第十四幕 訓戒の悪夢(Ⅰ) ~経済封鎖

文字数 3,139文字

 カリオネル火山から噴き出た火山灰によって出来た沃土を持つリベリア州は、政局さえ安定すれば本来はかなり豊かな州であった。しかし大規模な民衆反乱の発端の地となったり、立地上の問題でパルージャ帝国の進軍路になったりといった歴史的背景によって政局が定まらず治安は乱れ、長らく辺境扱いされてきた。

 だがそこに誕生したのが新たにリベリア王となったディアナだ。麾下に優秀な武将や官吏も揃っているディアナ軍は、地盤固めを優先していた事もあってリベリア州内の国力増強に熱心であった。

 そうなれば元々は高いポテンシャルを持つリベリア州の事、急速に豊かになり始めていた。そしてそんな発展著しいディアナ軍やリベリア州を裏から支えているのが、他州との交易や州内の経済の循環に重要な役割を果たしている商人たちであった。

 この時代の中原における隊商の役割は大きく、経済の循環や物流はほぼ彼等に依存していると言っても過言ではなかった。その依存があるだけに、例えどれほど戦乱の世が続いていようが商人の通商だけは不可侵の領域として、各勢力の君主たちの不文律ともなっていた。

 商人にだけは手を出すな。

 これは現在中原が戦乱の世とはいっても、いわゆる『内戦』であってお互いに同じオウマ帝国の臣民であるという意識が根底にあったからこその不文律であった。無論山賊盗賊の類いはその限りではないが、統一もされていない小勢力である賊の被害など、中原全体としてみればたかが知れていた。

 これがパルージャ帝国のような完全なる外敵であったり、もしくは『七国戦乱時代』のようなそれぞれ別々の国であった時代なら話は違っていただろうが。

 しかし今の時代において、もしその不文律(・・・)を破る者が現れたら? それは全く新たな脅威として中原の人々を恐怖と不安に陥れる事になるだろう。


******


「ええい、ここもか! これでもう4件目だ! 一体どうなってる!?」

 執務室で声を荒げて竹簡を投げつけるのは、ディアナ軍の官吏長として内政を統括しているバジル・ジェレミ・マルセルムであった。君主であるディアナが旗揚げした最初期から彼女を支え続けてきた『四忠臣(しちゅうしん)』の1人で、ディアナの最も信任厚い内政官でもあった。

 だがこの日……いや、ここ最近はただでさえ陰気で不愛想な彼の雰囲気が、まるで視線だけで人を殺せそうな程に荒みきっていた。

「我が軍との取引を急に全て取りやめたいなどと……奴等に何のメリットがあるのだ! 我が軍はリベリア州全土を統べ、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだぞ!? このような不条理はあり得ん!」

 バジルが机を叩くと、正面にいた御用商人がビクッと身体を震わせる。

「も、申し訳ありません、バジル様。何分私どももこのような事態は初めてで……。どの商会に掛け合ってもとにかくウチとは取引できないの一点張りで。理由を聞いても誰も答えようとせずに目を逸らすのです」

 御用商人は大汗をしきりに手拭いで拭きながら弁解する。バジルはそれにやはり凶悪な視線で一睨みを返す。

「もういい! 俺に言い訳している暇があったら、一件でも通商契約を取り戻してこい! 今度同じ報告を持ってきた日には御用商人は別の奴に変えてやるぞ! 解ったな!?」

「ひ、ひぃぃっ! お、お許しください! つ、次こそは必ずやぁっ!」

 不機嫌の極みにあるバジルから逃げるように御用商人は部屋から飛び出していった。それと入れ替えるように部屋に入ってくる者があった。


「バ、バジル様……」

「ええい、今度は何だ! ……っ!? ディアナか……すまん」

 入ってきたのが誰かも確認せずに苛立たし気に怒鳴り散らすバジルだが、それがディアナであった事に気付いて、何かを堪えるように大きく息を吐いた。

「バジル様……ここ何日も殆ど休まれていないのでしょう? せめて何か口に入れてお休みください。ヤコブ様やイニアス様らも頑張ってくれていますから、少しくらいお休みになられても大丈夫です」

