39)ロキの世界「ビデオデッキとワープロ」
文字数 10,588文字
39ー1)
読み返し作業も一区切りが着く。「占星術探偵、西宮のファミレスで」の章を読み終えた。
ということであるから一旦ここでPCを閉じて、電話をするのでもいいし、扉を開けて、大声で直接呼び掛けるのでもいい。
とにかく佐々木を部屋に迎い入れて、先程のインタビューの続きをすることにしようと思うわけであるが、しかしその前に私は少し勿体つけるようにしてボールペンを握り、普段から使っている雑記帳に、今ふと心に過ぎったことを書いてみる。
小説とはいったい、何を描いているものなのだろうか。
いや、そんなものは余りに巨大すぎるテーマで、それついて語ろうなんて気が触れているとしか思えないのだけど。
しかしまあ、このようなことを考えるのが私の日常でもある。別にこの文章だけで語り切ろうなんて気もない。叩き台、仮説、ラフな下書き、そのようなものをちょろっと書いてみようと思うだけ。
いはゆる、純文学というジャンルは悩みを描いているに違いない。そのことについて以前にも言及したことがあるはずだ。
純文学で描かれるような苦悩は、決して解決されるようなものではない。
これまでの価値観を捨て、新しい自分に変わって、何とか折り合いをつけることでしか対処のしようがない問題。
一方、大衆小説、エンターテイメント作品は願望についての物語に違いない。それも以前と同じ意見。
登場人物たちは何らかの願望を抱く。ミステリーならば謎を解いて、事件を解決したいという願望。恋愛小説ならば、恋愛感情を抱いた相手と恋愛関係になりたいという願望。
それらの願望だって、そう容易く達成されるものではなく、主人公たちの前にいくつもの障壁が立ちはだかるだろう。それを乗り越えなければ願望は果たされはしない。
しかし決して乗り越えられない障壁でもない。努力や工夫や協力によって、どうにかなる壁なのである。しかも障壁が高いほど、それを乗り越えたときの達成感も大きい。
その達成感にこそ、エンターテイメントの快楽が宿っている。というわけで、エンターテイメント作品は、願望と達成の物語ではないだろうか、そんな意見。
そうやって小説のジャンルを極めて単純に区分けしてみたのであるが、私自身はそれをけっこう気に入っている。
大体これで説明が出来る気がするのである。この区分をもってすれば、「いったいこの作品は何について語っているのか?」と思い悩むことはなくなる。
「ああ、この作品はこのような悩みに語っているな」と自分の中で納得することが出来て、馴染みない作家の作品を前にしても臆することはなくなる。
まあ、とはいえ、その物差しが通用し難い純文学作品はいくらでも存在しているのだけど。
ただひたすらに現実を描写したりするだけのリアリズム小説とか、超現実を描写するアンチリアリズム小説に遭遇したりすることだってあり、文学は「悩み」とか「救済」について描くものだという理解だけでは何もわかったことにはならないのだけど、まあ、とりあえずそれは置いておいて。
それらの前提に立ち、更にその話題を続けると、では、ポルノ作品は「欲望」を描く分野と言えるだろうかなんてことを思ったりする。
性欲という欲望をそのまま、直截に描く。それだけで十分なジャンル。
願望と欲望は似ているようで、厳然と別けることが出来るだろう。
ポルノ的作品で描かれる欲望の手前に障壁は存在しない。障壁を乗り越えることなく、登場人物たちの欲望は実現される。
願望を描くジャンルの面白味は「達成」にあるわけであるが、欲望を描くジャンルはそれとは全く無関係の場所で成立しているだろう。
ただ欲望そのものを描写することが出来たら、それだけで興味深い魅力的な作品になる。極めてシンプルなジャンルではないだろうか。
達成を描くためには時間が掛かる。伏線や論理的展開などの手続きが必須だ。つまりは物語が。
しかし欲望のジャンルにそれは必要とされない。だからその分、プリミティブ過ぎて、高度な文学性なんてものは獲得されたりはしないのだけど。
39―2)
しかし欲望には強烈な魅力もあるだろう。読者を虜にする魅力だ。
それを上手く利用することが出来れば、読者たちを作品世界の中にスムーズに招き入れることが出来るかもしれない力。
招き入れたあとに、その読者に読ませたい「文学」を提示するのだ。そのようなテクニックは小賢しいかもしれないが、私自身は嫌いではない。
その作家が文章力に自信があり、ただただ文章を書き連ねたいという動機があるのならば、ひたすら欲望を描写すればいいはずである。
実際、欲望を描いただけの文学作品だって数多くある。そのような作品が文学的名声を手に入れたりもしている。
欲望が描かれるのは、性的なポルノというジャンルだけに限定されたりはしないだろう。欲望から性を引き抜くことは容易いことであるに違いない。
そういうわけであるから、まるで性的なことが描かれていなくても、ポルノ的な作品は多い。
それはポジティブにでもネガティブにでも捉えられることが出来る事象で、例えば、ある種のSF作品はポルノ的欲望をポジティブに利用したりしている。科学技術によって、ある欲望が呆気なく叶えられる物語などだ。それはまるで性的な欲望が語られていないようでありながら、実は支配欲とか、大衆よりも優れた人間に成りたいといった欲望が描かれている。
読者の欲望は掻き立てられ、主人公に感情移入して、その欲望が解消される寸前まで導かれるという仕組み。
しかし欲望を描きながらも、その種のSFがポルノ的なジャンルと一線を画すのは言うまでもない。やはりそれらの作品はエンターテイメントのジャンルに属するのである。なぜなら最終的には物語の中でその欲望が罰せられたり、対象化されるから。つまり、欲望で始まり、アイローで終わるという形式。
ポルノ作品に倫理は存在しないが、エンターテイメント作品の中には倫理が確固として存在していて、主人公であっても邪な欲望は罰せられる。
倫理というキーワードも出てきた。それも小説のテーマに関わる重要な何かであろう。
しかしそれについて追及している余裕も暇もない。それよりも欲望について。
どうして私が欲望について語り出したのかというと、インタビューに答える行為がそれに深く直結する気がしたからである。
どういう欲望かというと、それそのままである。つまり、インタビューされる主体であることを私は以前から欲望していたのだ。
