第九幕 老当益壮(Ⅱ) ~逆怨の徒

文字数 4,570文字

 クレモナはリベリア州の最北西にある県で、リベリア、フランカ、そしてハイランドと3つの州が境を接している要衝でもあった。その立地的条件から過去にも幾度となく大きな戦の舞台となってきた経緯がある。

 そして直近でも『天子争奪戦』と称された、いくつもの巨大勢力がぶつかり合う大戦が行われたばかりである。そのような歴史を反映してか、クレモナは中原の中でもかなり発展の遅れた治安の悪い地域として悪名が高かった。

 リベリア州自体あまり治安の良くない州として他州の人間からは敬遠されている節があったが、そのイメージの構築に最も寄与(・・)しているのがこのクレモナ県であったりする程だ。

 そして治安の悪い地域の例に漏れず、クレモナでも多数の野盗山賊の類いが横行していた。規模の大きいものになると数百人規模の集団となり、所謂『山賊団』を形成する事も珍しくない。

 山賊団となるとその脅威度は跳ね上がるので、大抵はその地を支配する勢力の優先討伐対象となる。一般の旅人や隊商にとっては脅威であっても、所詮は食い詰めた犯罪者達が集っただけの烏合の衆だ。正規軍には敵うはずもなく、基本的に賊軍は一度発生したらその殆どは討伐の憂き目を免れない。

 かの有名な『賊王』ドラメレクや『魁賊』ゾッドなど強力なリーダーに率いられた賊軍は、強大化して正規軍にとっても油断できない相手になる事もあるが、殆どの賊軍はその限りではない。『山賊団』があまり形成されないのは、正規軍を敵に回すデメリットが大き過ぎるからという側面が強い。

 しかしこの度クレモナに新たな山賊団が形成されたという事で、その討伐の為に『金剛不壊』のドゥーガル将軍が派遣されていた。戦巧者のドゥーガルにかかれば只の賊軍など物の数ではない。そのはずであったが……


「只の賊軍……ではなかった(・・・・・・)訳か。儂とした事がまんまと一杯食わされたわ」

 約500の討伐部隊を率いているドゥーガルはそう言って自嘲気味に笑った。彼の部隊は現在、敵の大部隊(・・・)によって包囲されていた。敵軍の数はどう少なめに見積もっても2000程はいる。つまりドゥーガルの部隊の約4倍の規模だ。

 それでも相手が只の山賊団であれば例え4倍の数であっても、ドゥーガルならいくらでも戦いようはあったし間違っても今のように包囲されてはいなかった。

 だが敵軍は最初から賊軍とは思えないような統制力を見せ、尚且つ伏兵(・・)まで用いてドゥーガルの退路を断ち、今の状況を作り上げたのであった。明らかに相手は只の山賊ではない。

 彼の確信を裏付けるように、包囲していた敵軍の中から指揮官と思われる武将(・・)が進み出てきた。


「ふぁはは……如何に『金剛不壊』の異名をとる戦巧者も、ここまで完全に包囲されては手も足も出まい」

「……!」

 傲岸不遜な態度、そして口調の若い武将であった。別の意味でも到底山賊とは思えないような無駄に煌びやかな鎧兜を纏っていた。


「我が名はメルヴィン・アラン・クロムウェル! あの忌々しい女豹ディアナへの報復の手始めとして、まずは貴様の首を獲ってあの女に送り付けてやる」


「!! メルヴィンだと? 聞いた名前じゃな。……ラドクリフ軍の残党か」

 男の名前を聞いてドゥーガルが眉根を寄せる。メルヴィンの顔が憎悪に歪む。

「その通りだ。貴様らのせいで残党(・・)にさせられたがな。だが俺はこのままで終わる男ではない。いずれは別の勢力に仕官して必ず成り上がってやるが……その前に貴様らディアナ軍に復讐せずにはおくものか。この俺に屈辱を味わわせた罪は何十倍にもして返してやる」

