決意と前進
文字数 13,880文字
───再来月に迫る収穫祭に向けて国中がその準備で慌ただしい。一年でシュサイラスア大国が最も騒がしくなる時期だ。
王宮でも祭りの支度は着々と進められていた。
例の事件を解決させたあの次の日から早くもひと月半。ラインアーサは日々酒場 に通いつめている。未成年者の誘拐は収まった。だが、スズランが狙われていると言う現状から、ラインアーサはその護衛と酒場 の手伝いを自ら申し出た。
本来であればスズランを王宮にて保護するのが一番妥当だ。しかしどうしても本人が首を縦に振らず、頭を悩ませていたが店の手伝いがてら出来るだけ傍にいる事にしたのだ。
「マスター! 今日も裏の方は全て片づけておいたよ。食材の仕入れた数の確認も大丈夫だ」
「有難うございます! 貴方様に毎日こんな雑用を押し付けてしまって、本当になんと言っていいのか」
「いいんだって! 俺がやりたくてやってる事なんだし、それに毎日スズランに会えるから嬉しいよ」
軽い口調のラインアーサだが、やはりユージーンは気後れした様に続けた。
「しかしもうひと月以上も。やはり王宮で…」
「親父! スズを守るのは俺の役目って言ったろ。わざわざこいつに頼まなくたって平気だ!」
耳を突く怒声で唐突に話が遮られる。この話題になると必ずと言って良いほどセィシェルが割り込んでくるのだ。
「セィシェル。お前の気持ちも分かるがこれはスズの問題だ。それにアーサ様に無礼を働くんじゃあないとあれほど言っているだろう?」
「ふん。何が王子だよ…! あんたちっとも王子らしくないからとんだ拍子抜けだぜ」
「はは、良く言われるよ。じゃあ俺はスズランの傍に戻るよ」
「お願いします、アーサ様」
「ちっ! ロリコン変態王子め」
去り際に悪態を吐かれたが、敢えて聞こえなかった事にした。しかしユージーンの拳骨がセィシェルの頭に落ちた音ははっきりと聞こえたのだった。
貯蔵庫で食材の仕入れ確認をしているスズランを見つける。帳簿とにらめっこしながら数を確認している小さな背中にそっと近づき、そのまま静かに抱きしめた。
「っひゃぁあ!? ラ、ライア!! びっくりした……。あっ、どこまで数えてたのかわからなくなっちゃった」
「ん? それ、もう確認したから大丈夫だと思うよ」
耳元で囁くとスズランは頬を紅潮させた。
「そ、そうなの? じゃあ裏庭の片付け…」
「それももう終わらせた」
「お洗濯の取り入れ…」
「終わってる」
「えっと、今日はいつもより早いね」
「少しでも多くスズランと一緒にいたくて早めに終わらせたんだ。……駄目だった?」
「そ、そんな事ないけど。あの……ライア、そろそろ離して…」
腕の中で恥ずかしそうに身動ぎするスズランが可愛くて少し意地悪をしたくなる。
「どうして?」
「どうしてって…。ええっと、その、セィシェルが来ちゃう」
「あいつに見られたら駄目? 俺、実はこの後すぐに仕事があって今日は店に寄って行けないんだ。だからもう少しだけ」
「え!? もう帰っちゃうの?」
「そう、残念だけどこの後夜遅くまで外せない公務が入ってるんだ」
そう告げると今度はあからさまにしょんぼりと寂しそうに俯く。
「そうなの……」
「そんなにがっかりされると離れがたいんだけど」
「だって、もう帰っちゃうなんて」
「スズラン…」
落ち込む姿さえも可愛らしい。堪らず首筋に唇を落とす。
「っひゃ!!」
「本当はもっと一緒に居たい」
「わたしも、もっとライアと一緒にいたい」
「ああ、もう。そんなのますます離れがたくなるだろ」
互いの素直な想いが伝わる。
「…っ」
「スズラン…?」
「……ライア」
「ん?」
急に振り向いたスズランが背伸びをしながら胸元を掴んできた。次の瞬間、暖かい唇が頬に触れる。───以前もこんな事があった。
「ライアがさみしくないおまじない…!」
しかし今回はそう言ってふわりと微笑んだ。その笑顔がどうしようもなく愛らしくて、顔に熱が集中するのがわかった。同時に理性の箍 が緩む。
「っ…ずるい…」
「だって、きゃっ」
「……仕返し」
「あっ? ん…っ! だ、だめ……もうすぐ集荷の、じかんだからっ…」
「俺にもさせて…、おまじない」
壁際に追い詰めて腕の中に閉じ込める。細い腰の曲線を掌でなぞるとスズランは身体を密着させてしがみついてきた。
「や、ぁ…っ、まって……ライア…っ」
薄暗い貯蔵庫の灯の中、甘い香りに意識が支配されていく。
「いいよ、俺に捕まってて」
「ぁ……んっ」
「……スズラン」
スズランの柔らかで抱き心地の良い身体を思う存分味わう。
「ふぁあ…っ!?」
「力抜いて…」
首筋や胸元の露な部分に舌を這わせ唇で強く吸いあげると、まっさらな素肌に赤い花弁が散った。
「……痛っ…ぁ、…!」
「ん……大丈夫か?」
「っ…へいき…、あれ……た、立てない…」
その場にへたり込んでしまったスズランを優しく抱き立たせるも口元が緩む。
「まいったな……」
「意地悪! またそうやってからかって…」
対してスズランは真っ赤な頬を膨らませちっとも迫力の無い潤んだ瞳で睨み上げてきた。その煌めく瞳に捕らえられるともう駄目だ。
「からかう? 俺は初めからずっと本気だけど」
「っ…! なんか頭がふわふわして……もう! 今からお仕事なのに」
申し訳無いがそんな浮ついた状態では仕事にならないだろう。
「ごめん。でも俺には好都合…」
「え? どうして…」
「いや、別に」
以前から感じていたがこの酒場 の給仕服はどうも露出が高い。このひと月の間、他の男客の目に触れない様にと裏で様々な小細工をして来た。日頃から同様に地道な努力をしてきたであろうセィシェルに共感してしまう程だ。
もう一度瞳をのぞき込み、自然と互いの顔を近づけた。だが唇が重なる寸前、調理場から聞こえてきた声に邪魔をされる。
「スズ、居るか〜?」
「残念。時間切れ……俺もそろそろ行かないと」
「ライア、まって……ん…っ」
さらう様に口づけると頬が更に朱に染る。先程からくるくると変わる表情に思わず目を細めた。
「明日また来るよ。店の敷地から一人で出るなよ」
「……うん」
「じゃあ、いい子でな」
別れ際、再度額に唇を落とし裏戸口へ向かう。階段を登り切った所を丁度貯蔵庫へ入っ酒場 て来たセィシェルに見つかった。
「スズ! なんだここに居たのか。今日はあんまり混まなさそうだから裏方中心に頼むな…って、 おい。あんたはもう帰るのか? やけに早い……っ! ちょっと待て、この野郎。さてはスズに何かしたな!?」
「ああ、はいはい。俺は今から帰る所だ。くれぐれもスズランの事頼むよ。じゃあなセィシェル」
「帰れ! そんなのあんたに言われなくたってちゃんと俺が……んんん!? ……スズ。今日仕事はもういい、部屋にもどってろ」
「え、どうして?」
「むっ、胸元の痣…! あと、そんな真っ赤な顔で接客が出来るかっての! 鏡見て来いよ、ったく!」
「えっ!?」
「くっそ……あんの変態ロリコン野郎~!!」
酒場 を後にしたラインアーサは日に日に強まる独占欲に自省していた。いくらこの後一緒に居れないからとはいえ大人気もなく目立つ所へ所有印まで付けてしまう始末。
「やり過ぎた…。いや、あんな顔されたら……駄目だな。最近本当に抑えが利かない…」
何も知らない無垢なスズラン。
だからこそ、その真っさらで純白な生地を自身の思い通りに染めていく……。そんな感覚が堪らない満悦感を生み出す。
口づけした後、その先をねだる様な表情はぞくりとラインアーサの理性を逆撫でる。幼さの中に見え隠れする色気。あの顔を知ってしまってから身勝手な感情が芽生えた。そうした想いは会う度に増幅してゆく。スズランを誰の目も届かない所へ閉じ込めて、全てを独り占めしてしまいたい程に。
「ああ、もう! 駄目だ…。スズランは物じゃあないんだ。分かってる」
これから控えている公務の為、ラインアーサは思い切り左右に頭を降り気持ちを引き締めた。
「───父上。戻ったよ」
「アーサ! 今日も彼女の所に足を運んでいたのかい? 甲斐甲斐しいね」
「……ん、まあ」
「しかし彼女は、なかなか王宮へ来てはくれないそうだね。会えないならば私の方から直接会いに行ってしまおうかな?」
「へ? そ、 それはまずいんじゃあ…。国王が城下町の酒場 へ個人的に訪問だなんて騒ぎになるだろ?」
