第五幕 清廉の美丈夫(Ⅳ) ~旅の終点

文字数 4,777文字

「な、何故ここに……?」

 ディアナは当然の質問をするが、吟遊詩人の視線はアートスから離れない。先程路地で会った時とは比較にならない程厳しい表情だ。

「その疑問はご尤もですが、まずはご自分の安全を確保されてからにしませんか?」

 彼はそう言って……持っていた弦楽器を手放す。驚いた事にあの弦楽器で矢を放ったらしい。アートスが無視できずに対処を余儀なくされる程の射撃を、あの楽器(・・)で行ったのだ。

 どうやらあの弦楽器は弓としての機能を兼ね備えていたようだ。まれにそういった他の用途にも使えるカモフラージュ兼用武器がある事は知識としては知っていたが、基本的に本職の武器より性能は劣るはずだ。

 それであのような鋭い矢が放てるとは、この青年はどれだけの技術を有しているのか。青年は弦楽器を手放すと、腰に提げていた細身の剣を抜き放った。


「大の男、それも鍛え抜かれた武人が、かくも可憐な乙女を一方的に襲って斬り捨てようとは言語道断。武人の風上にも置けぬ所業。不肖このファウスト、貴女方に助太刀させて頂きます」

 恥ずかしげもなく宣言した吟遊詩人――ファウストは、アートスに切っ先を向ける。アートスではなくレオポルドが苛立たし気に舌打ちする。

「ええい、何ですか、その馬の骨は!? アートス、そいつも一緒に片付けるのだ!」

「……邪魔するなら、殺す」

 アートスもまたファウストに殺気を向ける。それを受けたファウストは一瞬眉を上げると、すぐに不敵な表情で口の端を吊り上げた。そして自らも闘気を解き放つ。

「……!」

 それはあの路地裏での邂逅時にも一瞬だけ感じた物と同質の闘気であった。相当に研ぎ澄まされている。


「ふっ!」

 ファウストが先制攻撃を仕掛ける。まるで残像を引くかの如き速さの踏み込み。アートスが初めて驚愕という感情を表に出す。

「む!」

 だがアートスも相当な腕前。ファウストの奇襲を辛うじて剣で受けると、即座に反撃に転じてきた。長剣を横薙ぎに振るう。ディアナでは殆ど見切る事さえ出来ない一撃だが、ファウストは反応して躱す事に成功していた。それだけでも彼の強さが垣間見える。

 アートスが連撃を仕掛ける。長剣が煌めく度に恐ろしい剣振音が鳴り響く。だがファウストはその全てを巧みな体捌きで凌ぎ、逆にその細身の剣で反撃の刃を振るう。

 その細身の剣が表すように、ファウストは手数で勝負するタイプらしく、明らかにスピードではアートスを上回っていた。恐らく剣の威力はアートスの方が上なのだろうが、当たらなければ何の意味もない。

 縦横無尽に駆け回りながら次々と刺突を繰り出すファウストの動きに、遂にアートスは対応できなくなった。

「ちぃ……!」

 初めてその無表情だった顔を顰めて舌打ちすると、大きく剣を薙ぎ払ってファウストを牽制する。そして彼が後ろに飛び退ると、その隙を見て離脱を図る。


「……これ以上は時間を掛けられん。撤収する」

 ここがディアナ軍の領地であるフィアストラの街中である事を考慮すると、長期戦になればなる程衛兵に発見される確率が高くなりアートス達が不利になっていく。

 アートスの判断は早く、ためらう事無くこの場から駆け去っていく。

「アートス!? こら、待てぃ! ……ぬぬぅ! あと一歩という所で、とんだ邪魔が入ったものですな!」

 相方が撤収してしまえばレオポルドも逃げざるを得ない。忌々し気に唸ると踵を返して退却していく。


「てめぇ! ふざけやがって、逃がすと思うか!?」

 レオポルド達の術中に嵌ってあわやディアナを暗殺される所だったヘクトールは、当然レオポルド達を逃がす気はなく、憤怒に双眸を燃え立たせて追撃しようとする。だが……

「追いかけた所で彼等は簡単には討ち果たせませんよ? その間あなたは彼女を独りにしておくのですか?」

「……っ!!」

 ファウストの静かな声に、まるで冷水を浴びせられたようにヘクトールの足が止まる。つい先程そうやって猪突した挙げ句、ディアナを危険に晒したのだ。足を止めざるを得なかった。その間にレオポルド達は完全に見えなくなってしまう。

