事件

文字数 11,631文字

 ラインアーサは急ぎ足で王宮の渡り廊下を歩いていた。向かっているのは家臣たちが居住する別棟である。

 とある部屋の前に着くなり、扉を軽く叩いて部屋の主の返事を待つ。訪ねるには非常識な時間帯だということは重々承知しているが、どうしても逸早く確認をしたいのだ。暫くすると扉の向こうから淡々とした声が返って来た。
「こんな遅くに、どなた様かな」
「ジュストベル! 俺だ、開けてくれ」
 細く開いた扉から呆れ顔のジュストベルが顔を覗かせる。
「……ラインアーサ様。今が何時(なんどき)かお分かりでございますか?」
「ごめん。説教なら後から受けるよ、それよりどうしても知りたい事があるんだ! こんな事を訊けるのはジュストベルしか居なくて…」
 ジュストベルは深い溜息をつくと、仕方が無いといった表情でラインアーサを室内へと招き入れてくれた。
「少しお待ちください。今部屋を暖めますので」
「ああ、悪い……ありがとう」
「いえ。また風邪を引かれても困ります故」
 ジュストベルが暖炉に火を入れる。増大の術がかけてある為、部屋は瞬時に暖まってゆく。身体が芯から冷え切っていたラインアーサには心底有難かった。応接用の長椅子に座り、ジュストベルが淹れてくれた蜂蜜入りのお茶で冷えた指先を温める。
「して、どうなされましたか? 貴方様がわざわざ此処へ訪れるなど…」
「ジュストベル! 単刀直入に聞くけど、ジュストベルは空間移動の術って聞いた事ある?」
 逸る気持ちを抑えきれず率直な質問を投げ掛けると、ジュストベルはその瞳を見開いた。
「……何処でその言葉を知ったのです?」
「以前からそういった術が存在すること位なら知っていたよ。で、ジュストベルは使えるの?」
「それは(いにしえ)の術ですぞ? わたくしには、到底扱うことはできませぬ」
「古の術…?」
 ラインアーサはその言葉に眉を寄せ顔を顰めた。古の術と言う事は今は既に失われている、という事なのか。
「左様でございます。古の言葉通り現在は使われて居りません故、わたくしは勿論…。かなりの手練れであろうと使える者などおりませぬでしょうな……」
「……でも。もし、ルゥアンダ帝国の民がそれを使えるとしたら?」
 ラインアーサは、確認をするようにジュストベルを見据え望ましい返答を期待する。
 しかしジュストベルはゆっくりと首を左右に振ると大きく息を吐いた。
「いけません、ラインアーサ様。それはルゥアンダ帝国が扱う〝魔術〟にございますぞ」
「っ…やっぱり! ジュストベル、その魔術について詳しく聞かせてくれ」
「何を仰いますか。我々が使う術と魔術の違いについての教授はとうの昔に終了しておりますぞ? まさか、お忘れですかな?」
 ラインアーサの向いに座っていたジュストベルが和かな笑顔を見せながらお茶の入ったカップを一旦置く。その一連の動作に何故か背筋が伸びる。
「ご、ごめん。ジュストベル……忘れたというよりも、その授業サボったんだ多分。だから知らない……」
 ラインアーサの脳裏に幼い頃の記憶がよぎる。ジュリアンと一緒になってジュストベルを出し抜き、度々授業を抜け出した記憶だ。
「では、やはりわたくしの再教育が必要…、と言う事ですね?」
「お、お願いします…」
 素直にそうつぶやくとラインアーサはジュストベルに頭を下げた。普段ならば逃げ出したい所だが今回ばかりはそういかないのだ。
 ジュストベルは呆れながらも要点をまとめわかり易く手短に、なおかつラインアーサを説教するような口調で術と魔術の違いについての知識を教えてくれた。

