祭りの夜に
文字数 16,219文字
───秋の高く澄み渡った空に喧しく祝砲の轟音が響く。それと同時に動き出す街は何処も彼処も色鮮やかに飾られていた。
シュサイラスア大国で最も盛り上がりを見せる祝祭、収穫祭 。昨晩の前夜祭でも既に様々な催し物がなされたが本祭の今日は更に賑わう事だろう。
今年の収穫祭に選ばれた作物は南瓜だ。今季の収穫と売り上げ最多記録を叩き出した南瓜が今年の収穫祭の主役なのだ。主役の南瓜で作ったランタンや置物などで飾られ何時もよりも少し不思議な雰囲気になる城下の街。毎年この飾り付けを楽しみに、国外からも観光客が集まる。前夜祭と後夜祭を含め七日間。国民たちはこの実りの一年に感謝の気持ちと、また翌年の豊作を願い国を盛り立ててゆく。
シュサイラスアの民は実に祭をよく好む。そういった明るく陽気な国民性なのだ。
───本日が主役といえば王宮にも一人。
「アーサ様。おはようございます!」
弾む様な声に振り向けば、そこには少し頬を赤らめたリーナが嬉しそうにこちらに小走りで向かって来る所だった。
「おはよう、リーナ。どうしたんだこんな早くに」
リーナは目の前で丁寧にお辞儀を終えると、にこやかな表情で話し出す。
「アーサ様こそ最近とても朝がお早いと王宮の皆が驚かれてますよ! 何か、お調べ物ですか?」
「ん? ああ、少しな」
書物庫にて調べ物をしていたラインアーサ。以前は古代術を調べていたが、今回は雷花の国 フリュイ公国について。どんな些細な事でもスズランに繋がる手掛かりを、と調べていたがどれも当たり障りのない内容やピンとこないものばかりだ。
「今、少しお時間大丈夫ですか?」
「どうした。何かあったのか?」
「ふふ、その調子ですとすっかりお忘れの様ですね。本日は、収穫祭 はもちろんアーサ様御自身のお誕生日ですよ?」
そう言い控えめに微笑むリーナ。
「ああ、いや忘れていたわけじゃあないんだ…。ただ、何ていうかもうこの歳になって祝うのも少し恥ずかしいしな」
「 何を仰るんですか! ライオネル様だって今年はアーサ様のご生誕に合わせて祝砲は二十三砲打ち上げると張り切ってらしたのに!」
「あはは、父上は張り切りすぎだよ。道理で今朝の祝砲は何時もよりも激しいと思ったんだ」
相変わらずなライオネルの行動に思わず笑みがこぼれる。
「みんなアーサ様をお祝いしたいんですよ! もちろんあたしもです!」
「ありがとうリーナ」
「そんなの当たり前です! それであの……アーサ様、あたし…!」
「ん?」
何か言いたげにこちらを見るリーナだが、目を合わせると素早くそらされてしまう。
「い、いえ! お誕生日おめでとうございますアーサ様」
「改めてありがとう。しかしリーナも大きくなったなあ! あんなに小さかったのにな……俺も歳をとるわけだ、はは」
つい頭を撫でると何故か俯くリーナ。以前は喜んでくれていたのだが、それこそもうそんな歳ではないのか。
「アーサ様……お仕事が終わってからで大丈夫なのですが、イリア様がお呼びしておりますので後ほど食堂までお越しくださいね」
「食堂に姉上が? 分かった、公務が終わったら向かうよ」
「では。あたしはこれで失礼致します」
「いつもありがとうリーナ。姉上の事これからも頼むよ」
「…はい! 任せて下さいっ」
リーナはまた軽くお辞儀を終えると、来た時と同じく小走りで去っていった。ジュリアンの妹であり、ラインアーサ自身も本当の妹の様に可愛がってきたリーナ。この兄妹とは生まれた時からずっと一緒に過ごしてきたのだ。ラインアーサにとって大切でかけがえの無い存在。それはこれからも変わらないだろう。
「…さてと。俺も一度部屋に戻るか」
フリュイ公国に関する古い書物を一冊だけ手元に残し、あとは全て書棚に戻すとラインアーサも書物庫を後にした。持ち出した書物は古ぼけていたが、フリュイ公国関連の書物では随一の厚みがあった。自室へ移動する間も惜しみ書物を広げ廊下を歩く。頁の傷みはあるものの挿絵を交えながらわかりやすく書き記してある。
[フリュイ公国]
・・・雷花の術師が多く住む国。気候は常春の為、国内はいつも様々な草花が咲き乱れている。絶滅危惧種は通じてフリュイ公国に現存している。
・・・様々な草花が高値で各国と取引されている。雷花の花が咲く頃に開催される花祭りが有名。
・・・女系の国。住民は女性が多く国を治めているのは公妃。公妃はフラウール宮殿に身をおいている。花の都フラウに居住区がある。
・・・雷が多く、奏雷通りには落雷被害が絶えない。マルティーン帝国、シュサイラスア大国と提携し各国へ雷雲を届けている。
・・・民は男女ともに眉目秀麗、容姿端麗である所為か気の触れた愛好者同士の間で人気が高く好奇的に扱われる事も。リノ族の中でも特化して乾燥や冷気に弱く、他の国や地域に移民したという記録は無い。
「うーん……やっぱりスズランに繋がりそうな情報は少ないか?」
唸りながらも次の頁を開く。
・・・フリュイ人のほとんどが一族の血を守る為、他種族とは滅多に交わらない。特に公族のフルール一族は徹底して交わりを避けて来た為か古代種に近い。
「フルール一族……」
あの晩餐会 の夜、スズランが名乗ったのがフルールという家名だった。
さらに頁を読み進めてゆく。
・・・現在、フルールの名は公族でなくとも一般的に広まっている。また、天然の香草や草花、果実の様な香気を放つのが公族の特徴として挙げられる。この香りは古代種に近い公族のみが分泌するとされ、人を虜にする効力があると言われているが定かではない。
「…っ! 公族…?」
確かにスズランに近づくととても良い香りがする。特に抱きしめたり口づけを交わす時などより濃厚になる。あの香りにあてられて冷静な判断を奪われた事は一度ではない。だからといってスズランがフリュイ公国の公族だと判断は出来ない。
「人を虜にする、、か」
ラインアーサがスズランに惹かれているのはスズランがフルール一族で公族の古代種だから?
そう考えれば何もかも合点がいくのだろうか。
「……違う。俺は…」
いや、そうではない。スズランに惹かれている理由はそれだけではない筈だ。ラインアーサは左右に思い切り頭を振るとその頁に栞を挟み、一度書物を閉じた。
───王宮 謁見の間にて。
少々照れながらも朗らかに笑顔を浮かべ、長い列の相手。ラインアーサは自身に向けられた祝の言葉に深く感謝の意を述べ、一人一人と握手を交わしていた。
「アーサ様!! 本日は誠におめでとうございます!」
「アーサ殿下のお誕生日を心よりお祝い申しあげます。シュサイラスアの平和とローゼン一族がこれからも永久に続きますようお祈りしております」
「これからもシュサイラスアの民を温かく見守っていてください。殿下のご健康心よりお祈りしております。謹んで御誕生日のお祝いを申し上げます!」
本日、収穫祭 に伴うラインアーサの生誕を祝う為に解放された王宮の謁見の間へは王国に仕える重役、城下の街の長や有権者など数多くの関係者が訪れていた。皆それぞれ祝の言葉と品を献上しにラインアーサの前に長い列を作っているのだ。
この様な大勢から祝われる事に慣れていないラインアーサは気恥ずかしさをはぐらかしつつ、にこやかな笑顔で一人一人に礼を尽くした。
「ありがとう。皆に祝ってもらえて今日は本当に素晴らしい日になった!」
挨拶をすると謁見の間に拍手喝采がおこる。傍らに立っているライオネルは満面の笑みを浮かべていて今にも勢いで抱きついてきそうでかなり面映い。
「今日は一年のうちでアーサがこの世に生を受けた日と暦を等しくする記念すべき日だ。私は息子がまた一つ齢を重ねて健やかに成長してくれたことを心から嬉しく思っている。どうかこの喜びを皆と分かち合いたい! 殊に、国民皆の健康と幸運、そして愛に乾杯!!」
ライオネルの言葉に次々と歓呼の声があがった。
「皆ありがとう。父…、いや。陛下も……でもなんて言うか、これは照れるな」
「何を言う。ここ数年まともに祝えなかったんだ。国王として、いいや父親としてこの位はさせておくれ!」
「父上…」
赤面の至りだが何とかはにかむと予想は的中。ライオネルが力強く抱き締めてきた。幼い子供を褒めるがごとくの抱擁にますます羞恥心が募る。そうして生誕祝いに伴う謁見が終了する頃にはどっと疲れきってしまったラインアーサだった。
「……ああ。やっっと解放された…!」
自室に戻り堅苦しい礼服のまま長椅子 へと身を投げ出す。そのままごろりと仰向けになりたい気分だ。
こうして国を挙げて自身の誕生を祝ってもらうのは久々な上に、有り難さ反面どうしても気恥しい気持ちが勝ってしまう。
「ああ、もう……。あんな公の場で抱きつかなくたってもいいのに」
ライオネルの徹底した親馬鹿ぶりは今に始まった事ではなく、既に国中に知れ渡っている。それを皆温かい目で見守ってくれているのだ。
「……まったく、俺も幸せ者だよな」
着替えようと立ち上がった所で部屋の扉が叩かれた。
「お疲れ様です……」
「ん? ハリか。 入ってこいよ」
最近またすれ違いばかりでまったく話せていなかったのもあり、思わず声の主を自室に招き入れる。
「失礼します。着替える所だったんですね。手伝います」
「なんだよ! いいよ別に、急にどうしたんだ?」
「いえ、急にでは…。私は側近とは名ばかりで実質的には何も役に立って居ないので……」
「何だ。そんな事気にしてたのか?」
「ええ。貴方は私を側近として傍においてくれているものの、身の回りの事などは殆どご自分でされてしまう」