 ヘクトールは盛大に溜息を吐いて頭をガリガリと掻いた。


「ち……。誰だか知らんがとりあえず礼は言っておく。お前のお陰で助かったぜ」

 渋々ではあるが、あのヘクトールが面と向かって礼を述べた。ファウストがいなければ確実にディアナを殺されていた状況は彼にとっても痛恨であるらしく、変な意地を張る気はないようだった。

 ディアナも改めて彼に向き直った。

「あの……ファウスト、様? 危ない所を助けて頂き本当にありがとうございました」

 頭を下げると、ファウストは微笑しながらかぶりを振った。


「いえいえ、貴女をお助けする事が出来て本当に良かった。ああ、それと私の名はファウスト・ボリス・パラシオスと申します。トランキアはディムロスの出身でございます。以後お見知り置きを」


 ファウストは正式に名乗りを上げて優雅なお辞儀で挨拶する。

「ディムロス……トランキア州からですか。随分遠くから旅をされているのですね」

 トランキア州は帝国の南西部に位置する最も辺境の地と言われ、その更に南西には未開のジャングル『アマゾナス』がどこまでも広がっている。そんな州だ。

 まあディアナ達の出身であるスカンディナ州も充分に辺境であり、距離的にも遠いので人の事は言えなかったが。ファウストは薄く微笑んだ。

「いえいえ、見ての通り吟遊詩人を生業としている故、旅は性分のようなもの。世の美しい女性を求めて旅を続ける道化者です。その為なら中原の端から端への度さえ苦にはなりませんとも」

 確かに吟遊詩人は旅が生業のようなものなので、中原全土を旅している者も少なくない。しかし美しい女性を求めてなどと堂々と公言するとは、その言動の通り随分と気障な性格のようだ。

「ち……軟派野郎が」

 ヘクトールが顔をしかめている。硬派を自認する彼にとっては正反対に位置するような人物だ。しかし自分を助けてくれた恩人への暴言にディアナは眉をひそめる。

 ファウストは苦笑しつつかぶりを振った。

「これは手厳しい。……さて、どうやらもう危険もないと思われるので、私はこれにて失礼させて頂きましょうか。さようなら、お嬢さん。御縁があればまたいつかお会いしましょう。それでは」

 ファウストはディアナに向かって一礼すると、弦を手に取って踵を返した。いや……返そうとした。


「待って下さい!」

「……!」

 ディアナは思わずといった感じで呼び止めていた。ファウストの足が止まる。

「ディアナ?」

 ヘクトールが訝しげに彼女を見下ろすが、ディアナは構わずにファウストに言葉を重ねる。

「あの……あなたはこの後どうするのですか? 何か目的や目的地などはあるのでしょうか?」

「目的、ですか? ……いえ、私は旅のしがない吟遊詩人に過ぎません。特にあてもなく、目的は先程言ったように世の美しい女性に出会う事以外にありませんよ」

 彼の答えはある意味でディアナの想像通りであった。ならば言ってみる価値はある。


「ファウスト様。もしあなたさえ宜しければ……いえ、どうか我が軍に将として参加して頂けないでしょうか。勿論相応の待遇をお約束致します」


「……!!」

「な……ディアナ!?」

 ディアナの勧誘(・・)に、ファウストとヘクトールが共に驚きを持って彼女を見つめる。ただし同じ驚愕でもその感情は正反対のようであったが。


「私が……あなた方の軍に?」

「おい、ディアナ、正気か? 根無し草の吟遊詩人だぞ? 一体何だって……」

「ヘクトール様だってご覧になったでしょう? 並みの武官など比較にならないようなあの剣と弓の腕前を。それに確実にエヴァンジェリンの間者でない事は証明されているのです。むしろ君主という立場であれば仕官を持ち掛けるのは当然です」

