真意
文字数 15,762文字
何時もの街並みに、何時もの大通り。しかし通常時よりも何処か静まり返っている様に思えた。
バルの前へと戻ってきたラインアーサは普段の様に建物の裏手側へと回り込む。
通常ならばこの時間帯は夕刻の開店に合わせ既に仕込みが始まっている時刻だ。しかし、今はその気配が感じられない。しばらくは休業という事もありえるのか……。店の前であれだけの騒ぎがあったのだから致し方ないのだろう。ユージーンたちに申し訳ない気持ちになる。
「……結局…、皆に迷惑をかけてしまったな」
そしていざ顔を出すべく裏口の扉を叩こうとするも、どんな顔をして良いのか分からずその場で暫く考え込んでしまった。それでも意を決して扉を叩こうとした瞬間、突然扉が開き中から出てきたセィシェルと鉢合わせる。
「わっ…!!」
「うわっ!?」
「……わ、悪い! 今扉を叩こうとして…」
「あっ! あんた無事だったのかっ…?!」
「ああ、大丈夫だ。今回こんな事になって悪かった。今日は店の方は休みなのか? ……結局マスターたちにも迷惑をかけてしまったし、俺に出来る事があれば何か手伝う…」
「っそんな事より! 早く来てくれ!!」
「どうかしたのか…!?」
セィシェルはラインアーサの腕を強引に掴むとスズランの部屋へと続く階段の方へ歩き出す。そして階段の前でぴたりと止まった。
「あんた。……スズのとこに行ってくれよ…」
「え…。お前は行かないのか?」
「……駄目なんだ、俺じゃ…」
俯いたセィシェルの横顔が悔しそうに歪んだ。
「駄目って…、スズランに何かあったのか? 無事なんだろ?」
「無事……だけど、あれから全然…、泣き止まなくて。何言っても飯食わないし、眠れてないと思う。それに、隙をついて抜け出そうとするから今は部屋に閉じ込めてる…。親父がスズの部屋に禁固の術を掛けた……」
「マスターが!? …っじゃあ、スズランはあの後からずっと部屋に?」
「いや、だから夜にまた裏の森の奥まで抜け出してて、連れ戻した…。それで流石の親父も怒ってさ、それで部屋に閉じ込めたんだ」
「そうだったのか…」
「……あいつ、ずっと自分を責めて塞ぎ込んでる。俺も親父も心配で何度も声をかけてるけど無駄なんだ。……でもあんたが行けばきっと…!」
「……いや。俺が行ってもいいのか? 俺こそ、何も出来ないかもしれないのに…」
「っ…何言ってんだ! あんたじゃあなきゃ駄目なんだよ!!」
「……セィシェル、お前…」
「昔にも一度だけこうなった事があって、あの時は俺が…、いや、今は早く行ってやってくれ! とにかくあんたが行けば絶対元気になるからっ。頼む…」
セィシェルの必死な言葉に気圧され、スズランの部屋へと続く階段を見上げる。本当に行って大丈夫なのだろうか、と考え込むもラインアーサの足は自然と階段を上り始めていた。
部屋の扉の前に立ち、短く深呼吸すると扉をそっと叩いた。部屋の中からの反応は無く、自身の心臓の音がやけに大きく聞こえた。扉に手を掛け静かに中へと踏み入り、部屋の中を見渡すと木製の小さなベッドの上で膝を抱え顔を伏せているスズランを見つけた。その姿は今にも消えてしまいそうな程小さい。
「っ…スズラン!」
瞬間。思わず名を叫び駆け寄ると、ラインアーサのその声にスズランが反応した。
「……ライア…?」
緩々と顔を上げるスズラン。
自然と視線が交わる。
泣き腫らしたであろうスズランの濡れた瞳は、尚も魅入ってしまう程に美しい。
困った事に伝えたかった沢山の言葉は、いざ本人を目の前にすると中々出てこない。
「……スズラン…っその、俺……」
「……っ…ライアの馬鹿…!!」
「っ! …え?」
勢い良くベッドから立ち上がった反動か、ふらつくスズラン。
「あっ…!」
「危ないっ!!」
ラインアーサは咄嗟に倒れ込む身体を抱き留め、何とか床との衝突を回避した。
「……よかった。何処もぶつけてない? 膝大丈夫か?」
そのまま立ち膝の状態で華奢な身体を抱きしめる。
「…っ! あっ…は、離してくださいっ! 平気だから!」
「怒ってるのか? スズラン」
「っ…」
力を緩めながらながら恐る恐る聞くも、スズランは腕の中で激しく首を振った。
「じゃあ、なんでそんな…」
「だって…っ心配したんだから…! あのままライアが消えちゃって……わたしのせいで…っ」
スズランの瞳に薄く涙の幕が張る。それもすぐに零れ落ちて真っ赤な頬を更に濡らす。
「スズランのせいじゃあない! 俺は、、俺がスズランを守りたかったんだ! 決めたんだ、必ず守るって!!」
震える肩に両手を添える。すると小さな拳で弱々しく胸を叩き返された。
「……ばか! ライアの馬鹿! 馬鹿!! わたしが守ってもらってもライアが危ない目にあったら駄目なんだから! ライアが酷い目にあったら……もしライアがいなくなったらわたし…っ」
「…っ…。ごめん、心配掛けて。……でもちょっと嬉しいかも…」
「え?」
大粒の涙が頬を伝い零れ落ちる。不謹慎かも知れないが、スズランがそれ程心配してくれていたかと思うと素直に嬉しい。
「もう……泣くなって…」
愛しさが込み上げ、今一度抱きしめるとスズランは腕の中で小さく主張した。
「っわたし……何でもいいからライアの役に、立ちたいの…。何かあなたの、力になりたくて…っ」
「っああ、もう。なんで今そんな事言うの? 馬鹿はスズランの方じゃあないか…」
「どうして?」
「スズランはもうずっと、俺の力になってるのに…」
「ずっと…って…?」
「……覚えて無いかもしれないけど、俺はもうずっと前からスズランの笑顔に力を貰ってらるんだ。……だからスズランには笑ってて欲しい」
瞳を合わせると頬を朱に染めながらも真っ直ぐラインアーサの瞳を覗き込んでくる。
「ずっと前って、いつ? このあいだ、酒場 に来てくれた時?」
「違うよ。もっと、ずっと昔から……ああ、もう。まだ泣いてる。泣かないでほら…。涙の止まる、おまじない…」
「……ン…!」
スズランの瞼にそっと唇を重ね、優しく触れてはゆっくりと離す。
「涙、止まった?」
大きな瞳を更に見開き驚き戸惑った顔をしているかと思えば勢い良く話し出すスズラン。
「…っそのおまじない! この間もしてくれた、よね…?」
「ん。まあ、俺が咄嗟に考えたやつだから…」
「ライアが考えたの? ……でもわたしずっと前から知ってる…」
「知ってるって……覚えてるのか?」
「覚えてるって、なにを…? えっ…! まってライア! 手首が、、 ひどい傷……もしかして他にもどこか怪我してるの?」
「なんだ…。こんなの大した事ないよ。自分で治せるから。そんな事よりもそのおまじないの話…」
「だめだよ! すぐに手当を……あ、ここも赤くなってる…」
唇の端に優しく触れるスズラン。たったそれだけで心臓は正直に脈を打つ。
「っ…大丈夫だって。口の中を少し切っただけだから…」
「痛い? よね…。だったら、わたしの知ってるおまじないでライアの痛いの、治せたらいいのに……」
「スズランが知ってる、おまじない?」
「うん…」
煌めく瞳がラインアーサを捉えて離さない。互いに見つめ合うと何時だって時が止まった様に感じた。
───やはり不意打ちだった。
唇の端に感じる小さなぬくもり。同時に全身へ電気の様なものが駆け巡る。頭の天辺から足の指先までビリビリと痺れてしまいそうな程だ。
一瞬。思考が停止しかけた。だが唇が離れていこうとするのを阻止し、そのまま強引に口づけをする。
「んんっ…! …!? っ…」
内心どうにかなりそうだ。今にも溢れだしそうな気持ちをぶつける様にスズランの唇を貪る。そして思い出すのはやはりあの日の出来事。あの幼き日の、たった一日だがラインアーサにとっては大切で特別な日。
おまじないと称した口づけ───。
「……スズラン…っ…」
「っふ、ぁ…らい、あ…っ」
堪えきれずに愛しい名を口にした。苦しそうに息継ぎしながらもそれに応えようとするスズランが愛しくてたまらない。このままでは歯止めが効かなくなりそうでほんの少し唇を離す。
「っ…スズラン……。本当に、無事で良かった…」
「ライアこそ、、無事で、よかった……」
まだ身体中がビリビリと麻痺している。しかしそんな事気にもならないくらいスズランを求めてしまいそうだった。むしろ全身の痺れは心地よく、抑えが効かない程に気持ちが高揚している。
ラインアーサはスズランを強くかき抱いて耳元で囁いた。
「っ…スズラン。……お願いだ。このままで聞いて欲しい事がある…。いい?」
「……うん」
色々な感情を飲み込み、覚悟を決める。
「───俺。今までスズランに色んな事黙って隠してたんだ。本当に悪かった。許してもらえるとは思ってない。でも、悪気があった訳じゃあないんだ…。これだけは信じて欲しい」
「ま、まって。……なんでライアが謝るの? 謝らないといけないのはわたしの方なのに。わたしが勝手にいろいろ勘違いして…。ライアはその、この国の…、えらい人で、本当はわたしなんかと…っ」
声を震わせ言葉を詰まらせるスズラン。
「俺は偉くなんかないよ…! スズラン。俺の真の名は、ラインアーサだ」
「ライン アーサ…?」
「そう。ラインアーサ・S・ローゼン」
名乗るだけでこんなに緊張するのは初めてだった。
「…っ…やっぱり。それって、この国の王子様の名前…。ライアは、アーサ王子で、本当はわたしなんかがこんなふうに気軽に接しちゃ、だめなんだよね…?」
スズランの声に緊張が伝わり、態度が硬くなって行くのがわかる。ラインアーサは必死に声を上げた。
「っ…駄目じゃあない!!」
「ほんとう…? だって、あなたは」