「うーん、そうかな?」
「そうだよ!」
「そうか。久しぶりにあの酒場 で美味しい酒をご馳走になろうかと思ったのに残念だな」
「父上、行ったことあるのか?」
「……昔ね。というかユージーンは元気かい?」
「ユージーン? ってもしかしてマスターの事?」
「そうだよ。ユージーンは一癖も二癖もある口の悪い奴でね。相手するのがとても面白かったのに今ではすっかり酒場 のマスターとして落ち着いてるみたいじゃあないか! よし、今度こっそり覗きに行ってみようかな。ははは」
「あの物静かなマスターが…? 想像出来ない…」
想像は出来ないがほんの少し前その癖があり口の悪い……そんな人物に追い払われた事を思い出し、そこはやはり親子なのだろうかと無理矢理自分を納得させる。むしろライオネルが冗談抜きで酒場 に足を運びそうで笑えない。
「まあ、私とユージーンは宿敵の様な物さ……」
「宿敵? ……何で」
「さあ、昔話は終わりだよ」
「そ、そうだな。それよりも今日の公務。早く始めてしまいたい! 急ごう父上」
「アーサはせっかちさんだな。しかしこれをちゃんとこなさない限りお前はスズランさんを堂々と迎えに行けない心情だろうからね」
「そうなんだ。いつまでも逃げてないでちゃんと向き合わないと」
そんな言葉を交わしながら父と子の二人、王宮の広間へと足を運ぶ。
今晩、この広間で晩餐会が開かれる。それに合わせ正装服に着替え身なりを整えたラインアーサ。いつもの気軽な服装ではない為、嫌でも気が引き締まる。
広間に入ると最奥に設置してある豪華な椅子に座る様促されふと目線を上げるとその傍らには既にハリが立っていた。
「……ハリ!」
「今日はちゃんと王子らしく振舞ってくださいね。ライア」
「分かってるよ」
ハリと言葉を交わすのは久々だった。それどころか最近互いにこなしている仕事内容が違う為、こうしてゆっくり姿を確認する事すら出来ていなかった。それでも以前と変わらぬ口調のハリにラインアーサは何故か安堵した。
───間もなくして始まった晩餐会だが、開始早々ラインアーサは欠伸とため息を噛み殺していた。最近ずっと働き詰めで寝不足なのだから許して欲しい。表情筋が今にも硬直しそうな程によそ行きの笑顔を維持し、上品且つにこやかに微笑む。
「本日は足を運んでくださった事、とても感謝しています。貴女のお目にかかれて光栄です」
先程から機械の如く何度もこの台詞を発している。漸くそれからも開放されたと思ったが、それはまだ各々の顔合わせ兼、自己紹介が済んだだけの事だ。数にして十二名───。
その一人ひとりの自己紹介の長さと言ったらかなりの物で、それぞれのこれでもかと思う程の自己開示にやや疲れてくる。己の魅力を如何に紹介するかで競い合う女性達を目の前に、それでも笑顔を崩さなかったことを褒めてもらいたいくらいだ。
今回の晩餐会の意図。それはこの数年の間で国内外から申し入れられた見合いの相手を一度にもてなす為だ。これは自身が何件もの申し入れを放置して溜め込んだ結果だった。目的としては感謝の気持ちを伝えた後、情理を尽くした対応で〝縁談を辞退〟する為にこの場を整えたのだ。それを十二名個々に行うよりも、皆の前で同じ条件の元行いたかったのだ。
ラインアーサはそれを自身の我が儘だと自省しつつも、そうしなければならない理由があった。勿論スズランの存在だ。特別な存在である彼女に対し、無責任な行動は取りたくない。誠意を示すためには避けられない、いや避けてはいけない事だ。
ほんの数刻前、彼女と触れ合った事を思い出すと心がじんわりと暖かくなり僅かに頬が緩む。
「……ライア。今は余計な事は考えずに目の前の事に集中して下さい」
「もちろん」
内心を見抜かれたのかハリに小言を言われる始末。ラインアーサは背筋を伸ばし直した。
集まっている令嬢達は国内外から参加しており、国内貴族出身の者や国外の大きな街の領主の娘、果ては今回遠方の為出席こそ出来なかったものの焔の国 アザロア国の姫君からの書簡まで届いていた。ラインアーサの記憶が正しければ、アザロア国の姫君はまだ十代に差し掛かったばかりの年端も行かぬ少女だった筈だ。
程なくして全ての自己紹介が終わった。とは言え目の前の煌びやかに着飾った令嬢達にかけてやる言葉は決まっている。
溜息が溢れそうになるのをぐっとこらえ、椅子から立ち上がった。広間の中央まで歩を進め立ち止まる。すると一斉に視線がラインアーサへと集められた。立場上注目される事には慣れているがこれまでに無いほどの歓声と熱視線が注がれる。ラインアーサは狼狽えずに大きく息を吸い込みゆっくりと言葉を紡いだ。
「本日は忙しい中この晩餐会 に足を運んでくれてありがとう! たくさんの申し入れ、本当に感謝している。しかし皆 には謝らなければならない事があり場を設けさせて貰った」
この発言に会場がざわめく。雰囲気を察したのか先ほどまでの浮かれた様子から一変する令嬢達。分かりきっていた反応だが、ここで自身の意思を明確に開示しなければ永遠に前には進めない。丁寧に歴然と続けるラインアーサ。
「今はまだ、他にやるべき事が自分にはあるのではないか。と今回起こった事件を通して考えさせれた。───その為、誠に身勝手だと自省せざるを得ないが、縁談や婚約などの件は一度全て断らさせていただく事に決めた。本来ならば此方から出向き謝罪すべき所…。本日は、心からの感謝と詫びの気持ちを込めて王宮で腕によりをかけた宴料理を楽しんでくれたら幸いだ」
発言し終わる頃にはしんと静まり返っていた広間だが、すぐに一人の令嬢が声を上げた。
「……そんな! アーサ様、私達の中から婚約者を選んでくださるのでは無いのですか?! 私はそう思い、本日此処へ来たのです」
その一声を始めに次々と意見が飛び出す。
「そうですわ! 今は必要なくてもわたくしの一族ならばいつか必ずローゼン家のお力添えになれます! どうか!!」
「私の家は町一番の権力を持っています! 決して損はさせません!」
「わ、わたしの家門の財産だってどこの家にも引けを取りませんわ!」
「わたくしの家だって!!」
ついには富や権力で言い争いをはじめてしまった。予測出来なかった訳では無いが案の定、令嬢同士に依然として険悪な雰囲気が漂う。
今まで縁談自体に全くと言って良いほど興味が持てないでいた。その時が来たらその時に申し入れのあった数名から生涯を共にする相手を一名選び、父 ライオネルの様に国の為尽くして行くのだろうと漠然としか考えていなかったのだ。だが大切な存在と再会を果たした。その存在は初めに出会ったあの日からラインアーサの心に深く根付いており、再会してからと言うものの想いは急成長。今では守りたいという強い気持ちが開花し漸く実を結びそうなのだ。
騒然とする大広間にまたも一声があがる。
「アーサ様! どうか今すぐこのわたくし達の中から誰か一人を選んでください! そうして下さればわたくし達も納得致します!!」
「っ…! それは…」
「何故ですの?」
「なんでしたら一人と言わずに…っ! 私は側室だとしても光栄です、喜んで仕えますわ! ですからどうか!」
このままでは絶対に引けないと、哀願され選択を求められる。そこでハリがそっと耳打ちをしてきた。
「……ライア。ここは場を収めるためにも、今この中から誰か一人を選ぶのが無難かと」
「駄目だ! それじゃあこの場を設けた意味がない…。それに俺は…」
「……ですがこのままでは収拾が…」
ハリの言い分もわからなくは無い。それでも、もう自身の気持ちに嘘を吐きたくない。
今度は広間の隅々まで聞こえるように大きく声を張るラインアーサ。
「皆、自分にはもったい無い令嬢ばかりで本当に有難い。だが富も権力も側室も必要ないんだ! 俺は生涯心に決めた〝ただ一人〟を愛し抜き、大切に守りたい。その一人とこの国を盛り立てて行きたいと思っている」
ラインアーサの意見に令嬢達は一度大人しくなったもののやはり一筋縄で納得はしてくれない。
「でしたら不躾なのは承知の上ですが、わたくし達の中からその一人を選んで頂く事は出来ないのですか? わたくしはこの国を一緒に支えていく覚悟の上で此処に居りますので!」
令嬢たちの熱は引きそうにない。