自分のことを聞かれて、それを好き勝手に語る行為に、私は快感を感じているのだ。それは確かに、私の欲望を満たしてくれている。
具体的にはどのような快感なのか? 自分が特別な主体かもしれないという快感。不特定多数の注目を集めているという快感。
それは確かに作家としてそれなりに長く活動しているから、このような機会はなくもなかったのだけど、これだけ長い時間、些末なことを話しても熱心に耳を傾けてくれる機会なんてなかった。
その快感が逆に、私にやましさのような感情を覚えさせる。隙あらばインタビューされることに乗り気でないような振りをしてしまうのは、それがあまりに気持ち良いからであろう。
この快感に溺れてはいけないという自制心が働いて、逆の態度が出てしまうのである。
というわけであるから、私は渋々とした態度で佐々木を呼び寄せることになるだろう。その実、その行為を待ち望んでいるというのに。
39―3)
私が素直にインタビューの席に着いたことに佐々木は安堵しているようだ。とはいえ、そのような感情を言葉にしない。いや、表情や態度からも伺えないから、もしかすると私の願望に過ぎないかもしれない。彼女がそのような思っていればいいのにという願望だ。
どっちしろ、満を持してインタビューの再開である。
「さっきのインタビューの動画を見返していました」
いや、まだ始まらない。彼女は三脚を用意して、それにカメラを設置し始める。
「ああ、どうだった?」
「もっとハキハキとお話しなされたほうがいいのではないでしょうか?」
さっきまでの彼女はカメラを自分で手に持ってインタビューをしていたのだけど、どうやら固定カメラに変更するつもりのようだ。
長時間、カメラを構えるのは疲れるのだろうか、それとも手持ちカメラ特有の揺れが気になったのか、しかしそれについては一言も言及してこないで、佐々木は私の音量のことでクレームを言ってくる。
「はあ? 僕の話し方に何か文句があるというのか。だけどそのような訓練は受けていないし、練習もしていないからね。今更、努力しても改善されたりはしないだろう。別に話しをするプロではないわけで」
「カメラを見ないで視線をずっと逸らし続けたり、質問の答えに悩んだときに見せる横顔とか、けっこう好感度が高いように思いました。表情もリラックスしていて、笑顔もときおり交えられているのも悪くないと思います。それに先生が声を発するときに、別に不快な癖とかないようで」
「何さ、例えば?」
「いえ、他人の生理的な癖というのは、ちょっとしたことでも一度気になり出したら、不快さに転じたりするじゃないですか?」
「だから何さ、具体的には」
「あらゆることですよ、鼻をすすったり、咳払いであっても、その回数が多ければ気になると思うんです」
「君は人間嫌いで、神経質だからね」
「その辺りの問題はありませんので色々と評価出来るところもあると思うんです。私たちは素人で、手探りで撮った動画にもかかわらず、その出来は別に悪くないかなっていうのが私の手応えです。しかし肝心のところがイマイチで、つまり声が聞き取りにくいんです」
「それは君が用意した録音環境が悪いのではないだろうか」
「はあ、私のせいにするんですね」
「もう少し大きな声で話せと?」
「もっと明瞭に、です。『自分の考えをわかりやすく伝えよう』という意思がほとんど感じられません」
「わかった、いいだろう」
「そんな感じで、声を出して下さい」
「腹式呼吸を意識しよう。カラオケでもお腹の筋肉を意識するだけで、採点が上がるからね」
「ちょうどそんな質問もありました、カメラを回しますね。日本はカラオケ発祥の国だけど、先生はそれが好きかどうかという質問です」
「好きだよ、まるで自分には歌の才能がないけれど。喩えるならば、山道をトコトコ歩くロバのような歌唱力しか、僕にはないね。草原を颯爽と駆ける馬のように歌いたいものさ。しかしまるで才能がない。その種の訓練もしてないし。だからカラオケには一人で行くんだよ。誰にも聞かれたくない。それでも充分に楽しいのさ」
「そうだったのですか」
「君はカラオケは?」
「私への逆質問は不必要ですよ、ちなみに滅多に行きませんが。先生は何を歌われるのでしょうか?」
「具体的な歌の題名を挙げろって要求かい?」
「そこまでいかなくても、英語で洋楽を歌うとか、アニソンを歌うとか、最新の流行歌を歌うとか」
「時代とかジャンル問わず、端的に好きな歌を歌うだけだよ。歌っているときに気持ちが良い歌だね」
「ということは歌に快楽を求めているということですね」
「それはまあ、苦は求めていない。難解な歌を練習して上手くなりたいという要求はないよ。もう少し若かった頃はもっと高い声が出るように努力していたけど、そういう鍛錬めいたことは止めたんだ。キーを下げる、女性歌手の歌なんかは一オクターブ下で歌う。楽しければいいのさ、前回よりも上達したかどうか、それすらどうでもいい・・・。こんな答えでいいのだろうか?」
「先生の人となりが現れた答えではないでしょうか」
「そうだけど、もう少し答え甲斐のある質問にして欲しいね。『生活』についての質問よりも、文学とか作品について語りたいのだけど」
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では、このような質問はどうでしょうか、佐々木はリストを捲りながら言う。
「御両親から影響は受けていないとおっしゃられてましたが、例えば御兄弟とか、幼馴染みとか、友達とか、学校の先生などはどうなんですか? 作家を目指したり、小説を愛するようになったきっかけ、幼い頃の身近な憧れの人物の話題です」
「こういうのだって、人生の話題じゃないか。人生とか生活について語ることに気が引けるんだよ。望んでいた質問ではないね」
「回答拒否ということですね」
「いや、誠実に答えるけど。子供のときの話しだろ? 身近な人物で誰に最も影響を受けたか。だけど、まるでいないなあ」
まず私は長男であるから、兄弟説は消えるだろう。いったい弟や妹に影響を受ける兄など存在するだろうか。
友人や幼馴染みとはただ単に一緒に学校の生き帰りを共にしたり、放課後や休日に遊んだりしただけで、夢とか秘密を共有したりはしていない。近所に住んでいた先輩の顔など、ちらっと思い出すことも出来るが、そのような人もいたなという程度。