突然のハリの告白に驚く。以前より言葉数が多くなって来たとは思っていたがこの様な発言は初めてだ。ハリの方から歩み寄る姿勢に嬉しくなった。以前はどんな事も表情に出さず、会話も最低限の発言が常だった。ラインアーサはこれを機に少しでもハリを知れればと話を繋げる。
「俺は別に身の回りの世話係が欲しかった訳じゃあないんだ。……あの日。倒れてるハリを見つけてここに連れてきた時、あんまりにも無口だったのが気になってさ」
「……」
「そのまま何日もずっとそんな感じだったからどうしても話をしてみたい、出来れば仲良くなりたいなって。それでつい側近にしたい! なんて言ったわけで、俺はハリがそんな風に思ってたなんて驚いたよ」
「そうなんですか? 私は何時も…」
「そんな堅苦しくなるなよ。それにハリは凄く優秀だよ! 本当は俺の側近だなんて勿体ない位だ。なんならもっと色々教えてくれないか? ハリの事」
嬉しさを隠しきれず更にハリへと問うた。
「私の、事で?」
「何でもいいよ、何かあれば」
ハリは少し間を置いてから控えめに口を開いた。
「……では、収穫祭 の」
「収穫祭 の?」
「何故、今年の主役は南瓜なのでしょうか…」
「へ?」
「昨年は葡萄だったと聞きました」
「ああ、確かにそうだったな。それが?」
「……特に。どうという事はないのですが、葡萄だった昨年は祭りの間街の至る所で搾りたての葡萄酒が道行く人々に振舞われたそうですね。それを思うと昨年居なかった自分に、、いえ…。何故今年も葡萄が主役では無いのかが実に残念でなりません。私としては何年も寝かせて熟成した葡萄酒が好みです。しかし搾りたてと言うのにはやはりとても興味を駆り立てられます。何故なら…」
ハリが真顔で語り出し、呆気に取られる。
「ふっ…くくっ! ハリ、お前って本当に葡萄酒が好きだよな! よし、じゃあ今度また二人で美味いのを飲みに行こう」
「それは良いのですが、飲みすぎは禁物ですよ」
「なんだよ、そこは手厳しいまま?」
頑なな態度に苦笑するもこうしてたくさん話すことによってハリの記憶が少しでも戻れば……。とラインアーサは思った。会話を続けながら動きやすい服に着替え、少し長い襟足の髪を結ぶ。
「本当にハリには感謝してるよ。姉上を探しに旅をした四年間はもちろん。当時、内乱や様々な理由で皆王宮から居なくなってしまって心細かった俺にはすごく嬉しかったんだ」
「へえ…。そうだったんですね……」
「その分の恩を返させてくれ。俺、ハリの家族も必ず捜し出すよ」
「ありがとうございます。……そう言えば満足する?」
突如、耳元に冷たく抑揚のない声が響いた。
誰の声なのか一瞬理解出来なかったが、此処には自分とハリしか居ない。振り向こうとした瞬間、白く長い腕によってそれは阻止された。そのまま壁に押しやられ、妙な緊迫感が走る。
「……ハリ?」
「ねえ。今から何処かに行くの? それより僕ともっと楽しい話をしない?」
「……」
横目に垣間見える口元は薄らと笑みを浮かべていた。喋り方や表情があからさまに通常時のそれとは一変している。
「ラインアーサ……。君のお節介には全く呆れるね。……ほんと、下らない」
ハリは語尾を強目に吐き捨てると、ラインアーサの髪紐を指で引きつまみ一気に解く。解かれた髪がはらりと首筋にかかった。
「何っ、するんだよ…!」
「アハハ。怒った? 髪紐、返して欲しい?」
「……ハリ、お前まさか記憶…」
「はあ、記憶ね…。そんなのもうどうでもいいや。あんな家族別に要らないし…っ!? …っうぐ、っぁ…!!」
投げやりとも取れる興味なさげな溜息を吐いたハリだが、急に額を抑え苦しみ出す。
「おい、大丈夫なのか!?」
「うう…! ぐっ、ああ…っ」
「ハリ! しっかりしろ…! ハリ!!」
目の前で頭を抱えながら苦しむハリの姿に狼狽する。このハリの痛みにはラインアーサの術も何も、ほとんど効果が無いのを知っているから尚更だ。
「……あ、あぁ…っ…」
「待ってろ今救護を」
「大…っ丈夫、です…。ライア……」
その場で片膝を付いたままのハリが弱々しい声でそう訴えてきた。
「でも!」
「お構いなく…っ」
「構うなって、すごい汗かいてるじゃあないか…! すぐにでも医務室で診てもらった方がいい」
「いえ、本当に平気です。一時的なもので何時もすぐに収まりますから」
「一時的ってこれは普段から頻繁に起こるのか? それにさっき俺の事をラインアーサって呼んだけど、もしかして記憶が…?」
「私がライアの事を真名で? ……呼びましたか?」
「今確かにそう呼んだ…」
「何を言って…っ痛」
「わ、悪い! 無理はするな。とにかくお前は今から俺と医務室直行だからな」
大丈夫だと澀るハリを連れ医務室へ移動するとそこでジュストベルと遭遇した。
「おや。ラインアーサ様にハリ殿」
「ジュストベル! 丁度よかった、ハリが例の頭痛で……いつものお茶を淹れてくれないか?」
「ライア、私は本当に大丈夫ですから…」
「その慌てた御様子。何か、御座いましたか?」
「ああ、ついさっきハリの様子が…」
丁度医務室に居合わせたジュストベルに先程の事を話す。やはりここ最近、ハリの頭痛は以前よりも頻繁に起こっているとの事。しかし今回の様なハリの急変は初めてらしい。
そんな中ジュストベルは落ち着いた動作で手際良く香草茶を淹れ、ハリの前へと差し出す。薬師のエルベルトとジュストベルが香草や薬草などを調合した特殊な茶葉は気持ちを落ち着かせ、痛みを和らげる効果がある。
ハリは小さく感謝を述べるとお茶を口にした。その様を見てラインアーサも一息つく。
「ありがとうエルベルト先生。ジュストベルも居てくれて助かった」
「いいえ。あとはこちらにお任せ下さい」
「ああ、悪いけど頼むよ。そうだ俺、姉上に呼ばれていたんだった。すっかり忘れる所だったよ」
「……すみませんライア。落ち着きましたら私もそちらに向かいますので」
「ああ。無理だけはしないでくれよ、ハリ」
「はい」
とりあえず二人に任せればハリのこの頭痛は心配ない。しかし帰国してから症状が酷くなっている様に感じるのは気のせいではない筈だ。
エルベルトとジュストベルは歳が近い為、昔から仲が良い。時間が合えば趣味のお茶などを持ち寄り語らう仲だ。多忙な二人の休息も奪ってしまったな、と内心謝りながら姉の待つ食堂に向かった。
「そう言えば何で食堂なんだ? 最近調子良さそうだけど体調は大丈夫なのかな?」
ふと疑問に思いつつ歩みを勧めてゆくと目的地に近づくにつれ甘く良い香りがしてくる。しかし食堂の大きな扉は閉じられていた。いつもは開け放たれているのだが、と更に疑問が浮かぶ。
控えめに扉を叩くと中からどうぞ、と明るいイリアーナの声が返ってきた。扉を開くと同時にふわりと甘い香りがラインアーサの鼻を擽る。目の前には色とりどりの焼き菓子がずらりと並んでいた。それはどれもラインアーサの好物ばかりだ。
「や、焼き菓子が……たくさん!! ……姉上! この焼き菓子ってもしかして…」
「そうなの!! 今日はアーサの誕生日でしょう? 朝早くからリーナと二人で用意したの」
「アーサ様、おめでとうございます!」
食台 に山と並ぶ焼き菓子の影から姉が顔を出した。いつでもにこやかでたおやかなイリアーナ。シュサイラスアに居なかった十一年間、この優しい姉の笑顔を忘れた事は一度もなかった。
リーナがすぐ側で嬉しそうに笑っている。イリアーナが行方不明になったのをとても気に病み何時も何処か申し訳なさそうに寂しそうにしていたリーナ。イリアーナが無事帰国し、やっとリーナにも本当の笑顔が戻ったのだと嬉しさで心が震える。
「アーサ? まだまだたくさんあるのよ。私がお祝い出来なかった十一年分の想いを込めて作ったの…」
「……姉上、リーナ。ありがとう! すごい嬉しいよ。俺たくさん食べるから」
にしてもものすごい品数の焼き菓子たち。とても一人で食べ切れる量では無い。そうだ…、と一つ提案しようとしたがイリアーナも同じ考えだったらしい。
「そうだわ! せっかくたくさん作ったのだし、ささやかだけどもみんなも呼んでお祝いパーティにしましょう!」
「俺も丁度そう思ってたんだ。じゃあ俺はみんなの事を呼んでくるよ」
「お願いね。あ! アーサ、待ってちょうだいっ!!」
「んん? そんな大きな声でどうしたんだよ姉上」
踵を返そうとした所、何やら含みのある笑みを浮かべているイリアーナに呼び止められた。
「あのね。そのぉ…、スズランちゃんも呼んで来ていいのよ?」
「なっっ!? 何で姉上がスズランの事知ってるんだよ!?」
「うふふ、ちゃんとジュリから聞いてるんだから。そろそろ私にも紹介して欲しいものね?」
イリアーナは昔から色恋の事になると少しませていた様な気がしていたが、あんなにもにこやかに紹介してほしいと頼まれてしまえば断りようもない。
「───ったく…、ジュリの奴!! また余計なことを…」
と思いつつも浮き立つ心は正直だ。
しかし収穫祭の本祭である今日、酒場 はかきいれ時。仕事も忙しい筈だ。
何時もの様に王宮の横庭から森を抜け酒場 の裏庭へ足を運ぶと、そこで早くも愛しい姿を捉える。お馴染みの給仕服に身を包み、少し疲れた様子なのは朝からずっと店の準備でもしていたのだろう。つい勢いで声をかける。
「……スズラン!!」
「っ…ライア! どうしたの? お店のお手伝いは昨日までって聞いてたのに、びっくりした… 」
ラインアーサの突然の登場に驚くスズラン。会えると思ってなかった分純粋に嬉しい。しかし、唐突に今日が自身の誕生日だと伝えるのは何となく照れくさいものだ。
「……あのさ。姉上が焼き菓子をたくさん作ったんだ。それで、その。皆にも紹介したいし、良かったら夕方パーティに来てくれないか? 今日、実は俺の誕生日なんだ」
