昔馴染み
文字数 10,609文字
「──お久しぶりです、アーサ殿下!」
ラインアーサは
「なんだよ、ジュリ。……そんな畏まった呼び方」
ジュリアンはジュストベルの孫である。更に母親のサリベルがラインアーサの乳母であった為、歳の近い二人は兄弟同然に育った。
ラインアーサが国を発つ以前は、気軽に愛称で呼び合う仲だった筈なのだが。
「一応、俺は殿下に仕える身だからな」
そう答えるジュリアンの声は朗らかで、何処か茶目っ気のある言い方だ。赤茶で癖毛の髪に明るい緑の瞳が、ジュリアンの表情に華やかさを加える。
「…っくく! なんてな、仕えてるのは本当だけど。いや、けど四年ぶり位か。なあ、後で剣の手合わせしようぜ! アーサも鍛錬は続けてるんだろ?」
「まったく……変な呼び方するなよ、びっくりするだろ! それにもう敵わないって。ジュリと違って俺は元々剣術は得意じゃないしな…」
以前はよく此処へ通い護身の為の剣術や体術を学びに来ていたが、当時で体術は互角だったものの剣術でジュリアンに優ったことは無かった。
「そうか? そういえばリーナは王宮で元気にしてるのか? あいつ、そそっかしいから…」
「相変わらず妹想いだな。リーナは姉上の侍女に復帰したよ。午後、会いに行く予定だけどジュリも行く?」
「……いや。会いたいのは山々なんだけど、俺は近いうちに試験があるから無理だな」
───この国営警備隊の訓練所は定期に希望者を募り、警備隊の見習や厳しい訓練を重ねた熟練の古参兵までもが寝泊まりの出来る大きな施設となっている。
腕の立つものは厳しい試験を経て、王宮警備や国境警備の任務を任せられる。
「俺、この試験に通れば収穫祭迄には王宮警備隊の職に就けるぜ。多分楽勝!」
端から見れば随分と自身の腕を過信しているように聞こえるが、ジュリアンの腕は確かだ。父親は国境警備隊の隊長を勤めており、ジュリアンも既にその頭角を現している。
「頼もしいな。王宮警備隊はずっとジュリの目標だったもんな! 早く合格してリーナの事を安心させてやれよ」
「分かってるさ、お前こそリーナの事を困らせたりしてねえだろうな…! てゆうか、またそんなどっかの旅人みたいな格好で来たのか? 視察ならもう少し王子らしい服装とかあるだろ……アーサ殿下!」
「む。なあジュリ……なんか最後の方、馬鹿にしてなかったか?」
「そんな事無いぜ? アーサ殿下。くく…!」
語尾の〝殿下〟を強調し悪戯っぽく笑うジュリアン。ラインアーサよりも一つ歳上の為か、何時もこんな調子でからかってくる。
「ったく! いいんだよ。俺はこの格好の方が動きやすいし、特に街の中で目立たないからな」
「何でさ?
「父上と違って俺はそういうのが苦手なんだよ」
今回の視察も公的とはいえ、訓練場の隊員にはあまり大きく通達せず、数人の関係者とハリのみを連れて来ていた。普段通りの訓練風景が見たかったからだ。
その為ラインアーサは正装はもちろんの事、いかにもな王子らしい服装を避けて何時もの旅人の様な装いである。このまま街にだって繰り出せる程だ。
「ま、お前がいいなら別にいいけどね。それよかアーサももう二十三だろ? そろそろ身を固めるのか?」
「はああ……ジュリもその話題に持って行くのか? 最近、誰に会ってもそんな話になってうんざりだよ…。昨日だってジュストベルに説教されたばかりだってのに」
「ははっ! ジュストじい様は厳しいもんな」
ラインアーサもジュリアンも、供にジュストベルから厳しく指導され鍛えられた仲だ。
「笑い事じゃあないって! ジュリこそ相手を決めずに毎晩のように夜遊びしてるって有名だけど、ジュストベルとリーナはその事知ってるのか?」
「うっ……すいませんでした! その事だけは黙っててください。特にリーナには…!」
急に青ざめた様な顔になるジュリアン。
「え……半分冗談だったんだけど、本気かよジュリ」