 心配そうに告げるディアナは、その手に軽食の乗った盆を持っていた。ここ数日、寝る間を惜しんでこの問題の対処に当たっているバジルを心配して訪問してきたようだ。

 他の者であれば休んでいる暇などないと怒鳴り付けて追い出していた所だが、流石にディアナ相手に色々な意味でそれは出来ない。バジルは再び大きく息を吐いて椅子に身体を預けた。

「ふぅ……ああ、心配をかけて済まんな、ディアナ。あの商人ではないが、何分このような事態は初めてでな。俺も少々気が立っていたようだ。お前の言う通り少し休む事にする。無理をして倒れては元も子もないからな」

「……! バジル様、ありがとうございます!」

 ディアナは嬉しそうに笑って、バジルの机の上に運んできた軽食を置く。そしてニコニコしながら彼が食事に口を付けるのを待っている。その空気に押されるようにしてバジルは仕方なく食事に手を付けた。


「でも……それほど深刻な状況なのですか?」

 ある程度彼が落ち着いたタイミングを見計らってディアナが不安そうに眉を顰める。外敵の軍事力による直接的な脅威とは性質が異なる為に今一つ実感が薄いようだ。バジルは相変わらず不機嫌な表情で頷いた。 

「かなり深刻だな。勢力全体として大口の取引があった商会が立て続けに、うちとの取引を打ち切ってきた。勿論代わりの業者紹介なども無しだ。この辺りに規模の大きい商会は他にはない。今は小口の商人や行商人などと個別に取引して糊口を凌いでいるが……そんなやり方では当座凌ぎにしかならん。早晩限界が来るだろう。このままでは我が軍は武器も物資も何も回らなくなり、戦わずして干上がるぞ」

「な…………」

 ディアナは目を見開いた。そこまで深刻だとは思っていなかったのだ。同時に中原における商人というものの影響の強さを思い知らされた形だ。他州との取引は勿論、自州内でも都市間同士の物流は全て商人のネットワークで構成されている。

 物流は全ての経済活動の基本だ。そこを丹念に断たれると途端に経済が崩壊の危機に陥る。

「ち、因みに経済が崩壊してしまうと……どうなるのでしょうか?」

「そうだな。実に様々な影響があるが解りやすい所でいけば、まず兵士達に給金が払えなくなるな。勿論その上の将や官吏達にもだ。そうなるとどういう事になるか分かるな?」

「……っ」

 本当に解りやすい例えだ。当然そんな事になったら軍を維持するどころではなくなる。ディアナ軍は戦わずして瓦解してしまう。

「だが安心しろ。俺がいる限り絶対にそんな事態は防いでやる。だからお前達はこの問題に気を取られずに他の勢力との外政に専念しろ。お前は必ず帝都に上洛を果たし、その後は天下を統一する人間なのだ。このようなつまらぬ些事で断じて躓かせはせん」

「バ、バジル様……」

 それは彼なりの自負であるようだ。戦や軍略ではディアナの役に立てないが、その分彼女が立つ土台(・・)を支える。それが自分の役割と心得ているのだ。それだけに今回の問題を絶対に解決しなければと意気込んでいるのだろう。


「ふぅ、お前が持ってきた食事を食べたら眠くなってきた。昨日も寝ていないので流石に限界のようだ。今日はもう休む。お前も俺が言った事を忘れるなよ」

 そう言ってバジルが立ち上がった。本当に疲れて眠そうであり、ディアナを追い払う為の方便という訳ではなさそうだ。ディアナも頷いて立ち上がった。

「解りました。私も自分の仕事に戻りますので、バジル様もゆっくり静養なさって下さい。約束ですよ?」

「ああ、約束だ」

 バジルが請け負ったのでディアナもそれを信用して部屋を辞した。自分の執務室に戻りながら、彼女もこの見えない危機に対して何か自分にも出来る事はないか思案するのだった……
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