第二十七幕 天子争奪戦(Ⅳ) ~敵情把握

文字数 6,326文字

 ソンドリア郡からひたすら西へと大量の土埃を上げながら駆け抜ける軍勢があった。ゴルガより出立したディアナ軍約8000。今や4県を領有する勢力となったディアナ軍は今回の天子保護に際して、最低限の防衛戦力を残した上で尚これだけの兵力を割けるようになっていた。

 この軍の総大将はディアナ自身が務めていた。今回の作戦にたっての希望で参加したのだ。『彼』は危険を犯して帝都を脱出して自分の元へやってきてくれようとしているのだ。ならばその迎え(・・)に自分が出向くのは至極当然の話であった。

 国の防衛は前回と同じくドゥーガル将軍に担ってもらっていた。特にまだ躍進勢力が現れておらず混沌としているガルマニア州は今回の天子争奪戦には参戦していないので、ディアナ軍が手薄になったのを好機と攻めてくる可能性も十分あるのでドゥーガルの役割は重要だ。

 また当然ながらラドクリフ軍に対する備えもしておかなくてはならない。ラドクリフ軍も今回の戦には参戦したようだが、敵軍師オズワルドがそれとは別にこちらの領地を同時に攻める戦略を立てていても不思議はない。

 なのでラドクリフ軍の抑えとして、主席軍師のアーネストがそちら方面の監視を担ってくれることとなった。彼はやはり今回の戦にも参戦はしなかった。まだ自己に科した謹慎処分(・・・・)を解いていないのだ。

 その代わりに今回は次席軍師のクリストフだけでなく、アーネストの父であり『救国の英雄』でもあるカイゼル元大都督が参加してくれていた。これは息子のアーネストの要請によるものであった。



「さて、ディアナ殿。斥候からの情報によりますと案の定、ラドクリフ軍は勿論、ハイランドのサディアス軍、イスパーダのトリスタン軍、フランカのリクール軍、そしてどうもトランキアのイゴール軍までもがきな臭い動きを見せているとの事。これは場合によっては中原全体を揺るがす大戦にも発展しかねませんぞ」

「……!!」

 そのカイゼルが夜営中の陣内にて行われている軍議で、ディアナに対して状況を説明している。他にも主だった面々が本陣の天幕に集っている。想像以上の事態にディアナは軽く息を呑んだ。

「……やはり中原に混乱を引き起こす結果となったか」

 シュテファンが苦虫を噛み潰したような顔でかぶりを振る。彼は最初からこの事態を危惧していた。

「だが既に起きてしまった事をいつまでも嘆いていても仕方あるまい。今我等が優先すべきは、それらの敵を掻い潜っていかに天子を無事に保護するかという事だけだ」

 そのシュテファンの師に当たるディナルドが取りなすように発言する。


「それだけの勢力が集う戦は前代未聞ですね。ざっくりとで良いので主な敵軍の特徴や戦力、予想される動き等を教えて頂いても宜しいですか?」

 戦う吟遊詩人のファウストが冷静に問うと、進行役のカイゼルは頷いて後ろに控えていた次席軍師のクリストフを振り返る。クリストフも頷いてから進み出る。

「私の方で簡単に情報を纏めておきました。まずは言わずと知れたラドクリフ軍ですね。奴等に関しては今更説明するまでも無いとは思います。ただ領有する都市の規模からして我が軍よりも多くの兵力を動員している可能性がありますので、その点にも充分注意しなければなりません」

 ラドクリフ軍はユリアンやオズワルドを始め、性格的にはともかく能力的には優秀な武将が揃っている。それにこちらより多い兵力となれば極めて厄介な敵なのは間違いない。そして今回の戦では敵はラドクリフ軍ばかりではなく……


「そして勿論、元々天子を保護(・・)していたハイランド州のサディアス軍ですね。帝都を占拠した事で『梟雄』という仇名が確かなものとなりました。アーネストから聞いていますが、ディアナ様は帝都でこのサディアスと直接相まみえた事がお有りとか?」

