9)占星術探偵「失踪者の本棚」
文字数 11,339文字
9ー1)
探偵が二度目に依頼人の部屋を訪れた日。その日も佐倉彩は酷く疲れているようであった。どことなく髪の毛に張りはなく、化粧も無駄に濃くて、しかも顔色は悪い。
いや、それは疲れのせいなどではなく、発熱や悪寒などの症状。彼女は身体の調子を崩しているのである。
飴野を迎える声は小さい。しかし熱のせいか、その微笑みは妙な温かさを含んでいて、彼に甘えるようであり、頼るようでもあり、これまで示してきた距離感よりもはるかに近く、今にも彼にもたれかかって来そうな気配すら見せた。
「体調が悪そうですね、日を改めましょうか」と飴野にそのセリフを言わすべきか、それとも何ら気を使うことなく、捜査を淡々と進めさせようか。
私がそんなことに迷ったのは、飴野という探偵が、女性に対して驚くほど優しいわけでも、冷酷なわけでもないことの証左だ。
女性への態度が一貫しないこと、それは彼のキャラクターが異性という存在を重要としてはいないことを意味するのではないだろうか。つまり、そこにこのキャラクターのアイデンティティはないということ。
「体調が悪そうですね、日を改めましょうか」と彼女の体調を気遣う振りをしながら、彼女からの返事を待つことなく、さりげなく部屋の中に上がり込んでいく、というのがこのシーンで採用された描写。
飴野は疑っているのである。この依頼人こそ若菜氏の失踪事件の容疑者であると。少なくともまだまだ何か隠しているに違いない。
佐倉の体調が万全ではない状態のほうがチャンスだ。彼女は思わず重要なことを口走ってしまうことがあるかもしれない。
しかし佐倉を罰さなければいけないなどと飴野は考えていない。その罪を暴いてやろうなんて意志は皆無だ。
彼女と特別な関係になれば、彼女のほうから真相を告白してくれるのではないか。彼はそれを望んでいる。
その一方、人を殺しながら、アリバイ作りのために探偵を雇ったかもしれない女性が、素直に心を開いたり、真相を開示したりしてくれるのであろうかと危惧も抱いている。
彼女と下手に深いコミットを試みれば、むしろ破滅させられるのは探偵のほう。
佐倉の部屋に入り込んだようでありながら、実は逆に誘い込まれているのかもしれない。
そんなことを考えたりしながら、探偵飴野はこの部屋に上がり込んでいった。
場面変換だ。というわけで、小説にとって重要になるのはこの部屋の間取りということになるだろうか。
この部屋を訪れるのは二度目であるが、今回はもう少し長い時間滞在するので前よりも詳しい描写を。
言うまでもなく、ここは若菜氏と佐倉彩が共に住んでいた部屋だ。今は若菜氏が消えて、佐倉彩独りで暮らしている。リヴィングルームと二人の寝室、若菜氏の書斎の2LDK。
若菜氏が失踪して数か月、一人で住むには大きいが、ここを引き払うと彼は帰る場所を失う。いずれにしろ、その家賃はいまだ若菜氏のカードか口座から引き落とされているはずである。
リヴィングルームは清潔感があり、広々として見える。ベランダに通じる窓には、ターコイズブルーのカーテンがかかっている。その傍に、同じ系統の色の大きなソファが置かれている。高級感のある革製の作りといった感じではないが、この部屋の上質なクオリティを決している主役の家具。
食事のための大きなテーブルと椅子が二脚。絵などは掛けられていない。灰色のコンクリートの壁が剥き出しだ。
テレビはあるが、それ以外、生活感を感じさせるものは一切ない。例えば近所のスーパーで買えそうなものなどが、目の入るところに放置されていない。
その部屋の秩序は管理されているというよりも、上手く検閲されているという感じ。
飴野が部屋に来るからか、それともこれが普段の光景なのか、とてもきれいで整理が行き届いた部屋であった。
9―2)
若菜真大の残した書斎も捜索させてもらう。これが前回からほとんど間を置かず、探偵がこの部屋を訪れた理由だ。具体的には本棚や引き出し、鞄の中、押し入れなどなど覗かせて貰おうというわけである。
極めて真っ当な探偵の仕事をするための来訪であった。
数年前、若菜氏は人生を大きく変える何かと出会ったはず。それが飴野が彼のホロスコープを読んで下した判断。
若菜氏と生年月日が同じ、神戸の男性にとってはそれはボクシングだった。彼はボクシングを始めることによって、コンプレックスから解放されたよう。
失踪した若菜氏も、その男性にとってのボクシング的なるものと遭遇していたに違いない。
その事実がこの失踪事件に直接つながるかどうかはまだわからない。
しかし、これを手掛かりに捜査を進めようと決めたのである。結果的にその判断はズバリと的中するわけであるが。
ときに間違い、ときに当たる占星術という便利なアイテム。
もちろん、それを都合のいいように使ってはいけない。この作品はミステリー小説ではないとしても、ルールや論理は重要だ。
ご都合主義はいけない。それに陥ってしまうと三流の大衆小説に堕してしまう。ダブルスタンダードほど醜いものがあるだろうか。
占星術の推理が間違っていたとしても、占星術を根本的に否定するのではなくて、ただ飴野の星の解釈が間違っていたという方向に持っていかなくてはいけない。
彼はまだ未熟な占星術師で修行の途中にあるのだ。
それと同じで、占星術が的中したときであっても、星の読解によって導き出した回答そのものとズバリ遭遇するのもいけない。実はただ偶然に的中しただけなのだから。
当たったとしても、真実の隅を程良くかすめるような的中の仕方、それが理想ではないだろうか。
「彼は仕事以外に何か熱意を持って取り組んでいたことはありませんでしたか?」
さて、飴野は若菜氏の書斎に入りながら佐倉に尋ねる。
先日、若菜氏と同じ日に生まれ、同じホロスコープの持ち主である神戸の男性に話しを聞いた。その戦果をもとにした質問。
「さあ、どうでしょうか」
佐倉は首を振る。
「例えばそうですね、何か習い事のようなものは?」
「何ですか、それは?」
「さあ、何でも。トレーニングジムに通っていたとかでも、英会話教室でも」
「わかりません」
佐倉の回答は相変わらず、「知らない」とか「わからない」の繰り返しだ。仕方がない、まだ探偵と依頼人の間には何も芽生えていないのだから。
「あなたたちは同棲されていたのに?」
「ええ、でも一緒に暮らしたのは短い時間でした」
「では、あなたが知らない婚約者の一面、闇と言えば言葉は重いかもしれない、秘密と言えば意味ありげ過ぎる、しかしそのようなものがあってもおかしくはなかった、彼の人生の全てを把握してはいなかったことは認められるのですね?」
「彼の全てのことを知っていたわけじゃありません。当たり前です」
「そうですか」
若菜氏の書斎は狭い部屋だった。机と本棚がそのスペースを占めていて、腕立て伏せすら出来そうもない。
本棚にはおびただしい数の書物が並んでいた。もしその本棚に並んでいる全ての書物から、文字がページの外に飛び出して、虫のように飛び回り出せば、この狭い部屋はいとも呆気なく真っ黒に埋め尽くされるに違いない。
確かに同棲していたとはいえ、このような書斎を持っていた男性の全てを知っていたなんて、誰であっても言い切れそうにない。
生活を同じにしていても全てをわかったり出来ない。生活とは違う、それと違う別の次元でも、別の人生を生きていた。若菜氏はそのような男だったに違いない。
その人物像は飴野が彼のホロスコープを読んだときの第一印象とそれほど遠くもない。
9―3)
佐倉が婚約者の若菜氏を殺したかもしれない。飴野はそんな推理をしている。
若菜氏に別の女がいたのだ。彼女はその事実を知り、破滅的な行動に出た。
そんな有り触れた痴情の縺れが原因ではないかと予測している。この事件はその程度の陳腐さに違いないと。
しかしそれだけに過ぎないとすれば、若菜氏のホロスコープの上で存在感を示したあの冥王星の意味を解読することは出来ないのだけど。
いや、その愛人か何者かの正体こそ、その冥王星がカギを握っているのかもしれない。
それは占星術的にかなりの大事件だったはずなのだ。彼の人生に大きな影響を及ぼした天体のハプニング。
飴野は更にいくつかの質問を佐倉彩に続けた。若菜氏の生活に何か異変はなかったか?