「な、何? 図ったな!? アーサお前いつからそんな悪知恵を! じゃあなくて……っていうかさ。お前さえ良ければんだけど、まだ決まった相手が居ないなら、リーナの事…」
「ライア。こちらの視察は大方終わりましたが、そちらはどうですか?」
ジュリアンが何か言いかけたところで、視察を終えたハリの呼び声によって会話が途切れた。
「ああ、こんにちは。お久しぶりです、ジュリアン殿。これは申し訳なかったです、話の途中でしたか? 私にかまわず続けてください」
「いや、視察ならこっちも大体終わってるよ。今ちょっとジュリと他愛のない話をしてただけで。な、ジュリ」
「……ああ。まあな」
ジュリアンはハリの挨拶に対し軽く会釈を返した。内乱の少し前にこの訓練所へ入所したジュリアンは、内乱後にラインアーサの側近に付いたハリとは面識が薄い。それでも何度かは顔を合わせているので気軽に挨拶は交わす仲だ。
「……で、何だっけ? ジュリ」
「何でもない……やっぱり俺も午後から休みを取って久々にリーナに会いに行こうかな」
「そうか。じゃあ俺も残りの仕事終わらせて、準備が出来次第声をかけるよ」
「分かった、俺も届けを出してくる!」
それからハリの報告をまとめ、一通り訓練所を見て回る。民兵の護衛隊からの報告では、やはり城下の街よりも旧市街の治安があまり良くないと言う事だった。
内乱後、混乱する国内は他国からの避難者に溢れ、それに紛れて窃盗や民に危害を加える輩も少なからず出没していた。当時ライオネルが警備隊と供に一丸となり着実に排除して行ったが、それを逃れ未だ旧市街に身を隠している者もいるらしい。ラインアーサはそう言った問題もライオネルの手助けになればと意欲的に取り組み、警備隊との連絡を小まめに取るようにしている。
「次は旧市街にも足を運んで実際にどのくらいの被害があるのか直接確認しないとだな」
ラインアーサは額に手を当て一息ついた。
「ライア、そんなに急に事を進めなくても。この件は陛下も対策されてますから」
「でも困っている民がいるなら、一日でも早く対策を取らないと。俺、旧市街には知り合いがいるしまた協力してもらうよ……」
その後、視察隊には先に王宮に戻って貰いラインアーサ一行はハリとジュリアンの男三人で街を散策することになった。何やらジュリアンがリーナに土産を買うのだとか。
流石に男三人で街を歩いているとかなり目立つらしく、街娘たちが甲高い声を上げて騒ぎ立てている。ラインアーサもハリも普段なら素通りなのだが先程からそれに応え、笑顔で手を振り返している者が一人。ジュリアンはだいぶお調子者だ。
「……ジュリ。お前、何しに来たんだよ」
「まあまあ、俺普段昼間はあんまり街に来ないからさ! それにお前だって帰国の
「あ、あれは不可抗力だろ…!?」
「お! あの子可愛いな!」
「あの、お二人とも。私は先に戻っても宜しいでしょうか? 流石に男三人での買い物はちょっと、どうかと」
ハリがだいぶ、いやかなり冷めた顔でラインアーサとジュリアンを交互に見つめる。
「じゃあ俺も帰るよ。ジュリはほっといても大丈夫そうだし」
「何だよ冷たいぜ……二人とも! 俺の事見捨てるのか?」
「わっ、離せよジュリ!」
そんな遣り取りをしている内に、ハリはライオネルに報告をしておくと言い残し本当に先に帰ってしまった。
「おいジュリ〜! 早いとこ選べよ」
結局ラインアーサはジュリアンの土産選びに付き合わされていた。しかもそれに長いこと時間をかけている。
「もうちょい待てよ! 今リーナに似合う花を吟味してるんだから」
「はいはい……俺は店の外で待ってるからな」
ジュリアンの妹贔屓は相当なものだ。
ラインアーサは花屋を出て壁に寄りかかると店先に飾ってある可愛らしい花にふと目を向けた。
「この花たしか……君影草、だっけ」
小振りの鉢を手に取ると、少し甘く透明感のある香りに計らずもスズランの事を思い出してしまった。スズランは今何をしているだろうか?
