5)占星術探偵「殺人事件」

文字数 9,117文字

5ー1)

 この大阪の街というよりも日本の街、いや、きっとアジアの繁華街の多くは、西洋諸国、ヨーロッパやアメリカなどと比べるたらはるかに、派手な広告や看板が溢れているのではないだろうか。
 そのような風景に美や魅力を感じるのか、それとも醜さを感じるのかと問われたら、どう考えてもそれは後者のほうで、その醜さは暴走する資本主義というよりも商売人たちの剥き出しのエゴでしかなく、計画だった秩序、公共心など見受けられるわけがない。
 しかし出来ることならば自分の作品の大阪の街は、派手で目立つ広告や俗悪な看板で溢れた街にしたい。
 現実の街はまだまだ中途半端ではないだろうか。この程度では近隣のアジアの猥雑な街に負けている。

 ということで、飴野探偵事務所の看板も、微力ながら景観破壊に寄与させている。そのビルの南向きの窓の外側に、「飴野探偵事務所」という文字を貼っている。
 窓のサイズをフルに活用した赤い文字。三階のビルの窓なので、通行人の目につくはず。とはいえ、まるでその宣伝も効果なく、この事務所はずっと暇をしているのであるが。

 その窓自体がこの探偵事務所の看板なのだから、その窓はほとんど開けられることはない。しかし外が明るいか暗いかくらいはわかる。
 窓の向こうの太陽の光はすっかり橙色に陰っていた。
 知らないうちに時間は大きく吹き飛んでいたようだ飴野は思う。依頼人の佐倉彩が事務所に滞在していたのは思ったよりも長かったようだ。
 だとすると、夜だってすぐにやってくるだろう。飴野は即座に仕事に取り掛かることにする。
 どんな仕事をするというのか、依頼人佐倉の心の中を覗く仕事だ。佐倉のホロスコープを更に詳細に解読して、彼女が果たして何を望んでいるのか推測してみる。

 もちろん、失踪した婚約者の行方。それが佐倉が求めていることであろう。
 彼女が飴野に依頼してきた内容はそれなのだから。
 とはいえ、彼女が心の奥底で望んでいることは別の何かであるかもしれない。
 本当の願望は秘められているのだ。そっちを解決しなければ、彼女の心を満たすことは出来ないというわけである。つまり、本当の意味でこの依頼を解決したことにはならない。

 依頼人、佐倉彩は蠍座の女性だ。
 しかしそれは彼女の生まれたときの太陽が蠍座の位置にあったというだけ。太陽以外にも、たくさんの数の惑星がホロスコープには存在している。
 その天体たちも、我々に多大なる影響を及ぼしてくる。主な惑星を挙げてもこれだけの数。月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星。
 その惑星たちが様々な角度を形成し合い、佐倉彩の人生や人格、行動に影響を与えているというのが占星術の考え。

 ありえない。非科学的だ。
 はるか遠い宇宙にある惑星が、一人の人間の人生に対して、いったいどのような影響を与えるというのだ! 
 占星術探偵を名乗っている飴野だって、それをまっすぐ信じ込んでいるわけではない。何せ彼の占いはけっこうな頻度で外れたりする。

 「だけど人間も惑星も同じ素粒子で出来ているのさ。影響を及ぼし合わないわけがないだろ」

 それは占星術の師匠、彼の祖母の言葉であった。
 飴野はその祖母によって、幼少の頃から占星術を叩きこまれた。そんなこと、まるで望んでいなかったのに。半ば無理やりに。
 その結果、何を見るにしても、星を通してしか解釈出来ない人間になってしまった。
 愛も友情もセックスも、感動も絶望も、読書することも、音楽を聴くことも、全てホロスコープ越しにしか体験出来ないのである。ある意味、彼は星に憑かれてしまったわけだ。



5―2)

 人間も惑星も同じ素粒子で出来ているから、遠い宇宙に存在する惑星であっても人に影響を与える。占星術が人の運命を言い当てる根拠はそれに違いない。
 飴野の占星術の師である祖母の言葉だ。

 「やい、林太郎」

 あるとき、その祖母が言ったのである。

 「お前は人文系の本など読まなくていい。物理や数学を勉強するのだ。そして占星術の正当性を科学的に証明して欲しい」

 彼の祖母は博学ではあったが、素粒子や量子力学などの物理学に通じていた気配はいない。一般書を読んで知った程度の知識しかなかったようである。
 そのせいであろうか、その難解極まる学問ならば、占星術が科学的に解明されるかもしれないなんて望みを感じていたようだ。
 確かに量子力学専門の科学者たちは、五次元や六次元などを本気で語っているようであるから、占星術を素粒子で解釈しようとする祖母の姿勢だって、そこまで検討外れでないのかもしれない。それは検討してみる価値があったのかもしれない。

