疑い5

文字数 2,021文字

哀れみと侮蔑が入り混じった少女の瞳が私を見下ろした。
「すまない。こないだは汚い物を見せてしまったね。もう行くとこだから」
缶を手に取り自販機横に設置されたゴミ箱へ入れた。彼女に背を向け公園を後にする。
後ろから小さく革靴を鳴らす記憶に新しいテンポが暗がりに響いた。
悟られる事の無いように角を曲がるタイミングで後方を確認すると先ほどの女学生が険しい表情でこちらを睨んでいた。なぜ付いてくる。やましい事は無いはずなのに背中に突き刺さる彼女の視線が恵助を動揺させる。尾行される気持ちがこんなにもハラハラするものだったとは。
恵助は今日の帰り道に寄って行くところがある為に普段は通らない道を辿っていた。桐の自宅前に赴き旦那の車両が駐車しているかどうかを確認するためだった。
こんな小さな事であれば桐本人に確認すれば良いことだがほんの些細な事から妻が探偵を雇っていると勘繰られてしまっては全てが水の泡になる。彼女に連絡するのは調査報告のみだ。
普段は立ち入るのない住宅地に染まる為に多少アルコールを摂取し自然体を作る。撮影や張り込み等の業務を行わず彼女の自宅前まで足を伸ばす事で本日の調査をつつがなく終えるつもりだった。
あとはこの小さな追跡者さえいなければ。

足音は聞こえなくなったかと思えばすぐさま近くへ寄って来る。チラチラ光っているのはおそらくスマートフォンの画面の光。怪しい動きがあれば通報でもするつもりだろう。
しかし下手に追跡者に声を掛けようものならココ一帯は既にとっぷりと夜も更けつつある住宅街
大声を出されては適わない。
有効な打開策を練る事が出来ずにいるうちに目的地まで到着する頃には恵助の心拍数は加速する。このまま調査を続行する。車両の確認さえ取れれば目的は達成するのだから。
彼女との結婚を機に建てた一軒家。その家に着く明かりは暖色を灯す一つの窓だけだった。
窓の大きさから想像するにおそらくリビングだろう。大きな窓を小さな植木鉢とレンガ造りの駐車スペース。がらんと開けた場所は主の帰りがまだである事を伝える。
桐の旦那はまだ帰って来ていない。ほぼ定時きっかりに退社してから数時間も経っている。
この事実に恵助は心底ため息が出た。やはり旦那は桐を裏切ったのだろうか。
確認時間をメモし、足早に桐の自宅前からとんずらしようとしたその時。
「何してんのよ!ゲロ親父、警察に突き出すぞ!」
小さな追跡者は恵助の真後ろで仁王立ちをしていた。印籠を胸の前に突き出す姿はどこかのお付きの者の様に眼光を鋭く走らせる。面喰らった恵助の鼓動が喉まで届いた。
「君こそ何をしている。公園から後をつけて来たじゃないか」
「うるさい。犯罪者め。桐さんに何の用だ!」
「桐だって!?君は桐の知り合いなのか。だったら大きな誤解だ決してやましい事なんて、、、」
「こないだのゲロといい、今日のストーキングといい、何が誤解だ。通報してやる」
小さな追跡者がスマートフォンに手をかけ発信ボタンを押す間際。

「なにやってんの。人ん家の前で。近所迷惑だから静かにして」
ぴしゃりと物言いの鋭い声が慌てふためく男と怒り狂う少女を制止した。

「桐さん!こいつ変質者です!さっきからこの家の周りをウロチョロしてます!」
「だから違うって!俺は何も、、、」
「李依。違うよ。彼は私の友達。ちょっと話があるから来て貰っただけ」
「えぇー。違うのぉ。明らかに怪しいよこいつぅー」
「そんな事言わないの。心配してくれてありがとね。もう大丈夫だから」
追跡者はまだ腑に落ちないのか恵助を上から下まで睨み地面を踏みつけて去っていった。
ホッと安堵したのも束の間、少女は向いの門を開きその家へ入っていったのだ。
去り際にドアの隙間から舌打ちと睨みを効かせたであろう追跡者の追い打ちに恵助の脆い心にヒビを入れた。
「ご近所なんだ。だから方向が一緒だったのか。てっきりつけられてるかと」
「恵助じゃないんだからそんな事しないよ。あの子は妹みたいに可愛んだから。で、どうしたの」
「ちょっと、、、まだ調査の帰りで、、、報告はまだ先になるかな」
「そう、ご苦労様。ちょっと寄ってく?コーヒーくらいなら、、、」
桐が言い切る前にそうはさせまいと場を遮った古いエンジン音が遠くから聞こえた。
間違いなくあのエンジン音。こんな時に帰って来やがった。しかしこの状況を目撃される訳にはいかない。
「ごめん。まだちょっとやる事あるからまた今度ね。じゃぁまた」
「、、、そう。またね、恵助」
彼女がドアを閉めるより早く私は桐の自宅から離れて身を隠す。音の正体は先ほどまで私がいた場所に駐車し、エンジンが鳴り止んだ。ガチャっと車を降りた男、一目で違和感を感じた。

つるっとしている。夕方には蓄えていた顎にあるはずの不精髭がないのだから。
男の肌を暖色の光がみずみずしく照らす。
男はドアの中に消えた。
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登場人物紹介

恵助 しがない探偵 主な仕事は浮気調査と人探し。 学生時代の初恋の女性を忘れずにいる。

桐  恵助の初恋の女性。今春年上の男性と結婚。とあることから恵助に依頼する。

晋  恵助、桐の友人。 隣県に移住した。妻子有。

文成  恵助、晋とは旧知の仲。筋肉隆々の男。

李依  桐の近所に住む学生。桐とは姉妹に近い程仲が良い。今どきの子らしく物言いが鋭い。恵助を疑う。

沢城 恵助にペット探しの依頼をした女性。恵助より2、3年上。ちょっと抜けてる?

一徳 桐の夫 疑惑の張本人。

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