そんな事を考えていると店の間の狭い路地から、何やら争うような声が聞こえてきた。よくよく聞いてみると、どうやら大の男二人掛かりで女性一人に無理やり絡んでいる様だ。
「なんだ? こんな昼下がりから物騒だな……」
ラインアーサは大きな溜め息を落とすと、絡まれている女性を助ける為にその路地へと侵入した。
「ねえ、お兄さんたち何してるの? か弱い女性に大の男が二人掛かりでさ」
そう声を上げながら路地の奥に足を踏み入れるも、その場面に目を疑った。
「っ…スズ、ラン!?」
あろう事かスズランが路地裏の冷たい壁に押し付けられ、迫られている所だった。両手首を掴まれ縫いとめられた蝶のごとく身動きも取れず、それでも気丈に男を睨み返している。しかし、その瞳にはやはり涙が滲んでいた。その光景を見るなり頭に血が上り、ほぼ無意識にスズランの元へと足が動いた。
「! っ…ライ、ア…?」
突然の状況に驚いた表情でラインアーサを見つめ返すスズラン。
「何だァア!? 誰だてめぇ、オレらの邪魔するんじゃあねぇよっ!!」
いかにも街の粗暴者と言った風貌の見張り役の男がラインアーサに向かって大声で威嚇してくるが、その男を無視してスズランを拘束してる方の男を鋭く睨みつけた。
「手、離せよ…」
「あァ? 兄ちゃん今何か言ったか? おい、エヴラール!! こいつを路地の外に追い出せ! 俺は今この女とイイ所なんだからよぉ」
男が品のない笑みを浮かべながらスズランに顔を近づける。
「っぃや…! やめて!」
スズランの怯えた顔を見てラインアーサの理性は吹き飛んだ。
「離せ…」
低く唸る様に告げながら、先程よりも鋭い眼光を男に向ける。
「ハぁあ? 何言ってんだコイツ。兄貴の邪魔しない方が身の為だぜぇ!? 痛い目に会いたくなかったらさっさと失せな小僧!」
「それはこっちの台詞だ」
「おい! エヴラール、何もたついてる? 早くこの男を追い返せ! これじゃあ楽しめねえじゃあねぇ、か?」
ラインアーサはスズランの手首を拘束している男の腕を容赦なく掴み上げた。
「なっ…何なんだてめぇ!? っつ!? 離せ……う、腕がっ、折れちまう!」
男が怯んで手の力を抜いたその隙に、スズランを自分の方へと引き寄せる。
「ラ、ライア…!」
スズランの安堵した様な顔に少し冷静さを取り戻すが、目の前の男が激昂してラインアーサに食って掛かってきた。
「貴様ァ! 俺の獲物を横取りする気か?」
腕の痛みを摩りながら凄む男を軽く往なす。
「この野郎ッ! ジェローム兄貴の楽しみを邪魔するとどうなるか、思い知らせてやるぜぇっ!!」
腰巾着風の男が背後から襲い掛かって来たがそれを難なく躱した所、男はそのまま勢い余って壁に激突した。
「つぅ。て、てめぇっ……何しやがる!」
何もしていない。ただ躱しただけなのだが、ますます逆上した男は拳を振り上げ向かって来る。しかしそんな鈍ら当たるわけもなく敢えて受け流し、その力を利用してもう一人の男目掛け男を思い切り投げ飛ばした。衝撃で男二人が地面に転がる。
「…っ!? くっそ!! 何なんだよ、お前何モンだ?」
「……お前らこそ何者だ? 普段からこんな事してるのか? このまま民兵警備に突き出してやってもいいんだが?」
ラインアーサはスズランを自分の背に隠す様に立つと、男二人を見下ろした。
「あ、兄貴! 警備隊はまずいぜ、此処は一旦…」
男たちはふらつきながらも立ち上がるとラインアーサの顔をじっくり舐め回す様に凝視する。
「……貴様。何処かで見た顔だが思い出せねぇ! くそっ、退くぞ!」
「次に見つけたら容赦しない、早く此処から去れ」
一瞬、追おうかとも思ったが踏み留まる。スズランがラインアーサの背中で小さく震えているのが分かり、とにかく安心させてやりたかった。
「ちくしょう、、兄貴の手柄をっ! 野郎っ…覚えてろよっっ!!」
手柄……?
