第五幕 闇に蠢くもの(Ⅱ) ~囮作戦

文字数 3,955文字

「ふむ、それは確かに由々しき事態かも知れんな。……実はこの街は前の領主であるエヴァンジェリンの影響で、かなり娼業(・・)が盛んなようでしてな。特にスラムに点在する悪質な娼妓宿となると氏素性も解らぬ娼婦が多数働かされているという情報もある。見目の良い女(・・・・・・)を誘拐してそういった娼妓宿に売りつける奴隷商人紛いの連中までいるらしい」

「……!!」

 幸いというかオウマ帝国には奴隷制度はなかったが、遠い異郷の国であるパルージャ帝国には未だに奴隷制度が公然と存在しているらしい。奴等の何度かの遠征を経てその捕虜などからパルージャの文化が中原に流入すると、奴隷制度とまではいかないが人を売買するという価値感が一部に根付いてしまい、盗賊などが人攫いも兼業するようになった。

 ディアナ自身もまだ浪人だったころに、盗賊に捕まって売られかけた事があるくらいだ。あの時は義兄が助けてくれたが、もし1人だったらと思うと他人事ではなかった。

 そしてエトルリアは以前までの君主があのエヴァンジェリンだった事もあり、そういった人身売買などはほぼ野放しだったのだろう。

 そして見目の良い女という事であれば、ヤコブの娘であるユーフェミアはまさにその条件に合致するという事になる。ヤコブの顔が青ざめた。

「そ、そんな! 何とかしてくれ! 頼むっ!」

「解っている。落ち着け……と言っても難しいか。幸いというか儂も今は手が空いておる。すぐにでも衛兵を動員して、ユーフェミアが消えたという工業地区を中心に捜索するとしよう」

 ディナルドが請け負うとヤコブは少しだけ安心したようだが、それでもまだ不安そうに青ざめた顔のままだ。それも当然だろう。先程の話を聞いては安心できるはずがない。

「ディナルド様、ヤコブ様。微力ながら私もお手伝い致します。こう見えてもこの街の、そしてこのリベリアの君主ですから、出来る事もあるかも知れません」

「ディ、ディアナ様も……ありがとうございます!」

 ヤコブは涙ながらに感謝の意を示した。だが感謝するのは実際にユーフェミアが無事に見つかってからでいいだろう。


 こうしてディアナ達はそれぞれの分野からユーフェミアの捜索に乗り出した。ディナルドは衛兵隊を使っての実地捜査。ヤコブは知り合いの文官や商人などに片端から情報収集を続ける。ディアナも今種としての立場を利用して高官や出入りの商人、使用人など様々な伝手を頼って聞き込みをしてみた。

 だが皆色街の噂は知っていても、実際に攫われた女性を買い取って客を取らせている娼妓宿は知らなかった。ただの噂話だと思っている者も多いようだ。ヤコブの方も同じような感じらしい。ディナルドもどうやら誘拐はプロの仕業らしく、痕跡がぱったりと途絶えて捜査は難航しているとの事。



「あまりあからさまにスラムの娼妓宿を片端から調べようとすれば、警戒した犯人達が証拠を隠滅(・・・・・)しようとしかねませんからな。なんとか奴等を刺激せずに上手く調査できる方法があると良いのですが……」

 数日後、それぞれの成果を持ち寄ったディアナ達だが、やはりというか誰も目ぼしい成果は挙げられずに場は暗い雰囲気に包まれていた。ヤコブなどはこの数日間で心労によってげっそりとやせ細っていた。

 ディナルドがそう言って唸るのを聞いて、しかしディアナは天啓のようにとある考えが閃いた。

「刺激せずに調査する。それには内部に潜入(・・・・・)するのが一番だと思いませんか?」

「……! それはまあ……確かに上手くバレずに潜入できればそれが一番ではありますが……しかしそもそも奴等の居場所を特定すら出来ていない状態でどうやって潜入するのかという問題がありますな」

 ディナルドは認めつつも問題点を指摘する。だがディアナは自信を持って頷いた。

「あら? 奴等と確実に接触する方法ならありますよ。例えばユーフェミアさんは少なくとも一度は奴等と接触(・・)している訳ですよね?」


「……!! つまり奴等にわざと誘拐される……囮捜査(・・・)、という事ですかな?」


 ディナルドとヤコブが目を瞠っている。どうやら思いもよらなかったらしい。ならば誘拐犯たちも思いもよらないに違いない。ディアナはこの計画により自信を持った。

「し、しかし一体誰を囮に? 万が一露見したら命の危険だってあるでしょうし、そんな危険な役どころをいくら娘の為とはいえ見も知らぬ女性にやって頂く訳には……」

 ヤコブが心苦しそうな様子でしきりに恐縮している。ならば彼はもっと恐縮するかも知れない。

「確かに無関係の他の女性を巻き込むのは気が引けますね。であるなら……もっと適任(・・)の存在が目の前(・・・)にいるじゃないですか」

「……!? ま、まさか……?」

 ヤコブもディナルドも、彼女が何を言いたいのかを察して信じられない物を見るような目を向けてくる。

「あり得ません! 今のあなたはただの女性ではないのですぞ!? いくら犯罪捜査のためとはいえ、御身を危険に晒すような事は認められません!」

「お、お気持ちはありがたいのですが……もし娘を助ける為にあなたが危険な目に遭ったらと思うと……」

 2人共調子は異なるが反対の意向を示してきた。それはまあ当然だろう。今のディアナはリベリア州を統べる君主なのだから、ましてや犯罪捜査の危険な囮になるなど考えられない事だ。しかし……