「……ええ、確かに一度直に会っています」

「であるなら奴がどれほど危険な存在か私から敢えてご説明するまでもないでしょう。奴は為政者としての能力に長け、また人を引きつける不思議な魅力の持ち主で、優秀な人物を積極的に幕下に勧誘する癖があるとも言われています。その麾下には奴に惹かれて集まった傑物達が揃っています。中でも特に厄介なのが『梟雄の両翼』とも謳われるグレングスとマルスタンの2人でしょう」

「……!」

 ディアナはあの帝都での邂逅時の事を思い出していた。確かあの時もサディアスの両脇を固めていた2人の猛将がいた。

「……あいつらか。確かに相当な強さだぜ、ありゃ」

 同じくその場におり相打ちすら覚悟したヘクトールが低い声で呟く。戦においては万夫不当の武人である彼が認めるからには、あの2人はヘクトールに比肩する強さと見て間違いないだろう。

「サディアス軍も既に帝都を含めて5都市を有する巨大勢力。今回も1万を超える兵力を動員していると思われ、優秀な将に率いられたこの兵力自体が脅威と言えるでしょう」

 ましてやサディアス軍は皇帝に逃げられた立場なので、何としても取り戻そうと相当なリソースを割いているはずだ。その気迫も他軍とは比較にならないかも知れない。いずれにせよ強敵なのは間違いない。


「そしてそのサディアス軍を追うような形で参戦しているのが、西のイスパーダ州のトリスタン軍ですね。セリオラン海に面している港町カーグアスから発足した新興勢力ですが恐ろしい勢いで躍進しており、つい先だって州都のバレンシアを占領し、かの州で一躍最有力勢力に躍り出た軍です」

「トリスタン軍……名前だけは聞いたことがありましたがやはり手強いのでしょうか?」

 ディアナの問いにクリストフは勿論とばかりに頷く。

「旗揚げした時期は我等より遅いにも関わらず、既に州都を含めてイスパーダ州の4都市を手中に収めています。その麾下には猛将バルタザールを始め一騎当千の強者が揃い踏みしているとか。その圧倒的な武力によって敵国を蹂躙してここまで膨れ上がったのです。またその軍は海賊上がりの荒くれ集団とも言われており、逆らう者は民でさえ一切の容赦をしない事でも有名です。気を抜けば我等も同じように蹂躙される事でしょう」

「…………」

 ラドクリフ軍とはタイプは違うものの、同じく中原にとってあまり好ましくない勢力であるようだ。ディアナが天下を統一するに当たっては、いずれ必ず討伐しなくてはならないと思われる存在。またそのような連中の手に落ちればルードも何をされるか解ったものではない。それだけは絶対に避けなくてはならないだろう。


「そのラドクリフ軍ですが……どうもフランカ州の雄、リクール軍と一触即発の情勢であるようです。そしてご存知のようにリクール軍も今回の戦に参戦してきています」

「……!」

 南のフランカ州に勢力を広げるリクール軍の名は勿論ディアナも知っている。というよりこの中原で知らない者はいないだろう。現時点では天下統一に最も近い勢力と目されているのだから。

 元々州都ヴィエンヌを収めており、戦乱が始まる前よりフランカ州に盤石の態勢を築いていた存在。

 基本的にディアナもエヴァンジェリンも、そしてトリスタンやサディアスでさえも皆、旗揚げや簒奪などで成り上がった新興勢力と言える。悪い言い方をすれば、どこの馬の骨(・・・)とも知れないというヤツである。 

 だがリクールは違う。元より位の高い領主であり、血筋的にも由緒正しい、ある意味で天下統一を成し遂げるのに最も順当(・・)な存在とも言える。

 そんなリクールだけにその幕下には最初から優秀な将兵が揃っており、またそんな彼に天下統一の将来性を見出した浪人達なども、勝ち馬に乗ろうとリクール軍への仕官を希望する者が引きも切らない状態で、事実既に6都市を領有する中原最大の勢力となっていた。


