第九幕 気炎の将星(Ⅰ) ~剛勇無双

文字数 3,300文字

 遡る事数か月前……。

 アルヘイムに所属していたシュテファンは、隣接する県であるリュンクベリからの侵攻部隊を迎撃する為に、1500ほどの部隊を率いて出陣していた。そしてリュンクベリに続く街道をひたすら東進していると……

「む……あれだな」

 シュテファンは目を細めた。街道の先から自軍とほぼ同じ規模の部隊が土煙を上げながら迫ってきているのが見えた。リュンクベリからの侵攻部隊だ。


「よし。全軍、迎撃態勢を整えろ! まずは敵の出方を見る」

 シュテファンの指示の元、布陣を整えて敵を待ち構えるアルヘイム軍。敵の突撃を受け止めて左右から挟み込んで押し潰す鶴翼の陣である。これを見れば敵軍も警戒して動きを止めて睨み合いになるはずだ。その膠着状態を利用しての作戦を考えていたシュテファンだったが……

「何……!?」
 シュテファンは自分の目を疑った。何と敵軍はこちらが万全の態勢で待ち構えているのを見ても一切行軍の速度を落とさず、そのまま一直線に突撃してきたのだ!

 まさに猪突猛進だ。たちまち接触して戦闘状態に突入する両軍。

 予想外の事態ではあるが、それに動揺して指揮を疎かにするようなシュテファンではない。敵がわざわざ飛び込んできてくれたならむしろ好都合というもの。

 巧みな采配で味方の兵の混乱を鎮めて統制し、鶴翼の陣形を利用して敵軍を左右から挟撃する。両側からの圧力に耐えきれず敵軍は瓦解し、そのまま殲滅戦へと移行する……はずであった。

「何と……!」

 だがここでまた予想外の事態が起きた。敵軍に凄まじい剛勇を誇る者がおり、その者がほぼ単身で暴れ回ってこちらの右翼が一方的に食い破られているのだ。それによって残りのリュンクベリ兵はこちらの左翼に対処できており、これでは挟撃が出来ず鶴翼の陣もその効果を発揮しえない。


「はぁーっはっはっはぁっ!! 何だぁ!? 揃いも揃って、アルヘイムは弱兵の集まりか!! これなら俺一人でも戦に勝てそうだなぁっ!!」


 恐ろしく巨大な長柄の戟を軽々と振り回しながら嬉々としてアルヘイム兵を殺戮しているのはその得物に引けを取らない、他の兵士達より一際抜きん出た巨漢であった。精悍という言葉を体現したような鍛え抜かれた力強い体躯と面貌に、青みがかった武骨な鎧。そしてその頭には対照的な刈り込まれた赤毛が目を引く。どうやらあれが敵軍の将であるらしい。

「ぬぅ……何たる化け物だ! 奴はまさか……」

 他勢力同士の戦の情報も当然収集している。リュンクベリには一騎打ちや直接戦闘では無敗を誇る剛勇無双の将がいると話には聞いていたが、どうやら今回はそいつがアルヘイムに攻めてきたらしい。

「信じがたいが、このままでは奴1人によって右翼が瓦解しかねんか……。止むを得ん、私が出る!」

 自軍の不利を悟ったシュテファンは自ら前線へと突入する。恐らくあの化け物を抑えられるのは自分だけだ。後の指示(・・・・)を部下に伝達して任せる。

「リュンクベリの【剛勇無双】ヘクトールと見受ける。私はアルヘイムのシュテファン。兵共では物足りぬというなら私が相手を務めよう。一手ご教授を願えぬかな?」

 暴れ回る敵将――ヘクトールの元まで駆けたシュテファンは、名乗りを上げて相手を挑発する。ヘクトールは即座に反応して獰猛な笑みを浮かべる。

「ほぉ……お前がアルヘイムの【常勝将軍】か。面白れぇ。一度やり合ってみたかったんだ。常勝の異名は今日で返上させてやるぜ」

 間近で相対するとその巨体は尚更威圧感に満ちて見える。シュテファンも鍛え抜かれた長身ではあるが、目の前の男は更に頭一つは大きく、それに見合った骨格と筋肉も併せ持っている。

