核心

文字数 11,607文字

「───馬っ鹿だなぁ…!! もっとさ、こう上手い伝え方とか言う頃合いってあるだろ!? アーサ、お前本当に不器用だな」
「う…。確かにジュリの言う通り何も反論出来ない。だけど、俺はこの期に及んでもまだ諦めてないんだ…」
 早朝───。
 弱く霧雨が降り、人数の少ない城下の街にラインアーサとジュリアンの声が響く。
「おう、その勢いだぜアーサ!! 今のお前の瞳、少し前のそれよりはずっといいって! この間まで生きの悪い魚みたいな顔してたからな」
「……それは少し言い過ぎじゃあないか?」
「今も大分酷い顔してるぜ? いや、でも瞳は曇ってないから心配ないな」
「悪かったな…。心配かけて」
 ラインアーサが頭を下げ謝るとそれを見たジュリアンが肩を竦めた。
「お前に素直になれって言ったのは俺だけどさ、こうも素直だと少し気持ち悪いな…」
「……おいジュリ。お前完全に俺で遊んでるだろ」
「そんな事ないって。俺はアーサ殿下の忠実なる部下。だからな! …っくく」
「……はぁ…。お前に話した事自体が間違ってたみたいだ」
 ジュリアンに相談した己が愚かだったとラインアーサは顔を顰めた。
「何怒ってるんだよ、アーサ!」
「別に怒ってない……」
「まあいいじゃん。アーサとスズランちゃん、俺はお似合いだと思うけどな」
「……」
「言い出すのが遅かったとは言え、まだ大丈夫じゃあないか? スズランちゃんも少し驚いただけだと思うぜ?」
「……そう、だといいんだけどな」
 少しおどけた態度のジュリアン。それがさりげなく気遣ってくれているという事は知っている。傷心のラインアーサにその心遣いが沁みた。
「で、アーサも恋を知って少しは成長したんじゃあないのか?」
「っ…なんだよ、それ!」
「だってお前さ、俺と昔花街に通ってた頃にだって色恋に興味無さげだったし。旧市街の占いおねーさんとだって割り切ってただろ?」
「……割り切ってた、ね…」
「俺だって一応心配はしてたんだぜ? イリア様の捜索が一番だったのはわかるけどあの頃のお前は無茶苦茶で正直、見てて辛かったからな…」
「……悪かったと思ってるよ。あの頃の事は自分でも反省してるつもりだ…。その旧市街の……ヴァレンシアにも当時物凄く説教されたんだ」
「そうそう! あのめちゃくちゃ美女、ヴァレンシアさんね。そうだろうな、あのヒト割とお前に本気だったもん! お前は気づいてなかっただろうけど」 
「っ…うう…」
「その癖ちゃっかりしてるもんなぁ。まだ会ってんのか? お前って悪い男だぜ! ……なんてな」
 ジュリアンがにやりと横目で鋭い視線をよこす。図星を指され口ごもるラインアーサ。決まりが悪くなり話題の矛先を変える。
「……ジュリこそまだ通ってるのか?」
「あん…? 話を逸らしたな? ふふん。俺は最近ちょっと気になる子がいるから花街通いは卒業したぜ!」
 何故か得意げかつ、嬉しそうに話すジュリアンに溜息をついた。
「その台詞、今までに何度聞いたことか…」
「まあまあ。恋って楽しいだろ〜? 相手のことを考えるだけで幸せな気分になってこないか?」
「俺は…。苦しくなる。今も苦しい…」
 昨晩の別れ際。スズランを泣かせてしまった事を思い出し胸が軋む様に痛んだ。
「呆れるくらい不器用なんだな。恋なんて駆け引きなんだから楽しまないと勿体無いぜ! そんなしみったれた顔するなよ!」
「不器用でも何でも、俺は…」
「好きなんだろ? スズランちゃんの事」
「……好き、なのかな。ただ……守りたいし悲しませたくない。それに嫌われたくないと思う。いや、嫌われても構わないから側に、居たい…。本当、もう格好つかないな」 
「完全に重症って訳か…」
「重症で悪かったな! 情けない話、自分でも驚いてるんだ…。今までこんな風に他の誰がが気になった事なんか無かった。自分がこんなにも欲深いなんて思って無かった…!! こんなの…」
 格好悪い。
 いや、それでも本音を晒してしまえば誰にも邪魔の入らない所でスズランを独り占めしてしまいたいのだ……。しかし、それは叶わない事だと解っている。
「そんなの普通だぜ〜? 誰だって好きになったらその相手のことを独占したくなるって!」
「……そんなものなのか…?」
「そんなもんだろ! ……だからこんな物騒な事件早く解決させようぜ!! そしたらお前はもう一度ちゃんとスズランちゃんに話すといい。で、今の気持ちをそのまま伝えれば上手くいくんじゃあないか?」
「……何を根拠にそんな事」
「だーかーらーさ〜! 二人はさ、もうどこからどう見ても両思いなんだって!! ったく、見てるこっちがやきもきするぜ。何で本人同士が気付かないんだよ……」
 まだ何かぶつぶつとつぶやいているジュリアンを尻目に、ラインアーサは掌で口元を覆い隠した。傍からはそんな風に見えていたのかと思うと今更ながら羞恥で顔に熱が集中してしまう。 そんな会話をしながらも二人は街の様子を巡回した。