「っ…俺だって。……スズランの事をもっと知りたくて、もっと話をしたくて嘘をついたんだ。警備隊の一人になりすまして、そうすればスズランと会える。また話が出来るかもしれないって…」
「……わたし、警備さんがライアなら良いのにって……いつも思ってた」
「俺って分からなかった?」
「何となく…。でも先に警備さんはアーサ王子なのかもって気づいて。それで、ライアがアーサ王子だったら? って思うとわたし、今まですごく失礼な態度ばっかりだったからどうしたらいいか分からなくて……ごめんなさい…」
「怒って、ないのか? 俺、酷い事しただろ? 俺こそスズランに嫌われたらって思うと中々言い出せなかったんだ……ごめん」
互いに同じ様な気持ちで居たのだと安堵する。やはりジュリアンの言う通り早めに打ち明けて居ればよかったのだろうか。
「あの、それでね……もう、だめなの…」
「え! 駄目? やっぱり俺の事軽蔑した?」
「……ちがうの。あなたがとてもえらい人で、どんなに身分の差があっても、もう自分の気持ちに嘘はつけなくて……どうか想うことだけは許してください。わたし……あなたが、好き…!」
「っ…え、まっ…あの……それ、先に言うの反則…」
スズランの実直な告白を受け、身体中の熱が一気に顔に集中し赤面する。そればかりか、一番伝えたかった事を先に言われてしまい狼狽する。更に追い討ちの如く上目遣いで見つめられてはもうお手上げだ。
「やっぱり……だめ、なの?」
「だ、駄目な訳ない…!! けど、俺だって……ああ! もう、かっこ悪いな俺! 待って、ちゃんと俺からも言わせてくれ……」
「……よかった…、だめじゃなくって…」
スズランは肩に凭れかかると、ラインアーサの胸元をぎゅっと握った。その仕草さえも愛しくてたまらない。無意識に薄い千草色の髪を優しく撫でていた。あれ程までに不安だった心が安らいでゆく。
滑らかで美しい髪を撫でながらラインアーサは心を決めた。
「……ありがとう、すごく嬉しい。俺は、身分とか立場なんていいんだ。そんなの関係ない位、好きなんだ…。俺の大事なスズラン。どうかこれから先もずっと俺に、スズランを守らせてほしい……」
言ったそばから緊張で口の中が乾く。今にも口から心臓が飛び出しそうな程だ。
しかし暫くしてもスズランからの反応がない。
「……嫌、なのか? ……スズラン…?」
「……」
肩に乗せられた小さな頭が僅かに重い。見ればスズランは安心しきった表情で眠っていた。その顔を見て一気に気が抜ける。
「……そうか、ろくに寝てなかったって言ってたもんな。にしても、またか。……はは…」
肝心な所でスズランが寝てしまうという事例はこれで二度目だ。しかしラインアーサもやっと安堵して軽く息を吐く。
腕の中で眠るスズランの体温が心地よくて暫く抱きしめていた。
「……おい。いつまでそうしてるつもりだ? 抜け駆けはしないって約束だったよな…?」
「!? セィシェル!」
「しかも〝またか〟ってなんだ? どう言う意味だよ」
気がつくと部屋の入り口の扉は開け放たれ、不機嫌そうに腕組みをしたセィシェルが立っていた。
「お、お前! いつから…」
「あんたがスズに告白した辺りからだ…。へんっ! 肝心なところで失敗してやんの! ざまぁみろだ!! あ、ちなみに一応扉は叩いたからな? 立ち聞きとかじゃあないからな!?」
「ああもう、分かった。分かったから…」
まさか本人以外に聞かれていたとは。羞恥で全身が湯だりそうだ。
「それにあんたスズは物じゃあないとか俺には言った癖にさっき〝俺の〟って言ったな!? 何が俺の大事なスズランだ…!」
「っわぁあーー‼︎ もう悪かった、やめてくれ」
「でかい声出すなよ、せっかく眠ったのに起きるだろ? あとベッドに移すからいい加減にスズから離れろよ」
「いや、このまま俺が運ぶから大丈夫だ…」
「なんだよ…。スズはお前だけのじゃあないからな!」
「……」
セィシェルの文句が耳に届くが、それを尻目にスズランを横抱きにして立ち上がる。すると白くて華奢な腕がラインアーサの首の後ろにまわされ、強く抱きつかれた。
「……ん、ぅ…」
「スズラン? ……ほら、ベッドまで運ぶから」
「……ん……ライ ア…」
「大丈夫、側にいるよ」
優しく声をかけてそっとベッドに下す。
「……よかった、良く寝てる。スズ、最近ずっと寝不足だった上に昨日から一睡もしてなかったんだ…」
セィシェルはそう言いながらスズランに毛布をかけた。
「そうか」
「全部あんたが原因で、だけどな!」
「すまない…」
「まあ、スズも寝てくれたしとりあえず下にいくぞ。実は親父も似たり寄ったりの状態なんだ」
「マスターにも迷惑掛けてしまったな、本当情けない」
「……別に。スズも親父もあんたの事迷惑だなんて思ってねぇよ…」
「……そうなら本当に良いんだけどな…」
「俺は大迷惑だけど! あんたが店に通って来る前までスズはいつももっとたくさん笑ってた! でも今回の事件…。あんたがいなけりゃスズは。……だから、助けてくれて……その、、ありがとな…」
セィシェルは照れているのか最後の方は小声で言いくるめ、早足で下の部屋へ続く階段を駆け下りてゆく。よもやセィシェルから感謝の言葉が飛び出すとは思ってもいなかったがラインアーサの心は仄かに軽くなった。
「───親父!! スズの事はとりあえず心配ないぜ! 俺、今からでも仕込みの準備するから、詳しい話はこいつから聞いてくれ」
「っ…アーサ様!? おお!! ご無事に戻られたのですね! ……これ! セィシェル!! お前またアーサ様にそんな口の利き方を…」
「気にしないでくれマスター! 俺もその方がいいんだ。それよりも皆や店に迷惑を掛けてしまって本当に申し訳なかった…。もし何か不便な事があれば何でも言ってくれ。出来る限り手助けさせてもらうよ」
「いや、貴方様にそんな事…! それにスズを助けて頂いて、お礼をしなければならないのは此方の方です…」
ユージーンが深く頭を下げる。ラインアーサが何を言ってもなかなか頭を上げないユージーン。
「マスター…! 本当に頭を上げてくれ。それに今回の事件の事なんだけど、事件自体は無事解決に向けて収拾しつつある。でも本質的な事は何も解決していない。むしろ状況は良くない方に進んでいる。その事についてマスターに聞きたい事と、話しておかなければならない事があるんだ…」
「……やはり、スズの事でしょうか?」
ユージーンは察しが付いたのかはっとした様に顔をあげ、ラインアーサの顔色を伺う。ユージーンもまた、一睡もしていないのであろう。いつもより顔に疲れが出ていた。それでも確かめなければならない。
「マスター……率直に聞く。スズランは何者なんだ? 一体何処から来た?」
「……それは、貴方様にもお教え出来かねます…。と言いたい所なのですが、そうも言って居られない状況…、なのですね…?」
「ああ。無理にとは言わない。スズランの事でマスターが知ってる事があればどうか教えて欲しい」
神妙な面持ちのユージーンとラインアーサの顔を交互に確認するとセィシェルが口を出した。
「親父。スズって確かフリュイ公国ってとこから来たって昔言ってたろ。それが何か関係あるのか?」
「ああ。そう、なるな。それ以上の事はお前にも言ってない。…… スズはフリュイ公国の生まれです。フリュイ公国の〝とある方〟から託されました」
「やはり出身国はフリュイ公国なのか。そのある方と言うのはスズランの家族、父親で合っているか?」
「え、ええ。必ずスズを迎えに来ると言い残し私に託されました。ですが十一年経ちこうして復興を遂げた今も、まだ一度として連絡はありません……」
「そうか。ではマスター。スズランが狙われる理由は何だと思う?」
そう質問を変えると、ユージーンは瞳を見開いた。今回の事件の標的は初めからスズランだったのだ。これにはラインアーサも狼狽えている。
「親父は何でスズが狙われてるか知ってるのか? てか何でスズが狙われなきゃならないんだよ! あいつが何をしたってんだ」
セィシェルも困惑した様子でユージーン強くに問う。
「やはり、狙われているのはスズなのですね? アーサ様、少しだけ考える時間を頂戴してもよろしいでしょうか。もう既に私一人の問題ではない事、十分承知しております。ですが…」
「ああ。明日から酒場 に通わせてもらう。時間がある時に詳しく聞かせて欲しい」
「お時間頂きありがとうございます」
その直後、ユージーンは黙り込んだまま何処か遠くを見つめるように天井を仰いだ。
とりあえずではあるが、今までよりも更にスズランの守りを固めて欲しいと念を押し、ラインアーサは席を立った。本来であればやはり王宮で保護するのが妥当な判断だろう。しかし強制では無く、やはり本人の意向を聞いてからにしたい。裏の扉口まで見送ってくれた二人に向き合うと再度心残りである詫びを申し出た。
「マスター。セィシェルも…。本当に何か不便があったらいつでも言って欲しい。迷惑をかけた分、出来る限りの手助けをしたいんだ」
「うるせぇな! そんなの無ぇって言ってるだろ! 帰るなら早く帰れよ、あんただって色んな奴に心配とかされてんじゃねぇの?」
「こら! セィシェル!!」
すかさずユージーンの拳がセィシェルの脳天に落とされた。
「ぃってえ…!! 何すんだよ親父!」
「何度言えば済むんだ、その口の悪さは! 全く……。アーサ様、度々申し訳ありません。それにお礼などお気持ちだけで有難いですから。それよりも、やはり今後の事の話し合いをお願いします…」