しかし彼女は首を振り続ける。一切そのようなものに心当たりはないと。
彼女が真実を話しているかどうか飴野は注意深く観察する。しかし彼女の表情を観察すればするほど、その体調の悪さを示す指標の多さに突き当たるばかりで、むしろ彼は深い追及をする気になれなくなる。
飴野は彼女の体調の悪さにつけ込んで、捜査を有利に進めようとなんて画策していたのだけど、むしろそれに阻まれ始めている。
飴野は佐倉の辛そうな姿から目を逸らし、部屋の捜索に集中することにする。彼は若菜氏の本棚の前に立った。
若菜という男性はちょっとした読者家だったと言えるだろう。大きな本棚は三つ、それは窓すら潰して、全ての壁面を占拠していた。そこに全集やハードカバー、文庫本が溢れんばかりに並んでいる。
さて、先にオチをいうわけであるが、やはりそこに重要な手掛かりを示す本が存在しているのである。
若菜氏の失踪の秘密を解き明かすカギは本棚にあった。それは「文学とアナルオーガズム」という書物。
その異様な題名、しかしそのような題名の書物が存在しても、それほど不自然ではない本ばかりが並んでいる本棚だ。
その隣にはバタイユの「エロティシズム」、稲垣足穂の「少年愛の美学」、ミッシェル・フーコー「性の歴史」など。
「大変な数の本ですね」
飴野は足を止め、その本棚を見渡すのである。その本棚に、妙な隙間はないようだ。誰かが不自然に数殺の本を抜き取った気配はない。
本棚に並んでいる本の傾向を分析することはきっと、星占いをするよりもはるかに有益で、失踪者の行動パターンや人格を分析することに実効性があるだろう。
真っ当な探偵ならば、まずその作業に重きを置くはずだ。実際、その書物の存在が若菜の謎を照らし出すわけである。
飴野は占星術師ではあるが、探偵でもある。
「写真を撮っても構いませんか? 本棚の写真です」
飴野はもう既にスマホを構えている。動画で撮影して、彼女の許可を得たのち、写真に切り替えるつもりだった。
「え? はい、かまいませんが」
その言葉のあと、突然、佐倉が彼の中に倒れ込んでくる。
彼女がその作業を抑止しようと、彼の腕を掴みにかかってきたのかと誤解しそうになる。
しかし彼女の体調は悪く、それは限界を迎え、助けを求めるように飴野にしなだりかかってきたようであった。
ちょうど彼女の口が彼の耳元に触れる。熱い息と、激しい息遣いを感じる。飴野は佐倉彩を守るように抱き止めた。
9―4)
飴野はタフで冷静沈着な探偵ではない。物事に動じやすいわけではないとしても、突然、自分の身体に抱き着いてきた女性を前にして平静ではいられない。山道で蛇に遭遇したときと同じくらい、内心で慌てふためいている。
しかし勘は鋭いほうだ。彼女が彼に抱き着いてきたわけではないことくらいすぐに察知する。
かなりの熱があるようだった。飴野は佐倉を抱え、あのターコイズブルーのソファに運ぶ。
彼女のの身体は走り回ったあとの子供のように熱い。彼はまず、水を飲ませることにする。
佐倉は意識を失ったわけではない。目を開いて、飴野の瞳を静かに見返している。
彼が「大丈夫ですか」と尋ねると「平気です」と答えるが、しかし佐倉が何かを患い、消失しているのは確実のよう。心労、ストレス、それとも不安、あるいは恐怖が原因なのか。
起き上がろうとする佐倉に首を振り、飴野は彼女を甲斐甲斐しく介抱するのである。
私は二人のその姿を必要以上にエロティックに描写したと思う。
いや、エロティックというより、無暗と丁寧に描写したのだ。それがこの場面に官能的な予感を付与させることが出来ていれば成功というところ。
佐倉は飴野の腕の中、一切の拒否感も示さない。全身を飴野に預けてくる。投げ出している、そのような表現でも問題ないだろう。
彼女の体調が悪いことは間違いないのである。それを疑うわけではない。しかしこれは自分に対する一種の媚態ではないかと飴野は考えたりもする。
飴野が佐倉と情を交わすことで、この事件の解決の糸口を探ろうとしている一方、佐倉側は飴野と通じることで、この事件に混沌をもたらそうとしているのではないか。
混沌という言葉は曖昧である。何と言い換えるべきであろうか。混乱、かき乱し。
佐倉はこの失踪事件の犯人であるかもしれないと飴野は考えている。それでありながら、この失踪事件の依頼人なのである。
事件解決を依頼しながら、それが解決されると司直の裁きを受けることになるかもしれないアンビバレントな存在。それが飴野から見た、佐倉という女性。
彼女は告白と逃避の間で苦しみ、その苦しみを探偵という不思議な存在に癒してもらおうとしているのではないだろうか。
その推理に占星術はまるで関りない。彼の勝手な推測である。
彼女は一人では抱え切れなくなった罪の意識を、誰かと分かち合いたいと思っているのだ。精神科医が扱うような問題を、探偵に求めているということ。
探偵飴野に一般的モラルなど皆無であろう。法の順守、正義、そのようなものを尊んだりしない。
罪を負担する相手として選ばれたというならば、司直の手に渡すことなく、彼女を癒すのも悪くないと思っているのかもしれない。
探偵飴野が望むのは、ただ依頼人の期待に応えるということだけ。
それを叶えることで、金銭的報酬を得る。こうやって彼は生計を立てているのだ。社会的正義の実行など知ったことではない。
一方で、彼には好奇心もある。この謎を解決したいというありきたりな欲望もあるだろう。
とはいえ、その謎を社会と共有しているわけではない。
「事件を解決したぞ」と世間にアピールすることが彼のモチベーションでもない。功績を誇りたいわけではないのだ。
請け負った依頼を解決すること、それは依頼人と一対一の関係に終始するもの。
さて、佐倉はマスタード色のニットを着ている。そのニットの袖口を少しまくり、手首が出ている。
彼女が倒れ込んだとき、飴野の白いシャツはそのマスタード色と強く触れ合った。その一瞬でも色移りしそうなくらい鮮やか色。
スカートはグレーと細い黄色のラインの入ったチェック模様のロング丈。その生地は薄過ぎるわけではないだろうが、彼女の太ももや脚の形を透かしている。
胸元にネックレスをしている。その飾りの石は彼女のマスタード色したニットの胸の谷間の膨らみにずっと位置していたが、彼に身体を預けたときに大き崩れ、それ以降、その石だけ虚空に浮いたように不安定に彷徨い出している。
ソファに寝かせた佐倉に水を飲ませるため、その半身を起こし、飴野は手に持ったコップを彼女の唇に近づけていく。
飲んだ水が細い喉を伝わる様子、唇から零れた水とその行方。私はそれらを詳しく書いただろう。
飴野はその零れた水を、彼女の唇に触れながら指で拭き取る。
