第十幕 老当益壮(Ⅲ) ~老兵は死なず……

文字数 5,050文字

 メルヴィンはこちらがまさか追撃を選択してくるとは想定していなかったらしく、その撤退ルートを追跡するのはカイゼルやドゥーガルら歴戦の将からすれば左程の難事ではなかった。

「ディアナ殿、奴等を発見しましたぞ」

「……!」

 ドゥーガルが出していた斥候がメルヴィンの部隊を発見したらしく、彼等は敵に気付かれないように慎重に行軍していく。街道からは外れた森の中の開けた場所に陣取っている。確かに敵地を行軍するに当たっては目立たずに陣を張れる場所だが、一旦捕捉されてしまうと周囲は見通しの悪い障害物だらけで、奇襲してくれと言っているようなものだ。

 ここからは予め決めておいた手筈通りに進めていく。ディアナは何も心配していなかった。カイゼルやドゥーガルであれば必ず最大限の戦果を挙げてくれるはずだ。

「では……行きます!」

 日が落ちるまで待ち、ディアナは500程の兵を率いて、夜営中のメルヴィンの陣へと奇襲を敢行する。兵は少ないが彼女の目的はここで敵を殲滅する事では無いので問題ない。

「かかれぇ! 敵を混乱させて引っ搔き回してやりましょう!」

 ディアナ率いる夜襲部隊が、碌に警戒しておらずだらけているメルヴィンの陣に雪崩れ込む。当然すぐさま怒号や悲鳴が鳴り響き、周囲は大混乱に陥る。ディアナの部隊はその混乱の隙をついて、当たるを幸い敵を斬りまくる。

 当然その騒ぎは本陣にいるメルヴィンにもすぐに伝わる。


「馬鹿な、夜襲だと!? わざわざ俺達を追ってきたというのか!?」

 伝令から報告を受けた彼が慌てて外に出ると、確かに陣内で敵軍が暴れ回っている。しかもその夜襲部隊を率いているのは……

「メルヴィン! どこにいるのですか!? こそこそと逃げ隠れせず、出てきて尋常に立ち会え!」

「あ、あれは……ディアナ!?」

 勇ましい掛け声と共に味方を鼓舞し敵を挑発するのは、派手な鎧に身を包んだ女性武者。その姿を見間違える事は絶対にあり得ない。

「まさかあの援軍を率いていたのはディアナ本人であったのか! おのれ、ならばあそこで逃げずに戦って打ち破っていたものを……! いや、今からでも遅くはない!」

 ディアナの姿を認めたメルヴィンは、その瞳に憎悪と妄執を滾らせる。これで夜襲を率いていたのが他の将であれば、メルヴィンは危険を冒そうとせずに動ける部隊だけを率いて逃げ出していたはずであった。

 そしてこれこそが、ディアナ自身が夜襲部隊を率いている理由であった。メルヴィンは既に自らが相手の戦術に嵌っている事に気付いていなかった。


「であえ、であえぇぇっ!! あそこにディアナ本人がいるぞ! 何としても討ち取れぇっ!!」

 声を枯らして叫びながら混乱する味方に指向性を与えて、素早く態勢を立て直すメルヴィン。奇襲で混乱した軍を立て直すにはかなりの統率力が要求される。やはりこのメルヴィンという男、人格はともかく将としての能力は高い。