「ありがとうマスター。じゃあ明日からよろしく。あと、目を覚ましたらスズランにも伝えて欲しい…」
「仰せの通りに…」
ユージーンはセィシェルと一緒に頭を下げ、ラインアーサを見送ってくれた。よく見るとセィシェルの頭はユージーンの手によって強引に下げさせられていた事に苦笑しつつバルの裏口を後にした。
王宮への帰路。森の中である事に気付く。
「───!? ……っ、いや。そんな…」
驚きながらもラインアーサは自身で全身を確認する。拘束時に縄で傷付いた手首、切れた口の中、その他の細かい傷や怪我。果てには無理矢理風を喚んで消耗した体力までも。
今のラインアーサ身体は一点の不安も無い絶好調時そのものだった。ここへ来る前まではほぼ満身創痍といってもおかしく無い状態だったのにもかかわらず、そのほとんどが全回復している。
「まさか、スズランが…?」
おもむろに指で唇をなぞり、スズランからのおまじないと称した口づけを思い出す。あの時全身に感じた衝撃と甘い痺れ。おそらくそれが作用したのだろうと考えた。
ラインアーサも回復系の術は得意としているがこれ程まで全身を完璧に回復させる事はとてもではないが困難だ。それもあの一瞬で。スズランが無意識のうちに何らかの回復術を使ったのだろう。そう考えるしかなかった。直後眠ってしまったのも普段術を使わない為、身体への反動と寝不足が重なった為か。
「スズラン…。本当に君は何者なんだ、こんな……」
スズランが何者なのかは検討も付かなかったが、先程受けた告白と腕の中で眠ってしまった愛しい温もり思い出すとどうしても頬が緩むのを止められないラインアーサだった。
王宮に戻ると自室の扉の前にライオネルが立っているのが見え、急いで駆け寄る。
「父上…! どうしてこんな所に立って…?」
「っ…アーサ!」
名前を呼ばれるなり唐突に抱きつかれた。思いのほか強い力が込められていて痛い程だ。
「……ごめん。心配かけて、だけどちょっと痛いよ、父上」
「また無理をしたのだ。このくらい我慢しなさい。本当に、お前はいつも…っ」
声を震わせるライオネル。
「ごめんって。でも事件は無事に解決して民への危険はもう…」
「有難うアーサ。先程ジュリアン君やハリ君からの報告書が届いて知ったよ。それに旧市街の外れで風を喚んだんだね? 数秒程大きな竜巻が発生したのが王宮からも見えたよ」
「あまり使いたくなかったんだけど…」
「分かってるよ。お前があれを使いたくて使ったわけじゃあ無い事位はね…」
ライオネルの腕にますます力が込められた。
「父上…っ苦しいって! そろそろ離して」
「ああ、すまない。それにしても本当に無理をして……うん? その割に顔色は良いな。少し安心したよ」
漸く離してもらえたが、言葉とは裏腹に心配そうにラインアーサの顔を覗き込むライオネル。
「ん…。ちょっと色々あって。でも全身汚れてるから着替えて身なりを整えたら父上の所に行こうと思ってたんだけど…」
「あはは、帰りが待ちきれずに部屋の前で待ち伏せしてしまったよ」
「詳しく報告をしたいんだけどここじゃ何だし、着替えたら父上の部屋に行くから」
「そうか、ならば私は先に戻ってお茶の用意でもしておくよ。アーサの大好きな焼き菓子も用意させよう」
ライオネルはそう言うなりいつもの様に笑顔を見せ、慌ただしく小走りで戻って行った。相変わらずな父王の様子に安心する。
しかし───。
〝父親にさえ信頼されていない〟
〝国王はオマエを恨んでいる〟
この後に及びライオネルに憎まれてるとは感じない。だがどうしてもメルティオールに言われた〝あの言葉〟が引っかかる。
ラインアーサは急いで身なりを整えると早足でライオネルの部屋へと足を運んだ。
「アーサ。待っていたよ!」
部屋へ入るなりにこやかな笑顔のライオネルに出迎えられた。
「其処に腰掛けるといい、お茶と焼き菓子もたっぷりと用意した。さあ父様に話を聞かせておくれ?」
「ち、父上。なんか俺の事子ども扱いしてないか…?」
「 アーサは私の大事な息子なのだから当たり前だろう? 駄目なのかい?」
「いや、駄目とかじゃあなくて恥ずかしいだろ…? それに俺は事件の報告処理をしに来たんだけど…」
「事件については先程また新たな報告書に目を通したし大まかな事は把握したよ? それにしても…。アーサは相変わらず本当にお人好しだね。ジュリアン君の報告書を確認した所、新たに警備隊を二人ほど増員させた。とあったのだが?」
早速ジェロームとエヴラールについて確認される。何時もより厳しい顔付きになるライオネル。
「そうなんだ。今回の事件の実行犯は恐らくその二人なんだ。……でもこの二人に必要なのは〝居場所〟だと思ったから。ちゃんとした活躍出来る場所があればって。二人を罪人として処罰しても何も解決しない。それに二人とは別にこの誘拐事件の裏で糸を引く不信な人物が居る」
ラインアーサの言葉を聞きながらライオネルは瞳を閉じた。
「この件にメルティオール皇子が関わってるのにそのまま帰してしまったのにも。……ちゃんと理由があるのだね?」
「……メルテ。どこか様子がおかしい気がしたんだ。よくは分からないけど、普段のメルテだったらあんな事…。俺、考えが甘いかも知れないけどメルテの事を悪人だとは思えない…」
「ふふ、お前ならそう言うと思っていたよアーサ。困ってる人を見つけるとどうしても放っては置けないのだろう? ……同じなんだな、エテジアーナと」
「……母様と?」
ゆっくりと瞼を持ち上げたライオネル。ラインアーサは全てを見透かす様な眼差しに射抜かれた。しかしどこか寂しそうなその双眸にどきりとする。
「そう…。実際にメルティオール皇子は焦っていたのかも知れないね。実は、マルティーン帝国は今とても大変なのだよ。グロス皇帝が病で死の瀬戸際に立たされている。それで皇子は色々荒れていると聞いたものでね」
「どうして父上がそんな内情を知ってるんだ?」
「ここ最近の長雨。なぜ降っていたか分かるかい? 民が外出を控えるようにと私がマルティーン帝国に〝雨〟を依頼したのだよ。その時に少し聞いてしまってね」
「依頼って父上、マルティーンにわざわざ出向いたのか?」
マルティーン帝国はシュサイラスアから大海を挟んだ遠方に位置する。ここ最近色々と忙しくしていたライオネルが簡単に足を運べる距離だとは思えない。
「……アーサ。私は今までずっとお前に色々な隠し事をしてきたんだ。今からそれを話したいのだが、どうか…。父様の事を嫌いにならないでおくれ…」
「俺が父上の事を嫌いになるわけないだろ! でも……父上は俺の事。憎んだり恨んだりとか、してるのか?」
「私が…!? 何故私がお前を憎んだり恨む必要があるのだ? 今まで色々と寂しい思いはさせてしまったかも知れないが、私がお前の事を疎ましく思った事などお前が産まれてから唯の一度もない! イリアもお前も大切な家族で私の宝だよ。特にアーサ、お前はエテジアーナと本当にそっくりで…っ」
そこまで一気に話すとライオネルは目頭を押さえ喉を詰まらせた。多少大袈裟とも取れる動作だが恐らく本気だ。
「ち、父上? 悪かったよ、変な事口走って。俺だって憎まれてると感じた事なんて一度もないよ。ただ、ちょっとそんな噂を聞いたもんだからつい…」
「なんて酷い噂だ。私はこんなにも家族を愛していると言うのに…」
「あの。それでその……隠し事って、やっぱり母様の事?」
「それもあるが、一番はお前自身の事なのだよ」
「俺、自身の事…?」
「そうだね、まず私の事から話そう。先ほど私はマルティーン帝国に行ったと話したね?」
「ああ、そうだ。遠い国なのに短期間でどうやって……って、まさか父上。空間移動の術使えるのか?」
「……その通りだよ。厳密に言うと古代リノの術であって空間移動のような魔術とは別の物なのだが…」
「なっ!? 古代リノの術?? じゃあなんでこの間聞いた時教えてくれなかったんだよ!! 酷いじゃあないか! 今からでも良いから俺にもその術を…」
「まあ、焦らずに聞いておくれ。古代術はとても複雑で繊細なのだよ、そう簡単には……と言う前置きはさておき、きっとお前ならばすぐに扱えるようになっただろうね」
「じゃあなんで無理だなんて言ったんだよ…!」
「……アーサ。お前の左二の腕にある刺青…。何の為のものだと思う?」
「知らない。第一聞いても教えてくれなかったじゃあないか。ただのお守り的なものなんだろ……後はたまに痛むって事位しか」
つい口調が刺々しくなってしまう。
「痛むのか…?」
「え、ああ。たまにだけど最近は特に…」
「……そうか。やはりそろそろなのかな」
ライオネルがとても申し訳なさそうに瞳を覗き込むのでラインアーサははっとして気を取り直した。
「この刺青…、他に何かあるのか? 最近だと寝起きとか、俺が差し迫った状態の時とか痛む事があるんだよ…」
「……その刺青は、お前の力の暴走を抑えてくれている物なのだよ。煌都 パルフェの司祭様に施してもらったのだけど覚えてないだろうね、まだほんの幼い頃だったから」
「力を抑える…? 暴走って何が…」
「……」
俯いたままなかなか答えようとしない様子に、ラインアーサも急かさずに待った。
少し長い沈黙の後、漸くライオネルが口を開く。
「……お前はね、その力のせいで二度も死にかけてるんだ…」
「え?」
「一度目は産まれてすぐの時。二度目はある者の命を救った時。まだ五つの時だったよ。いや、産まれてすぐの時も命を救ったんだ。エテジアーナの命をね…」
「……俺が、母様を……救った?」
死にかけた。命を救った。どちらも身に覚えのない事だ。