彼女はそれに抵抗しない。驚いた表情も見せない。飴野は佐倉のスカートのベルトを緩めて、楽な姿勢にして寝かせる。その手と指の動きに対しても、佐倉は抵抗しない。
佐倉の表情にあるのは、自分の健康を損なうものへの不満だけ。
もしくは飴野の前でこのような失態をしてしまったことに対する苛立ち。
あるいは意外に優しい態度を見せる飴野に対しても、彼女は何らかの反応を示しているかもしれない。
9―5)
佐倉が倒れたそのシーン。飴野はソファに佐倉を寝かしつけ、水を飲ませたりする。
しかし飴野はそれ以上踏み込むことはない。作者はエロティックな予感だけを高めていって、それ以上のことは書かなかった。
当たり前ではあるが。佐倉は体調が悪いのである。それなのにいったい何が始まるというのか。
「台所を借りるよ。夕食に何か作っておく。この体調では買い物にも行けないはずだ。それともこういうとき、君を助けに来る誰かが既に」
飴野はゆっくりと佐倉から離れ、台所のほうに向かう。
「いえ、誰も来ません。でも少し横になっていれば、すぐ落ち着くので」
佐倉は断るが、飴野はそれを無視して勝手に冷蔵庫を開ける。
飴野は彼女に料理を作って、優しさのようなものを示して、彼女の気を惹こうとしているわけである。
女性からの信頼を得るため、作者が考え出した方法がこれなのか。この作家の異性に対する考え方が透けて見えるな。そんなことを思われると心外ではある。
しかし小説を書くということは、些細な人生観、人間観、女性観、あらゆること全てをあらわにしてしまうということであろう。
それらを読者に見透かされてしまうわけだ。欲望、性癖、ちょっとした差別意識など、絶対に隠しておきたいことまでも。
隠そうとすれば出来るだけ嘘をつかなければいけない。とても注意深くあらねばいけない。
その結果、嘘つきであることや、注意深い性格が見透かされてしまうことになってしまうだろうが。
ところで、飴野は料理が出来るのであろうか。これから佐倉に何か食べるものを作らなければいけないのに。
彼は独りで暮らし、一人で生きている。料理から洗濯掃除を全てこなしているという実態。
彼の探偵業は決して忙しくはないから、やる時間はある。飴野は得意料理はサンドイッチということにしていたはずだ。
とはいえ、外食することのほうが多い。彼の住む恵美須町の周りには、独りでも気軽に入れる食堂は多いはず。うどん屋、洋食屋、焼き肉屋、中華料理屋。家族で経営している小さな店。
普段の彼は毎夜、そのような店で食事をしている。何十年前のビールの広告のポスターがまだ貼られている汚れた壁、パイプ椅子、テレビと雑誌。アジア的情緒と言うべきか昭和的空気と言うべきか、そのような雰囲気の漂う店。
それもこの作品の頻出するイメージの一つであるが、今、探偵は台所に立っている。
「雑炊を作ろう。あっさりとした食事なら喉を通るだろう」
飴野の言葉に佐倉は頷いて返事をする。
「外食する元気がないときだけ、ありあわせの物であっさりとした料理を作るから、結果的に雑炊ばかりを作っていて、それが得意料理だと言えば、そういうことになっている」
飴野はそんなことを言いながら、米を研ぎ、ネギなどを切っている。使い慣れない電気のコンロに戸惑いながらも順調に作業を進めている。きっと飴野の立てるリズミカルな包丁の音は、佐倉に安らぎを与えているはずである。
飴野が料理をしているシーンはときおり描いている。ならばこの作家は料理が好きなのかと思われるかもしれないが、一切興味がない。
飴野と同じように、作者である私も一人で暮らし、独りで生きている。しかし私は探偵ではなく作家だから、炊事に費やす時間的な余裕などないわけである。
いや、そんな私でもポテトサラダの作り方だけには習熟しているつもりである。
美味しい惣菜はスーパーやコンビニで買えるが、自分好みの美味しいサラダにはなかなか出会えないというのが、それなりに長い期間を一人で生きてきた私の答えである。
サラダだけは自分で作れるような人間になろうと志し、何とか手際よく満足出来るポテトサラダを作れるようになった。
いや、そんな情報、本当にどうでもいいだろうが。
飴野が台所で雑炊的なものを作っている間に、佐倉はそのソファで眠りに落ちたようであった。彼女を眠らせたまま、彼は静かに部屋を辞すことにする。
9―6)
しかしその夜はまだ継続しているのである。小説に音楽のようなものが流れているとすれば、佐倉の部屋から事務所のシーンまで同じ旋律が流れ続けていると言えるかもしれない。
事務所に戻った飴野は、佐倉の部屋で撮影した動画を即座に見返し始めた。若菜の本棚を写したそれは、全ての本の題名がしっかりと確認出来る鮮明さである。
彼は知らない本の題名を検索して、どのような内容の調べ尽くそうとしている。
若菜氏の人生を変革させた何か、その変革を起こしたのは冥王星であるが、そこに金星や火星が関わっていることは重視していた。更に水星も無視出来ないという判断。
水星が意味するのは情報、知識、書物などだったろうか。つまり本棚を調べることは占星術からのメッセージだ。本棚にこの事件の謎を解く何かが隠されている可能性がある。
いや、飴野は占星術からのメッセージに従っているというより、目下のところ他に調べることがないからこの作業をこなそうとしているだけ。
佐倉が倒れてしまい、彼女を追求することはほとんど出来なかった。彼があの部屋から持ち帰ったものはこの本棚の映像だけなのだ。
さて、その映像には佐倉が彼の腕の中に倒れ込んでくるシーンも映っていた。
「え? どういうことなん? 何が起きたの?」
飴野の助手、ということになっている千咲もその映像を観ていた。彼はその作業を助手に手伝ってもらうことにしたのだ。
彼女はその例の場面で驚きをあらわにする。不機嫌にすらなっている。
「熱があったんだよ、彼女を介抱してきた」
飴野は千咲が事務所を去ってから、この動画を見返すつもりであった。いつも夕食の時間になると空腹に屈して、彼女はさっさと帰宅する。
彼女がこの事務所を立ち去る時間は把握しているから、都合の悪い作業には立ち会わせないでおくことは簡単だ。
しかし、あの本棚全ての本を一人で調べるのには時間がかかる。そういうときにこそ助手が役に立つに違いない。
せっかくの機会であるから、その作業を彼女にも手伝ってもらうことにした。
そういうわけで飴野は動画を再生したのであるが、佐倉が抱き着いてきたシーンで、案の定、千咲は声をはり上げてきた。
「熱? 熱があって、こんなふうになる? 何かおかしない? 色仕掛けって奴とちゃうん! やっぱりこの女の人が犯人やわ」
千咲は怒りっぽい性格だ。単純なのである。飴野に恋をしているが、当然それを隠している。しかしすぐに嫉妬をして、その恋心の尻尾をあらわにする。二人のやり取りはそのパターンで出来ている。