学校の教師から文学の素晴らしさをまるで教わっていないと言い切ることは出来なくて、それなりに印象的な国語の授業を思い出すことが出来たりもするのだけど、そんなのは高校以降のことだから、幼い頃のエピソードというターゲットから外れる。それに、そのとき私は既にそれなりの文学愛好家だったので、きっかけというより補強であろう。
メディアの向こうの人物が対象ではない。有名作家や死んだアーティストについて語る場ではない。あくまで身近な人間とのエピソード。
いない。と言いかけて、私は過去の自分の姿が目に浮かんできて、何か色々と重要なことを思い出す。
別に葬っていたわけではないが、特に思い返すこともなかった記憶である。そんなのが頭の中に一気に押し寄せて来る。
それは昭和の話し、20世紀が終わろうとする十数年前の思い出である。
「いや、そんなことない。いないわけがないじゃないか、影響を受けた人がいる。従姉妹だよ。ああ、うん、従姉妹に大変な影響を受けた気がするね」
「そのような人物がおられたのですね?」
「その従姉妹に焦点を当てたら、自分が起こしたアクション全ての動機が簡単に解ける気さえする。何もかもその従姉妹の真似をしてきただけの人生かもしれない」
「はあ、そうなんですか」
私は妙に興奮しているが、佐々木は嫌になるくらい冷静なリアクションしか返して来ない。
インタビュアーなのだから、もっと私がこの先のことを語りたくなるような反応をするべきだと思うのだけど、そういうことをしないのが彼女の性格だろう。
どっちにしろ、彼女がどれだけ冷ややなリアクションをしたとしても、私のこの興奮は醒めたりしないが。
「その従姉妹は一歳上と五歳上の姉妹で、いはゆるサブカルチャーにけっこう長じていた。ゲームをやり込み、アニメをチェックして、マンガを愛し、読書を嗜み、音楽にも通じていて。小学生の頃の僕に様々な影響を与えたって言えるね」
「ご近所に住まわれていたのですか?」
「同じ大阪府だから近いよ。子供の頃はよく会っていた。でも、その趣味はサブカルというよりも、どちらかと言えばオタクよりで。彼女たちが読んでいたのは、『嵐が丘』とか『若草物語』とかではなくて、SFとかファンタジー作品だし、聞いていた音楽もマイケル・ジャクソンとかプリンスではなくて、ブルーハーツとか日本のその頃の音楽さ。二人は自分たちが好きなコンテンツの良さを力説してきて、その話しがとても面白くて」
「二人姉妹なんですか?」
「そう。スポーツやらメカとか、いはゆる男性的なカルチャーに興味がいかなかった理由はその姉妹が原因かもしれない。いや、逆か。そういうものに興味がなかったから、その二人を導師として選んだわけか」
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「その姉妹はサブカルというよりもオタク寄りだとさっきは言ってしまったけど、そんな生易しいレベルじゃなかったな。けっこうなレベルのアニメ好きだった。何せビデオデッキが発売されて早々に購入してて、その最新の家電でアニメを録画しまくっていた。そのデッキはVHSではなくてベータだったから、どれだけ早い時期にビデオデッキを手に入れていたかってわかると思うのだけど」
「どういうことですか?」
「君の年代は知らないかもしれない。僕だってかなり幼いときのことで正確な説明は出来ないけれど、ビデオデッキはその草創期の頃、二つの様式が並立していたらしい。VHSとベータの二種類、単純に言えばビデオテープの大きさが違っていて。結局はVHSが市場で勝利して、負けたほうは市場から駆逐されるから、ベータのほうを買った人は損をすることになるのだけど、発売された当初はどっちを買うべきか誰にもわからなかった」
「なるほど」
「それくらい早い頃からビデオデッキを購入していたんだ。そのビデオで色々なアニメを見せられた。今思い返しても、古き良き時代の素晴らしい思い出だ。その従姉妹たちからコンテンツを愛することの素晴らしさは叩き込まれた。文化を楽しむ姿勢みたいなのを学んだ気がする。何かその姉妹には、『生来の遊び人』という雰囲気が漂っていて、それは美しい姿だったんだ」
「本当に遠い目をなさいますね」
「ノスタルジックになるのを自分に許したくはないのだけど、さっきの君の質問に律儀に答えたらこういう回答になる。その従姉妹から甚大な影響を受けたっていう回答」
しかもだ!
私はまた少し興奮して、声のボリュームを上げてしまう。
「ここで思い出すのはビデオデッキの話題だけではなくて、ワープロもそうだよ。僕の父が古いワープロをその従妹にあげたんだ。彼女はそれで何か書きたいとかって。なぜか我が家にワープロが三台か四台あって」
「ビデオデッキの次はワープロですか」
「そう、過去を思い出すと、昔の家電が次々と登場してくる、しかも今は廃れた電化製品ばかりが。もちろんファミコンやカセットデッキにも様々な思い出があるけど、それよりもワープロだよ。従妹がワープロをもらい、それで何か書き出して。それが羨ましくて、子供のときの僕も思わず言ったわけだよ、『俺にもワープロをくれよ』って」
「その従姉妹さんの真似ばかりしていたって言われてましたね?」
「そう、このケースでも幼い日の僕はその行為を真似たんだ。それで、ワープロを手に入れることが出来た。今から思うと、現在の自分に通じる大きな一歩だって気がする」
「いつ頃のことですか?」
「さあ、中学生くらいだと思う。でも、そのワープロで何かを書いた記憶なんて全然ない。長い間、放置していた気がする。それはもう本当に長い時間。中学生や高校生の頃、ワープロを触った記憶なんてほとんど皆無だよ。まるでない。実際に何も書いてないことは間違いない」
「はあ」
「しかし最初の作品はワープロで書いたし、ワープロなんて自分で買った記憶なんてないから、そのワープロを使ったに違いない。だとすれば、そのワープロをもらった体験はけっこう重要な気もする」
「いつ、書くようになったのですか?」
「え? それはあまりに大きな問いだよ。作家にとっての本質を穿つような。この流れでサラッと答えられるようなことじゃない」
「そうでしょうか、では、また後で聞き直します」
「いや、明日にして欲しいくらいで」
「わかりました。明日に回しましょう。その代わり、この流れで聞きたいことがあるのですが」