「くっ……もう態勢が整いつつありますね。やはり手強い……! もう少し削れるかと思いましたが、あまり欲張ると足元を掬われますね。皆さん、撤収します!」

 状況の変化を悟ったディアナは、それ以上夜襲に拘泥せずに手筈通り素早く撤収に移る。当然ながら妄執に取りつかれたメルヴィンがそれを黙って見送るはずがない。

「おのれ、ディアナめ! 逃がすかぁっ!! 追え、追えぇぇっ! あの女の首を獲る千載一遇の機会! 逃してなるものか!」

 狂乱したように、逃げるディアナに追い縋るメルヴィン。彼には最早憎きディアナ以外に何も見えていなかった。そして当然そのツケ(・・)はすぐにやってくる。


「……!」

 周囲に林立する森の間を縫うようにして大量の伏兵が出現したのだ。全てディアナ軍の兵士だ。

「こうまで見事に作戦に嵌るとはな。ディアナ殿は特にラドクリフ軍の残党にとっては究極の釣り餌のようであるな」

 伏兵を率いるカイゼルが半ば呆れたような口調で呟く。長い戦歴を持つ彼をして、ここまで綺麗に釣り出された敵はそうはいない。

「流石はカイゼル様! これ以上ない絶好のタイミングです! 私達も反転して敵軍を挟撃します!」

 伏兵が見事奇襲を成功させて敵軍を大混乱に陥れているのを見たディアナは、素早く部隊を反転させて自らも包囲殲滅に加わる。

「おお……おのれぇぇぇぇっ!! 伏兵とは卑怯な! 正々堂々と戦え、ディアナ!!」

 三方向から攻め立てられる事になったメルヴィンは憤怒の形相で吼えるが、戦場においてそれは的外れの遠吠えでしかなかった。

「ぬぅぅぅ!! くそっ! 撤収だ! 撤収するぞ!」

 頭ではそれを解っているのか、メルヴィンは血走った目で退路を探し撤収を指示する。混乱していてもそこは優秀な指揮官である彼は素早く部隊を統制して、来た道を取って返していく。だが……

「……!!」

 撤退する彼等の退路にも散発的に伏兵が配されていて、矢の雨や落石などの罠を発動させてくる。その都度進路変更を余儀なくされるメルヴィン。

 メルヴィンの退路を正確に予測して伏兵を配し、巧みにメルヴィンの逃げる方向を誘導(・・)するよう采配したのも勿論カイゼルだ。

「ぬぬ……こんな所にも罠が……! おのれ、ディアナめ! どこまでも姑息な女だ!」

 毒づきながらその都度退路を修正するメルヴィンは、自分が巧みに進路誘導されている事に気付いていなかった。

 様々な罠や伏兵、そして後ろから追い縋ってくるディアナ達に追い立てられて、メルヴィンはとある地点(・・・・・)に誘導された。そこには……


「ほっほっ……先だってはようやってくれたのぉ、若造。今度はこちらの番じゃな。『金剛不壊』の鉄壁陣、今こそ思い知らせてくれようぞ」

「……っ!!」

 そこにはドゥーガルが率いる500の部隊が、準備万全で待ち構えていた。この先に逃げるにはドゥーガルの部隊を突破しなくてはならない。

「ぬぅぅぅ! 死にぞこないのジジィが! いいだろう! 今度こそ煉獄送りにしてやるわ!」

 ドゥーガルの部隊を強引に突破しようと一気呵成に突撃を仕掛けるメルヴィン。ディアナ達に追い立てられたとはいえ、それでもまだ1000以上の兵数がおり、まともに戦えば如何にドゥーガルが相手であってもそうそう引けは取らなかったであろう。

 しかし後ろからディアナやカイゼルら本隊が迫っているという事実がメルヴィンの心に焦りを生み出し、そして焦燥に駆られた突撃など防衛戦に長けたドゥーガルなら例え倍する兵力差であっても、その突進を巧みに受け流し足止めをするには充分すぎる程であった。

 自軍の半数程度の部隊を突破できなくて苛立つメルヴィン。そうこうしている内に後方からディアナ達の本隊が迫ってくる。このままでは挟撃されるが、それが解っていても今更どこにも逃げようがなかった。

「お、おぉ……おのれぇぇぇぇっ!! ディアナァァァァァッ!!!」

 メルヴィンの怨嗟の絶叫が戦場に虚しく轟くのであった……




「ち……おい、縄がきついぞ! 身代金が欲しかったらもう少し丁重に扱え!」

 戦後処理の仮設陣内。そこには縄で厳重に縛られたメルヴィンが胡坐をかいてふんぞり返っていた。

 勝ち目無しと見たメルヴィンは降伏を選択した。生き延びる為には手段を選ばなかったし、彼には身代金が支払われる当て(・・)があった。ならば降伏という選択肢を取る事に何の躊躇いも無かった。

 勿論捕虜になった時点で相手に生殺与奪を握られる事になる訳だが、ディアナの性格やその甘さを知る彼は、彼女が捕虜の処断など出来ずに必ず身代金と引き換えに解放するだろうという確信があった。

 なのでその侮りや安心が露骨に態度に表れており、傲岸不遜な振る舞いに繋がっていた。しかし彼を見下ろすディアナの目は、非常に冷たく感情が欠落しているようにも見えた。


「縄がきつい? それが遺言(・・)ですか?」

「っ!?」

 彼を見下ろすディアナの手には抜身の剣が握られている。この時点でメルヴィンは不安を感じ始めて落ち着かなくなる。

「お、おい……俺は無抵抗の捕虜だぞ!? お前はそういう女じゃないだろ?」

「あなたが私の何を知っているというのですか? あなたは戦で負けた事を逆恨みして私の命を狙い、私の臣下を罠に嵌めて殺しかけた。そんな人物を再び野放しにするほど私は甘くありませんよ?」