「───じゃあ。やっぱりこの二つの術の性質は違うって事なんだよな?」
「ええ、勿論違います。元々の本筋は同じだったのですが…」
「だったら何故ルゥアンダ人は魔術を使う様になったんだ?」
 するとまたもやジュストベルの厳しい目線が刺さる。
「まさか、世界の成り立ちについての教授も怠ったと仰るのですか?」
 ラインアーサはぎくりと身を竦ませ困った様に苦笑した。
「そんな顔をなされても駄目ですぞ? 全くもって、基本中の基本が抜けておりますな。それも我が身内の影響というのが実に嘆かわしい…」
「……ジュリは悪くないよ、俺が勝手に抜け出してサボったんだ」
「ラインアーサ様。庇って頂かなくても結構、彼奴の腕白(わんぱく)振りは重々承知しております。此方も後日呼び立てて指導せねばならぬ必要がある様ですな」
「あはは…」
 優しげな声色に見え隠れするジュストベルの怒り口調にラインアーサは心の中でジュリアンに謝罪した。
「仕方がありません。ではもう一度、この世界 リノ・フェンティスタの成り立ちについてから簡単におさらい致しましょう」
 なんだかんだ言いつつも、ジュストベルは尋ねればこうしてラインアーサに知識を与えてくれる。
「……数百年前、我々の高祖(こうそ)にあたるリノ族たちが現世から逃れこの世界を創ったのはご存知ですね?」
「それは流石に知ってる」
 ジュストベルは片眉を吊りあげて、小さく息を吐く。
「現世に()いてリノ族は自然とヒト族を寄り合わせ、結び、調和を望んでおりました。それ故自然を愛し世界の秩序を保っていたのです。ですが…」
「うん、ヒト族による自然破壊とリノ族狩り…。だろ? たくさんの被害と犠牲が出たって」
 ラインアーサの表情は無意識の内に険しくなる。幼い頃、初めてその事を教わった時はとても恐ろしくて数日間一人で眠れなかった程だ。未だ理解する事は出来ない。
「……致し方なかったのでしょう。ヒト族とリノ族とでは、人口の絶対数が違いすぎたのです。そしてリノ族は争い事が不好きで御座います。現状を考えますと、先人の判断は間違っていなかったかと」
「……そうだよな」
 ヒト族から逃れなければ恐らくリノ族は絶滅していただろう。
 ラインアーサは空になったカップにお茶を注ぐと、蜂蜜をたっぷりと入れてかき混ぜた。甘い香りを吸い込み気持ちを落ち着かせる。
「リノ族本来の属性は光。その他の属性は全て其処から派生したものなのです」
「俺たち風の属性も、だよな?」
「光と闇が表裏一体。これは理解できますね? この時点ではどちらの力も同じものなのです」
「もちろん理解してるよ。でも、じゃあ何で今は違うものになってしまったんだよ? その他の属性もどうやって発生したんだ?」
「それも以前お教えした筈なんですが……」
 ジュストベルも新しくお茶入れ直し、一息ついた。
「えーっと、元々は自然界にある力を借りているんだろ? 先人のリノ族達が発展させたのか?」
「左様です。リノ族の血を一等色濃く受け継いで居るのが隣大陸にある(リノ)の属性、煌都パルフェの人種。
同時に北の大地に君臨している(ウンブラ)の属性、ルゥアンダ帝国の人種。
闇に明かりを灯すために派生した火焔(フォヤン)の属性、アザロア国家の人種。
焔に打ち勝つ水と氷(アクウァ・イェロ)の属性、マルティーン帝国の人種。
一方、我々風の属性は今申し上げた属性とは違う派生の仕方をしました」
「…つ、続けてくれ」
「……光が照らした大地から芽吹いた大地の息吹(テレノ・アリェント)の属性、オゥ鉱脈都市の人種。