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その従姉妹に焦点を当てれば、自分の人生の全てがわかる気がする。ただ端的にその二人の真似をしていただけだった、なんてことを言い放って、その自らの言葉に私は興奮しているのだけど、それは複雑な流れを極めている人生というものをすこぶる単純したような言動であって、少しも正確ではないのかもしれない。
ある意味、それはその親戚に対する極端な過大評価であり、その一方において、自分に陶酔したようなセンチメンタルなセリフであろう。
「この私という有能な作家に影響を与えたのだから、あの二人はとてつもなく凄い存在だった」という持ち上げ方をしている。私のその言葉や態度にはそのようなニュアンスが滲んではいないか。
自分の人生を振り返って、それについて言葉にするという行為自体、極めて自己陶酔的だ。
冷静に語っているつもりでも、知らない間に私は自分自身を何か特別な存在と勘違いしたような言動とか態度を取ってしまっているに違いない。
きっとその姿は痛々しい。その動画を決して平静な気分で見返すことは出来ないだろう。端的に見ていられない映像。
とはいえ、その言葉は別に嘘だというわけでもないのだ。その従姉妹からの影響は否定出来るものではなくて、私は自分なりに誠実にインタビューに答えたつもりでもあって。
いささか言い過ぎたとしても、根拠のないことではない。
何ならば、もうそれを正史にしてもいい。大した思慮もなく出た言葉であるが、その言葉に殉じるのだ。そのような極端なことすら考えたりする。
「ところで私からの質問なんですが。それは先生の初恋の話しとかそういうのなんですか?」
「はあ? 何だって?」
「つまり、その従姉妹さんに恋情のようなものがあったのですか?」
「いや、違うよ。君が最初に質問した通り、誰に影響を受けたのかと問われたから、その回答をしただけさ。恋愛なんてまるで関係のない話題だ」
「先生の回答にパッションを感じたんです。恋愛に近い熱さです」
「いや、しかしその誤解は実際、僕の母親にもされて。ただ単に話していて面白いから一緒にいたいだけなのに、そこには男女間の何かがあるのではないかと勘繰られて。それが本当に腹立たしくて、何という俗物なのだろうかって本気で親のことを蔑んだりもしたけど」
「私と同じ疑惑に駆られたわけですね」
「何でも恋愛とか性欲に還元する態度にうんざりするんだよ。男女間の友情というか、恋愛も性欲も介在しない関係は確実に存在していて。そもそもの話し、親戚なんだ。姉弟よりは遠いが、友達よりもずっと近い。それなのに恋愛とか性欲を予感されたら、おぞましさを覚えるね」
「はあ、随分と憤るんですね」
「物語の中にだって、そういうものを見い出そうとする連中がいるだろ? ホームズとワトソンの間に同性愛的な感情があると断言したがったり。『こころ』の先生とKの間に、恋愛感情があるかもしれないと疑ったり。それと似たようなものを感じる」
そんなものは下種の勘繰りという奴だ、とまで言って、インタビュアーを面罵するのは止めておこう。
「とにかくそんなものはないんだ。親戚だから友情なんて言葉はおかしくて、上手い言葉は見つけられないのだけど、とにかくグッドフィーリングな何かが流れていた、それ以上でもそれ以下でもないのさ」
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「『男女間の友情というか、恋愛も性欲も介在しない関係は確実に存在していて』と言われましたが、しかし先生、そこは意見が別れるのではないでしょうか」
私が流れの中で何となく発言した言葉に、インタビュアーが絡んでくる。
何だよ、意見が別れるのは当たり前じゃないかと返して、こんな面倒臭そうな話題はさっさと終わらせたいのだけど、そこには何か重要なものがある気もして、私はため息をついたのち、それに付き合うことにする。
「つまり、えーと、男女間の友情というか、恋愛も性欲も介在しない関係というのは男側には都合が良くて、もしかしたら女性側からすれば不利かもしれないとか、そういうことを君は言いたいわけか」
「いえ、私が別に何か言いたいわけではありません。ただ単にもっと踏み込んで話してもらいたいだけです」
「恋愛感情もないし性欲も感じないけど、君と一緒にいたいんだって言われても、言われたほうが納得しないのなら、そんなものは通用しないも同然なので、それは人それぞれというより、関係ごとにそれぞれなんだろう。そういう関係が成立するカップルもあるし、そうじゃないカップルもある。カップルというと恋愛のニュアンスが出てしまうけど、二人の関係って意味でのカップル」
「はあ」
「しかしそんなものは人それぞれだ、勝手にさせてやれと言っても、世間という周囲が納得はしない。我々は社会に生きているのだから、それとのすり合わせが必要な場合があって。つまり、とてつもなく仲の良い姪と叔父なんて関係は不気味でしかなくて、姪と叔父二人きりで会って、遊園地で遊んでいたら、何かそれはヤバい話しだ。その逆ももちろん同じで、甥と叔母とかだってそう。そういう関係に対して、世間が警戒するのは当然だろう。どちらも大人同士でも、それが男女間だったら結局のところは不自然でしかなくて。だから恋人や家族ではない相手と不用意に仲良くするべきではない、それがルールというかマナーで、その規範を破れば後ろ指を差されて仕方がない、というのが君の質問への回答だろうか」
「では、先生はお母様を俗物だと言って謗ることは出来ませんね」
「まあね、別にそんなものは冗談の一種で、根には持ってないのだけど。しかしもっと広い視野を持った親だったら、違う世界があったろう」
「随分と根に持ってらっしゃるようですね」
「意外と人間関係は不自由なものに違いない。恋愛も性欲もない関係なんて、滅多に認められるものではない、ということなんだろう。社会は狭量だ」
「ということで、過去の恋愛の話しについてお聞きしなければいけない流れになった気がするのですが」
「どうしてさ」
「最初の恋はいつなのかという質問です」
「それこそプライバシーに属することだからノーコメントだよ。そもそもこのインタビューを観ている人だって聞きたくないはずだよ。そんなことに興味を持つ振りをしていたのはもう過去の世代で」
「そうでしょうか? まあ、確かに私もそんな気がします。ですが、『ここでこのインタビュアーはどうして恋愛の話しに突っ込んでいかないのだ』と叱られた場合、先生は私を弁護してくれるということですね?」