「えっ、王宮のパーティ? わたしが行ってもいいの?」
「もちろん! スズランに来て欲しいんだ」
「しょ、紹介ってその……あ、でも今日は収穫祭 でお店がすごく忙しいからマスターに聞いてみないと」
「そう、だよな…。ここは人気の店だし。仕事で忙しいなら仕方ないよ」
忙しいのは分かっていたし、昨日まで手伝いに来ていたからそう簡単に仕事を抜けられないのも知っている。それでもスズランの顔が見たくて誘いに来てしまった。
「ライア、お誕生日おめでとう」
「ありがとうスズラン」
「誘ってくれたのに。お祝いに行けなかったらごめんなさい」
「ん、いいよ。焼き菓子なら後でまた届けに来るから」
自然と見つめ合う。柔らかい髪を梳く様に触れると切なそうに眉を下げるスズラン。少し潤んだ瞳を覗き込むとそれを隠す様に瞼が閉じられた。今にも唇と唇が重なろうとした瞬間、刺々しく苛ついた咳払いに遮られる。
「行って来れば!? ったく」
「セィシェル!!」
「お前、いつからそこに…!」
ラインアーサを無視して話を進めるセィシェル。
「スズ一人居ても居なくても、店はぜんっぜん平気だし」
「っ…それって……じゃあ、行っていいの!?」
「はぁ。親父には言っといてやるよ、しょうがねぇな…」
「ありがとうセィシェル!!」
ぱっと花が咲く様に笑顔になるスズラン。しかもそのままセィシェルに抱きついたのでラインアーサは心做しか衝撃を受けた。同時に言われのない悔しさの様なものが沸き起こる。簡単に言ってしまえば嫉妬だ。
「な、何だよ! あんまりくっつくなって!! べつにっっ、俺の目の前でイチャイチャされるよりかはマシなだけだし」
「でもありがとう!」
「じゃあ、もう俺は仕込みに戻るからな!」
「まってわたしも一回戻って着替えてくる…! ああっ! でもわたしライアにお祝いできる物何も持ってない、どうしよう…」
「……そんな事ない。何なら今貰う…」
「え? もらうって、、何を…!? ……っん」
セィシェルが酒場 の中に入ったのを確認し、性急にスズランの細い腰を引き寄せる。そしてそのまま強引に唇を奪った。これ程にまで余裕が無いのは先程の小さな嫉妬心で感情が昂ったせいか。そんなラインアーサに戸惑いながらも薄く唇を開き舌を受け入れてくれるスズラン。その喜びに任せ更に口付けを深くすると胸元の服を強く握られふと我に返る。
「……ん。スズラン」
「ふあ、、っ…ライア!?」
「ごめん。待ってるから着替えておいで」
蕩けた表情のスズランを見たら急に気恥ずかしくなり、そう言って誤魔化した。
「……うん、待っててね」
スズランも両頬を赤く染めながら自室に続く階段を駆け上がって行った。
またしても余裕のない格好悪い所を見せてしまった、と反省しつつ階段横の壁に凭れ掛かる。分かっていてもスズランの前ではなかなか自制がきかないのだ。もう少し落ち着いた所を見せたいのだがどうも一人で空回ってしまう。
あれこれ考えながら小さく唸っていると頭上から声をかけられた。
「……ライア? ごめんなさい待たせちゃった?」
「へ? ……あ、いや全然待ってない!! 俺の方こそ急かして悪かっ…た…!?」
階段を見上げると傾き始めた太陽を背にし、淡く煌めくスズランの姿があった。以前ラインアーサがどさくさに紛れ強引に贈った白いローブを着ている。
今にも夕陽の光に溶けそうなその姿が眩しくて眼を細めた。
「……やっぱり、、変?」
「まさか! いや。その服、本当に似合ってる……可愛いよ」
「あ、ありがとう。わたしが持ってる中でいちばん素敵なのってこの服なんだもの…」
少し照れながら、それでも嬉しそうな笑顔でそう答えたスズランが可愛いくてどうしようもない。思わず階段の下で両手を広げた。
「おいでスズラン!」
「うん!」
愛らしい笑顔で頷き階段を駆け下りてくるスズラン。しかしローブの裾が邪魔したのか躓きラインアーサ目掛け急降下。
「…っきゃあぁ…!」
咄嗟に受け止めそのまま抱きしめた。
「おっと! 大丈夫か? 怪我は?」
「ぅう…っ平気! ありがとう…。ひらひらしてるのってやっぱり慣れなくって」
「ドジだな、スズランは。でもローブなんてそのうち慣れるよ。それに慣れるまで俺が隣に居るから大丈夫」
「? どういう意味?」
スズランが不思議そうにラインアーサの顔をのぞき込む。
「なんでもないよ。ほら、まだ少し時間があるから見に行こう」
「? ……見に行くって何を?」
「もちろん街を」
「え!! 今から街に出るの?」
「そう。前にあまり街に出ないって言ってただろ? 今日は収穫祭 なんだ。せっかくだから少しだけど一緒に街を見て回ろう」
「わぁ……嬉しい! あ、けど大丈夫かな。今日ライアが街に出たら街の人たち…」
「ああそうか! ほらこうしとけば多分大丈夫」
ラインアーサは懐から髪紐を取り出し、後ろで一つに結わえた。
「っ…いつものライアだ…!」
「ん? 下ろしてた方いい?」
「……どっちも好き」
「ば、馬鹿! そんな事…」
「だって、どっちもかっこいいんだもん」
「ああもう…! わかったよ。本当に敵わないなスズランには」
そう言いながらもう一度唇を攫うと少し頬を膨らませじっと見つめられる。本当にこの煌めく瞳には敵わない。恥じらってばかりかと思えば、時折意志の強そうな双眸が見え隠れする。その不思議な輝きに魅せられてしまう。
「あ……雨? 傘いるかな…?」
「ん? なんだ。荷物があるなら俺が持つよ」
「このくらい平気だよ」
「駄目。ほら鞄、その傘も俺が持つ。行こう」
「……うん、ありがとう」
小雨が降り始めたが敢えて傘はささずにスズランの手を引き表通りへ出る。そこは色とりどりに飾られた街の姿。沢山の祭り客でいつも以上に賑わっていた。
「今年はまた盛大だな!」
「…っすごい人の数! それに街中とっても綺麗な飾り! 街にこんなに人がいるなんて…」
「ふふ。手はこうしてしっかり繋いでおけば迷子にならないだろ?」
華奢で細い指に自身の指を絡ませて手を握り直す。思いがけず二人で街に繰り出す事になり気分が高揚する。しかしスズランはどこか不安そうな表情だ。
「きっとお店も混んでるよね、大変じゃないかな? わたし戻った方が…」
「心配?」
「心配って言うか、みんな忙しいのにわたしだけこんなに贅沢していいのかな? って…」
「ごめんな。無理言って連れ出して」
「そんな! わたし、こうやってライアと二人で街に来れるなんて夢みたいで、それだけで贅沢って言うか……どうしよう…っ、すごい幸せ」
「そうか…! 俺もこうして二人で居れるのはどうにかなりそうな位嬉しいよ。……あいつにも今度礼を言わないとな」
申し訳なさそうに幸せだと告げるスズラン。先ほどは大人気なく嫉妬心を燃やしたのに、今は幸せそのものでそれこそ申し訳ない気分だ。
「ねえライア。雨が降ってるのに何で誰も傘をさしてないの?」
「大丈夫すぐに止むよ。この雨は年に一度降る祝福の雨だから、皆敢えて浴びてる」
「祝福の雨?」
「収穫祭 では毎年それに合わせて祝福の雨が降る。毎年作物の収穫を祝ってマルティーン帝国が賜ってくれているんだ」
「そうなんだ…! とっても素敵!」
「それと丁度この日没前の夕陽に照らされて輝く祝福の雨を浴びると、一年間健康で居られるらしい…」
「それって今降ってる雨?」
「そう…。正に今だから幸運だったかな」
言いながらスズランと空を見上げる。
山の稜線に沈みゆく太陽。紺色と橙色の雲が織り成す空模様に、一粒一粒輝きながら祝福の雨が落ちてくる。刹那的な美しさに今街に居る人々からも歓声が上がり、そして太陽が完全に山に隠れると同時に雨も上がる。
この国の民の、スズランの健康を切に祈った。
空の色が紺一色に変わってもスズランは暫く空を見上げていた。
「すごく綺麗……」
「俺も浴びたのは久しぶりだよ」
「ライアと二人で見れてうれしい!」
「……スズラン、俺…」
「あっ! あれってなんだろう?」
急に賑わう屋台の方に興味を持つスズラン。手を繋いだまま駆け出したのでその方向へついて行く。
「ああ、これは果実茶の屋台だよ」
「果実茶って甘いの?」
「飲んだ事無いなら買ってみる?」
「ほんと!?」
「並んでみるか」
シュサイラスアでは多く獲れる果実で様々な加工品が作られるが果実茶もその一つだ。きらきらと瞳を輝かせるスズランと賑わう屋台に並ぶ。
果実茶は手軽で味も種類が豊富な為、一般的かつ人気がある。目の前の屋台は有名店が出している所為か大層な人出だ。
「すごい人気だね! それに果物の甘くていいにおいがする」
「色々あるけどスズランは何にする?」
「選んでいいの?」
「もちろん」
列に並びながら果実茶を選ぶ。スズランは小首をかしげながら品目一覧を眺めては珍しく顔を顰め真剣そのものに悩んでいた。
「……うーんっと…」
「っ…くく、そんなに怖い顔で悩まなくても果実茶位いつでも飲めるよ」
「だって、全部おいしそうなんだもん。迷っちゃう」
「んー、そうだな。どれも美味いけど木苺と桃のが特に人気みたいだ」
「そうなんだ!」
「じゃあそれにしようか」
一番人気のものを推めると嬉しそうに笑うスズラン。果実茶一つでこんなに笑顔を見せてくれるのなら毎日でも連れて来たくなってしまう。
「うん! ありがとう。ライアは?」
「俺は蜂蜜と檸檬のやつ…」
「わあ…、そっちもおいしいそうだね」
「じゃあ二人で分けよう」
「うん…!」
注文後、果実茶を受け取る。広場に面した場所に屋台が出ていたのでそのまま広場中央の噴水でひと息つく事にした。
二人で噴水の縁に座ると背中に伝わる流水音と冷たい空気が人混みの疲れを癒してくる。