「───よし。街中見回ったけど、特に異常無し!! ……じゃあ、行くか」
「ああ、そうだな……」
 ラインアーサはヴァレンシアから受け取った小さな用紙を懐から取り出し広げる。用紙には事件の犯人とおぼしき輩が隠れ屋にしているであろう建屋が書き示してある。
 旧市街の再奥に位置する崖下。そこには取り壊すのさえ忘れ去られた古い廃屋敷がひっそりと立っている。国側で取り壊す予定はある筈なのだが、なかなか手が回らずに現在まで放置してしまった様だ。
「……あの古いお化け屋敷か。昔アーサと俺で、肝試し〜! とか言って勝手に遊びに行ったことあったよな?」
「懐かしいな。俺もその時以来だ……」
「あそこはここからだと結構かかるぞ? それに、本当に俺たち二人だけで大丈夫なのか?」
「あまり大勢で出向くと目立つ。それに他の警邏隊には各地区を巡回してもらわないと…。何があるか分からないからな」
「まあ、そうなだな! でも念のためエミリオの隊にはその周辺とペンディ地区を固めてもらう手筈だ」
「そうしてくれると助かる」
 ラインアーサの身を案じ、しっかりと作戦を立てているジュリアン。 
 ラインアーサは一つの物事に特化して集中出来るが、そのまま勢いに任せ猛進してしまう様な所がある。対してジュリアンはいくつか策を練り慎重に事を運ぶ。集中には欠くとも視野が広いと言える。そこは古い仲だ。互いによく分かっている間柄。
「おっと、そういやハリは? お前の側近だって言うからには、てっきり今日も着いて来ると思ってたけど?」
「……ああ。ハリは少し気になる事があるらしくて……。今日は王宮で待機してもらってるんだ」
「へえ、珍しいな」
 前方のペンディ地区へ続く坂道に差し掛かった所で、坂の下から見覚えのある男二人組が登って来た。その二人組の話す内容が耳に届くなりラインアーサは歩みを止めた。
「っ…兄貴~! 今度こそ絶対に失敗出来ないっスよぉ!」
「っるせぇっ! 標的はもうあの小娘ってわかったんだ、今日こそあの酒場(バル)から引っ張り出してやるさ!! なあに、策は考えてある。もうすぐその時刻だ、急ぐぞ……」
 以前、街でスズランに絡んでいた輩だ。
 今しがた耳に飛び込んできた言葉。
 〝標的〟〝小娘〟〝酒場(バル)
 もはやそれだけでラインアーサの身体は勝手に動いていた。
「おい…。今何と言った…!?
 すれ違い様の隙をつき一人の男の腕を掴み上げる。
「ひぃっ?! 何だよあんた…!?
「てめぇ……俺の連れに何してやがんだァ? ぁあ!?
 威勢良く息巻くも二人組はラインアーサの顔を見るなり目を見開く。
「……ってめぇはこの間の…!!
 だがそんな事よりも話の内容が聞き流せる物ではなかったのだ。
「お前たち。今何の話をしていた…?」
 ラインアーサは手に力を込めた。
「っ痛ってぇぇ! ぁ、兄貴! 早く助けてくれよぉ!! 腕があぁっ…!」
「おいアーサ。こいつらまさか!」
「ああ。以前街でスズランを…」
 ジュリアンに目配せをし、そこまで言いかけると同時に兄貴分の男が口を挟む。
「アーサだと…!? ちっ、その(ツラ)思い出したぞ……お前っ、この国の王子だろ…。道理で見たことがある訳だぜ」