「当然だよ。この会話を残しておけばいい」
読み返し作業も一区切りが着く。「占星術探偵、西宮のファミレスで」の章を読み終えた。
ということであるから一旦ここでPCを閉じて、電話をするのでもいいし、扉を開けて、大声で直接呼び掛けるのでもいい。
とにかく佐々木を部屋に迎い入れて、先程のインタビューの続きをすることにしようと思うわけであるが、しかしその前に私は少し勿体つけるようにしてボールペンを握り、普段から使っている雑記帳に、今ふと心に過ぎったことを書いてみる。
小説とはいったい、何を描いているものなのだろうか。
いや、そんなものは余りに巨大すぎるテーマで、それついて語ろうなんて気が触れているとしか思えないのだけど。
しかしまあ、このようなことを考えるのが私の日常でもある。別にこの文章だけで語り切ろうなんて気もない。叩き台、仮説、ラフな下書き、そのようなものをちょろっと書いてみようと思うだけ。
いはゆる、純文学というジャンルは悩みを描いているに違いない。そのことについて以前にも言及したことがあるはずだ。
純文学で描かれるような苦悩は、決して解決されるようなものではない。
これまでの価値観を捨て、新しい自分に変わって、何とか折り合いをつけることでしか対処のしようがない問題。
一方、大衆小説、エンターテイメント作品は願望についての物語に違いない。それも以前と同じ意見。
登場人物たちは何らかの願望を抱く。ミステリーならば謎を解いて、事件を解決したいという願望。恋愛小説ならば、恋愛感情を抱いた相手と恋愛関係になりたいという願望。
それらの願望だって、そう容易く達成されるものではなく、主人公たちの前にいくつもの障壁が立ちはだかるだろう。それを乗り越えなければ願望は果たされはしない。
しかし決して乗り越えられない障壁でもない。努力や工夫や協力によって、どうにかなる壁なのである。しかも障壁が高いほど、それを乗り越えたときの達成感も大きい。
その達成感にこそ、エンターテイメントの快楽が宿っている。というわけで、エンターテイメント作品は、願望と達成の物語ではないだろうか、そんな意見。
そうやって小説のジャンルを極めて単純に区分けしてみたのであるが、私自身はそれをけっこう気に入っている。
大体これで説明が出来る気がするのである。この区分をもってすれば、「いったいこの作品は何について語っているのか?」と思い悩むことはなくなる。
「ああ、この作品はこのような悩みに語っているな」と自分の中で納得することが出来て、馴染みない作家の作品を前にしても臆することはなくなる。
まあ、とはいえ、その物差しが通用し難い純文学作品はいくらでも存在しているのだけど。
ただひたすらに現実を描写したりするだけのリアリズム小説とか、超現実を描写するアンチリアリズム小説に遭遇したりすることだってあり、文学は「悩み」とか「救済」について描くものだという理解だけでは何もわかったことにはならないのだけど、まあ、とりあえずそれは置いておいて。
それらの前提に立ち、更にその話題を続けると、では、ポルノ作品は「欲望」を描く分野と言えるだろうかなんてことを思ったりする。
性欲という欲望をそのまま、直截に描く。それだけで十分なジャンル。
願望と欲望は似ているようで、厳然と別けることが出来るだろう。
ポルノ的作品で描かれる欲望の手前に障壁は存在しない。障壁を乗り越えることなく、登場人物たちの欲望は実現される。
願望を描くジャンルの面白味は「達成」にあるわけであるが、欲望を描くジャンルはそれとは全く無関係の場所で成立しているだろう。
ただ欲望そのものを描写することが出来たら、それだけで興味深い魅力的な作品になる。極めてシンプルなジャンルではないだろうか。
達成を描くためには時間が掛かる。伏線や論理的展開などの手続きが必須だ。つまりは物語が。
しかし欲望のジャンルにそれは必要とされない。だからその分、プリミティブ過ぎて、高度な文学性なんてものは獲得されたりはしないのだけど。
39―2)
しかし欲望には強烈な魅力もあるだろう。読者を虜にする魅力だ。
それを上手く利用することが出来れば、読者たちを作品世界の中にスムーズに招き入れることが出来るかもしれない力。
招き入れたあとに、その読者に読ませたい「文学」を提示するのだ。そのようなテクニックは小賢しいかもしれないが、私自身は嫌いではない。
その作家が文章力に自信があり、ただただ文章を書き連ねたいという動機があるのならば、ひたすら欲望を描写すればいいはずである。
実際、欲望を描いただけの文学作品だって数多くある。そのような作品が文学的名声を手に入れたりもしている。
欲望が描かれるのは、性的なポルノというジャンルだけに限定されたりはしないだろう。欲望から性を引き抜くことは容易いことであるに違いない。
そういうわけであるから、まるで性的なことが描かれていなくても、ポルノ的な作品は多い。
それはポジティブにでもネガティブにでも捉えられることが出来る事象で、例えば、ある種のSF作品はポルノ的欲望をポジティブに利用したりしている。科学技術によって、ある欲望が呆気なく叶えられる物語などだ。それはまるで性的な欲望が語られていないようでありながら、実は支配欲とか、大衆よりも優れた人間に成りたいといった欲望が描かれている。
読者の欲望は掻き立てられ、主人公に感情移入して、その欲望が解消される寸前まで導かれるという仕組み。
しかし欲望を描きながらも、その種のSFがポルノ的なジャンルと一線を画すのは言うまでもない。やはりそれらの作品はエンターテイメントのジャンルに属するのである。なぜなら最終的には物語の中でその欲望が罰せられたり、対象化されるから。つまり、欲望で始まり、アイローで終わるという形式。
ポルノ作品に倫理は存在しないが、エンターテイメント作品の中には倫理が確固として存在していて、主人公であっても邪な欲望は罰せられる。
倫理というキーワードも出てきた。それも小説のテーマに関わる重要な何かであろう。
しかしそれについて追及している余裕も暇もない。それよりも欲望について。
どうして私が欲望について語り出したのかというと、インタビューに答える行為がそれに深く直結する気がしたからである。
どういう欲望かというと、それそのままである。つまり、インタビューされる主体であることを私は以前から欲望していたのだ。