その大地を裂く様に落ちてきた雷花の神気(トニトフロース・ディオス)が、フリュイ公国の人種。
そして大地を揺るがす雷の揺れから生じた 風の息吹(アイレ・アリェント)の属性が、我々シュサイラスア大国の人種なのです」  
「あー、えっと? なんだかよく分からないけど、そういった分かれ方をしたって事だな!」
「ええ。因みに現在の国名は此方の世界を創設した際に、活躍した各々の属性の代表者の名で御座います」
「一応、俺の名前にも国の名が刻まれてるもんな。やっぱり他の国の王族もそうなのか?」
 ラインアーサの真名は 〝ラインアーサ・シュサイラスア・ローゼン〟国の名が刻まれている。
「勿論です。その名を持つのは代表者の血を継ぐ、直系の王族か末裔のみなのですから」
「……直系」
「ルゥアンダは夜明け前の闇の様に穏やかな男性。
アザロアは上品で静かに燃える炎の様に優しい女性。
マルティーンは流れる川の様に統一、同意、調和を好んだそうです。
シュサイラスアは清涼を好み、しなやかで誰にでも心地よく働きかける青年だったとか。
フリュイの雷花の神気(トニトフロース・ディオス)による力はどの属性よりも強大な力でしたが、謙虚な心を忘れては居なかったそうです。
オゥは大地の様に全てを支える様な忍耐力の強い男性。
パルフェはその輝く様な光で皆を包み、結束を強める主導者的存在だったそうですよ」
 ジュストベルは瞳を閉じて淡々と語る。
「へえぇ! その七人が代表となってこの世界、リノ・フェンティスタを創ったんだな!」
「……それを全て理解なさってから、この国を旅立たれたのだと思っておりましたぞ?」
 感心しているラインアーサに対し、ジュストベルの呆れ顔はおさまらない。
「うう……授業サボって悪かったよ…」
「全くです。では簡単にでしたが、大体の流れはお分かり頂けましたか?」
「ああ、ありがとう! それに俺もその代表者のうちの一人の末裔として、ますます身が引き締まる思いだ。これからは今まで以上にこの術力を国と民の為に行使するよ」
「やはり。貴方様ならそう仰ると思っておりました」
 ジュストベルが意味ありげな面持ちで頷く。
「なんだよジュストベル……」
「貴方様はシュサイラスア・ローゼン氏の末裔ですが、光の属性も併せ持っておりますな?」
「それを言ったらジュストベルだって風と光の属性だろ? 確かに俺もだけど…。何か違うのか?」
「今の世の中、末裔といえども純血ではありません。子孫を残す過程で、様々な人種との交わりがあってリノ族も繁栄をしてきたのです。勿論、中にはヒト族と交わり現世に残った者も少数ではありますがおります」
 確かに純血を守ってばかりでは、リノ族はここまで繁栄していなかっただろう。他種族と交わるのは至極当前の流れだ。
「しかしながら、光のパルフェと闇のルゥアンダに限っては他種との交わりを避け純血に近いまま種を残してきているのです。故に術の潜在能力が高く、代わりに人口は少なく希少とされてます。一般の民には例外もおりますが、それぞれの血筋が濃いのです」
「まあ、シュサイラスアは特に色々な人種が移住してきて暮らしてるもんな。ご先祖様の血はだいぶ薄くなってるんだろうな」
「そうなのですが貴方様のご両親。陛下は勿論シュサイラスア氏の直系であり、末裔でございますね。そしてお母上のエテジアーナ様は煌都パルフェの御出身だったかと…。加えてパルフェ・フロプシィ氏の直系の末裔ではないのですが、不思議な事に古代リノ族に近い潜在能力を秘めておいででした」
「……そう、なのか…」

