第十六幕 反攻開始(Ⅵ) ~首魁

文字数 3,304文字


「ディアナ、大丈夫か!?」

 バジルが慌てて駆け寄ってきて介抱してくれる。

「は、はい、済みません。少し気が抜けてしまって……。でも、ありがとうございます。バジル様。よく決定的な証拠を探し出して下さいました」

「俺の仕事など何でもない。お前が奴等の注意を引き付けてくれていたからだ。あのリカルドという男が警備に就いていたら、とても強引に踏み込む事などできなかっただろう。まさか、あれ程の手練れがナゼールの仲間にいたとは計算外だった。結果お前を危険な目に晒してしまった。済まなかった」

 バジルは素直に計算違いを認めてディアナに謝罪した。ディアナは慌てて手を振った。

「い、いえ、そんな事は……。バジル様は事前にリスクなどをご説明下さいましたし、その上で私自身の意志で今回の作戦に参加すると決めたんです。別に誰かの責任になどしません」

「……済まんな。さて、いつまでもこんな所にはおれんな。この街の官憲への説明や対処は全てヤコブが処理してくれる。俺達はひとまず宿に戻ろう。ナゼールの奴の金で泊まった宿だが、どうせなら最後まで利用させてもらうべきだろう。落ち着いて話したい事もあるしな」

「……! そうですね。では宿に戻りましょうか。正直少し疲れましたし」

 2人は兵士達を伴って、当初宿泊していた宿に戻っていった。



*****



 ディアナに割り当てられた客室。当然今はリカルドもおらず安全だ。ディアナは激しい精神的肉体的疲労から、寝台に入って上体だけ起こした姿でバジルと話していた。バジルは寝台の横に椅子を持ってきて座っている。

「先程ヤコブから連絡があって、ナゼールの屋敷を官憲が調べて例の工房も改められたそうだ。そこで証文の偽造が為されていた事が太守にも認められて、奴の『借金』は晴れて帳消しになったとさ。勿論他の罠に嵌められてた連中の借金もな」

「……! そうなんですね。それは良かったです。ヤコブ様にはご家族もいらっしゃるとの事で心配でしたから」

「ああ、そうだな。ついでに報告しておくと、今回の件でヤコブには貸し(・・)を作る事になった。丁度良いのでトレヴォリからゴルガに転籍してもらう事で話が着いた。要は引き抜きだな」

「え? そ、そうなんですか? でも、どうして?」

「そうは見えんかも知れんが、あの男はあれで官吏としてはそれなりに優秀なんだ。それを引き抜くとなれば、かなりの費用が掛かるのが普通だ。それを今回の件を以ってタダ(・・)で引き抜けるんだ。こんな機会はそうそう無いからな」

 それは如何にも『守銭奴』バジルらしい考え方だった。しかしディアナは別の事が心配になった。

「でも、大丈夫なんですか? 余りヤコブ様の意に反して強引に事を進めてしまうのは……」

 無理やり引き抜いて遺恨が残ったりしないものだろうか。だがバジルは問題ないとばかりに頷いた。

「勿論タダなのは引き抜きの契約金だけで、きちんと俸禄は支払う。ヤコブ自身も今回の件でトレヴォリに居辛くなったらしいし、どうやら渡りに船だったようだぞ? 家族にはきちんと話すと言っていた。俺自身も使える同僚が欲しかった所だ。何せゴルガでは金はその辺から勝手に生えてくるとでも思ってる連中ばかりだしな」

「……! ぷっ……ふふ、確かにそうですね。解りました。バジル様の負担を減らすという意味でも、ヤコブ様ご自身が納得されているのであれば、是非ゴルガに来て頂きましょう」

 恐らくアーネスト達を皮肉っていると思われるバジルの言い様が可笑しくて、少し吹き出しつつディアナはヤコブの転籍を承認した。


「ありがとう、ディアナ。さて、ヤコブの件は前置きだ。本題はここからだが……ナゼールの工房を捜索中にいくつか重要な事が判明した。一つは、『あのお方』とやらの名前(・・)だ」