「そう。彼女、アナは身体が丈夫じゃあなかったからね。イリアを出産した時でもかなり危険な状態で、二人目は望めないだろうと侍医からも言われていた」
「待って……だ、だったら何で俺を…」
自身が母の命を救ったなどと思った事もなかったが、話の内容はメルティオールが言っていた物と近くラインアーサは妙に緊張しながら話の続きを催促した。
「お前を授かったと知った時。どうしても産むと譲らなくてね。私はとても嬉しかった反面、出産に母体が耐えられずにアナが死んでしまうのでは? と恐怖にも苛まれたんだ。本当情けないよ」
「…っじゃあ、やっぱり父上は俺の事恨んでる…?」
「いや、その逆だよ。アーサには感謝してもしきれないくらいだ。……出産までの間、少しでもと体力を付けたり様々な努力をしたよ。アナと王宮の皆で協力し合い本当に色々ね。そうして無事にお前が産まれてきてくれた時はこの世のものとは思えない程の幸福を味わったんだ。……しかし、直後にその幸福から絶望の淵に立たされた」
「どういう事…?」
「やはりアナの身体が持たなかったんだよ。こればかりは侍医達も手の施しようがない、とね……。私も一度、その時に彼女の死を覚悟した。今にも消えゆく命を目の前にして、ただ祈るし出来なかった…」
「待ってくれ、母様が亡くなったのは十一年前のあの内乱の後だ…! なんで…っ」
「アナの特殊な能力の事はもうお前も知っているのかな?」
「……知ってるよ。他にない特殊な能力だろ…」
「そう、そもそもアナの身体が丈夫じゃあ無いのはその能力を酷使しすぎたからなんだ」
「うん、それも聞いた…」
「……アーサ。お前は容姿だけでなく性格もアナ譲りだ。そればかりかその能力も全て受け継いでいる。そして産まれたばかりの赤ん坊なのに母親の危機は解る物なのかな?」
「まさか……俺が、その能力を使って母様を救ったっての?」
「それだけじゃあ無い。お前は能力〝そのもの〟まで吸い取ったんだ。だからそれ以来アナは能力を一切使えなくなったよ」
「っ…!!」
「その後も大変だったのだよ? おかげでお前は産まれてすぐ仮死状態に陥り回復するまで二十日間も目を覚まさなかったのだからね……それはもう見ていて辛かったよ」
ライオネルは懐かしむ様に遠くを見つめながら話を進める。一方、ラインアーサは不思議な感覚を憶えながら聞いていた。
「……なんだかピンとこないよ」
「それはそうだよ、産まれてすぐの出来事だからね。覚えていないのも無理は無い。そんな事があったというのに、私は油断をしていてね。……お前が五つの時またしても同じような出来事があったんだ」
「また力を使った?」
「そう、今度はもっと酷い。力を暴走させたんだ。お前は友人とその妹を救う為に力を暴発させて王宮中の者の負の感情を一度に吸収して今度こそ死にかけた」
「それって……いや、それも覚えて無い…」
「相当無理をしたんだよ…? その部分の記憶をなくす位ね。私は猛烈に反省した。お前を急いで煌都 パルフェに連れて行って司祭様にその刺青を施してもらったんだ。それでも完全に力を抑制する事はできない、ほんのお守り程度の物だって言われたよ…」
「だからなのか? 父上を含め母様も姉上も王宮の皆がどうも俺に過保護だったのは…」
「当たり前だよ。そうでなくてもお前はすぐに無茶ばかりするから…。ジュストベルの授業にあまり興味が無い事も逆に安心していたんだ。術に詳しくなれば古代術にも触れるだろうからね。また力を使って無理をしない様にお前から術に関する物を遠ざけたし、今の今までこの事を必死になって隠して来た。……情けない父親ですまない。こんな私の事を軽蔑するかい?」
ラインアーサは激しくかぶりを振るとライオネルの瞳をまっすぐに見た。
「ありがとう父上。俺の事ここまで育ててくれて…、本当にありがとう。俺、今はこれ以上の感謝の言葉が見つからない…!」
「アーサ…。それはさっきも言っただろう? イリアもお前も二人とも私の大切な家族で宝なんだ。当然だよ、むしろこんな不甲斐のない父親でお前達に嫌われやしないかと常々思ってしまうよ」
「そんなことないよ…! なんていうか、俺は父上のこと尊敬してるし、目標にしてるから…!! だから。その、、そ…そうだ…姉上の様子は? 体調は良いのかな? 俺、心配かけただろうし後で見舞いに行くよ」
ライオネルに日頃の思いを伝えようかとも思ったが、急に照れくさくなり急遽話を切り替えてしまった。
「ふふ。そうしてやってくれ! イリアも大概アーサには甘いからな。お前の顔を見ればすぐに安心する筈だよ」
「そうするよ!」
「さあ、さて。今度は以前言っていたお前の愛しい人の話を聞かせておくれ? いつ私に会わせてくれるのかな?」
「っ…父上…! その事なんだけど…」
「出来るならば早めに連れてきなさい。そして王宮で保護をするなりして守ってやるのが今のお前の役目ってところかな?」
「な、、んで…! やっぱり父上もスズランの事知ってるのか?」
「ほうほう。スズランさんというのだね? あの花の様に可憐な娘の名は。とても素敵な名だ!」
「! ……既に何処かで会った事があるとか…?」
「実際に会った事はないよ。ただ昔から知ってはいるんだ。ちょっと知人からの話でね。しかしその娘が今回の事件の標的になるとはね。迂闊だったよ…」
「……父上! 少しでも理由を知っているのなら話は早い。俺はそのスズランの事を守りたいんだ…! 俺その、、彼女の事、凄く…」
「ふふふ、大体は分かっているよ。その娘さんもお前の事が大好きみたいだからね? 早くくっつけば良いのになあ、と焦れったく思っていたから父様は嬉しいよ!」
「……んん? 早くって…、何で見てきたみたいに…」
「私が王宮の周りに結界を張っている事は知っているだろう? 私の術はとても強力でね……結界の中で起きた大体の出来事は把握しているのだよ」
悪びれる様子どころか少し悪戯っぽい顔をするライオネル。
「……そ、それってまさかだけど…」
「さて、私の結界の範囲は何処までだと思う?」
さらににっこりと微笑む。
「……王宮の周りにある、森の所まで…」
「残念! 惜しいなあ。森の中はもちろん、その入り口付近もだよ」
「…ってことは、あの酒場 の裏庭周辺全部なのか…?」
「もちろん範囲内だ」
「な、何だよそれ!! うわ、待てよ……。それじゃあ俺の行動ほとんどが父上に筒抜けって事?」
「いや、常に監視している訳じゃあないからそこまで筒抜けって訳でもないよ? 大体の出来事が把握出来るだけであって、透視の術の様にはっきり見えたり会話まで聞こえる訳でもない。もちろん私事は犯してはいないし、防犯の為の結界だからね」
「そうかもだけど…っうわああ。何か複雑な気分…」
「あはは……アーサは照れ屋さんだね」
「そ、そういう問題じゃあないだろ!? もう、何だよ…。そうならそうと言ってくれてもいいじゃあないか!」
「まあまあ、そんなに気にしなくても大丈夫だよ?」
「気にするよ! 凄く!!」
「ああそうだ。彼女はお前が旧市街に行っている間にも森を抜けて王宮の横庭に来ていたよ…。必死に誰かさんを探してる様だったなぁ…」
「…っ!」
「さて、私はそろそろ仕事に戻ろうかな? スズランさんに会える日を楽しみにしているよ」
「父上…! 俺…」
言いかけようとしたが丁度その拍子にふわりと抱きしめられた。
「……アーサ。私の息子として生まれてきてくれて本当に感謝しているよ。これからもずっと変わらずにいてほしい」
「父上…? 俺はずっと俺だし、変わらないよ…」
「……分かっているよ、アーサ。しかし術を使いすぎるのは良くない。また力が暴発でもしたらと思うと私は…」
「大丈夫。古代術にも興味はあるけど、そういった事情があるなら無理に習得しようとは思わない」
「ならば良かった。その腕の刺青もそろそろ効果が薄れてきている可能性もあるから尚更気をつける様に」
「まったく、父上は本当に心配性だな。でもありがとう。気をつける…」
とは言ったものの、ラインアーサの左二の腕にある〝例の物〟はライオネルから話を聞いている間中じわじわと締め付ける様に疼いていた。その痛みを何とか耐えてやり過ごす。
「うん? どうかしたかい? アーサ」
「っ…何でもないよ。今日は俺も疲れたし残ってる執務は明日に回してもう休むよ」
「ああ、そうだな。ゆっくり休むのだぞ?」
「父上こそ…」
心配かけまいと笑顔でライオネルの部屋から出た直後、ラインアーサは二の腕を貫く様な鋭い痛みに小さくうめき声をあげた。
「…っつぅ…!! どうしたっていうんだまた急に…っ」
足早に自室に戻り、浴室に駆け込むと耐えきれず服を着たまま頭から冷たい水を浴びる。
そのままの状態で瞳を強く閉じた。
まるで大きな力が身体の外に出たがっている様な感覚だ。
「……駄目だ! 治まってくれ…!!」
半分祈る様に必死に自身に言いきかせる。
「…っ治まれ……頼むから」
ラインアーサはその場にうずくまって屈み込みじっと動かずにいた。
どのくらいの間そうしていただろうか。やっと立ち上がりその場で身にまとっていた服を全て脱ぎ捨てると、ふらつく足取りで寝室へと向かいベッドへと身を投じた。
「……寒い」
ずっと水を浴びていたせいか身体は冷えきり震えが止まらなかった。暫くしてやっと何時もの感覚が戻り安堵する。腫れ物を触る様にそっと刺青に触れてみるも、今は何事もなかったかの様に其処に収まっていた。
「……力の開放…。それとも封印か…」
ぼんやりとそんな事を考えたがラインアーサは何時も身の周りに居る人物達の心配そうな顔を思い出す。
