第五幕 活眼の智将(Ⅰ) ~不世出の軍師 

文字数 3,658文字

 オウマ帝国の中心たる帝都ロージアンを擁するハイランド州。基本的には(・・・・・)帝国の直轄州であったこの州も、朝廷の腐敗や弱体化の煽りを受けて今や見る影も無く凋落していた。

 度重なる民衆反乱や、死の砂漠を越えた先にあるパルージャ帝国というもう一つの帝国の幾度にも渡る侵略行為の影響などによって帝国の国威が低下し、代わりにそれらの戦争で活躍した地方を治める諸侯達が弱体化した朝廷をないがしろにして、好き勝手に勢力を伸ばし始めているというのが今のこの国を覆っている戦乱の背景だ。

 しかし衰えたとは言っても、やはり帝国の権威そのものを象徴する朝廷の存在は重要であり、諸侯達も表向きは朝廷に従って、他の『逆賊』を討伐するという名目で戦争を起こしているのだ。

 そんな帝都を擁するハイランド州は一見穏やかに見えるが、その実帝都を占拠して皇帝を『保護』するという名目で上洛を狙う各地の諸侯達が、虎視眈々と隙を窺う危険な州でもあった。


 そんなハイランド州の最北部に位置するダラム県。この県の更に北部は、厳然と人の侵入を拒む絶壁たるデュアディナム山脈が聳え立っているのみだ。

 そのダラムの街の大通りに面した酒場に、ディアナとシュテファンの姿があった。

「……して、レアよ。ダラムの街までやって来たは良いが……もう一度確認するぞ? あの『不世出の軍師』を勧誘するというのは本気なのか?」

 酒場で対面に座す義兄がそんな風に切り出してくる。この街に向かう途上でも何度か繰り返した問答だ。ディアナはやや緊張した表情で頷いた。

「は、はい。幸い所在は解っていますから……」


 『不世出の軍師』。歴史の表舞台に登場したのは凡そ4、5年前からと言われ、天才的な軍略の持ち主で、数々の戦に於いて仕える勢力を勝利に導いてきた実績がある。

 しかし特定の勢力に仕え続ける事なく、戦がある毎に様々な勢力に雇われて(・・・・)その戦を大勝に導き、再び野に下っては別の勢力の戦に雇われる……。

 そんな生活を繰り返していると言われ、彼の介入によって戦に敗れた勢力からは、皮肉を込めて『傭兵軍師』などと揶揄される事もある変わり種の人物であった。


「……かの者を自勢力に留め置こうとした諸侯たちが提示するどんな待遇や報酬にも、首を縦に振る事は無かったという。間違ってもそんな人物が、現時点ではただの遊侠に過ぎぬ我等に手を貸すとは思えぬが……」

 シュテファンの懸念は尤もだ。現在は彼が下野するに当たって整理した財産と引き換えに得た資金が潤沢にあるので、少なくとも自分達が遊侠生活を続ける分には資金面での不安は殆どない。

 だが当然、太守や刺史などの諸侯が提示する報酬ですら引き留められない人物を振り向かせる程の金は無い。

 ましてや特定の拠点すら持たない流れ者に過ぎない自分達の同志となる事などあり得ないだろう。義兄の懸念は当然であり、ディアナもそれは充分理解している。だがそれでも彼女はかぶりを振った。