「……っ! 名前!? 判ったんですか!?」

 ディアナは思わず寝台の上で身を乗り出す。


「ああ。エヴァンジェリン・ラトクリフ。それが『あのお方』とやらの名前だ」


「エヴァンジェリン・ラトクリフ……」

 ディアナはその名前を噛み締めた。女という事だけはチリアーノの事件で判明していたが、遂にその名前が判ったのだ。

 同時に『あのお方』というのが何か抽象的な存在などではなく、実在する1人の人物だという事も。名前が判明した事でディアナは急速にその事を意識した。


「そして……どうやらこのリベリア州のどこかの君主の愛人(・・)に収まっているらしい。それがどこの君主かまでは解らなかったがな」

「あ、愛人、ですか……」

「ああ。といっても、いつまでもその立場に留まっているつもりはないようだな。どうも近々……大規模な謀反(・・)を目論んでいるらしい。ナゼールが強引な手段を使っても資金を徴収していたのはその為だったんだ」

「……! 謀反……!」

 ディアナは瞠目した。基本的にこの中原に於いて新たに自分の勢力を興す方法は二つ(・・)ある。

 一つはディアナ達がやったように放浪軍を立ち上げてから、既存の勢力に戦いを挑む『旗揚げ』だ。

 寄る辺の無い放浪軍という立場から一国を支配する勢力に勝利するのは、ディアナのように余程優秀な人材を揃えなければ難しく、総じて難易度は高いものの、もし成功すれば民や周辺諸侯、曳いては朝廷からも新たな勢力として承認されやすいというメリットがある。

 対してもう一つの方法が『謀反』である。

 これは予めその勢力に仕えながら君主の目を盗んで裏で準備を整えて、自らが仕える主である君主を裏切って反乱を起こし、内部からその勢力自体を奪い取ってしまうというやり方だ。

 これは君主を欺いて準備さえ整える事が出来れば、旗揚げに比べて余程成功しやすく安全だ。だが反面裏切り、騙し討ちという行為に対して帝国の臣民は総じて嫌悪や軽蔑を抱く傾向にあり、仮に簒奪に成功してもその後の統治は難しく、武力で民を強制的に従わせる暴君にならざるを得ないのが大きなデメリットだ。加えて朝廷からも正式な勢力として承認されにくく、むしろ逆賊扱いされてしまうリスクもある。

 旗揚げにせよ謀反にせよ一長一短があり、自分の勢力を新たに興すというのは並大抵の難事ではないのだ。


 エヴァンジェリンはディアナとは対極的なやり方である『謀反』を目論んでいるというのだ。


「で、でも今回ナゼールの企みを阻止できたんですから、その謀反の為の資金源も断てたという事ですよね?」

「いや、どうも既にかなりの額の金が流れた後のようだ。勿論これ以上の供給を断てたという点では意味があっただろうが」

「そ、そうなんですね……」

 やはりそう上手くは行かないようだ。ディアナは少し落胆した。

「まあそうがっかりするな。名前や目的が判ったのは極めて大きな成果だ。着実に奴等のベールは剥がされつつある。俺は引き続き奴等の金の流れを追ってみるつもりだ。それによって奴等の居場所がわかるかも知れんからな」

「バジル様……そうですね、ありがとうございます。でも、バジル様も余り奴等に入れ込み過ぎて本来の仕事を忘れないようにして下さいね?」

「ん……? ふ、こいつめ。勿論解っているとも。だがそれはお前にも言える事だぞ? あくまでお前はゴルガ伯なんだからな。その務めは忘れるなよ?」

 バジルはそう言って彼にしては険の無い優しい表情になって、ディアナの頭を撫でる。


「さあ、報告は以上だ。後の事は俺達がやっておくから、お前はもう休め。今日は本当に疲れただろうからな。お前はそれだけの仕事をしてくれたよ」

「バジル様……ありがとうございます。確かに、ちょっと疲れました、ね。それじゃあ……お言葉に、甘えて……休ませ、て…………」

 バジルに言われた事で改めて疲労を意識したディアナは、急速に訪れる眠気に抗えずに、そのまま寝台に横になって寝入ってしまう。

 余程疲れていたのだろうが、仮にも男であるバジルが枕元にいるにも関わらずの無防備ぶりに、当のバジルは慌てるやら苦笑するやらで忙しかった……




 遂にディアナを狙う敵の首魁の名前が判明した。そしてその不穏な目的も。

 徐々に明らかになる敵の全容にディアナは改めてその脅威を認識し、避けられないであろう対決を強く予感するのであった……
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