「むぅ……しかし随分軟派そうな奴だぞ」

 ヘクトールもディアナの言い分は認めざるを得ないのか、苦虫を噛み潰したような表情で唸る。彼女の提案を受け入れきれないが故であろうが、度重なる暴言にディアナの目が吊り上がる。

「軟派でも何でも私達を助けてくれた恩人です! ならばその御恩に報いたいと考えるのは当然の事でしょう!? ヘクトール様もいつも信義と仁義が何よりも大事だと仰っていたではありませんか! あれは嘘だったのですか!?」

「……っ!」

 ヘクトールが目を見開いた。それから今までの自分の言動を顧みたのか、バツの悪そうな顔で再び頭を掻いた。

「……確かにそうだな。お前の言う通りだ。仁義は大事だ。受けた借りは返さねぇとな。それにエヴァンジェリンやその先の天下とやり合ってくには、他にも強い奴を仲間にしていかなきゃな。俺は自分の好き嫌いっていう狭い視野だけで物を考えちまってたぜ」

「ヘクトール様……! 良かった……解って頂けたのですね!」

 ディアナが喜色を浮かべるとヘクトールも苦笑しながら頷いた。そして少し面白そうに2人のやり取りを見守っていたファウストに向き直る。

「あー……さっきまでの態度を謝罪するぜ。お前さんは間違いなく俺達の恩人だ。それにその腕前も大したモンだ。俺からも頼むぜ。もしお前さんさえ良ければ、是非俺達の仲間に加わっちゃくれねぇか? 俺達の当面の相手は、さっきの奴等とその親玉のエヴァンジェリンだしな」

 ヘクトールも素直に謝罪して推挙に回ってくれる。しかしファウストは微笑しながらもかぶりを振った。

「……私如きに過分な評価と推挙、誠に痛み入ります。しかし残念ながら私には先程も申し上げました通り、この世の美しい女性を探すという目的が……」


「――美しい女性ならもう目の前にいます(・・・・・・・)! あ、あなたの旅はここで終わりです!」


 ファウストの辞退の台詞を遮るようにディアナが叫ぶ。まさかの台詞にファウストだけでなくヘクトールまでも目を丸くする。少なくともヘクトールの知る限り、ディアナが表立って自分を美人だと公言した事はなかった。 

「あー……ディアナ?」

「な、何ですか、ヘクトール様!? 何か言いたい事でもあるんですか!?」

 何故か耳まで紅潮させたディアナが、恥ずかしさの余り若干涙目になりながらヘクトールを睨む。彼は慌てて手を突き出してブンブン振った。

「い、いやいや! 俺は勿論、この国の奴等は皆そう思ってるぜ、うん!」

「ほ、本当ですか……? だったら、まあ……いいんですけど……」

 ディアナの怒り(?)が尻すぼみになる。しかし顔は依然として赤面したままだったが。


「ふ……ふ……あははは!」

 そのやり取りを見ていたファウストが唐突に噴き出した。これまでの彼のイメージとは少し違う屈託ない笑いであった。

「ファ、ファウスト様……」

「ふふふ…………ああ、失礼。そうですね……確かに貴女はお美しい。いえ、これからもっと美しくなっていくでしょう。可憐な華が更に美しく開花していく様を間近で見せて頂くのもまた一興かも知れませんね」

「……! では……?」

 ディアナが期待を込めて尋ねると、ファウストは気障な動作で一礼してその場にひざまずいた。

「ええ、貴女の熱意に打たれました。非才の身ではありますが、私の力が今の戦乱の世を終わらせる一助となるならこのファウスト、喜んで貴女の元に馳せ参じましょう」

「ファウスト様……ありがとうございます! これから宜しくお願い致します……! 共にこの戦乱の世を終わらせましょう!」

 ディアナは感激して彼の臣礼を受ける。ここに流浪の吟遊詩人ファウストが正式にディアナ軍に加入した。




 こうして刺客を撃退する事に成功したディアナは、それだけでなくまた1人新たな矛をその幕下に加える事ができた。

 刺客を差し向けられた事で、いよいよエヴァンジェリン率いるラドクリフ軍との対決は避けられぬ物となりつつあった――


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