「そうか……では俺には…」
既に心に決めた人がいる。
意を決してそう声にしようとした瞬間、広間の扉が大きく音を立てて開かれた。その扉の先から見知った人物がこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。何処か嬉しそうに微笑みを讃えたコルトの靴音がやけに響く。彼はライオネルの側近だ。
問題はその少し後ろを歩いてくる人物。頭の天辺から足の先まで見紛う筈が無くそれでいて愛しい、大切な存在───。
「申し訳ございません、アーサ殿下。只今もう一人の御令嬢が遅れて到着致しましたので、どうかこちらの方も晩餐会 に参加させていただきたく急いで参りました」
「……そう、だったのか」
なんとか言葉を絞り出したものの、驚きの方が大きく思考が追いつかない。変わらずにこやかなコルト。状況が飲み込めず目で訴えると、何やら微笑みながらに片目を閉じて合図を送ってきた。
「あ。これは誠に申し訳ございません! 殿下は今まさにこちらに揃っているご令嬢の中から生涯を共にする相手を御選択なさる所でしたね! もう邪魔は致しませんのでどうぞ続けてください」
突如現れ強引に流れを断ち切ったコルトに広間の令嬢たちも圧倒され押し黙る。しかしその沈黙の中、コルトの隣に居る人物がおもむろに自己紹介を始めた。
薄紅色の美しいドレスに身を包み、美しい動作で頭を垂れる。
「……フリュイ公国出身の、スズラン・フルールと申します。アーサ様、どうぞよろしく、お願いします…」
たったそれだけの短い挨拶。
髪を留め上げている為なのか普段の雰囲気とはまた違って見えた。緊張して少し声が震えているのがわかる。そのままの体勢を崩さずなかなか顔を上げようとしない。
「……顔をあげて…?」
静かに声をかけると身体を起こしたスズランと視線が交わる。いつになく瞳が煌めいて見えるのは広間の照明が反射しているからだろうか。普段のあどけなさは無く、何処となく気品さえ感じる。
「……アーサ、様…」
「綺麗だ。スズラン…」
スズランにアーサと呼ばれ不思議な気持ちになったが、僅かに震えるスズランの右手をそっとすくい取り手の甲に口づける。しかし次の瞬間広間全体がどよめいた。
「…っな、何んなのあの娘!! 後から来て…!」
「一体何処の家の者なの…?」
「フルールっていったらあの有名なフルール一族じゃないかしら?」
「まさか…! だってフルールといったら一族の血を守る為他族とは交わらないって噂じゃない」
「じゃあ……でも…」
その様な憶測が飛び交う中、ラインアーサは自己紹介を返すのも忘れてスズランを抱きしめていた。
「…っ!!」
スズランが身体をびくりと反応させたが離すつもりはない。周囲に飛び交う悲鳴にも似た高い叫び声も、意見する声ももう耳に入らなかった。僅かに確認出来たのはライオネルとコルトの満面の笑み。ハリの呆れ顔。
スズランの胸の鼓動───。
その後運ばれて来た料理を何品か摘んだ事。その時に口にした酒がやけに極上だった事。気分が良く舞い上がっていた為かあまり憶えていない。隣でスズランが遠慮がちにしている姿もまた新鮮でラインアーサの気持ちは更に高揚していった。
令嬢たちの中にはがっかりと肩を落として帰って行った者もいれば、割り切ってそのまま晩餐を楽しんでいる者もいる。
ライオネルとスズランが楽しげに会話しているのを眺めながら幸福でふやけそうな顔を引き締めるラインアーサ。
「今晩はお目にかかることが出来て光栄だよスズランさん! 君とずっと会ってみたかったからね。少し強引だったかな? でもこうして足を運んでくれてとても嬉しいよ」
「あっ、あの! そんなっ…身に余るお言葉です陛下。わたしの方こそこうしてお呼びして頂いてとても、とても感謝をしています」
そんなライオネルとスズランのやり取りさえも何処かふんわりと耳に入って来る始末。嫌でも口元が緩みはじめる。
「アーサ! 何惚けているんだい? そんな事ではちゃんとスズランさんをエスコート出来るのかな?」
「も、もちろん!! ちゃんと俺が付き添うよ。おいでスズラン」
「あっ…」
強引にスズランの手を取ると急ぎ足で広間の大窓に向かい開け放つ。そのまま横庭に降りる階段付きの露台 へと出た。
外に出ると外気の冷たさで思考がはっきりとしてくる。一瞬、スズランが身を震わせた。
「寒い?」
「……ううん。平気」
「また風邪を引くから無理は駄目だ」
「……」
しかしスズランは無言で頭を横に振った。どことなく顔色が冴えない様に見える。
「スズラン…?」
「……あの、わたし。王宮に来て大丈夫だった?」
「それは凄く驚いたよ。まさかスズランが俺の目の前に現れるとは思ってもいなかったんだ。でもすごい嬉しい…。言葉に出来ないくらい」
「お仕事ってこの晩餐会 の事だったんだね」
気恥ずかしいので晩餐会の事は秘密にしておきたかったのだが本人が参加してくれたのだから隠す必要もない。
「そうなんだ……俺、この晩餐会 を終わらせてちゃんとスズランを迎えに行こうって決めてたから。でも先を越されてしまったな…。スズランが来るって知ってたらもっとちゃんとしたのに、格好悪くてごめん」
「かっこ悪くないよ… 。だってやっぱりあなたは王子様で…、すごく素敵で、眩しくて。わかってたけど、何もないわたしとは大違いで…」
「どうしてそんな事言うんだよ。やっぱり俺の事が嫌い?」
「っそんな事ない! でもわたしはただの平民で、その……子供っぽくて綺麗でもないし、全く何の取得も無いもの。ぜんぜんあなたの役に立てないなんて嫌なの…」
広間から差し込む光を背にしてスズランが俯く。露台 の手摺の前に佇むその姿さえも愛おしい。このまま儚い想いで終わらせたくはない。
「この前も言っただろう? スズランは俺に力をくれるんだって。スズランの笑顔があるから今の俺が居るんだ。だからそんな顔しないで」
「わたしの、笑顔? ねえ。ライ…っ。あ、あなたはいつからわたしの事を知っているの? ずっと昔っていつ?」
真剣な眼差しで見つめられるが、照れくさくなりスズランの鼻の頭を人差し指でつんとつついた。
「教えてあげない」
「な、なんで〜?」
「じゃあもうその事で悩まない? スズランは綺麗だよ。俺の一番だ」
「…っ」
「スズラン……」
「アーサ! そろそろ晩餐会もお開きだよ!」
今にも唇が重なる寸前という所でライオネルによる邪魔が入った。
「っ…父上」
「おや、お邪魔だったかな? 申し訳ない!」
可愛らしい仕草で小さく舌を出すライオネル。
スズランは隣で真っ赤になりながら硬直していた。良い雰囲気だっただけについ不満の声が漏れる。
「何で邪魔するんだよ…」
「悪かったよ。そうだ! ではアーサはこのままスズランさんを家まで送り届けなさい」
「……いいのか?」
「大丈夫だよ。その代わり送り狼にはならないようにね」
「なっ!? 当たり前だろ!! 何言って…」
「ははは、冗談だよ。さて、スズランさん。こんな息子なのですが、これからもよろしく頼みます」
「は、はい…! こ、こちらこそ……ょろしくお願いします!」
しどろもどろになりながらもスズランは深く頭を下げた。
「まあまあ、そんな固くならずに。今度はちゃんとした形で招待するのでまた来てくれるかな?」
「はいっ…もちろんです!」
「ふふ、とても可愛いね。良かったなぁ、アーサ! 私も嬉しいよ!!」
「ああ、もう! わかったよ父上。恥ずかしいからやめて」
終始にこにこ顔のライオネルを背に、そのまま露台 の階段を使い庭園へと降りた。
「……ごめんな、スズラン。父上っていつもああなんだ…」
「ううん。でも仲が良くてうらやましいな。それに。少し子供っぽい所が見れてなんだか嬉しい」
「ん? 俺が?」
「うん」
「何だよそれ…」
気恥しい気持ちのままスズランの手を取り、ゆっくりと歩く。庭園を突き通って何時もの横庭の石橋までやって来た。
「……国王様も優しくてとても気さくな方なんだなぁって。あなたとおんなじ、深い青色の瞳。吸い込まれそうな綺麗な色。やっぱり親子ってすごく似るんだね。マスターとセィシェルもすごく似てるもん」
「そうだな、姉上はもっと父上に似てる。今度会わせるよ」