自分のことを聞かれて、それを好き勝手に語る行為に、私は快感を感じているのだ。それは確かに、私の欲望を満たしてくれている。
具体的にはどのような快感なのか? 自分が特別な主体かもしれないという快感。不特定多数の注目を集めているという快感。
それは確かに作家としてそれなりに長く活動しているから、このような機会はなくもなかったのだけど、これだけ長い時間、些末なことを話しても熱心に耳を傾けてくれる機会なんてなかった。
その快感が逆に、私にやましさのような感情を覚えさせる。隙あらばインタビューされることに乗り気でないような振りをしてしまうのは、それがあまりに気持ち良いからであろう。
この快感に溺れてはいけないという自制心が働いて、逆の態度が出てしまうのである。
というわけであるから、私は渋々とした態度で佐々木を呼び寄せることになるだろう。その実、その行為を待ち望んでいるというのに。
39―3)
私が素直にインタビューの席に着いたことに佐々木は安堵しているようだ。とはいえ、そのような感情を言葉にしない。いや、表情や態度からも伺えないから、もしかすると私の願望に過ぎないかもしれない。彼女がそのような思っていればいいのにという願望だ。
どっちしろ、満を持してインタビューの再開である。
「さっきのインタビューの動画を見返していました」
いや、まだ始まらない。彼女は三脚を用意して、それにカメラを設置し始める。
「ああ、どうだった?」
「もっとハキハキとお話しなされたほうがいいのではないでしょうか?」
さっきまでの彼女はカメラを自分で手に持ってインタビューをしていたのだけど、どうやら固定カメラに変更するつもりのようだ。
長時間、カメラを構えるのは疲れるのだろうか、それとも手持ちカメラ特有の揺れが気になったのか、しかしそれについては一言も言及してこないで、佐々木は私の音量のことでクレームを言ってくる。
「はあ? 僕の話し方に何か文句があるというのか。だけどそのような訓練は受けていないし、練習もしていないからね。今更、努力しても改善されたりはしないだろう。別に話しをするプロではないわけで」
「カメラを見ないで視線をずっと逸らし続けたり、質問の答えに悩んだときに見せる横顔とか、けっこう好感度が高いように思いました。表情もリラックスしていて、笑顔もときおり交えられているのも悪くないと思います。それに先生が声を発するときに、別に不快な癖とかないようで」
「何さ、例えば?」
「いえ、他人の生理的な癖というのは、ちょっとしたことでも一度気になり出したら、不快さに転じたりするじゃないですか?」
「だから何さ、具体的には」
「あらゆることですよ、鼻をすすったり、咳払いであっても、その回数が多ければ気になると思うんです」
「君は人間嫌いで、神経質だからね」
「その辺りの問題はありませんので色々と評価出来るところもあると思うんです。私たちは素人で、手探りで撮った動画にもかかわらず、その出来は別に悪くないかなっていうのが私の手応えです。しかし肝心のところがイマイチで、つまり声が聞き取りにくいんです」
「それは君が用意した録音環境が悪いのではないだろうか」
「はあ、私のせいにするんですね」
「もう少し大きな声で話せと?」
「もっと明瞭に、です。『自分の考えをわかりやすく伝えよう』という意思がほとんど感じられません」
「わかった、いいだろう」
「そんな感じで、声を出して下さい」
「腹式呼吸を意識しよう。カラオケでもお腹の筋肉を意識するだけで、採点が上がるからね」
「ちょうどそんな質問もありました、カメラを回しますね。日本はカラオケ発祥の国だけど、先生はそれが好きかどうかという質問です」
「好きだよ、まるで自分には歌の才能がないけれど。喩えるならば、山道をトコトコ歩くロバのような歌唱力しか、僕にはないね。草原を颯爽と駆ける馬のように歌いたいものさ。しかしまるで才能がない。その種の訓練もしてないし。だからカラオケには一人で行くんだよ。誰にも聞かれたくない。それでも充分に楽しいのさ」
「そうだったのですか」
「君はカラオケは?」
「私への逆質問は不必要ですよ、ちなみに滅多に行きませんが。先生は何を歌われるのでしょうか?」
「具体的な歌の題名を挙げろって要求かい?」
「そこまでいかなくても、英語で洋楽を歌うとか、アニソンを歌うとか、最新の流行歌を歌うとか」
「時代とかジャンル問わず、端的に好きな歌を歌うだけだよ。歌っているときに気持ちが良い歌だね」
「ということは歌に快楽を求めているということですね」
「それはまあ、苦は求めていない。難解な歌を練習して上手くなりたいという要求はないよ。もう少し若かった頃はもっと高い声が出るように努力していたけど、そういう鍛錬めいたことは止めたんだ。キーを下げる、女性歌手の歌なんかは一オクターブ下で歌う。楽しければいいのさ、前回よりも上達したかどうか、それすらどうでもいい・・・。こんな答えでいいのだろうか?」
「先生の人となりが現れた答えではないでしょうか」
「そうだけど、もう少し答え甲斐のある質問にして欲しいね。『生活』についての質問よりも、文学とか作品について語りたいのだけど」
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では、このような質問はどうでしょうか、佐々木はリストを捲りながら言う。
「御両親から影響は受けていないとおっしゃられてましたが、例えば御兄弟とか、幼馴染みとか、友達とか、学校の先生などはどうなんですか? 作家を目指したり、小説を愛するようになったきっかけ、幼い頃の身近な憧れの人物の話題です」
「こういうのだって、人生の話題じゃないか。人生とか生活について語ることに気が引けるんだよ。望んでいた質問ではないね」
「回答拒否ということですね」
「いや、誠実に答えるけど。子供のときの話しだろ? 身近な人物で誰に最も影響を受けたか。だけど、まるでいないなあ」
まず私は長男であるから、兄弟説は消えるだろう。いったい弟や妹に影響を受ける兄など存在するだろうか。
友人や幼馴染みとはただ単に一緒に学校の生き帰りを共にしたり、放課後や休日に遊んだりしただけで、夢とか秘密を共有したりはしていない。近所に住んでいた先輩の顔など、ちらっと思い出すことも出来るが、そのような人もいたなという程度。