 そしてこの体格が見かけ倒しでない事は既に明らかだ。


「行くぜェェェッ!!」

 ヘクトールが野獣のような咆哮を上げて、その体格に見合った馬鹿げたサイズの長戟を振りかぶって突進してくる。

 風圧を伴う恐ろしい勢いで戟が薙ぎ払われる。シュテファンはその薙ぎ払いを剣で受ける……ような馬鹿な真似はしない。まともに受けたら剣を弾かれてしまいそうな剛撃だ。

 冷静にその軌道を見切って半歩後ろに下がるようにして回避する。そしてヘクトールがそのまま戟を振り抜いた瞬間を見計らって、逆に前に出て一気に肉薄する。

 ヘクトールは薙ぎ払いを空振りした直後で戟を戻すのは間に合わないはずだ。そこを狙って斬り掛かるが、

「おらぁっ!!」
「……っ!?」

 何とヘクトールは馬鹿げた膂力で強引に空振りの慣性を殺して、切り返しで逆向きに戟を薙ぎ払ってきた。

 これには意表を突かれたシュテファンは回避が間に合わず剣で受けざるを得なかった。強引な切り返しで威力が落ちていたので辛うじて受ける事はできたが、威力が半減しても尚こちらの腕が痺れるほどの衝撃を感じた。こんな物をまともに受けたら一溜まりも無い。

「らあぁぁぁぁっ!!」

 ヘクトールが怒涛の連撃を仕掛けてくる。シュテファンは極力冷静さを保って回避に専念し、連撃の隙を突いて巧みに反撃の刃を振るう。だがヘクトールはその度に馬鹿げた身体能力と闘いの勘のような物を発揮して、強引に隙を殺してこちらの反撃を封じてくる。

「はぁっーはっはっはっ!! やるな、お前! こんなに楽しいのは久しぶりだぜ!」
「ぬぅ……化け物め!」

 それなりに長い時間戦っているというのにヘクトールは疲れた様子も見せず、それどころか増々連撃の速度が上昇していく。膂力だけでなくスタミナも怪物級らしい。

 このままでは確実にこちらが不利だ。解ってはいたが、やはり自分でもこの化け物を抑えるので精一杯のようだ。だが……それで充分だ。一騎打ちの強さだけで戦の優劣が決まるものではない。 

(そろそろだな……)

 シュテファンが内心で独りごちた時、敵軍の遥か後方で混乱が起きた。同時に轟々と燃え盛る炎と煙が立ち昇っていくのが見える。


「何だぁっ!?」

 敵兵が動揺する。ヘクトールも思わず一騎打ちを中断して後方で上がる煙を見やった。そしてその煙が上がっている場所に思い至って目を見開く。

「お前……まさか!?」

「……私に気を取られ過ぎたな。別動隊が迂回してそちらの輜重部隊を狙っていた事に気付かなかったのか?」

「……っ!」


 ある程度の規模以上の部隊が行軍するに当たって、兵站の問題は常に付き纏う。兵士に自分で兵糧を携行させると行軍や戦の邪魔になるだけだし、個人で持ち運べる量には限界がある。なのでどうしても専用の輜重部隊が必要になってくる。

 だが輜重部隊は必要であると同時に、軍隊の泣き所でもあるのだ。輜重部隊を狙う戦術は戦においては常道であり、将は戦では敵軍の撃破だけでなく兵糧を守る事にも注意を割かなくてはならない。

 しかしヘクトールは猪突猛進が過ぎる余り、それを疎かにしたのだ。いや、彼にはそれを補って余りある突破力がある。敵が何か小細工する前に本隊を撃破してしまえば問題ない。それが可能な強さが彼にはあったし、実際今までそれで勝利を重ねてきた。

 だがシュテファンは彼の想定以上に強く、撃破に手間取って(・・・・・)いる間に相手の策略を許してしまったのだ。


「どうする? お前は続けたくとも兵達は動揺しているぞ? 私を倒すよりも間違いなくそちらの軍が瓦解する方が早いと思うが?」

「へ……へへ……本当にやるな、お前。だが戦には負けたが勝負で負けたつもりはねぇ。この決着は預けておくぜ」

 ヘクトールはそう言い置いて自軍に退却を命じると、自身も素早く撤収していく。猪突猛進な印象があるが引き際は心得ているようだ。無論そうでなくてはいくら強くともこれまで生き残ってはこれないだろう。


「ふぅ……何とか撃退できたな。願わくば二度と戦場でまみえたくはないものだが、街が隣接している以上そうも言ってはおれんだろうな……」

 シュテファンは退却していくヘクトールを見つめながら嘆息した。本来であればこのまま追撃したい所だが、他にも隣接している県があり自軍の損耗を厭う太守によって追撃は禁じられていた。

 その事に歯がゆい思いを抱きながらも、任務に忠実なシュテファンは自軍にも撤収を命じるのであった……

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