「……決まってる。皆の心配の種を増やしたくない。それに…、今まで父上が必死に護ってくれた身体だ、大事にしないと」
そう口に出すとやはり二の腕の刺青はチクリと痛むのだった。
バルの前へと戻ってきたラインアーサは普段の様に建物の裏手側へと回り込む。
通常ならばこの時間帯は夕刻の開店に合わせ既に仕込みが始まっている時刻だ。しかし、今はその気配が感じられない。しばらくは休業という事もありえるのか……。店の前であれだけの騒ぎがあったのだから致し方ないのだろう。ユージーンたちに申し訳ない気持ちになる。
「……結局…、皆に迷惑をかけてしまったな」
そしていざ顔を出すべく裏口の扉を叩こうとするも、どんな顔をして良いのか分からずその場で暫く考え込んでしまった。それでも意を決して扉を叩こうとした瞬間、突然扉が開き中から出てきたセィシェルと鉢合わせる。
「わっ…!!」
「うわっ!?」
「……わ、悪い! 今扉を叩こうとして…」
「あっ! あんた無事だったのかっ…?!」
「ああ、大丈夫だ。今回こんな事になって悪かった。今日は店の方は休みなのか? ……結局マスターたちにも迷惑をかけてしまったし、俺に出来る事があれば何か手伝う…」
「っそんな事より! 早く来てくれ!!」
「どうかしたのか…!?」
セィシェルはラインアーサの腕を強引に掴むとスズランの部屋へと続く階段の方へ歩き出す。そして階段の前でぴたりと止まった。
「あんた。……スズのとこに行ってくれよ…」
「え…。お前は行かないのか?」
「……駄目なんだ、俺じゃ…」
俯いたセィシェルの横顔が悔しそうに歪んだ。
「駄目って…、スズランに何かあったのか? 無事なんだろ?」
「無事……だけど、あれから全然…、泣き止まなくて。何言っても飯食わないし、眠れてないと思う。それに、隙をついて抜け出そうとするから今は部屋に閉じ込めてる…。親父がスズの部屋に禁固の術を掛けた……」
「マスターが!? …っじゃあ、スズランはあの後からずっと部屋に?」
「いや、だから夜にまた裏の森の奥まで抜け出してて、連れ戻した…。それで流石の親父も怒ってさ、それで部屋に閉じ込めたんだ」
「そうだったのか…」
「……あいつ、ずっと自分を責めて塞ぎ込んでる。俺も親父も心配で何度も声をかけてるけど無駄なんだ。……でもあんたが行けばきっと…!」
「……いや。俺が行ってもいいのか? 俺こそ、何も出来ないかもしれないのに…」
「っ…何言ってんだ! あんたじゃあなきゃ駄目なんだよ!!」
「……セィシェル、お前…」
「昔にも一度だけこうなった事があって、あの時は俺が…、いや、今は早く行ってやってくれ! とにかくあんたが行けば絶対元気になるからっ。頼む…」
セィシェルの必死な言葉に気圧され、スズランの部屋へと続く階段を見上げる。本当に行って大丈夫なのだろうか、と考え込むもラインアーサの足は自然と階段を上り始めていた。
部屋の扉の前に立ち、短く深呼吸すると扉をそっと叩いた。部屋の中からの反応は無く、自身の心臓の音がやけに大きく聞こえた。扉に手を掛け静かに中へと踏み入り、部屋の中を見渡すと木製の小さなベッドの上で膝を抱え顔を伏せているスズランを見つけた。その姿は今にも消えてしまいそうな程小さい。
「っ…スズラン!」
瞬間。思わず名を叫び駆け寄ると、ラインアーサのその声にスズランが反応した。
「……ライア…?」
緩々と顔を上げるスズラン。
自然と視線が交わる。
泣き腫らしたであろうスズランの濡れた瞳は、尚も魅入ってしまう程に美しい。
困った事に伝えたかった沢山の言葉は、いざ本人を目の前にすると中々出てこない。
「……スズラン…っその、俺……」
「……っ…ライアの馬鹿…!!」
「っ! …え?」
勢い良くベッドから立ち上がった反動か、ふらつくスズラン。
「あっ…!」
「危ないっ!!」
ラインアーサは咄嗟に倒れ込む身体を抱き留め、何とか床との衝突を回避した。
「……よかった。何処もぶつけてない? 膝大丈夫か?」
そのまま立ち膝の状態で華奢な身体を抱きしめる。
「…っ! あっ…は、離してくださいっ! 平気だから!」
「怒ってるのか? スズラン」
「っ…」
力を緩めながらながら恐る恐る聞くも、スズランは腕の中で激しく首を振った。
「じゃあ、なんでそんな…」
「だって…っ心配したんだから…! あのままライアが消えちゃって……わたしのせいで…っ」
スズランの瞳に薄く涙の幕が張る。それもすぐに零れ落ちて真っ赤な頬を更に濡らす。
「スズランのせいじゃあない! 俺は、、俺がスズランを守りたかったんだ! 決めたんだ、必ず守るって!!」
震える肩に両手を添える。すると小さな拳で弱々しく胸を叩き返された。
「……ばか! ライアの馬鹿! 馬鹿!! わたしが守ってもらってもライアが危ない目にあったら駄目なんだから! ライアが酷い目にあったら……もしライアがいなくなったらわたし…っ」
「…っ…。ごめん、心配掛けて。……でもちょっと嬉しいかも…」
「え?」
大粒の涙が頬を伝い零れ落ちる。不謹慎かも知れないが、スズランがそれ程心配してくれていたかと思うと素直に嬉しい。
「もう……泣くなって…」
愛しさが込み上げ、今一度抱きしめるとスズランは腕の中で小さく主張した。
「っわたし……何でもいいからライアの役に、立ちたいの…。何かあなたの、力になりたくて…っ」
「っああ、もう。なんで今そんな事言うの? 馬鹿はスズランの方じゃあないか…」
「どうして?」
「スズランはもうずっと、俺の力になってるのに…」
「ずっと…って…?」
「……覚えて無いかもしれないけど、俺はもうずっと前からスズランの笑顔に力を貰ってらるんだ。……だからスズランには笑ってて欲しい」
瞳を合わせると頬を朱に染めながらも真っ直ぐラインアーサの瞳を覗き込んでくる。
「ずっと前って、いつ? このあいだ、
「違うよ。もっと、ずっと昔から……ああ、もう。まだ泣いてる。泣かないでほら…。涙の止まる、おまじない…」
「……ン…!」
スズランの瞼にそっと唇を重ね、優しく触れてはゆっくりと離す。
「涙、止まった?」
大きな瞳を更に見開き驚き戸惑った顔をしているかと思えば勢い良く話し出すスズラン。
「…っそのおまじない! この間もしてくれた、よね…?」
「ん。まあ、俺が咄嗟に考えたやつだから…」
「ライアが考えたの? ……でもわたしずっと前から知ってる…」
「知ってるって……覚えてるのか?」
「覚えてるって、なにを…? えっ…! まってライア! 手首が、、 ひどい傷……もしかして他にもどこか怪我してるの?」
「なんだ…。こんなの大した事ないよ。自分で治せるから。そんな事よりもそのおまじないの話…」
「だめだよ! すぐに手当を……あ、ここも赤くなってる…」
唇の端に優しく触れるスズラン。たったそれだけで心臓は正直に脈を打つ。
「っ…大丈夫だって。口の中を少し切っただけだから…」
「痛い? よね…。だったら、わたしの知ってるおまじないでライアの痛いの、治せたらいいのに……」
「スズランが知ってる、おまじない?」
「うん…」
煌めく瞳がラインアーサを捉えて離さない。互いに見つめ合うと何時だって時が止まった様に感じた。
───やはり不意打ちだった。
唇の端に感じる小さなぬくもり。同時に全身へ電気の様なものが駆け巡る。頭の天辺から足の指先までビリビリと痺れてしまいそうな程だ。
一瞬。思考が停止しかけた。だが唇が離れていこうとするのを阻止し、そのまま強引に口づけをする。
「んんっ…! …!? っ…」
内心どうにかなりそうだ。今にも溢れだしそうな気持ちをぶつける様にスズランの唇を貪る。そして思い出すのはやはりあの日の出来事。あの幼き日の、たった一日だがラインアーサにとっては大切で特別な日。
おまじないと称した口づけ───。
「……スズラン…っ…」
「っふ、ぁ…らい、あ…っ」
堪えきれずに愛しい名を口にした。苦しそうに息継ぎしながらもそれに応えようとするスズランが愛しくてたまらない。このままでは歯止めが効かなくなりそうでほんの少し唇を離す。
「っ…スズラン……。本当に、無事で良かった…」
「ライアこそ、、無事で、よかった……」
まだ身体中がビリビリと麻痺している。しかしそんな事気にもならないくらいスズランを求めてしまいそうだった。むしろ全身の痺れは心地よく、抑えが効かない程に気持ちが高揚している。
ラインアーサはスズランを強くかき抱いて耳元で囁いた。
「っ…スズラン。……お願いだ。このままで聞いて欲しい事がある…。いい?」
「……うん」
色々な感情を飲み込み、覚悟を決める。
「───俺。今までスズランに色んな事黙って隠してたんだ。本当に悪かった。許してもらえるとは思ってない。でも、悪気があった訳じゃあないんだ…。これだけは信じて欲しい」
「ま、まって。……なんでライアが謝るの? 謝らないといけないのはわたしの方なのに。わたしが勝手にいろいろ勘違いして…。ライアはその、この国の…、えらい人で、本当はわたしなんかと…っ」
声を震わせ言葉を詰まらせるスズラン。
「俺は偉くなんかないよ…! スズラン。俺の真の名は、ラインアーサだ」
「ライン アーサ…?」
「そう。ラインアーサ・S・ローゼン」
名乗るだけでこんなに緊張するのは初めてだった。
「…っ…やっぱり。それって、この国の王子様の名前…。ライアは、アーサ王子で、本当はわたしなんかがこんなふうに気軽に接しちゃ、だめなんだよね…?」
スズランの声に緊張が伝わり、態度が硬くなって行くのがわかる。ラインアーサは必死に声を上げた。
「っ…駄目じゃあない!!」
「ほんとう…? だって、あなたは」
