」
スズランの怯えた態度で我に返る。
「……ごめん。悪かったよ、だからそんなに怯えないでくれ」
スズランがふるふると首を横に振る。そして今度は真っ直ぐ見つめられた。
「ちがうの…、ライア! あのね、わたし本当はあなたに伝えたい事があって来たの! わたし、わたしっ! ……あなたの事が、す…っんッ!」
思わずその言葉を唇で塞いだ。
「っ…ふぅ! ……んっ!!」
流石にスズランが何を伝えたいのかが解ってしまった。しかし、いざ。それにどう応えていいかが解らなかった。今までずっと身を偽り、スズランを騙してきた。ここで突然身分を明かしたらスズランはどう思うだろうか。
───きっと幻滅するだろう。警備員に成りすましていた事も伝える勇気がなかった。
そっと唇を離す。
「…っスズラン……」
「ライアっ…わたし…っむぅ!」
だがもう一度言葉を遮る。
互いの指を絡めて手を握り、持てる全ての想いを口づけに込めて……。
スズラン。
愛しいスズラン。
君が愛しい。
「っん…、、…っ…ふぁ……」
最後に優しく触れるだけの口づけをし、静かに唇を離した。
「っ…スズラン……」
「…っ…ふえぇ、、なんで? ずるいよ。言っちゃ…っ…ダメなの? わたし……気持ち、伝えちゃダメなの? っライアのばかぁ…!」
今度はラインアーサが首を横に振った。
掠れて震えそうになる声をなんとか絞り出す。
「悪い……少し。もう少しだけ待って……それは俺から、言わせてほしい…。俺の事、信じて欲しいから」
「…っ!! ……うん…!」
零れる涙をそっと拭い、スズランの華奢な身体をきつく抱きしめた。それに応える様にスズランの細い腕がラインアーサの背中にまわされる。
隠しきれない二人の想いは互いに伝わったのだろうか。二人はほんの少しの間、そうして抱き合っていた。
───宿の外は白藤色の朝もやで視界が悪く、まだ空気もひんやりと冷たい。ラインアーサはしっかりとスズランの手を握った。
「スズラン……絶対に俺の手を離すなよ。旧市街を抜けても、
「っ…うん。離さない」
頬を赤く染めながらも向けられる凜とした眼差しに強い意思が感じ取れる。美しく淡い虹色の瞳に自身が映し出されると途端に気恥ずかしくなった。
「ん、いい子だ」
誤魔化す様に頭を軽く撫でると子供扱いされたと思ったのか、少し頬を膨らまるスズラン。それがどうにも愛らしく口元が緩みそうになる。
「むぅう…!」
「膨れるなよ。未成年者の誘拐事件はまだ解決してないんだ。スズランはその未成年者に該当するんだから危ないだろ?」
「そう、だけど!」
「本来なら外出自体禁止なんだからな?
「っ…はい…」
するとしょんぼりとしょげてしまった。その顔に耐えきれず小さく笑みを零すと更に頬を染めながら睨みつけてくる。
「どうして笑うの? 失礼だわ!」
「くくっ! だってお前見てるところころ顔変わっておもしろいから」
「もうー! ライアの馬鹿ぁ!!」
地団駄を踏みそうな勢いのスズランに笑を堪えながらも謝る。
「悪かったよ、でも可愛いなって」
「っ…! ラ、ライアの馬鹿…」
「なんだよ。 二回も馬鹿って言ったな? いやこれで三回目だ」
「だって…!」
そんな他愛無い会話をしながら歩いていると、突如後ろから声をかけられた。
「───早朝から痴話喧嘩かしら? ずいぶんと仲が宜しいことね?」
振り向くとすぐ後ろにヴァレンシアが立って居た。
「ヴァレンシア!? いつから居たんだ?」
「ん、いい子だ……の辺りからよ?」
「っ…居たならもっと早く声をかけてくれよ!」
「だって貴方見てるとおもしろいんですもの」
鼻で笑われすっかりとヴァレンシアの調子に乗せられてしまう。
「まったく、ヴァレンシアには敵わないって」
そんな会話をしているとスズランが不安そうな視線をよこす。
「あら! ……貴女。そんなに不安そうな顔しなくていいのよ? ライアはね、貴女の事で頭がいっぱいなんですから! ね? ライア」
「えっ! そうなの?!」
「うっ…勘弁してくれ…」
スズランは赤い頬を隠す様に俯く。
「うふふ。可愛い! そう、はじめましてよね? 私の名前はヴァレンシアよ。ここ旧市街の寂れたバルで店主をしながら占星術をしてるの。よろしくね」
ヴァレンシアがにこりと微笑むとスズランも慌てて自己紹介をした。
「あ! わたしスズランって言います。城下の街の
「まあまあ! なんて純粋な子! 本当ライアには勿体無いかもしれないわね…」
「ったく、何しに来たんだよ! 何かを伝える為に来たんじゃあないのか?」
するとヴァレンシアの調子が一変し真面目な顔へと変わった。
「そうなの。依頼された内容についてよ」