「へ? 王子って、、あのアーサ王子っス? だとしたら俺たちヤバくねぇっスか? 兄貴ぃ!」
「質問に答えろ…! 今話していた内容を詳しく話せ!!
 低く唸る様に再度問うも、兄貴分の男はにやりと笑みを浮かべた。
「はっ…! てめぇが王子だろうが二度も邪魔させねぇ、あの小娘はいただくぜ…。そして今度こそ手柄は俺らのモンだ…」
「その手柄ってのはまさか…」
「ああそうだ…! あの酒場(バル)の看板娘さ。(ハナ)からあの小娘を連れてけば大正解だったんだ! 誘拐事件だ何だと騒ぎになねぇで一発で任務完了だったのによ…」
「っ…!! 何故あの娘を狙う!?
「知るかよ! 俺たちはそう指示されてるだけの事…」
 手柄や任務など組織を匂わせる言葉が気にかかる。男の口ぶりからして、やはり今回の事件との関わりがあるようだ。
「……ジュリ!」
「ああ!!
 ラインアーサの目配せでジュリアンが動く。ジュリアンは兄貴分の男の腕を拘束し、見るも鮮やかに地面へとねじ伏せた。
「っなに、、しやがるっ…!! 離せ、このっ!」
「お前たちはこのまま警備隊のジュリアンが王宮まで連行する! 観念するんだな」
「兄貴ぃ……や、やばいっス〜!!
「くそっ! 何なんだよ!! 俺たちの邪魔ばかりしやがって…っ離しやがれ!」
「こら暴れるな! 詳しくは王宮で聴いてやる。ほら立て!!
 ジュリアンは素早く二人組に拘束の術をかけると警備隊の規則に従い手際良く行動をとる。
「俺ら捕まっちゃったっスよぉおお! どうするんっスかぁ〜〜兄貴ぃい」
「……黙ってろ、エヴラール…!」
「……?」
 何故かやけに大人しくなった男に不信感を抱く。
「ペンディ地区入り口付近にて怪しい男二人組を捕獲っと! アーサ。俺は一旦王宮に戻ってこいつらを今回の事件の重要な参考人として尋問するがアーサはどうする?」
「……ああ。俺も立ち会う」
「そうだな、例の廃屋敷についてもなんか知ってるだろ」
 だがそこで兄貴分の男が唐突に喉を鳴らす。
「何がおかしい…!」
「くくっ! 俺らを捕まえたって無駄だと思ってな! てめぇらの望むものは何も出てこないぜ? ……それにもう遅い。あの小娘はもうじき…」
「……どういう事だ!?
 その瞬時。
 ラインアーサが以前酒場(バル)に張った結界に、ざらつく手応えを感じ取り息を呑む。同時に身体が勝手に動いた。
「アーサ!?
「ジュリ! その二人を頼む……。スズランが危ない!!
 言うなりラインアーサは霧雨で湿った石畳みを蹴り、走り出す。感じ取った手応えはスズランが結界の外に出た時のものだと推測できる。ユージーンもセィシェルも、もう決してスズランを酒場(バル)の外には出さない筈だ。ただの間違いならばそれで良い。しかしラインアーサの不安は酒場(バル)に近づくにつれ膨らんでゆく。
「っ…守るって決めたんだ!!
 不安を押し込める様に街の中を急く。
 漸く酒場(バル)が見えて来るが入り口の扉の前に数人の人影が確認出来た。やはり何時もと様子が違う。そして飛び込んできた光景に息を吐く間も無く声を張り上げた。
「──っスズラン!!
 しかし声は虚しくかき消される。