 しかし孫の飴野は残念ながら祖母の意思に従わず、理系の学問に勤しむことはなく、文系の大学に進み、それどころか探偵などという職業を選んでしまった。
 愛する祖母を大変に悲しませてしまったのである。
 とはいえ、占星術の知を探偵業に利用している。その過程で得た知見を、その研究にフィードバックもしている。
 いつからか厳しい祖母も彼の人生を認めてくれるようになった。むしろ占星術が実地で活かされていることを喜んでくれているよう。

 大阪まで会いに来たいと祖母は何度も言ってくるが、飴野はのらりくらりと交わしていた。
 飴野本人の事情というよりも作者側の事情だ。まだ祖母のキャラクターや名前も決まっていないのである。
 それが決まったとしても、そのエピソードを物語の本筋で活かせるかどうか不明だ。おそらく私は最後まで彼の祖母を作品に登場させることはないだろう。

 無理やり祖母に叩き込まれた占星術であったが、今やそれは飴野林太朗のアイデンティティの一つと化している。
 何せ占星術探偵。占星術の知見がなければ、彼は平均以下の能力しかない探偵である。
 その超魔術を有しているから、一人でも探偵業を営み続けていられるのだ、と飴野自身は思い込んでいる。

 さて、そういうわけで、飴野はディスプレイの上に展開された佐倉彩のホロスコープを読んでいる。
 このホロスコープの中に、一人の人物の過去と未来が象徴として凝縮されている、というのが祖母から学んだ知。
 いや、それだけでは十分ではない。今のところ入手したのは佐倉彩と彼女の両親、失踪した婚約者のホロスコープだけである。
 その数枚のホロスコープだけで、この事件について何かの判断を下すことなど出来るわけがない。
 もっと詳しい情報は後日、メールか何かで送られてくるという約束。
 それを待ってから本格的な解読作業を始めても遅くはないが、他にやることもない飴野は早速仕事に取り掛かっている。
 彼はこの事件に好奇心を感じている。

 「ねえ、下でめっちゃ奇麗な女の人とすれ違ったんやけど」

 そのときノックもなく扉が開いて、誰かが入ってきた。千咲だ。この事務所のあるビルのオーナーの孫娘。
 放課後、自宅に帰らず、そのまま彼の事務所に遊びに来るのはいつものことである。彼女は飴野の助手兼弟子というポジション。

 「もしかして恋人なのかしら? いつのまにそんなお相手が」

 千咲は自分の鞄を、さっきまで佐倉彩が座っていたソファに置いた。心なしか少し乱暴に。

 「どんな女性だよ?」

 「さあ、知らんけど、何か髪が長くて、背が高くてシュッとしてて、ビルの外を出ると同時に、サッと眼鏡を外してね、どっかのブランドもんのバッグをパチッと開けて、歩きながらその眼鏡をカバンの中に入れて、私とすれ違うとき、フッと微笑みかけてきはって。この辺では見いひんタイプの女性やった」

 「ああ、彼女か」

 「はあ? やっぱり飴野さんの知り合いなんや」

 「依頼人だよ。これから捜査が始まる」

 「依頼人って探偵のお仕事の? 嘘や? 良かったやんか。ってことは久しぶりに仕事が出来るってことでしょ?」

 謎の女性の正体が判明して、千咲はすっかり機嫌を直したようである。素直に彼の幸福を祝ってくれる。

 「そうだね、久しぶりのまともな仕事だ」



5―3)

 そもそも千咲はすぐに不機嫌になる女であるが、「今日のテストは全然出来へんかったわ。まあ、昨日も全然やったけど」とか、「お腹空いたわ、今日の夜ご飯なんやろ」などという彼女の言葉を聞き流し続け、飴野が適当な生返事だけを返していると、ついに怒り始めた。
 さっきから熱心に何しているのよと言いながら、千咲は飴野のデスクにまでやって来る。
 こっち側に回り込み、PCのディスプレイを覗き込んでくるのだ。
 大阪的なデリカシーの無い行動と言えるのだろうか。それとも、千咲の獅子座の月がなせる大らかさか。