「そんな強大な勢力がラドクリフ軍と緊張関係にあるというのは、我等からすれば少し興味深い事実ではありませんかな?」

 既に弟子であるクリストフから情報を聞いて精査しているであろうカイゼルが、白髪交じりの顎髭を撫でながら目を細める。すると義兄のシュテファンが疑問を呈した。

「リクール軍とラドクリフ軍の諍いは私も聞いたことがある。だがどうも解せんな。確かに両軍は州境を挟んで隣接してはいるが、互いに州内にはまだ敵が残っている状態だ。そんな状況で連中が相争うメリットがあるまい」

 どの勢力も普通はまず州内を統一しようと動くはずだ。堅実さを尊ぶシュテファンからすると理解できない動きであるようだ。

「ふむ、お主の意見は尤もだが……人間とは時に理屈や合理性を無視して、ただ目先の感情や好悪だけで動いてしまう生き物でもある。ましてやそれが官位やプライドも高い権力者であれば尚の事だ」

 カイゼルが妙に実感の籠もった言い方で諭す。彼は両軍の諍いについて、その理由に心当たりがあるようだ。

「リクールは生まれながらの貴族にして若き権力者だ。彼は我慢ならなかったのだ。下賤な娼婦上がり(・・・・・・・・)の女が自分に比肩するような巨大勢力を築いて、尚且つ高貴な自分に服従せずに反抗的な態度を取っている事にな」

「……!」

「事実リクールはエヴァンジェリンに対して何度か降伏勧告の使者を出しています。それをエヴァンジェリンが尽く突っぱねた事が決定打となって両軍の関係性は一気に悪化したと見られています」

 クリストフが状況報告を引き継ぐ。

「リクール軍も今回の天子争奪戦に参戦していますが、同時にこの機会を使って特にラドクリフ軍に対して何か仕掛ける可能性も高いと思われます。師父の仰る通り連中の諍いをうまく利用できれば、今回の戦もラドクリフ軍との戦いも有利に進められるやも知れません。敵の敵は味方というやつです」

 エヴァンジェリンそしてラドクリフ軍は、ディアナ軍にとって不倶戴天の敵とも言える存在。そのラドクリフ軍に積極的に敵対してくれる勢力がいるなら、確かに今の状況に限っては『味方』と言えるのかも知れない。


「要注意勢力は以上になりますが、最後にトランキア州の州都モルドバを擁するイゴール軍も怪しい動きをしており、彼等についても触れておかねばなりません」

「トランキア州ですか? 確か噂の【伊達男】がいる州ですよね?」

 【伊達男】マリウスはトランキア州のセルビア郡を支配している君主で、配下武将が軍師に至るまで全員妙齢の美女という、女性の身で君主になったディアナやエヴァンジェリン以上の変わり種として、辺境の地にいながらにして様々な噂や逸話に事欠かないある意味非常な有名人であった。

 クリストフが苦笑するように頷いた。

「ええ、かの君主のお陰で一躍有名になった州ですが、【伊達男】は目下因縁関係にあるガレス軍との戦いに忙しく今回の戦には絡んでいません。彼等に比べると目立たずに地味な印象を受けますが、モルドバのイゴール軍もまたある意味で風変わりな勢力なのです」

「そうなんですか?」

 ディアナが問うと、クリストフではなく何故かディナルドが苦虫を噛み潰したように呟いた。


「……州内の統一を無視してひたすら上洛を目指している、その戦略が中原において風変わりなのだ。あの功名心に逸った愚か者めが……」


「ディナルド殿は確か帝国軍時代にイゴール公と親交があるのでしたね。……仰る通り、我が軍も含めて通常どの勢力もまずは州内の地盤を固める事を優先するのが普通ですが、かの軍はトランキア州の統一ではなく、帝都を目指して北上を続けているのが大きな特徴です。元々天子の保護(・・)を最優先に目論んでいたようです」