 それでもその異常な事態に怯むわけにはいかない。
 通りの中央では空間が歪み、黒い裂け目がぽっかりと口を開けていた。今まさにその裂け目にスズランが向い立ち、何故か一歩踏み出そうとしている。
「───行っちゃ駄目だ! スズ!!
 男二人に取り押さえられているセィシェルがスズランに向かって叫ぶ。しかしスズランは歩みを止めずにまた一歩裂け目に近づく。
 空間の歪みの所為か、裂け目からの影響か辺りは砂埃が舞い上がっていた。
「わたしが行く事で誘拐事件が解決するんでしょ? ……なら行かなきゃ!」
「何馬鹿な事言ってんだ! そんなの嘘に決まってる! 何でスズが行かなきゃいけないんだよ!? それに…、すぐ警備隊が来る! それまで…」
「わたしだってあの人の……ライアの力になりたいの…! 事件が解決するならわたし…」  
「っやめろって! スズ!! 頼むからっ…」
 セィシェルの叫びも虚しく、スズランの身体が漆黒の裂け目へと吸い込まれてゆく……。
「───駄目だ。スズラン…」
「っ…!?
 ラインアーサは裂け目へと腕を伸ばし入れ、スズランの手首を掴み取った。そしてそのまま引き寄せ強く抱きしめる。
「お前は俺が守るって決めたんだ…!」
「……ラ、ライア…!?
「遅くなってごめん。間に合って良かった」
 だが身体の殆どが裂け目に飲み込まれつつあり、このままでは二人もろとも道づれになってしまう。ラインアーサは裂け目に背を向けるとスズランの両肩をセィシェル目掛け思い切り押しやった。
「セィシェル! 腕を伸ばせ!! 受け止めろ…!」
「っあ……ライア!?
 此処へ到着すると同時に、セィシェルを拘束していた輩二人に軽く打撃を打ち込み失神させた。晴れて自由の身となったセィシェルにスズランを託す。徐々に裂け目が小さく綴じられ、自身は既に脱出する事は出来そうにない。
 スズランがセィシェルの腕の中へ無事に渡るのを見届ける。
「……お、おい! あんたは!?
「っく……いいから、早くスズランを連れて酒場(バル)の中に、、!」
「わかってる!!
 裂け目の中は酷く心地が悪かった。身体が芯から冷えてゆく様な感覚と、脳内を締め付ける耳鳴りに見舞われる。胃の辺りが圧迫されあまりの不快感に目眩を起こす。
「やだ…! セィシェル、、だめ…! まだライアが!!
「スズ駄目だ! 裂け目から離れろ…!」
「いやっ…はなして! ライア…っ」
 裂け目が更に綴じる。
 霞んでゆく視界の中。最後に見えたのはセィシェルの制止を振り切ろうと必死にこちらへと手を伸ばすスズラン。その悲痛な面持ちをどうにか安心させたくてラインアーサは微笑みながら口を開いた。
「……セィシェル、スズランを頼む」
 そう言ったか言わないか、裂け目が完全に綴じられ外の光が遮断される。
 辺りは一面闇と化す。前後左右が認識出来ない空間の中、度々衝撃がラインアーサを襲う。
 肌に強い冷気がまとわり付く。
 頭痛や目眩、吐き気。
 止まない耳鳴り。
 加えて全身が散り散りにされてゆく様な感覚に嫌な汗が滲む。
「ぁっ…く! ……なん、だよ……これ」
 遂には意識を保てなくなり、ラインアーサの記憶はぷつりとそこで途切れた。