「あっ、お姉さんってイリア様! な、なんだか緊張しちゃう……あの、前にいただいたお菓子、とってもおいしくてずっとお礼を言いたかったの」
「覚えててくれたのか?」
「あの日。あなたにお菓子をもらった時、すごく嬉しかったから」
「……スズラン」
「なあに?」
不意に立ち止まりその名を呼ぶと、少し緊張気味だが可愛らしく顔を覗き込んでくる。
「なあ、さっきからどうして俺の名前呼んでくれないの?」
「っ…だって」
「だって?」
「ご、ごめんなさい。でもあなたのこと、何て呼べばいいのかわからないの」
「今まで通り、ライアでいい…。そう呼んで欲しい」
そう言ったものの返事を待てず性急にスズランを抱きしめた。もうスズランにあの名で呼んでもらえないのかと考えたら急に寂しさの様なものが湧き上がってきた。想いのあまり腕に力がこもる。
「待って…っ苦しいよ…。ねえ」
「っ…スズラン」
「んん……っ…ラ、ライア…っ!」
「やっと呼んだな」
「むぅぅ、意地悪!」
ラインアーサは腕の力を弱め、してやったりと口角を持ち上げた。どうしてかちょっとした意地悪をしたくなってしまうのはもはや悪い癖だ。スズランはするりと腕から抜け出して一歩先を歩き出す。何やら照れている様だ。
「スズランが意地張るからだろ」
「だって…。そう呼んでいいかわからなくなったんだもん」
「俺は……そう呼んでくれると嬉しいんだ」
「でもみんなアーサ王子って呼んでる…」
「……スズラン。ライアって呼名に覚えはないか? 全く?」
「……」
そう問うとスズランは真剣に頭を悩ませながら立ち止まってしまった。
「いや。覚えていないなら良いんだ」
「待って、わたし…」
「ほら、もう着いたし俺はここで…」
酒場 の裏庭に到着したのでスズランを部屋の階段の下へと促す。するとスズランはめいっぱい眉を下げて寂しそうに呟いた。
「……ライア…っ」
「ん? なんだよ、寂しいのか?」
「えっと…、あのね。王宮とここって結構近いんだね」
「ああ、この森を通ると近道だろ? それに父上の結界が張ってあるから安全だし」
「ねえ…。もう、行っちゃうの?」
潤んだ瞳で、上目遣いで───。
もう少し一緒に居たい。互いに同じ気持ちなのだろう。だが気持ちをぐっと抑え込み、笑顔で答える。
「明日また来るよ」
「…うん。今日は素敵な晩餐会 に呼んでくれてありがとう……おやすみなさい」
「こちらこそ。凄く嬉しかったよ。来てくれてありがとう! ……おやすみスズラン」
優しくスズランの頭を撫でる。これ以上触れると歯止めが効かなくなりそうだ。しかし手を引こうとした瞬間、小さな両手により阻止されてしまった。
「スズラン?」
「……さみしくないおまじない、して」
「…っ!」
「おねがい…っ…ひゃぁ!?」
「……馬鹿」
堪らずスズランの身体を横抱きにすると一気に階段を駆け上った。そのまま部屋に入るとベッドの上にそっと下ろし真っ直ぐ瞳を見つめる。煌めく瞳に警戒心の色は無い。
「ライア…? どうし…っんん」
「……全く…っ…人の、気も知らないで…」
「……あ、っ…ん」
息継ぎも儘ならない程絶え間なく口づけの雨を降らせ、想いのままに深くしていく。
「スズラン…っ…」
「んぅ、お酒の味……」
「さっき、少しだけ飲んだんだ」
「あ、まって…! ドレスがしわになっちゃう」
「そんなの、俺が新しいの贈る」
「でも」
「……夕方の続き、してもいい?」
頬を赤く染めて恥じらいながらも頷くスズラン。首の後ろで留めてあるリボンを解 くと隠れていた胸元とラインアーサの付けた所有印が顕 になる。骨の入った下着の背中の紐を一つづつ外してゆく度、緊張感が高まる。
「……んん。は、恥ずかしい」
「大丈夫だよ、おいで。紐、全部外れた。苦しくなかった?」
「へ、平気……」
「スズラン、可愛い…」
「ぅぅ……あんまり見ないで」
留め上げていた髪を下ろすとふわりと肩にかかる様がまた何とも言えない色気を漂わせた。そのまま抱きしめて滑らかな肌を堪能する。
「肌、すべすべしてて気持ちいい」
「ぁ、ふ……くすぐったい…!」
「スズラン……俺、途中で止められなくなるかもしれない」
「わたし、ライアになら何されても平気だもん」
「っ…! ああ、もう。どうなっても知らないからな」
「っ…ン…」
勢いに任せスズランを押し倒し再び口づける。先程よりも深く、甘い唇を味わう様に。
はじめの頃は口づけても嫌がって身動ぐばかりだったスズラン。今は───。今ではラインアーサに応えてくれる。それが嬉しくて何度も角度を変えては唇を寄せる。
「俺。スズランの事、大切にする。ずっと側で守って行きたいんだ……だから、いつも俺の隣で笑っていて欲しい」
「ライア…」
「スズラン……好…」
「おっかえりスズ! 帰ってきてたんだな!!」
態とらしく大きな声を上げ部屋に入ってきたセィシェルによって、ラインアーサの告白はまたも失敗に終わった。
「……セィシェル…。お前!」
「あ、居たのかあんた」
「何言ってんだ! 今絶っ対にわざと入ってきただろ!」
「は? 何のことだかさっぱりだぜ」
「…っいい加減に」
ラインアーサもいよいよ痺れを切らし喧嘩腰な態度を取ろうとしたが、その前にスズランの悲痛な叫びが部屋中に響いた。
「〜っ! もう! セィシェルの馬鹿ぁ! 出ていって…!!」
「お、怒るなよ。な? スズ…」
セィシェルの顔面に枕が命中した。
「嫌ーー! こっち見ないでー!! もう、二人とも出ていってーー!!」
「へ? ……二人ともって俺も!?」
「ふんっざまあみろだ!」
「……」
「もう、ばかぁ…!」
スズランはベッドに突っ伏し真っ赤な顔を枕に押し付けまだ何か叫んでいる。 今日一日、一気に色々な事が起こり過ぎて気持ちが追いつかないのだろう。慣れない服で慣れない場所に来てくれてラインアーサの気持ちにも応えてくれた。今日はゆっくり休んで欲しい。
ラインアーサはスズランの頭をそっと撫で小さくおやすみと告げると静かに部屋を後にした。しかしその反面セィシェルへの憤りは収まらない。
「おいセィシェル! お前のせいで俺まで追い出されたじゃあないか」
「へんっ! 知ったことか! 俺の見える所で抜け駆けするのが悪い。このロリコン野郎」
「お前なぁ、その性格本っ当に損だぞ」
「損でも何でもスズの事を守りたいのは俺だって同じなんだからな…」
こればかりはセィシェルの気持ちも分かるだけに何も言い返せない。その強い眼差しは嘘を吐いていない証拠だ。だが、今日は何時もよりじっくりと顔を見てくる。
「何だ…? 人の顔じっと見て」
「な、何でもねぇし! 早く帰れば? どうせ明日も来る癖に」
「ああ、収穫祭 の前日までは来るつもりだ…」
「げっ、てかそんなに来て平気なのかよ。どーでもいいけど親父だって心配してたぞ?」
「げってお前な……自分の仕事は終わらせてから来てるのでご心配なく! じゃあなセィシェル」
「お、俺は心配してねぇからな!」
「はいはい。また明日な」
むきになるセィシェルを置いてラインアーサは帰路についた。セィシェルも根は真面目で優しいのだろう。しかしあの口の悪さでは玉に瑕だ。それでも何処か憎めない存在なのである。
「おかえり、アーサ。その様子だとちゃんと送り狼にはならなかったみたいだね」
「父上…! 息子に笑顔でそんな事言わないでくれる?」
「あはは、ごめんごめん。それよりもちょっとした話なんだけど今いいかい?」
またも部屋の前で待っていたライオネルに苦笑しつつも談話室へと招き入れる。
「ああ、今日は遅いしすぐに済むからお構いなくだよ」
「ふうん。で、話って?」
「もちろん彼女の事さ」
「っ…父上……まさか反対なのか? それはスズランが平民だから? そんな事言ったら母様だって……」
「アーサ、最後まで聞いておくれ。私は反対所か大賛成さ。だが彼女は……。どうもただの平民ではない気がしてね。なんと言えばいいか…」
「やっぱり…、そう思う…? 父上も」
そう返すとライオネルは複雑な表情で考え込んだ。
「……彼女は実は…。いや、今コルトがフリュイ公国について多少の調査を進めているが、彼女自身の事はユージーンの方が知っているんじゃあないかな」
「マスターが…?」
妙な言い回しの後が気になったが、そう言われればそうだと納得する。