「っ…俺だって。……スズランの事をもっと知りたくて、もっと話をしたくて嘘をついたんだ。警備隊の一人になりすまして、そうすればスズランと会える。また話が出来るかもしれないって…」
「……わたし、警備さんがライアなら良いのにって……いつも思ってた」
「俺って分からなかった?」
「何となく…。でも先に警備さんはアーサ王子なのかもって気づいて。それで、ライアがアーサ王子だったら? って思うとわたし、今まですごく失礼な態度ばっかりだったからどうしたらいいか分からなくて……ごめんなさい…」
「怒って、ないのか? 俺、酷い事しただろ? 俺こそスズランに嫌われたらって思うと中々言い出せなかったんだ……ごめん」
互いに同じ様な気持ちで居たのだと安堵する。やはりジュリアンの言う通り早めに打ち明けて居ればよかったのだろうか。
「あの、それでね……もう、だめなの…」
「え! 駄目? やっぱり俺の事軽蔑した?」
「……ちがうの。あなたがとてもえらい人で、どんなに身分の差があっても、もう自分の気持ちに嘘はつけなくて……どうか想うことだけは許してください。わたし……あなたが、好き…!」
「っ…え、まっ…あの……それ、先に言うの反則…」
スズランの実直な告白を受け、身体中の熱が一気に顔に集中し赤面する。そればかりか、一番伝えたかった事を先に言われてしまい狼狽する。更に追い討ちの如く上目遣いで見つめられてはもうお手上げだ。
「やっぱり……だめ、なの?」
「だ、駄目な訳ない…!! けど、俺だって……ああ! もう、かっこ悪いな俺! 待って、ちゃんと俺からも言わせてくれ……」
「……よかった…、だめじゃなくって…」
スズランは肩に凭れかかると、ラインアーサの胸元をぎゅっと握った。その仕草さえも愛しくてたまらない。無意識に薄い千草色の髪を優しく撫でていた。あれ程までに不安だった心が安らいでゆく。
滑らかで美しい髪を撫でながらラインアーサは心を決めた。
「……ありがとう、すごく嬉しい。俺は、身分とか立場なんていいんだ。そんなの関係ない位、好きなんだ…。俺の大事なスズラン。どうかこれから先もずっと俺に、スズランを守らせてほしい……」
言ったそばから緊張で口の中が乾く。今にも口から心臓が飛び出しそうな程だ。
しかし暫くしてもスズランからの反応がない。
「……嫌、なのか? ……スズラン…?」
「……」
肩に乗せられた小さな頭が僅かに重い。見ればスズランは安心しきった表情で眠っていた。その顔を見て一気に気が抜ける。
「……そうか、ろくに寝てなかったって言ってたもんな。にしても、またか。……はは…」
肝心な所でスズランが寝てしまうという事例はこれで二度目だ。しかしラインアーサもやっと安堵して軽く息を吐く。
腕の中で眠るスズランの体温が心地よくて暫く抱きしめていた。
「……おい。いつまでそうしてるつもりだ? 抜け駆けはしないって約束だったよな…?」
「!? セィシェル!」
「しかも〝またか〟ってなんだ? どう言う意味だよ」
気がつくと部屋の入り口の扉は開け放たれ、不機嫌そうに腕組みをしたセィシェルが立っていた。
「お、お前! いつから…」
「あんたがスズに告白した辺りからだ…。へんっ! 肝心なところで失敗してやんの! ざまぁみろだ!! あ、ちなみに一応扉は叩いたからな? 立ち聞きとかじゃあないからな!?」
「ああもう、分かった。分かったから…」
まさか本人以外に聞かれていたとは。羞恥で全身が湯だりそうだ。
「それにあんたスズは物じゃあないとか俺には言った癖にさっき〝俺の〟って言ったな!? 何が俺の大事なスズランだ…!」
「っわぁあーー‼︎ もう悪かった、やめてくれ」
「でかい声出すなよ、せっかく眠ったのに起きるだろ? あとベッドに移すからいい加減にスズから離れろよ」
「いや、このまま俺が運ぶから大丈夫だ…」
「なんだよ…。スズはお前だけのじゃあないからな!」
「……」
セィシェルの文句が耳に届くが、それを尻目にスズランを横抱きにして立ち上がる。すると白くて華奢な腕がラインアーサの首の後ろにまわされ、強く抱きつかれた。
「……ん、ぅ…」
「スズラン? ……ほら、ベッドまで運ぶから」
「……ん……ライ ア…」
「大丈夫、側にいるよ」
優しく声をかけてそっとベッドに下す。
「……よかった、良く寝てる。スズ、最近ずっと寝不足だった上に昨日から一睡もしてなかったんだ…」
セィシェルはそう言いながらスズランに毛布をかけた。
「そうか」
「全部あんたが原因で、だけどな!」
「すまない…」
「まあ、スズも寝てくれたしとりあえず下にいくぞ。実は親父も似たり寄ったりの状態なんだ」
「マスターにも迷惑掛けてしまったな、本当情けない」
「……別に。スズも親父もあんたの事迷惑だなんて思ってねぇよ…」
「……そうなら本当に良いんだけどな…」
「俺は大迷惑だけど! あんたが店に通って来る前までスズはいつももっとたくさん笑ってた! でも今回の事件…。あんたがいなけりゃスズは。……だから、助けてくれて……その、、ありがとな…」
セィシェルは照れているのか最後の方は小声で言いくるめ、早足で下の部屋へ続く階段を駆け下りてゆく。よもやセィシェルから感謝の言葉が飛び出すとは思ってもいなかったがラインアーサの心は仄かに軽くなった。
「───親父!! スズの事はとりあえず心配ないぜ! 俺、今からでも仕込みの準備するから、詳しい話はこいつから聞いてくれ」
「っ…アーサ様!? おお!! ご無事に戻られたのですね! ……これ! セィシェル!! お前またアーサ様にそんな口の利き方を…」
「気にしないでくれマスター! 俺もその方がいいんだ。それよりも皆や店に迷惑を掛けてしまって本当に申し訳なかった…。もし何か不便な事があれば何でも言ってくれ。出来る限り手助けさせてもらうよ」
「いや、貴方様にそんな事…! それにスズを助けて頂いて、お礼をしなければならないのは此方の方です…」
ユージーンが深く頭を下げる。ラインアーサが何を言ってもなかなか頭を上げないユージーン。
「マスター…! 本当に頭を上げてくれ。それに今回の事件の事なんだけど、事件自体は無事解決に向けて収拾しつつある。でも本質的な事は何も解決していない。むしろ状況は良くない方に進んでいる。その事についてマスターに聞きたい事と、話しておかなければならない事があるんだ…」
「……やはり、スズの事でしょうか?」
ユージーンは察しが付いたのかはっとした様に顔をあげ、ラインアーサの顔色を伺う。ユージーンもまた、一睡もしていないのであろう。いつもより顔に疲れが出ていた。それでも確かめなければならない。
「マスター……率直に聞く。スズランは何者なんだ? 一体何処から来た?」
「……それは、貴方様にもお教え出来かねます…。と言いたい所なのですが、そうも言って居られない状況…、なのですね…?」
「ああ。無理にとは言わない。スズランの事でマスターが知ってる事があればどうか教えて欲しい」
神妙な面持ちのユージーンとラインアーサの顔を交互に確認するとセィシェルが口を出した。
「親父。スズって確かフリュイ公国ってとこから来たって昔言ってたろ。それが何か関係あるのか?」
「ああ。そう、なるな。それ以上の事はお前にも言ってない。…… スズはフリュイ公国の生まれです。フリュイ公国の〝とある方〟から託されました」
「やはり出身国はフリュイ公国なのか。そのある方と言うのはスズランの家族、父親で合っているか?」
「え、ええ。必ずスズを迎えに来ると言い残し私に託されました。ですが十一年経ちこうして復興を遂げた今も、まだ一度として連絡はありません……」
「そうか。ではマスター。スズランが狙われる理由は何だと思う?」
そう質問を変えると、ユージーンは瞳を見開いた。今回の事件の標的は初めからスズランだったのだ。これにはラインアーサも狼狽えている。
「親父は何でスズが狙われてるか知ってるのか? てか何でスズが狙われなきゃならないんだよ! あいつが何をしたってんだ」
セィシェルも困惑した様子でユージーン強くに問う。
「やはり、狙われているのはスズなのですね? アーサ様、少しだけ考える時間を頂戴してもよろしいでしょうか。もう既に私一人の問題ではない事、十分承知しております。ですが…」
「ああ。明日から
「お時間頂きありがとうございます」
その直後、ユージーンは黙り込んだまま何処か遠くを見つめるように天井を仰いだ。
とりあえずではあるが、今までよりも更にスズランの守りを固めて欲しいと念を押し、ラインアーサは席を立った。本来であればやはり王宮で保護するのが妥当な判断だろう。しかし強制では無く、やはり本人の意向を聞いてからにしたい。裏の扉口まで見送ってくれた二人に向き合うと再度心残りである詫びを申し出た。
「マスター。セィシェルも…。本当に何か不便があったらいつでも言って欲しい。迷惑をかけた分、出来る限りの手助けをしたいんだ」
「うるせぇな! そんなの無ぇって言ってるだろ! 帰るなら早く帰れよ、あんただって色んな奴に心配とかされてんじゃねぇの?」
「こら! セィシェル!!」
すかさずユージーンの拳がセィシェルの脳天に落とされた。
「ぃってえ…!! 何すんだよ親父!」
「何度言えば済むんだ、その口の悪さは! 全く……。アーサ様、度々申し訳ありません。それにお礼などお気持ちだけで有難いですから。それよりも、やはり今後の事の話し合いをお願いします…」
「ありがとうマスター。じゃあ明日からよろしく。あと、目を覚ましたらスズランにも伝えて欲しい…」
「仰せの通りに…」