 ────
 ────────

 ────────

 ────


(──気持ちが悪い……)
(……頭が……ひどく痛む……)

(……熱い……腕が熱い…!!

 意識が混濁する中、ラインアーサは左腕の強い痛みとそれに伴う熱で次第に覚醒へと導かれた。
 硬く閉じていた睫毛を震わせ、重い瞼を持ち上げるも……

 ───闇だ。
 そこは目を開けているのか閉じているのかもわからない真の暗闇が広がっていた。
 自分自身が何者なのか、今何故この場所にこうしているのか。何をすれば良いのか。全てが喪失し、いや……。喪失した事さえも疑問と思わない。頭の中が真っさらで何も考えることが出来ない。
「……、、? …」
 しかし左腕、その二の腕に刻まれた刺青が発する熱はラインアーサに痛みを認識させた。
「…っつ、ああ!」
 激痛ではないがじわりと痛みや熱を放出する刺青。直接触れて確認したい所だがそれが不可能な事に気がついた。
 両手首は頑丈な縄で一括りにされ天井の梁から吊るされている様だ。きつく縛られていて緩む隙もない。靴の先が辛うじて床に着く。
「っ…なんで……」
 疑問を口にした途端、刺青に鋭く刺す様な痛みが腕に走る。
「…っ! ……く…はっ…」
 熱を持った腕がどくどくと脈打ち全身に熱い血液が駆け巡る。瞳を閉じ、痛みに耐えながらゆっくりと息を吐き呼吸を整えてゆく。
 ───荒い呼吸が落ち着いてくるとともに腕の痛みも引き、真っさらだった脳内が色付いてくる。
「……何処だ、此処は…? …っそうだスズラン!! 無事なのか!?
 ぼんやりとしていた記憶が一気に鮮明になり、一番にスズランの安否が気にかかった。あれからどの位の時が経過したのだろう。確かめる術もなく焦りがだけが増す。
 不意に気配を感じ取った。数名分の気配が研ぎ澄まされた五感を通して伝わる。部屋の隅の方で何名かの息遣いが微かに犇めいている。
「っ…誰か居るのか? ……居るなら返事をしてくれっ!!
 そう声をかけるものの返事は無い。
 暗く静かな空間にラインアーサの手首を拘束する縄の軋む音が響く。暗闇に目が慣れると次第にと空間が把握出来る様になる。どうやら何処かの部屋の一室らしいが窓らしき物が見当たらず、一切の光が遮断されていた。
 憶測の域は超えないが、恐らく此処は例の廃屋敷だろう。直感的にそう感じた。そして数名の気配はこの事件で攫われた被害者たちの物だろう。
 ならば一刻も早くこの状況を脱するべきだ。
「とにかくこの縄をなんとかしないと……」
 縄をかけられ手首が自由に使えない。そうなると術を使うのも難しい。風を纏うにもこう密室では限りがある。
「っく……何だよこの縄…っ」
 もがく程にキツくなる縄に苦戦していると、この部屋へ向かう足音が聞こえて来た。数名分の靴音だ。
 乱暴に扉が開かれると、外から入ってきた僅かな光に目が眩みそうになる。眩しいが微かに人影を捉えるとフードを頭から被り長い杖を持った人物、その他にも三名ほど確認出来る。
 少しでも情報を得ようと瞳を凝らすとフード姿の人物が大袈裟な程大きな溜め息を吐き、話を切り出す。
「……フン、ホント使えないヤツらだ! 処分を下すまでこの部屋で…」
「ま、待ってくれ! 次こそ失敗は無しだ!! とんだ邪魔が入ったんだっ! もう一度、もう一度やらせてくれれば必ずっ!!
「ウルサイ喚くな。もうイイ…。初めからオマエたちには期待ナドしてない……」
「……なっ?! 俺たちは全部あんたの言う通り動いて来た筈だ!!
「はぁ……。ホントウルサイ。役には立たないクセに口数ばかりは達者だナ!」
「っ…ぅぐっ!? …っ」
 薄暗く確認は出来ないが会話や物音から察するに、フードを被った男が一人の男へ暴行を加えている様だ。
「役立たずめが!」