「そう。薄々気がついて居るかも知れないが、何故この国にフリュイ公国出身のフルール族が居るのか…。どういった経緯で来たのかもね。アーサも今度ユージーンに聞いてみるといい」
「雷花の国、フリュイ公国…。フルール族」
「彼女が得体の知れない者に狙われているのもそれが関係している可能性があるからね。さて、それだけ伝えに来たんだ。あとはお暇するよ! 今日はお疲れ様、ゆっくりおやすみアーサ」
「ああ、父上こそお疲れ様。……その、スズランを呼んでくれてありがとう」
「ふふ、ちょっとしたサプライズだよ! 喜んでもらえて何よりさ」
「……本当に、かなり驚いたけどな!」
「アーサを驚かせたかったから大成功だよ!」
「全く、父上には一生敵わないよ。おやすみなさい…」
ライオネルを見送った後もスズランの身の上について考え続けたが、堂々巡りで考えはまとまらない。しかしスズランが何処の出身で何者でもラインアーサにとっては関係無かった。
この先何があっても守り抜き、彼女の平穏な日々を取り戻すという決意を新たにしたラインアーサだった。
王宮でも祭りの支度は着々と進められていた。
例の事件を解決させたあの次の日から早くもひと月半。ラインアーサは日々
本来であればスズランを王宮にて保護するのが一番妥当だ。しかしどうしても本人が首を縦に振らず、頭を悩ませていたが店の手伝いがてら出来るだけ傍にいる事にしたのだ。
「マスター! 今日も裏の方は全て片づけておいたよ。食材の仕入れた数の確認も大丈夫だ」
「有難うございます! 貴方様に毎日こんな雑用を押し付けてしまって、本当になんと言っていいのか」
「いいんだって! 俺がやりたくてやってる事なんだし、それに毎日スズランに会えるから嬉しいよ」
軽い口調のラインアーサだが、やはりユージーンは気後れした様に続けた。
「しかしもうひと月以上も。やはり王宮で…」
「親父! スズを守るのは俺の役目って言ったろ。わざわざこいつに頼まなくたって平気だ!」
耳を突く怒声で唐突に話が遮られる。この話題になると必ずと言って良いほどセィシェルが割り込んでくるのだ。
「セィシェル。お前の気持ちも分かるがこれはスズの問題だ。それにアーサ様に無礼を働くんじゃあないとあれほど言っているだろう?」
「ふん。何が王子だよ…! あんたちっとも王子らしくないからとんだ拍子抜けだぜ」
「はは、良く言われるよ。じゃあ俺はスズランの傍に戻るよ」
「お願いします、アーサ様」
「ちっ! ロリコン変態王子め」
去り際に悪態を吐かれたが、敢えて聞こえなかった事にした。しかしユージーンの拳骨がセィシェルの頭に落ちた音ははっきりと聞こえたのだった。
貯蔵庫で食材の仕入れ確認をしているスズランを見つける。帳簿とにらめっこしながら数を確認している小さな背中にそっと近づき、そのまま静かに抱きしめた。
「っひゃぁあ!? ラ、ライア!! びっくりした……。あっ、どこまで数えてたのかわからなくなっちゃった」
「ん? それ、もう確認したから大丈夫だと思うよ」
耳元で囁くとスズランは頬を紅潮させた。
「そ、そうなの? じゃあ裏庭の片付け…」
「それももう終わらせた」
「お洗濯の取り入れ…」
「終わってる」
「えっと、今日はいつもより早いね」
「少しでも多くスズランと一緒にいたくて早めに終わらせたんだ。……駄目だった?」
「そ、そんな事ないけど。あの……ライア、そろそろ離して…」
腕の中で恥ずかしそうに身動ぎするスズランが可愛くて少し意地悪をしたくなる。
「どうして?」
「どうしてって…。ええっと、その、セィシェルが来ちゃう」
「あいつに見られたら駄目? 俺、実はこの後すぐに仕事があって今日は店に寄って行けないんだ。だからもう少しだけ」
「え!? もう帰っちゃうの?」
「そう、残念だけどこの後夜遅くまで外せない公務が入ってるんだ」
そう告げると今度はあからさまにしょんぼりと寂しそうに俯く。
「そうなの……」
「そんなにがっかりされると離れがたいんだけど」
「だって、もう帰っちゃうなんて」
「スズラン…」
落ち込む姿さえも可愛らしい。堪らず首筋に唇を落とす。
「っひゃ!!」
「本当はもっと一緒に居たい」
「わたしも、もっとライアと一緒にいたい」
「ああ、もう。そんなのますます離れがたくなるだろ」
互いの素直な想いが伝わる。
「…っ」
「スズラン…?」
「……ライア」
「ん?」
急に振り向いたスズランが背伸びをしながら胸元を掴んできた。次の瞬間、暖かい唇が頬に触れる。───以前もこんな事があった。
「ライアがさみしくないおまじない…!」
しかし今回はそう言ってふわりと微笑んだ。その笑顔がどうしようもなく愛らしくて、顔に熱が集中するのがわかった。同時に理性の
「っ…ずるい…」
「だって、きゃっ」
「……仕返し」
「あっ? ん…っ! だ、だめ……もうすぐ集荷の、じかんだからっ…」
「俺にもさせて…、おまじない」
壁際に追い詰めて腕の中に閉じ込める。細い腰の曲線を掌でなぞるとスズランは身体を密着させてしがみついてきた。
「や、ぁ…っ、まって……ライア…っ」
薄暗い貯蔵庫の灯の中、甘い香りに意識が支配されていく。
「いいよ、俺に捕まってて」
「ぁ……んっ」
「……スズラン」
スズランの柔らかで抱き心地の良い身体を思う存分味わう。
「ふぁあ…っ!?」
「力抜いて…」
首筋や胸元の露な部分に舌を這わせ唇で強く吸いあげると、まっさらな素肌に赤い花弁が散った。
「……痛っ…ぁ、…!」
「ん……大丈夫か?」
「っ…へいき…、あれ……た、立てない…」
その場にへたり込んでしまったスズランを優しく抱き立たせるも口元が緩む。
「まいったな……」
「意地悪! またそうやってからかって…」
対してスズランは真っ赤な頬を膨らませちっとも迫力の無い潤んだ瞳で睨み上げてきた。その煌めく瞳に捕らえられるともう駄目だ。
「からかう? 俺は初めからずっと本気だけど」
「っ…! なんか頭がふわふわして……もう! 今からお仕事なのに」
申し訳無いがそんな浮ついた状態では仕事にならないだろう。
「ごめん。でも俺には好都合…」
「え? どうして…」
「いや、別に」
以前から感じていたがこの
もう一度瞳をのぞき込み、自然と互いの顔を近づけた。だが唇が重なる寸前、調理場から聞こえてきた声に邪魔をされる。
「スズ、居るか〜?」
「残念。時間切れ……俺もそろそろ行かないと」
「ライア、まって……ん…っ」
さらう様に口づけると頬が更に朱に染る。先程からくるくると変わる表情に思わず目を細めた。
「明日また来るよ。店の敷地から一人で出るなよ」
「……うん」
「じゃあ、いい子でな」
別れ際、再度額に唇を落とし裏戸口へ向かう。階段を登り切った所を丁度貯蔵庫へ入っ
「スズ! なんだここに居たのか。今日はあんまり混まなさそうだから裏方中心に頼むな…って、 おい。あんたはもう帰るのか? やけに早い……っ! ちょっと待て、この野郎。さてはスズに何かしたな!?」
「ああ、はいはい。俺は今から帰る所だ。くれぐれもスズランの事頼むよ。じゃあなセィシェル」
「帰れ! そんなのあんたに言われなくたってちゃんと俺が……んんん!? ……スズ。今日仕事はもういい、部屋にもどってろ」
「え、どうして?」
「むっ、胸元の痣…! あと、そんな真っ赤な顔で接客が出来るかっての! 鏡見て来いよ、ったく!」
「えっ!?」
「くっそ……あんの変態ロリコン野郎~!!」
「やり過ぎた…。いや、あんな顔されたら……駄目だな。最近本当に抑えが利かない…」
何も知らない無垢なスズラン。
だからこそ、その真っさらで純白な生地を自身の思い通りに染めていく……。そんな感覚が堪らない満悦感を生み出す。
口づけした後、その先をねだる様な表情はぞくりとラインアーサの理性を逆撫でる。幼さの中に見え隠れする色気。あの顔を知ってしまってから身勝手な感情が芽生えた。そうした想いは会う度に増幅してゆく。スズランを誰の目も届かない所へ閉じ込めて、全てを独り占めしてしまいたい程に。
「ああ、もう! 駄目だ…。スズランは物じゃあないんだ。分かってる」
これから控えている公務の為、ラインアーサは思い切り左右に頭を降り気持ちを引き締めた。
「───父上。戻ったよ」
「アーサ! 今日も彼女の所に足を運んでいたのかい? 甲斐甲斐しいね」