ユージーンはセィシェルと一緒に頭を下げ、ラインアーサを見送ってくれた。よく見るとセィシェルの頭はユージーンの手によって強引に下げさせられていた事に苦笑しつつバルの裏口を後にした。
王宮への帰路。森の中である事に気付く。
「───!? ……っ、いや。そんな…」
驚きながらもラインアーサは自身で全身を確認する。拘束時に縄で傷付いた手首、切れた口の中、その他の細かい傷や怪我。果てには無理矢理風を喚んで消耗した体力までも。
今のラインアーサ身体は一点の不安も無い絶好調時そのものだった。ここへ来る前まではほぼ満身創痍といってもおかしく無い状態だったのにもかかわらず、そのほとんどが全回復している。
「まさか、スズランが…?」
おもむろに指で唇をなぞり、スズランからのおまじないと称した口づけを思い出す。あの時全身に感じた衝撃と甘い痺れ。おそらくそれが作用したのだろうと考えた。
ラインアーサも回復系の術は得意としているがこれ程まで全身を完璧に回復させる事はとてもではないが困難だ。それもあの一瞬で。スズランが無意識のうちに何らかの回復術を使ったのだろう。そう考えるしかなかった。直後眠ってしまったのも普段術を使わない為、身体への反動と寝不足が重なった為か。
「スズラン…。本当に君は何者なんだ、こんな……」
スズランが何者なのかは検討も付かなかったが、先程受けた告白と腕の中で眠ってしまった愛しい温もり思い出すとどうしても頬が緩むのを止められないラインアーサだった。
王宮に戻ると自室の扉の前にライオネルが立っているのが見え、急いで駆け寄る。
「父上…! どうしてこんな所に立って…?」
「っ…アーサ!」
名前を呼ばれるなり唐突に抱きつかれた。思いのほか強い力が込められていて痛い程だ。
「……ごめん。心配かけて、だけどちょっと痛いよ、父上」
「また無理をしたのだ。このくらい我慢しなさい。本当に、お前はいつも…っ」
声を震わせるライオネル。
「ごめんって。でも事件は無事に解決して民への危険はもう…」
「有難うアーサ。先程ジュリアン君やハリ君からの報告書が届いて知ったよ。それに旧市街の外れで風を喚んだんだね? 数秒程大きな竜巻が発生したのが王宮からも見えたよ」
「あまり使いたくなかったんだけど…」
「分かってるよ。お前があれを使いたくて使ったわけじゃあ無い事位はね…」
ライオネルの腕にますます力が込められた。
「父上…っ苦しいって! そろそろ離して」
「ああ、すまない。それにしても本当に無理をして……うん? その割に顔色は良いな。少し安心したよ」
漸く離してもらえたが、言葉とは裏腹に心配そうにラインアーサの顔を覗き込むライオネル。
「ん…。ちょっと色々あって。でも全身汚れてるから着替えて身なりを整えたら父上の所に行こうと思ってたんだけど…」
「あはは、帰りが待ちきれずに部屋の前で待ち伏せしてしまったよ」
「詳しく報告をしたいんだけどここじゃ何だし、着替えたら父上の部屋に行くから」
「そうか、ならば私は先に戻ってお茶の用意でもしておくよ。アーサの大好きな焼き菓子も用意させよう」
ライオネルはそう言うなりいつもの様に笑顔を見せ、慌ただしく小走りで戻って行った。相変わらずな父王の様子に安心する。
しかし───。
〝父親にさえ信頼されていない〟
〝国王はオマエを恨んでいる〟
この後に及びライオネルに憎まれてるとは感じない。だがどうしてもメルティオールに言われた〝あの言葉〟が引っかかる。
ラインアーサは急いで身なりを整えると早足でライオネルの部屋へと足を運んだ。
「アーサ。待っていたよ!」
部屋へ入るなりにこやかな笑顔のライオネルに出迎えられた。
「其処に腰掛けるといい、お茶と焼き菓子もたっぷりと用意した。さあ父様に話を聞かせておくれ?」
「ち、父上。なんか俺の事子ども扱いしてないか…?」
「 アーサは私の大事な息子なのだから当たり前だろう? 駄目なのかい?」
「いや、駄目とかじゃあなくて恥ずかしいだろ…? それに俺は事件の報告処理をしに来たんだけど…」
「事件については先程また新たな報告書に目を通したし大まかな事は把握したよ? それにしても…。アーサは相変わらず本当にお人好しだね。ジュリアン君の報告書を確認した所、新たに警備隊を二人ほど増員させた。とあったのだが?」
早速ジェロームとエヴラールについて確認される。何時もより厳しい顔付きになるライオネル。
「そうなんだ。今回の事件の実行犯は恐らくその二人なんだ。……でもこの二人に必要なのは〝居場所〟だと思ったから。ちゃんとした活躍出来る場所があればって。二人を罪人として処罰しても何も解決しない。それに二人とは別にこの誘拐事件の裏で糸を引く不信な人物が居る」
ラインアーサの言葉を聞きながらライオネルは瞳を閉じた。
「この件にメルティオール皇子が関わってるのにそのまま帰してしまったのにも。……ちゃんと理由があるのだね?」
「……メルテ。どこか様子がおかしい気がしたんだ。よくは分からないけど、普段のメルテだったらあんな事…。俺、考えが甘いかも知れないけどメルテの事を悪人だとは思えない…」
「ふふ、お前ならそう言うと思っていたよアーサ。困ってる人を見つけるとどうしても放っては置けないのだろう? ……同じなんだな、エテジアーナと」
「……母様と?」
ゆっくりと瞼を持ち上げたライオネル。ラインアーサは全てを見透かす様な眼差しに射抜かれた。しかしどこか寂しそうなその双眸にどきりとする。
「そう…。実際にメルティオール皇子は焦っていたのかも知れないね。実は、マルティーン帝国は今とても大変なのだよ。グロス皇帝が病で死の瀬戸際に立たされている。それで皇子は色々荒れていると聞いたものでね」
「どうして父上がそんな内情を知ってるんだ?」
「ここ最近の長雨。なぜ降っていたか分かるかい? 民が外出を控えるようにと私がマルティーン帝国に〝雨〟を依頼したのだよ。その時に少し聞いてしまってね」
「依頼って父上、マルティーンにわざわざ出向いたのか?」
マルティーン帝国はシュサイラスアから大海を挟んだ遠方に位置する。ここ最近色々と忙しくしていたライオネルが簡単に足を運べる距離だとは思えない。
「……アーサ。私は今までずっとお前に色々な隠し事をしてきたんだ。今からそれを話したいのだが、どうか…。父様の事を嫌いにならないでおくれ…」
「俺が父上の事を嫌いになるわけないだろ! でも……父上は俺の事。憎んだり恨んだりとか、してるのか?」
「私が…!? 何故私がお前を憎んだり恨む必要があるのだ? 今まで色々と寂しい思いはさせてしまったかも知れないが、私がお前の事を疎ましく思った事などお前が産まれてから唯の一度もない! イリアもお前も大切な家族で私の宝だよ。特にアーサ、お前はエテジアーナと本当にそっくりで…っ」
そこまで一気に話すとライオネルは目頭を押さえ喉を詰まらせた。多少大袈裟とも取れる動作だが恐らく本気だ。
「ち、父上? 悪かったよ、変な事口走って。俺だって憎まれてると感じた事なんて一度もないよ。ただ、ちょっとそんな噂を聞いたもんだからつい…」
「なんて酷い噂だ。私はこんなにも家族を愛していると言うのに…」
「あの。それでその……隠し事って、やっぱり母様の事?」
「それもあるが、一番はお前自身の事なのだよ」
「俺、自身の事…?」
「そうだね、まず私の事から話そう。先ほど私はマルティーン帝国に行ったと話したね?」
「ああ、そうだ。遠い国なのに短期間でどうやって……って、まさか父上。空間移動の術使えるのか?」
「……その通りだよ。厳密に言うと古代リノの術であって空間移動のような魔術とは別の物なのだが…」
「なっ!? 古代リノの術?? じゃあなんでこの間聞いた時教えてくれなかったんだよ!! 酷いじゃあないか! 今からでも良いから俺にもその術を…」
「まあ、焦らずに聞いておくれ。古代術はとても複雑で繊細なのだよ、そう簡単には……と言う前置きはさておき、きっとお前ならばすぐに扱えるようになっただろうね」
「じゃあなんで無理だなんて言ったんだよ…!」
「……アーサ。お前の左二の腕にある刺青…。何の為のものだと思う?」
「知らない。第一聞いても教えてくれなかったじゃあないか。ただのお守り的なものなんだろ……後はたまに痛むって事位しか」
つい口調が刺々しくなってしまう。
「痛むのか…?」
「え、ああ。たまにだけど最近は特に…」
「……そうか。やはりそろそろなのかな」
ライオネルがとても申し訳なさそうに瞳を覗き込むのでラインアーサははっとして気を取り直した。
「この刺青…、他に何かあるのか? 最近だと寝起きとか、俺が差し迫った状態の時とか痛む事があるんだよ…」
「……その刺青は、お前の力の暴走を抑えてくれている物なのだよ。煌都 パルフェの司祭様に施してもらったのだけど覚えてないだろうね、まだほんの幼い頃だったから」
「力を抑える…? 暴走って何が…」
「……」
俯いたままなかなか答えようとしない様子に、ラインアーサも急かさずに待った。
少し長い沈黙の後、漸くライオネルが口を開く。
「……お前はね、その力のせいで二度も死にかけてるんだ…」
「え?」
「一度目は産まれてすぐの時。二度目はある者の命を救った時。まだ五つの時だったよ。いや、産まれてすぐの時も命を救ったんだ。エテジアーナの命をね…」
「……俺が、母様を……救った?」
死にかけた。命を救った。どちらも身に覚えのない事だ。
「そう。彼女、アナは身体が丈夫じゃあなかったからね。イリアを出産した時でもかなり危険な状態で、二人目は望めないだろうと侍医からも言われていた」