「疲れてないか?」
「全然平気!」
「良かった」
蓋の付いたグラスを細い硝子の管でかき回すと、お茶が氷と果実を揺らし耳に心地の良い音を出す。
「キラキラしてるね…」
「ん?」
「果実茶が今日のお祭りの街みたいにキラキラしてて本当に綺麗…。飲むのがもったいないくらい」
「収穫祭 は年に一度だけど、果実茶はいつでも飲めるよ」
「……また一緒に来たいな」
「いつだって連れて来てやるよ! ほら、冷たくて美味いから飲んでみるといい」
「うん、ありがとうライア! いただきます」
また二人で街に来る口実が出来たと内心浮かれてしまう。しかし突然ガシャンと硝子の割れる音に次いで子供の泣き声が浮かれた気分を見事に掻き消した。
「う、うぇえええん! ままぁ!!」
小さな子供が人混みでつまづいたのか、転んで果実茶のグラスを落としてしまったらしい。
見る間にスズランが目の前で泣いているその女の子に駆け寄っていた。
「あっ! 待って、割れたのに触ったら危ないよ」
「だってぇ……せっかくママにかってもらったのに……ふえぇ…っ」
「えっと、お母さんは? えっ、ああっまって…、泣かないで……あ! ちょうどおんなじのあるの、ほら!」
「……いい。だってそれじゃあおねえちゃんのがなくなっちゃうもんっ…」
見た所傍に親が居ない。はぐれて迷子になったのか。スズランが必死にあやすものの今にも女の子は泣き出しそうだ。
「ここにもう一つあるから大丈夫だよ」
「……ライア!」
「…!? …っ…!」
二人の横に屈み、持っていたもう一つの果実茶を見せると女の子はラインアーサとスズランの顔を交互に見やる。驚き、見開かれた瞳。どうやら涙は引っ込んだ様だ。
「俺たちは半分こするから心配ないよ。な? スズラン」
「……で、でも」
「うん。わたしは平気だよ! それよりも転んだ所、ケガはない?」
大丈夫と頷く女の子を噴水の縁に座らせた。その前に屈み込み、木苺と桃の果実茶を手渡すスズラン。
女の子の名はリタ。母親を見失い迷子になってしまったのと、歳は五歳だと教えてくれた。
「ありがとうおねえちゃん…!! これ、ほんとに飲んでもいいの?」
「どうぞ!」
「っ…わあ! つめたくておいしい~」
リタは待ちきれず果実茶に口をつけると嬉しそうに頬を綻ばせた。一番人気の評判は伊達ではないらしい。
「良かったぁ」
「俺やっぱりスズランの分もう一つ買って来るよ」
「ううん。わたしはまたライアと来れるもん」
「そうか? ……じゃあまた必ずな」
「うん! 約束ね…!」
そう言って愛らしい笑顔を見せるスズランに微笑み返すとつられたのかリタもにこりと微笑んだ。並んで座るスズランとリタの前に立ち、周りを見渡すと先ほどよりも人出が増して来ている。
「よし、飲み終わったらすぐ母親を探そう。物凄く込み合ってきたから少し急がないとな」
「リタちゃんのママ、早く見つかるといいね」
「うん…」
安心したのかリタはスズランに懐き、甘える様に体をくっ付けた。
「どうしたの?」
「おねぇちゃんいいにおいするね」
「ふふ、そう?」
二人を見やり、もしスズランが母親になったらこんな感じなのだろうかと一人で勝手な妄想をしてしまう。ごまかす様に慌てて果実茶を飲むと甘く爽快な香りが口の中に広がる。
「っ…こっちのは蜂蜜と檸檬が効いててうまいな! ……あー、これ後はスズランに全部やるよ」
「え! ライア、一口でいいの?」
「ああ、本当に美味いからスズランも飲んでみて」
そう言ってグラスを強引に手渡す。
「ありがとう。ん……爽やかで、でも甘酸っぱくてすごくおいしい!」
「だろ? 良かった!」
自身の好物を気に入って貰え不思議と嬉しくなる。美味しそうに果実茶を飲む姿を満足げに眺めているとスズランがグラスを差し出して来た。
「本当にとってもおいしいから、やっぱり二人で半分こ! ね?」
「はあ…。俺が敵わないの分かってる癖に。じゃあ、もう一口だけいただくよ」
グラスは受け取らずそのまま硝子管に口を付け一口だけ頂く。何故か先程よりも特別甘く酸っぱい。
「 ……ねぇ。おねぇちゃんは、アーサさまのこいびとなの?」
「えっ!?」
「え!!?」
何やら直球な問に危うく果実茶を吹き出しそうになった。聞き間違いでなければ今、リタの口からアーサとか恋人と言う言葉が飛び出した様な。
「ま、待ってリタちゃん?! ち、違うの、この人は…」
「ゲホッ…! そう、俺はライアっていうんだ…」
「うーん、そうなのー?」
そう言ってラインアーサの瞳を除きこんでくるリタ。やはり聞き間違いではないらしい。もはや子供特有の純粋な眼差しに負けそうだ。
「ああ、よく似てるって言われるけど……」
「ライア…。大丈夫?」
「あ、ああ」
「でも、やっぱりお目目の色がおんなじだよー?」
子供の目は誤魔化せないと言った所だろうか。しかし今、それも街の広場のど真ん中で己の正体を明かす訳にはいかない。シュサイラスアの民は、驚かせる行事やこういったお祭り騒ぎを好む民族性。舞い上がり確実に揉みくちゃにされてしまう。そうなるとスズランに危害が及ぶ可能性も出てくる。やはり収穫祭 当日に街に出るなど浅はかだったと反省せざるを得ない。
それでもリタの眼をそらさず必死に否定する。
「リタ。違うんだ。俺たちは…」
「わかったー! ないしょなんだ? スズランおねえちゃんとひみつのでぇとしてるんだね!」
「っ…!!」
「デ、デート……なの?」
ないしょ話の様に可愛らしい仕草で話すリタ。しかし内容は的確だ。
何も言えずに居るとリタの顔がぱっと明るくなり、そのまま立ち上がると大きく叫んだ。
「ママ…っ!!」
「リタッ!! あなた…っ何処に行っちゃったのかと…! 本当に探したのよ!? 駄目じゃあないのこんなに人が多いのにうろちょろしちゃあ」
「だってふんすいのお水がとってもきれいだから、ちかくで見たかったんだもん」
「もう~あなたって子は! 本っ当に見つかって良かった……あ、あの。ありがとうございます、うちのお転婆娘がとんだご迷惑を」
リタの母親がこちらに気付き、深々と頭を下げる。
「あ、いや俺たちはなにも…」
「ママ! リタね、転んでお茶こぼしちゃったんだけどおねえちゃんたちがあたらしいのくれたんだよ!」
「ええ?! 何やってるのよリタ。あ! 今すぐお茶のお代を…」
リタの母親が何度も頭を下げ、あまりにも申し訳なさそうにするのでラインアーサは心配させまいとにっこり笑顔を浮かべた。
「いえ、大丈夫ですよ」
「えっ! そんな…って、あら? あの、失礼かとは思いますが貴方よくアーサ王子に似てるって言われませんか? 娘が帰国の時の行進 でアーサ様に手を振って頂いて以来大ファンで!! ね、リタ!」
「……もー! ママ。おねえちゃんたち今でぇと中なんだからリタたちおじゃま! そろそろいこ!」
「あ、ああ。そうよね、ごめんなさい。それに本当にありがとうございました。助けて頂いたのにこれ以上二人のお邪魔をしたらいけないわね。でももし貴方が本当にアーサ王子だったらサインの一つでも欲しい所だわ! うふふ」
「あはは…」
「ママったら! 早くあっちのお店もいこうよ 」
リタは何度も頭を下げる母親の手を引っ張ると祭り客で賑わう人混みの中に消えていった。その一瞬前に振り向きラインアーサとスズランに向け笑顔で小さく手を振った。結局リタにはばれてしまっていたらしい。
「なんだか逆に助けられたみたいだな…、はは」
「ほんとびっくりしちゃったけど、リタちゃん可愛かった!」
「ああ。あんなに小さいのにしっかりしてるんだな」
「……うん…。でもちゃんとお母さんが迎えにきてくれて良かった。一人ぼっちって本当に心細いもの…」
「……!!」
寂しそうな横顔にはっとする。
自分の事を捨て子だと思っていたスズラン。迷子のリタと幼い頃の自分を重ねたのだろうか。
「……あ、何でもないの! ただ本当に良かったなって…」
「スズラン…」
「……大丈夫、前にライアが教えてくれたもん。ちゃんと信じてるよ。わたしは捨て子なんかじゃ…、あれ? ……ごめんなさい。ち、違うの。……見ないでっ…」
そう言うとスズランは俯いてしまった。ひたむきに涙を隠す姿がいじらしくてそっと胸に抱き寄せる。ラインアーサは優しく頭を撫でる事しか出来なかった。
暫くそうしている間にすっかり夜の帳がおり、辺りはいっそう煌めき始める。南瓜のランタンが妖美な光を放ち普段とは別世界の夜の街。
祭り客の喧騒の中でそっと愛しい名前を呼ぶ。
「───スズラン」
「……ごめんなさい突然泣いたりして」
「相変わらず泣き虫だな。大丈夫だよおいで。そろそろ戻ろうか」
「うん」
漸く泣き止んだスズランをもう一度強く抱きしめ、とても小さな声で囁く。
「……不安にさせてごめん…」
「んん…、ライアっ…今なんて言ったの?」
「さあ、本格的に冷える前に行こう」
「……あ、まって」
「ん。ほら」
再びスズランの手をしっかりと握り、人混みの中を縫って歩く。
多種多様な屋台、大道芸や音楽隊の奏でる陽気で情熱的な音楽、音楽に合わせて華麗に舞う踊り子たち。
祭りは最終日の後夜祭に向けて徐々に盛り上がってゆく。先程から少し元気の無いスズランとは対照的だ。
「……今日は街に連れ出してくれてありがとう」
「どういたしまして。少しでも祭りの気分を味わえた?」
「うん」
「なら良かった…」
どうにも途切れがちな会話だがなんとか酒場 の前まで戻ってきたので裏庭へと回り込む。そのまま王宮の横庭に繋がる森の小道に向へかった。ここまで来ると街の喧騒もだいぶ遠くなる。横目でスズランを盗み見ると俯いたままだ。このぎこちない空気を打ち破るべくラインアーサは切り出した。