いはゆる、有り勝ちなラブコメディの方程式である。それは読者へのサービスかもしれない。とはいえ、作者として、そして読者としても、私はこのようなラブコメパターンが嫌いではない。
このシリーズは「恋愛の終わり」をテーマにした作品と謳っている。「恋愛の終わり」というテーマと、恋愛にまでは行きつかない戯れのような関係を描くこと、その間にどのような関連があるのだろうか。それとも何も関連などないのだろうか。
少なくともこの作品の舞台である「恋愛の終わった世界」というのは、登場人物たちが恋愛とまるで無関係で生きている世界ではなくて、むしろそれを強く意識している世界であることは確か。それが消滅した世界などではない。
さて、飴野と千咲の会話の続きである。「やっぱりこの女の人が犯人やわ」という千咲の言葉に、飴野は返答を返す。
「彼女が犯人かどうかは、今から調べるのさ。疑わしいことは事実だ。星も彼女を名指している。だけど婚約者が失踪したんだ。彼女を苛んでいるストレスは大変なものであることも事実だよ」
「確かにそうやけど。ほんで病院とかに連れて行ったん?」
「いや、自宅で安静にしているはずだ。何かあれば連絡をして欲しいと言ってある。それも調査費用に含まれているから、遠慮するなってね」
「ふーん」
飴野のその言葉にも千咲は不服そうである。「探偵って変な仕事やね」
「探偵助手の君に、その変な仕事を手伝って欲しい。さあ、僕が挙げる本の題名をさっさと検索してくれ」
飴野は千咲に指示を出す。佐倉への嫉妬をひとまず引っ込めて、彼女は飴野の隣に座り、キーボードを叩く準備をする。ようやく助手らしい仕事が出来るんやねと、彼女はどこか嬉しそうになる。ほら、この通り単純なのである。
香水というよりも、ボディークリームか何かそのような香りがする。デスクはそれほど大きくない。飴野と千咲の肩は触れ合う。その距離を意識するように、しないように、二人は離れたり、近づいたりする。
9―7)
飴野は若菜の本棚を分析した結果、そこからある種の傾向のようなものは掴んだ気はしたが、この探偵にはその本棚にあるような文学や哲学などの素養などほとんどないから、若菜という男がどのような人物だったのか具体的には見えていない。
まるで知らない人物であっても、ホロスコープを眺めているだけで、その人物のイメージが自然と像を結んでいくのに。
それが占星術師としての彼の力量。しかし本棚を観察しても、そのような具合にはいかなかったというところだ。
とはいえ、何も掴めなかったわけでもないだろう。文学、哲学、そして心理学関係の書物が多かったという事実を掴んだ。
そもそも驚くべき量の本が並んでいることに、彼はもっと驚くべきであろうが、それはホロスコープから予測していたということにしておこう。
「ありがとう、もうこれくらいに充分だ」
「ホンマに? こんなんで何かわかったとかあんの?」
千咲は疲れ切った態度で言う。彼女は本の題名を検索する作業にすっかり飽きてしまっている。
「さあね、でも何の役にも立たなそうに思えた仕事が、どこかで活きてくるなんてことはよくあることだ」
「どこかで? 役に立つかも? そんな程度の重要度やったん? 何よ、それ! 私の貴重な時間を返して欲しいわ」
「探偵の仕事なんて地道なものだ」
「地道過ぎるよ。私には向いてへんかも。ちゃんと勉強して、就職活動しよっと」
「出来るだけ早いうちに依頼人の部屋に行かなければいけないな」
しかし飴野のその言葉で、彼女は疲労と不満の中に浸かっていた頭をパッと上げた。
「はあ? 何でよ? あの人のことが心配なん?」
「それもあるけれど。もう一度、彼の本棚の本を調べさせてもらう。いくつかの本の中身も確かめたい。本屋で立ち読みするのも不可能ではないけれど、古そうな本もある。探すのに手間取りそうだしね」
「何かさ、私、思うんやけど」
千咲はコツコツと机を叩く。明らかに苛立っているようである。
「ただ単に、あの人と逢いたいだけの口実ちゅうん、それって?」
嫉妬する千咲を、私たち読者は楽しむような仕組みなのだ。それをそのまま言葉にすると、何やら意地悪なニュアンスが漂ってしまうが。
とにかく嫉妬は、千咲の飴野に対する恋慕の屈折した表現。
それを読んだ読者に、何か甘やかな恋の空気を感じてもらう。別に読者へのサービスとか、エンターテイメントを意識しただけではない。そんなシーンを描くこともまた、きっと私の創作の快楽の一つなのだと思う。
何やら、いささか突然の指摘であるが、思えば、「甘やかな恋の空気を感じさせるシーン」は、夏目漱石が得意としたものではないだろうか。
日本の近代文学を創造した国民的作家。「草枕」、「三四郎」、「こころ」などを読めば、そのようなシーンに何度も出くわすことになる。
それはこの国の近代文学の草創期の頃にインプットされていた重要なコードだったと思うのである。
対象に最短距離で突進せず、その周りを無駄に彷徨うこと、それが夏目漱石の恋愛の描き方だったと断ずることは出来るわけがないが、私はそのように考え、そんな漱石を愛でている。
この作品における「恋愛」も、その漱石的韜晦の影響下にあるだろう。
当然、若菜真大の本棚にも漱石の本が幾つか並んでいるが、しかしそれは別に物語的に少しも重要なことではない。ただ単に彼の教養を示すものに過ぎない。重要な本は別にある。
探偵が二度目に依頼人の部屋を訪れた日。その日も佐倉彩は酷く疲れているようであった。どことなく髪の毛に張りはなく、化粧も無駄に濃くて、しかも顔色は悪い。
いや、それは疲れのせいなどではなく、発熱や悪寒などの症状。彼女は身体の調子を崩しているのである。
飴野を迎える声は小さい。しかし熱のせいか、その微笑みは妙な温かさを含んでいて、彼に甘えるようであり、頼るようでもあり、これまで示してきた距離感よりもはるかに近く、今にも彼にもたれかかって来そうな気配すら見せた。
「体調が悪そうですね、日を改めましょうか」と飴野にそのセリフを言わすべきか、それとも何ら気を使うことなく、捜査を淡々と進めさせようか。
私がそんなことに迷ったのは、飴野という探偵が、女性に対して驚くほど優しいわけでも、冷酷なわけでもないことの証左だ。
女性への態度が一貫しないこと、それは彼のキャラクターが異性という存在を重要としてはいないことを意味するのではないだろうか。つまり、そこにこのキャラクターのアイデンティティはないということ。
「体調が悪そうですね、日を改めましょうか」と彼女の体調を気遣う振りをしながら、彼女からの返事を待つことなく、さりげなく部屋の中に上がり込んでいく、というのがこのシーンで採用された描写。
飴野は疑っているのである。この依頼人こそ若菜氏の失踪事件の容疑者であると。少なくともまだまだ何か隠しているに違いない。
