第四幕 不敗の宿将(Ⅲ) ~頼れる義兄

文字数 4,516文字


「あ、兄貴ぃ……! こいつ……!」

「……ふん、どうやらただのおままごとって訳じゃなさそうだな。てめぇら下がってろ。こいつは俺が直々に相手してやる」

「……!」

 動揺する子分たちを鎮めるように、頭領が蛮刀を抜いて前に進み出てくる。ディアナは警戒して剣を構え直す。

(こいつを倒せば……!)

 他の賊共は散り散りに霧散するはずだ。それで彼女の目的は達成できる。目の前の男さえ倒せば彼女の勝ちなのだ。


「う……おおおぉぉぉぉっ!!」

 気合の叫びを上げて自らを鼓舞しつつ、ディアナは正面から斬り掛かる。最初の賊を斬り倒したのに劣らない鋭い斬撃だ。だが……

「ふんっ!」
「……!」

 頭領は蛮刀を掲げてディアナの一撃を受け止めた。かなり速い動きだ。それに彼女の剣を受けても小動(こゆるぎ)もしていない。

「く……!」
 ディアナは怯まずに剣を翻して連撃を仕掛ける。しかしその全てを頭領は刀を縦横に動かして受けきった。子分たちとは比較にならない強さだ。

「そ、そんな……!」

「女にしちゃ筋は悪くねぇな。だが俺は子分共とは一味違うぜ?」

 頭領はその口調ほどには余裕のない表情であったが、それでもディアナの攻撃が全て防がれた事に変わりはない。彼女は歯噛みした。この男は道場の師範代より強いかも知れない。

「さて、今度はこっちの番だなぁっ!」
「っ!」

 ディアナが慌てて剣を構え直した時には、頭領の蛮刀が唸りを上げて迫って来ていた。子分とは比較にならない速さで、目測を誤ったディアナは回避が間に合わずに剣で受ける羽目になる。

「ぐっ……!!」

 凄まじい衝撃が伝播し腕が痺れる。身体がグラつく。体勢が崩れた所に頭領の追撃。ディアナに出来たのは、痺れた腕と剣で再び相手の攻撃を受ける事だけ。

「うあぁっ!!」

 そして当然ながらそんな状態で剛撃を受けた事で、抗いきれずに彼女の手から剣が弾け飛ぶ。同時に衝撃で再び地に倒れ伏すディアナ。

「ぐ……うぅ……」
「勝負あったなぁ? ま、所詮は女だな」

 倒れて呻くディアナの姿を勝ち誇って見下ろす頭領。周りの子分たちが喝采する。

 倒れた拍子に彼女の腰鎧が捲れてその白い太ももが露わになっていた。頭領や子分たちの下卑た視線が集中する。


「さぁて、お楽しみの時間と行こうじゃねぇか。お前ら、この女を縛り上げろ。部屋でたっぷりと可愛がってやるぜ」

 頭領の命令で子分たちの何人かが寄ってきて、ディアナを後ろ手に縛り上げた。もう完全にお終いだ。彼女に抗う術はない。

(悔しい……悔しい! こんな奴等にっ! 私に……もっと力があれば……!)

 だがディアナは血がにじむ程強く唇を噛み締めながら、頭領を睨み続ける。頭領が不快気に鼻を鳴らす。

「……けっ。気に食わねぇ目だ。すぐにそんな目も出来なく……」



「――そこまでだ、下郎共」



 ――唐突に。全く唐突に、怒りを押し殺したような鋭い男の声が響き、頭領を含めた賊達は一様に硬直した。

 と同時に、ディアナを縛って引っ立てようとしていた賊が血を噴いて崩れ落ちた。

「な……」

 頭領達が唖然とする。倒れた賊の後ろから代わりに現れ、ディアナを抱き留めたのは……

「あ……あ、兄上……?」
「……よく頑張ったな、レア。後は私に任せておけ」

 低く静かながら、頼もしい力強さに満ちた声でそう請け負うのは……ディアナにこの『試験』を課し、今は街で成果報告を待っているはずの義兄、シュテファン・ヨセフ・リンドグレンであった!