「もう何か解ったのか!?」
「ええ…。手短に話すわね。この事件の黒幕はとんでも無い人物かも知れないわ!」
「!? ……どう言う事だよ。とんでもない人物って」
「信じ難いし、まだ断定は出来ないけど…。それでも……マルティーン帝国が関わってる可能性が高いのよ」
「マルティーン帝国!? 何故あの国が…」
───マルティーン帝国。
豊かな水を蓄えた水と氷の都。
十一年前の内乱以降はルゥアンダ帝国を除き全ての国や都市と協定を結んだ筈だ。このシュサイラスア大国とも例外なく同盟国となっている。
「あくまでも可能性が高いってだけでまだ分からないけれども……」
「……マルティーン人が主犯の黒幕なのか?」
「ごめなさいね、そこまではわからなかったわ……でも。隠れ屋として拠点にしてるおおよその場所は掴めたの! おそらくその場所に今までに攫われた子たちも囚われてる筈よ…!」
「本当か? 何処なんだ!?」
つい気がはやってしまう。
一刻も早く囚われている民を解放したい。
「ちょっと…、まって頂戴。その前に貴方にはやる事があるでしょう? ……ほら、スズランちゃんにこんな心配そうな顔させちゃあダメじゃないのよ」
「…っ…! ……でも」
「でもじゃあないわよ! ねぇ、スズランちゃん」
「……あ、あの。わたしよくわからないけれど危ない事はしないで……ライア…」
スズランが繋いでいた手を強く握る。
「スズラン…!」
「場所は教えるわ、でもその前に貴方はスズランちゃんをきちんと送ってあげないとね?」
「分かってるよ……」
「そうかしらね? 場所を教えたら直ぐにでも飛んで行きそうよ」
「そんな事ないよ。スズランは俺が責任を持ってバルまで送る!」
ラインアーサもスズランと繋いでる手を強く握り返した。
「そう。……なら大丈夫ね。お願いだからくれぐれも一人でそこに乗り込まないで頂戴ね? ちゃんと事前に計画して…」
「大丈夫だって…! ヴァレンシアも本当に心配性だよな」
「だって貴方はいつでも、、っ…いいわ、もう……」
ヴァレンシアはそうため息をつきながら隠れ屋の場所を書き示した小さな用紙をくれた。ラインアーサはそれを受け取り場所を確認し、折りたたむと懐へとしまった。
「……あの今にも崩れそうな廃屋か…! ありがとう! ヴァレンシア!! 恩にきるよ」
「いいのよ。早く事件を解決させて貴方のその笑顔をまた見せに来て頂戴よ…?」
「…ああ」
「その時はスズランちゃんと二人でいらっしゃい?」
「わ、わたしもいいんですか!?」
スズランが驚いた様に声をあげた。
「もちろんよ! あなたなら特別に占いを見てあげるわ。うふふ…」
ヴァレンシアは意味ありげに微笑むと、くるりと背を見せ白藤色の霧の中へと消えていった。
「素敵な人……」
「……ヴァレンシアには昔から世話になってるんだ」
そう言いながら歩き出す。
ラインアーサはスズランの指と指の間に自身の指を通し、強く握り直した。すると先ほど想いを確かめ合った時の口づけを思い出し、つい顔に熱が集中してしまう。スズランも同じなのか恥ずかしそうに俯いていた。
「あのっ、ライア!」
「ん? ……どうした?」
「前に、街で助けてくれた時あるでしょ? あの時にライアはこの国の国王様の為にいろいろ情報を集めるのがお仕事って言ってたけど、、その。それって危険なお仕事なの…?」
「何? それって俺の事、心配してくれてるとか?」
「……心配、しちゃダメ? わたしだってライアの事心配だもん……」
「…っ…!」
「ライア? ……どうしたの?」
「っ…ありがとう……めちゃくちゃ嬉しい」
スズランが顔を覗き込んでくるが今は目を合わせる事が出来なかった。顔どころか耳や首筋までもが熱い。
「ライア?」
「そんなに危険な仕事じゃないよ。それにちゃんと仲間もいるから大丈夫だ…」
「そうなの? ……あ、仲間ってジュリアンさん?」
「そう。ってスズラン、ジュリとは随分気が合うみたいだな…!」
「そんなこと! だけど、この間うちの店に来てくれたから少しお話とかも…」
「……ふーん」
(まさかジュリの奴、頻繁にスズランの
そんな事を考えながら歩いているうちに旧市街を抜け、城下の街へと差し掛かる。霧は次第に晴れてはきたが、今にも雨粒が落ちてきそうな雲行きだ。
スズランに目を向けると息が上がり華奢な肩が上下していた。
「……は、ぁっ」
「少し疲れたか? ずっと登り坂だったもんな。それにまた雨が降ってきそうだ……」
「へい、きっ…。でもちょこっとだけ休憩してもいい?」
「そうだな。そこの大きい段差に座って少し休もう」
旧市街から城下の街へ行くには