 ───古代リノ族。
 ラインアーサは何故か妙にその単語が気に掛かった。
「ええ。ですから貴方様はシュサイラスア氏の末裔にして、パルフェ氏の特徴も色濃く受け継いでおります。向こう見ずで他人を放っておけない献身的な気質は、それが所以(ゆえん)かと」
「ジュストベル…。それって俺の事褒めてんの? けなしてるの?」
「……勿論お褒めしております。ですから今後も無理は禁物ですぞ」
 ラインアーサは少しはにかみながら頷いた。
「そうか。自分の血筋を学ぶのも意外と大切なんだな」
「左様でございます。そんな貴方様が魔術など……決して関わってはなりません」
「何故?」
「それは初めに申し上げた通り、術は他人の為に。魔術は己の為だけにその力を行使するものだからでございます。特に他人を傷つけるなどの魔術を使いますと、その力はいずれ自身をも滅ぼしましょう」
 それを聞くなり、ラインアーサはエリィの事を思い出した。他人を傷つける魔術にもっと恐ろしい魔術……と言っていた。どうも嫌な感じがする。
「じゃあ、魔術ではない移動術はないのか? さっきジュストベルは、古の術って言っていたよな」
「全く、貴方様もしつこいですな。それに関しては後日、御自身で御調べください。さあ、本日の授業は此処までです。もう遅いですから自室に戻られてお休みください」
「え? ああ、もうそんなに時間が経ってしまっていたのか…! 悪かったな、遅い時間に訪問したのにこんな長居してしまって」
「いいえ」
 時刻を確認すると、とうに日付が変わり更に数刻も時間が経っていた。古の術の事についてはそれとなくにはぐらかされた様に感じたが、古代リノ族の事と一緒に調べる時間を取る事にしよう。
「色々教えてくれてありがとう。助かったよ!」
「礼には及びませぬ。そもそもラインアーサ様が授業を怠ったのがいけないのですから」
「もう分かったって! 説教も今度聞くよ。あと、蜂蜜茶ご馳走様」
 ラインアーサは長椅子から立ち上がると、早々にジュストベルの部屋から立ち去った。