「……ん、まあ」
「しかし彼女は、なかなか王宮へ来てはくれないそうだね。会えないならば私の方から直接会いに行ってしまおうかな?」
「へ? そ、 それはまずいんじゃあ…。国王が城下町の
「うーん、そうかな?」
「そうだよ!」
「そうか。久しぶりにあの
「父上、行ったことあるのか?」
「……昔ね。というかユージーンは元気かい?」
「ユージーン? ってもしかしてマスターの事?」
「そうだよ。ユージーンは一癖も二癖もある口の悪い奴でね。相手するのがとても面白かったのに今ではすっかり
「あの物静かなマスターが…? 想像出来ない…」
想像は出来ないがほんの少し前その癖があり口の悪い……そんな人物に追い払われた事を思い出し、そこはやはり親子なのだろうかと無理矢理自分を納得させる。むしろライオネルが冗談抜きで
「まあ、私とユージーンは宿敵の様な物さ……」
「宿敵? ……何で」
「さあ、昔話は終わりだよ」
「そ、そうだな。それよりも今日の公務。早く始めてしまいたい! 急ごう父上」
「アーサはせっかちさんだな。しかしこれをちゃんとこなさない限りお前はスズランさんを堂々と迎えに行けない心情だろうからね」
「そうなんだ。いつまでも逃げてないでちゃんと向き合わないと」
そんな言葉を交わしながら父と子の二人、王宮の広間へと足を運ぶ。
今晩、この広間で晩餐会が開かれる。それに合わせ正装服に着替え身なりを整えたラインアーサ。いつもの気軽な服装ではない為、嫌でも気が引き締まる。
広間に入ると最奥に設置してある豪華な椅子に座る様促されふと目線を上げるとその傍らには既にハリが立っていた。
「……ハリ!」
「今日はちゃんと王子らしく振舞ってくださいね。ライア」
「分かってるよ」
ハリと言葉を交わすのは久々だった。それどころか最近互いにこなしている仕事内容が違う為、こうしてゆっくり姿を確認する事すら出来ていなかった。それでも以前と変わらぬ口調のハリにラインアーサは何故か安堵した。
───間もなくして始まった晩餐会だが、開始早々ラインアーサは欠伸とため息を噛み殺していた。最近ずっと働き詰めで寝不足なのだから許して欲しい。表情筋が今にも硬直しそうな程によそ行きの笑顔を維持し、上品且つにこやかに微笑む。
「本日は足を運んでくださった事、とても感謝しています。貴女のお目にかかれて光栄です」
先程から機械の如く何度もこの台詞を発している。漸くそれからも開放されたと思ったが、それはまだ各々の顔合わせ兼、自己紹介が済んだだけの事だ。数にして十二名───。
その一人ひとりの自己紹介の長さと言ったらかなりの物で、それぞれのこれでもかと思う程の自己開示にやや疲れてくる。己の魅力を如何に紹介するかで競い合う女性達を目の前に、それでも笑顔を崩さなかったことを褒めてもらいたいくらいだ。
今回の晩餐会の意図。それはこの数年の間で国内外から申し入れられた見合いの相手を一度にもてなす為だ。これは自身が何件もの申し入れを放置して溜め込んだ結果だった。目的としては感謝の気持ちを伝えた後、情理を尽くした対応で〝縁談を辞退〟する為にこの場を整えたのだ。それを十二名個々に行うよりも、皆の前で同じ条件の元行いたかったのだ。
ラインアーサはそれを自身の我が儘だと自省しつつも、そうしなければならない理由があった。勿論スズランの存在だ。特別な存在である彼女に対し、無責任な行動は取りたくない。誠意を示すためには避けられない、いや避けてはいけない事だ。
ほんの数刻前、彼女と触れ合った事を思い出すと心がじんわりと暖かくなり僅かに頬が緩む。
「……ライア。今は余計な事は考えずに目の前の事に集中して下さい」
「もちろん」
内心を見抜かれたのかハリに小言を言われる始末。ラインアーサは背筋を伸ばし直した。
集まっている令嬢達は国内外から参加しており、国内貴族出身の者や国外の大きな街の領主の娘、果ては今回遠方の為出席こそ出来なかったものの焔の国 アザロア国の姫君からの書簡まで届いていた。ラインアーサの記憶が正しければ、アザロア国の姫君はまだ十代に差し掛かったばかりの年端も行かぬ少女だった筈だ。
程なくして全ての自己紹介が終わった。とは言え目の前の煌びやかに着飾った令嬢達にかけてやる言葉は決まっている。
溜息が溢れそうになるのをぐっとこらえ、椅子から立ち上がった。広間の中央まで歩を進め立ち止まる。すると一斉に視線がラインアーサへと集められた。立場上注目される事には慣れているがこれまでに無いほどの歓声と熱視線が注がれる。ラインアーサは狼狽えずに大きく息を吸い込みゆっくりと言葉を紡いだ。
「本日は忙しい中この
この発言に会場がざわめく。雰囲気を察したのか先ほどまでの浮かれた様子から一変する令嬢達。分かりきっていた反応だが、ここで自身の意思を明確に開示しなければ永遠に前には進めない。丁寧に歴然と続けるラインアーサ。
「今はまだ、他にやるべき事が自分にはあるのではないか。と今回起こった事件を通して考えさせれた。───その為、誠に身勝手だと自省せざるを得ないが、縁談や婚約などの件は一度全て断らさせていただく事に決めた。本来ならば此方から出向き謝罪すべき所…。本日は、心からの感謝と詫びの気持ちを込めて王宮で腕によりをかけた宴料理を楽しんでくれたら幸いだ」
発言し終わる頃にはしんと静まり返っていた広間だが、すぐに一人の令嬢が声を上げた。
「……そんな! アーサ様、私達の中から婚約者を選んでくださるのでは無いのですか?! 私はそう思い、本日此処へ来たのです」
その一声を始めに次々と意見が飛び出す。
「そうですわ! 今は必要なくてもわたくしの一族ならばいつか必ずローゼン家のお力添えになれます! どうか!!」
「私の家は町一番の権力を持っています! 決して損はさせません!」
「わ、わたしの家門の財産だってどこの家にも引けを取りませんわ!」
「わたくしの家だって!!」
ついには富や権力で言い争いをはじめてしまった。予測出来なかった訳では無いが案の定、令嬢同士に依然として険悪な雰囲気が漂う。
今まで縁談自体に全くと言って良いほど興味が持てないでいた。その時が来たらその時に申し入れのあった数名から生涯を共にする相手を一名選び、父 ライオネルの様に国の為尽くして行くのだろうと漠然としか考えていなかったのだ。だが大切な存在と再会を果たした。その存在は初めに出会ったあの日からラインアーサの心に深く根付いており、再会してからと言うものの想いは急成長。今では守りたいという強い気持ちが開花し漸く実を結びそうなのだ。
騒然とする大広間にまたも一声があがる。
「アーサ様! どうか今すぐこのわたくし達の中から誰か一人を選んでください! そうして下さればわたくし達も納得致します!!」
「っ…! それは…」
「何故ですの?」
「なんでしたら一人と言わずに…っ! 私は側室だとしても光栄です、喜んで仕えますわ! ですからどうか!」
このままでは絶対に引けないと、哀願され選択を求められる。そこでハリがそっと耳打ちをしてきた。
「……ライア。ここは場を収めるためにも、今この中から誰か一人を選ぶのが無難かと」
「駄目だ! それじゃあこの場を設けた意味がない…。それに俺は…」
「……ですがこのままでは収拾が…」
ハリの言い分もわからなくは無い。それでも、もう自身の気持ちに嘘を吐きたくない。
今度は広間の隅々まで聞こえるように大きく声を張るラインアーサ。
「皆、自分にはもったい無い令嬢ばかりで本当に有難い。だが富も権力も側室も必要ないんだ! 俺は生涯心に決めた〝ただ一人〟を愛し抜き、大切に守りたい。その一人とこの国を盛り立てて行きたいと思っている」
ラインアーサの意見に令嬢達は一度大人しくなったもののやはり一筋縄で納得はしてくれない。
「でしたら不躾なのは承知の上ですが、わたくし達の中からその一人を選んで頂く事は出来ないのですか? わたくしはこの国を一緒に支えていく覚悟の上で此処に居りますので!」
令嬢たちの熱は引きそうにない。
「そうか……では俺には…」
既に心に決めた人がいる。