佐倉の体調が万全ではない状態のほうがチャンスだ。彼女は思わず重要なことを口走ってしまうことがあるかもしれない。
しかし佐倉を罰さなければいけないなどと飴野は考えていない。その罪を暴いてやろうなんて意志は皆無だ。
彼女と特別な関係になれば、彼女のほうから真相を告白してくれるのではないか。彼はそれを望んでいる。
その一方、人を殺しながら、アリバイ作りのために探偵を雇ったかもしれない女性が、素直に心を開いたり、真相を開示したりしてくれるのであろうかと危惧も抱いている。
彼女と下手に深いコミットを試みれば、むしろ破滅させられるのは探偵のほう。
佐倉の部屋に入り込んだようでありながら、実は逆に誘い込まれているのかもしれない。
そんなことを考えたりしながら、探偵飴野はこの部屋に上がり込んでいった。
場面変換だ。というわけで、小説にとって重要になるのはこの部屋の間取りということになるだろうか。
この部屋を訪れるのは二度目であるが、今回はもう少し長い時間滞在するので前よりも詳しい描写を。
言うまでもなく、ここは若菜氏と佐倉彩が共に住んでいた部屋だ。今は若菜氏が消えて、佐倉彩独りで暮らしている。リヴィングルームと二人の寝室、若菜氏の書斎の2LDK。
若菜氏が失踪して数か月、一人で住むには大きいが、ここを引き払うと彼は帰る場所を失う。いずれにしろ、その家賃はいまだ若菜氏のカードか口座から引き落とされているはずである。
リヴィングルームは清潔感があり、広々として見える。ベランダに通じる窓には、ターコイズブルーのカーテンがかかっている。その傍に、同じ系統の色の大きなソファが置かれている。高級感のある革製の作りといった感じではないが、この部屋の上質なクオリティを決している主役の家具。
食事のための大きなテーブルと椅子が二脚。絵などは掛けられていない。灰色のコンクリートの壁が剥き出しだ。
テレビはあるが、それ以外、生活感を感じさせるものは一切ない。例えば近所のスーパーで買えそうなものなどが、目の入るところに放置されていない。
その部屋の秩序は管理されているというよりも、上手く検閲されているという感じ。
飴野が部屋に来るからか、それともこれが普段の光景なのか、とてもきれいで整理が行き届いた部屋であった。
9―2)
若菜真大の残した書斎も捜索させてもらう。これが前回からほとんど間を置かず、探偵がこの部屋を訪れた理由だ。具体的には本棚や引き出し、鞄の中、押し入れなどなど覗かせて貰おうというわけである。
極めて真っ当な探偵の仕事をするための来訪であった。
数年前、若菜氏は人生を大きく変える何かと出会ったはず。それが飴野が彼のホロスコープを読んで下した判断。
若菜氏と生年月日が同じ、神戸の男性にとってはそれはボクシングだった。彼はボクシングを始めることによって、コンプレックスから解放されたよう。
失踪した若菜氏も、その男性にとってのボクシング的なるものと遭遇していたに違いない。
その事実がこの失踪事件に直接つながるかどうかはまだわからない。
しかし、これを手掛かりに捜査を進めようと決めたのである。結果的にその判断はズバリと的中するわけであるが。
ときに間違い、ときに当たる占星術という便利なアイテム。
もちろん、それを都合のいいように使ってはいけない。この作品はミステリー小説ではないとしても、ルールや論理は重要だ。
ご都合主義はいけない。それに陥ってしまうと三流の大衆小説に堕してしまう。ダブルスタンダードほど醜いものがあるだろうか。
占星術の推理が間違っていたとしても、占星術を根本的に否定するのではなくて、ただ飴野の星の解釈が間違っていたという方向に持っていかなくてはいけない。
彼はまだ未熟な占星術師で修行の途中にあるのだ。
それと同じで、占星術が的中したときであっても、星の読解によって導き出した回答そのものとズバリ遭遇するのもいけない。実はただ偶然に的中しただけなのだから。
当たったとしても、真実の隅を程良くかすめるような的中の仕方、それが理想ではないだろうか。
「彼は仕事以外に何か熱意を持って取り組んでいたことはありませんでしたか?」
さて、飴野は若菜氏の書斎に入りながら佐倉に尋ねる。
先日、若菜氏と同じ日に生まれ、同じホロスコープの持ち主である神戸の男性に話しを聞いた。その戦果をもとにした質問。
「さあ、どうでしょうか」
佐倉は首を振る。
「例えばそうですね、何か習い事のようなものは?」
「何ですか、それは?」
「さあ、何でも。トレーニングジムに通っていたとかでも、英会話教室でも」
「わかりません」
佐倉の回答は相変わらず、「知らない」とか「わからない」の繰り返しだ。仕方がない、まだ探偵と依頼人の間には何も芽生えていないのだから。
「あなたたちは同棲されていたのに?」
「ええ、でも一緒に暮らしたのは短い時間でした」
「では、あなたが知らない婚約者の一面、闇と言えば言葉は重いかもしれない、秘密と言えば意味ありげ過ぎる、しかしそのようなものがあってもおかしくはなかった、彼の人生の全てを把握してはいなかったことは認められるのですね?」
「彼の全てのことを知っていたわけじゃありません。当たり前です」
「そうですか」
若菜氏の書斎は狭い部屋だった。机と本棚がそのスペースを占めていて、腕立て伏せすら出来そうもない。
本棚にはおびただしい数の書物が並んでいた。もしその本棚に並んでいる全ての書物から、文字がページの外に飛び出して、虫のように飛び回り出せば、この狭い部屋はいとも呆気なく真っ黒に埋め尽くされるに違いない。
確かに同棲していたとはいえ、このような書斎を持っていた男性の全てを知っていたなんて、誰であっても言い切れそうにない。
生活を同じにしていても全てをわかったり出来ない。生活とは違う、それと違う別の次元でも、別の人生を生きていた。若菜氏はそのような男だったに違いない。
その人物像は飴野が彼のホロスコープを読んだときの第一印象とそれほど遠くもない。
9―3)
佐倉が婚約者の若菜氏を殺したかもしれない。飴野はそんな推理をしている。
若菜氏に別の女がいたのだ。彼女はその事実を知り、破滅的な行動に出た。
そんな有り触れた痴情の縺れが原因ではないかと予測している。この事件はその程度の陳腐さに違いないと。
しかしそれだけに過ぎないとすれば、若菜氏のホロスコープの上で存在感を示したあの冥王星の意味を解読することは出来ないのだけど。
いや、その愛人か何者かの正体こそ、その冥王星がカギを握っているのかもしれない。
それは占星術的にかなりの大事件だったはずなのだ。彼の人生に大きな影響を及ぼした天体のハプニング。
飴野は更にいくつかの質問を佐倉彩に続けた。若菜氏の生活に何か異変はなかったか?