 「何を占ってるん?」

 そこには佐倉のホロスコープが映っている。飴野から占星術の知識を少しばかり教授されている千咲にとって、それは見慣れたものである。

 「君が下ですれ違った依頼人のホロスコープだ。いったいどんな事件を請け負ったのか見ている」

 「ふーん、これで犯人とかわかるんやから、凄い探偵さんや」

 「いや、これだけでわかるはずがないさ。占星術だけで全てがわかるようであれば、街に出歩き、見知らぬ人に聞き込みなんてしないで済むじゃないか」

 「それはそうやね」

 「そこまで自分の腕を過信していない。星はあくまで参考程度で、真実は自分の足で探す必要がある」

 「え? 占いを信頼してないの?」

 「信頼してないわけではないけど。占星術は複雑で、果てしなく奥が深い。僕の腕はまだまだ未熟で、全てを的中させることが出来ないってことかな」

 「ふーん、そんな謙虚な性格の人やったんや」

 「それに何より、占星術の研究はまだまだ発展途中だしね。当たったり外れたりが当たり前さ」

 しかしこれから先、占星術はもっと進化して、科学に近づいていく可能性を感じてる。それが占星術探偵飴野のスタンスだ。
 飴野もその進化に力を貸している。占いのデータと、事件の真相をレポートにまとめたりして、研究材料の一つとして提供するのである。
 いや、それは一部の占星術界隈では常識。多くの占星術師たちが自身の知見や情報を提供している。
 飴野もそのギルドに属している占星術師の端くれだ。占星術の発展のために協力を惜しむ気はない。それもまた祖母からの叩き込まれた占星術師としての嗜みに一つ。

 「どんな事件を調べようとしているのか気になるわ、飴野さん。私も協力するからね、でも、その前に」

 千咲はそんな感想を言ったかと思えば、制服のスカートの裾を翻し、スタスタと飴野から離れていった。
 何かやるべき用事を思いついたのか、いや、どうやらトイレに行くようだ。
 トイレは入り口のドアのすぐ近く。元は診療所だった待合スペースのほうにある。

 飴野はトイレに向かおうとしているらしい千咲の後ろ姿を見ながら、彼女のような若い女性が自分のこの事務所をウロウロしているというその事実に、ふと、大いなる違和感のようなものを感じた。
 シャンプーかボディクリームかわからないが、女性的な良い香りやら、さっきまで首筋に感じていた彼女の呼吸と熱い体温やら。それは明らかに他者なるもの。
 カメレオンかオオハシが部屋にいるだけで、その部屋を熱帯の密林の雰囲気で満たすのと同じようにして、若い女性が部屋にいるだけで、彼の部屋はいつもと違う空間に変質している。

 千咲は身の危険を感じないのだろうか、と飴野はいぶかる。
 それとも、このビルのオーナーの孫娘という身分に絶対的な自信を覚えているのだろうか。
 どっちにしろ、その振る舞いはあまりに無防備で、野放図だ。
 もちろん、自分が彼女に対して何かしでかすということはありえないが。
 むしろ千咲の気まぐれな嘘や、でっち上げに気をつけるべきだ、なんて彼女が知れば怒りそうなことを考えているのだけど。
 しかし気軽に千咲を部屋に迎え入れ続けていたら、この好条件で借りることが出来た事務所をいつか失ってしまうかもしれない。

 彼は千咲に感じた一瞬の誘惑に目を背けるため、目の前のホロスコープに意識を注ぐ。
 そしてトイレから彼女が帰ってくるより先に、そのホロスコープが暗示しているかもしれない事実に気づく。
 失踪した婚約者を探して欲しいというのが、佐倉からの依頼だった。
 しかし、もしかしたらその婚約者は既に死んでいる。自殺や事故などではなくて、殺されたのかもしれない。
 そしてその殺人者は佐倉彩、この事件の依頼者本人。
 そのような悲劇的な事実を、二人のホロスコープの火星と金星が提示している。



5―4)

 面倒なことになったと飴野は思う。ただ単に失踪者を探す仕事ではないのかもしれない。もしかしたら殺人者と深い関わりを持たなければいけなくなった可能性があるのだ。
 その依頼人にとって都合の悪いことが明らかになれば、飴野自身にその血塗られた刃が向けられる可能性だってある。
 この仕事、引き受けるべきであろうか? 

