第四幕 清廉の美丈夫(Ⅲ) ~二凶襲撃

文字数 4,477文字

 しかし2人が歩いてスラム街の外れと思われる寂れた区画に差し掛かった時、こちらに向かって歩いてくる足音を聞いて歩みを止めた。

 時刻は夕方から徐々に暗くなろうかという黄昏の時刻。周囲には全く人気はなく、何か仕掛けてくるなら絶好のロケーションだ。

 足音の主は先程の吟遊詩人だろうか。ディアナが緊張すると、ほとんど待つ事もなく足音の主が姿を現した。


「やあやあ、貴女はもしかしなくとも、ソンドリア公の【戦乙女】ディアナ殿でございますな?」

「……!」

 やや軽薄な口調と共に路地に姿を現したのは、撫でつけられた髪型と口髭が特徴的なリベリア人男性であった。身体をすっぽりと覆う外套を身に纏っている。

 ここはリベリア州内であるからして、リベリア人の男がこの街にいるのは何ら不自然ではない。しかし……ヘクトールは勿論だが、ディアナもその男に対して全く気を許していなかった。


「……いかにもその通りですが、あなたは?」

「おっと、失礼。相手の名前を尋ねるにはまず自分からでしたな。私はレオポルド・ジャン・サルバトーレ。シエナ出身でございます。以後お見知りおきを」

 男――レオポルドは名乗ってから芝居がかった仕草で一礼した。見た目通りの性格であるようだ。

「シエナ……ですか。エトルリア郡内の県ですよね?」

 そしてエトルリア郡はつい最近、エヴァンジェリンによって全て領有されたはずだ。レオポルドが何度もうなずいた。

「ええ、ええ、そうなんですよ。非道い謀反がありましてね。太守のティベリオ様が討たれて他にも反抗した将校や兵士達が大勢粛清されまして、街は大混乱です。それで比較的安定しているソンドリア郡に避難しようと思ってここまでやってきたのです」

 レオポルドは大仰な身振りでそんな話をしながら、さりげなく近づいてくる。

「貴女がディアナ殿だと言うなら話が早い。是非是非、この私を貴女様の元で召し抱えて頂ければ幸い…………ですな!!」

「……!」

 レオポルドの外套が大きく翻った。ディアナの視界が一瞬巻き上がる布で覆われる。そして何かが高速で突き出される音。

「ふん!」

 ――ガキィッ!!

 ヘクトールがすかさず戟を振るって……ディアナに向かって突き出された()を受け止めた!


「ディアナ、下がってろ!」

 ヘクトールはディアナを後ろに庇いつつ、戟を横薙ぎに振るう。並みの兵士や盗賊ならその一振りだけでまとめて数人は吹き飛ばせそうな剛撃。

 しかしその薙ぎ払いは空を切った。レオポルドが想像以上の身のこなしでヘクトールの攻撃を躱したのだ。

「ふぅ、やれやれ。ソンドリア公を暗殺する絶好の機会だったというのに、中々上手くは行かないものですなぁ!」

 レオポルドは言葉の割にあまり無念そうではない口調でかぶりを振った。外套の下は鎧姿であった。そしてその両手にはどうやって隠していたのか槍を構えていた。あれでディアナを奇襲したのだ。

「ふん、今度こそエヴァンジェリンの刺客だな! 俺様が一緒にいる時に現れるとは馬鹿な奴だぜ。捕らえるなんてまどろっこしいのは無しだ。この場でぶっ殺してやるからありがたく思え」

 ヘクトールがどっちが悪人か解らないような獰猛な笑みを浮かべて戟を振りかぶる。


「いかにも、いかにも。エヴァンジェリン様のご命令により、そのお命頂戴致しますぞ、ディアナ殿」


「させるか、馬鹿が!」

 相変わらず人を食ったような芝居がかった仕草と口調で、エヴァンジェリンからの刺客である事を認めたレオポルド。その態度にヘクトールが青筋を立てて突きかかる。

「ほっ!」

 レオポルドは気の抜けるような掛け声でそれを迎撃する。だがその口調や態度とは裏腹にレオポルドは相当の使い手らしく、あのヘクトールが最初から殺す気で攻めかかっているというのに、その攻撃を巧みに受け流して拮抗する。いや、隙を見て反撃の槍を繰り出したりもしている。悔しいが恐らくディアナでは歯が立たないだろう。