「……スズランは俺と初めて会った日の事覚えてる?」
「もちろん…! ライアが帰国した時のお祭りの日にここの森で」
「そうか、そうだよな…」
「わたし勝手にライアのこと警備隊の人と勘違いしちゃって、本当にごめんなさい!」
「俺の方こそごめん…、でも懐かしいな。まだそんなに経ってないのに」
「っ…わたし、あの時はライアとこんなふうになるなんて思ってなかった…」
「……俺は…。此処でスズランと会った時、運命なのかと思ったよ」
「運命…?」
「果たせなかった約束を、今度こそ守る為の」
確かめる様にそう口に出すと一気に気持ちが固まった。もう二度とこの手を離したくない。繋いでいた手を握をもう一度強く握り返す。
「約束って? それに、ライアはいつからわたしのことを知っているの?」
「……」
「わたし、ライアの事もっと知りたい…!」
先ほどまで落ち込んでいたスズランだが今はしっかりとした眼差しでラインアーサ見据える。その瞳は強く輝きを放っていた。
小川に架かる小さな石橋の上。
見つめ合う二人の間にふわりと心地の良い風が吹きそよいだ。
⌘ 収穫祭 ⌘ 終
シュサイラスア大国で最も盛り上がりを見せる祝祭、
今年の収穫祭に選ばれた作物は南瓜だ。今季の収穫と売り上げ最多記録を叩き出した南瓜が今年の収穫祭の主役なのだ。主役の南瓜で作ったランタンや置物などで飾られ何時もよりも少し不思議な雰囲気になる城下の街。毎年この飾り付けを楽しみに、国外からも観光客が集まる。前夜祭と後夜祭を含め七日間。国民たちはこの実りの一年に感謝の気持ちと、また翌年の豊作を願い国を盛り立ててゆく。
シュサイラスアの民は実に祭をよく好む。そういった明るく陽気な国民性なのだ。
───本日が主役といえば王宮にも一人。
「アーサ様。おはようございます!」
弾む様な声に振り向けば、そこには少し頬を赤らめたリーナが嬉しそうにこちらに小走りで向かって来る所だった。
「おはよう、リーナ。どうしたんだこんな早くに」
リーナは目の前で丁寧にお辞儀を終えると、にこやかな表情で話し出す。
「アーサ様こそ最近とても朝がお早いと王宮の皆が驚かれてますよ! 何か、お調べ物ですか?」
「ん? ああ、少しな」
書物庫にて調べ物をしていたラインアーサ。以前は古代術を調べていたが、今回は雷花の国 フリュイ公国について。どんな些細な事でもスズランに繋がる手掛かりを、と調べていたがどれも当たり障りのない内容やピンとこないものばかりだ。
「今、少しお時間大丈夫ですか?」
「どうした。何かあったのか?」
「ふふ、その調子ですとすっかりお忘れの様ですね。本日は、
そう言い控えめに微笑むリーナ。
「ああ、いや忘れていたわけじゃあないんだ…。ただ、何ていうかもうこの歳になって祝うのも少し恥ずかしいしな」
「 何を仰るんですか! ライオネル様だって今年はアーサ様のご生誕に合わせて祝砲は二十三砲打ち上げると張り切ってらしたのに!」
「あはは、父上は張り切りすぎだよ。道理で今朝の祝砲は何時もよりも激しいと思ったんだ」
相変わらずなライオネルの行動に思わず笑みがこぼれる。
「みんなアーサ様をお祝いしたいんですよ! もちろんあたしもです!」
「ありがとうリーナ」
「そんなの当たり前です! それであの……アーサ様、あたし…!」
「ん?」
何か言いたげにこちらを見るリーナだが、目を合わせると素早くそらされてしまう。
「い、いえ! お誕生日おめでとうございますアーサ様」
「改めてありがとう。しかしリーナも大きくなったなあ! あんなに小さかったのにな……俺も歳をとるわけだ、はは」
つい頭を撫でると何故か俯くリーナ。以前は喜んでくれていたのだが、それこそもうそんな歳ではないのか。
「アーサ様……お仕事が終わってからで大丈夫なのですが、イリア様がお呼びしておりますので後ほど食堂までお越しくださいね」
「食堂に姉上が? 分かった、公務が終わったら向かうよ」
「では。あたしはこれで失礼致します」
「いつもありがとうリーナ。姉上の事これからも頼むよ」
「…はい! 任せて下さいっ」
リーナはまた軽くお辞儀を終えると、来た時と同じく小走りで去っていった。ジュリアンの妹であり、ラインアーサ自身も本当の妹の様に可愛がってきたリーナ。この兄妹とは生まれた時からずっと一緒に過ごしてきたのだ。ラインアーサにとって大切でかけがえの無い存在。それはこれからも変わらないだろう。
「…さてと。俺も一度部屋に戻るか」
フリュイ公国に関する古い書物を一冊だけ手元に残し、あとは全て書棚に戻すとラインアーサも書物庫を後にした。持ち出した書物は古ぼけていたが、フリュイ公国関連の書物では随一の厚みがあった。自室へ移動する間も惜しみ書物を広げ廊下を歩く。頁の傷みはあるものの挿絵を交えながらわかりやすく書き記してある。
[フリュイ公国]
・・・雷花の術師が多く住む国。気候は常春の為、国内はいつも様々な草花が咲き乱れている。絶滅危惧種は通じてフリュイ公国に現存している。
・・・様々な草花が高値で各国と取引されている。雷花の花が咲く頃に開催される花祭りが有名。
・・・女系の国。住民は女性が多く国を治めているのは公妃。公妃はフラウール宮殿に身をおいている。花の都フラウに居住区がある。
・・・雷が多く、奏雷通りには落雷被害が絶えない。マルティーン帝国、シュサイラスア大国と提携し各国へ雷雲を届けている。
・・・民は男女ともに眉目秀麗、容姿端麗である所為か気の触れた愛好者同士の間で人気が高く好奇的に扱われる事も。リノ族の中でも特化して乾燥や冷気に弱く、他の国や地域に移民したという記録は無い。
「うーん……やっぱりスズランに繋がりそうな情報は少ないか?」
唸りながらも次の頁を開く。
・・・フリュイ人のほとんどが一族の血を守る為、他種族とは滅多に交わらない。特に公族のフルール一族は徹底して交わりを避けて来た為か古代種に近い。
「フルール一族……」
あの
さらに頁を読み進めてゆく。
・・・現在、フルールの名は公族でなくとも一般的に広まっている。また、天然の香草や草花、果実の様な香気を放つのが公族の特徴として挙げられる。この香りは古代種に近い公族のみが分泌するとされ、人を虜にする効力があると言われているが定かではない。
「…っ! 公族…?」
確かにスズランに近づくととても良い香りがする。特に抱きしめたり口づけを交わす時などより濃厚になる。あの香りにあてられて冷静な判断を奪われた事は一度ではない。だからといってスズランがフリュイ公国の公族だと判断は出来ない。
「人を虜にする、、か」
ラインアーサがスズランに惹かれているのはスズランがフルール一族で公族の古代種だから?
そう考えれば何もかも合点がいくのだろうか。
「……違う。俺は…」
いや、そうではない。スズランに惹かれている理由はそれだけではない筈だ。ラインアーサは左右に思い切り頭を振るとその頁に栞を挟み、一度書物を閉じた。
───王宮 謁見の間にて。
少々照れながらも朗らかに笑顔を浮かべ、長い列の相手。ラインアーサは自身に向けられた祝の言葉に深く感謝の意を述べ、一人一人と握手を交わしていた。
「アーサ様!! 本日は誠におめでとうございます!」
「アーサ殿下のお誕生日を心よりお祝い申しあげます。シュサイラスアの平和とローゼン一族がこれからも永久に続きますようお祈りしております」
「これからもシュサイラスアの民を温かく見守っていてください。殿下のご健康心よりお祈りしております。謹んで御誕生日のお祝いを申し上げます!」
本日、
この様な大勢から祝われる事に慣れていないラインアーサは気恥ずかしさをはぐらかしつつ、にこやかな笑顔で一人一人に礼を尽くした。
「ありがとう。皆に祝ってもらえて今日は本当に素晴らしい日になった!」
挨拶をすると謁見の間に拍手喝采がおこる。傍らに立っているライオネルは満面の笑みを浮かべていて今にも勢いで抱きついてきそうでかなり面映い。
「今日は一年のうちでアーサがこの世に生を受けた日と暦を等しくする記念すべき日だ。私は息子がまた一つ齢を重ねて健やかに成長してくれたことを心から嬉しく思っている。どうかこの喜びを皆と分かち合いたい! 殊に、国民皆の健康と幸運、そして愛に乾杯!!」
ライオネルの言葉に次々と歓呼の声があがった。
「皆ありがとう。父…、いや。陛下も……でもなんて言うか、これは照れるな」
「何を言う。ここ数年まともに祝えなかったんだ。国王として、いいや父親としてこの位はさせておくれ!」
「父上…」
赤面の至りだが何とかはにかむと予想は的中。ライオネルが力強く抱き締めてきた。幼い子供を褒めるがごとくの抱擁にますます羞恥心が募る。そうして生誕祝いに伴う謁見が終了する頃にはどっと疲れきってしまったラインアーサだった。
「……ああ。やっっと解放された…!」
自室に戻り堅苦しい礼服のまま
こうして国を挙げて自身の誕生を祝ってもらうのは久々な上に、有り難さ反面どうしても気恥しい気持ちが勝ってしまう。
「ああ、もう……。あんな公の場で抱きつかなくたってもいいのに」
ライオネルの徹底した親馬鹿ぶりは今に始まった事ではなく、既に国中に知れ渡っている。それを皆温かい目で見守ってくれているのだ。
「……まったく、俺も幸せ者だよな」
着替えようと立ち上がった所で部屋の扉が叩かれた。
「お疲れ様です……」
「ん? ハリか。 入ってこいよ」
最近またすれ違いばかりでまったく話せていなかったのもあり、思わず声の主を自室に招き入れる。
「失礼します。着替える所だったんですね。手伝います」