 自室に戻り寝支度を済ませるとやはり目が行くのは寝室の出窓から見えるあの森だ。森はざわつく事もなく、しんと静まり返っている。
 ───スズランはゆっくりと休んでいるだろうか。
 ラインアーサはベッドに身体を投げ出すとスズランの笑顔を思い出し、緩む表情を枕に押し付け叫び出したいのを堪えた。あの笑顔は紛れもなくラインアーサに向けられたのだ。
 旧市街の事。ハリの事。エリィの事やルゥアンダ帝国の現状。空間移動の術や、古代リノ族の事……考えたい事は山ほどあるが、ほんのひと時だけでもそれを忘れラインアーサはスズランの笑顔に胸を躍らせた。

 翌日、ラインアーサは公務を早めに切り上げ、王宮の書庫にて古い書史や術に関する辞典などを読み漁っていた。移動術関連の文書にはやはり古の術としか書かれておらず、どの本を見ても詳しいことは解らなかった。
 古代リノ族の事が書かれている書物も存外少なく、今にも表紙が朽ち果てそうな古い書物にのみ数頁にわたって詳しく書かれている。しかも文字が掠れており所々読めなくなっていた。薄暗い書棚の間でその頁にを読むのに熱中していると、突如後ろから目隠しをされどきりとした。
「うわっ!?
「うふふ、珍しいわねアーサ。こんな所でお勉強?」
「あ……姉上!」
 振り向くとイリアーナが手押し車の台にお茶の用意と焼き菓子を載せてにっこりと微笑みながら立っていた。
「何をそんなに熱心に読んでいたの? こちらに来て少しひと休みしない?」
「ありがとう姉上! ちょうど小腹が空いてきた所だったんだ」
 イリアーナの提案にラインアーサは嬉々として本を閉じ、早速手押し車の上から焼き菓子を一つ摘まんだ。
「もうアーサったら…! 今日は果物入りの焼き菓子を焼いたのよ。たくさんあるから食べてちょうだいね?」
 焼き菓子を口いっぱいに頬張りながら頷く。
 明るい窓際の机にお茶の用意をし、焼き菓子の乗った皿を並べるイリアーナ。ラインアーサはお茶を飲みながらふと思った。イリアーナの属性は風と炎だ。実の姉弟でありながら、自身の持つそれとは異なる。
「なあ、姉上…」
「なあに? アーサ」
 焼き菓子を食べるラインアーサを微笑ましく見守っていたイリアーナが機嫌良く返事をする。
「姉上の属性って、風と炎の属性だろ? やっぱり光の属性は使えないの?」
「まあ! 術の属性について調べていたの? ……そうね、わたしの属性はお父様から受け継いだ風と炎の力。残念ながらお父様からも、お母様からも光の力は受け継がなかったのよ」
「うん、俺も父上の炎の属性は継がなかったみたいで炎は使えないんだよな。当たり前だけど」
 何時になく真面目な声で話すラインアーサにイリアーナは不思議そうに首を傾げた。
「それがどうかしたの? アーサ…」
「でも父上は風と光と炎の三つの属性を持ってるだろ。それって持って生まれる才能みたいなものなのかなって?」
「そうね。両親から受け継ぐのだから、生まれる前から決まっているのかしらね…? わたしも良くは分からないわ」
「生まれる、前から…。ああ、あと姉上は母様が古代リノ族の潜在能力を秘めていたって知ってた?」
 何気無く古代リノ族の話題に触れてみる。しかしイリアーナからの返答はない。
「姉上?」
 イリアーナの表情を確認すると、瞳を見開いたままで心ここに在らずといった感じであった。
「……」
「姉上ってば! 具合悪いの? 顔色良くないみたいだけど、癒しの風使おうか?」
「……えっ? あ、大丈夫よ! ちょっとお茶を濃く淹れすぎちゃったかしらと思って…」
「? ……全然平気だけど」
 イリアーナの態度があからさまに一変した。自らの手元をじっと見つめている。その手元も僅かに震えていた。
「姉上! やっぱり具合が悪そうだよ。リーナを呼ぶから部屋に戻った方がいいかも」
「……そうね、そうしようかしら」
 呼ぶとリーナはすぐにやって来て、心配そうにイリアーナを連れて書庫から退室していった。
「どうしたんだ? さっきまでは元気だったのに…。やっぱりブラッド兄様にしばらく会えてないから寂しいのかな」
 ラインアーサは冷めてしまったお茶を飲みながら、調べ物へ戻ろうと先程の古い書物へ手を伸ばした。 しかし、ラインアーサが先程まで読んでいた書物はそこには無かった。
「あれ? おかしいな、書棚に戻したっけか…」
 その後くまなく書棚を探したのだが、古のリノ族について書かれたあの書物は見つからなかった。
「まあ……いいか。掠れて文字も読み難かったしな」
 読めた部分のみを頭の中で反芻(はんすう)しつつ(まと)めてゆく。