手柄とは一体何を意味しているのか──。
下っ端の男が吐き捨てるようにそう言い残し、二人は路地裏から足早に去って行った。
ラインアーサは後ろで身を竦ませ怯えるスズランの肩を引き寄せ何も言わずに
「……あの、わたし…。もう大丈夫だから。……あ、ありが…」
「何が大丈夫だ!! 何故こんな所に一人で居る? あいつはどうしたんだよ、セィシェルは…! あいつと一緒じゃないのか?」
ラインアーサはそう一気に捲し立て、思わずスズランの言葉を遮ってしまった。
「……セィシェルとは、一緒に食材の買い出しに来てたんだけど。あの、はぐれちゃって」
「迷子かよ。これだからガキは」
感情的に言葉を漏らすとその言葉にむっとしたのか、スズランは小さく頬を膨らませた。しかしラインアーサの口も止まらなかった。
「あいつ。普段から異常なほどお前に過保護な癖に、こんな肝心な時に守ってやれないなんて馬鹿じゃあないのか?」
「セィシェルは馬鹿じゃないもん! わたしが勝手な行動とったのが悪いんだもの…」
「……」
セィシェルを庇う言い方に更に苛立ったが、スズランが今にも泣き出しそうな表情を浮かべたのでラインアーサはそれ以上何も言えなかった。
暫くの間その場に静寂が訪れる。その静寂を一人の男が打ち破った。
「あ! いたいた、探したんだぜー? 表で待ってるとか言ってた癖に居ないし、代わりに柄の悪い二人組は居るしで…って誰!? その女の子!!」
ラインアーサに気付き路地に入って来たジュリアンの姿に、スズランが若干怯えた様にまた身を竦めた。
「悪いジュリ…! こいつがその二人組に此処で絡まれてたんだ。スズラン、大丈夫だ。この男は民兵護衛警備隊の…」
「ジュリアンと申します! 今日は非番ですが、この街の皆さんの平和と安全をお護りしております。お嬢さん、お怪我はありませんでしたか?」
ジュリアンはいかにもな気障ったらしい仕草で、護衛隊の記章を見せ自己紹介を始める。スズランを見るなり急に生き生きとし出したジュリアンに対し、ラインアーサはあからさまに眉を潜めた。
「おい。ジュリ! 何で突然割って入ってくるんだよ」
「だって、この子めちゃくちゃ美人な上に超可愛いじゃん! ちゃんと自己紹介しとかないと俺の気が済まないぜ! で、お前こそ何処でこんな可愛い子と知り合ったんだ?」
「……ああ、王宮の近くに Fruto del amor っていう
「……あ、スズランと言います。警備隊の方なんですね、助けていただいてありがとうございます」
そう言いながらスズランが深々と頭を下げた。そんな自己紹介ラインアーサの時には無かったではないか。そもそも助けたのはジュリアンでは無いのだが。
ラインアーサの機嫌が一気に悪くなる。一方で能天気な態度のジュリアン。
「そっかぁ、スズランちゃんね! 俺も今度その
「あ、はい!」
スズランも調子の良いジュリアンへは普通に対応しており、全くもって面白くない。
「おい、ジュリ。そろそろ」
「ああ、戻るか。リーナの土産も買ったしな! ……それとさっきの二人組、あれ旧市街の奴らだ。最近は城下の街に出てきては小さな揉め事を色々起こしてると報告が入ってる。俺もたまに巡警当番の時見かけるようになったから注意してる」
「……そうか」
「非番でもさっき捕まえときゃよかったか?」
難しい顔で話し込んでいると、スズランが不思議そうな顔をラインアーサに向けてくる。
「ねぇ。……ライアも警備隊の人なの?」
警備隊員のジュリアンと話し込んでいたためにそう思ったのか。
「いや、違う。俺は……警備隊ではない」
「ああ、スズランちゃん。この男は全然そう見えないから驚くかもだけど、これでもこの国の王…っむが!?」
「っ!?」
ラインアーサは咄嗟にジュリアンの顔に掌底打ちを喰らわせ、その発言を阻止した。そして限りなく小声で告げる。
「今だけでいいから、俺の事アーサって呼ぶな」
「は? いーけど何、秘密にしてるわけ? めんどくせぇな、堂々と名乗っちまえばいいのに」
