第十六幕 幹国の才(Ⅰ) ~アーネストの誘い

文字数 4,114文字

 ゴルガの街。躍進著しいディアナ軍の現在の本拠として急速な発展を遂げている街だ。フィアストラでの任務も終わってゴルガに帰ってきたディアナは、任務の疲れも見えないかのように精力的に君主としての執務に取り組んでいた。

 そんな彼女の執務室をある日、信頼する主席軍師のアーネスト(次席軍師はクリストフ)が訪ねてきた。てっきり何か今後の戦略や外政についての打診などかと思っていたのだが、訪問してきた彼が切り出したのはディアナが全く予期していない用件であった。




「え……実家(・・)ですか? アーネスト様の!?」

 ディアナは驚きの余り目を見開いてオウム返しに尋ね返してしまった。といっても別にアーネストに実家がある事に驚いた訳では勿論ない。そうではなく……

 アーネストは苦笑して頷いた。

「ええ、是非一度、父に会って頂きたい(・・・・・・・・・)のです。手紙にディアナ殿の事を書いていたら、是非機会あればと父の方から申し出があったのです」

「そ、そうなんですか。でも、あの……ご実家ですよね? アーネスト様の。それでアーネスト様のお父君に私が会う、ですか? アーネスト様とご一緒に? それって……」

 世間一般的に考えて、自分の実家に異性を連れて行って親に引き合わせるというのは、婚姻(・・)を前提とした行動だ。

 ディアナは激しく焦った。

「あ、あの、お気持ちは嬉しいのですが……。あ、い、いえ、別にアーネスト様がお嫌とかそういう訳では無くてですね……! 私には戦乱を終わらせるという目標があって、その目標の目処が付くまでは、その……」

 動揺のあまりしどろもどろになって、何とか当たり障りのない辞退の文句を浮かべようとするディアナ。当のアーネストはそんな彼女の様子をやや呆気にとられたように見つめていたが、やがて合点がいったのか、小さく吹き出してしまう。

「ア、アーネスト様……?」

「ああ、いえ、申し訳ありません。ふふふ、そうでしたね。私とした事が自分の言っている事が相手にどう伝わるのかを失念しておりました。ご心配なさらずともそういう用件(・・・・・・)ではありませんよ。ただ父があなたに興味を持っていて、是非一度直接会ってお話がしたいという事で、そのお伺いに参ったのです。本当ですよ?」

 笑うアーネストをしばらく唖然と眺めていたディアナだが、急に恥ずかしさがこみ上げてきて、顔を赤らめて咳払いで誤魔化す。また勘違いとは言え、何だか頑なに拒絶してしまうような形になった気まずさもあって早々に話題を変える。


「おほん! そ、そういう事でしたか。でも……アーネスト様のお父上が何故私などに? それに政務などもありますし、そう気軽にお訪ねできるかどうか……」

「それに関しては私の方で調整させて頂きますので問題ありませんよ。そもそも現在はディアナ殿らのお陰で比較的余裕がある状態ですし」

 勿論軍師たるアーネストならその辺りは抜かり無いだろう。それに彼の言う通り、この間の山賊討伐でフィアストラの治安も落ち着き、内憂はかなり減少した。周辺の情勢もラドクリフ軍含めて大きな動き無く、一時的な停滞状態となっていた。

 なのでディアナもそれほど忙しい訳ではなく、短期間国を空けるのも、事前に調整しておけば恐らく問題はないだろう。その間はバジルやイニアス、クリストフら優秀な人材が国を回してくれる。国の防衛も勿論ヘクトールやシュテファンを始め、ゾッドやディナルド、ファウスト、そして先日臣下に加わったドゥーガルらがいる。

 アーネストの実家はハイランドにあるはずだし、そういう意味ではちょっとした小旅行と言えなくもない。 


「それに父と会って話をする事は、きっとディアナ殿にとっても得るものが大きいかと存じます故」

「そうなんですか? あの……アーネスト様のお父上とは一体どなたなのですか?」

 今まで詳しく聞いた事はなかったが、彼がこんな風に言うからにはきっと名のある人物なのだろう。今のこの流れなら直接聞いても問題ないはずだ。

「……カイゼル・ハール・マクシムス。聞いた事はお有りで?」

「カイゼル……?」

 確実に聞いたことがある名前だ。だがどこで聞いたのだったか……ディアナはしばし黙考した。そして思い出して目を瞠った。


「え……ちょっと待って下さい。カイゼル・ハール・マクシムス……? それってもしかして……マクシムス大都督(・・・)の事、じゃないですよね?」


 まだアルンヘムの義兄の屋敷で学んでいる時に何度も耳にした名前だ。それどころかその著書まで読んだ事がある。

 アーネストは当然のように頷いた。

「ええ、そのマクシムス大都督で間違いありません。尤も今は退任して故郷で私塾を営んでいますが」

「っ!!」

 ディアナは今度こそ絶句してしまう。マクシムス大都督。恐らく帝国内に住んでいてその名を知らない者はほぼいないだろう。

 帝国軍の名実ともに頂点である大都督の地位に長らく就いていた名将。赤尸鬼党の反乱や古くはパルージャ帝国の侵略軍との戦いでも大功を挙げ続け、彼がいなければ帝国はその二つの脅威のいずれかによって滅んでいただろうとすら言われている救国の英雄でもある。