 ───古代リノ族は今のパルフェの人種に近い存在で、やはり光の術を扱えるようだった。だが、それ以上の違いがわからない。
「古代リノ族の潜在能力ってなんだろう…。父上なら知ってるかな」
 夕方になり薄暗くなった書庫を退室すると、ラインアーサはライオネルの執務室へと足を向けた。執務室の扉を軽く叩くも部屋の中からの返事はない。何時もならこの時間帯には大抵此処に居るはずなのだが。
「父上、いないのか……自室かな?」
「ライア。何かありましたか? 陛下なら本日はお出掛けで遅くまでお戻りにならない予定ですが」
「ハリ! そうなのか。教えてくれて助かるよ!」
 廊下を通りかかったハリにライオネルの不在を知らされる。そこでハリの顔を見た途端、ふと別の用件を思い出した。
「そうだ。明日なんだけど俺も旧市街に出かけようと思うんだ。けどジュリを連れて行くから、ハリは同行しなくても手は足りるんだけど…。どうする?」
「……そうですか、ならば私はいつも通り王宮で内勤の仕事をこなしますね」
「別に明日は休日なんだから、一日くらいゆっくりしてもいいんだけど? …って言ってもハリは本当真面目だからなぁ」
 この機会に日々淡々と仕事をこなすハリに休みを与えるつもりだったが、本人に休む気は全く無いらしい。本人曰く何かしている方が落ち着くとの事。
「そう言うライアも今日明日は休日ですのに仕事ではないですか。それに、昨日はちゃんと羽を伸ばせましたか? また少し疲れ顔の様に見えますが」
「ん? ハリ、俺の事心配してくれてるのか?」
 最近本当にハリの口数が多くなったと感じ、ラインアーサは嬉しさを露わにして笑顔になる。するとハリはラインアーサから目をそらして呟いた。
「……私はいつも通りのつもりですが」
「なんだよ照れるなって! ハリは何だか最近調子が良さそうだけど、何かあったのか? 昨日も用事があるって言ってたろ?」
「ええ。実は少し調べ物をしてまして」
「ハリもか? 俺もちょっと調べ物してて、一人じゃどうも詰まってしまったから父上に聞こうと思って来たんだ。でも留守にしていたんだな…」
「ライアは何を調べているのですか?」
「ああ、俺は古代リノ族について…。古代リノ族の潜在能力が何なのか知りたくて、書庫にも行ったんだけど大した成果はなし。で、ハリは何を調べてるんだ?」
 ハリは少し考えるような表情を浮かべたが、すぐに質問に答えてくれた。
「古代リノ族…? 私もあまり聞いたことないですね。───私の調べ物は自分自身の事についてですよ。最近妙な夢を繰り返し見るので……なので、それについてジュストベル殿に相談に乗って頂いてました…」
「妙な夢? それって前にも言ってたハリの記憶に繋がる大事なものなんじゃ…!」
「ええ。ですから、本日も今からジュストベル殿の所へ(うかが)う予定です」
「なんだ、そうだったのか…。俺、何も気づけなくて悪かったな」
「……いえ。では失礼します」
 確かにそう言った事情ならジュストベルに相談するのが一番かもしれない。ラインアーサは昨晩知ったルゥアンダ帝国の内情を話すか迷ったが、他言はしないとエリィ約束を交わしたので黙っている事にした。それでも、と。ラインアーサはハリの後ろ姿に声をかけた。
「そう言えば、ルゥアンダ帝国の人種が酒豪ってのは本当みたいだな」
「そうなんですか?」
 するとハリは足を止め肩越しに振り返る。
「ああ、昨日会った人物がそうだっただけで、全体がそうとは限らないけど…」
「この国にルゥアンダ人だなんて、珍しいですね」
「そうだな。でも人捜しをしているらしくて、昨日を最後にこの国を発ったんだ。時間があればハリにも会わせたかったんだけどな」
「人捜し、ですか…。なんだか懐かしいですね。その方にお会い出来なかったのは残念です」
 ハリはそう呟き、今度こそ去って行った。
「……ハリの奴、そんな夢を見てたのか。なら俺にも一言相談位してくれたって良かったのに」
 そんな悩みを抱えていたのにも関わらず、ハリから一言も相談されなかった事にラインアーサは心なしか淋しさを覚えた。

