第一幕 乱心の復讐者(Ⅰ) ~白昼の誘拐

文字数 3,638文字

 『エトルリア戦役』が終わり、ディアナ軍がリベリア州全土を制してからまだ間もないある日。州都エトルリアから南西の隣県ピストイアに向かって伸びる街道を下る、珍しい旅人たちの姿があった。

「いやー、まさかディアナ様(・・・・・)にご同行頂けるなんて恐悦至極、私は中原一の果報者ですよ。つまらない小旅行が一転して極楽浄土の旅路となりましたよ。感謝いたします」

 その旅人の1人、剽軽な口調で同行者を褒めたたえるのは、ディアナ軍の若手官吏の中で最も頭角を現している有望株、イニアス・タッド・ウィールクスであった。

「そんな……褒め過ぎですよ、イニアス様。それにつまらない小旅行などではありません。イニアス様の大事な妹さん(・・・)を迎えに行くのですから、とても大切な用事です」

 イニアスの賛辞に照れつつ、一方でしっかり窘めるのは派手な鎧姿の女性武者。それはこのエトルリアのみならずリベリア州全域を治める【リベリア王】となったディアナ・レア・アールベックその人であった。


「そう言って頂き恐縮です。ディアナ様がリベリア州全域を制した事で、少なくともこの州内では戦乱の脅威に直接晒される事はなくなりました。ならばフランカ州と境を接しているピストイアよりも、州内部にあってディアナ軍の本拠地でもある治安の心配も少ない州都の方が家族を住まわせるのには安心できますからね」

 それがイニアスが今こうしてピストイアに向かっている理由であった。イニアスの父オーガスタスが元々ピストイアの太守だった事もあって、その家族もこの街に住んでいた。イニアスもかつてはピストイアに住んでいた事もあるのだ。

 だがオーガスタスがラドクリフ軍に降伏してその傘下に入った事で、彼は自分の家族を密かに県下の村に住む叔母夫婦に預けていたのだ。イニアスの妹であるエリナという少女は未だにその村で暮らしているとの事だった。

 しかしエトルリア戦役も終わってリベリア州内の情勢もようやく落ち着きを見せ始めていたので、この機にイニアスは大事な妹を自身も暮らしている安全な州都に引き取るべく、こうして村に向かっているのだった。

「ただ……極楽なのは間違いないのですが、やはり君主であり今やリベリア王でもあられるディアナ様がこのように都から気軽に外出されるというのも恐縮してしまいますねぇ」

「大丈夫ですよ、イニアス様。今のところは情勢も落ち着いていますし、実務の方はバジル様やクリストフ様らが州都の立て直しに大忙しの状態で、むしろ私はしばらく何もしないでくれと言われていますから。そんな折にイニアス様がピストイアに外出されると聞いて、せっかくなのでご同道させて頂こうと思っただけですから。私自身の希望なのでイニアス様が気にされる必要など全くありません」

 それがディアナが随伴している背景であった。現在州都エトルリアは、ラドクリフ軍の支配下にあった影響を取り除いて、新たな支配者であるディアナ軍の統治体制を再構築している真っ最中であり、軍師も文官達も殺人的な忙しさだ。バジルやヤコブはそれに加えて『ミラネーゼ宮』の修繕もあるので更に忙しい。

 そこに下手にディアナが口出ししようものなら却って業務に支障をきたすという事で、ある程度国内情勢が落ち着くまではディアナははっきり言えば少し暇であったのだ。なのでこのイニアスの小旅行は彼女にとって格好の暇つぶしであった。

 イニアスも文官であり当然忙しかったのだが、エトルリアに来て初めてまとまった休みが取れたので、その休日に合わせてこうして自分の所用を済ませようというのだ。

 だがそういった背景であったとしても、君主たるディアナが碌な警護も連れずに街の外に少人数で出かける事などあり得ない。なので……


「そうですよ、イニアス殿。その為に私がこうしてディアナ様の護衛に付いているのですから、万が一という事もございません。どうかご安心下さい」

 2人のすぐ後ろに随伴していたもう一人の同行者が会話に入ってくる。それは凄腕の武人でもある吟遊詩人ファウスト・ボリス・パラシオスであった。

「……! ファウスト殿……ええ、どうもありがとうございます」

 イニアスはかなり複雑そうな表情で礼を言う。それを受けてファウストが苦笑する。

「折角憧れの麗君と2人きりの旅行かと思ったら、余計なおまけが付いてきてしまって誠に申し訳ありません。しかしディアナ様の警護を疎かにする訳には参りませんので」

「……っ! な、何を……私はそのような畏れ多い事は思っておりませんとも! さ、さあ、もうじきピストイアに入ります。妹たちが暮らす村まではそう遠くありませんの急ぎましょう!」