「なんだよ! いいよ別に、急にどうしたんだ?」
「いえ、急にでは…。私は側近とは名ばかりで実質的には何も役に立って居ないので……」
「何だ。そんな事気にしてたのか?」
「ええ。貴方は私を側近として傍においてくれているものの、身の回りの事などは殆どご自分でされてしまう」
突然のハリの告白に驚く。以前より言葉数が多くなって来たとは思っていたがこの様な発言は初めてだ。ハリの方から歩み寄る姿勢に嬉しくなった。以前はどんな事も表情に出さず、会話も最低限の発言が常だった。ラインアーサはこれを機に少しでもハリを知れればと話を繋げる。
「俺は別に身の回りの世話係が欲しかった訳じゃあないんだ。……あの日。倒れてるハリを見つけてここに連れてきた時、あんまりにも無口だったのが気になってさ」
「……」
「そのまま何日もずっとそんな感じだったからどうしても話をしてみたい、出来れば仲良くなりたいなって。それでつい側近にしたい! なんて言ったわけで、俺はハリがそんな風に思ってたなんて驚いたよ」
「そうなんですか? 私は何時も…」
「そんな堅苦しくなるなよ。それにハリは凄く優秀だよ! 本当は俺の側近だなんて勿体ない位だ。なんならもっと色々教えてくれないか? ハリの事」
嬉しさを隠しきれず更にハリへと問うた。
「私の、事で?」
「何でもいいよ、何かあれば」
ハリは少し間を置いてから控えめに口を開いた。
「……では、
「
「何故、今年の主役は南瓜なのでしょうか…」
「へ?」
「昨年は葡萄だったと聞きました」
「ああ、確かにそうだったな。それが?」
「……特に。どうという事はないのですが、葡萄だった昨年は祭りの間街の至る所で搾りたての葡萄酒が道行く人々に振舞われたそうですね。それを思うと昨年居なかった自分に、、いえ…。何故今年も葡萄が主役では無いのかが実に残念でなりません。私としては何年も寝かせて熟成した葡萄酒が好みです。しかし搾りたてと言うのにはやはりとても興味を駆り立てられます。何故なら…」
ハリが真顔で語り出し、呆気に取られる。
「ふっ…くくっ! ハリ、お前って本当に葡萄酒が好きだよな! よし、じゃあ今度また二人で美味いのを飲みに行こう」
「それは良いのですが、飲みすぎは禁物ですよ」
「なんだよ、そこは手厳しいまま?」
頑なな態度に苦笑するもこうしてたくさん話すことによってハリの記憶が少しでも戻れば……。とラインアーサは思った。会話を続けながら動きやすい服に着替え、少し長い襟足の髪を結ぶ。
「本当にハリには感謝してるよ。姉上を探しに旅をした四年間はもちろん。当時、内乱や様々な理由で皆王宮から居なくなってしまって心細かった俺にはすごく嬉しかったんだ」
「へえ…。そうだったんですね……」
「その分の恩を返させてくれ。俺、ハリの家族も必ず捜し出すよ」
「ありがとうございます。……そう言えば満足する?」
突如、耳元に冷たく抑揚のない声が響いた。
誰の声なのか一瞬理解出来なかったが、此処には自分とハリしか居ない。振り向こうとした瞬間、白く長い腕によってそれは阻止された。そのまま壁に押しやられ、妙な緊迫感が走る。
「……ハリ?」
「ねえ。今から何処かに行くの? それより僕ともっと楽しい話をしない?」
「……」
横目に垣間見える口元は薄らと笑みを浮かべていた。喋り方や表情があからさまに通常時のそれとは一変している。
「ラインアーサ……。君のお節介には全く呆れるね。……ほんと、下らない」
ハリは語尾を強目に吐き捨てると、ラインアーサの髪紐を指で引きつまみ一気に解く。解かれた髪がはらりと首筋にかかった。
「何っ、するんだよ…!」
「アハハ。怒った? 髪紐、返して欲しい?」
「……ハリ、お前まさか記憶…」
「はあ、記憶ね…。そんなのもうどうでもいいや。あんな家族別に要らないし…っ!? …っうぐ、っぁ…!!」
投げやりとも取れる興味なさげな溜息を吐いたハリだが、急に額を抑え苦しみ出す。
「おい、大丈夫なのか!?」
「うう…! ぐっ、ああ…っ」
「ハリ! しっかりしろ…! ハリ!!」
目の前で頭を抱えながら苦しむハリの姿に狼狽する。このハリの痛みにはラインアーサの術も何も、ほとんど効果が無いのを知っているから尚更だ。
「……あ、あぁ…っ…」
「待ってろ今救護を」
「大…っ丈夫、です…。ライア……」
その場で片膝を付いたままのハリが弱々しい声でそう訴えてきた。
「でも!」
「お構いなく…っ」
「構うなって、すごい汗かいてるじゃあないか…! すぐにでも医務室で診てもらった方がいい」
「いえ、本当に平気です。一時的なもので何時もすぐに収まりますから」
「一時的ってこれは普段から頻繁に起こるのか? それにさっき俺の事をラインアーサって呼んだけど、もしかして記憶が…?」
「私がライアの事を真名で? ……呼びましたか?」
「今確かにそう呼んだ…」
「何を言って…っ痛」
「わ、悪い! 無理はするな。とにかくお前は今から俺と医務室直行だからな」
大丈夫だと澀るハリを連れ医務室へ移動するとそこでジュストベルと遭遇した。
「おや。ラインアーサ様にハリ殿」
「ジュストベル! 丁度よかった、ハリが例の頭痛で……いつものお茶を淹れてくれないか?」
「ライア、私は本当に大丈夫ですから…」
「その慌てた御様子。何か、御座いましたか?」
「ああ、ついさっきハリの様子が…」
丁度医務室に居合わせたジュストベルに先程の事を話す。やはりここ最近、ハリの頭痛は以前よりも頻繁に起こっているとの事。しかし今回の様なハリの急変は初めてらしい。
そんな中ジュストベルは落ち着いた動作で手際良く香草茶を淹れ、ハリの前へと差し出す。薬師のエルベルトとジュストベルが香草や薬草などを調合した特殊な茶葉は気持ちを落ち着かせ、痛みを和らげる効果がある。
ハリは小さく感謝を述べるとお茶を口にした。その様を見てラインアーサも一息つく。
「ありがとうエルベルト先生。ジュストベルも居てくれて助かった」
「いいえ。あとはこちらにお任せ下さい」
「ああ、悪いけど頼むよ。そうだ俺、姉上に呼ばれていたんだった。すっかり忘れる所だったよ」
「……すみませんライア。落ち着きましたら私もそちらに向かいますので」
「ああ。無理だけはしないでくれよ、ハリ」
「はい」
とりあえず二人に任せればハリのこの頭痛は心配ない。しかし帰国してから症状が酷くなっている様に感じるのは気のせいではない筈だ。
エルベルトとジュストベルは歳が近い為、昔から仲が良い。時間が合えば趣味のお茶などを持ち寄り語らう仲だ。多忙な二人の休息も奪ってしまったな、と内心謝りながら姉の待つ食堂に向かった。
「そう言えば何で食堂なんだ? 最近調子良さそうだけど体調は大丈夫なのかな?」
ふと疑問に思いつつ歩みを勧めてゆくと目的地に近づくにつれ甘く良い香りがしてくる。しかし食堂の大きな扉は閉じられていた。いつもは開け放たれているのだが、と更に疑問が浮かぶ。
控えめに扉を叩くと中からどうぞ、と明るいイリアーナの声が返ってきた。扉を開くと同時にふわりと甘い香りがラインアーサの鼻を擽る。目の前には色とりどりの焼き菓子がずらりと並んでいた。それはどれもラインアーサの好物ばかりだ。
「や、焼き菓子が……たくさん!! ……姉上! この焼き菓子ってもしかして…」
「そうなの!! 今日はアーサの誕生日でしょう? 朝早くからリーナと二人で用意したの」
「アーサ様、おめでとうございます!」
リーナがすぐ側で嬉しそうに笑っている。イリアーナが行方不明になったのをとても気に病み何時も何処か申し訳なさそうに寂しそうにしていたリーナ。イリアーナが無事帰国し、やっとリーナにも本当の笑顔が戻ったのだと嬉しさで心が震える。
「アーサ? まだまだたくさんあるのよ。私がお祝い出来なかった十一年分の想いを込めて作ったの…」
「……姉上、リーナ。ありがとう! すごい嬉しいよ。俺たくさん食べるから」
にしてもものすごい品数の焼き菓子たち。とても一人で食べ切れる量では無い。そうだ…、と一つ提案しようとしたがイリアーナも同じ考えだったらしい。
「そうだわ! せっかくたくさん作ったのだし、ささやかだけどもみんなも呼んでお祝いパーティにしましょう!」
「俺も丁度そう思ってたんだ。じゃあ俺はみんなの事を呼んでくるよ」
「お願いね。あ! アーサ、待ってちょうだいっ!!」
「んん? そんな大きな声でどうしたんだよ姉上」
踵を返そうとした所、何やら含みのある笑みを浮かべているイリアーナに呼び止められた。
「あのね。そのぉ…、スズランちゃんも呼んで来ていいのよ?」
「なっっ!? 何で姉上がスズランの事知ってるんだよ!?」
「うふふ、ちゃんとジュリから聞いてるんだから。そろそろ私にも紹介して欲しいものね?」
イリアーナは昔から色恋の事になると少しませていた様な気がしていたが、あんなにもにこやかに紹介してほしいと頼まれてしまえば断りようもない。
「───ったく…、ジュリの奴!! また余計なことを…」
と思いつつも浮き立つ心は正直だ。
しかし収穫祭の本祭である今日、
何時もの様に王宮の横庭から森を抜け
「……スズラン!!」
「っ…ライア! どうしたの? お店のお手伝いは昨日までって聞いてたのに、びっくりした… 」
ラインアーサの突然の登場に驚くスズラン。会えると思ってなかった分純粋に嬉しい。しかし、唐突に今日が自身の誕生日だと伝えるのは何となく照れくさいものだ。
「……あのさ。姉上が焼き菓子をたくさん作ったんだ。それで、その。皆にも紹介したいし、良かったら夕方パーティに来てくれないか? 今日、実は俺の誕生日なんだ」