学校の教師から文学の素晴らしさをまるで教わっていないと言い切ることは出来なくて、それなりに印象的な国語の授業を思い出すことが出来たりもするのだけど、そんなのは高校以降のことだから、幼い頃のエピソードというターゲットから外れる。それに、そのとき私は既にそれなりの文学愛好家だったので、きっかけというより補強であろう。
メディアの向こうの人物が対象ではない。有名作家や死んだアーティストについて語る場ではない。あくまで身近な人間とのエピソード。
いない。と言いかけて、私は過去の自分の姿が目に浮かんできて、何か色々と重要なことを思い出す。
別に葬っていたわけではないが、特に思い返すこともなかった記憶である。そんなのが頭の中に一気に押し寄せて来る。
それは昭和の話し、20世紀が終わろうとする十数年前の思い出である。
「いや、そんなことない。いないわけがないじゃないか、影響を受けた人がいる。従姉妹だよ。ああ、うん、従姉妹に大変な影響を受けた気がするね」
「そのような人物がおられたのですね?」
「その従姉妹に焦点を当てたら、自分が起こしたアクション全ての動機が簡単に解ける気さえする。何もかもその従姉妹の真似をしてきただけの人生かもしれない」
「はあ、そうなんですか」
私は妙に興奮しているが、佐々木は嫌になるくらい冷静なリアクションしか返して来ない。
インタビュアーなのだから、もっと私がこの先のことを語りたくなるような反応をするべきだと思うのだけど、そういうことをしないのが彼女の性格だろう。
どっちにしろ、彼女がどれだけ冷ややなリアクションをしたとしても、私のこの興奮は醒めたりしないが。
「その従姉妹は一歳上と五歳上の姉妹で、いはゆるサブカルチャーにけっこう長じていた。ゲームをやり込み、アニメをチェックして、マンガを愛し、読書を嗜み、音楽にも通じていて。小学生の頃の僕に様々な影響を与えたって言えるね」
「ご近所に住まわれていたのですか?」
「同じ大阪府だから近いよ。子供の頃はよく会っていた。でも、その趣味はサブカルというよりも、どちらかと言えばオタクよりで。彼女たちが読んでいたのは、『嵐が丘』とか『若草物語』とかではなくて、SFとかファンタジー作品だし、聞いていた音楽もマイケル・ジャクソンとかプリンスではなくて、ブルーハーツとか日本のその頃の音楽さ。二人は自分たちが好きなコンテンツの良さを力説してきて、その話しがとても面白くて」
「二人姉妹なんですか?」
「そう。スポーツやらメカとか、いはゆる男性的なカルチャーに興味がいかなかった理由はその姉妹が原因かもしれない。いや、逆か。そういうものに興味がなかったから、その二人を導師として選んだわけか」
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「その姉妹はサブカルというよりもオタク寄りだとさっきは言ってしまったけど、そんな生易しいレベルじゃなかったな。けっこうなレベルのアニメ好きだった。何せビデオデッキが発売されて早々に購入してて、その最新の家電でアニメを録画しまくっていた。そのデッキはVHSではなくてベータだったから、どれだけ早い時期にビデオデッキを手に入れていたかってわかると思うのだけど」
「どういうことですか?」
「君の年代は知らないかもしれない。僕だってかなり幼いときのことで正確な説明は出来ないけれど、ビデオデッキはその草創期の頃、二つの様式が並立していたらしい。VHSとベータの二種類、単純に言えばビデオテープの大きさが違っていて。結局はVHSが市場で勝利して、負けたほうは市場から駆逐されるから、ベータのほうを買った人は損をすることになるのだけど、発売された当初はどっちを買うべきか誰にもわからなかった」
「なるほど」
「それくらい早い頃からビデオデッキを購入していたんだ。そのビデオで色々なアニメを見せられた。今思い返しても、古き良き時代の素晴らしい思い出だ。その従姉妹たちからコンテンツを愛することの素晴らしさは叩き込まれた。文化を楽しむ姿勢みたいなのを学んだ気がする。何かその姉妹には、『生来の遊び人』という雰囲気が漂っていて、それは美しい姿だったんだ」
「本当に遠い目をなさいますね」
「ノスタルジックになるのを自分に許したくはないのだけど、さっきの君の質問に律儀に答えたらこういう回答になる。その従姉妹から甚大な影響を受けたっていう回答」
しかもだ!
私はまた少し興奮して、声のボリュームを上げてしまう。
「ここで思い出すのはビデオデッキの話題だけではなくて、ワープロもそうだよ。僕の父が古いワープロをその従妹にあげたんだ。彼女はそれで何か書きたいとかって。なぜか我が家にワープロが三台か四台あって」
「ビデオデッキの次はワープロですか」
「そう、過去を思い出すと、昔の家電が次々と登場してくる、しかも今は廃れた電化製品ばかりが。もちろんファミコンやカセットデッキにも様々な思い出があるけど、それよりもワープロだよ。従妹がワープロをもらい、それで何か書き出して。それが羨ましくて、子供のときの僕も思わず言ったわけだよ、『俺にもワープロをくれよ』って」
「その従姉妹さんの真似ばかりしていたって言われてましたね?」
「そう、このケースでも幼い日の僕はその行為を真似たんだ。それで、ワープロを手に入れることが出来た。今から思うと、現在の自分に通じる大きな一歩だって気がする」
「いつ頃のことですか?」
「さあ、中学生くらいだと思う。でも、そのワープロで何かを書いた記憶なんて全然ない。長い間、放置していた気がする。それはもう本当に長い時間。中学生や高校生の頃、ワープロを触った記憶なんてほとんど皆無だよ。まるでない。実際に何も書いてないことは間違いない」
「はあ」
「しかし最初の作品はワープロで書いたし、ワープロなんて自分で買った記憶なんてないから、そのワープロを使ったに違いない。だとすれば、そのワープロをもらった体験はけっこう重要な気もする」
「いつ、書くようになったのですか?」
「え? それはあまりに大きな問いだよ。作家にとっての本質を穿つような。この流れでサラッと答えられるようなことじゃない」
「そうでしょうか、では、また後で聞き直します」
「いや、明日にして欲しいくらいで」
「わかりました。明日に回しましょう。その代わり、この流れで聞きたいことがあるのですが」
