胸裡3

文字数 2,460文字

朝、昨夜の情報提供から一転と進展した今後の調査、方針について桐とはもう一度話し合う事が必要かもしれない。スマートフォンの連絡先から桐を検索し、何年もの間使われる事のなかった番号、恵助は発信ボタンを押そうとするが思うように指が発信ボタンを押せない。画面上を恵助の親指が何度も空振りする。苦虫を潰す様な表情で発信ボタンを押した。
―――♪―――♪―――♪
「はい。恵助、だよね?・・・もしかして何か分かった?それとも何か別の用事かな?」
「あぁ桐、実は調査の進捗なんだけど分かった事が少しだけある。今時間いいかな?」
「そう、、、。ねぇ今から会わない?丁度家の事も一通り終わったとこだし」
「・・・わかった。何処かで落ち合おう。詳しくはその時に」
なんとなく、仮にも依頼人といっても人妻である桐と平日の真昼間から落ち合う事にいささか胸が弾んだ自分の心に罪悪感はあるがこれはあくまで仕事の一環であってその延長に何かが起きる事はないのだと言う現実にも妙に腑に落ちない気分だ。
昨晩とは打って変わって人の心とは諸行無常、勝手なものだ。

待ち合わせ場所は桐が指定した飲食チェーン店で行われる事となった。本当だったら李依と良く行くお勧めのカフェにお招きしたい所らしいが話が話だけにマスター、従業員の目も気になるとの事からいつも多くのが入り混じる場所を選んだ。
簡単に身支度を済ませ昨夜の内にまとめた調査資料をバッグにしまい。重くドアを開く。

駅からは外れた国道沿いにあるチェーン店に到着し、ランチタイムともあってか店内は人で溢れており慌ただしく店を移動する店員、スーツ姿のサラリーマンや友人とのランチにいそしむ主婦らしき集団の中、ポツンと空席が目立ったボックス席に彼女の姿を発見した。
「お待たせ。ちょっと遅れちゃったかな」
桐の前には既に一杯のコーヒーが置かれており残りが3分の1だった事から彼女の到着が恵助よりも大分早かった事が伺える。
「んーん。いいよ。私ちょっと早く来すぎちゃったし」
いつもの桐とは違う雰囲気。別段体調が悪そうではないが目の奥では寂しさや悲しさを感じた。
少しばかり肩を落とし気味な彼女にこれからの事実を突きつける事に胸が痛む。
「それで話なんだけど、、、目撃情報があった。旦那さんは別の女性と会食してたそうだ」
「1つ目は街からはちょっと離れたイタリアン、2つ目は駅付近の大衆居酒屋。今のところ2件での目撃情報がある。目撃があった日付もここ2週間以内の事なんだけど、旦那さんの帰宅が遅かった日はこの2週間でどのくらい?」
「、、、やっぱり、、、そうだったんだ。覚悟はしてたんだけど、いざ直面するとこんなに悲しい気持ちになるのね」
「2週間以内か、、確かに帰りが遅い日はあったかな。新しい取引先の人と打ち合わせも兼ねて食事に行くって言ってたかな。帰りは、、、22時くらいになってたかも、、、」
「帰宅後に変わった様子はある?例えば匂いとか、、、」
「んー、、、ちょっと嗅ぎなれない匂いはしてたかな。後はちょっと汗の臭いがするぐらいで。特別香水の匂いとかそういうのはなかったかな」
「遅く帰ってきた後はいつもすぐお風呂に入ってそのまま寝ちゃうから話もしづらくて」
「取引先の人も女性かもしれないし、あまり仕事の話は家でしない人だから・・・。もしかしてその相手って仕事関係の人?」
先ほどまで俯き気味だった視線がハッと目を見開き彼女なりの推理が脳内で交差している。
しかし恵助は知っている。取引先の人間とは晋であり、女性では無い事を。
このまま晋からの目撃情報だと伝えてしまって良いのだろうか。今、この問題は彼女にとって大きく出来る事なら誰にも知られる事無く解決したい問題のはず。今、彼女の精神状態は最愛の夫に一途な愛を踏みにじられ。酷く脆く作られた器に溢れ出る程の不安や疑念が並々に注がれ、決壊寸前のソレそのものかもしれない。それでいて尚、知人にも家庭の醜態を知られる事など彼女以外の人にとっても大恥をかく事ではないだろうか。
晋が取引先の人間であると伝えるならば彼女の候補から取引先のリストは抹消出来るが、旦那が取引先の人と会食などと嘘のアリバイを工作した事が立証されてしまう。その事実が彼女にとって更にマイナスに働く事が懸念された。
「取引先の人は違うと思う。旦那さんの会社の前に張り込みをしたんだけど旦那さんが退社する時、いつも一人で車に乗って退社してるからね。取引先の人と会食ならアルコールが入る事も想定出来るし、何より定時からしばらく経った駐車場に残ってる車は守衛室近くの車だけだった。おそらく守衛さんの車だろう。オフィスの明かりもほぼほぼ消えてたからその中に取引先の人がいるとも考えにくい」
急造で用意した嘘でその場を保つ。我ながら何とも粗く言い訳がましいセリフだ。
この場では彼女の名誉を陰ながら守る事をメインに考えたい。あくまで晋、文成、李依がこの話を知っている事は今の桐には知っていて欲しくない。
「それもそうだね、、、。ダメね。考えれば考える程不安になる、、、」
「今にもどうかしちゃうそう。何がダメだったんだろう。新婚だけど献身的に支えてきたはずなんだけどなぁ、、、」
おかわりを注文したコーヒーの水面からは彼女の今にも泣いてしまいそうな程辛くて悔しい。
自らの行いの何が問題だったのかと自責の念に駆られているようだ。
この状況でもギリギリの理性を保とうとする彼女の芯の強さ、夫への愛情。
旦那、一徳は今もオフィスで次の逢瀬はどうしてやろうか等と妄想に耽っているのだろうか。

「まだ調査において決定的な証拠を確保した訳じゃないから断定は出来ないけど、事実だった場合はどうするの?やっぱり・・・」
「そうだなぁ。どこかに行っちゃおうかなぁ、新しくやり直すの」
「なんてね」
彼女のいじらしい笑顔が、愛おしかった。
屠ったはずの感情が動き出す、君を独り占めしたいと、また願ってしまった。
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登場人物紹介

恵助 しがない探偵 主な仕事は浮気調査と人探し。 学生時代の初恋の女性を忘れずにいる。

桐  恵助の初恋の女性。今春年上の男性と結婚。とあることから恵助に依頼する。

晋  恵助、桐の友人。 隣県に移住した。妻子有。

文成  恵助、晋とは旧知の仲。筋肉隆々の男。

李依  桐の近所に住む学生。桐とは姉妹に近い程仲が良い。今どきの子らしく物言いが鋭い。恵助を疑う。

沢城 恵助にペット探しの依頼をした女性。恵助より2、3年上。ちょっと抜けてる?

一徳 桐の夫 疑惑の張本人。

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