 容赦なく杖を振り上げては打撃を加える音が耳を突き、気分が悪くなる。男は拘束されているのか反撃すら出来ない様だ。
「っ…ああっ、、ぐ、ぁ…」
「ックク……少しは黙る気になったか? ───何がボクの言う通り動いた、だ。攫ってきた娘達は全て人違い。ハズレ! ……おかげで誘拐事件だなんてオオゴトになったじゃナイか。……まあ、偶然にしろ直接コノ国の王子…。アーサ王子を捕らえたコトは褒めてヤルよ」
「…っ!?
 突如会話の節に自分の名が挙がり面を食らう。
「おいジェルマーノ! コイツらも柱に括っておけ」
「承知致しました、ですが……」
「何だよ、ボクに口答えスル気か?」
「……いいえ」
「じゃあ早くシテ」
 入り口で控えていたジェルマーノと呼ばれた大柄な人物は大きなため息を吐くと、抵抗する二人組を淡々といとも簡単に担ぎ柱へと括り付けてゆく。
「…っ痛ぇな! このデカ物野郎…! もっと丁寧に扱いやがれ!!
「あ、兄貴……大丈夫っスか?」
「ちっ…平気だエヴラール……」
 ───エヴラール……。と言う事は。
 薄々と気がついてはいたが、声の主はやはりあの二人組だ。ジュリアンと拘束した筈の二人組が何故此処に居るのだろうか。
「おい! しかし何だってあの小娘に拘るんだ!? その位、俺たちにも知る権利があるだろう?」
「……オマエ達にはカンケイの無いコトだ。とにかく我々にはアノ娘が必要なんだよ。フリュイの娘がね…」
 フリュイの娘……。やはりスズランの事だろう。
「では早速……。アーサ王子を人質にたててアノ娘を差し出す様に手筈を整えろ。利用出来るモノは利用しないとナ。頼んだぞ、ジェルマーノ」
「……畏まりました」
「さて。それまでアーサ王子にはボクのオモチャにナッテもらおうかな」
 男は何処か嬉しそうにそう言うなり、こちらへと向かってくる。
「……」
「さあ、ドウ遊んでヤロウか? 積年の恨みをイッキに晴らシテやるか、それとも……ん?」
 仄暗い部屋の中、あかりを灯したランプで顔を照らされて眩しさに目を細める。対する男の顔は目深に被ったフードで確認出来ない。
 男が杖先を伸ばしラインアーサの顎をすくい上げた。杖により視線は強制的に真正面を向かせられる。
「ふぅん…。既に意識が戻ってイタのか」
「……誰だ、お前」
 警戒しつつ低く声を出す。
「ソノ上口もきけルとはネ! 流石と言えばイイのか?」
「……誰かは知らないが顔を見せろよ」
 フードの男を鋭く睨みつけるも目元が隠れていて表情すら読み取れない。
「ザンネン…。今は自己紹介の時間じゃナイ。しかしコノ短期間で良く意識を取り戻せたモノだ。攫ってきた娘達など未だ自分がダレなのかも分からないホドに魔術の影響を受け、ロクに口もきけナイままだと言うのに」
「魔術の影響だと…?」
「ソウ…。空間をこじ開けて無理矢理移動して来たんだ。慣れナイ者には大層堪えたダロ?」
 そう言いながらくつくつと肩を揺らす男。
「コレだからシュサイラスアの民は平和ボケでイケナイ。コノ程度で自我を失うなんてホント笑いが止まらナイ」
 男は再び肩を揺らす。
 ───ラインアーサは男の説明と口調で二つの解答を導き出した。一つはあの裂け目に入った時の不快感。それは空間を移動する魔術への免疫の無さ。自分自身、腕の刺青が痛まなければ未だ意識が戻っていなかったかも分からない。
 そう思うと不甲斐なさを認めざるを得ない。
 もう一つは男のこの特徴的な話し方。この話し方には覚えがあった。
「……お前。マルティーン帝国の者だろ、話し方に覚えがある。しかも以前、会った事あるな…?」
「さあね。ドウだったか…。サテ、そろそろお喋りの時間はオシマイ。次はボクの積年の恨みをオマエに晴らす時間だ」
「恨み? マルティーンの者に恨まれる様な覚えはない…! それよりも一連の誘拐事件、一体どういうつもりだ! 直ちに人質を解放してくれ!!