 しばらくは拮抗したせめぎ合いが続いたが、徐々にヘクトールの方が優勢になり始めた。レオポルドも相当の強者だが、ヘクトールは尚その上を行くようだ。


「ぬぬ……! 流石は『狂牛』のヘクトール。正面から直接やり合うのは些か分が悪いようですな……!」

「誰だぁ? んな渾名付けた奴は。まあいい。とにかくてめぇはこれで終わりだ。俺様に正面から挑んできた度胸だけは褒めてやるぜ。安心して煉獄に行けよ」

 ヘクトールは獰猛に笑いながらレオポルドに圧力を掛ける。既にエヴァンジェリンの刺客である事は判明しているので、背後関係を洗う必要もない。他にも刺客がいるのかなど聞きたい事もあるが、恐らく素直に答えるとは思えないし、何よりも捕縛を優先した戦い方で勝てる相手ではない。

 ヘクトールは完全にレオポルドをここで仕留めるつもりで殺気を漲らせる。しかし追い詰められているはずのレオポルドは忌々しそうに舌打ちしながらも、それほど焦っている様子がない。いや、それどころか不敵に口の端を吊り上げたのだ。

「てめぇ、何笑ってやがる?」

「ふ……ふふはは! やはりどれだけ武勇に優れていても頭は空っぽのようですな! あなたがすぐ側に控えていると解っていながら私が正面から姿を現したのは何故だと思っているのです?」

「何ぃ……?」

 ヘクトールが眉を吊り上げる。レオポルドはそれに構わず合図(・・)を出した。


アートス(・・・・)! 出番だぞ! その小娘を殺せっ!!」


「……っ!?」

 ヘクトールが目を剥き、ディアナが緊張して慌てて警戒する。次の瞬間、彼女は背後から強烈な殺気を感じた。そして鞘走りの音。

「っぁ!!?」

 辛うじて反応できたのは、これまで幾多の戦いをくぐり抜けてきた経験の賜物だ。前に身を投げ出しつつ、身体を捻るようにして振り返りながら剣を横薙ぎに振るう。

 ――ガキィンッ!!

 斬撃は相手の武器にあえなく受け止められた。しかし正対する事で新たに出現した相手の姿を視認する事ができた。

 やや長めの直剣で武装した鎧姿の男であった。見るからに厳格そうな顔は、まるで何かに怒っているように鋭く引き締められている。この男がアートスとやらか。今までどこに潜んでいたのかディアナには全く気づけなかった。

「殺す」

「……っ」

 ただそれだけを呟いて、更に研ぎ澄まされた殺気を放出するアートス。レオポルドとは対象的に極端に寡黙な性格で、無駄話は一切しない主義のようだ。その事務的とさえ言える非人間的な態度はディアナに不気味な印象を抱かせた。

 だがその不気味さとは裏腹に、発散される闘気と殺気は強烈だ。それと同時にこのアートスから発散される闘気は、今までに剣を交えてきたリカルドやユリアンなどの猛者に勝るとも劣らない物であり、即ち自分には絶対勝ち目がない事も悟ってしまっていた。


「ちぃっ!! ディアナ、逃げろ!」

 同じ事を感じたらしいヘクトールが舌打ちして、こちらの救援に向かって来ようとする。だが当然レオポルドがそれを許すはずがない。

「ふはは! 行かせると思いますか!?」

「……っ!」

 鋭い突きを放って妨害してくるレオポルド。一対一ならヘクトールが上回っても、ディアナの救援に向かおうと隙を見せるなら話は別だ。

「邪魔だぁっ!!」

「うおっと!? ……ふははは! 先程より明らかに精彩を欠いておりますぞ!?」

 苛立たし気に振るわれた戟の一撃をレオポルドは槍の柄で受け止めつつ嗤う。ディアナに気を取られていて勝てる相手ではない。さりとてディアナがアートスに討たれる前に早期決着を着けようにも、そう簡単に討ち取れる相手でもない。ヘクトールの苛立ちと焦りは最高潮に達する。


 一方ディアナの方はそれを気にかけている余裕もなかった。ヘクトールの助けが期待できない以上、自力でこの状況を切り抜けるしかないのだ。

(……やってやる! 私だってもう昔の私じゃないのよ……!)