 ディアナは冷たい瞳のまま、メルヴィンに切っ先を向ける。彼の顔が青ざめる。

「お、おいおい、待て! お、お前、浪人のはずの俺が何故こんな大勢の兵を引き連れていたのか気にならないか!? 俺を見逃すというなら教えてやって――」

「――それも粗方の見当なら付いています。私があなたを生かしておく理由は何一つありませんね」

 ディアナは有無を言わせず容赦なく剣を振りかぶった。

「ひぃっ!? ま、待て! 待ってくれ! わ、解った! お前達の仲間になる! だから―――」

 ――ザシュッ!!

 聞き苦しい命乞いを最後まで聞く事無く、ディアナは振りかぶった剣を斬り下ろした。切っ先は正確にメルヴィンの喉を切り裂いていた。大量の血を噴き出しながら倒れるメルヴィン。恐怖と憤怒と悔恨と……その他雑多な感情が綯い交ぜになった表情のまま彼は息絶えていた。


「…………」

 血に濡れた剣を携えたままその死体を見下ろすディアナ。その身体が僅かに震えている。

「……あやつはディアナ殿を逆恨みして、ここで解放したとて今後も敵対し続けたでしょう。あなたのやった事は君主として当然の事なのです」

 それまで黙って成り行きを見守っていたドゥーガルが、遠慮がちにフォローする。ディアナは振り返って小さく微笑んだ。だがその顔はやはり少し引き攣っている。

「そう……ですね。ドゥーガル様、それにカイゼル様。私の我が儘を聞いて頂きありがとうございました。ただ少し疲れてしまったようです。申し訳ないのですが、事後処理はお任せしても宜しいでしょうか?」

「……無論です。兵を付けますので、どうぞエトルリアまでお戻り頂きごゆっくり静養なさって下さい。こちらは私とドゥーガル殿だけで充分です」

「ありがとうございます、カイゼル様。では申し訳ありませんが、お言葉に甘えさせて頂きますね……」

 ディアナはいつもの快活さや勇明さが鳴りを潜めており、言葉通り本当に疲れた様子で帰投していった。その後にカイゼルが付けた兵士達が追随していく。その後ろ姿を見送ってドゥーガルが嘆息した。


「……戦場で敵を殺すのと、捕虜となった者を処断するのとではまるで性質が違う。だがこれからも戦乱が続くとなればいずれは避けられぬ事でもあったか」

「そうだな……。そしてディアナ殿はそれを解っているが故に、敢えてご自分で直接処断を実行されたのだろう。今後同じ決断を迫られた時に躊躇う事がないようにと……」

 カイゼルも同意するように深く溜息を吐いた。だがその目にはディアナの決断を賞賛する色があった。それはドゥーガルも同じであった。

「全く……素晴らしい大器じゃな、我等が主殿は。ディアナ殿であれば他の【王】達を下し、必ずやこの中原を統一する事が出来るはずじゃ。……それを恐らく見届けられんのが残念ではあるが」

 既に老齢の域に入っている彼等が生きている内には流石に天下統一は成らないだろう。


 リクール、トリスタン、マリウス、そして勿論あのサディアスも……。各州を統べつつある他の【諸王】達はそれほど甘い相手ではない。だが時間は掛かってもディアナであれば必ずや勝てるはずだ。その確信が2人にはあった。   

  
 だがカイゼルの顔に悲観はなかった。

「それで良い。これからは次世代を担う若者達の時代だ。儂らはあくまでそれを補佐する立場で良い。そしてその時(・・・)がくれば、若き英雄たちに後事を託して消えていく……。それが自然な世の摂理だ」

「ふ……真理じゃな。儂らには儂らに出来る事をやるしかないか。その時が来ても後悔せんようにな」

 ドゥーガルも苦笑しつつ頷く。老将である彼等だからこそ相通ずるものがあるようだ。カイゼルが手を叩いた。

「さあ、あまりディアナ殿を心配させる訳にもいかん。先の話はもう充分だ。今はお主の言う通り目の前の仕事から片付けていくとしようか」

 そうしてカイゼル達は戦の事後処理に移っていった。



 君主として一つの大きな壁を乗り越えたディアナ。強い心理的負担を被った彼女に、しかしまだ安息の時は訪れない。メルヴィンだけではなく、同じようにディアナに身勝手な復讐を目論む者達が遂に本格的に動き出しつつあった……
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