 しかし自ら殺人を犯した者が、死んだ男の行方を探して欲しいという依頼をしてきた理由は何だろうか。
 警察の捜査が彼女に伸びようとしていて、それを煙に巻くためのポーズなのか。
 だとすれば自分は、彼女にいいように利用されようとしているわけだ。それとも他に何か別の目的があるのか。この事件に隠された深い闇のような何か。

 とはいえ、いくつかの悪条件が列挙されたとしても、今更この仕事を断るつもりなど、探偵飴野にはない。
 むしろなぜあの女性が殺しの決意にまで至ったのか、彼はそんなことを知りたくなっている。
 ホロスコープを覗く限り、彼女がいわゆるサイコパスの類ではないことは明らかである。
 少しばかりの感情の起伏の激しさを認めることは出来るが、他人をモノのように扱う人間だとは考えられない。ましてや快楽殺人者などではありえない。
 その殺人にはそれなりの動機があるようである。その動機を探るためにも、その依頼を引き受けよう。

 千咲はトイレより帰還して、自分の机に座り勉強を始めようとしている。テスト期間中などと言っていたのだから、そのためにこの事務所に来たのだろう。飴野も静かにこの事件について考えたいから、それは歓迎である。
 しかしシャーペンを落としたことをきっかけに、千咲の集中力は切れたようで、すぐにこっちにやってきた。

 「そういえば、どうなった?」

 「どうなったって?」

 「占いで何かわかったことあった?」

 「ああ、驚くべきことがわかったよ、占いでね」

 千咲が何気なく発した言葉に、飴野は引っ掛かった。
 千咲の言う通り、確かにこの事実は占いでわかったことに過ぎないのだ。飴野もこの結果を頭から信じ込んでいるわけではない。この推理が外れていることだって充分にあり得るのだ。
 占星術に頼るにしてもまだまだ材料が少ない。その精度を高めるためにはもっと情報を集める必要がある。
 占いの結果、あなたは人殺しだと判断しましたなんて、口が裂けても言えるわけがない。

 「で、何よ、その驚くべきことって? めっちゃ気になるわ、教えてよ」

 「捜査に関わる重要な情報を口外出来るわけがないだろ」

 「何でよ、助手やのに?」

 「助手らしい仕事をしてくれたことがあったっけ?」

 「頼まれれば何でもやるつもりやのに。ケチやわあ。そもそもどんな仕事を依頼されたのよ。それくらいやったら教えてくれてもいいでしょ?」



5―5)

 「そもそもどんな仕事を依頼されたのよ。それくらいやったら教えてくれてもいいでしょ?」という千咲の言葉に、「まあ、それくらいなら構わないが」と飴野は返す。

 「やっぱりちょっと待って、私が当てるから」

 前向きな飴野の回答に勇気を得たのか、千咲は態度を変える。

 「探偵の仕事って、だいたい浮気の調査とかでしょ?」 

 「確かにそれは否定出来ない」

 「夫が浮気をしてるみたいだから、その証拠を突き止めて欲しいっていうありがちな仕事?」

 「違う」

 「それが違うとしたらー」

 「婚約者が失踪したのさ。その行方を探して欲しいらしい」

 千咲はまだ自分で答えたかったらしく、彼がすぐに回答を発表すると頬を膨らませた。
 しかし飴野が依頼の内容を素直に答えてくれたことに嬉しそうでもある。

 「事故とか事件なん?」

 「さあね、それを今から調べるのさ」

 だから君と雑談している時間なんてない。その仕事に集中させてくれないだろうか? 
 私も勉強せんとあかんかったわ。

 「でも、あの人が振られたって可能性もあるわけでしょ? ただ単に別れ話しがもつれて、音信不通にされたのかもしれへん。そんな仕事まで探偵はやらないといけないん?」

 しかし千咲はまだ飴野の傍を去ろうとしない。

 「だからこそ探偵がやるのさ。警察がそんな失踪者を探してくれるわけがない」

 「あっ、そうか」

 「警察が手を出さない仕事はこの世にたくさんある」

 「でも振られた相手を探偵に頼んで追いかけるなんて、ストーカーみたいな人やん」

 「その可能性もあるだろう」

 「うちのお姉ちゃんが言っていた。ストーカーにだけは気をつけや、って。標的にされたら、あんたの人生、大変なことになるでって」

 うちのお姉ちゃんが。それは千咲の口癖である。
 彼女には姉がいる。今は離れて暮らしている。姉はイギリスで働いている、そのような設定だ。
 何かにつけ、千咲は姉のことを会話の中に登場させたがるのである。
 「このお菓子、美味しいわ。お姉ちゃんにも食べさせたい」とか「お姉ちゃんのことも占ってあげてよ、めっちゃ喜ぶと思うから」とか。
 彼女は遠くで暮らしている姉を激しく思慕している。飴野は千咲と会話しているとき、そのまだ会ったこともない姉の存在も同時に感じてしまう。

 極めて単純で、何事につけても素直な普通の高校生の千咲である。
 そんな彼女なのに飴野が不思議と一目置いて接してしまうのは、背後に漂わせているその姉の気配が原因なのかもしれない。千咲によるとその姉は、頭が良くて、性格は優しく、この世界で最高の女性らしい。