「……!」

 それならばトランキア州という遠方にいながらにして、今回の争奪戦に参戦してきたというのも頷ける話だ。


「辺境だけあって兵力は今回の戦に参戦した軍の中では最も劣りますが、その分奴等には立地上及び進軍上の強み(・・)があります」


「強み、ですか?」

 ディアナが首を傾げると、隣に座る義兄シュテファンが大きく咳払いして胡乱げな目を向けてきた。

「レア……中原の地理はとっくに頭に叩き込んであるはずだな? その上で本当に今回の戦におけるイゴール軍の強みが解らんとは言わせんぞ?」

「……っ!!」

 ディアナは唐突に凄まじい緊張感に襲われた。ここで間違った答えを言ったり、ましてや解りませんなどと答えたらどうなるか恐ろしくて想像できなかった。彼女は必死で頭を働かせる。だが焦れば焦るほど思考は空回りして何も思い浮かばない。

「まあまあ、シュテファン殿。いきなりそう圧迫しては本来解る答えも解らなくなるものだぞ? ここは順を追って一つずつ整理しながら考えていくと解りやすいだろう」

 ディアナの様子を見かねたのか、カイゼルが苦笑しながら取りなす。過去に私塾を開いて多くの門下生を教えてきた師父としての経験から来る言葉のようだ。 


「まず今回の戦の目的は皇帝陛下の保護となりますが、その陛下は今現在どこ(・・)にいてどこ(・・)を目指していますかな?」

「え、どこって、それは……私達のゴルガを目指していらっしゃるのですよね? 今現在は推測ですがハイランドとリベリアの州境の辺り、恐らくクレモナに入ったかどうか辺りの位置におられるはずですが……」

 それはすぐに答えられた。何といってもその為(・・・)にこうして出陣しているのだ。その目指すべき目標の場所が解らないなどという事はあり得ない。カイゼルは頷いた。

「そう。そして現在ゴルガに向かっているという事は、基本的には東に向かって移動されているはずですな? すると同じように皇帝陛下の身柄を目的とする他の勢力も東に向かって進軍する事になります。ここまで整理すると何か見えて来ませんかな?」

「東に……ですよね? ええと、それは……」

 隣の義兄の無言の圧力が更に強くなっている気がして、ディアナは冷や汗を掻きながら必死に頭を巡らせる。

(東に……東という事は……。先程クリストフ様はイゴール軍には立地上進軍上の強みがあると言っていた。それはこの東に進むという事と関係しているはず。という事は…………!!)

 ディアナは弾かれたように顔を上げた。

「トランキア州は最も南西に位置する州。つまりイゴール軍は立地上、東に向かって逃げる敵(・・・・)追撃(・・)できる……!?」

 義兄に振り向いて確認すると、彼は溜息は吐きながらも頷いた。

「……まあ及第点か。今回の目標(・・)は常にゴールに向かって動いている状態だ。そして他の勢力はそれを奪い合う間柄。つまり後方に向かって罠や伏兵など張り巡らせる余裕もなく一目散に東に向かって駆け進んでいるはずだ。イゴール軍は無防備な敵の背中を一方的に追撃できる立地条件という訳だ。退却戦における撤退側の不利はお前も知っているはずだな?」

「は、はい……」

 それは兵法の基本であり迷わず頷くことができた。

「ただし幸い我等だけは逆に西に向かって進む事になるので、イゴール軍に関してはそれほど脅威にはならないと思っていいだろう。逆に敵軍同士で潰しあってくれれば我等が目的を達成できる確率も上がるというものだ」

 それだけでなくディアナ軍は他ならぬ皇帝自身がこちらとの合流を目指しているという意味でも、他の勢力と条件が異なっていた。


 カイゼルが手を叩いた。

「さあ、敵勢力の基本的な情報はこんな所ですが、夜が更けるまでには今少し時間があります。よければこのまま様々な状況を想定しての軍議を開きたい所ですが構いませんかな? もしお疲れという事であればディアナ殿は一足先にお休み頂いても……」

「いえ、大丈夫です。私も総大将として作戦を把握しておかねばなりませんし、お気遣いは無用です」

 彼女は頭を振って軍議への参加を希望した。その後もディアナ軍の首脳は夜のかなり遅い時間まで本陣の天幕で話し込んでいた……

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