「その方が都合いいんだよ!」
ラインアーサがそう目配せすると、ジュリアンは半ば呆れ混じりの表情で続けた。
「あー、えーと。この男は俺の弟みたいな存在って言うか……うーん」
「国王陛下の為に様々な情報を集めるのが俺の仕事だ……断じてロリコンでも変態でもない。人攫いなんて以ての外」
「そうそう。断じてロリコンでも変態でも…ってお前、何言ってんの?」
ラインアーサは此処ぞとばかりにあの忌々しい誤解を訂正した。
「……そう、なんですか」
しかし何故か少し落胆したようにスズランが小さく俯いた。まださっきの出来事が尾を引いて元気がないのだろうか。
「なあ、ジュリ。悪いけど先に戻っててくれる? 俺はスズランを送ってから戻るから」
「えっ!? あ、あの。わたし一人で大丈夫です! ちゃんと帰れます…! それにセィシェルの事を探さないと」
「それで? 会えずにまたさっきの奴らと鉢合わせでもしたらどうするつもり?」
ないとも言い切れない可能性を口にした瞬間、スズランはまた身を強張らせた。
「でも…」
「えー? じぁあ俺も一緒に送ってくよ? 方向的にも一緒じゃん!」
軽い調子で便乗して来るジュリアンに、ラインアーサは再び鋭く目配せをする。
「ジュリが一緒だとまた何を言い出すか分からないからな」
「へーぇ…! 知らなかった。お前って意外と独占欲強いのかぁ。……さては俺が邪魔者って事だろ?」
途端にジュリアンはにやにやと下世話な笑みを浮かべる。
「なんの事だよ! 一応、広場を一周りしてセィシェルが見つからなかったらそのまま
スズランは不安げにこくりと頷くも、先程からすっかり元気がない。ラインアーサと二人きりになるのが余程嫌なのだろうか?
生暖かい目で見てくるジュリアンを放置してスズランと共に広場を一周りして見たが、結局セィシェルとは遭遇出来なかった。これ以上は時間の無駄と見なし、ラインアーサはスズランを
「あいつ、先に帰ったんじゃあないのか? 何考えてんだよ!」
「……」
何故か無性にイライラした。スズランみたいな無防備で危なっかしい娘が一人で街をうろついて居たら、先程の様な輩の格好の餌食だ。セィシェルが過保護になってしまう気持ちも分からなくはない。
スズランは先程から口数こそ少ないものの街の様子を観察しながら度々目を輝かせている。そんなに物珍しい風景でもないのに。
「お前、もしかしてあまり街に来たことないのか?」
ふと疑問に思い尋ねてみる。
「うん、小さい頃マスターと一緒に何度か来たことあるけど…」
「全然ってこと?」
「うぅ……だから、今日はお手伝いのついでに街を歩いてみたくてセィシェルに無理言って付いてきたの…! だってせっかく十六歳になったのに、一人で街も歩けないなんて…っ」
ラインアーサは耳を疑った。国境近くの田舎に住む町娘でも、此処まで酷くはない気がするが。一体スズランはどんな育てられ方をしたのだろう。───何処ぞの姫君でもあるまいし。
「どんだけ箱入りなんだよ…」
「なによ! わたしだって気にしてるんだから…!」
まさかとは思っていたが、此処までとは。しかし、それがスズランの純真無垢な雰囲気を作り出している要因なのか。そしてそんなスズランに嫌われているかと思い返すと悲しくなる。
そうして適当な会話をしているうちに、二人は
「っな、なに? ……ライア?」
これでは街にいた粗暴者となんらやってる事は変わらないではないか…。と分かっているのに止められなかった。自分でもどうかしてると思う。今までのラインアーサからしてみれば絶対にあり得ない行動だ。
「お前、俺が今から何するか全然考えつかない訳?」
つい口調がきつくなってしまう。しかし、スズランは首をかしげて真っ直ぐこちらを見つめ返してくる。
「……なにか、するの?」
無意識でやっているのだろうか。その僅かに首を傾げる姿さえラインアーサには十分眩しく映る。そんな瞳で見つめられたら大抵の男は悪い事をしている様な罪悪感が芽生えてしまうだろう。いや、既にしているのか──?