意を決してそう声にしようとした瞬間、広間の扉が大きく音を立てて開かれた。その扉の先から見知った人物がこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。何処か嬉しそうに微笑みを讃えたコルトの靴音がやけに響く。彼はライオネルの側近だ。
問題はその少し後ろを歩いてくる人物。頭の天辺から足の先まで見紛う筈が無くそれでいて愛しい、大切な存在───。
「申し訳ございません、アーサ殿下。只今もう一人の御令嬢が遅れて到着致しましたので、どうかこちらの方も
「……そう、だったのか」
なんとか言葉を絞り出したものの、驚きの方が大きく思考が追いつかない。変わらずにこやかなコルト。状況が飲み込めず目で訴えると、何やら微笑みながらに片目を閉じて合図を送ってきた。
「あ。これは誠に申し訳ございません! 殿下は今まさにこちらに揃っているご令嬢の中から生涯を共にする相手を御選択なさる所でしたね! もう邪魔は致しませんのでどうぞ続けてください」
突如現れ強引に流れを断ち切ったコルトに広間の令嬢たちも圧倒され押し黙る。しかしその沈黙の中、コルトの隣に居る人物がおもむろに自己紹介を始めた。
薄紅色の美しいドレスに身を包み、美しい動作で頭を垂れる。
「……フリュイ公国出身の、スズラン・フルールと申します。アーサ様、どうぞよろしく、お願いします…」
たったそれだけの短い挨拶。
髪を留め上げている為なのか普段の雰囲気とはまた違って見えた。緊張して少し声が震えているのがわかる。そのままの体勢を崩さずなかなか顔を上げようとしない。
「……顔をあげて…?」
静かに声をかけると身体を起こしたスズランと視線が交わる。いつになく瞳が煌めいて見えるのは広間の照明が反射しているからだろうか。普段のあどけなさは無く、何処となく気品さえ感じる。
「……アーサ、様…」
「綺麗だ。スズラン…」
スズランにアーサと呼ばれ不思議な気持ちになったが、僅かに震えるスズランの右手をそっとすくい取り手の甲に口づける。しかし次の瞬間広間全体がどよめいた。
「…っな、何んなのあの娘!! 後から来て…!」
「一体何処の家の者なの…?」
「フルールっていったらあの有名なフルール一族じゃないかしら?」
「まさか…! だってフルールといったら一族の血を守る為他族とは交わらないって噂じゃない」
「じゃあ……でも…」
その様な憶測が飛び交う中、ラインアーサは自己紹介を返すのも忘れてスズランを抱きしめていた。
「…っ!!」
スズランが身体をびくりと反応させたが離すつもりはない。周囲に飛び交う悲鳴にも似た高い叫び声も、意見する声ももう耳に入らなかった。僅かに確認出来たのはライオネルとコルトの満面の笑み。ハリの呆れ顔。
スズランの胸の鼓動───。
その後運ばれて来た料理を何品か摘んだ事。その時に口にした酒がやけに極上だった事。気分が良く舞い上がっていた為かあまり憶えていない。隣でスズランが遠慮がちにしている姿もまた新鮮でラインアーサの気持ちは更に高揚していった。
令嬢たちの中にはがっかりと肩を落として帰って行った者もいれば、割り切ってそのまま晩餐を楽しんでいる者もいる。
ライオネルとスズランが楽しげに会話しているのを眺めながら幸福でふやけそうな顔を引き締めるラインアーサ。
「今晩はお目にかかることが出来て光栄だよスズランさん! 君とずっと会ってみたかったからね。少し強引だったかな? でもこうして足を運んでくれてとても嬉しいよ」
「あっ、あの! そんなっ…身に余るお言葉です陛下。わたしの方こそこうしてお呼びして頂いてとても、とても感謝をしています」
そんなライオネルとスズランのやり取りさえも何処かふんわりと耳に入って来る始末。嫌でも口元が緩みはじめる。
「アーサ! 何惚けているんだい? そんな事ではちゃんとスズランさんをエスコート出来るのかな?」
「も、もちろん!! ちゃんと俺が付き添うよ。おいでスズラン」
「あっ…」
強引にスズランの手を取ると急ぎ足で広間の大窓に向かい開け放つ。そのまま横庭に降りる階段付きの
外に出ると外気の冷たさで思考がはっきりとしてくる。一瞬、スズランが身を震わせた。
「寒い?」
「……ううん。平気」
「また風邪を引くから無理は駄目だ」
「……」
しかしスズランは無言で頭を横に振った。どことなく顔色が冴えない様に見える。
「スズラン…?」
「……あの、わたし。王宮に来て大丈夫だった?」
「それは凄く驚いたよ。まさかスズランが俺の目の前に現れるとは思ってもいなかったんだ。でもすごい嬉しい…。言葉に出来ないくらい」
「お仕事ってこの
気恥ずかしいので晩餐会の事は秘密にしておきたかったのだが本人が参加してくれたのだから隠す必要もない。
「そうなんだ……俺、この
「かっこ悪くないよ… 。だってやっぱりあなたは王子様で…、すごく素敵で、眩しくて。わかってたけど、何もないわたしとは大違いで…」
「どうしてそんな事言うんだよ。やっぱり俺の事が嫌い?」
「っそんな事ない! でもわたしはただの平民で、その……子供っぽくて綺麗でもないし、全く何の取得も無いもの。ぜんぜんあなたの役に立てないなんて嫌なの…」
広間から差し込む光を背にしてスズランが俯く。
「この前も言っただろう? スズランは俺に力をくれるんだって。スズランの笑顔があるから今の俺が居るんだ。だからそんな顔しないで」
「わたしの、笑顔? ねえ。ライ…っ。あ、あなたはいつからわたしの事を知っているの? ずっと昔っていつ?」
真剣な眼差しで見つめられるが、照れくさくなりスズランの鼻の頭を人差し指でつんとつついた。
「教えてあげない」
「な、なんで〜?」
「じゃあもうその事で悩まない? スズランは綺麗だよ。俺の一番だ」
「…っ」
「スズラン……」
「アーサ! そろそろ晩餐会もお開きだよ!」
今にも唇が重なる寸前という所でライオネルによる邪魔が入った。
「っ…父上」
「おや、お邪魔だったかな? 申し訳ない!」
可愛らしい仕草で小さく舌を出すライオネル。
スズランは隣で真っ赤になりながら硬直していた。良い雰囲気だっただけについ不満の声が漏れる。
「何で邪魔するんだよ…」
「悪かったよ。そうだ! ではアーサはこのままスズランさんを家まで送り届けなさい」
「……いいのか?」
「大丈夫だよ。その代わり送り狼にはならないようにね」
「なっ!? 当たり前だろ!! 何言って…」
「ははは、冗談だよ。さて、スズランさん。こんな息子なのですが、これからもよろしく頼みます」
「は、はい…! こ、こちらこそ……ょろしくお願いします!」
しどろもどろになりながらもスズランは深く頭を下げた。
「まあまあ、そんな固くならずに。今度はちゃんとした形で招待するのでまた来てくれるかな?」
「はいっ…もちろんです!」
「ふふ、とても可愛いね。良かったなぁ、アーサ! 私も嬉しいよ!!」
「ああ、もう! わかったよ父上。恥ずかしいからやめて」
終始にこにこ顔のライオネルを背に、そのまま
「……ごめんな、スズラン。父上っていつもああなんだ…」
「ううん。でも仲が良くてうらやましいな。それに。少し子供っぽい所が見れてなんだか嬉しい」
「ん? 俺が?」
「うん」
「何だよそれ…」
気恥しい気持ちのままスズランの手を取り、ゆっくりと歩く。庭園を突き通って何時もの横庭の石橋までやって来た。
「……国王様も優しくてとても気さくな方なんだなぁって。あなたとおんなじ、深い青色の瞳。吸い込まれそうな綺麗な色。やっぱり親子ってすごく似るんだね。マスターとセィシェルもすごく似てるもん」
「そうだな、姉上はもっと父上に似てる。今度会わせるよ」
「あっ、お姉さんってイリア様! な、なんだか緊張しちゃう……あの、前にいただいたお菓子、とってもおいしくてずっとお礼を言いたかったの」
「覚えててくれたのか?」
「あの日。あなたにお菓子をもらった時、すごく嬉しかったから」
「……スズラン」
「なあに?」
不意に立ち止まりその名を呼ぶと、少し緊張気味だが可愛らしく顔を覗き込んでくる。
「なあ、さっきからどうして俺の名前呼んでくれないの?」
「っ…だって」
「だって?」
「ご、ごめんなさい。でもあなたのこと、何て呼べばいいのかわからないの」
「今まで通り、ライアでいい…。そう呼んで欲しい」