「えっ、王宮のパーティ? わたしが行ってもいいの?」
「もちろん! スズランに来て欲しいんだ」
「しょ、紹介ってその……あ、でも今日は
「そう、だよな…。ここは人気の店だし。仕事で忙しいなら仕方ないよ」
忙しいのは分かっていたし、昨日まで手伝いに来ていたからそう簡単に仕事を抜けられないのも知っている。それでもスズランの顔が見たくて誘いに来てしまった。
「ライア、お誕生日おめでとう」
「ありがとうスズラン」
「誘ってくれたのに。お祝いに行けなかったらごめんなさい」
「ん、いいよ。焼き菓子なら後でまた届けに来るから」
自然と見つめ合う。柔らかい髪を梳く様に触れると切なそうに眉を下げるスズラン。少し潤んだ瞳を覗き込むとそれを隠す様に瞼が閉じられた。今にも唇と唇が重なろうとした瞬間、刺々しく苛ついた咳払いに遮られる。
「行って来れば!? ったく」
「セィシェル!!」
「お前、いつからそこに…!」
ラインアーサを無視して話を進めるセィシェル。
「スズ一人居ても居なくても、店はぜんっぜん平気だし」
「っ…それって……じゃあ、行っていいの!?」
「はぁ。親父には言っといてやるよ、しょうがねぇな…」
「ありがとうセィシェル!!」
ぱっと花が咲く様に笑顔になるスズラン。しかもそのままセィシェルに抱きついたのでラインアーサは心做しか衝撃を受けた。同時に言われのない悔しさの様なものが沸き起こる。簡単に言ってしまえば嫉妬だ。
「な、何だよ! あんまりくっつくなって!! べつにっっ、俺の目の前でイチャイチャされるよりかはマシなだけだし」
「でもありがとう!」
「じゃあ、もう俺は仕込みに戻るからな!」
「まってわたしも一回戻って着替えてくる…! ああっ! でもわたしライアにお祝いできる物何も持ってない、どうしよう…」
「……そんな事ない。何なら今貰う…」
「え? もらうって、、何を…!? ……っん」
セィシェルが
「……ん。スズラン」
「ふあ、、っ…ライア!?」
「ごめん。待ってるから着替えておいで」
蕩けた表情のスズランを見たら急に気恥ずかしくなり、そう言って誤魔化した。
「……うん、待っててね」
スズランも両頬を赤く染めながら自室に続く階段を駆け上がって行った。
またしても余裕のない格好悪い所を見せてしまった、と反省しつつ階段横の壁に凭れ掛かる。分かっていてもスズランの前ではなかなか自制がきかないのだ。もう少し落ち着いた所を見せたいのだがどうも一人で空回ってしまう。
あれこれ考えながら小さく唸っていると頭上から声をかけられた。
「……ライア? ごめんなさい待たせちゃった?」
「へ? ……あ、いや全然待ってない!! 俺の方こそ急かして悪かっ…た…!?」
階段を見上げると傾き始めた太陽を背にし、淡く煌めくスズランの姿があった。以前ラインアーサがどさくさに紛れ強引に贈った白いローブを着ている。
今にも夕陽の光に溶けそうなその姿が眩しくて眼を細めた。
「……やっぱり、、変?」
「まさか! いや。その服、本当に似合ってる……可愛いよ」
「あ、ありがとう。わたしが持ってる中でいちばん素敵なのってこの服なんだもの…」
少し照れながら、それでも嬉しそうな笑顔でそう答えたスズランが可愛いくてどうしようもない。思わず階段の下で両手を広げた。
「おいでスズラン!」
「うん!」
愛らしい笑顔で頷き階段を駆け下りてくるスズラン。しかしローブの裾が邪魔したのか躓きラインアーサ目掛け急降下。
「…っきゃあぁ…!」
咄嗟に受け止めそのまま抱きしめた。
「おっと! 大丈夫か? 怪我は?」
「ぅう…っ平気! ありがとう…。ひらひらしてるのってやっぱり慣れなくって」
「ドジだな、スズランは。でもローブなんてそのうち慣れるよ。それに慣れるまで俺が隣に居るから大丈夫」
「? どういう意味?」
スズランが不思議そうにラインアーサの顔をのぞき込む。
「なんでもないよ。ほら、まだ少し時間があるから見に行こう」
「? ……見に行くって何を?」
「もちろん街を」
「え!! 今から街に出るの?」
「そう。前にあまり街に出ないって言ってただろ? 今日は
「わぁ……嬉しい! あ、けど大丈夫かな。今日ライアが街に出たら街の人たち…」
「ああそうか! ほらこうしとけば多分大丈夫」
ラインアーサは懐から髪紐を取り出し、後ろで一つに結わえた。
「っ…いつものライアだ…!」
「ん? 下ろしてた方いい?」
「……どっちも好き」
「ば、馬鹿! そんな事…」
「だって、どっちもかっこいいんだもん」
「ああもう…! わかったよ。本当に敵わないなスズランには」
そう言いながらもう一度唇を攫うと少し頬を膨らませじっと見つめられる。本当にこの煌めく瞳には敵わない。恥じらってばかりかと思えば、時折意志の強そうな双眸が見え隠れする。その不思議な輝きに魅せられてしまう。
「あ……雨? 傘いるかな…?」
「ん? なんだ。荷物があるなら俺が持つよ」
「このくらい平気だよ」
「駄目。ほら鞄、その傘も俺が持つ。行こう」
「……うん、ありがとう」
小雨が降り始めたが敢えて傘はささずにスズランの手を引き表通りへ出る。そこは色とりどりに飾られた街の姿。沢山の祭り客でいつも以上に賑わっていた。
「今年はまた盛大だな!」
「…っすごい人の数! それに街中とっても綺麗な飾り! 街にこんなに人がいるなんて…」
「ふふ。手はこうしてしっかり繋いでおけば迷子にならないだろ?」
華奢で細い指に自身の指を絡ませて手を握り直す。思いがけず二人で街に繰り出す事になり気分が高揚する。しかしスズランはどこか不安そうな表情だ。
「きっとお店も混んでるよね、大変じゃないかな? わたし戻った方が…」
「心配?」
「心配って言うか、みんな忙しいのにわたしだけこんなに贅沢していいのかな? って…」
「ごめんな。無理言って連れ出して」
「そんな! わたし、こうやってライアと二人で街に来れるなんて夢みたいで、それだけで贅沢って言うか……どうしよう…っ、すごい幸せ」
「そうか…! 俺もこうして二人で居れるのはどうにかなりそうな位嬉しいよ。……あいつにも今度礼を言わないとな」
申し訳なさそうに幸せだと告げるスズラン。先ほどは大人気なく嫉妬心を燃やしたのに、今は幸せそのものでそれこそ申し訳ない気分だ。
「ねえライア。雨が降ってるのに何で誰も傘をさしてないの?」
「大丈夫すぐに止むよ。この雨は年に一度降る祝福の雨だから、皆敢えて浴びてる」
「祝福の雨?」
「
「そうなんだ…! とっても素敵!」
「それと丁度この日没前の夕陽に照らされて輝く祝福の雨を浴びると、一年間健康で居られるらしい…」
「それって今降ってる雨?」
「そう…。正に今だから幸運だったかな」
言いながらスズランと空を見上げる。
山の稜線に沈みゆく太陽。紺色と橙色の雲が織り成す空模様に、一粒一粒輝きながら祝福の雨が落ちてくる。刹那的な美しさに今街に居る人々からも歓声が上がり、そして太陽が完全に山に隠れると同時に雨も上がる。
この国の民の、スズランの健康を切に祈った。
空の色が紺一色に変わってもスズランは暫く空を見上げていた。
「すごく綺麗……」
「俺も浴びたのは久しぶりだよ」
「ライアと二人で見れてうれしい!」
「……スズラン、俺…」
「あっ! あれってなんだろう?」
急に賑わう屋台の方に興味を持つスズラン。手を繋いだまま駆け出したのでその方向へついて行く。
「ああ、これは果実茶の屋台だよ」
「果実茶って甘いの?」
「飲んだ事無いなら買ってみる?」
「ほんと!?」
「並んでみるか」
シュサイラスアでは多く獲れる果実で様々な加工品が作られるが果実茶もその一つだ。きらきらと瞳を輝かせるスズランと賑わう屋台に並ぶ。
果実茶は手軽で味も種類が豊富な為、一般的かつ人気がある。目の前の屋台は有名店が出している所為か大層な人出だ。
「すごい人気だね! それに果物の甘くていいにおいがする」
「色々あるけどスズランは何にする?」
「選んでいいの?」
「もちろん」
列に並びながら果実茶を選ぶ。スズランは小首をかしげながら品目一覧を眺めては珍しく顔を顰め真剣そのものに悩んでいた。
「……うーんっと…」
「っ…くく、そんなに怖い顔で悩まなくても果実茶位いつでも飲めるよ」
「だって、全部おいしそうなんだもん。迷っちゃう」
「んー、そうだな。どれも美味いけど木苺と桃のが特に人気みたいだ」
「そうなんだ!」
「じゃあそれにしようか」
一番人気のものを推めると嬉しそうに笑うスズラン。果実茶一つでこんなに笑顔を見せてくれるのなら毎日でも連れて来たくなってしまう。
「うん! ありがとう。ライアは?」
「俺は蜂蜜と檸檬のやつ…」
「わあ…、そっちもおいしいそうだね」
「じゃあ二人で分けよう」
「うん…!」
注文後、果実茶を受け取る。広場に面した場所に屋台が出ていたのでそのまま広場中央の噴水でひと息つく事にした。
二人で噴水の縁に座ると背中に伝わる流水音と冷たい空気が人混みの疲れを癒してくる。
「疲れてないか?」
「全然平気!」
「良かった」
蓋の付いたグラスを細い硝子の管でかき回すと、お茶が氷と果実を揺らし耳に心地の良い音を出す。
「キラキラしてるね…」
「ん?」
「果実茶が今日のお祭りの街みたいにキラキラしてて本当に綺麗…。飲むのがもったいないくらい」
「
「……また一緒に来たいな」
「いつだって連れて来てやるよ! ほら、冷たくて美味いから飲んでみるといい」
「うん、ありがとうライア! いただきます」
また二人で街に来る口実が出来たと内心浮かれてしまう。しかし突然ガシャンと硝子の割れる音に次いで子供の泣き声が浮かれた気分を見事に掻き消した。