 ファウストにあっさりと内心の図星を突かれたイニアスは動揺して、それを誤魔化すように馬の腹を蹴って速度を上げると先に進んでいってしまう。

「あ……イニアス様!?」

 ディアナも慌ててその後を追っていく。ファウストは2人の背中を見やりながら苦笑すると、自らも彼らに追いつくべく馬の歩調を速めるのだった。



*****



 その村はピストイアの県境を跨いでからそう遠くない、どちらかというとエトルリア側に近い場所にあった。リベリア州の多くの村と同じように、かつてカリオネル火山から噴火した際に地表を埋め尽くした豊富な火山灰を利用した農業が盛んな村である。

 県境には近いが以前にオーガスタスがいち早くラドクリフ軍に降伏した為に戦火に巻き込まれる事はなく、それもあって「疎開先」に選ばれていたようだ。

「ディアナ様、見えてきましたよ! あれがエリナの住んでいる村です!」

 イニアスが指し示す方向に中規模程度の村が見えてきた。一応木と石を積み上げて作られた塀に囲われており、それなりに立派な村だ。

「あの村ですか。とてものどかで過ごしやすそうな所ですね」

 ディアナもそれを認めて頷いている。しかしファウストだけは若干眉を顰めて視線を鋭くしていた。

「ふむ……普段はのどかのようですが、どうも今はそういう訳でもなさそうですね」

「え……?」

 2人の視線がファウストの方に向く。彼は村の入口を指し示した。


「私はかなり遠目が効く方なので……村の入り口に人が集まっていますね。倒れている人も何人かいるようです」


「……!」

 つまりあの村で何かが起きたという事だ。いや、今も進行形の可能性もある。

「何でしょうか? あまり大事でなければ良いのですが……」

「と、とにかく行ってみましょう!」

 少し妹が心配になったらしいイニアスが馬の速度を上げる。勿論ディアナとファウストもそれに追随する。



「す、すみません。どうかしたんですか?」

 いち早くその場に着いたイニアスが集まっている村人たちに事情を尋ねている。村人たちは最初ディアナ達の事を警戒したが、イニアスがこの村に住んでいるはずのエリナ・ウィールクスの兄だと伝えると警戒心を解いた。因みにディアナがこの州の君主だという事は話が面倒になるので伝えずにおく。

 村人たちはイニアスの素性を聞くと血相を変えた。


「あ、あんた、エリナちゃんの家族なのかい!? 大変だよ! そのエリナちゃんが攫われたんだよ!」


「な、な、何ですって!? エリナが!?」

 イニアスだけでなくディアナとファウストも驚きに目を瞠る。

 村人たちの話を要約すると、今日の朝方に1人の男がこの村を訪れて、エリナが住んでいる家がどこにあるのか尋ねてきた。聞かれた村人は警戒するが、その男は軽妙な語り口と人好きのする態度ですぐに純朴な村人の警戒心を解いてしまった。

 だがエリナの家を訪れたその男は態度を豹変させ、同居していた叔父夫妻を殴って昏倒させると、エリナを強引に連れ去ってしまったのだ。

 勿論白昼堂々の犯行だった事もあってすぐに村中に知れ渡り、自警団や力自慢の男達がその暴漢を取り押さえようとする。だが暴漢は凄まじい強さで、腰に提げていた二振りの刀(・・・・・)も抜かずに、素手で村の男達を軽々と薙ぎ倒していき、まんまとエリナを誘拐してしまったという事らしい。

 倒れている男達はその時に蹴散らされた村人のようだ。数が多かったので介抱が間に合わずに、ディアナ達が到着した時点でもまだ伸びている者がいたのだ。


「ああ、イニアス! あなたなの!?」

「……! フィオナ叔母さん!」

 村人たちの説明を聞いて青ざめるイニアスだが、彼の姿を認めて取り乱したような女性の声に顔を上げた。40過ぎと思われる女性が駆け寄ってくる。

「伯母さん、これはどういう事ですか!? エリナが攫われたって……」

「ご、ごめんなさい! あの男はものすごい速さで主人を殴り倒してしまってどうにも出来なかったの! まさかあなたが迎えに来る当日にこんな事になるなんて……!」

 フィオナは自責の念から泣き崩れてしまう。状況を聞く限り彼等に責任はないだろう。エリナを連れ去った男はかなりの手練れのようだ。


 ディアナ達はほんの小旅行のつもりが、大変な事態に巻き込まれてしまった事を自覚するのだった……
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