「───で、それで今日ずっと元気なかったのか?」
「そういう訳じゃないよ。最近少しやる事が多くて…」
「アーサ無理してるんじゃあないのか〜? 今日の旧市街視察の為に結構仕事切り詰めたんだろ? まあ、その視察も空振りに終わったけどな」
「ああ、父上にはまだまだ敵わないよ。俺が心配するまでもなく旧市街の事を考えてちゃんと手を回してる…」
 ラインアーサは無事に旧市街の視察を終えてジュリアンと旧市街を見渡せる高台で一休みをしていた。一日を通して天気が良かった為、眼下には夕陽で橙色に染められた美しい街並みが広がっていた。
 旧市街・夕凪の都は楓樹の都のある土地よりも低い土地にある。先々代の国王陛下が旧市街から今の都へと街を移したのだという。楓樹の都から旧市街へ行くには、坂と階段の街・ペンディ地区を通り、降りてゆかなければならない。治安の良いシュサイラスアでも、夜間にペンディ地区を通り抜けるのは避けた方が賢明だ。街灯が少なく足場の悪いこの区域はまるで訪れる者を旧市街へと誘い込む様にひっそりと口を開けているかの様な。
 ───そんな場所だった。
 しかしその往来には既にライオネルの整備の手が加えられていたのだ。石畳は美しく整えられ街灯も増え、地区全体の雰囲気が以前よりも明るく変化していた。
「工事はだいぶ前から着工してたんだけど終わったのは最近でさ、おかげでだいぶ俺たちも街の警備がしやすくなったんだぜ? 本当に陛下には感謝してるよ」
「そうなのか……」
 それでもペンディ地区含め、夜間の旧市街での良い噂はあまり聞かない。以前スズランに絡んでいた粗暴者の件もあった為、ラインアーサは少し気を張り昼から夕暮れ時にかけて旧市街を見て回ったのだが。ラインアーサの心配は当てが外れたのか、旧市街の街並みは平和な生活を営む民で溢れており、不穏な影はどこにも見当たらない。肩透かしを食った気分だ。
「まあ、よかったじゃん? 俺たち民兵の護衛も、これまで以上警備を強化するしさ。アーサは今日まで頑張った分、少し休めば? 何かあったらすぐに知らせるし」
「勿論だよ。けど、休む訳には行かない。まだやらなきゃならない事はたくさんあるんだ」
「それってハリの事か? あいつお前に何も相談してこなかったんだろ。だったら少し様子を見ればいいんじゃあねぇの? ……なあ、そんな事よりお前。あれから一度もスズランちゃんの所に会いに行ってないだろ!」
!? なっ? ジュリ、お前またあいつに何か余計な事したのか…?」
 突如スズランの話題を持ち出したジュリアンに狼狽するラインアーサ。
「実は俺さぁ。この間スズランちゃんのいるバルに同僚と飲みに行ったんだよね〜」
 ジュリアンは何故か得意気な表情になる。
「はあ? 何やってんだよ…。また変なこと言ったりしてないだろうな!?
「まあまあ。心配するなって!」
「信用出来ないんだけど…」
「いやぁ、スズランちゃんさぁ。風邪気味だったってゆーか、毎晩あの森でお前を待ってるって言ってたぞ? 本当に一度も会いに行ってないのか?」
「……毎晩?」
「そう。毎日バルの仕事が始まる前と終わった後に、あの森で偽警備員のお前の事を待ってるんだとよ?」
「…っ」
 それを聞いたラインアーサは瞬きするのも忘れて黙り込んだ。
「何で会いに行かないんだよ! 昼間ならまだしも、夜間に森なんて危ないし冷えるし風邪引いて当前だろ? 俺だったら毎日会いに行っちゃうけどな〜」
「……」
「なあ、聞いてるのか? アーサ。俺、健気なスズランちゃんからこう言われたんだぜ。どうしたらあの人に会えますか? だって。……お前、もう正体明かしてやれよ」
 昨晩も具合が悪く、無理をしていたのはそういう事だったとは。ならばラインアーサが風邪を引かせたも同然ではないか。
 ───夕陽が完全に沈み、辺りは徐々に薄暗くなって来ていた。
「……もう、いいんだよ。俺は」
「は? だってお前、スズランちゃんの事気になってる癖にもういいって何だよ!」
「俺みたいな奴がスズランを……あんなに純粋な子を好きになったら駄目だろ」
 ラインアーサは昨日スズランが向けてくれた笑顔と今聞いた話で気がついた。純粋で素直で一片の穢れもないスズラン。