「確かにそうかも知れません。でももしかしたら他に何か事情があるのかも知れませんし、誠意をもってお願いすればきっとお話が出来るはずです!」

「……レアよ。流石にそれは楽観が過ぎよう」

 眩いばかりの熱意と理想に満ち溢れている義妹の世間知らずな愚直さに、シュテファンは溜息を吐いた。

 だが自らの理想に燃えるディアナは怯まない。

「兄上、何事もやってみなくては解りません。やる前から諦めていては何事も為せません! 挑戦あるのみです!」

「……! ふむ……まあ確かにその通りだな。特に損がある訳でもなし。駄目で元々でやってみるのも悪くはないか」

 それで義妹の気が済むのであればシュテファンとしても反対する理由は特にない。断られた所でそれは最初から解っている事で、別にこちらが損害を被る訳でもないのだから。


 だがディアナは消極的な義兄の様子に、不満気に眉を吊り上げる。

「兄上! 最初からそんな気構えでは為る物も為りません! 何事にも常に全力で臨むべし、ですっ!」

「わ、解った解った。確かにお前の言う通りだな。で、具体的にはどうするのだ?」

 義妹の勢いに若干押されたように軽く手を挙げて降参の意を示したシュテファンは、話題を変えて具体的な計画を尋ねる。するとディアナは解っているとばかりに力強く頷いた。

「勿論、善は急げです! 早速今から向かいましょうっ!」
「お、おいっ!?」

 話している内にまた意欲に燃えてきたらしく、ディアナは勢いよく席を立ち上がると、そのまま店の外に駆け出していってしまった。シュテファンが止める間もなかった。

「全く……思い立ったら即行動なのは相変わらずだな……。で、ここの代金も私が払うのか? 殆どあいつの分なのだが」

 目の前の卓に大量に積まれた空の食器と、にこやかに笑みながらも食い逃げは絶対にさせんとばかりにこちらを注視する店主の姿を見比べながら、シュテファンは再び嘆息した。



*****



 別名『北壁の氷獄』とも言われるデュアディナム山脈。奥地に分け入り登れば登る程に急激に道は険しくなり勾配は急になり、人の立ち入れる領域ではなくなっていく。

 山脈の中腹部辺りで既に雲が掛かっており、それより上は完全に未知の領域であり、一説には死した父祖の魂の中でも特に高い徳を積んだ者達だけが行く事の出来る『桃源郷』があるとも言われている。

 だがそこまで……山の頂にまで辿り着いて生還した者は帝国の長い歴史の中でも未だかつておらず、遭難した死者たちの遺体が極端な高所特有の空気の薄さと超低温によって当時の姿のまま残されているらしく、山の頂にあるのは桃源郷ではなく煉獄の入り口ではないかとも噂されている。

 そんな人跡未踏の魔の山脈ではあるが、当然いきなり絶壁となるのではなく、山麓部と呼べる場所は存在している。

 山麓部であればまだそこまで空気も薄くなく、僅かながら草木の生えた平地も存在し人が立ち入る事も充分に可能であった。尤も林業以外に碌な資源も無く、何か役立つ鉱物が取れる鉱脈も発見されていない辺境の山麓に好んで定住しようとする者もいない。

 そう……何らかの訳あり(・・)の事情を持つ者でない限りは。



「……ふぅ。ようやく到着しましたね。情報によればここで間違いないはずですが……」

 そんな山麓部の起伏のある林の只中に建つ一件の庵を前にしてディアナが一息つく。一応山岳の入り口から道は続いている為迷う事は無かったが、それなりの距離があり気軽に行き来出来るような場所でもなかった。

 庵は周囲を木に囲まれているが、何と言っても他に碌に人も住んでいない僻地の事。敷地自体はかなり広々と切り開かれていた。誰かが定期的に手入れをしているようだ。

 敷地の入り口にある柱付きの鐘を鳴らしてみるが、しばらく待っても誰か出てくる様子はない。というより人の気配が全く無い。

「……どうやら不在のようだな。残念だが約束無しで尋ねればこういう事もあろう。ここは一旦出直すとしようか」

 居ないものはどうしようもない。シュテファンが義妹を促すが、彼女は難しい顔でかぶりを振った。

「……いえ、ここで帰ってもまた訪ねた時に入れ違いになる可能性があります。私はここでお帰りを待ってみます」

 敷地には暖炉の付いた来客用の小屋が併設されており、短期間であれば逗留できるようになっている。井戸もあるようだし自前で食料も携行しているので、ある程度であれば待つ事が出来るはずだ。だがシュテファンは渋い顔になる。

「本気か? いつ戻ってくるとも知れぬのだぞ?」

 彼としては最初から『駄目で元々』くらいの心持ちである為、そんな事に時間を費やすくらいなら私兵を集めるなり他の有力な武将の情報を集めるなりした方が建設的ではないか、という思いがある。

「こちらがお願いする立場なのですから待つのは当然です。ですが確かに無為な時間を過ごすのは私も本意ではありません。なので申し訳ありませんが兄上には一足先にダラムに戻って頂いて、私が軍師様を待っている間、私兵や情報集め、物資の調達などをお願いしたいのです」

「……! それは勿論構わんが……お前1人で大丈夫か?」

 つまり彼女は『不世出の軍師』の勧誘を1人で行うという事である。シュテファンが心配するのも尤もだが、ディアナは決然とした表情で頷く。

「勿論です。というより必ずやり遂げてみせます。私の理想に協力して頂くのですから、誰のお力も借りずに私自身が説得してみせます!」

「……!! そうか……確かにそうだな。同志とするならお前自身が説き伏せてこそ、だな。解った。では私は一足先にダラムに戻っていよう。こちらの事は任せておけ」

 シュテファンが理解を示して請け負うと義妹は表情を輝かせた。

「は、はい! ありがとうございます、兄上! よろしくお願いします!」
「うむ、お前も余り無理はし過ぎるなよ……?」

 何事にも常に全力で臨むべし、を座右の銘としている義妹に一抹の不安を感じ、そう忠告しつつシュテファンは単身ダラムへの帰路に付くのであった。
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