「考えられない、あり得ないからこそ相手の意表を突けるとは思いませんか? それに危険な役割だからこそむしろ私が率先して出向くのです。そのような危険を他の女性に押し付ける訳にはいきませんし、そもそも私以上に適任の女性がいますか?」

「……! それは……」

 ディナルドが唸る。危険も想定するならば本人に武芸の腕前があった方がいいのは当然だ。だが今のこの帝国で武芸を身に着けている女性は一般的ではなく、もっと言えばそれなりに希少でさえある。

「それか【伊達男】マリウスの軍から誰か引き抜いてきますか? 応じてくれるとは思えませんけど」

 やはり最近同じようにトランキア州を制覇して【王】となったマリウスの軍は、配下が女性武将ばかりである事で有名だ。確かにマリウス軍であれば腕に覚えのある女性はすぐ見つかるだろうが、この男尊女卑の中原において女性でも積極的に重用してくれるマリウス軍から敢えて抜けるような女性は皆無だろう。

 それどころかマリウス軍の台頭を見て、今まで中原に燻っていた武芸や軍略に覚えのある女性達が仕官を希望して続々とトランキア州に集まっているという情報もあるくらいだ。

 マリウス軍を例外とすればディアナは非常に貴重な女武者と言える。確かにこのような危険な仕事を遂行するのに彼女以上に適任の女性はそうそう見つからないだろう。ネックなのは彼女の身分だけだ。


「…………お、お願いします、ディアナ様! どうか娘を……娘を助けて下さい!」

「……!」

 ヤコブが最初に折れた。ディアナ以上の適任がいないという現実に、主君への遠慮よりも娘の救出の方が優先したのだ。

「む……ええい、止むを得ん! ただし囮の監視にはこの儂自らが就きます。そして貴女もご自分の立場を自覚して、くれぐれも無茶をし過ぎないようにお願い致しますぞ?」

 ディナルドも他に有効な手立てがない事とヤコブの心情を慮って渋々ディアナの囮作戦を認めた。彼女は大きく頷いた。

「ありがとうございます、ヤコブ様、ディナルド様。お任せ下さい、必ずや犯罪組織の居所を暴いてみせます。そしてユーフェミアさんを含めて攫われた人達を必ず無事に救出しましょう!」

 こうしてディアナ発案の囮誘拐作戦が実施される運びとなった。


*****


 州都エトルリアの工業地区。日用品から服飾品、それに武器や鎧を始めとした軍事用品、様々な物を造る工房が所狭しと並んでいる産業地区だ。リベリア州には特産品と呼べる物が少なく、割と節操なく何でも造るので、そうした地域柄を反映して工業地区は実に様々な種類の工房が立ち並んでいる。

 そんな活気のある工業地区も、日が沈んで来ればやはり人気が無くなってくる。最低限の街灯以外には光源もないような眠れる工業地帯。そんな通りの1つを急ぎ足で通り過ぎる1人の女性の姿があった。

 少し裕福な家の町娘といった感じの服装で、はちみつ色の髪を緩く二つに束ねて垂らしているその女性は……無論変装したディアナであった。

 彼女は同じ姿で同じ時間帯にこの場所を通り過ぎるのを、既に3日ほど繰り返している。目を付けてから拉致を決定してそれを実行に移すというプロセスを考えると早ければそろそろ……


「……!!」

 道を行く彼女の前に数人の男が立ち塞がった。顔を覆面で隠している。後ろにも2人。かなりの早業だ。これは確かに一般の女性では為す術もなく攫われるのも頷ける。

(来たわね……!)

「な、何なの、あなた達!? こ、来ないでっ!」

 ディアナの腕なら抵抗する事も可能だが、それでは意味がない。それに仮にここでこいつらを捕らえたとしても、やはり失敗したと悟った敵が証拠を隠滅(・・・・・)してしまう危険がある。

 無力な町娘を演じるディアナ。最近はお忍びで出掛ける事が増えていたので、演技も割と様になっている。髪型も変えているので、彼女がリベリア王であるなどと万が一にも疑う者はいないだろう。


「黙れっ!」

 案の定男達も彼女の正体に気付かず、騒ごうとした町娘の口を封じる為に素早く踏み込んで、彼女に充て身を喰らわせる。

「うっ!」

 彼女が怯んだ所に素早く大きな布袋を被せてきた。そのまま慣れた手際で担ぎ上げられ、どこかに運ばれていく。

(女性を攫って売り飛ばす卑劣な犯罪者達め。見ていなさい。必ずお前達の犯罪を明るみに出してやるわ)

 粗末な厚手の布に包まれて暴漢の肩で揺られながら、ディアナは固く決意を燃やすのだった……
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