しかし彼女は首を振り続ける。一切そのようなものに心当たりはないと。
彼女が真実を話しているかどうか飴野は注意深く観察する。しかし彼女の表情を観察すればするほど、その体調の悪さを示す指標の多さに突き当たるばかりで、むしろ彼は深い追及をする気になれなくなる。
飴野は彼女の体調の悪さにつけ込んで、捜査を有利に進めようとなんて画策していたのだけど、むしろそれに阻まれ始めている。
飴野は佐倉の辛そうな姿から目を逸らし、部屋の捜索に集中することにする。彼は若菜氏の本棚の前に立った。
若菜という男性はちょっとした読者家だったと言えるだろう。大きな本棚は三つ、それは窓すら潰して、全ての壁面を占拠していた。そこに全集やハードカバー、文庫本が溢れんばかりに並んでいる。
さて、先にオチをいうわけであるが、やはりそこに重要な手掛かりを示す本が存在しているのである。
若菜氏の失踪の秘密を解き明かすカギは本棚にあった。それは「文学とアナルオーガズム」という書物。
その異様な題名、しかしそのような題名の書物が存在しても、それほど不自然ではない本ばかりが並んでいる本棚だ。
その隣にはバタイユの「エロティシズム」、稲垣足穂の「少年愛の美学」、ミッシェル・フーコー「性の歴史」など。
「大変な数の本ですね」
飴野は足を止め、その本棚を見渡すのである。その本棚に、妙な隙間はないようだ。誰かが不自然に数殺の本を抜き取った気配はない。
本棚に並んでいる本の傾向を分析することはきっと、星占いをするよりもはるかに有益で、失踪者の行動パターンや人格を分析することに実効性があるだろう。
真っ当な探偵ならば、まずその作業に重きを置くはずだ。実際、その書物の存在が若菜の謎を照らし出すわけである。
飴野は占星術師ではあるが、探偵でもある。
「写真を撮っても構いませんか? 本棚の写真です」
飴野はもう既にスマホを構えている。動画で撮影して、彼女の許可を得たのち、写真に切り替えるつもりだった。
「え? はい、かまいませんが」
その言葉のあと、突然、佐倉が彼の中に倒れ込んでくる。
彼女がその作業を抑止しようと、彼の腕を掴みにかかってきたのかと誤解しそうになる。
しかし彼女の体調は悪く、それは限界を迎え、助けを求めるように飴野にしなだりかかってきたようであった。
ちょうど彼女の口が彼の耳元に触れる。熱い息と、激しい息遣いを感じる。飴野は佐倉彩を守るように抱き止めた。
9―4)
飴野はタフで冷静沈着な探偵ではない。物事に動じやすいわけではないとしても、突然、自分の身体に抱き着いてきた女性を前にして平静ではいられない。山道で蛇に遭遇したときと同じくらい、内心で慌てふためいている。
しかし勘は鋭いほうだ。彼女が彼に抱き着いてきたわけではないことくらいすぐに察知する。
かなりの熱があるようだった。飴野は佐倉を抱え、あのターコイズブルーのソファに運ぶ。
彼女のの身体は走り回ったあとの子供のように熱い。彼はまず、水を飲ませることにする。
佐倉は意識を失ったわけではない。目を開いて、飴野の瞳を静かに見返している。
彼が「大丈夫ですか」と尋ねると「平気です」と答えるが、しかし佐倉が何かを患い、消失しているのは確実のよう。心労、ストレス、それとも不安、あるいは恐怖が原因なのか。
起き上がろうとする佐倉に首を振り、飴野は彼女を甲斐甲斐しく介抱するのである。
私は二人のその姿を必要以上にエロティックに描写したと思う。
いや、エロティックというより、無暗と丁寧に描写したのだ。それがこの場面に官能的な予感を付与させることが出来ていれば成功というところ。
佐倉は飴野の腕の中、一切の拒否感も示さない。全身を飴野に預けてくる。投げ出している、そのような表現でも問題ないだろう。
彼女の体調が悪いことは間違いないのである。それを疑うわけではない。しかしこれは自分に対する一種の媚態ではないかと飴野は考えたりもする。
飴野が佐倉と情を交わすことで、この事件の解決の糸口を探ろうとしている一方、佐倉側は飴野と通じることで、この事件に混沌をもたらそうとしているのではないか。
混沌という言葉は曖昧である。何と言い換えるべきであろうか。混乱、かき乱し。
佐倉はこの失踪事件の犯人であるかもしれないと飴野は考えている。それでありながら、この失踪事件の依頼人なのである。
事件解決を依頼しながら、それが解決されると司直の裁きを受けることになるかもしれないアンビバレントな存在。それが飴野から見た、佐倉という女性。
彼女は告白と逃避の間で苦しみ、その苦しみを探偵という不思議な存在に癒してもらおうとしているのではないだろうか。
その推理に占星術はまるで関りない。彼の勝手な推測である。
彼女は一人では抱え切れなくなった罪の意識を、誰かと分かち合いたいと思っているのだ。精神科医が扱うような問題を、探偵に求めているということ。
探偵飴野に一般的モラルなど皆無であろう。法の順守、正義、そのようなものを尊んだりしない。
罪を負担する相手として選ばれたというならば、司直の手に渡すことなく、彼女を癒すのも悪くないと思っているのかもしれない。
探偵飴野が望むのは、ただ依頼人の期待に応えるということだけ。
それを叶えることで、金銭的報酬を得る。こうやって彼は生計を立てているのだ。社会的正義の実行など知ったことではない。
一方で、彼には好奇心もある。この謎を解決したいというありきたりな欲望もあるだろう。
とはいえ、その謎を社会と共有しているわけではない。
「事件を解決したぞ」と世間にアピールすることが彼のモチベーションでもない。功績を誇りたいわけではないのだ。
請け負った依頼を解決すること、それは依頼人と一対一の関係に終始するもの。
さて、佐倉はマスタード色のニットを着ている。そのニットの袖口を少しまくり、手首が出ている。
彼女が倒れ込んだとき、飴野の白いシャツはそのマスタード色と強く触れ合った。その一瞬でも色移りしそうなくらい鮮やか色。
スカートはグレーと細い黄色のラインの入ったチェック模様のロング丈。その生地は薄過ぎるわけではないだろうが、彼女の太ももや脚の形を透かしている。
胸元にネックレスをしている。その飾りの石は彼女のマスタード色したニットの胸の谷間の膨らみにずっと位置していたが、彼に身体を預けたときに大き崩れ、それ以降、その石だけ虚空に浮いたように不安定に彷徨い出している。