「あ……」
 何故義兄がここにいるのか。状況はまったく解らないながら、自分を優しく抱き留める義兄の姿を見たディアナの心には……深い安堵が広がった。

 これでもう大丈夫だ。何の疑いも無くそう安心した。そして安心すると同時に今までの緊張と疲労が反動となって現れ、彼女は抗う事無く意識を手放して気を失った。


****


「ゆっくり休んでいろ。すぐに終わる」

 静かに呟いたシュテファンは気絶した義妹をそっと地面に横たえる。一方ディアナとは対照的に動揺と混乱の極致にある賊達。

「ば、ば……馬鹿な。お前はアルヘイムのシュテファン!? な、何故……いや、そうか、くそ! 小娘は囮だったのか!」

 頭領が青い顔で呻く。普段の彼等なら偵察を密にし、絶対に敵にこれ程の接近を許す事はなかった。その前に少人数の利点を活かして逃げ去ってしまうからだ。それでアルヘイムも他の県も彼等を討伐出来なかったのだ。

 だがこの時彼等は舞い込んできた思わぬ余興(・・)に夢中になり、見張りに至るまでが役目を放棄して見物に回ってしまっていた。シュテファンはその隙を突いて侵入、接近したのであった。

「貴様らの目に余る所業の数々……。覚悟は出来ていような?」

「……っ! く、くそ、お前ら! 相手は1人だ! 一斉に掛かれっ!」

 焦った頭領が命令を下す。ここまで近付かれたら逃げるのは困難だ。子分たちもそれが解っているのか、全員が得物を抜いてシュテファンに襲い掛かった。

 子分たちを嗾けておいて、頭領は自分だけ逃げようとする。後ろで乱戦が始まるのと同時に踵を返して、敷地から脱出しようと走り出す。しかしいくらも進まない内に……

「……どこへ行く。逃がすと思うか?」
「っ!?」

 静かな声がすぐ後ろから聞こえて、頭領は愕然として振り返る。そして限界まで目を見開いた。

 シュテファンに襲い掛かったはずの、残り8人ほどいた子分たちが全員地に倒れ伏していた。例外なくその下には血だまりが出来ている。

「な……ば、馬鹿な……」

 今の一瞬だけでこの人数を斬り伏せたのか。全員を競り合いすら許さず一刀の元に斬り捨てない限りは不可能な芸当だ。その事実に頭領は戦慄した。

「所詮はこそこそ逃げ回るしか能のない鼠共。捕捉さえ出来れば討ち果たす事は容易い」

「……!」
 事も無げに呟くシュテファンの姿に、頭領はワナワナと震える。

「さて、子分共とは一味違うのだろう? 一手ご教授してくれないか?」

「ぬぐ……く、くそがぁっ!!」

 先程のディアナとのやり取りを痛烈な皮肉で返されて、頭領の顔が朱に染まる。頭領は半ば破れかぶれの勢いで蛮刀を構えて斬り掛かった。

 子分たちとは比較にならない鋭い斬撃。だが……帝国内で最も普及している剣術、アロンダイト流神剣術を極めたシュテファンにとっては、子供が棒切れを振り回しているのと大差ない。