「ありがとう、ライア。も、平気だから……急がなくちゃ…」
「そんなに急ぐなよ。ちゃんと送るから」
「でもっ…! あ、雨!」
大粒の雨が一つ、また一つと石畳に模様をつけてゆく。
「やっぱりまた降ってきたか……ほら傘に入ろう、もともとスズランのだけどな。全く…。のんびりはしていられないって事か」
「ライア……」
「よし。急ごう!」
まだ朝早く、雨が降る人気の少ない城下の街を二人を隠した赤い傘が通り抜ける。
少しでも長くスズランと二人で居たかったのだが、あっと言う間に
「着いたな」
「うん…。もうここで大丈夫だよ。マスターとセィシェルにはちゃんと自分で謝るから…」
「いや、俺も一緒に行くよ。マスターに話があるんだ」
手をつないだまま二人は
「話って…? この間も…」
「なあ、スズラン…。もし、嫌じゃあなかったらなんだけど、しばらくの間。王宮に来ないか?」
王宮でスズランを保護すれば今回の様な心配もしないで済む。それにはまず自身の本名を名乗り身を明かさなくてはいけない。
「え、王宮…?! どうして?」
「勿論無理にとは言わない…。ただ、心配なんだ。王宮で保護してもらえば安全だから」
この間そうしなかった事を既に後悔していた。
「そんな! 大袈裟だよ。わたしならだいじょうぶ…」
「駄目なんだ…! もし、スズランが…っ攫われるかと思うと俺は…っ」
スズランの瞳を覗き込むと再び自身が映し出された。
赤い傘の下、ゆっくりと二人の影が重なる。スズランが雨に濡れない様に気を使いながらその甘い唇を堪能した。スズランの甘い香りにくらくらと酔いしれる。
「……ん、、ライア…っ…」
「ッ…」
吐息の合間に名前を呼ばれるとますます愛しくなり、口づけを深くする。もうこれ以上スズランに黙っている事自体が心苦しい。ラインアーサは意を決して自身の真名と身分を明かす事にした。
唇を離し身体を抱きよせたまま小さく呟く。声が擦れてうまく言葉が出てこない。
「……俺…。スズランに話さなくちゃあいけない事があるんだ」
「話さなくちゃ、いけない事…?」
「……その、何から話せば良いかな…。俺、本当は……」
「……?」
「っ……」
今まで黙っていた事の罪悪感に押し潰されそうだった。それに加え嫌われてしまいそうで迷いが出る。
「……ライア…?」
少し身体を離すとスズランが不思議そうな眼差しを向けてくる。嫌われても仕方がない。それでもこのままスズランに嘘を吐き続けるよりはずっといい筈だ。
「……スズラン。俺は…」
決心したその時、勢い良く
「スズッ!? そこに居るのはスズか??」
「マスター! ……セィシェル…! ごめんなさい! わたし、一人で勝手に居なくなったりして…」
顔を強張らせたセィシェルが駆け寄ってくる。そして勢いよくラインアーサの胸ぐらを掴んだ。
「おいっ!! なんであんたが一緒にいる!? あんたやっぱり人攫いなんじゃないだろうな!!」
「やめなさい! セィシェル…!! そのお方は…」
「やめて! ちがうの…!! わたしが勝手にライアの所に行ったの…! ライアはわたしをここまで送ってくれただけで全然悪くないの!!」
「っ…スズ、その服はどうしたんだよ!」
「こ、これは雨で濡れたからライアに着替えを頂いて…」
スズランがそう説明すると漸く腕は引いたが物凄い形相でセィシェルに睨みつけられた。
「くそっ! スズは俺のだ…! あんたには絶っ対渡さない!! っ…戻るぞ、スズ!」
「やっ、やだ、わたしまだライアとお話し…」
「こんな奴と話なんてさせない!!」
セィシェルはラインアーサとスズランの間に割って入ると腕を掴み無理に引く。その反動で傘が吹き飛び二人は冷たい雨に晒された。
「嫌! 離してよ、セィシェル!」
「離すもんか! 俺と親父が昨日からどれだけ心配したと思ってるんだ!! 雨の中一晩中スズの事探して回ったんだぞ? 今だって朝一で警備隊に捜索の届け出をしようとして…」
「ごめんなさい…! でもわたし…」
「でもじゃあねぇだろ!! 心配で心配で、おかしくなりそうだったんだからな!」
「っ…! セィシェル。本当に、ごめんなさい」
「……ならもう行くぞ!」
「…っ」
スズランがこちらに苦しげな表情を見せながらもセィシェルに手を引かれてゆく。しかしラインアーサも今回は引かない。
「……待てよ。セィシェル、先にお前に話しがある」
「何だよ! 俺はあんたと話す事なんかねぇよ!!」
「……そうやって逃げるのならそれでもいい。でもスズランはお前のじゃあない…!」
「あっ…ライア!?」
ラインアーサもスズランの手を引き、強く胸に抱き寄せるとセィシェルに挑戦的な視線を送った。