そう言ったものの返事を待てず性急にスズランを抱きしめた。もうスズランにあの名で呼んでもらえないのかと考えたら急に寂しさの様なものが湧き上がってきた。想いのあまり腕に力がこもる。
「待って…っ苦しいよ…。ねえ」
「っ…スズラン」
「んん……っ…ラ、ライア…っ!」
「やっと呼んだな」
「むぅぅ、意地悪!」
ラインアーサは腕の力を弱め、してやったりと口角を持ち上げた。どうしてかちょっとした意地悪をしたくなってしまうのはもはや悪い癖だ。スズランはするりと腕から抜け出して一歩先を歩き出す。何やら照れている様だ。
「スズランが意地張るからだろ」
「だって…。そう呼んでいいかわからなくなったんだもん」
「俺は……そう呼んでくれると嬉しいんだ」
「でもみんなアーサ王子って呼んでる…」
「……スズラン。ライアって呼名に覚えはないか? 全く?」
「……」
そう問うとスズランは真剣に頭を悩ませながら立ち止まってしまった。
「いや。覚えていないなら良いんだ」
「待って、わたし…」
「ほら、もう着いたし俺はここで…」
「……ライア…っ」
「ん? なんだよ、寂しいのか?」
「えっと…、あのね。王宮とここって結構近いんだね」
「ああ、この森を通ると近道だろ? それに父上の結界が張ってあるから安全だし」
「ねえ…。もう、行っちゃうの?」
潤んだ瞳で、上目遣いで───。
もう少し一緒に居たい。互いに同じ気持ちなのだろう。だが気持ちをぐっと抑え込み、笑顔で答える。
「明日また来るよ」
「…うん。今日は素敵な
「こちらこそ。凄く嬉しかったよ。来てくれてありがとう! ……おやすみスズラン」
優しくスズランの頭を撫でる。これ以上触れると歯止めが効かなくなりそうだ。しかし手を引こうとした瞬間、小さな両手により阻止されてしまった。
「スズラン?」
「……さみしくないおまじない、して」
「…っ!」
「おねがい…っ…ひゃぁ!?」
「……馬鹿」
堪らずスズランの身体を横抱きにすると一気に階段を駆け上った。そのまま部屋に入るとベッドの上にそっと下ろし真っ直ぐ瞳を見つめる。煌めく瞳に警戒心の色は無い。
「ライア…? どうし…っんん」
「……全く…っ…人の、気も知らないで…」
「……あ、っ…ん」
息継ぎも儘ならない程絶え間なく口づけの雨を降らせ、想いのままに深くしていく。
「スズラン…っ…」
「んぅ、お酒の味……」
「さっき、少しだけ飲んだんだ」
「あ、まって…! ドレスがしわになっちゃう」
「そんなの、俺が新しいの贈る」
「でも」
「……夕方の続き、してもいい?」
頬を赤く染めて恥じらいながらも頷くスズラン。首の後ろで留めてあるリボンを
「……んん。は、恥ずかしい」
「大丈夫だよ、おいで。紐、全部外れた。苦しくなかった?」
「へ、平気……」
「スズラン、可愛い…」
「ぅぅ……あんまり見ないで」
留め上げていた髪を下ろすとふわりと肩にかかる様がまた何とも言えない色気を漂わせた。そのまま抱きしめて滑らかな肌を堪能する。
「肌、すべすべしてて気持ちいい」
「ぁ、ふ……くすぐったい…!」
「スズラン……俺、途中で止められなくなるかもしれない」
「わたし、ライアになら何されても平気だもん」
「っ…! ああ、もう。どうなっても知らないからな」
「っ…ン…」
勢いに任せスズランを押し倒し再び口づける。先程よりも深く、甘い唇を味わう様に。
はじめの頃は口づけても嫌がって身動ぐばかりだったスズラン。今は───。今ではラインアーサに応えてくれる。それが嬉しくて何度も角度を変えては唇を寄せる。
「俺。スズランの事、大切にする。ずっと側で守って行きたいんだ……だから、いつも俺の隣で笑っていて欲しい」
「ライア…」
「スズラン……好…」
「おっかえりスズ! 帰ってきてたんだな!!」
態とらしく大きな声を上げ部屋に入ってきたセィシェルによって、ラインアーサの告白はまたも失敗に終わった。
「……セィシェル…。お前!」
「あ、居たのかあんた」
「何言ってんだ! 今絶っ対にわざと入ってきただろ!」
「は? 何のことだかさっぱりだぜ」
「…っいい加減に」
ラインアーサもいよいよ痺れを切らし喧嘩腰な態度を取ろうとしたが、その前にスズランの悲痛な叫びが部屋中に響いた。
「〜っ! もう! セィシェルの馬鹿ぁ! 出ていって…!!」
「お、怒るなよ。な? スズ…」
セィシェルの顔面に枕が命中した。
「嫌ーー! こっち見ないでー!! もう、二人とも出ていってーー!!」
「へ? ……二人ともって俺も!?」
「ふんっざまあみろだ!」
「……」
「もう、ばかぁ…!」
スズランはベッドに突っ伏し真っ赤な顔を枕に押し付けまだ何か叫んでいる。 今日一日、一気に色々な事が起こり過ぎて気持ちが追いつかないのだろう。慣れない服で慣れない場所に来てくれてラインアーサの気持ちにも応えてくれた。今日はゆっくり休んで欲しい。
ラインアーサはスズランの頭をそっと撫で小さくおやすみと告げると静かに部屋を後にした。しかしその反面セィシェルへの憤りは収まらない。
「おいセィシェル! お前のせいで俺まで追い出されたじゃあないか」
「へんっ! 知ったことか! 俺の見える所で抜け駆けするのが悪い。このロリコン野郎」
「お前なぁ、その性格本っ当に損だぞ」
「損でも何でもスズの事を守りたいのは俺だって同じなんだからな…」
こればかりはセィシェルの気持ちも分かるだけに何も言い返せない。その強い眼差しは嘘を吐いていない証拠だ。だが、今日は何時もよりじっくりと顔を見てくる。
「何だ…? 人の顔じっと見て」
「な、何でもねぇし! 早く帰れば? どうせ明日も来る癖に」
「ああ、
「げっ、てかそんなに来て平気なのかよ。どーでもいいけど親父だって心配してたぞ?」
「げってお前な……自分の仕事は終わらせてから来てるのでご心配なく! じゃあなセィシェル」
「お、俺は心配してねぇからな!」
「はいはい。また明日な」
むきになるセィシェルを置いてラインアーサは帰路についた。セィシェルも根は真面目で優しいのだろう。しかしあの口の悪さでは玉に瑕だ。それでも何処か憎めない存在なのである。
「おかえり、アーサ。その様子だとちゃんと送り狼にはならなかったみたいだね」
「父上…! 息子に笑顔でそんな事言わないでくれる?」
「あはは、ごめんごめん。それよりもちょっとした話なんだけど今いいかい?」
またも部屋の前で待っていたライオネルに苦笑しつつも談話室へと招き入れる。
「ああ、今日は遅いしすぐに済むからお構いなくだよ」
「ふうん。で、話って?」
「もちろん彼女の事さ」
「っ…父上……まさか反対なのか? それはスズランが平民だから? そんな事言ったら母様だって……」
「アーサ、最後まで聞いておくれ。私は反対所か大賛成さ。だが彼女は……。どうもただの平民ではない気がしてね。なんと言えばいいか…」
「やっぱり…、そう思う…? 父上も」
そう返すとライオネルは複雑な表情で考え込んだ。
「……彼女は実は…。いや、今コルトがフリュイ公国について多少の調査を進めているが、彼女自身の事はユージーンの方が知っているんじゃあないかな」
「マスターが…?」
妙な言い回しの後が気になったが、そう言われればそうだと納得する。
「そう。薄々気がついて居るかも知れないが、何故この国にフリュイ公国出身のフルール族が居るのか…。どういった経緯で来たのかもね。アーサも今度ユージーンに聞いてみるといい」
「雷花の国、フリュイ公国…。フルール族」
「彼女が得体の知れない者に狙われているのもそれが関係している可能性があるからね。さて、それだけ伝えに来たんだ。あとはお暇するよ! 今日はお疲れ様、ゆっくりおやすみアーサ」
「ああ、父上こそお疲れ様。……その、スズランを呼んでくれてありがとう」
「ふふ、ちょっとしたサプライズだよ! 喜んでもらえて何よりさ」
「……本当に、かなり驚いたけどな!」
「アーサを驚かせたかったから大成功だよ!」
「全く、父上には一生敵わないよ。おやすみなさい…」
ライオネルを見送った後もスズランの身の上について考え続けたが、堂々巡りで考えはまとまらない。しかしスズランが何処の出身で何者でもラインアーサにとっては関係無かった。
この先何があっても守り抜き、彼女の平穏な日々を取り戻すという決意を新たにしたラインアーサだった。