「むんっ!」
 気合一閃。頭領すら尚比較にならない速度で振り抜かれた剣は、正確に頭領の首筋を斬り裂いていた。

「ち……ちく、しょ……」

 傷口から盛大に血を噴き出しながら頭領は地に沈んだ。そして二度と動き出す事はなかった。

「クズ共が……」

 シュテファンはそれを冷たい表情で見下ろしながら短く吐き捨てた……


****


「ん……あ、あれ、私…………あっ!!」

 目覚めると見知らぬ天井が目に入って一瞬混乱したディアナだが、急速に記憶が戻ってきて弾かれたように起き上がった。

「……! 目を覚ましたか、レア」
「……っ! あ、兄上!? こ、ここは……?」

 自分が寝ていた寝台の横にシュテファンが座していた。ずっと控えてくれていたらしい。寝台も部屋も粗末な造りであった。少なくともシュテファンの屋敷ではない。

「アルヘイムへの途上にある農村だ。民家に金を払って一晩だけ部屋を貸してもらった」

「そ、そうだったんですね。あ、あいつらは……?」

 義兄が助けに入ってきた所で意識を失ってしまった為、その後の事が解らない。気付いたらここで目を覚ましたのだ。

「心配するな。私が全て片付けた」

「……! そう、ですか……」

 義兄の腕なら容易い仕事だっただろう。だがそれを聞いたディアナは落ち込んだ。寝台の上で悄然と項垂れる。

「ふ、ふふ……戦乱を終わらせるなどと大言壮語しておいてこの体たらく……。さぞ呆れられた事でしょう? 私には過ぎた夢物語であったようです。お義母様の所に戻って、これからは分を弁えて静かに暮らします……」

 言っている内に涙が零れてきた。悲しいからではない。悔しくて、情けなくて、弱い自分が歯がゆくて……。自分への不甲斐なさに涙したのだ。

 あんな盗賊すら退治できない自分。これでは到底戦乱の世に立ち向かう事など不可能だ。彼女は内から爆発しそうな思いを無理やりに抑え込んで、夢を諦めようと涙を呑み込み――

「――ふむ、それは困ったな。私は街へ戻ったらその足で太守に暇を乞う決心をしたと言うのに。このままでは路頭に迷ってしまうな?」

「……え?」
 一瞬何を言われたのか解らなかったディアナは、呆然とした表情で義兄を見上げる。

「あ、兄上……?」

「私は部隊を率いるのは得意だが、自分が人の上に立って意思決定するタイプではないという自覚はある。誰かの下でその矛となる事で力を発揮できる人間なのだ。さて……そんな私が浪人に戻ってどうやって生きていけばいいのか……。誰か私に道を示してくれる同志(・・)はいないものか」

「……っ! な、何故……!? 私は結局兄上に課せられた条件を達成できなかったのに……」

 訳が分からないディアナは思わず義兄に詰め寄った。だがシュテファンはその普段は厳しい顔をふっと優しく緩めた。

「思い出してみろ。私はお前の覚悟と価値を見せてくれと言ったんだ。別に『盗賊を退治できなければ駄目』とは一言も言っていないぞ?」

「え…………あっ」

 思い返してみて気付いた。そう言えば明言はされていなかったような……。

「そして追い詰められても絶望や恐怖に虚脱せず、決して折れないお前の覚悟は確かに見せてもらった。ならば今度は私がその覚悟に応える番であろう?」

「……!」

「盗賊共に勝てなかった事を恥じる必要は一切ない。上に立つ者が必ずしも1人で全てをこなさなくてはならない訳ではない。いや、むしろそれを自覚して仲間や部下を上手く使える者こそが、人の上に立つに相応しい人間なのだ」

「あ、兄上……」

「誰にだって1人で全ては出来ない。そもそもそう思っていたからこそ、お前は私に同志の誘いを持ちかけたのだろう?」

「……っ」
 そうだ。その通りだ。だが自分はいつしか視野狭窄に陥って盗賊を倒さなければ駄目だと思い込んで……

 ディアナの目から再び涙が溢れてきた。しかしそれは先程までの後悔の涙ではなく、嬉しさと感動と……心の奥底から滾ってくるもっと熱い何かによって溢れた涙であった。

「う、うぅぅぅぅ……! あ、兄上ぇぇ! わ、私を助けでくれますか!? 兄上を頼っていいんですか!?」

「ああ、勿論だ。私はこれからいつでもお前の味方だ」

 シュテファンは穏やかに微笑みながら、涙に濡れて鼻声で取り縋る義妹の頭を撫でる。その優しさに触れてディアナは増々涙が止まらなくなってしまう。

「あ、兄上ぇぇ!! わ、私、強ぐなります! もっと……! だ、だがらぁ……これから、宜しぐお願いじますぅ……!!」




 こうして最初の苦難を乗り越えたディアナは、頼れる義兄にして優秀な将軍でもあるシュテファンを同志とする事が出来た。

 義兄の協力を得て具体的な行動が可能になった彼女は、次なる同志を勧誘する為にいよいよアルヘイムを後にして旅立っていく。

 【戦乙女】の立志伝はまだ始まったばかりである……

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