 それに比べ、ラインアーサのこの数年間の女性関係は褒められた物ではない。例えそれが情報を集める為の行動だったとは言え、女性たちをそういう対象に捉えていたのだから。自身にはそれを全て理解した上でも尚、動じることのない(したた)かな令嬢との政略結婚あたりが似合いなのではないかと思った。
 スズランと自分は不似合いだ。ならばこの想いが募る前に忘れてしまった方がいいのだと。
「昔の事気にしてんのか? 俺と夜遊びしてた頃の…」
「ああ、俺もジュリの事言えないな。ハリにも散々女性の敵とか言われてるしな」
 そう言って軽く笑って見せると、ジュリアンは面白くなさそうに顔を顰めた。
「アーサお前素直じゃあねぇな。大体その歳で初恋とかって面倒くさい奴だぜ。そんなぐずぐずしてるとあのセィシェルとかいう兄貴面した野郎に持って行かれるぞ?」
「っ…うるさいな。面倒なんだよ、俺はあんなこども相手に本気にならないって!」
 セィシェルの名を聞かされた瞬間、ラインアーサはついムキになってジュリアンに当たり散らしてしまった。
「……どっちがだよ。俺にから言わせればちゃんと正体も明かさずにこそこそしてるお前の方がよっぽどこどもだぜ! それにお前たちどう見てもお互いの事…」
「何でそんなにお節介なんだよ! その話はもうやめてくれ、俺はもうスズランに会うつもりは無い。……今日は一日お疲れ様。視察に同行してくれて助かったよ。じゃあな…」
 図星を突かれ耳の痛いラインアーサはジュリアンに背を向けてその場を去ろうとしたものの、こちらに向かって走って来る一人の民兵護衛の警備員の姿が見えて足を止めた。
 丁度街灯に明かりが灯り始め、その警備員の姿が鮮明になる。
「! ジュリ……あれ、エミリオじゃあないか? 慌てた様子だけど何かあったのか?」
「本当だ。なんだあいつあんなに慌てて、今にコケるぞ?」
 そう言ったか言わないかの拍子に、エミリオという警備員は石畳に足を取られ転倒した。
「うわ、まじかよ!! エミリオ! 大丈夫か? どうしたんだよそんなに慌てて…」
 肩で息をしながら起き上がろうとするエミリオにジュリアンが駆け寄り手を差し出す。
「探しましたよ、ジュリアン先輩っ…! アーサ殿下もご一緒でしたか! ちょうど良かった…っ」
「……何かあったのか?」
 普段のエミリオからはふんわりとした印象を受けるのだが、今はまるで真逆の緊迫した雰囲気を感じ取りラインアーサとジュリアンは顔を見合わせた。
「ええ、ノルテ地区で事件が起こりました! 今現在、陛下が現地にて直々に確認を取っているとの事ですが、一報によると誘拐事件のようです!」
「誘拐事件!?
 ラインアーサとジュリアンは同時に声をあげる。
「エミリオ! もう少し詳しい情報はないのか? それに、どうしてもう現地に父上がいるんだ…?」
「詳しい事は一旦王宮へ戻ってから説明します! 既に連絡隊が戻ってきている筈ですから」

 エミリオに従い、ラインアーサはジュリアンと共に王宮へと急いだ。
 王宮内は何時もより慌ただしく、出入りする警備隊や連絡隊の隊員で騒然としていた。

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登場人物紹介

ラインアーサ・S・ローゼン

(ライア)

本編物語の主人公。

シュサイラスア王国の王子。
王子と言う立場を隠し、お忍びで城下の街をぶらつくのが大好き。

スズラン

本編物語のヒロイン。

酒場の看板娘。

セィシェル

酒場のマスター、ユージーンの一人息子。スズランに寄り付く人物はゆるさない。

ハリ

ラインアーサの側近。

記憶喪失で二重人格。

ジュリアン

ラインアーサの幼馴染。

民兵警備隊の副隊長。

妹大好きなシスコン。

エリィ

謎の美女。

ラインアーサに懐いている。

イリアーナ

ラインアーサの姉。

ずっと行方不明だったがラインアーサが居場所を捜し、漸く帰国する事ができた。

リーナ

ジュリアンの妹。

ラインアーサに淡い想いを抱いている。

ユージーン

酒場のマスター。

ライオネル

シュサイラスア大国の国王。

ラインアーサの父。

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