スズランの前だとラインアーサの中の天邪鬼な部分が増長してしまい、素直になる事が出来ない。自分でも何がしたいのか分からない。
「もっと色々警戒しろって事だよ。お前無防備すぎ」
「……警戒?」
心の奥底では守ってやりたいと思っているのに、それを上手く言葉に出来ない。どうしたら、ラインアーサにもあの笑顔を見せてくれるのだろう。あの可憐な笑顔を〝自分〟にも向けて欲しい。それが本音だ。
「……スズラン」
ほぼ無意識に名前を呼んだ。
「……?」
名前を口にするだけで鼓動が高まる。目が合うと嬉しい。そのままそらさないで欲しくて、瞳に力を込める。
けれどもまた本心とは真逆の言葉が口を突いて出てきてしまう。
「……お前さ、見てて本当危なっかしいって言うか、毎回助ける方の身にもなれよな。まったく、ガキのおもりなんて勘弁だ」
「べ 、べつにっ!! さっきはライアに助けてもらったけど、わたしが頼んだ訳じゃないもの! それに次からは自分で何とかするし、わたしには構わないで!!」
先程まで静かだったスズランが突然勢い良く反発し始める。
「俺だって助けたくて助けた訳じゃあない、お前が鈍臭いからだろ?」
「…っなによ、鈍臭いって! さっきからずーっと子供扱いばっかりして、失礼だわ!」
地団駄を踏む勢いで怒っている顔まで可愛く見えてくるのはだいぶ重症だろうか。それでもスズランの可愛くない答えについ言い返してしまう。
「ガキにガキと言って何が悪い? お前こそ助けてもらっておいて、礼の一つも言えないのかよ!」
口が勝手に動く。違う───。
別に礼が欲しいわけではない。本当はもう少し一緒に居たいだけなのだと素直な気持ちを告げてしまえばいいのか。
「……だったらっ、本当にもうわたしの、事はかまわないでって言って……っふ…、うう」
散々言い合い、はっと気が付くとスズランが涙を零しながらラインアーサを睨みつけてきていた。その泣き顔にラインアーサの心は激しく乱され、無意識的にスズランを抱きしめていた。
「馬鹿。なに泣いてるんだよ…!」
先程宥めた時にも思った。抱き心地のよい胸とは裏腹にものすごく華奢な身体。
「……は、離してっ」
「嫌だ」
スズランは懸命に抵抗しているが、ラインアーサはわざと腕に力を入れて抱きしめた。スズランの持つ君影草に似た香りに、頭の芯がくらくらとしてくる。
───そう、口実は何でもよかった。スズランの事をずっとこうして抱きしめてみたかったのだから。
「っ…はなしてったら!!」
「駄目…」
腕の中でいやいやとする様に頭を振る姿が可愛い。こうやってますます意地悪したくなってくるのは、最近のラインアーサの悪い癖だ。自覚は出来ていても抑制することが難しい。
「ライアのいじわるっ…」
精一杯下から睨みつけてくる淡い虹色の瞳。涙で滲み一層煌めいて見える。
もはや限界だった。
スズランのその瞳に見つめられると、まともな判断が出来なくなる───。
「ん…っ!」
気付けばラインアーサはスズランの少し厚めの小さな唇を貪っていた。スズランの唇はとても甘く、このまま
「……ふぅ…、っん…」
苦しげに喘ぐような息継ぎがまたラインアーサを煽る。無意識でやっているだろうから余計
「っらい、あ……ゃっ…ン、ンっ…!」
強めに胸板を押し返してくるスズランを強く抱き何度も角度を変えて口づけをする。そうしていると抵抗するのに疲れたのか、次第にスズランは大人しくなった。
「……どうした? 気持ち良くなったのか? さっきまでの威勢はどこへやら」
またもや嫌味っぽい口調になってしまった。
漸く唇を解放されたスズランの熱っぽい視線に心臓がどきりと跳ねる。
「……ライアの馬鹿っ!! 大っ嫌い! いつもそうやってからかって……もう、ほんとにわたしに構わないで! さよなら!!」
そう早口で言うと、スズランは
「……本当、っ馬鹿か俺は…! ああ、もう」
スズランが建物の中に入ったのを確認し、ラインアーサもその場を離れる事にした。無事に送り届けることは出来たが、ラインアーサは絶賛嫌われ中だ……。
嫌われて当然の行為をスズランにしてしまった。というか当たり前だがますます怒らせてしまった。
だが、からかったわけではない。本当に愛おしく思って口づけをしたのだ。しかし〝馬鹿〟はまだしも〝大嫌い〟というのはこんなにも堪えるものなのか。いや、どう考えても自業自得なのだが。
そんな事を考えながら、ラインアーサは森を通り抜け王宮へと戻ることにした───。