 更に少し情報を補足すると、飴野がオーナーから借り受けた冷蔵庫や電子レンジ、ベッドなどは、彼女の姉が独り暮らしで使っていたものだった。
 イギリスに家具は持っていかない。ネットの情報に拠ると向うのアパートには家具が付属しているらしいではないか。
 千咲がこの部屋に来たがるのも、姉の思い出の残っている家具を見るためかもしれない。
 千咲もまた、目の前の飴野に対して姉の姿を重ねているという可能性がある。



5―6)

 ところで占星術探偵シリーズには、千咲と似たような役割りを担うレギュラーの脇役女性が三人もいる。
 飴野が三蔵法師だとすると、いはば孫悟空と猪八戒と沙悟浄のような三人。
 残りの二人もすぐに紹介されるだろう。千咲はその一人。
 最初に登場してきたのだから、彼女が孫悟空的ポジションだろうか。
 その三人が三人とも飴野にとって他者として、ときに衝突したり、横をかすめて通ったり、同じ速度で並走したりする。

 しかし彼女たちがどれだけ重要な登場人物なのかと問われると、「まるで重要ではない」というのが、この作品を書いた私が差し出す回答だろう。
 探偵、依頼者、被害者、容疑者で出来上がっているのがミステリーの形式。
 彼女たちはそのどこにも当てはまらない。主要な本筋には無関係な登場人物である。

 確かにその三人は飴野の捜査の手助けをしたり、相談相手を勤めてくれる。その役割りに名前を与えるとすれば探偵の助手。
 ときに捜査の邪魔をすることもあるが、それだって助手の立派な役割りに違いない。
 何せ探偵の助手的なポジションで有名な人物といえば、あのワトソンがいる。
 ワトソンはシャーロック・ホームズの天才を引き立てるため、見当違いの推測をさせられたりするわけだ。
 それは損な役回りだけど、そのお陰でホームズの活躍が際立つ。

 いや、しかしその助手の三人がワトソン的人物だとするのなら、かなり重要な登場人物だということにもなる。
 もちろんワトソンの最も重要な仕事は探偵助手などではなくて、作品の語り手であることにあるのだから、そもそも比べることは出来ないのだけど。

 とにかく千咲はこの作品の賑わせ役。重要かどうかは定かではないが、主要なキャラクターである。
 主役の飴野以外の、この作品がシリーズであることのアイデンティティを保証する登場人物だと言えばそうだ。
 千咲を代表とするレギュラーの脇役たちが変わらず登場するから、この作品は一続きの世界を形成するのだ。

 「彼女がストーカーの可能性はありえるね、でもどんな仕事でも、契約が成立すれば受ける、この事務所の家賃を支払うために」

 「ふーん。探偵って大変やね」と千咲は口にする。「ストーカーの味方をせなあかんなんて」

 さて、千咲との会話の続きである。依頼人が失踪した婚約者を探して欲しいと頼んできたのは、その女性がストーカーだからではないかというのが千咲の推理である。
 しかし彼女はその自分の意見に疑問を感じ始めた。
 
 「でも、あんなきれいな女性がストーカーなんてありえるかなあ」

 「ストーカーに美醜は関係ないだろ」

 「え? 何かそうも言い切れない気もするんやけど。あの女の人、立ち去っていく男に、必死にすがりつくタイプには見えへんもん」

 「そうだね。確かに占いで判断する限り、彼女は絶対にストーカーなどではないと僕も思っている。しかし二人の仲が何か悲しい理由でこじれたのは間違いない」

 「悲しい理由って?」

 「さあね、わからない、それを今から調べるのさ。もしかしたらこの事件には、もう既に血が流れているかもしれない」

 「え? それって?」

 「もしかしたら彼女がその婚約者をね」

 「殺したとか?」

 「その可能性がある」

 飴野は千咲がどのような反応を見せるのか知りたくて、その衝撃的な情報を彼女に打ち明けてみた。千咲は文字通り目をパチパチさせて驚いている。

 「あの依頼人さんは人殺しかもしれないってこと?」

 「まだそうかもしれないって段階だよ。どっちにしろかなり面倒な事件かもしれない。だけど複雑に絡んでいる紐を、ハサミやナイフでバサッと切ったりするのではなくて、指で丁寧に解きほぐして、解決へと持っていく。それが探偵の仕事だ」

 「ふーん。紐が絡まってるんや」

 「ああ、酷く複雑に絡んでいるのさ」

 「その紐は何色?」

 「何色だって? 心理テストみたいなことを訊くね」

 「色がわからへんと何となくイメージが湧いてこうへんもん」

 「白かな? いや、血の赤だろうか。闇の黒色かな」


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