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その従姉妹に焦点を当てれば、自分の人生の全てがわかる気がする。ただ端的にその二人の真似をしていただけだった、なんてことを言い放って、その自らの言葉に私は興奮しているのだけど、それは複雑な流れを極めている人生というものをすこぶる単純したような言動であって、少しも正確ではないのかもしれない。
ある意味、それはその親戚に対する極端な過大評価であり、その一方において、自分に陶酔したようなセンチメンタルなセリフであろう。
「この私という有能な作家に影響を与えたのだから、あの二人はとてつもなく凄い存在だった」という持ち上げ方をしている。私のその言葉や態度にはそのようなニュアンスが滲んではいないか。
自分の人生を振り返って、それについて言葉にするという行為自体、極めて自己陶酔的だ。
冷静に語っているつもりでも、知らない間に私は自分自身を何か特別な存在と勘違いしたような言動とか態度を取ってしまっているに違いない。
きっとその姿は痛々しい。その動画を決して平静な気分で見返すことは出来ないだろう。端的に見ていられない映像。
とはいえ、その言葉は別に嘘だというわけでもないのだ。その従姉妹からの影響は否定出来るものではなくて、私は自分なりに誠実にインタビューに答えたつもりでもあって。
いささか言い過ぎたとしても、根拠のないことではない。
何ならば、もうそれを正史にしてもいい。大した思慮もなく出た言葉であるが、その言葉に殉じるのだ。そのような極端なことすら考えたりする。
「ところで私からの質問なんですが。それは先生の初恋の話しとかそういうのなんですか?」
「はあ? 何だって?」
「つまり、その従姉妹さんに恋情のようなものがあったのですか?」
「いや、違うよ。君が最初に質問した通り、誰に影響を受けたのかと問われたから、その回答をしただけさ。恋愛なんてまるで関係のない話題だ」
「先生の回答にパッションを感じたんです。恋愛に近い熱さです」
「いや、しかしその誤解は実際、僕の母親にもされて。ただ単に話していて面白いから一緒にいたいだけなのに、そこには男女間の何かがあるのではないかと勘繰られて。それが本当に腹立たしくて、何という俗物なのだろうかって本気で親のことを蔑んだりもしたけど」
「私と同じ疑惑に駆られたわけですね」
「何でも恋愛とか性欲に還元する態度にうんざりするんだよ。男女間の友情というか、恋愛も性欲も介在しない関係は確実に存在していて。そもそもの話し、親戚なんだ。姉弟よりは遠いが、友達よりもずっと近い。それなのに恋愛とか性欲を予感されたら、おぞましさを覚えるね」
「はあ、随分と憤るんですね」
「物語の中にだって、そういうものを見い出そうとする連中がいるだろ? ホームズとワトソンの間に同性愛的な感情があると断言したがったり。『こころ』の先生とKの間に、恋愛感情があるかもしれないと疑ったり。それと似たようなものを感じる」
そんなものは下種の勘繰りという奴だ、とまで言って、インタビュアーを面罵するのは止めておこう。
「とにかくそんなものはないんだ。親戚だから友情なんて言葉はおかしくて、上手い言葉は見つけられないのだけど、とにかくグッドフィーリングな何かが流れていた、それ以上でもそれ以下でもないのさ」
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「『男女間の友情というか、恋愛も性欲も介在しない関係は確実に存在していて』と言われましたが、しかし先生、そこは意見が別れるのではないでしょうか」
私が流れの中で何となく発言した言葉に、インタビュアーが絡んでくる。
何だよ、意見が別れるのは当たり前じゃないかと返して、こんな面倒臭そうな話題はさっさと終わらせたいのだけど、そこには何か重要なものがある気もして、私はため息をついたのち、それに付き合うことにする。
「つまり、えーと、男女間の友情というか、恋愛も性欲も介在しない関係というのは男側には都合が良くて、もしかしたら女性側からすれば不利かもしれないとか、そういうことを君は言いたいわけか」
「いえ、私が別に何か言いたいわけではありません。ただ単にもっと踏み込んで話してもらいたいだけです」
「恋愛感情もないし性欲も感じないけど、君と一緒にいたいんだって言われても、言われたほうが納得しないのなら、そんなものは通用しないも同然なので、それは人それぞれというより、関係ごとにそれぞれなんだろう。そういう関係が成立するカップルもあるし、そうじゃないカップルもある。カップルというと恋愛のニュアンスが出てしまうけど、二人の関係って意味でのカップル」
「はあ」
「しかしそんなものは人それぞれだ、勝手にさせてやれと言っても、世間という周囲が納得はしない。我々は社会に生きているのだから、それとのすり合わせが必要な場合があって。つまり、とてつもなく仲の良い姪と叔父なんて関係は不気味でしかなくて、姪と叔父二人きりで会って、遊園地で遊んでいたら、何かそれはヤバい話しだ。その逆ももちろん同じで、甥と叔母とかだってそう。そういう関係に対して、世間が警戒するのは当然だろう。どちらも大人同士でも、それが男女間だったら結局のところは不自然でしかなくて。だから恋人や家族ではない相手と不用意に仲良くするべきではない、それがルールというかマナーで、その規範を破れば後ろ指を差されて仕方がない、というのが君の質問への回答だろうか」
「では、先生はお母様を俗物だと言って謗ることは出来ませんね」
「まあね、別にそんなものは冗談の一種で、根には持ってないのだけど。しかしもっと広い視野を持った親だったら、違う世界があったろう」
「随分と根に持ってらっしゃるようですね」
「意外と人間関係は不自由なものに違いない。恋愛も性欲もない関係なんて、滅多に認められるものではない、ということなんだろう。社会は狭量だ」
「ということで、過去の恋愛の話しについてお聞きしなければいけない流れになった気がするのですが」
「どうしてさ」
「最初の恋はいつなのかという質問です」
「それこそプライバシーに属することだからノーコメントだよ。そもそもこのインタビューを観ている人だって聞きたくないはずだよ。そんなことに興味を持つ振りをしていたのはもう過去の世代で」
「そうでしょうか? まあ、確かに私もそんな気がします。ですが、『ここでこのインタビュアーはどうして恋愛の話しに突っ込んでいかないのだ』と叱られた場合、先生は私を弁護してくれるということですね?」
「当然だよ。この会話を残しておけばいい」