「……小者が」

 身勝手な逆恨みを露わにするメルヴィンにドゥーガルが吐き捨てる。敵対している国同士の戦で負けたからと相手を恨むのは、基本的に逆恨み以外の何物でもない。ましてや元々はラドクリフ軍の方が一方的にディアナ軍を敵視しており、言ってみれば返り討ちに遭ったというだけの事なのだ。

 確かに天子争奪戦後の隙を突いたのは事実だが別に同盟を結んでいる訳でもなく、敵勢力相手に戦略による奇襲をかけるなど乱世では当たり前の事であった。

 そんな逆恨みを堂々と公言している事自体、目の前の男が極めて自己中心的な性格の小者(・・)である事の証左であった。

 ドゥーガルの漏らした呟きを耳聡く聞きつけたメルヴィンの眦が吊り上がる。

「貴様……いい度胸だ。望み通り今すぐ殺してくれるわ。かかれっ!」

 理不尽な憎しみと怒りに支配されたメルヴィンが麾下の兵達に合図を出すと、包囲が着実に狭まってきた。穴の無い統率された包囲網だ。ドゥーガルも突破口を見出せずに唸る。このメルヴィンという男、個人の性格はともかく指揮官としては一流であるようだった。

「長年戦場に身を置いてきて、その最後がこれとは何とも締まりのない結末ではあるが、これも戦乱の世の無常さか。ディアナ殿……儂はここまでのようですが、なぁに、あなたならこの老体1人欠けた所で天下統一に支障はありますまい。遥か煉獄からあなたのご活躍を見守らせて頂きますぞ」

 自らの死を覚悟し、戦場で死んだ者が行くとされる死後の世界に思いを馳せるドゥーガル。しかしただでは死なぬと、せめてメルヴィンだけでも死出の道連れにすべく最後の特攻をかけようと備えるが……


 ――ドドドドドドドドドッ!!!


「……!!」

 近付いてくる馬蹄の響きと、大量の土煙にドゥーガルは目を見開く。包囲されている彼には詳細は解らなかったが、南の方角から迫ってきているようだ。この状況で南から駆けつけてくる軍勢など一つしかない。

「これは……どうやら死に損なったかも知れんな。ここまで迅速なタイミングで援軍(・・)が駆け付けてくるとは……ディアナ殿の決断力の賜物か」

 ドゥーガルは事態を悟って苦笑した。一方完全に殲滅戦のつもりであったメルヴィンが、迫ってくるディアナ軍の姿に慌てる。数は1000程はいるようだ。ドゥーガルの部隊と合わせてもまだこちらの方が多いが、援軍の指揮官が誰かによって話しは変わってくる。しかも位置的にこのままだとドゥーガルの部隊と援軍との間で挟撃されかねない。

「ええい、忌々しい! あと少しであのジジイを討ち取れたものを! 一旦撤収するぞ!」 

 戦に関しては優れた指揮官であるメルヴィンは状況の不利を悟って、盛大に舌打ちしながらも素早く撤収の指示を出す。メルヴィンの軍はこちらの援軍との衝突を避けて速やかに撤収していく。


 奴等が退いて開けたドゥーガルの視界に映ったのは、やはりディアナ軍の旗を掲げた1000ほどの部隊であった。援軍はドゥーガル達の前まで駆け付けてくると進軍を停止し、指揮官と思しき武将が二騎(・・)進み出てきた。その姿を見てドゥーガルは目を瞠った。

「ふぅ……どうやら間に合ったようだな。急ぎ駆け付けた甲斐があったというもの。無事で何よりだ、ドゥーガル将軍」

「おお……よもやカイゼル殿に来て頂けるとは……! っと、ディアナ殿!?」

 その二騎の内一騎は、ドゥーガルも認める『救国の英雄』カイゼル。納得……というか、彼をして恐縮してしまうような人選であった。

 しかし問題はもう一騎の方にあった。絶対にここにいるはずがない人物……ドゥーガル達の現在の主君にして【リベリア王】たるディアナその人であった。当然ながら彼女の姿を他の誰かと見間違える事などあり得ない。