 殊にそのどちらの脅威とも縁深かったこのリベリア州では、州都エトルリアに彼の像が建っている程であった。

 そんなまさに雲の上の大人物が、まさか自分の腹心であるアーネストの実の父親であったとは……


「ア、アーネスト様。そんな話は初耳ですよ!?」

「聞かれませんでしたからね。……実は父とは最近まで疎遠だったのです。いえ、互いに考え方が合わずに反目しあっていたと言っても過言ではありませんでした」

「そ、そうなんですか?」

 ディアナは先日の、イニアスとオーガスタスのウィールクス親子の事を思い出した。しかし大都督にして救国の英雄たる父親と、一体どんな理由で反目しあっていたというのか。


「父は現役時代から『才ある者はその力を私欲の為だけに使ってはならない。世の乱れを正す為にこそその才を役立てるべき』という信念を持っていましてね。それを私塾の弟子達にも常に説いていたのです」

「……! それは、素晴らしい教えですね。流石はマクシムス大都督です!」

 ディアナは素直に称賛した。そのような教えを説くマクシムスは、名声だけでなくその精神も人格者なのかも知れない。

 だがその息子であるはずのアーネストは暗い顔でかぶりを振った。

「……しかし当時の私は自身の才能に溺れており、父の教えに強い不満を抱いていました。自分の才覚を乱世で試したくて仕方なかったのです」

「……!」

 それは彼がかつて『不世出の軍師』と呼ばれ、どの勢力にも属さず雇われ軍師をしていた事と関係があるのかも知れない。


「父の私塾には大勢の門下生がいましたが、その中でも特に才覚優れると自他共に認める3人の高弟がいました。私、クリストフ、そしてもう1人(・・・・)……。クリストフは父の信念に賛同していましたが、私ともう1人は強い不満から父の元を出奔してしまったのです。その後はディアナ殿も知る通りですよ」


 やはり闇軍師になっていたのはそれが経緯だったようだ。だが彼はディアナの誘いを受けて一つの勢力に出仕する事を承諾してくれた。

 しかしそれとは別に、今の話で興味を惹かれた部分があった。


「アーネスト様やクリストフ様と並び称されるとは、そのもう1人のお方も相当に優れた軍師でいらっしゃるのでしょうね。その方は今どちらに?」


「……そのような経緯から父と私の関係は当時冷え切っており互いに連絡を取る事もなく、クリストフを通して互いの近況を知る程度でした」

「アーネスト様?」

 まさか質問が聞こえなかったはずもあるまいと彼の顔を改めて見るが、アーネストは明らかに聞こえた上で答えることなくその話題をスルーしたのだと解った。

(……あまり触れてほしくない話題という事かしら)

 共に出奔したくらいだからアーネストとは仲が良かったが、戦で亡くなるか何かしたのかも知れない。この戦乱の世なら死因には事欠かない。

 彼自身がその話題を避けたいのであれば、敢えてディアナから聞くような事はしない。彼女もこの話題をスルーしてアーネストに合わせた。


「しかし最近になって父から直接手紙が届くようになったのです。そう……ディアナ軍に参加してこのゴルガで旗揚げを為した後くらいからですね」

 それはつまりアーネストが闇軍師稼業を完全に止めて、ディアナ軍……つまり固定の勢力で軍師として働くようになってからという事だ。

「それでやり取りを重ねる内に徐々に和解してきまして。そして父は私が変わった切欠……つまりはあなたに非常に興味を抱くようになったのです。それで機会あればぜひ一度お会いして話してみたいと言っておりまして」

「……! そ、それは……何とも恐縮なお話ですね」

 帝国の英雄が自分などに興味を持っているというだけでもこそばゆいが、直接会って話したいなどと言われると、余りにも畏れ多く感じてしまう。

「そういう経緯で父の方から面会を希望しているので、ディアナ殿はどんと構えていれば宜しいのです。如何でしょう? 先程も言ったように政務の方は私が調整しておきますので」

「そうですね……」

 ディアナはしばし黙考した。元大都督にして救国の英雄。生きた伝説と直接話せる機会などそうそうあるまい。彼の言う通り向こうから会いたいと言っているのであれば、そこまで遠慮しなくても良いのかも知れない。

 それに話を聞いていて少し興味も出てきた。ディアナは決断した。

「解りました。それではお言葉に甘えて、恐縮ではありますが是非カイゼル様のお誘いを受けてみようかと思います」

「よくご決断されました。それでは早速手配に移りたいと思いますので失礼させて頂きます」

「ええ、お願いします」

 ディアナが許可を出すとアーネストは一礼してから踵を返した。



 こうして帝国の英雄であるマクシムス都督との対談が実現してしまった。また思いがけず今まで謎だったアーネストの出自も知る事ができた。

 だが……彼女はこの小旅行で、自らの戦いの始まりとも言える出来事の忌まわしい真実を知ってしまう事になるのだが、当然この時はまだそれを知る由もなかった……
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