「待って……だ、だったら何で俺を…」
自身が母の命を救ったなどと思った事もなかったが、話の内容はメルティオールが言っていた物と近くラインアーサは妙に緊張しながら話の続きを催促した。
「お前を授かったと知った時。どうしても産むと譲らなくてね。私はとても嬉しかった反面、出産に母体が耐えられずにアナが死んでしまうのでは? と恐怖にも苛まれたんだ。本当情けないよ」
「…っじゃあ、やっぱり父上は俺の事恨んでる…?」
「いや、その逆だよ。アーサには感謝してもしきれないくらいだ。……出産までの間、少しでもと体力を付けたり様々な努力をしたよ。アナと王宮の皆で協力し合い本当に色々ね。そうして無事にお前が産まれてきてくれた時はこの世のものとは思えない程の幸福を味わったんだ。……しかし、直後にその幸福から絶望の淵に立たされた」
「どういう事…?」
「やはりアナの身体が持たなかったんだよ。こればかりは侍医達も手の施しようがない、とね……。私も一度、その時に彼女の死を覚悟した。今にも消えゆく命を目の前にして、ただ祈るし出来なかった…」
「待ってくれ、母様が亡くなったのは十一年前のあの内乱の後だ…! なんで…っ」
「アナの特殊な能力の事はもうお前も知っているのかな?」
「……知ってるよ。他にない特殊な能力だろ…」
「そう、そもそもアナの身体が丈夫じゃあ無いのはその能力を酷使しすぎたからなんだ」
「うん、それも聞いた…」
「……アーサ。お前は容姿だけでなく性格もアナ譲りだ。そればかりかその能力も全て受け継いでいる。そして産まれたばかりの赤ん坊なのに母親の危機は解る物なのかな?」
「まさか……俺が、その能力を使って母様を救ったっての?」
「それだけじゃあ無い。お前は能力〝そのもの〟まで吸い取ったんだ。だからそれ以来アナは能力を一切使えなくなったよ」
「っ…!!」
「その後も大変だったのだよ? おかげでお前は産まれてすぐ仮死状態に陥り回復するまで二十日間も目を覚まさなかったのだからね……それはもう見ていて辛かったよ」
ライオネルは懐かしむ様に遠くを見つめながら話を進める。一方、ラインアーサは不思議な感覚を憶えながら聞いていた。
「……なんだかピンとこないよ」
「それはそうだよ、産まれてすぐの出来事だからね。覚えていないのも無理は無い。そんな事があったというのに、私は油断をしていてね。……お前が五つの時またしても同じような出来事があったんだ」
「また力を使った?」
「そう、今度はもっと酷い。力を暴走させたんだ。お前は友人とその妹を救う為に力を暴発させて王宮中の者の負の感情を一度に吸収して今度こそ死にかけた」
「それって……いや、それも覚えて無い…」
「相当無理をしたんだよ…? その部分の記憶をなくす位ね。私は猛烈に反省した。お前を急いで煌都 パルフェに連れて行って司祭様にその刺青を施してもらったんだ。それでも完全に力を抑制する事はできない、ほんのお守り程度の物だって言われたよ…」
「だからなのか? 父上を含め母様も姉上も王宮の皆がどうも俺に過保護だったのは…」
「当たり前だよ。そうでなくてもお前はすぐに無茶ばかりするから…。ジュストベルの授業にあまり興味が無い事も逆に安心していたんだ。術に詳しくなれば古代術にも触れるだろうからね。また力を使って無理をしない様にお前から術に関する物を遠ざけたし、今の今までこの事を必死になって隠して来た。……情けない父親ですまない。こんな私の事を軽蔑するかい?」
ラインアーサは激しくかぶりを振るとライオネルの瞳をまっすぐに見た。
「ありがとう父上。俺の事ここまで育ててくれて…、本当にありがとう。俺、今はこれ以上の感謝の言葉が見つからない…!」
「アーサ…。それはさっきも言っただろう? イリアもお前も二人とも私の大切な家族で宝なんだ。当然だよ、むしろこんな不甲斐のない父親でお前達に嫌われやしないかと常々思ってしまうよ」
「そんなことないよ…! なんていうか、俺は父上のこと尊敬してるし、目標にしてるから…!! だから。その、、そ…そうだ…姉上の様子は? 体調は良いのかな? 俺、心配かけただろうし後で見舞いに行くよ」
ライオネルに日頃の思いを伝えようかとも思ったが、急に照れくさくなり急遽話を切り替えてしまった。
「ふふ。そうしてやってくれ! イリアも大概アーサには甘いからな。お前の顔を見ればすぐに安心する筈だよ」
「そうするよ!」
「さあ、さて。今度は以前言っていたお前の愛しい人の話を聞かせておくれ? いつ私に会わせてくれるのかな?」
「っ…父上…! その事なんだけど…」
「出来るならば早めに連れてきなさい。そして王宮で保護をするなりして守ってやるのが今のお前の役目ってところかな?」
「な、、んで…! やっぱり父上もスズランの事知ってるのか?」
「ほうほう。スズランさんというのだね? あの花の様に可憐な娘の名は。とても素敵な名だ!」
「! ……既に何処かで会った事があるとか…?」
「実際に会った事はないよ。ただ昔から知ってはいるんだ。ちょっと知人からの話でね。しかしその娘が今回の事件の標的になるとはね。迂闊だったよ…」
「……父上! 少しでも理由を知っているのなら話は早い。俺はそのスズランの事を守りたいんだ…! 俺その、、彼女の事、凄く…」
「ふふふ、大体は分かっているよ。その娘さんもお前の事が大好きみたいだからね? 早くくっつけば良いのになあ、と焦れったく思っていたから父様は嬉しいよ!」
「……んん? 早くって…、何で見てきたみたいに…」
「私が王宮の周りに結界を張っている事は知っているだろう? 私の術はとても強力でね……結界の中で起きた大体の出来事は把握しているのだよ」
悪びれる様子どころか少し悪戯っぽい顔をするライオネル。
「……そ、それってまさかだけど…」
「さて、私の結界の範囲は何処までだと思う?」
さらににっこりと微笑む。
「……王宮の周りにある、森の所まで…」
「残念! 惜しいなあ。森の中はもちろん、その入り口付近もだよ」
「…ってことは、あの
「もちろん範囲内だ」
「な、何だよそれ!! うわ、待てよ……。それじゃあ俺の行動ほとんどが父上に筒抜けって事?」
「いや、常に監視している訳じゃあないからそこまで筒抜けって訳でもないよ? 大体の出来事が把握出来るだけであって、透視の術の様にはっきり見えたり会話まで聞こえる訳でもない。もちろん私事は犯してはいないし、防犯の為の結界だからね」
「そうかもだけど…っうわああ。何か複雑な気分…」
「あはは……アーサは照れ屋さんだね」
「そ、そういう問題じゃあないだろ!? もう、何だよ…。そうならそうと言ってくれてもいいじゃあないか!」
「まあまあ、そんなに気にしなくても大丈夫だよ?」
「気にするよ! 凄く!!」
「ああそうだ。彼女はお前が旧市街に行っている間にも森を抜けて王宮の横庭に来ていたよ…。必死に誰かさんを探してる様だったなぁ…」
「…っ!」
「さて、私はそろそろ仕事に戻ろうかな? スズランさんに会える日を楽しみにしているよ」
「父上…! 俺…」
言いかけようとしたが丁度その拍子にふわりと抱きしめられた。
「……アーサ。私の息子として生まれてきてくれて本当に感謝しているよ。これからもずっと変わらずにいてほしい」
「父上…? 俺はずっと俺だし、変わらないよ…」
「……分かっているよ、アーサ。しかし術を使いすぎるのは良くない。また力が暴発でもしたらと思うと私は…」
「大丈夫。古代術にも興味はあるけど、そういった事情があるなら無理に習得しようとは思わない」
「ならば良かった。その腕の刺青もそろそろ効果が薄れてきている可能性もあるから尚更気をつける様に」
「まったく、父上は本当に心配性だな。でもありがとう。気をつける…」
とは言ったものの、ラインアーサの左二の腕にある〝例の物〟はライオネルから話を聞いている間中じわじわと締め付ける様に疼いていた。その痛みを何とか耐えてやり過ごす。
「うん? どうかしたかい? アーサ」
「っ…何でもないよ。今日は俺も疲れたし残ってる執務は明日に回してもう休むよ」
「ああ、そうだな。ゆっくり休むのだぞ?」
「父上こそ…」
心配かけまいと笑顔でライオネルの部屋から出た直後、ラインアーサは二の腕を貫く様な鋭い痛みに小さくうめき声をあげた。
「…っつぅ…!! どうしたっていうんだまた急に…っ」
足早に自室に戻り、浴室に駆け込むと耐えきれず服を着たまま頭から冷たい水を浴びる。
そのままの状態で瞳を強く閉じた。
まるで大きな力が身体の外に出たがっている様な感覚だ。
「……駄目だ! 治まってくれ…!!」
半分祈る様に必死に自身に言いきかせる。
「…っ治まれ……頼むから」
ラインアーサはその場にうずくまって屈み込みじっと動かずにいた。
どのくらいの間そうしていただろうか。やっと立ち上がりその場で身にまとっていた服を全て脱ぎ捨てると、ふらつく足取りで寝室へと向かいベッドへと身を投じた。
「……寒い」
ずっと水を浴びていたせいか身体は冷えきり震えが止まらなかった。暫くしてやっと何時もの感覚が戻り安堵する。腫れ物を触る様にそっと刺青に触れてみるも、今は何事もなかったかの様に其処に収まっていた。
「……力の開放…。それとも封印か…」
ぼんやりとそんな事を考えたがラインアーサは何時も身の周りに居る人物達の心配そうな顔を思い出す。
「……決まってる。皆の心配の種を増やしたくない。それに…、今まで父上が必死に護ってくれた身体だ、大事にしないと」
そう口に出すとやはり二の腕の刺青はチクリと痛むのだった。