ソファに寝かせた佐倉に水を飲ませるため、その半身を起こし、飴野は手に持ったコップを彼女の唇に近づけていく。
飲んだ水が細い喉を伝わる様子、唇から零れた水とその行方。私はそれらを詳しく書いただろう。
飴野はその零れた水を、彼女の唇に触れながら指で拭き取る。
彼女はそれに抵抗しない。驚いた表情も見せない。飴野は佐倉のスカートのベルトを緩めて、楽な姿勢にして寝かせる。その手と指の動きに対しても、佐倉は抵抗しない。
佐倉の表情にあるのは、自分の健康を損なうものへの不満だけ。
もしくは飴野の前でこのような失態をしてしまったことに対する苛立ち。
あるいは意外に優しい態度を見せる飴野に対しても、彼女は何らかの反応を示しているかもしれない。
9―5)
佐倉が倒れたそのシーン。飴野はソファに佐倉を寝かしつけ、水を飲ませたりする。
しかし飴野はそれ以上踏み込むことはない。作者はエロティックな予感だけを高めていって、それ以上のことは書かなかった。
当たり前ではあるが。佐倉は体調が悪いのである。それなのにいったい何が始まるというのか。
「台所を借りるよ。夕食に何か作っておく。この体調では買い物にも行けないはずだ。それともこういうとき、君を助けに来る誰かが既に」
飴野はゆっくりと佐倉から離れ、台所のほうに向かう。
「いえ、誰も来ません。でも少し横になっていれば、すぐ落ち着くので」
佐倉は断るが、飴野はそれを無視して勝手に冷蔵庫を開ける。
飴野は彼女に料理を作って、優しさのようなものを示して、彼女の気を惹こうとしているわけである。
女性からの信頼を得るため、作者が考え出した方法がこれなのか。この作家の異性に対する考え方が透けて見えるな。そんなことを思われると心外ではある。
しかし小説を書くということは、些細な人生観、人間観、女性観、あらゆること全てをあらわにしてしまうということであろう。
それらを読者に見透かされてしまうわけだ。欲望、性癖、ちょっとした差別意識など、絶対に隠しておきたいことまでも。
隠そうとすれば出来るだけ嘘をつかなければいけない。とても注意深くあらねばいけない。
その結果、嘘つきであることや、注意深い性格が見透かされてしまうことになってしまうだろうが。
ところで、飴野は料理が出来るのであろうか。これから佐倉に何か食べるものを作らなければいけないのに。
彼は独りで暮らし、一人で生きている。料理から洗濯掃除を全てこなしているという実態。
彼の探偵業は決して忙しくはないから、やる時間はある。飴野は得意料理はサンドイッチということにしていたはずだ。
とはいえ、外食することのほうが多い。彼の住む恵美須町の周りには、独りでも気軽に入れる食堂は多いはず。うどん屋、洋食屋、焼き肉屋、中華料理屋。家族で経営している小さな店。
普段の彼は毎夜、そのような店で食事をしている。何十年前のビールの広告のポスターがまだ貼られている汚れた壁、パイプ椅子、テレビと雑誌。アジア的情緒と言うべきか昭和的空気と言うべきか、そのような雰囲気の漂う店。
それもこの作品の頻出するイメージの一つであるが、今、探偵は台所に立っている。
「雑炊を作ろう。あっさりとした食事なら喉を通るだろう」
飴野の言葉に佐倉は頷いて返事をする。
「外食する元気がないときだけ、ありあわせの物であっさりとした料理を作るから、結果的に雑炊ばかりを作っていて、それが得意料理だと言えば、そういうことになっている」
飴野はそんなことを言いながら、米を研ぎ、ネギなどを切っている。使い慣れない電気のコンロに戸惑いながらも順調に作業を進めている。きっと飴野の立てるリズミカルな包丁の音は、佐倉に安らぎを与えているはずである。
飴野が料理をしているシーンはときおり描いている。ならばこの作家は料理が好きなのかと思われるかもしれないが、一切興味がない。
飴野と同じように、作者である私も一人で暮らし、独りで生きている。しかし私は探偵ではなく作家だから、炊事に費やす時間的な余裕などないわけである。
いや、そんな私でもポテトサラダの作り方だけには習熟しているつもりである。
美味しい惣菜はスーパーやコンビニで買えるが、自分好みの美味しいサラダにはなかなか出会えないというのが、それなりに長い期間を一人で生きてきた私の答えである。
サラダだけは自分で作れるような人間になろうと志し、何とか手際よく満足出来るポテトサラダを作れるようになった。
いや、そんな情報、本当にどうでもいいだろうが。
飴野が台所で雑炊的なものを作っている間に、佐倉はそのソファで眠りに落ちたようであった。彼女を眠らせたまま、彼は静かに部屋を辞すことにする。
9―6)
しかしその夜はまだ継続しているのである。小説に音楽のようなものが流れているとすれば、佐倉の部屋から事務所のシーンまで同じ旋律が流れ続けていると言えるかもしれない。
事務所に戻った飴野は、佐倉の部屋で撮影した動画を即座に見返し始めた。若菜の本棚を写したそれは、全ての本の題名がしっかりと確認出来る鮮明さである。
彼は知らない本の題名を検索して、どのような内容の調べ尽くそうとしている。
若菜氏の人生を変革させた何か、その変革を起こしたのは冥王星であるが、そこに金星や火星が関わっていることは重視していた。更に水星も無視出来ないという判断。
水星が意味するのは情報、知識、書物などだったろうか。つまり本棚を調べることは占星術からのメッセージだ。本棚にこの事件の謎を解く何かが隠されている可能性がある。
いや、飴野は占星術からのメッセージに従っているというより、目下のところ他に調べることがないからこの作業をこなそうとしているだけ。
佐倉が倒れてしまい、彼女を追求することはほとんど出来なかった。彼があの部屋から持ち帰ったものはこの本棚の映像だけなのだ。
さて、その映像には佐倉が彼の腕の中に倒れ込んでくるシーンも映っていた。
「え? どういうことなん? 何が起きたの?」
飴野の助手、ということになっている千咲もその映像を観ていた。彼はその作業を助手に手伝ってもらうことにしたのだ。
彼女はその例の場面で驚きをあらわにする。不機嫌にすらなっている。
「熱があったんだよ、彼女を介抱してきた」