「あ、ははは……ご無事でよかったです、ドゥーガル様」

 彼の視線を受けてディアナは安心したような、それでいてバツが悪そうな表情で頭を掻くのであった。



*****



 とりあえずその場に仮設の陣を敷いて、互いの情報交換を素早く行う。ディアナの随伴に最初は驚いていたドゥーガルだが、カイゼルと同じく老将であるためか事情を説明すると理解を示してくれて、無理にでも帰らせるべきだと主張する事は無かった。

 そして今度はドゥーガルの方の事情を聞くディアナ達だが、『山賊団』自体が実際にはラドクリフ軍の残党を率いるメルヴィンが仕掛けた罠であり、ディアナを逆恨みする彼によって包囲殲滅され掛かっていたという話に驚く。

「メルヴィン……あの男ですか」

 ディアナが直接メルヴィンと矛を交えたのは、ディナルドを勧誘する際のペリオーレでの戦いだけであったが、驕慢ともいうべきあの男の性格や性質は覚えていた。あの歪んだ自尊心の塊のような男であれば、ディアナを逆恨みして狙っているという話も納得である。

「…………」

 逆恨みというのは理屈ではない。恐らくあの男は今後も理不尽な動機でディアナの命を狙い続けるだろう。で、あるならば……


「ドゥーガル将軍の救出も成った事ですし、ここは一旦我等も撤収いたしましょうか。そのメルヴィンという男も今後は我等の領内をそう自由には動けなくなりましょうしな」

 カイゼルが提案する。それが本来当然の対応だろう。だがディアナは敢えて首を横に振った。

「……今ならまだ逃げたメルヴィンの部隊を追跡できるはずです。この機会にこちらから奇襲を仕掛けて奴等を殲滅してしまいましょう」

「……ディアナ様?」

 カイゼルとドゥーガルが驚いて彼女を見るが、ディアナは決意を秘めた目で彼等を見返す。

「確かに出来なくはありませんが……奴の兵力はざっと2000程。こちらは両部隊合わせても1500程度。まだ数では奴等が上です。向こうから撤収したのですから敢えて危険を冒す必要は……」

 それは恐らくディアナがいるからという気遣いもあっただろう。だがその彼女自身が追撃を希望しているのだ。

「その程度の数の差、歴戦の戦巧者であるお二人が揃っていれば問題にならないでしょう。ましてや奴等はこちらが敢えて追撃してくるなど思いもよらないはず。必ず奴を討ち取れるはずです」

「戦に必ずという言葉はありませんぞ。万が一という事もあります。余計なリスクを背負い込む必要はありません。ここは一度最寄りの街へ退いて、改めて討伐軍を編成しても良いはずです」

 ディアナの提案にカイゼルはにべもなくかぶりを振る。確かにそれが一番安全だが、安全を重視するばかりでは得られないものもある。今はメルヴィンを叩く絶好の機会なのだ。


「この任務中は私の指揮に従って頂く約束ですぞ? 一度撤収致します。これは決定事項です」

「……っ!」

 その約束を持ち出されると痛い。何も言えなくなって唇を噛み締めるディアナだが、代わりに発言する者がいた。

「まあまあ、カイゼル殿。救援頂いた身としては少々心苦しくはあるが、儂の元々の任務は『山賊団』の討伐だった。しかしそれは未だに果たされてはおらず、儂としてもこのままおめおめと帰る訳にも参らん。どうか儂の任務を達成するために貴殿の力をお貸し願えんか?」

「ドゥーガル様……」

 ディアナは助け舟(・・・)を出してくれたドゥーガルに感謝の視線を送る。一方のカイゼルは少し苦い顔つきになるが、やがて諦めたように溜息を吐いた。

「ふぅ……確かにドゥーガル殿の任務が途上であるな。であるならこのまま追撃した方が任務の達成が容易になるのは確か。……仕方ありますまい。かくなる上は迅速に、確実に勝利を掴みますぞ」

「……! カイゼル様、ありがとうございます!」

 ディアナの顔が喜色に輝く。こうして逃げ去っていったメルヴィンを追撃し、この機会に討ち果たすための作戦が始まった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み