「う、うぇえええん! ままぁ!!」
小さな子供が人混みでつまづいたのか、転んで果実茶のグラスを落としてしまったらしい。
見る間にスズランが目の前で泣いているその女の子に駆け寄っていた。
「あっ! 待って、割れたのに触ったら危ないよ」
「だってぇ……せっかくママにかってもらったのに……ふえぇ…っ」
「えっと、お母さんは? えっ、ああっまって…、泣かないで……あ! ちょうどおんなじのあるの、ほら!」
「……いい。だってそれじゃあおねえちゃんのがなくなっちゃうもんっ…」
見た所傍に親が居ない。はぐれて迷子になったのか。スズランが必死にあやすものの今にも女の子は泣き出しそうだ。
「ここにもう一つあるから大丈夫だよ」
「……ライア!」
「…!? …っ…!」
二人の横に屈み、持っていたもう一つの果実茶を見せると女の子はラインアーサとスズランの顔を交互に見やる。驚き、見開かれた瞳。どうやら涙は引っ込んだ様だ。
「俺たちは半分こするから心配ないよ。な? スズラン」
「……で、でも」
「うん。わたしは平気だよ! それよりも転んだ所、ケガはない?」
大丈夫と頷く女の子を噴水の縁に座らせた。その前に屈み込み、木苺と桃の果実茶を手渡すスズラン。
女の子の名はリタ。母親を見失い迷子になってしまったのと、歳は五歳だと教えてくれた。
「ありがとうおねえちゃん…!! これ、ほんとに飲んでもいいの?」
「どうぞ!」
「っ…わあ! つめたくておいしい~」
リタは待ちきれず果実茶に口をつけると嬉しそうに頬を綻ばせた。一番人気の評判は伊達ではないらしい。
「良かったぁ」
「俺やっぱりスズランの分もう一つ買って来るよ」
「ううん。わたしはまたライアと来れるもん」
「そうか? ……じゃあまた必ずな」
「うん! 約束ね…!」
そう言って愛らしい笑顔を見せるスズランに微笑み返すとつられたのかリタもにこりと微笑んだ。並んで座るスズランとリタの前に立ち、周りを見渡すと先ほどよりも人出が増して来ている。
「よし、飲み終わったらすぐ母親を探そう。物凄く込み合ってきたから少し急がないとな」
「リタちゃんのママ、早く見つかるといいね」
「うん…」
安心したのかリタはスズランに懐き、甘える様に体をくっ付けた。
「どうしたの?」
「おねぇちゃんいいにおいするね」
「ふふ、そう?」
二人を見やり、もしスズランが母親になったらこんな感じなのだろうかと一人で勝手な妄想をしてしまう。ごまかす様に慌てて果実茶を飲むと甘く爽快な香りが口の中に広がる。
「っ…こっちのは蜂蜜と檸檬が効いててうまいな! ……あー、これ後はスズランに全部やるよ」
「え! ライア、一口でいいの?」
「ああ、本当に美味いからスズランも飲んでみて」
そう言ってグラスを強引に手渡す。
「ありがとう。ん……爽やかで、でも甘酸っぱくてすごくおいしい!」
「だろ? 良かった!」
自身の好物を気に入って貰え不思議と嬉しくなる。美味しそうに果実茶を飲む姿を満足げに眺めているとスズランがグラスを差し出して来た。
「本当にとってもおいしいから、やっぱり二人で半分こ! ね?」
「はあ…。俺が敵わないの分かってる癖に。じゃあ、もう一口だけいただくよ」
グラスは受け取らずそのまま硝子管に口を付け一口だけ頂く。何故か先程よりも特別甘く酸っぱい。
「 ……ねぇ。おねぇちゃんは、アーサさまのこいびとなの?」
「えっ!?」
「え!!?」
何やら直球な問に危うく果実茶を吹き出しそうになった。聞き間違いでなければ今、リタの口からアーサとか恋人と言う言葉が飛び出した様な。
「ま、待ってリタちゃん?! ち、違うの、この人は…」
「ゲホッ…! そう、俺はライアっていうんだ…」
「うーん、そうなのー?」
そう言ってラインアーサの瞳を除きこんでくるリタ。やはり聞き間違いではないらしい。もはや子供特有の純粋な眼差しに負けそうだ。
「ああ、よく似てるって言われるけど……」
「ライア…。大丈夫?」
「あ、ああ」
「でも、やっぱりお目目の色がおんなじだよー?」
子供の目は誤魔化せないと言った所だろうか。しかし今、それも街の広場のど真ん中で己の正体を明かす訳にはいかない。シュサイラスアの民は、驚かせる行事やこういったお祭り騒ぎを好む民族性。舞い上がり確実に揉みくちゃにされてしまう。そうなるとスズランに危害が及ぶ可能性も出てくる。やはり
それでもリタの眼をそらさず必死に否定する。
「リタ。違うんだ。俺たちは…」
「わかったー! ないしょなんだ? スズランおねえちゃんとひみつのでぇとしてるんだね!」
「っ…!!」
「デ、デート……なの?」
ないしょ話の様に可愛らしい仕草で話すリタ。しかし内容は的確だ。
何も言えずに居るとリタの顔がぱっと明るくなり、そのまま立ち上がると大きく叫んだ。
「ママ…っ!!」
「リタッ!! あなた…っ何処に行っちゃったのかと…! 本当に探したのよ!? 駄目じゃあないのこんなに人が多いのにうろちょろしちゃあ」
「だってふんすいのお水がとってもきれいだから、ちかくで見たかったんだもん」
「もう~あなたって子は! 本っ当に見つかって良かった……あ、あの。ありがとうございます、うちのお転婆娘がとんだご迷惑を」
リタの母親がこちらに気付き、深々と頭を下げる。
「あ、いや俺たちはなにも…」
「ママ! リタね、転んでお茶こぼしちゃったんだけどおねえちゃんたちがあたらしいのくれたんだよ!」
「ええ?! 何やってるのよリタ。あ! 今すぐお茶のお代を…」
リタの母親が何度も頭を下げ、あまりにも申し訳なさそうにするのでラインアーサは心配させまいとにっこり笑顔を浮かべた。
「いえ、大丈夫ですよ」
「えっ! そんな…って、あら? あの、失礼かとは思いますが貴方よくアーサ王子に似てるって言われませんか? 娘が帰国の時の
「……もー! ママ。おねえちゃんたち今でぇと中なんだからリタたちおじゃま! そろそろいこ!」
「あ、ああ。そうよね、ごめんなさい。それに本当にありがとうございました。助けて頂いたのにこれ以上二人のお邪魔をしたらいけないわね。でももし貴方が本当にアーサ王子だったらサインの一つでも欲しい所だわ! うふふ」
「あはは…」
「ママったら! 早くあっちのお店もいこうよ 」
リタは何度も頭を下げる母親の手を引っ張ると祭り客で賑わう人混みの中に消えていった。その一瞬前に振り向きラインアーサとスズランに向け笑顔で小さく手を振った。結局リタにはばれてしまっていたらしい。
「なんだか逆に助けられたみたいだな…、はは」
「ほんとびっくりしちゃったけど、リタちゃん可愛かった!」
「ああ。あんなに小さいのにしっかりしてるんだな」
「……うん…。でもちゃんとお母さんが迎えにきてくれて良かった。一人ぼっちって本当に心細いもの…」
「……!!」
寂しそうな横顔にはっとする。
自分の事を捨て子だと思っていたスズラン。迷子のリタと幼い頃の自分を重ねたのだろうか。
「……あ、何でもないの! ただ本当に良かったなって…」
「スズラン…」
「……大丈夫、前にライアが教えてくれたもん。ちゃんと信じてるよ。わたしは捨て子なんかじゃ…、あれ? ……ごめんなさい。ち、違うの。……見ないでっ…」
そう言うとスズランは俯いてしまった。ひたむきに涙を隠す姿がいじらしくてそっと胸に抱き寄せる。ラインアーサは優しく頭を撫でる事しか出来なかった。
暫くそうしている間にすっかり夜の帳がおり、辺りはいっそう煌めき始める。南瓜のランタンが妖美な光を放ち普段とは別世界の夜の街。
祭り客の喧騒の中でそっと愛しい名前を呼ぶ。
「───スズラン」
「……ごめんなさい突然泣いたりして」
「相変わらず泣き虫だな。大丈夫だよおいで。そろそろ戻ろうか」
「うん」
漸く泣き止んだスズランをもう一度強く抱きしめ、とても小さな声で囁く。
「……不安にさせてごめん…」
「んん…、ライアっ…今なんて言ったの?」
「さあ、本格的に冷える前に行こう」
「……あ、まって」
「ん。ほら」
再びスズランの手をしっかりと握り、人混みの中を縫って歩く。
多種多様な屋台、大道芸や音楽隊の奏でる陽気で情熱的な音楽、音楽に合わせて華麗に舞う踊り子たち。
祭りは最終日の後夜祭に向けて徐々に盛り上がってゆく。先程から少し元気の無いスズランとは対照的だ。
「……今日は街に連れ出してくれてありがとう」
「どういたしまして。少しでも祭りの気分を味わえた?」
「うん」
「なら良かった…」
どうにも途切れがちな会話だがなんとか
「……スズランは俺と初めて会った日の事覚えてる?」
「もちろん…! ライアが帰国した時のお祭りの日にここの森で」
「そうか、そうだよな…」
「わたし勝手にライアのこと警備隊の人と勘違いしちゃって、本当にごめんなさい!」
「俺の方こそごめん…、でも懐かしいな。まだそんなに経ってないのに」
「っ…わたし、あの時はライアとこんなふうになるなんて思ってなかった…」
「……俺は…。此処でスズランと会った時、運命なのかと思ったよ」
「運命…?」
「果たせなかった約束を、今度こそ守る為の」
確かめる様にそう口に出すと一気に気持ちが固まった。もう二度とこの手を離したくない。繋いでいた手を握をもう一度強く握り返す。
「約束って? それに、ライアはいつからわたしのことを知っているの?」
「……」
「わたし、ライアの事もっと知りたい…!」
先ほどまで落ち込んでいたスズランだが今はしっかりとした眼差しでラインアーサ見据える。その瞳は強く輝きを放っていた。
小川に架かる小さな石橋の上。
見つめ合う二人の間にふわりと心地の良い風が吹きそよいだ。
⌘ 収穫祭 ⌘ 終