「はぁぁぁっ!!」

 自らを鼓舞するように気合の叫びを上げて、自分から斬りかかる。攻撃こそ最大の防御だ。 

 首筋を狙った一撃はあっさり防がれる。しかし彼女は全く怯む事無く連続で斬撃を煌めかせる。

「むん!」

 ……そしてその全ての連撃がアートスの操る長剣によって尽く受け止められた。間違いなく全霊を掛けた攻撃だったので、それをあっさりと防がれたショックは大きい。やはりこのアートスはこれまで戦ってきた猛者達と同等の強者だ。ディアナに勝ち目は無かった。


「死ね」

「……!」

 アートスが冷徹に告げると踏み込んできた。その態度とは裏腹に地面が抉れる程の強烈な踏み込み。ディアナに出来たのは辛うじて剣を掲げる事だけだった。

「ぐ……!」

 直後、剣に凄まじい衝撃が加わり、伝搬してディアナの腕を痺れさせる。アートスの容赦ない追撃。ディアナは再び受ける事に成功するが、たった二撃で手の感覚がなくなりつつあった。そして……

「あ……!?」

 三度アートスの剣が振るわれ、ディアナの手から剣が弾き飛ばされてしまう。彼女は衝撃で後ろに下がり、そのまま尻餅をついてしまう。武器もなく完全に万事休すだ。ディアナは尻餅をついた体勢のまま青ざめる。

「くそ、どけやぁっ!! ディアナァァッ!!」

「ふぁはは! 殺せ、アートス!」

 ヘクトールの怒号とレオポルドの哄笑が重なる。アートスが全く表情を変える事無く迫ってくる。そして無情にも剣を振りかぶる。


(そ、そんな……嘘……。こ、こんな所で、私は……!)

 ディアナは愕然と、アートスの姿と彼が振り上げる剣を見上げる。ヘクトールさえいれば大丈夫だと思っていた。自分もそれなりに強くなったし不測の事態にも対応できると思っていた。だがそれは大いなる慢心に過ぎなかった。

 まさかエヴァンジェリンの配下にまだこれ程の未見の猛者が、しかも2人もおり、それが徒党を組んで暗殺を仕掛けてくるとは想像できなかった。だが全ては後の祭りだ。

 アートスの剣が振り下ろされる。ディアナは思わず目を瞑ってしまう。直後に凶刃が彼女の首を刎ねるだろう。だが……


 ――ヒュンッ!!


「……!!」

 風を切って何かが飛来する鋭い音。そしてアートスがそれに反応して、自分に向かって(・・・・・・・)飛来した物を剣で弾く。だがそれだけでは終わらず、同じ音が二度三度と連続して鳴る。

「……ち!」

 アートスが僅かに舌打ちして剣でそれを払いつつ、飛び退ってディアナから離れる。

「え……?」

 ディアナはそこで初めて目を開けた。どうやら飛来した物は()であるようだった。誰かがアートスに向かって連続して矢を放ったのだ。その横槍によってディアナは助かったらしい。

「だ、誰が……」

 視線を巡らせるディアナだが、すぐにその矢を放ったと思しき人物の姿を認めて、驚きに目を見開いた。

 何故ならそれは、つい先刻会ったばかりの人物だったから。


「……ふぅ、間一髪でしたね。折角怪しい二人組みがいると忠告して差し上げたのに……。人の忠告は素直に受け取るものですよ、お嬢さん?」


「あ、あなたは……」

 それは紛れもなく、あの路地裏で出会った謎の吟遊詩人の青年であった!

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