「イイよ」
 男はラインアーサの要求に対し、やけにあっさりと応える。
「…!?
「ソコに居る自我を無くした人形タチには興味ナドない。丁度処分に困っていたトコロだ。その代わり……アーサ王子。オマエを人質とし、引き換えに例の娘の身柄を要求スル」
「……例の娘…、それはスズランの事か!?
「フフ。ソウ、名をスズランと言ったか? ソノ、フリュイの娘。我々にはアノ娘が必要なのダ」
「フリュイ…。スズランはやはりフリュイ公国出身なのか…?」
 疑問をつい口にする。
「……コレはケッサクだな! ナニも知らないマヌケな王子よ。まさかアノ娘の価値も知らずに今までシュサイラスアで保護してイタ訳ではアルまいな?」
「……スズランの価値…? 一体何を言って…」
「ナルホドね…。シュサイラスアの国王はよほど秘密主義と見た。実の息子に真実を告げずにいるのだからナ。……敵を欺くは味方カラとはよく言ったものダ」
 男は薄い唇ににやりと笑みを浮かべ更に続ける。
「父親にさえ信頼されてイナイのダロウ? 哀れな王子よ」
「っ…!!
「おや、図星ダッタか?」
 この物言いにラインアーサの心臓が跳ねた。普段は些細な事に狼狽えなどしないのだが今は頭に血が上って行くのがわかる。しかし冷静さを欠かぬよう深く息を吐き男を睨む。
「っ…お前に父の何が分かる…!」
「少なくともオマエよりは分かっていル。国王はオマエを憎んでイルからな。信頼されるハズがナイ」
「っ…でたらめを言うな!」
 生まれて来てからこれまで、父王ライオネルに憎まれていた覚えなどない……。何時だって大きな愛情を感じながら過ごして来た筈だ。
 ───しかし母、エテジアーナの事はどうだろう。ラインアーサの知らぬ事実が最近になって発覚し疎外感を持ったばかりだ。だがそれも時間を取り、話し合うと約束したではないか。
 こんな事で、しかも他人の言葉で疑心暗鬼になってはいけない。
 それでも男の口は止まらない。
「デタラメね…。どうやら知らぬ様だかラ教えてヤロウか」
「……何を」
「ナァニ、他国では有名な話…。シュサイラスアの国王とその妃は大層仲の良いオシドリの様な夫婦。王女も産まれシアワセは絶頂だった。しかしながら身体の弱い妃はムリをしてオマエを産んだ」
「……何が言いたい…?」
「つまりオマエを産んだ事により死期が早まった。むしろそのコトにヨリ妃は死んだとネ」
「…っ何、、言って……」
「妃はオマエを産んだから死んだ。だから国王はオマエを恨んでイル。どうだ? リカイ出来たか?」
 男の何処か嬉しそうな、それでいて冷たい声が耳を貫く。
「俺を産んだから、死んだ…? だから恨まれて、いる?」
「ソノ様子ではやはり今マデ知らずに生きて来たのだな? つくづく哀れでオメデタイ王子よ」
「……父上が、俺を…?」
 再度口にすると左腕の刺青が急激に痛み出す。あまりの激痛に顔を歪める。
「アハハ! よほど衝撃をウケたか? イイね……そのカオ…。もっとボクに見せてクレ! ボクはオマエが苦しむトコロが見タイんだ」
「…っ」
 男はランプをこちらに翳しながら至極楽しそうに笑い出す。
 今聞いた話を鵜呑みにする訳ではない。ライオネルがエテジアーナの事を秘密にしていたのには何か理由があるのだと分かっている。だが、目の前にいる見知らぬ男にそれを知った風に指摘された事に気が立ってしまう。
「さぁて、話を本題に戻ソウか。オマエとソコに居る人形タチは無傷で解放シテヤロウ。ソノ代ワリにさっさとフリュイの娘を寄コセ…。どうだ、悪い話ではナイダロウ?」
「断わる…っ!!
「……ナゼだ…? 小娘一人とコノ国の平和。秤にかけルまでもナイ、バカでも解ル話ダロ? オマエもそのまま解放してヤルと言ってイルじゃナイか…」
 それでもスズランを得体の知れない事に利用し、何かを企んでいる輩の提案を飲む訳にはいかない。