飴野は千咲が事務所を去ってから、この動画を見返すつもりであった。いつも夕食の時間になると空腹に屈して、彼女はさっさと帰宅する。
彼女がこの事務所を立ち去る時間は把握しているから、都合の悪い作業には立ち会わせないでおくことは簡単だ。
しかし、あの本棚全ての本を一人で調べるのには時間がかかる。そういうときにこそ助手が役に立つに違いない。
せっかくの機会であるから、その作業を彼女にも手伝ってもらうことにした。
そういうわけで飴野は動画を再生したのであるが、佐倉が抱き着いてきたシーンで、案の定、千咲は声をはり上げてきた。
「熱? 熱があって、こんなふうになる? 何かおかしない? 色仕掛けって奴とちゃうん! やっぱりこの女の人が犯人やわ」
千咲は怒りっぽい性格だ。単純なのである。飴野に恋をしているが、当然それを隠している。しかしすぐに嫉妬をして、その恋心の尻尾をあらわにする。二人のやり取りはそのパターンで出来ている。
いはゆる、有り勝ちなラブコメディの方程式である。それは読者へのサービスかもしれない。とはいえ、作者として、そして読者としても、私はこのようなラブコメパターンが嫌いではない。
このシリーズは「恋愛の終わり」をテーマにした作品と謳っている。「恋愛の終わり」というテーマと、恋愛にまでは行きつかない戯れのような関係を描くこと、その間にどのような関連があるのだろうか。それとも何も関連などないのだろうか。
少なくともこの作品の舞台である「恋愛の終わった世界」というのは、登場人物たちが恋愛とまるで無関係で生きている世界ではなくて、むしろそれを強く意識している世界であることは確か。それが消滅した世界などではない。
さて、飴野と千咲の会話の続きである。「やっぱりこの女の人が犯人やわ」という千咲の言葉に、飴野は返答を返す。
「彼女が犯人かどうかは、今から調べるのさ。疑わしいことは事実だ。星も彼女を名指している。だけど婚約者が失踪したんだ。彼女を苛んでいるストレスは大変なものであることも事実だよ」
「確かにそうやけど。ほんで病院とかに連れて行ったん?」
「いや、自宅で安静にしているはずだ。何かあれば連絡をして欲しいと言ってある。それも調査費用に含まれているから、遠慮するなってね」
「ふーん」
飴野のその言葉にも千咲は不服そうである。「探偵って変な仕事やね」
「探偵助手の君に、その変な仕事を手伝って欲しい。さあ、僕が挙げる本の題名をさっさと検索してくれ」
飴野は千咲に指示を出す。佐倉への嫉妬をひとまず引っ込めて、彼女は飴野の隣に座り、キーボードを叩く準備をする。ようやく助手らしい仕事が出来るんやねと、彼女はどこか嬉しそうになる。ほら、この通り単純なのである。
香水というよりも、ボディークリームか何かそのような香りがする。デスクはそれほど大きくない。飴野と千咲の肩は触れ合う。その距離を意識するように、しないように、二人は離れたり、近づいたりする。
9―7)
飴野は若菜の本棚を分析した結果、そこからある種の傾向のようなものは掴んだ気はしたが、この探偵にはその本棚にあるような文学や哲学などの素養などほとんどないから、若菜という男がどのような人物だったのか具体的には見えていない。
まるで知らない人物であっても、ホロスコープを眺めているだけで、その人物のイメージが自然と像を結んでいくのに。
それが占星術師としての彼の力量。しかし本棚を観察しても、そのような具合にはいかなかったというところだ。
とはいえ、何も掴めなかったわけでもないだろう。文学、哲学、そして心理学関係の書物が多かったという事実を掴んだ。
そもそも驚くべき量の本が並んでいることに、彼はもっと驚くべきであろうが、それはホロスコープから予測していたということにしておこう。
「ありがとう、もうこれくらいに充分だ」
「ホンマに? こんなんで何かわかったとかあんの?」
千咲は疲れ切った態度で言う。彼女は本の題名を検索する作業にすっかり飽きてしまっている。
「さあね、でも何の役にも立たなそうに思えた仕事が、どこかで活きてくるなんてことはよくあることだ」
「どこかで? 役に立つかも? そんな程度の重要度やったん? 何よ、それ! 私の貴重な時間を返して欲しいわ」
「探偵の仕事なんて地道なものだ」
「地道過ぎるよ。私には向いてへんかも。ちゃんと勉強して、就職活動しよっと」
「出来るだけ早いうちに依頼人の部屋に行かなければいけないな」
しかし飴野のその言葉で、彼女は疲労と不満の中に浸かっていた頭をパッと上げた。
「はあ? 何でよ? あの人のことが心配なん?」
「それもあるけれど。もう一度、彼の本棚の本を調べさせてもらう。いくつかの本の中身も確かめたい。本屋で立ち読みするのも不可能ではないけれど、古そうな本もある。探すのに手間取りそうだしね」
「何かさ、私、思うんやけど」
千咲はコツコツと机を叩く。明らかに苛立っているようである。
「ただ単に、あの人と逢いたいだけの口実ちゅうん、それって?」
嫉妬する千咲を、私たち読者は楽しむような仕組みなのだ。それをそのまま言葉にすると、何やら意地悪なニュアンスが漂ってしまうが。
とにかく嫉妬は、千咲の飴野に対する恋慕の屈折した表現。
それを読んだ読者に、何か甘やかな恋の空気を感じてもらう。別に読者へのサービスとか、エンターテイメントを意識しただけではない。そんなシーンを描くこともまた、きっと私の創作の快楽の一つなのだと思う。
何やら、いささか突然の指摘であるが、思えば、「甘やかな恋の空気を感じさせるシーン」は、夏目漱石が得意としたものではないだろうか。
日本の近代文学を創造した国民的作家。「草枕」、「三四郎」、「こころ」などを読めば、そのようなシーンに何度も出くわすことになる。
それはこの国の近代文学の草創期の頃にインプットされていた重要なコードだったと思うのである。
対象に最短距離で突進せず、その周りを無駄に彷徨うこと、それが夏目漱石の恋愛の描き方だったと断ずることは出来るわけがないが、私はそのように考え、そんな漱石を愛でている。
この作品における「恋愛」も、その漱石的韜晦の影響下にあるだろう。
当然、若菜真大の本棚にも漱石の本が幾つか並んでいるが、しかしそれは別に物語的に少しも重要なことではない。ただ単に彼の教養を示すものに過ぎない。重要な本は別にある。