「何を企んでるのかは知らないがスズランをこんな場所に引き渡す事は出来ない!」
 最後に見たスズランの悲痛な表情が脳裏に浮かぶ。例え嫌われようともスズランを守ると決めた。もう悲しませたくない、なのにまたあんな顔をさせてしまう自分が嫌になる。
 しかし、だからと言って攫われた被害者達をこのままにしておく事も出来ない。
 まだじわりと疼く左腕の痛みに耐えながら必死に解決策を考える。自然と手に力が入りラインアーサは拘束されている拳を強く握りしめた。そのまま男のフードの奥を睨みつける。
「フン…。平和主義なシュサイラスアの王子めが。アノ娘の利用価値を知りもしナイで…。それとも、、アノ娘に対してナニか特別な感情でもあるのか?」
「……」
「……フッ…ハハハッ……だとしたらオモシロイ。むしろ好都合だよ! オマエから大切なモノを奪ってやる…! 仕返ししてやるよ、オマエがボクにソウした様にな!!
「…っ!? ……それこそ何かの間違いじゃあないのか? 俺は誰かの物を奪った覚えなど無い!」
「フン! どのクチがそんなコトを言う? ……ボクから大切なモノを奪ったクセに!!
 男は言うなり再び杖先でラインアーサの顎を掬い上げ、そのままぴたりと頬へと這わせる。
「…っ」
「こんなヤツのドコがイイんだ…!」
 男の何処か辛そうな声色に妙な感覚がわき起こる。
「もし本当に俺がお前の何かを奪ったって言うのならそれを返すまでだ…!」
「ハッ! アッハハハ!! オマエ、ホントウにバカか? ……最高にイラつく!!
 男は杖を振り上げるとラインアーサの頬を思い切り打ち付けた。
「ッ…」
 目の前がちらつく程の衝撃に耐えるも、口の中に鉄を舐めた時の様な血の味が広がる。口内と唇の端が切れた様だ。
「……では早速返シテ貰おうか…ミリアの心を……!!
「……ミリア…?」
 聞き覚えのある名だ。
 その名はたしか───。
「───そう。ボクの婚約者…。ボクのミリア…」
「っ…お前……。やっぱりメルテ、なのか…?」
「……漸く気付いた様だな!」
「いや、なんとなくは気付いていたが信じたく、、なかった……」
「フン…。相変わらずバカの付くお人好しダナ、アーサ!」
 男がおもむろにフードを脱ぎ、ラインアーサへ冷たく凍る様な視線をよこす。絹糸の如く肩程まで流れる美しい水縹(みずはなだ)の髪。私怨を宿した鋭い蒼の瞳がランプの光を反射させて薄暗い部屋の中に浮かびあがる。
 俄かには信じたくないが目の前にはマルティーン帝国の第一皇子、メルティオールが確かにそこに立っていた。


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登場人物紹介

ラインアーサ・S・ローゼン

(ライア)

本編物語の主人公。

シュサイラスア王国の王子。
王子と言う立場を隠し、お忍びで城下の街をぶらつくのが大好き。

スズラン

本編物語のヒロイン。

酒場の看板娘。

セィシェル

酒場のマスター、ユージーンの一人息子。スズランに寄り付く人物はゆるさない。

ハリ

ラインアーサの側近。

記憶喪失で二重人格。

ジュリアン

ラインアーサの幼馴染。

民兵警備隊の副隊長。

妹大好きなシスコン。

エリィ

謎の美女。

ラインアーサに懐いている。

イリアーナ

ラインアーサの姉。

ずっと行方不明だったがラインアーサが居場所を捜し、漸く帰国する事ができた。

リーナ

ジュリアンの妹。

ラインアーサに淡い想いを抱いている。

ユージーン

酒場のマスター。

ライオネル

シュサイラスア大国の国王。

ラインアーサの父。

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